菅政権のダッチロール(その3)、「平成の開国」は何をもたらすか

 この数日間、マスメディアは「尖閣ビデオ」の犯人探しの話題で持ちきりだ。新聞もテレビも大紙面(大画面)を割いて、朝から晩まで同じニュースを繰り返し流している。案の定、11月11日から始まった沖縄県知事選挙の報道は、最初から片隅に小さく追いやられたままだ。沖縄知事選はできるだけ触れないで都合の悪い事態をやり過ごし、現職の当選後に「県内移設」を既成事実化していくという菅政権のメディア戦略に忠実に沿った展開だ。 
 そのかたわらで、「平成の開国」を掲げてTPPへ参加意欲を見せる菅首相の発言は活発化する一方だ。「消費税増税」のときは世論の激しい反撃を喰らっていったん方針は引っ込めたものの、今度の「平成の開国」に関しては、案外ブレないで「前のめり」しているのはいったいどうしたことか。

 「平成の開国」のメイン・ターゲットはいうまでもなく農業市場の開放だ。お隣の韓国が農業を犠牲にして各国と自由貿易協定を結び、工業製品を関税なしでどんどん輸出できるようになると、競合関係にある日本の自動車や家電製品などの競争力が弱まることになるので、この際、「平成の開国」を阻んでいる農産物の自由化を一挙にやってしまおうというわけだ。

 もともと民主党政権のマニフェストは、「貿易の全面自由化」つまりTPPの原則である「例外なき自由化」を先取りするものだった。それを「政権交代」のために一時期は戦術的に矛先をおさめていたものの、その後の民主党政権の政策があらゆる面で「弱腰」だと批判されるようになると、今度は一転して「平成の開国」を唱え始めたということだろう。

だがしかし、小泉構造改革によって徹底的に痛めつけられた地方農山漁村は、「平成の開国」によって今後どれほど大きな打撃を受けることになるか計り知れない。小泉政権による公共事業の大幅削減が「地方衰退」、「地方荒廃」の引き金を引いた第一弾だったとすれば、菅政権の農産物自由化は、「地方壊滅」をもたらす決定的な第二弾になることは間違いない。地方農山漁村のインフラ整備すなわち「骨格」を担うのが公共事業だとすれば、農林漁業は地域の「血肉」となる基幹産業であり、これが壊滅すれば農山漁村地域の命脈が絶たれることは明白だからだ。

だが、世界各国の農業団体の動きにくらべてJA(全中)の動きは際立って鈍い。通常の集会やデモ程度の運動では、「平成の開国」はとうてい止められないことがわかっているにもかかわらず、効果的な行動形態をいっこうに提起することがない。戦後の自民党農政の下で飼い慣らされてきたことの政治的ツケが今頃まわってきているのである。このような政治状況を突破できないときは、おそらく「平成の開国」すなわち農産物の自由化を防ぐことはできないだろう。

それでは、事態を打開する方法はなにか。私見では、「農業主権」と「食糧安全保障」を真正面から掲げる、自民党でも民主党でもない「ローカル・パーティ」を立ち上げることしかないと思う。地方・国土の維持と農業生産・食糧生産の確立を基本政策の第一義に掲げる新しい地域政党の登場によって日本の政治構造を変えることでしか、事態を打開する方法がないと考えるのである。

これまで「ローカル・パーティ」といえば、都市型の地域政党が主であった。橋下知事の組織する「維新の会」などがその典型で、地方首長が意のままにならない会派を駆逐し、議会を思うままに動かそうというファッショ的な動きだ。たしかに地方でも阿久根市長のような特異な人物がいないわけではないが、しかしこの動きは「当然変異」のようなもので、地方では本格化しない。農山漁村の「ローカル・パーティ」の本流は、農産物自由化に対する反対運動と地域住民の生活を維持する運動の結合の中から生れてくる。

 近い将来このような動きが本格化すれば、自民党は分裂するかもしれない。「都市型自民党」と農山村漁村の利益を代表する「農村型自民党」への分裂だ。現在の自民党は民主党と同じ体質である以上、自民党がこのままの体質を持ち続ければ、自民党が民主党に吸収されていくことは必至だ。自民党は所詮農村型の「ローカル・パーティ」としてしか生き残れないのである。

 この場合、共産党や社民党などの革新政党はいかなる態度をとるべきであろうか。個人が「ローカル・パーティ」に参加してもいいし、地域ごとにパートナーシップを結んでもよい。とにかくこれまでのように、「農業を守れ」といったスローガンだけを叫んでいればよい状況でないことは確かである。(つづく)