最近、学校へも行かず、働きもしない若者が増えています。
「就労も就学もせず、訓練も受けていない者」という意味の英語の頭文字をとって「ニート」と呼ばれ、社会現象化しています。

  なぜそうなってしまったのか、ということに様々な要因があると思いますが、私は世の中全体に「あたり前」が蔓延してしまった結果だと思っています。

  戦争が終わって、焼け野原になった日本は奇跡的とも言える復興をはたしました。そして現在、私のまわりを見回してみると、たくさんの「便利」で埋め尽くされていることに気づきます。けれども、いつの頃からか、「ありがたいこと」と感謝する気持ちはなくなっていきました。だんだんとすべてが「あたり前」になり感謝の気持ちは薄れていくばかりになりました。

  会社や企業は社員を大事に育て、社員はそれに応えて一生懸命働きました。そこには「働いて下さる」という思いの経営者と「働かせていただく」社員の姿がありました。今日では「働くのがあたり前」と思う経営者と「給料や休日をもらうのがあたり前」の社員のいる景色に変貌してしまいました。そして、年齢が高くなって少しでも働きが悪くなると「リストラ」という名のもとに解雇されるのです。これではたまごを産まなくなったにわとりと同じです。

  こういうことが日々展開されていく中で若者がさらには日本全体が無気力に向かっていると思えてしまうのです。

  かつて私たちはものの道理を仏さまの前で教わりました。特にそれは「あたり前」と対極にある「感謝のこころ」でありました。

  今はそれをどこで誰から教わるのでしょうか。
知識や教養では決して解決しないことです。

  先日、久しぶりにお参りになられた方が「お参りさせていただいて、ありがたかった」とお話しくださいました。

  こういう言葉を話すことのできる日本であってほしいと願うことです。