曼谷がらくた人生記

 気が付けば27年目のバンコク暮らしです。最初は民間教育援護機関の一員としての訪タイでした。一念発起なんて力んだ理由もなく成り行き任せで現地日本食レストランの大将になっていたのが24歳の時。こんなはずじゃなかったのに。そんな戸惑いからはじまった海外暮らしでした。周りに流された感はあるけど、それもまた良し。今がその時、その時が今。そんな、ありのままの自分を、思う存分楽しみながら生きています。人生、ありきたりより、ちょっとガラクタなぐらいが楽しいのだ。

2012年05月

自然保護や動物愛護の運動が高まっている昨今ですが、何と昨年、人里に出没した熊が4000頭も駆除されたそうです。

  「駆除」ということばは好きではありませんが、人間に益を及ぼさないものは、ときに「害」という冠を付けられて殺されなければならないのです。

  そんな運命の中で母熊が殺され、生まれて間もない二頭の子熊を飼育するというドキュメンタリー番組を見ました。

  恐ろしいと思う熊でも、手のひらに乗る子熊は愛らしく、恐ろしいと思う人はないと思います。
飼育員はまるで、わが子のように愛情をもって必死に育て、またその姿が感動的です。

  三ヶ月が過ぎ、さらに愛らしい姿になった子熊たちは元気に走り回り、木に登るまでに成長していました。
一方では「害」であると嫌い、ある一方では「愛」すべきものであると思う私たち人間のこころであります。

  歎異抄に親鸞聖人と唯円のやりとりがあります。「往生極楽のために人を千人殺すべし」という件があります。

  唯円は驚いて、「私の器量では一人も殺すことはできません」と答えました。そのとき聖人は「わが心の善くて殺さぬにあらず」と仰せられました。世の中には残忍非道な振舞をしてはばからない人がいます。何とひどい人間だろうか、と心憎くさえ思います。

  一方この私はとても人を殺めることなどできない、と思っています。しかしそうではない「害せじとおもふとも、百人千人殺すこともあるべし」と聖人は示されました。縁が整えばどのようなことをするかわからないのが、この私であるということなのです。

  恐ろしいと思って熊を撃ち殺すのも私の姿であり、母を亡くして不憫に思って子熊を育てるのも私の姿であります。

  こちらの都合で殺したり、保護したりすることは人間の傲慢な姿であります。深く味わい気付かせていただきたいことであります。

5月27日バイクのオイルとギアオイルの交換を終了。今回はちょい遅め。ダラダラしてしまった。行きつけの店が移転したのも理由の一つ。まぁ早め早めの交換を心がけよう。5400キロ。

最近、学校へも行かず、働きもしない若者が増えています。
「就労も就学もせず、訓練も受けていない者」という意味の英語の頭文字をとって「ニート」と呼ばれ、社会現象化しています。

  なぜそうなってしまったのか、ということに様々な要因があると思いますが、私は世の中全体に「あたり前」が蔓延してしまった結果だと思っています。

  戦争が終わって、焼け野原になった日本は奇跡的とも言える復興をはたしました。そして現在、私のまわりを見回してみると、たくさんの「便利」で埋め尽くされていることに気づきます。けれども、いつの頃からか、「ありがたいこと」と感謝する気持ちはなくなっていきました。だんだんとすべてが「あたり前」になり感謝の気持ちは薄れていくばかりになりました。

  会社や企業は社員を大事に育て、社員はそれに応えて一生懸命働きました。そこには「働いて下さる」という思いの経営者と「働かせていただく」社員の姿がありました。今日では「働くのがあたり前」と思う経営者と「給料や休日をもらうのがあたり前」の社員のいる景色に変貌してしまいました。そして、年齢が高くなって少しでも働きが悪くなると「リストラ」という名のもとに解雇されるのです。これではたまごを産まなくなったにわとりと同じです。

  こういうことが日々展開されていく中で若者がさらには日本全体が無気力に向かっていると思えてしまうのです。

  かつて私たちはものの道理を仏さまの前で教わりました。特にそれは「あたり前」と対極にある「感謝のこころ」でありました。

  今はそれをどこで誰から教わるのでしょうか。
知識や教養では決して解決しないことです。

  先日、久しぶりにお参りになられた方が「お参りさせていただいて、ありがたかった」とお話しくださいました。

  こういう言葉を話すことのできる日本であってほしいと願うことです。

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 春夜  蘇軾

春宵一刻 値千金
花に清香有り 月に陰有り
歌管楼台 声細細
鞦韆院落 夜沈沈

  一刻千金にあたいする春の夜、
   その高価さを、一つ一つの対象に分けることはできないが、
   とりわけ清らかな香りをはなつ花、そしておぼろにかすむ月
   宵の口まで歌声や笛の音がにぎやかにきこえていた高楼からも、
   今はひそとの声もきこえぬ
   昼間は女どもがにぎやかに遊んでいた邸の中庭のぶらんこも、
   今は静かにたれさがり、夜はしんしんとふけていく
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