人生は有限だ「冷蔵庫のうえの人生」
ああ、もちろん涙腺が弱いことは承知してる。
だいたい「マイ・ライフ」なんて予告編だけで号泣だし、「死ぬまでにしたい10のこと」はタオルを持って観た。観鈴ちんの「ゴール」は何回も何回も何回も何回も何回も泣かされた。だからソレ系は人前で読まないように気をつけている…本書もそうだった。そして、人前で読まなくて正解だった。amazon紹介文が適切なのでここに引く。
燃えつきる命の輝きを冷蔵庫のうえのメモがきざむ
時に傷つけあい、時に支えあう
少女から大人へと脱皮する娘と、一人で娘を育ててきた強い母
母の死までの一年をメモだけで綴る
書簡小説や日記小説、携帯小説など、形式はいろいろあるけれど、この世で一冊だけ、メモ小説はとてもユニーク。冷蔵庫のうえの「メモ」のやりとりだけで構成された小説。買物リストや「おこづかいちょーだい!」メッセージを読んでいるだけで微笑ましい。
お母さん!
お母さんは自分のことをちっともわたしに話してくれない。それなのに、どうしてわたしばっかり、お母さんになんでも話さなくちゃいけないの?
クレア
さらに、「ボーイフレンドのこと」や「離婚したパパのこと」をめぐる確執は、行間ならぬメモ間を読み取る工夫がいる。つまり、メモとメモの間で、どんな会話が交わされ、何が起きたのかを想像するわけだ。
ところが、ある出来事を境に日常が変わりはじめる。
話そうか、話すまいか、母の葛藤がつたわってくる。たかが冷蔵庫のメモなのに、自分の病気のことを娘に伝えるのに躊躇する姿が見える。すれ違いがちの、めまぐるしい日常、それがあまりにも愛しく、最後まで黙ってたほうがいいんじゃないのか、という思いが透ける。エゴなのか優しさなのか、映画「死ぬまでにしたい…」はまさにそんな話だった。
あなたにいてほしかった。でも、口に出してそう言う勇気がなかった。こんなことのためにあなたの人生を台無しにしたくなかった。あなたには普段通りの生活をしていてほしかった。私のかわいい娘でありつづけてほしかった
重荷になりたくない、なぐさめたい、弱さを見せたくない、支えになりたい、傍にいたい、独りにしてほしい、死にたくない ―― 冷蔵庫のメモのうえで、さまざまな「気持ち」が交錯する。気遣いと、それを疎ましく思ういらだち、さらにイライラしてしまう自分を責める気持ちが、思いやりと不安がひたひたと胸をいっぱいにする。
それが決壊し、滂沱として流れ出すのは、二人の気持ちが冷蔵庫のうえでしっかりとつながったとき。
あんなに長い間放っておかないで、すぐに病院で診てもらっていたらこんなことにはならなかった。最初の小さなしこりを見つけたときすぐに診察を受けていたら、こんなひどいことにはならなかったかもしれない。
もっと自分の体に責任を持てばよかった。
いい母親だったら、きっとそうしていたでしょう。
自分を責める母は、医者でもある。娘の返事は、こらえることができなかった。独りで読んでてよかった。
「いい母親」なんかほしくない
わたしはお母さんの子でよかった
ときどきこの手のを読むのは、人生が有限であることを、わたしはときどき忘れるから。かけがえのない時間が「日常」という名のもとに過ぎ去ってしまったことに気づいたとき、どう感じるか。残された時間を精いっぱい生き抜こうと、何をするのか、冷蔵庫のメモを通じてわたしも一緒に考える。「やりたかったことリスト」を見ると、「やりたいリストは、いま、ここで、書く!」と強く思う。30分で読めて一生残る気持ちを植え付けられる。
Memento mori , 人生は有限だが、わたしはときどき忘れる。
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コメント
最後のフレーズがいいですね。
投稿: ほんのしおり | 2008.02.01 01:50
いつも参考にさせていただき、リンク・TBさせてもらっています。
なぜ、冷蔵庫のメモ交換なのだろう。
その設定にまず読みたい感UP。
死へ向かってゆく小説はたくさんありますが、
これは近いうちに読みたいと思います。
投稿: あすか | 2008.02.02 20:14
>> ほんのしおり さん
子どもに伝えたい最後のことは、これなんです
>> あすか さん
書簡形式の小説のように、メモとメモの「あいだ」を想起して読むのがコツです
漫然と読んでいると、amazonで酷評している人のようになるかも…
投稿: Dain | 2008.02.03 08:20