致命的な「まちなか観光」の不在、(近くて遠い国、北朝鮮への訪問、その10)

 ピョンヤン市内の観光資源があまりにも金日成一色に染まっていることを意識してか、最近では少しずつ「地方観光」にもレパートリーが広がってきているようだ。かって外国人が立ち入ることができる都市は、ピョンヤン・開城・羅新などの一部地域に限られていたが、最近では南浦・元山などの港湾都市、各地の古墳、それに妙香山といった景勝地も観光ガイドに掲載されるようになった。西海岸には温泉地もあるのだという。

 しかし「地方観光」にも大きな障害がある。それは道路事情が決定的に悪いことだ。それも土煙と砂塵をもうもうとあげなければ車が走れない(歩いている人たちに多大の迷惑をかける)ような、未舗装の地方道や田舎道だけのことではない。ピョンヤンから板門店と開城市に通じるような北朝鮮有数の高速道路でさえも、舗装状態はいわゆる「継ぎ接ぎだらけ」の状態で、車の速度が60キロを越えると途端に車の揺れ方が大きくなって不安を感じるのだ。

 2000年にピョンヤンで金大中大統領と金正日総書記との間で南北首脳会談が開かれたとき、京義線(京城と新義州を結ぶ幹線鉄道、現在は南北境界線一帯で断絶)の再連結と京城・ピョンヤン間の高速道路の整備が議題になり、韓国側の費用と技術で鉄道と高速道路の整備が合意されたという。しかしその後、なぜか工事は中断されて現在に至っている。

 観光可能な地域が地方に若干広がったとしても、それはあくまでも枝葉末節のことでしかない。根本的なことは、北朝鮮では外国人観光客と一般市民・地域住民との交流が不可能なことだ。私たちが接することができたのは、ホテル・食堂の従業員と外国人向けの国営売店の店員、それに少年宮殿で数々の演技を披露してくれた少年少女たちだけだった。(とりわけ少女たちのモデルのように訓練された表情が印象的だった)。

 現代の観光は、これまえのようなガイド付きの団体旅行から、家族や知人・友人を中心とする少人数グループ旅行や個人旅行へと次第に移行しつつある。「定食」だけのメニューから「アラカルト」(一品料理)の選択へ、そして「手づくりのマイ旅行」へと急速に進化しつつあるのである。観光の真髄(旅の醍醐味)は、見知らぬ土地での思いがけない人びととの出会いであり、その土地の歴史や風物を地域の人たちの日常生活を通して触れられることだ。学生たちを連れての外国旅行でも、最も人気があるのは人びとの生活の匂いが直に感じられる市場であることはいうまでもない。

 しかし北朝鮮では市場はおろか、普通の「まちなか」でも人に接することができない。市民や住民は外国人に接することを禁じられており、外国から来た観光客はガイドによって行動を制約される。ぶらりと街に出ていろんな店をひやかし、気に入った店で買い物や食事をして、身振り手ぶりや片言で地元の人と会話を交わしてその雰囲気を楽しむという、「まちなか観光」のコンセプトがそもそも成立しないのだ。北朝鮮では、観光の最も本質的な要素である自発的な「地域交流」が否定されているのである。

 「まちなか観光」はもはや成熟した現代観光のメインストリ−ムを形成しつつあるのであって、普通の市民・住民と訪問者との間の自然な交流に裏打ちされてはじめて開花することができる。国家が「どこに行ってはいけない」とか、「だれに会ってはいけない」などと干渉したその瞬間に、真の意味での交流の価値は失われてしまう。日本に買物旅行を楽しみに来た中国・韓国の人たちに対して、政府が「銀座や秋葉原や築地市場に行ってはいけない!」なんていったら、いったいどんな荒唐無稽なことが起こるだろうか。

 この点において北朝鮮の体制的矛盾はきわめて深刻だ。南北分断で生き別れになった家族の間でさえなかなか再会の機会が認められないように、一般の国民は国内においてさえ「知る権利」や「交流する機会」を奪われ、徹底的な情報封鎖の世界に閉じ込められている。まして外国人観光客などとの接触は、「退廃した資本主義文化に汚染される」との理屈で無条件に否定されることになっているのである。

だが不思議なことに、金正日総書記が今年5月の中国訪問で協定を結んで積極的に誘致している中国人観光客に対しても、この「外国人不接触の原則」は適用されている。北朝鮮に対する最大の援助国であり、社会主義友好国であるはずの中国に対しては、われわれ日本人観光客などと同じ理屈で拒否できないにもかかわらずである。

おそらくこれらご都合主義の裏にある真相は、北朝鮮の一般市民・地域住民の生活水準があまりにも低いがために、中国人を含めて外国人との接触が国民に自らの生活の貧しさを自覚させるきっかけになることを恐れてのことであろう。外貨が決定的に不足している現在、外貨は喉から手が出るほど欲しいが、それが国民の情報封鎖を破るきっかけにならないように慎重の上にも慎重を期す。これが北朝鮮の観光政策の実態なのである。

 だがこの封鎖政策もしだいに破綻を始めている。多くの市民・住民は、思想的にも経済的にも優位にあるはずの「将軍様に率いられた国」が、資本主義で毒されているはずの南朝鮮(韓国)に対して、もはや決定的な遅れをとっていることを薄々察し始めている。外国との交流を日常業務にしているガイドたちが、言葉にこそしないが「このままでは駄目(絶望的)だ」と思っていることは傍目にもわかる。アリラン祭を見に行ったとき、金日成生誕100年目にあたる2012年に「強盛大国を実現しよう!」との巨大な壁文字が描かれたとき、彼らの深い溜息を感じたのは私の思い違いだったのだろうか。(つづく)