「年越し派遣村」がこじ開けた風穴、(麻生辞任解散劇第1部、その1)

 今日は、2009年の新年が明けてからの最初の日記だ。例年なら清々しい気分で「新春の抱負」などを書く気持ちになるのだが、今年はとてもそんな気にはなれない。経済が大激変して社会が悲鳴を上げているというのに、政治がまったくの機能停止状態で日本の行く先が見通せないからだ。

 そんな年末年始の閉塞状態のなかで、全国の人たちの心大きくを揺さぶったのは「年越し派遣村」のニュースだった。派遣村の「村長さん」をはじめ、それを支えている労働組合のスタッフや弁護士、全国から駆け付けた医療関係者やボランティアの人たちなどが、正月を迎えられない人たちのために自分のお正月を投げ打って支援に駆けつけたのである。自分がその隊列に加われなかっただけに、そのヒューマニティに溢れた行動に心から感動した。

 私がこの派遣村の支援活動から受けた一番印象的なことは、支援の人たちが「これは災害だ」、「被災者の救援活動をなぜ政府がやらないのか」と語っていたことである。この言葉のなかには、十数年前の阪神淡路大震災のときと同じように、一刻の猶予もならない事態の緊急性が凝縮されている。この事態を放置することがどれほど「非人道的」であるかということが、全国民の前に赤裸々に示されたのである。

 阪神大震災のときは、全国から100万人を超えるボランティアが被災者の救援のために駆け付けた。当時はまだ体力があった私もその中のひとりだった。「ボランティア元年」は阪神大震災の時から始まったのである。地震は確かに「自然現象」だ。しかし震災は社会的・経済的弱者を直撃し、なかでも高齢者が最大の被害者だった。だから私は「災害は社会現象」だといつも被災現場で言っていた。

 だが震災の傷跡は、それほど短期間で癒えるものではない。麻生首相のいうような「全治3年間」といった軽率な判断で対処できるほど、簡単なものではないのである。だから災害の復興は「政治現象」となる。政府や自治体が災害復興をどれだけ政治課題として真剣に取り組むかが、被災者や被災地の復興を左右するのである。

 今回の派遣村が提起した最も本質的な政治的・社会的意義は、「社会的災害」であり「政治災害」である非正規雇用問題の姿が、国民の前に浮き彫りにされたことであろう。非正規雇用問題は「国の姿」を変えるほどの大問題であるにもかかわらず、国民もマスメディアもこれまで十分な関心を払ってこなかった。一時は「ニート」や「フリーター」の問題と絡めて、非正規雇用があたかも若者の「ライフスタイルの選択」であるかのようなニュース(デマゴギー)さえ流布されていたのである。

 政党に関しても、大方の鈍感さと無責任さには目を覆うものがある。1999年の労働者派遣法の改定にあたっては、自民党・公明党はもとより民主党・社民党も「派遣労働の原則自由化」に賛成していたのである。その結果、2004年には製造業にもその「原則」が適用されて、派遣労働が野放しになった。民主・社民両党が自公政権の派遣切り放置政策に批判するのであれば、まずこの事態をもたらした政治責任について政党としての自らの態度を明確にすべきであろう。

 とはいえ、非正規雇用問題が徹頭徹尾「政治現象」「政治災害」であり、その「政治責任」が自公政権にあることがいまや明白となった。そしてこのことは、今回の派遣労働者問題の主たる原因が大企業の身勝手な首切りにあり、それを放置した自公政権の政治的無能・無責任にあることは誰の目にも明らかになったのである。

 考えてみれば、厚生労働省が講堂を失業者の越年場所として提供せざるを得なかったことは、まさに「災害時の緊急対策」に匹敵する事態がそこに現出していたことを物語るものである。震災など非常時において公共施設の門を閉ざして被災者を締め出すことが許されないように、政府はもはや「政治災害の被災者」に対して講堂の使用を拒否できないまでに追い詰められたのである。

 この事態は、まさに「蟻の一穴」どころではなく、非正規雇用問題に対する「大きな風穴」に例えることができるだろう。この「風穴」から国民の巨大なエネルギーが流れ込み、労働者派遣法の抜本改正をはじめとして、非正規雇用問題の解決に向かって大きな前進をもたらすものになるだろう。そしてこの事態に対応できない麻生政権は、もはや「辞任」という結末を迎えざるを得なくなるだろう。

 今年は、シリーズのタイトルを「麻生辞任解散劇第1部」と名付けて、注意深くその行方を見守っていきたい。(続く)