竹影階(きざはし)を払って塵動ぜず
月潭底(たんてい)を穿って水に跡なし
<訳>
竹の葉の影が風にそよぎ、階段を払ったとしても塵は少しも動かず、
月が池の底を透き通すように照らしても水には何の跡も残らない。
竹の葉の影が風にそよぎ、階段を払ったとしても塵は少しも動かず、
月が池の底を透き通すように照らしても水には何の跡も残らない。
<感想>
禅者の捕われの無い、無心の働きを表した禅語です。
こんな話が伝わっています。
禅者の捕われの無い、無心の働きを表した禅語です。
こんな話が伝わっています。
雨上がりの田舎道を2人の若い雲水(修行中の僧)が歩いていた。やがて道は小川にさしかかったが、丸木橋は朽ちて渡れそうにない。川を見ると連日の雨で水が勢いよく流れている。見ると若い町娘が川を渡りかねて立っていた。
雲水の一人が娘の方に歩いていき、「困っているようですね。私にお掴まりなさい」と声をかけ、ひょいと町娘を抱きかかえ川を渡った。
二人は娘と別れて道を急いだが、もう一人の雲水は心穏やかでない。たまりかねて、「おい、修行中の身でありながらなんで若い女を抱いたんだ」となじった。
言われた方の雲水はからからと大笑いして言った。「なんだ、貴公はまだ、女を抱いていたのか。私はあのとき放してしまったよ。」
この雲水こそ近世の禅傑 原坦山であったということです。
雲水の一人が娘の方に歩いていき、「困っているようですね。私にお掴まりなさい」と声をかけ、ひょいと町娘を抱きかかえ川を渡った。
二人は娘と別れて道を急いだが、もう一人の雲水は心穏やかでない。たまりかねて、「おい、修行中の身でありながらなんで若い女を抱いたんだ」となじった。
言われた方の雲水はからからと大笑いして言った。「なんだ、貴公はまだ、女を抱いていたのか。私はあのとき放してしまったよ。」
この雲水こそ近世の禅傑 原坦山であったということです。