嗚呼、バンコク我楽苦多暮らし

 気が付けば27年目のバンコク暮らしです。最初は民間教育援護機関の一員としての訪タイでした。一念発起なんて力んだ理由もなく成り行き任せで現地日本食レストランの大将になっていたのが24歳の時。こんなはずじゃなかったのに。そんな戸惑いからはじまった海外暮らしでした。周りに流された感はあるけど、それもまた良し。今がその時、その時が今。そんな、ありのままの自分を、思う存分楽しみながら生きています。人生、ありきたりより、ちょっとガラクタなぐらいが楽しいのだ。

2016年12月

 午後5時からホクレンのフェア用写真撮影をした。ギリギリまでメニューがまとまらず大慌てする。何時ものことながら、この性格どうにかならないかな。
 でもスティンらのお陰で何とか様になるメニューが組めた。よし!

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 青森フェアの売上が良い。お陰で品物が足りず。多田羅さんの気遣いで倉庫からモノを出すことができた。年末休暇前だけあって、倉庫は大混雑。みんな今年最後の出庫なんだろうな。
 事務所に戻って荷物を冷凍庫へ入れて、大忙し。年末というかんじだ。

 何なんだろう。重なる時は重なるもんだ。積水さんの予約に読売さん、そして多田羅さん。これでもかと言う重なり具合。まぁ年末だから仕方ないか。でもお陰で月曜日とは思えない良い感じの売上だった。

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 約束していた焼肉に仕事上がりに行く。またまたユッケ。ヨコさんが日本へ戻ってからは焼肉へ行く回数は断然減ったかな。でもやっぱりたまには良いか。今年最後かも。良い感じでスタミナ補給できた。

 博多駅前のバスセンターから国際線ターミナルまでバスで移動。、280円だった。安い。しかも快適。地下鉄より断然いいや。
 空港のラウンジが綺麗になっていた。TGは定刻にバンコクへ到着。夕方から一仕事した。

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 夜中に目が覚めて眠れず。結局朝の7時にはさつま町へ。そして戻ったら年金事務所へ寄り、薬を買い、国際運転免許も申請して福岡へ戻る。
 途中の熊本で高速なのに渋滞。これも震災の名残なんだ。結局福岡へ着いたのは午後8時前。遅くなった。足が痛い。車の運転しすぎかな。走行距離は900キロ。
 ホテル横の一本槍で飲み、寝る。

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 温かい。これが本当に12月の気候と思うほどだった。あいにくの小雨模様。車を借りて鹿児島へ。途中、カレンダーを大宰府からだしクンチョウへ寄る。気ままに道の駅へ寄り道していたら鹿児島到着が午後8時前になった。久しぶりに両親と食事。12月の年の瀬になんか、まったりしてしまった。
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