88歳にして株の現役デイトレーダーで、米国の著名投資家に例えて「日本のバフェット」とも称される神戸市東灘区の藤本茂さん。約20億円の資産を築くが「株を引退するのは死ぬ時や」と毎日リスクを背負って取引を行う。30年前の阪神大震災では、あわやのところで助かり、毎日のように会っていた人が亡くなるなど人生の無常を味わった。その体験が投資生活の奥底にある。
兵庫県高砂市の農家の出身。高校卒業後、神戸市内のペットショップで働いていた19歳の時に、客の証券会社役員に勧められ株を始めた。その後マージャン店などを経営。1986年、店の売却益6500万円を元手に専業投資家となった。
世の中はバブル景気に向かっており、資産は10億円に膨らんだ。だが90年代初頭にバブルが崩壊、2億円にまで減った。「こんな時もある」と株に費やす時間を減らし、海外旅行やゴルフ、マージャンなど趣味に比重を移した。震災に遭ったのはそんな時期だった。
徹夜マージャンから戻ると…
95年1月17日午前5時46分。徹夜マージャンからマンション1階の自宅に戻り、床に就いたばかりだった。体をドーンと突き上げられた後、激しい揺れに見舞われた。天井が落ちてきて、下敷きになる寸前で止まった。膝の高さくらいの隙間(すきま)を妻とはいながら進み、ベランダの割れた窓から脱出した。
寝間着で裸足の足は、ガラス片が刺さって血だらけだった。見かねた近所の人がスリッパをくれた。一帯は被害が激しく、同じ町内では50人以上が亡くなっていた。
避難所となった小学校は人であふれ、入れなかった。途方に暮れていると、かつて経営していたマージャン店でアルバイトをしていた男性に出会った。男性は近くに文化住宅を所有していた。「うちにおいで」と誘ってくれ、身を寄せた。
全壊した自宅マンションは解体された。持ち出せた家財は目覚まし時計1個だけだった。19歳からの株の売買を記録し、取引には欠かせないノートを失ったのが何よりも痛かった。
長年、懇意にしていた証券会社の40代男性社員が犠牲になったと知らされ、葬儀に参列した。震災前まで神戸・元町にあったその会社に通っており、毎日のように顔を合わせていた人だった。
明日も当たり前にあると思っていた命や家財が一瞬で奪われるむなしさに、株に気持ちが向かなくなった。マンションは3年後に再建され、文化住宅から戻ったが、再建費用に3000万円以上の出費が必要だった。
ストイックな投資生活
2002年、証券会社に勧められ、パソコンを購入しネット取引を始めたところ、再び株への情熱が湧いてきた。自宅から効率よく売買できることに魅了され、1日に大量の売買を繰り返すデイトレードで利益を積み重ねていった。
毎日午前2時に起きて、米国市場の動向をチェック。午前9時に国内市場が開くと、3台のパソコンを駆使して1日60~70銘柄を取引。午後3時半に市場が閉まるとノートに売買記録を記入し、その日の反省をして、午後8時には寝る。
「年齢に関係なく挑戦でき、運ではなく自分が勉強した分だけ返ってくる。株ほど面白いものはないから続けているだけ」。物欲は全くないといい、15年以上同じ帽子を修繕してかぶり続け、震災で残った目覚まし時計を今も使い続ける。必要がないため携帯電話やマイカーも持たず、生活水準はネット取引を始めた時からほとんど変わらない。
23年、ストイックな投資生活が証券会社の動画投稿サイトなどで紹介されると、94歳の米国の著名投資家と重ねて「日本のウォーレン・バフェット」と話題になり、同年出版した著書「87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え」(ダイヤモンド社)は12万部超のベストセラーになった。
「人生はいつ終わるか分からん」
日本の株価は「失われた30年」と言われるように、バブル崩壊以降も低迷が続いていたが、新NISA(少額投資非課税制度)が始まった24年に日経平均は34年ぶりに最高値を更新し、再び投資ブームが起きている。著書では、「天井と底値を狙わない」「ニュースを広くチェックする」などと投資のコツを説く。
自身は悠々自適の配当金生活には見向きもせず、生涯現役のデイトレーダーを貫きたいと願う。「人生はいつ終わるか分からん。悔いがないよう好きなことをやって楽しむべきだ」。30年前の多くの無念の死が藤本さんに教えてくれた教訓だ。【山本真也】
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