なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(六)、高台移転は“特殊解”であって“一般解”ではない、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(15)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その49)

 「復興計画(素案)」(2011年11月7日)が公表された段階で、市はすでに雄勝地区を災害危険区域に指定し建築制限をかけることを事実上決定しており、12月市議会にそのための建築条例案を提出することが予定されていた。しかし11月15日からはじまった市内一円での意見交換会においては土地利用計画に関する説明が主であり、建築条例制定に伴う建築制限についてははっきりした説明がなかった。これが雄勝地区の意見交換会における紛糾の原因になったのである。

 「石巻災害危険区域の制定及び建築物の建築の制限について」(建設部基盤整備課)に関する庁議(2011年11月7日)は、条例制定の趣旨について「防災集団移転促進事業を進めるためには、国の財政上の特別措置(防災のための集団移転促進事業に係る国の財政上の特別措置等に関する法律)が不可欠である。また特別措置を受けるためには、従前地を住民の居住地しては適さない区域と認定し、建築基準法第39条の規定における「災害危険区域」等に指定する必要があることから、関連条例を制定する」というもので、「なお条例においては指定手続きについて定め、区域指定に当たっては地域住民の合意を得た後に告示により指定することとなる」としている(石巻市ホームページ)。

 ここで無視できないのは、「被災地の復興に防災集団移転促進事業を適用する」→「国の財政特別措置を受ける」→「適用要件として従前地を住民の居住に適さない区域として認定する(しなければならない)」→「建築基準法の災害危険区域に指定する(しなければならない)」→「高台移転する」という順序で庁議が進行していることだ。つまり被災地の復興に関して被災者・住民がどのような意見や要求を持ち、そのニーズに応えるためにはどんな方策が好ましいのか、といった通常の「プランメイキング」の原理や手法を一切無視して、国や県からの上意下達の方針をいかに被災者・被災地に呑ませるかという順序で「復興計画(素案)」がつくられているのである。

 私は、月刊誌『ねっとわーく京都』(2012年7月号)のコラムで、「復興計画の主体は市町村のはずだ」と書いた。事実、国の東日本大震災復興対策本部(復興庁の前身)は、『東日本大震災からの復興の基本方針』(2011年7月)のなかで「基本的な考え方」について次のように述べている。

「東日本大震災からの復興を担う行政主体は、住民に最も身近で地域の特性を理解している市町村が基本となるものとする。国は、復興の基本方針を示しつつ市町村が能力を最大限発揮できるよう、現場の意向を踏まえ、財政、人材、ノウハウ等の面から必要な制度設計や支援を責任を持って実施するものとする。県は、被災地域の復興に当たって広域的な施策を実施するとともに、市町村の実態を踏まえ、市町村に関する連絡調整や市町村の行政機能の補完等の役割を担うものとする。」
 
おそらく、宮城県下ではこのような「復興の基本方針」を実践している市町村自治体は見当たらない(県が許さない)のではないか。県が指導する「復興パターン」は、被災地域を広範囲にわたって非居住区域に指定し、当該区域の住民を高台移転させることが復興計画の前提になっており、そこには被災地域を“現地復興”させるという選択肢が用意されていないのである。

私は、「高台移転=陸の孤島=限界集落」への道を懸念する。それが住民の私権・財産権(憲法29条)の制限や居住・移転・職業選択の自由に関する基本的人権(憲法22条)を侵害するばかりでなく、非居住区域の設定にもとづく高台移転は、このままでいけば「陸の孤島化」「限界集落化」の引き金となり、被災地域の息の根を止める“復興災害”の元凶になるかもしれないと懸念するのである。

被災地域を非居住地化し、高台移転することの「メリット」(津波災害の回避)と「デメリット」(生活困難)を冷静に比較検討すると、そこには石巻市の復興計画でほとんど言及されることのない容易ならざる事態が見えてくる。

たとえば、
(1)急峻な後背地にまとまった規模の高台を造成することは困難なので、小規模で孤立しやすい高台居住地があちこちに分散することになる。
(2)高台造成工事には崖崩れ防止対策も含めて膨大な時間とコストがかかり、疲弊した市町村財政を長期にわたって圧迫する。高台間の連絡道路の整備は事実上難しい。
(3)高台と海辺との距離が遠くなれば、水産業従事者の仕事に多大な支障が生じる。海が近くに見えなければ漁師は仕事ができない。
(4)高齢者は急勾配の道によって海辺との行き来を阻まれ、交通弱者になって孤立するおそれが大きい。訪問介護・救急医療・各種福祉サービスなどの供給が困難になる。
(5)小規模・分散型の高台居住地から(移転先の)学校・病院・商店などに至る交通動線が必然的に長くなり、通学・通院・買い物など日常生活上の不便が飛躍的に増大するなど。

高台移転は、適地があれば有効な防災対策であることは否定しない。しかしそれはあくまでも“特殊解”(部分解)であって“一般解”でないとの理解が必要だ。宮城県や石巻市の復興計画コンセプトの根本的な誤りは、「高台移転」を一般解(基本方針)として被災地の事情や特性にかかわりなく一律的(官僚的)に適用しようとする「専制的な行政指導=復興ファッシズム」にある。

だが結果は、漁港を中心にして形成されてきたコンパクトな市街地・集落の中心部が非居住地化(空洞化)されて「まちの賑わい」が失われ、高台居住地では「陸の孤島化」「限界集落化」が進むという事態が予測される。こうなると、被災地域は“海と山”の両方から地域衰退・地域崩壊が一気に進むことになり、“復興地獄”が現実化することになる。雄勝地区をそんな荒廃地域にしてはならないことはいうまでもない。(つづく)