曼谷がらくた人生記

 気が付けば27年目のバンコク暮らしです。最初は民間教育援護機関の一員としての訪タイでした。一念発起なんて力んだ理由もなく成り行き任せで現地日本食レストランの大将になっていたのが24歳の時。こんなはずじゃなかったのに。そんな戸惑いからはじまった海外暮らしでした。周りに流された感はあるけど、それもまた良し。今がその時、その時が今。そんな、ありのままの自分を、思う存分楽しみながら生きています。人生、ありきたりより、ちょっとガラクタなぐらいが楽しいのだ。

2012年01月

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竹影階(きざはし)を払って塵動ぜず

  月潭底(たんてい)を穿って水に跡なし


<訳>
 竹の葉の影が風にそよぎ、階段を払ったとしても塵は少しも動かず、
月が池の底を透き通すように照らしても水には何の跡も残らない。


<感想>
 禅者の捕われの無い、無心の働きを表した禅語です。
 こんな話が伝わっています。

 雨上がりの田舎道を2人の若い雲水(修行中の僧)が歩いていた。やがて道は小川にさしかかったが、丸木橋は朽ちて渡れそうにない。川を見ると連日の雨で水が勢いよく流れている。見ると若い町娘が川を渡りかねて立っていた。
 雲水の一人が娘の方に歩いていき、「困っているようですね。私にお掴まりなさい」と声をかけ、ひょいと町娘を抱きかかえ川を渡った。
 二人は娘と別れて道を急いだが、もう一人の雲水は心穏やかでない。たまりかねて、「おい、修行中の身でありながらなんで若い女を抱いたんだ」となじった。
 言われた方の雲水はからからと大笑いして言った。「なんだ、貴公はまだ、女を抱いていたのか。私はあのとき放してしまったよ。」
 この雲水こそ近世の禅傑 原坦山であったということです。

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「運命は何によって決まるの?」
「なぜ、お経を読むの?」
「極楽って、どんな所?」
……素朴な疑問から、
「なぜ親鸞聖人は、わが子を勘当されたの?」
「親鸞聖人は、どんな夢を見られたの?」
……親鸞の生きざま、人柄。
さらに「念仏に三通りあるって、どんなこと?」など、深い教えの解説まで。
40年以上にわたる著者の講演活動の中で、実際に受けた116の問いと答えを、『桜の巻』『藤の巻』の2冊に掲載。
これだけ読めば、仏教と親鸞聖人の全てが分かる。

《主な問い》
・こんなに苦しいのに、なぜ、生きるの?
何のために働いているの?
親鸞聖人は、どう教えられているのでしょうか。

・運命は何によって決まるの?
親鸞聖人は、どう教えられたのでしょうか。

・「人間に生まれたことを喜べ」と、
なぜ、親鸞聖人は言われたのでしょうか?

・釈尊が仏教を説かれた目的は?

・仏教とは、一言でいうと、どんな教えなの?

・人間は、欲しい物を手に入れ、
やりたいことを思う存分やって死ねれば
本望ではないでしょうか。

・科学の進歩は、イコール人類の幸福といえるのか?
仏教から見た科学は、どういうものでしょうか。

・「因果の道理」とは、どんな教え?

・仏教は「三世因果の教え」といわれますが、どんなこと?
親鸞聖人が強調された現在の救いと、どんな関係があるの?

・「人はみな平等だ」とは思えません。
明らかに差別があります。
これも運命とアキラメるしかないのでしょうか?

・私は、死後はないと思います。
親鸞聖人は、どう教えられているのでしょうか。

・どんな人でも、ただ念仏さえ称えていれば、死んだら極楽へ往けるの?
親鸞聖人は、本当にそんなことを教えられたのでしょうか。

・「極楽」とは、どんな所?

・臨終に苦しんで死んだ母は、極楽へ往生しているのでしょうか?

・お寺さんにお経を読んでもらうと、
死んだ人のためになると、
親鸞聖人は教えられたのでしょうか?

・不幸や災難がおきると、「先祖のたたりだ」とか、
「先祖の供養をしないからだ」とか言う人がありますが、本当でしょうか。

・親鸞聖人の見られた夢とは?

・「親鸞は弟子一人ももたず候」とおっしゃっていますが、
本当に、お弟子はなかったのでしょうか。

・親鸞聖人はなぜ、自らを、「非僧非俗」と言われたのでしょうか。

・阿弥陀仏をタノムとは、どんなことでしょうか。

・仏教を聞いて、よく納得できたのが信心だと思っていますが、間違っているでしょうか。

・信心獲得するとハッキリすると言う人と、
凡夫にそんなことはないと言う人とがあります。
どちらが本当なのでしょうか?

・信心獲得したら、煩悩や悪業は、どうなるの?

・救われたら、本当に大慶喜があるの?

・親鸞聖人が、わが子を勘当された理由は?

・仏教で説かれている「五つの不思議」とは?

・浄土真宗には「二度の臨終、二度の葬式」があると聞きましたが、どんなことでしょうか。

・浄土真宗は「不来迎」の教えだと聞きましたが、どんなことでしょうか。

・「定散の自心」とはどんなことでしょうか。

・仏教の「無我」や「空」の真意は?

・浄土真宗には、他人に言ってはならない秘密があるの?

・念仏に三通りあるとは、どんなことでしょうか?

・私のような者でも、助かる道があるでしょうか。

 私の父は27年前に51才でお浄土に往生しました。
 一昨年、私も51才となり、誕生日が父より二日早い私は、父の命日の二日前に父とまったく同じ年月日を生きたことになりました。

 その父とまったく同い年となった日、父を偲びながらいろいろ考えさせられましたが、最初に感じたことは「父はこの年で生涯を終えたのか」という驚きのような感覚でした。

 平均寿命が50才代であった昭和の初期と違い、父の亡くなった27年前は平均寿命が70才を超えており、現在では男性も80才に近づいておりますので、これといって身体に異変のなかった私としては「この若さで、この年で…」という感慨が実感としてありました。

 次に考えたことは「父は何を思いながら生涯を終えたのか」ということでした。そして「私なら…」と自らの死も深く考えさせられました。

 「私なら何を思いながら生涯を終えるか」の自問に対して、それは遺していく者、特にまだ幼い三人の子どもたちの「幸せ」を願いながら生涯を終えるだろうことは容易に想像することが出来ました。

 おそらく〈同い年〉の父も遺していく者の「幸せ」を願いながら生涯を終えたのだろうと想像いたしましたが、次に出てきたのは「じゃあその幸せって何だろう?」という疑問でした。

 父が私に願う「幸せ」とはどういうものだったのか。私が子どもたちに願う「幸せ」とは何なのか。父の願う「幸せ」を私は手に入れたのか。父は「幸せ」だったのか。など、その日私は、難問ではありますが大切なことを考える機会を父から与えられているように感じました。

 一人っ子であった父は高校生のときに両親を相次いで亡くし、ご門徒のお世話や励ましを頂いて高校・大学を卒業し、早くに結婚して住職としてお寺を守ってきたと話しておりました。

 また、29才のとき、交通事故で左手を複雑骨折して左手の自由を失いましたので、お参りのときは右手に念珠を持ち右手だけを胸の高さにあげ、お念仏を称え礼拝をしておりました。食事のときもご飯茶碗を茶筒の上に載せ、右手だけで食事をしておりました。

 高校生のとき、棒高跳び近畿大会二位という成績を挙げたスポーツマンの父にとって、身体に障害を持つということは相当辛いことであったと思うのですが、父の口から早くに両親を亡くしたことや、身体の不自由さに対する愚痴を聞いたことは一度もありませんでした。

 父の生前の姿や所作を思い出すとき、父はいつも笑顔なのです。そして「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と父の称える大きなお念仏の声が聞こえます。

 実際父は、起きているときは一日中大きな声でお念仏を申しておりました。トイレの中からもお念仏の声が聞こえてきましたので「いまトイレに入っている」とか「いま裏庭にいる」などと、父の所在が分かりました。

 また父は、近所のご住職さんたちと町の小料理屋さんなどでお酒を飲むときも、大きな声でお念仏を称えますので、近所のご住職さんが「すぐに職業が分かってしまう」と笑いながら私たち家族に報告してくれたのを思い出します。

 父は51才という年齢でこの世を去りましたが、父のお念仏の声を想うとき、父はいつも阿弥陀さまと一緒の人生であったのだと思います。

 両親を亡くしたときは本堂の阿弥陀さまや、お内仏の阿弥陀さまの前で寂しさに震え、涙を流した日も一度や二度ではなかったと思います。また、障害を持つ身になったときも「何で私が…」と、愚痴がこぼれた日もあったことと思います。でも、その涙や愚痴がいつの日からかお念仏に変わったのでした。

 私の知る父はいつもお念仏の中におりました。そんな父の生涯を想うとき、父は幸せだったのだと思います。

 そして、父の慶んでいたお念仏の生活を私も送らせていただきたい、子どもたちにも知ってもらいたいと思いました。それが何ものにもかえ難い「幸せ」だと父から教えてもらっていたのだと父と同い年になったその日、私は気づきました。

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   山桃復野桃 日曝紅錦之幅
   門柳復岸柳 風宛麹塵之糸
            「逐処花皆好」 紀斉名

  山桃[さんたう]また野桃[やたう]、
       日紅錦[こうきん]の幅[はたばり]を曝[さら]す。
  門柳[もんりう]また岸柳[がんりう]、
       風麹塵[きくぢん]の糸を宛[わが]ぬ。
            「処[ところ]に逐[したが]つて花皆好し」(の序)

   ※幅[はたばり]:織物を干すために枠に張ったもの。またその干し方。
            ここでは、花々が敷き詰められたように咲くさまを、
            美麗な織物を広く広げた様子に譬えている。
    宛[わが]ぬ:ワガヌ(ナ行下二段動詞)は、長いものを撓(たわ)め曲げる
          (=輪にする)意味。『類聚名義抄』に「宛 ワガヌ」。

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 安楽浄土にいたるひと   五濁悪世にかへりては
  釈迦牟尼仏のごとくにて  利益衆生はきはもなし
                  (親鸞聖人著:浄土和讃)

皆様、如何お過ごしでしょうか?
早いもので、境内の梅の花がほころび始めています。
春はもうそこまで来ているようですね。

さて、2月15日はお釈迦様が入滅された日です。
今から2500年前、北インドの釈迦族の王子としてお生まれになった
ゴータマー・シッダルターという方が、「この命の本当の意味」を求めて
苦行をされ、35歳の時に、有名なブッダガヤの菩提樹の下で覚者
(ブッダ)になられました。でも、まだ完璧な姿ではありませんでした。
なぜなら、人間としての生身の体を持っていたからです。
この肉体は老・病・死を逃れることはできません。

その内容は最初、人間には理解できない程、深遠であるとして
伝道を諦めてしまわれた程です。
しかし、天界から梵天が降りてきて、人間の中にも、欲を抑え、
その教えを聞いて覚りにいたるものもいるだろうから、是非、
教えて欲しい・・・と懇願されます。
これが有名な「梵天の勧請」というお話ですね。
なぜ、梵天ともあろう神が人間界に降りてこられたかと言うと、
六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間界・天界)の流転する世界の中で
人間界でしか仏法を聴くことができないからです。

それから、80歳になられるまで、お釈迦様は8万4千の教えを
説かれました。それは、すべて聞く人の理解できる範囲で教えを
説いていかれたからですね。
そんなに多くなっても、伝えたかった真理は一つ。

「あらゆるものは、縁によって存在している。」

つまり、この世のすべてのものは原因と条件と結果によって成り立っている。
ということです。これを「縁起のおしえ(法則)」といいます。
ですから、私の命は縁に触れれば、いかようにも転じる命なのですね。
言い換えれば、関係性を持たない実体というものは、この世には
存在しない・・・という事です。
これを「空」といいます。
皆様も耳にされた事があるのではないでしょうか?
「縁起」と「空」はコインの裏と表のような関係です。
ですから、仏教には奇跡は存在しません。

「自分の蒔いた種は自分しか刈り取る者がない」という事ですね。

仏教では親の因果が子に祟ったり、先祖が成仏できなくて
子や孫に祟ったりすることはありません。
もし、そう言うことを言う人がいらしたら、少なくともそれは、
お釈迦様の教えではないですね。きっとどこかの教祖様の
教えでしょう。

いくら逃げ回っても、結果は必ず自分について来ます。
お釈迦様のご遺言・・・
「この世の事象は流転する。心して生きよ!」
というのはそう言うことだと私には思えます。

仏教徒にとっては、人間の肉体をもたれたお釈迦様が
初めて、本当の意味で涅槃に入られた日として、
各お寺で「涅槃会」という法要を致します。

でも、浄土真宗のお寺ではお釈迦様のお姿を見ませんね。
皆様も不思議に思われたことがあるかもしれません。

それは、お釈迦様は阿弥陀如来が「あらゆる命を救済する教え」
を説くために、人間の姿になってこの世に現われて下さった仏さま
だと受けとめているからです。
親鸞聖人は、色も形もにおいもない覚りの世界から、それを言葉で
衆生に伝える為に人間の姿として現われてくださったのがお釈迦様
だと説かれています。
そこまでして、この私を救おうとされたのだと、思いを馳せる時、
心から仏恩報謝の心が湧いて参りますね。

真実の教「仏説無量寿経」・・あらゆる命が等しく救われていく教えです。

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親鸞聖人   <松口月城>
しんらんしょうにん     <まつぐちげつじょう>


北越の寒風 夜四更
ほくえつのかんぷう よるしこう 門前 雪に臥す 若爲の情ぞ
もんぜん ゆきにふす いかんのじょうぞ
緇衣烈烈 救世の願い
しいれつれつ きゅうせいのねがい 珠數琅琅 念佛の聲
じゅずろうろう ねんぶつのこえ

  さむくとも 袂に入れよ 西の風
  さむくとも たもとにいれよ にしのかぜ
  みだのくにより 吹くと思えば
  みだのくにより ふくとおもえば

當時の枕石 今猶在り
とうじのちんせき いまなおあり 長く仰ぐ 南無 六字城
ながくあおぐ なむ ろくじじょう




四 更 午前2時頃
緇 衣 墨染の衣 「緇」は黒色 転じて墨染の衣を着た僧侶
烈 烈 力強く烈しいさま
琅 琅 清らかな声 「琅」は玉のように澄んだ声
南無六字城 南無阿弥陀仏の六字の教え 「城」は教え




 北越地方布教の折、大雪に遭い、寒風が吹きすさぶ中を午前2時頃、民家の門前に立ち一夜の宿を乞うたが拒まれ、雪の中で石を枕にして寝た親鸞の気持ちはどのようなものであったろう。
 墨染の衣を着た親鸞の、世を救う願望は力強く激しく燃え、珠数を手に清らかな声で念仏を唱えた。
   (和歌)さむくとも……寒くても西から吹く風が袂に入るのを拒まな
   いでほしい。阿弥陀様の国から吹いてくると思うから。
 当時枕にした石は今も枕石寺に遺跡としてあり、南無阿弥陀仏の六字の教えは永く世の人々に仰がれている。



 この詩は浄土真宗の開祖親鸞聖人が北越(常陸?)地方布教の折、大雪に遭い一夜の宿を拒まれ苦労を重ねられたことを詠じたもので詩題は「親鸞聖人雪中布教の図に題す」であるが、本会では「親鸞聖人」と簡略化した。
 詩の構造は七言古詩の形であって下平声八庚(こう)韻の更、情、聲、城の字が使われている。

拍手歌(幸福拍手歌)

如果感到幸福你就拍拍手,
如果感到幸福你就拍拍手,
如果感到幸福就快快拍拍手呀,
看哪大家一齐拍拍手。

如果感到幸福你就躲躲脚,
如果感到幸福你就躲躲脚,
如果感到幸福就快快躲躲脚呀,
看哪大家一齐躲躲脚。

如果感到幸福你就伸伸腰,
如果感到幸福你就伸伸腰,
如果感到幸福就快快伸伸腰呀,
看哪大家一齐伸伸腰。

如果感到幸福你就挤个眼,
如果感到幸福你就挤个眼,
如果感到幸福就快快挤个眼呀,
看哪大家一齐挤个眼。

如果感到幸福你就拍拍肩,
如果感到幸福你就拍拍肩,
如果感到幸福就快快拍拍肩呀,
看哪大家一齐拍拍肩。

如果感到幸福你就拍拍手,
如果感到幸福你就拍拍手,
如果感到幸福就快快拍拍手呀,
看哪大家一齐拍拍手。

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皆さんはお経といいますと、
「阿弥陀経」が一番聞きなれたお経ではないでしょうか。
この「お経」というのは、
お釈迦様がお話になられたお言葉を、
お釈迦様が入滅後に、
その言葉を記憶していた弟子達が集まって、
その説法を後世に残そうということで、
サンスクリットという言葉で書き残されたものです。
それが中国に伝わって、
中国語に翻訳されたものが、
日本にまで伝来してきたという経緯があります。
ですから「お経」というのは、
お釈迦様の説法を書き残されたものをいいます。

その「お経」という言葉はサンスクリット語では「スートラ」といいまして、
それが中国語に翻訳されて修多羅という言葉になりました。
その本来の「スートラ」という言葉の意味は織物のたて糸という意味で、
昔から現在、
そして未来へとたてに貫いている変わらないものを表わしているのです。
つまり、「お経」というのは、
永遠に変わらぬ普遍的な真理を表わす言葉なのです。

それに比べて、
横糸は常に移り変わって行くもの、
あてにならない仮のものを表わしているといって良いでしょう。
その横糸というのは、
実はわたし達が毎日あくせくして求め続けているものなのです。
例えば財産とか地位、名誉、家柄、権力、容姿、健康など、
数え上げたらきりがありません。
皆さんが欲しくて欲しくてたまらないもので、
もし手に入れることができれば、
それこそ得意満面になりそうですね。
ところが、
必死の努力や幸運でそれらが手に入ったとしても、
それらのものは、
いつまでも自分を光り輝かせているというわけにはいきません。
地位も名誉も容姿も健康さえも、
いずれは衰え、
色褪せて行くのではないでしょうか。
ですから、それらを得ようと大変な目に会って、
もしそれらが得られたとしても、
どれも本当に頼りになるものはありません。

それに比べて、
たて糸といわれる変わらないものは何でしょうか。
それは無量寿といわれる、はかりなきいのちのことです。
世の中は不景気だ不景気だと、
今にも日本が沈没してしまうような悲観論が支配していますが、
好景気のときも不景気のときも美しい夕日は変わりませんし、
海岸には波が打ち寄せている。
また、同じ空に雲は漂い、同じく風は吹き続けている。
そんな中で過去から未来を通じて、
同じいきいきとしたいのちの躍動が続いているのではないでしょうか。
それが我々は横糸ばかりに関心が行くものだから、
いつでももっと欲しいという飢餓感ばかりに悩まされてしまいます。

そういうわたし達に「お経」は、
すでに充分満たされた人生が与えられているという事に
目覚めて欲しいと呼びかけているのです。
ところが横糸にしか関心の無い人々は
いつも他人との比較にのみあくせくしてしまいます。
自分と比較して、優れていると思えば優越感に浸ります。
また劣っていると思えば、
どうせ自分なんかとヤケになってしまう。
比較している限り、上がったり下がったりで心の休まる暇がありません。

いきいきとしたいのちそのものの世界に目覚めた人は
もう他と比較する必要の無い、
わたしの与えられたものに満たされて、
それぞれの個性を活かすような人生を感謝の気持ちと共に、
送っていけるようになるのではないでしょうか。

光妙寺を参拝されます方々から、こんな感想を言われます。
「心の安らぎを覚えた。」
「静かなたたずまいに心が洗われました。」
など、素朴・静寂が守られた浄域に人は深い感動を覚え、心に強く印象を与えておるようであります。


 私たち人間は、肉や魚や野菜などの生命を受け、ビタミンやカルシュウムなどの栄養を吸収し、身体が保たれ、他の動植物の生命に生かされています。
心の栄養は、素朴、静寂、清潔(3S)などの佇まいからでしょう。
ストレス解消法は、人によりさまざまでありますが、参拝者の感想から、人々の心のやすらぎや心の安定に寺が、果たしている力は大であります。


静かな佇まい、自然の音や香りや色など、人の心を癒す空気が光妙寺にはあります。
それ故に、その静けさと清潔さを大切に保持していかなければなりません。
改めて、光妙寺の魅力に深く感動し、代々守られてきた伽藍や大自然に感謝し、境内の掃除にいっそう気持ちを込める毎日であります。
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