嗚呼、バンコク我楽苦多暮らし

 気が付けば27年目のバンコク暮らしです。最初は民間教育援護機関の一員としての訪タイでした。一念発起なんて力んだ理由もなく成り行き任せで現地日本食レストランの大将になっていたのが24歳の時。こんなはずじゃなかったのに。そんな戸惑いからはじまった海外暮らしでした。周りに流された感はあるけど、それもまた良し。今がその時、その時が今。そんな、ありのままの自分を、思う存分楽しみながら生きています。人生、ありきたりより、ちょっとガラクタなぐらいが楽しいのだ。

2013年03月

これはかなり前のお話であります。
ある新聞を読んでいましたら、
女子高で教える三十歳くらいの国語の先生の投書が載っていました。
それを読んで私は非常に感動したんです。

当時の女子高の生徒でも、
やっぱり挨拶を全然しなかったといいます。

だからその先生がやり切れなくなって、


「そんなふうに黙っていたら、
家庭間も友人関係もうまくいかない。
就職してもうまくいかないから、
きょうからは少なくとも三つの挨拶を実行してほしい」


と言われたそうなんです。
先生が唱導されたのが


「ありがとう、すみません、はい」


の三つの言葉でした。

この三つさえ言えれば、交友関係もうまくいくし、
人に憎まれることも、人をいじめることも少なかろう。
君たちが上の学校に上がらず、このまま就職したとする。

その職場の中で皆が黙っていたら、
君たちが進んで大きな声で


「ありがとう、すみません、はい」


と言えばいい。これを繰り返せば、必ず事故が減る。


そして先生は三つの言葉の頭文字を取って
「あすは運動」と名づけたそうです。


私は、これはいいことを聞いたと思いましてね。

その後、いろんな会社やどこかでお話をするたびに、
この「あすは運動」をお勧めしたのです。
そうしたら確かに事故が減るんだそうですね。

皆さんも試しにやってごらんなさい。
ご家庭でも職場の中でもいいですから。



「ありがとう、すみません、はい」



この挨拶を繰り返していけば、自然に心が安らかになっていく。
これは禅語の上からも考えられます。


「ありがとう」という言葉は「感謝」と同義語になっていますが、
本来の意味は「有ること難し」です。
滅多にないということ。稀有の事実であります。

いまお互いがここに生きているということは、
考えてみれば稀有の事実です。

私なんか、後期高齢者も越えてしまって、
もう末期高齢者ですよね。
孫が挨拶代わりに「おじいちゃん、いつ死ぬんですか」
なんてことを聞いてきます(笑)。


この頃、朝起きて着物を着せてもらう時にしみじみ思うのですが、
あぁ、きょうもまた生きていた、と。

百歳を越えましてね。
何もかも人様のお世話になりながら、
生きさせていただいているんだということが、
本当に分かってまいりました。

有り得ないことが、いまここに有るんだという事実。
だから感謝の前に、まず、稀有の事実を知ることです。



それから「すみません」。

この言葉は若い女性が嫌うんです。
何にもしないのに「すみません」なんて謝るのは
侮辱だなんておっしゃるけれども、そんなふうに考えずにね。

すみませんとは、「謝る」という意味より前に、
「すんでいない」ということなんです。
決済をしていない、未済だということです。


皆様もお気づきでありましょうが、
私たちは自分一人で生きていられるんじゃなく、
大勢の人の力を借りて生きさせていただいている。

その恩返しがまだすんでいません、という深い反省の言葉なんです。
それを自分に言い聞かせる意味で「すみません」。
これなら気持ちよく言えるだろうと思います。


第三の「はい」は、単に人に呼ばれた時の返事だと思うから、
なかなか声が出てこないんです。

「はい」と返事をすることは、自分が自分になるということ、
自分自身を取り戻すことができるということです。

誰かに呼ばれた時にモゴモゴするよりも、
「はいっ!」と、こう返事をしてごらんなさい。

気持ちがスカーッとして、自分に出会うことができる。
だからそういう何でもないような挨拶や言葉の中にも、
これこれの意味が含まれているということを
考えていただければと思います。

■松原泰道(龍源寺前住職)

棟方志向から学んだこと


版画に対する姿勢ですな。
棟方の名を慕って門下に入った者は百人以上いますが、
版画そのものを習ったのは一人もいませんよ。

先生、どんなことに気をつければいいですかと尋ねたら


「人を感動させろ。

 人を感動させるためには
 おまえ自身が感動しなきゃいかん。
 そのためには本を読め」


と。先生はどんな本を読んでいるのかと聞いてみると、
人からもらった本ばかりでした。
柳宗悦や金田一京助といった人たちが年中やってきて、
これを読め、あれを読めと難しい仏教書なんかを
しょっちゅう置いていくというんです。

そうやって棟方はよく本を読むし、
人の描いたものも実によく見ている。


「写真を見ろ、写真を。写真展を見て歩け」


とも言われましたね。

優れた写真は的確に物の焦点を捉えている。
その写真家の撮る構図を取り入れていけば、
絵もうまく描けるようになる。

要するに自分の描こうとするものを見る目が、
彼らと同じレベルにならなきゃダメだということなんです。


そのおかげで、なんとなくではありましたが、
あぁ、この場合はここを焦点にすればいいんだな、
あんまり余計なものを詰め込み過ぎてもダメなんだな、
といったことを覚えていきました。


実はこれは俳句の世界にも通じることで、
種田山頭火の自由律俳句も字が余るものもあれば、
逆に短いものもある。

大事なのは作品の体裁ではなく、
物事をどういう角度から見るかということですね。


それから棟方は、人を見れば


「化け物を観ろ。化け物を出せ」


と言いました。

要するに奇想天外なことをやれということでしょう。

棟方の絵は確かに化け物的なものが多いのですが、
その化け物をどうすれば版画に生かせるのか、
私は年中旅に出て石仏や道祖神を
写生してばかりの日々でした。

口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう
耳は人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう
目は人のよいところを見るために使おう
手足は人を助けるために使おう
心は人の痛みがわかるために使おう
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