国民を馬鹿にしてはいけない、小沢代表の地方遊説再スタート、(麻生辞任解散劇、その9)

 民主党の小沢代表が、昨日から地方遊説を再開したという。公設秘書逮捕の「ほとぼり」がそろそろさめてきた頃だと判断したからであろうか。それともこのまま「沈黙」を決め込んでいたら、自分の代表としての政治基盤が危うくなると懸念したからであろうか。

 そんなことはどうでもいいが、今日の各紙の報道によると、北九州市の選挙区に出かけた小沢氏は自らの政治献金疑惑については一言も語らなかったという。だとすれば、彼はいったい何のために地方遊説に出かけたのだろう。テレビなどマスメディアにとにかく「元気な姿」だけを見せて、「小沢は健在で政権交代のために頑張っている」というイメージを盛り上げるためだろうか。

 しかし、国民を馬鹿にしてはいけない。そんなことで騙されるほど、もはや国民の眼は甘くない。最近号の「文芸春秋」で立花隆氏と朝日新聞の村山編集委員が「小沢の罪と罰」について対談しているが、そこで言われていることは、小沢氏の政治資金に対する考え方は、「どこから貰おうと帳尻が合っていればよい」というものだが、国民の世論は「どこから何のために貰ったのか」をはっきりさせてほしいというもので、そこに小沢氏の事態に対する認識と国民の世論との間に決定的な「ずれ」があるというものだ。

 そういえば、最近のニュースで政治家はもとより企業・経営者の不祥事が相次いでいることに驚く。小泉構造改革のもとで規制緩和と民営化が乱暴に推進された結果、これまで辛うじて維持されてきた企業や経営者のモラル(倫理)とコンプライアンス(法令遵守)が根本から崩壊してしまったためだ。身近なところ一つをとってみても、耐震偽装、食品偽装、かんぽ施設払い下げ、ダイレクトメール偽装、家電偽装などなど枚挙のいとまもない。

 要するに「規制緩和=公共性の無視=モラルハザード」という脈絡で、資本主義経済のルールすらが乱暴に踏みにじられ、それが企業・経営者の倫理崩壊に直結してしまっているのである。加えて「公共の福祉」に対する価値観が崩壊した結果、全ての分野において「儲け主義」の風潮が広がり、「正直者が損をする世の中」になってきたのである。

 こんな「理不尽な社会」に対して国民が怒らないはずがない。政治家の政治資金疑惑がこれほどの国民の関心を呼ぶのはそのためだ。市長汚職が2代続いた宝塚市長選がマスメディアの大きな話題になるのもその一例だろう。また、これまでなら政界や業界の「多少のおこぼれ」にあずかっていた連中も、もはや「おすそわけ」にありつけなくなったので、内部告発が多発していることも不正拡大に輪をかけている。

 小沢氏の不幸は、景気のよい時代にゼネコン献金にどっぷりと浸かって長年政治稼業をこなしてきた結果、現在のような不正・腐敗に敏感な国民感情に「鈍感」なことにあるのではないか。かってなら、多少金に汚くても、政治手腕があれば見逃されたような不正腐敗が、いまでは厳しく監視されるようになっているのである。最近の首長選挙で現職の落選が相次いでいるのは、全てがそうはいえないまでも、在職中の「クリーン度」が大きく響いているという。

 小沢氏は国民を馬鹿にしていけない。民主党も然りだ。しかし目下炎上中のダイレクトメール偽装事件では、またもや民主党国会議員の秘書が活躍しているのだという。民主党が「企業献金全面禁止」など表向きの広告を掲げるのはいいが、それが「誇大広告」ならまだしも「偽装広告」になると致命傷になる。再び言うが、国民の眼はそれほど甘くはないのである。