東大教師が新入生にすすめる100冊
昨年の「東大教官がすすめる100冊」の2007年版。企画の趣旨は以下のとおり。
■企画「東大教師が新入生にすすめる100冊」の趣旨
東大教師が選んだ新入生向けのブックリストとして、新書「東大教官が新入生すすめる本」と、紀伊國屋書店のサイト[参照]がある。全部で2100冊程と膨大なので、まとめる。まとめるだけでは面白くないので、100冊に絞ってランキングする。
新書もサイトも、「ただ並べてあるだけ」なので非常に見づらい。さらに、くりかえしオススメされる本の「重み」が見えないため、以下の基準で編集→ランキングする。
- 年を越えてオススメされる本は、それぞれ1票としてカウント
- 複数の教官にオススメされる本は、それぞれ1票としてカウント
- 全集・分冊は丸めて1冊にした。ただし、全集の中の特定巻を指してある場合は「ソコを読め」というメッセージなので別枠とした
- 参照元では「文系」「理系」と分けているが、混ぜてある(文理別は血液型占い並に無用)
- 得票数が2票以下ものが非常に多い。2票以下はわたしの独断で選んだ(2007年ランキングでは、44位以降がわたしの選択)
上記は2006年版のもので、2007年版では以下の方針で編集している。
■2007年版の編集方針
- 東京大学出版会「UP」2007年4月号「東大教師が新入生にすすめる本」を反映
- 東京大学出版会の本を外した
- 同名異著者の本をダブルカウントするエラーを回避した
1.について : 参照元は[ここ]。さすが東大教師、カタい本ばかり紹介する方もいれば、ミステリ(しかも古ッ)を衒いなくオススメする人もいる。大勢に影響はないけれど、最新版にした。
2.について : 駒場の人にはおなじみかもしれないけれど、いわゆる教科書なのでパス。一般教養書として優れたものもあるので、ご興味のある方は「東京大学出版会」もしくは「東大出版」でまとめファイル(文末にリンク)をフィルタリングしてみては。
3.について : では、同名異著者の本をダブルカウントしている。その結果、昨年のランキングでエラーがある。例えば…
第2位 量子力学(レフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウ)
第7位 解析入門(セルジュ・ラング)
「量子力学」は朝永先生の方を挙げるべきだし、「解析入門」は杉浦先生版が得票多し。同書名に集まった票が割れるので順位が変わってくる。今回は「名前+著者名」でソートした。
こうやって一覧化すると、自分がいかに読んでないかがよーく分かる。内なる声も読めといい、欲望はいっこうに衰えてないにもかかわらず、いまだに読めていない本が沢山ある。幸せなのか、ふしあわせなのか分からないが。人生は有限だ。そしてわたしは、このことをよく忘れる。
それでは、東大教師が新入生にすすめる100冊、2007年版、どうぞ。
■ランキング第1位~第10位
1.カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー 光文社古典新訳文庫 2006)
2.オリエンタリズム(エドワード・サイード 平凡社 1993)
3.ゲーデル、エッシャー、バッハ(ダグラス・R.ホフスタッター 白揚社 2005)
4.プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(マックス・ヴェーバー 岩波文庫 1989)
5.解析概論(高木貞治 岩波書店 1983)
6.自由からの逃走(エーリッヒ・フロム 東京創元社 1984)
7.邪宗門(高橋和巳 朝日新聞社 1993)
8.チベット旅行記(河口慧海 白水社 2004)
9.ホーキング、宇宙を語る(スティーヴン・ホーキング 早川書房 1995)
10.ワンダフル・ライフ(スティーヴン・グールド 早川書房 2000)
【第1位】カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー 光文社古典新訳文庫 2006)
「カラマーゾフ」強し!こいつを超えるスゴ本はないのかも(あれば望外のヨロコビ)。あるいは、こいつを何度も読みながら、こいつを超えるスゴ本を探すのが人生のテーマなのかもしれない。
わたしが小説を読む理由は、そこに欲望が書いてあるから。欲望は様々な形を取る。権力欲、支配欲、愛欲、性欲、意欲、我欲、禁欲、強欲、財欲、色欲、食欲、邪欲、情欲、大欲、知識欲、貪欲、肉欲… 「カラ兄」には、ありとあらゆる「欲望」が書いてある。アリョーシャの、ドミートリーの、イワンの、そしてフョードルの持つ、気高いものから残酷な欲望まで、わたしは、読む行為を通じて彼らの欲望をオーバーライドするのだ。
新潮文庫の帯のレビューを提供した縁もあるので、新潮文庫を推したいところだが… ごめんなさい、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳「カラマーゾフ」をオススメする、しかも強力に。なぜなら、抜群に読みやすくなっているから。「読みやすいカラマーゾフって、あり?」驚く方もいらっしゃるかもしれない。別に昔のが難解だったといいたいわけではない。「いま」の「わたし」のコトバで再構成された「カラマーゾフ」が、とてつもなく入りやすくなっている!これは事件だ!と叫びたくなる。
「場違いな会合」での大爆発シーンで比較してみよう。「どうして、こんな男が生きているんだ!」のところを読み比べる。既読の方はニヤリとしてね。
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米川正夫カラマーゾフ(岩波文庫,1957)
「決闘だ!」と老人を息を切らして、一語一語に唾を飛ばしながら泣声を上げた。「ところで、ミウーソフさん、今あんたが失礼にも『じごく』呼ばわりをしたあの女ほど、高尚で潔白な(いいですか、潔白なと云うておるんですよ)婦人は、あんたのご一門に一人もありませんよ!それから、ドミートリイさん、お前さんが自分の許嫁をあの『じごく』に見変えたところを見ると、つまり許嫁の令嬢でさえあの『じごく』の靴の裏ほどの値うちもないと考えたわけでしょう。あの『じごく』はこういうえらい女ですよ!」
「恥ずかしいことだ!」突然ヨシフが口をすべらした。
「恥ずかしい、そして穢(けがら)わしいことだ!」しじゅう無言でいたカルガーノフが突然まっ赤になって、子どもらしい声をふるわせながら、興奮のあまりこう叫んだ。
「どうしてこんな男が生きてるんだ!」背中が丸くなるほど無性に肩をそびやかしながら、ドミートリイは憤怒の情に前後を忘れて、低い声で唸るようにいった。
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「決闘だ!」老人は息をあえがせ、一言ごとに唾をとばしながら、またわめきたてた。「それからミウーソフさん、いいですかね、おそらくあんたの一族には、たった今あんたが厚かましくも牝犬よばわりしたあの女ほど高潔で誠実な女性は、ええ、誠実な女性はさ、おそらく一人もいないでしょうよ、過去にだって一人もいなかったにちがいないさ。それから、ドミートリイ君、君だっていいなずけをそんな<<牝犬>>に見かえたところを見ると、つまり、いいなずけはあの女の踵ほどの値打ちもないと、君自身が判断したというわけだ。立派な牝犬じゃないか!」
「恥を知りなさい!」突然イォシフ神父が叫んだ。
「恥を知りなさい、みっともない!」終始黙っていたカルガーノフが、青年らしい声を興奮にふるわせながら、顔を真っ赤にして、ふいにどなりつけた。
「こんな男がなぜ生きているんだ!」もはやほとんど怒りに狂ったようになり、なにか異常に肩をそびやかし、そのためほとんどせむしに近い格好になったドミートリイが、低い声で唸るように言った。
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「決闘だ!」息を切らし、一語ごとに唾を飛ばしながら老人はまたわめき立てた。「で、いいですかミウーソフさん、おそらくあなたの一門にはあなたがおっしゃった淫売ですかね、大胆にもあなたがさっきそんなふうに呼んだ女性より気だかくて上品な女性はいない、過去にもいませんでしたよ!それとドミートリー君、君はご自分のフィアンセからこの『淫売』に乗り換えた、つまり、君のフィアンセですら彼女の靴裏にも値しないって、ご自分から宣告されたわけだ!淫売とやらもなかなか捨てたもんじゃない!」
「恥ずかしい!」ふいにヨシフ神父が口走った。
「恥ずかしいし、恥ずべきことだ!」ずっと押し黙っていたカルガーノフが、ふいに顔を真っ赤にし、いかにも少年らしい声を興奮に震わせながら叫んだ。
「どうして、こんな男が生きているんだ!」怒りのあまりほとんど前後の見境いをなくし、両肩をなぜかひどくいからせながらなかば猫背になったドミートリーが、うつろな調子で唸るようにつぶやいた。
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ポイントはグルーシェンカを指している言葉。亀山訳で「淫売」呼ばわりされるのはたまったものじゃないが、雰囲気的にはこれがピッタリだろう。一方で、原訳の「牝犬」は一番好き。米川訳の「じごく」は、観音様の御開帳をホーフツとさせる。
亀山訳が読みやすく見えるのは、口語が現代の言葉になっているから、だけではない。句読点を増やすことで、主述の見通しをよくしたり、名前をバッサリ切り取って文字密度を薄くすることで、追いやすくなっている。
ロシアの正式名としては、「名・父称・姓」の三つをこの順に並べて言う。「ドミートリィ・フョードロヴィチ・カラマーゾフ」は、「カラマーゾフ家のフョードルの息子ドミートリィ」という意味だ。昔の訳は、この父称があっちこっちに出てくる。三人称で書くときに、姓だったり名だったり、名+父称+姓だったりする。これに愛称(ミーチャとか)が追加されると、もう誰が誰だかわからなくなる。ちなみに、カラ兄3兄弟はこんな愛称だ。
ドミートリィ : ミーチャ
イワン : ワーニャ
アレクセイ : アリョーシャ
これが、新訳になると、「ドミートリー」で一本化されている。呼びかけとか、会話の中で明確な場合は愛称が使われるが、基本的に一つの名前で一人を呼んでいる。おかげで、初めて手に取る人の敷居がグっと下がったはず。
東大教師は、岩波文庫や新潮文庫を読んできて、「これだ!新入生はコレを読め!」と推している。もし光文社新訳文庫版を読んだら、力いっぱい言うに違いない。わたしも唱和して力説しよう。「未読の方こそ幸せもの。カラマーゾフは小説のラスボスだが、新訳なら、いま倒せる!」ってね。ただし、訳はやさしいけれど、中身は一緒、あらゆる苦悩が詰まっている。一緒にのたうちまわろう、「大審問官」で。
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【第3位】ゲーデル、エッシャー、バッハ(ダグラス・R.ホフスタッター 白揚社 2005)
あの結城浩さんが座右の書としているという理由で、読む前からスゴ本だと断定。何度も図書館から借り出すも、あえなく撃沈(だって見てよこれ、ハードカバーで700頁を越えるんだよ!しかも、数学、アート、音楽から始まって、人工知能、認知科学、分子生物学、言葉遊びまで散りばめられていて、一体何の本なのかすら見当もつかない。
こういうときに頼りになるのがWikipedia、おかげで読んだフリができる。これによると本書のテーマは「自己言及」らしい。
GEBの内容を一言で説明するのはむずかしい。中心となっているテーマは「自己言及」だが、これが数学におけるゲーデルの不完全性定理、計算機科学におけるチューリングの定理、そして人工知能の研究と結びつけられ、渾然一体となっている。エッシャーのだまし絵やバッハのフーガはこれらをつなぐメタファーとして機能している。ホフスタッター自身、本書の中で「これは自分にとっての信仰告白である」といっているように、おそらくこの本は特定の概念を読者に説明するといった目的のものではない。むしろ人間は永久に自分自身に興味をもつことをやめられないであろうという、ホフスタッターの信念をひたすら熱狂的に記述したものとなっている。
これは、読む人のレベルによって姿を変える本の一つなのだろう。バックグラウンドの知や教養の深度によって、得られる「なにか」が変わってくるに違いない。
だから、わたしのレベルで通読し、「知の経験」をある程度積んだら再読すればいい。自分の位置を確かめたり、その向き先を俯瞰したりするために「使う」本じゃぁないのかと。2006年は借りて読めなかったので、今年は買って読む!(さっきamazonで押してきた!)
もし、来年になってもレビューされなかったのならば、「スゴ本の中の人の積ン読ク山が一段と高くなったに違いない」と笑ってやってくださいませ。
【第10位】ワンダフル・ライフ(スティーヴン・グールド 早川書房 2000)
「20年に一度の傑作だ!」椎名誠激賞らしい。amazonレビューはこんなカンジ…
1909年、カナダで5億年前の不思議な化石小動物群が発見された。当初、節足動物と思われたその奇妙奇天烈、妙ちくりんな生きものたちはしかし、既存の分類体系のどこにも収まらず、しかもわれわれが抱く生物進化観に全面的な見直しを迫るものだった…100点以上の珍しい図版を駆使して化石発見と解釈にまつわる緊迫のドラマを再現し、歴史の偶発性と生命の素晴らしさを謳いあげる
スゴく惹かれる。昨年「要チェックや!」したはずなんだが、読んでなかった、うかつ!だいたい「恐竜は鳥類だった」説に驚愕しているぐらいなので、こいつを読んだら腰を抜かすかも。
批判的に読んでいる人は、グールドなりドーキンスを相当読み込んでいる読み手なので、気にしない。古生代の生物進化は、わたしにとって手付かずだから、いくらでも知的興奮を楽しめる。おお、生きてるうちに読んでおかないともったいないぞ。
■ランキング第11位~第43位
43位という中途ハンパさで区切っているのは、ここまでが3票以上得票しているリストだから。44位以降は、1~2票の候補の中で「わたしが選びなおした」リストになっている。…ということは選に漏れた本も気になるわけで、気になる方は、このエントリの末尾に掲げる全リストのcsvファイルを参照してほしい。
11.現代政治の思想と行動(丸山真男 未来社 1985)
12.人間を幸福にしない日本というシステム(ウォルフレン 新潮社 2000)
13.想像の共同体(ベネディクト・アンダーソン NTT出版 1997)
14.歎異抄(金子大栄 岩波書店 1981)
15.中島敦全集(中島敦 筑摩書房 2001)
16.徒然草抜書(小松英雄 講談社 1990)
17.日本人の英語(マーク・ピーターセン 岩波新書 1988)
18.夜と霧(ヴィクトル・フランクル みすず書房 2002)
19.利己的な遺伝子(リチャード・ドーキンス 紀伊国屋書店 1991)
20.理科系の作文技術(木下是雄 中央公論新社 1981)
21.フィールドワーク(佐藤郁哉 新曜社 1992)
22.危機の二十年(エドワード・ハレット・カー 岩波書店 1996)
23.吉田秀和全集(吉田秀和 白水社 2002)
24.栽培植物と農耕の起源(中尾佐助 岩波書店 1984)
25.罪と罰(ドストエフスキー 岩波書店 2000)
26.三四郎(夏目漱石 岩波書店 1990)
27.史的システムとしての資本主義(イマニュエル・ウォーラーステイン 岩波書店 1997)
28.失われた時を求めて(マルセル・プルースト/鈴木道彦訳 集英社文庫 2006)
29.純粋理性批判(イマヌエル・カント/原佑訳 平凡社ライブラリー 2005)
30.職業としての政治(マックス・ヴェーバー 岩波書店 1980)
31.神谷美恵子著作集(神谷美恵子 みすず書房 1980)
32.戦争と平和(レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ 新潮社 2006)
33.大衆教育社会のゆくえ(苅谷剛彦 中央公論新社 1995)
34.知的複眼思考法(苅谷剛彦 講談社 2002)
35.南方熊楠(鶴見和子 講談社 1981)
36.脳のなかの幽霊(V.S.ラマチャンドラン 角川書店 1999)
37.悲の器(高橋和巳 新潮社 1983)
38.碧巌録(克勤 岩波書店 1996)
39.方法序説(ルネ・デカルト 中央公論新社 2001)
40.夢判断(ジークムント・フロイト 新潮社 2005)
41.量子力学(朝永振一郎 みすず書房 1969)
42.論理哲学論考(ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン 岩波書店 2003)
43.侏儒の言葉(芥川龍之介 岩波書店 2003/02 )
【第20位】理科系の作文技術(木下是雄 中央公論新社 1981)
「理科系の」と謳っているのがイヤらしい。文章技術に文系も理系も関係ないだろ、そもそも文理を分けても意味なんて(小一時間略)。それでも読みたい。
新書は生モノ、であるにもかかわらず、10年以上も改版を重ねて読み継がれているということは、それだけで得るものがありそう。かくいうわたしも練達したいので、「文章を書くための手引き」はいくつか読んできた。仕事で役に立ったものは「考える技術・書く技術」と「東大で学んだ卒業論文の書き方」などがパッと挙げられるが、本書も同じ期待をもって読んでみよう。amazon紹介はこんなカンジ…
著者はまず、この目標を1つの文にまとめた目標規定文を書くことを勧める。そうすることで明確な目標意識を持つことができ、主張の一貫した文章を書くことができるというわけである。そしてその目標をにらみながら材料をメモし、序論、本論、結論といった原則に従って記述の順序や文章の組み立てを考え、すっきりと筋の通った形にしていく。本書では本論の叙述の順序、論理展開の順序、パラグラフの立て方から文の構造までを解説
これだけ読んだ段階では、「考える技術・書く技術」のピラミッド・プリンシパルと激しく一緒のような気が…まぁ、「いかに伝えるか」をトコトンまで突き詰めると、原則は似通ってくるのかも。
わたしのイチオシ。これを読んでいるのと読んでいないのとでは、「知」への取り組み方がガラリと変わる。高校生ぐらいのときに読んでおきたかった…「この本がスゴい2006」で10傑に入っている。
これまでのロジカルシンキング本は、定義と書き方の説明と例の紹介の集積にすぎない。例えば「今なぜMECEか?」「MECEとは」「MECEの例、書き方」「MECEの実践」でオシマイ。MECEの『フォーマット』を撫でるだけで、ロジカル『シンキング』していない。
10年前に書かれた本書は「ロジカルシンキング」なんて一言もないけれど、その本質が噛み砕いて書いてある。そこらのロジシン本と一緒にしちゃいけない。今まで読み散らしてきたロジシンものの中で、最高に腑に落ちた。分かりやすいだけでなく、即実践に適用できる『ツール』レベルまで具体化されている。
特に学生さんに読んで欲しい一冊。読んだらレベルアップの音(ちゃらららっちゃっちゃちゃー)が聞こえるはず。東大に限らず、新入生読むべし―― というよりも、東大の新入生は、こんな本を勧められているのか―― とうらやましくなるかも。
【第39位】方法序説(ルネ・デカルト 中央公論新社 2001)
実は昨年読んだ…が、ここでレビューしていない。白状すると、レビューできるほど読めていない、というのが真実だろう。
昨年の同企画で紹介して→発奮して→勢い込んで読んでみたけれど、拍子抜け。あたりまえのことがあたりまえに書いてある―― 現代の思考形体の礎を400年前に書いたということ自体はスゴいことなんだけど、わたしの肝に落ちずにスルスルと読めてしまった。
むしろ、小林秀雄の解説の方に引っ張られる。当時の知識人がラテン語で書いていたのを、あえて通俗的な(とされていた)フランス語で書いたことや、自分の半生を振り返る形で思索を深めていく構成なので、読者も段階的に入っていけるという仕掛けとか。
それまで受け容れてきた意見から脱却することを志した際、精神を導く原則としてデカルトが立てた4原則は、迷ったときのわたしの道しるべになるだろう。普遍的に使える。
- 私が明証的に真理であると認めるものでなければ、いかなる事柄でもこれを真なりとして認めない
- 検討しようとする難問をよりよく理解するために、多数の小部分に分割する
- もっとも単純なものからもっとも複雑なものの認識へと至り、先後のない事物の間に秩序を仮定する
- 最後に完全な列挙と、広汎な再検討をする
■ランキング第44位~第100位
ここからは、わたしの独断で選書している。なるべく昨年と違うラインナップで、わたしが読みたい本(再読したい本)を心がけている。ああ、読んでない、読みたい本がこんなにあるしあわせ。
44.「超」勉強法(野口悠紀雄 講談社 2000)
45.ワイルド・スワン(ユン・チアン/土屋京子訳 講談社 1993)
46.「死の跳躍」を越えて(佐藤誠三郎 都市出版 1992)
47.Dブレーン─超弦理論の高次元物体が描く世界像(橋本幸士 UT_Physics2 2006)
48.アイデアのつくり方(ジェームズ・ウェッブ・ヤング TBSブリタニカ 1988)
49.それから(夏目漱石 新潮社 1992)
50.タイの僧院にて(青木保 中央公論新社 1979)
51.官僚たちの夏(城山三郎 新潮社 2002)
52.虚無への供物(中井英夫 講談社 2004)
53.君たちはどう生きるか(吉野源三郎 岩波文庫 1982)
54.吾輩は猫である(夏目漱石 新潮社 2003/06 )
55.三国志(吉川英治 講談社 1989)
56.地下室の手記(ドストエフスキー 新潮社 1997)
57.定本言語にとって美とはなにか(吉本隆明 角川書店 2001)
58.こころ(夏目漱石 新潮社 2004)
59.白痴(ドストエフスキー 新潮社 2004)
60.イスラム報道(エドワード・W.サイード みすず書房 2003)
61.インターネットと課税システム(渡辺智之 東洋経済新報社 2001)
62.ガリヴァー旅行記(ジョナサン・スウィフト 岩波書店 2001)
63.チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷(塩野七生 新潮社 1982)
64.トムは真夜中の庭で(アン・フィリッパ・ピアス 岩波書店 2000)
65.バベル-17(サミュエル・R.ディレーニ 早川書房 1977)
66.ぼくを探しに(シェル・シルヴァスタイン 講談社 1979)
67.マークスの山(高村薫 講談社文庫 2003)
68.ミラノ 霧の風景(須賀敦子 白水社uブックス 2001)
69.もてない男(小谷野敦 筑摩書房 1999)
70.モモ(ミヒャエル・エンデ 岩波書店 1998)
71.レディ・ジョーカー(高村薫 毎日新聞社 1997)
72.ロードス島攻防記(塩野七生 新潮社 1991)
73.ローマ人の物語(塩野七生 新潮社 1992-2006)
74.ロケットボーイズ(ホーマー・H.ヒッカム 草思社 2000)
75.悪霊(ドストエフスキー/江川卓訳 新潮文庫 2004)
76.異人たちとの夏(山田太一 新潮社 1991)
77.果しなき流れの果に(小松左京 徳間書店 1990)
78.吉里吉里人(井上ひさし 新潮社 1985)
79.宮本武蔵(吉川英治 講談社 1989)
80.偶然と必然(ジャック・リュイシアン・モノー みすず書房 1982)
81.フォークの歯はなぜ四本になったか(ヘンリー・ペトロスキー 平凡社 1995)
82.笹まくら(丸谷才一 新潮社 1983)
83.山月記・李陵(中島敦 岩波文庫 1994)
84.生きのびるためのデザイン(ヴィクター・J.パパネック 晶文社 1974)
85.蝉しぐれ(藤沢周平 文藝春秋 1991)
86.戦艦武蔵(吉村昭 新潮社 1992)
87.蒼穹の昴(浅田次郎 講談社 1996)
88.大聖堂(ケン・フォレット 新潮社 1991)
89.誰のためのデザイン?(ドナルド・A.ノーマン 新曜社 1990)
90.単独行(加藤文太郎 二見書房 1984)
91.冬の鷹(吉村昭 新潮文庫 1976 改版1988)
92.謎ときカラマーゾフの兄弟(江川卓 新潮選書 1991)
93.謎とき罪と罰(江川卓 新潮選書 1986)
94.謎とき白痴(江川卓 新潮選書 1994)
95.不滅(ミラン・クンデラ 集英社 1999)
96.棒がいっぽん(高野文子 マガジンハウス 1996)
97.本はどう読むか(清水幾太郎 講談社 1984)
98.幼年期の終り(アーサー・チャールズ・クラーク 早川書房 1979)
99.倚りかからず(茨木のり子 筑摩書房 2007)
100.自分のなかに歴史をよむ(阿部謹也 筑摩書房 1988)
デカルトで思索の原則を読んだら、今度はもっとプラグマティカルな奴を。一般に、勉強マニアは蔑称だけど、そう呼ばれたい俺ガイル。願うほどやってないのが現実なのだが、なんかこう、脳を使い続けたいというか、動かしつづけたいんだ。運動していないと体がナマって、本能的に駅階段ダッシュしたくなったり、ねちっこいセックスでひと汗流したくなるような、そんな衝動が脳にもある。で、「資格試験のため」と称して詰め込んでやると、アタマが喜ぶ。そんな知識なんて何の役にも立たないけどな!
最高の勉強本といえば、「キミにもできるスーパーエリートの受験術」がすぐ思い浮かぶが、残念ながら絶版で「幻の名著」とされている。オークションで6~8万円ナリ(5,000円程度で読む方法は、リンク先を参考にしてちょ)。この勉強本と比較してみると面白いかも。amazonレビューはこんなカンジ…
その基本原則は、「面白いことを勉強する」「全体から理解する」「8割までをやる」の3つだという。基礎から積み重ねていくきまじめな勉強法は見直す必要がある。そして、著者が推奨するのが丸暗記法である。英語であれば、教科書を何回も音読して覚えることが成果を上げる早道になるというのだ。受験数学もできるだけ多くの問題と解法を暗記することがポイントと説く。そのうえで、暗記ノウハウもきちんと紹介している
なんだか、とてもよく似ているような気が… ま、まぁ得るところはあるだろう。
【第48位】アイデアのつくり方(ジェームズ・ウェッブ・ヤング TBSブリタニカ 1988)
コピーがイカしてる、「60分で読めるけれど一生あなたを離さない本。《アイデアをどうやって手に入れるか》という質問への解答がここにある」そうな。このテの奴は「考具」が良かった。いまgoogle ッてみたら、なんとステキなサイトが!→「考具web!」…スゴい!書籍版とは異なり完全オリジナル&気づきがいっぱいアップルルルル~アップルル~(c)キティ&ミミィ
いかん脱線した!しかも酒も入っていないのに迷走している!
アイディア出しの方法なりツールは、それこそ "Hack!" と称してゴマンとある(次点は時間管理術か)。どれもユニークで目をひくものが多いが、"Hack!" のポイントは、『すぐに』『自分で』『実際に』ヤるかどうかに収束される。「あとでやってみよう」はナシね。今すぐ適用しないのならば、その後ずっとやらないほうにはらたいら全部。
だから本書も読んだ傍から使っていくつもり、「うすくてすぐ読める」のはすぐ使うための必要条件だから、ポイントはクリアしているみたいだな。どこかで聞いたことがある気の利いたこのセリフの出典は、どうやら本書らしい→「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」、読むべ。
【第61位】インターネットと課税システム(渡辺智之 東洋経済新報社 2001)
アフィリエイトで意識するようになったテーマ。ネットでの行為が立派な経済活動となりつつあるので、当然課税の面も気になるようになった。電子商取引への課税に関する国際機関での議論をまとめたもので、しかも2001年に出版されているため、いささかの古臭さ&的外れ感は否めない。
だが、電子商取引への課税はどのような原則で行われるべきかが理論的に整理されているとの評を鵜呑んで、手にしてみるか。類書があればひととおり読んで、ネットでの経済活動に対して、どういう原則で、どのように徴税しようとしているかを理解しておきたい。
―― なぜか? それは、徴税側へメリットをもたらす仕掛け(=ビジネス)が生まれるから。新たなフレームワークには新しいビジネスチャンスがっ→「徴税されるところに脱税あり」。わたしはしがないリーマンだけど、大もうけしたいならば、この仕掛けを実装するところで副業したいね。
【第66位】ぼくを探しに(シェル・シルヴァスタイン 講談社 1979)
スゴ絵本。わが子に読んで欲しい絵本というか寓話―― まぁ奴ならそのうち勝手に読むだろうが。
シルヴァスタインといえば "Giving Tree"(りんごの木)が逸品(これもスゴ絵本)なんだけど、この東大教師は "The Missing Piece"(ぼくを探しに)を推している。どちらも、「読んだときの気持ち」と共に大切にしまっておきたい絵本。たとえば「星の王子さま」は、むしろオトナが読むべき、と言われるが、シルヴァスタインこそオトナが読む絵本だろう。「本が好き」な女の子にオススメするならコレ(有名なので既読かもしれないが)。この本を好きだという人が好きだ、と言いたくなる磁力を持っているから。
ごぞんじ猫猫先生(blog:猫を償うに猫をもってせよ[参照])の著書。禁煙ファシズムは野次馬的に楽しませてもらっているが、本書の非モテ論は文字どおり抱腹絶倒させられる。自分を恋愛弱者におとしめ、その地点から巷の恋愛主義をバッサリ斬っているので、よくある「モテないインテリのひがみ」という批判が最初から届かない位置にいる。だって、批判の口を開く前に、あのフレーズが―― 弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを…
amazonレビューはこんなカンジ…
歌謡曲やトレンディドラマは、恋愛するのは当たり前のように騒ぎ立て、町には手を絡めた恋人たちが闊歩する。こういう時代に「もてない」ということは恥ずべきことなのだろうか?本書では「もてない男」の視点から、文学作品や漫画の言説を手がかりに、童貞喪失、嫉妬、強姦、夫婦のあり方に至るまでをみつめなおす。これまでの恋愛論がたどり着けなかった新境地を見事に展開した渾身の一冊。
で、本書で初めて猫猫先生の御顔を拝見したわけなんだけど―― [ブ]ではなかった。いい顔しているじゃねーか!
【第73位】ローマ人の物語(塩野七生 新潮社 1992-2006)
ほほう、今年から「ローマ人の物語」がエントリされている。昨年完結したからなぁ。このblogでは「読書感想文まとめ」シリーズで延々と紹介している[参照]。オススメしている教授は、海洋地球化学・古海洋学という面白そうな分野のエキスパートらしい。教授曰く、
時間に余裕のある学生時代にこそ、悠久の時の流れを考えてほしい。4巻、5巻のユリウス・カエサルは著者の「お気に入り」だけあってとてもおもしろい
あくせくしているリーマンが読んでも、悠久の時の流れはそれほど感じられない。カエサルの件が抜群に面白いのは激しく同意、むしろ、他の巻は同一人物が書いたとは思えないほどの高低差が目に付く。全部読んでから、あらためて断言するつもりだけど、「ハンニバル戦記」と「ユリウス・カエサル」だけ読めばOKのような気がする(←『気がする』は、全読したら外して宣言する)
ちうわけで、ここでは「今のところ一番オモシロイ」ハンニバルあたりのリンクを貼っておこう。
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【第74位】ロケットボーイズ(ホーマー・H.ヒッカム 草思社 2000)
これは面白そう!だいたい少年+ロケットは古来より王道中の王道、まちがいない[証拠]。リンク先の「夏のロケット」でも書いたけれど、ロケットを作って飛ばすことはそんなに難しいものではないそうな。原理は単純だもの=「地球の引力を振り切るエネルギーを込めて、ブツを放り投げる」…ただ、コントロールすることがめがっさ難しい。夜空を見上げた高校生4人のアタマに取り付いてしまった夢、それは昔、わたしも見たやつと一緒だ。
1957年、ソ連の人工衛星スプートニクが、アメリカの上空を横切った。夜空を見上げ、その輝きに魅せられた落ちこぼれ高校生四人組は考えた―このままこの炭鉱町の平凡な高校生のままでいいのか?そうだ、ぼくらもロケットをつくってみよう!度重なる打ち上げ失敗にも、父の反対や町の人々からの嘲笑にもめげず、四人はロケットづくりに没頭する。そして奇人だが頭のいい同級生の協力も得て、いつしか彼らはロケットボーイズと呼ばれて町の人気者に。
amazonレビューはこんなカンジなのだが、その最後にこうあって仰天する。
のちにNASAのエンジニアになった著者が、ロケットづくりを通して成長を遂げていった青春時代をつづる、感動の自伝
ノンフィクションかよ!ちなみに、「ロケットガール」(野尻抱介 富士見書房 1995)は未読。「太陽の簒奪者」の人か…よし、読むぞ!
【第75位】悪霊(ドストエフスキー/江川卓訳 新潮文庫 2004)
「どくいり」「きけん」うっかり読むと真黒に染まる。見てのとおり、わたしは染まりやすいので、一読で魅了され、ぞっとさせられた。ああ、わたしは悪霊がのりうつってくる豚なのかもしれないな。以前のレビュー(ネタバレまくり)は、[ここ]。読み返してみて、いかにラストの告白でダメージを受けたかよく分かる。
スタヴローギンは少女をそそのかし、体を開かせ、裸を見ることで支配し、さらに彼女の死体を覗き見ることで神にでもなったつもりか。ちいさく揺れる屍体は狩の成果であり、究極のフェチの対象なんだ(しかも見てるだけ!)。ああ気分わるい。まだ腐りゆく恋人と屍姦しまくる映画ネクロマンティックの方が『健康的』に見える。
そういう怪物が、「悪霊」の主人公。
【第81位】フォークの歯はなぜ四本になったか(ヘンリー・ペトロスキー 平凡社 1995)
【第84位】生きのびるためのデザイン(ヴィクター・J.パパネック 晶文社 1974)
【第89位】誰のためのデザイン?(ドナルド・A.ノーマン 新曜社 1990)
デザイン論というか、インターフェース論が目を引く。人が作るものがどのようにしてその形になっているか? どのように「その形」に決められてきたのか? の考察。モノのデザインを決める過程にあるもののうち、最初に目に付くのは固有の文化だろう。「フォークの歯…」なんてその典型。「切り取る肉を押さえつけて、口へ持ってくるため」の裏側に、肉食のバックグラウンドや金属加工の技術要素を論じることができる。
そして次に出てくるのはアフォーダンスだろう。フォークの取手は「取って」もらうことをアフォードしているし、先端は「突き刺す」ことをアフォードする←その形体になれば誰でも気が付く。しかし、歴史的に見た「フォーク」になるまでの過程からすると、いつからフォークは「取手をつかんで突き刺す」ことを"求める"ようになるのか? さらに、最初の「固有の文化」が異なるバックグラウンドのフォークは、違う形になるような気が…(例:肉のフォークと魚のフォーク、サラダのフォーク、先割れスプーン?) 読む前からして、これだけ発想が膨らむんだもの。図版が多いとのことだし、楽しい読書になりそう。
いわゆる「デザイナー」寄りなのは、「生きのびるためのデザイン」のようだ。より社会性を持ったデザインの必要性について、ずいぶん昔から主張されている。手にするときは、同著者の「人間のためのデザイン」も併読するか。
「誰のためのデザイン?」は既読。モノの『形』が裏側の仕掛けを覆ったうえで、効果を想起させるなんて、まんまアフォーダンス。前の2冊と異なり、本書はもう一歩進めて工業製品にまで適用させている(電話とエアコンの事例はハラ抱えて笑った、確かに使えん!)。デザインというよりも、むしろヒトとモノとのインタフェースを考察するうえで有用な一冊となるだろう。amazonレビューは以下のとおり。
新技術を使った道具についていけなかったり、すぐに使い方を忘れたり、間違えてしまったりするとき、私たちは使えない自分を責め、恥じ入ることが多い。しかし、その態度は間違いであり、原因は道具のデザインにある、と著者は主張する。 「デザイナーは、起こり得るエラーが実際に起こることを想定した上で、そのエラーが起こる確率と、エラーが起こった時の影響が最小になるようにデザインしなければならない」
この発想こそ、現代ヒューマンインタフェースの根底にあるユーザー中心のデザイン原理なのである
惜しむらくはどれも「古い」こと。ヒトとモノのかかわりあいの基本は、ずっと変わらないので、古くても使えるのだが、そろそろ、新しいインタフェース・デバイスについて、アフォーダンスの観点から考察して欲しいもの…欲を言うと、佐々木正人教授あたりに、Wii リモコンを用いたトワイライトプリンセスでの「アフォーダンス」論を。
余談だけど、あれ、ムズいよね。左ヌンチャクで操作して右リモコンで斬るのはいいけれど、一番リーチのある回転切りが『左』なので、幌馬車護衛で遊べない(バッサバッサと斬りたいのに!)。
2006年に他界した米原万里が遺した書評集「打ちのめされるようなすごい本」にある、打ちのめされるようなスゴ本がこれ。誰が打ちのめされるのかというと、小説家だそうな。たとえば料理の鉄人が、他のヒトが作った料理を夢中になって食べた後の「打ちのめされ感覚」。プロの小説家がペンを折って(今ならキーボードを叩き壊して)裸足で逃げ出すぐらいの、「取り込まれ感」「素晴らしい出来」らしい。
せっかくなので、予備知識が目に入らないようガードを上げている。ホラ、期待している映画の予告編がテレビで流れると、急いでチャンネルを変えるやつ。徹夜本になること大。併せて、「打ちのめされるような…」で一緒に紹介されていたT.クック「夜の記憶」も読むべ。一緒に紹介されている経緯からすると、過去が追いかけてくるお話のような気が。
自信をもってオススメ。こればっかだけれど、東大教師のオススメで既読本は鉄板モノばかり。「何もいわずに、マ、読んでみて」と言える。徹夜小説でもあるので、翌日の予定を確かめてどうぞ。最小限の紹介として、amazonより引用する。
清流とゆたかな木立にかこまれた城下組屋敷。普請組跡とり牧文四郎は剣の修業に余念ない。淡い恋、友情、そして非運と忍苦。苛烈な運命に翻弄されつつ成長してゆく少年藩士の姿を、精気溢れる文章で描きだす
すまん、この紹介だと押しが弱いので、ちょい補足する。抑制された筆致と、忍従が激情になってほとばしる場面のコントラストが鮮やか。そして、そいつを包み込むような自然描写も、まるでカメラの眼でとらえたかのようにクッキリと「見える」。
小説としての上手さだけではない。運命に翻弄されながらも自分を見失わない少年に自分を重ね、彼の成長を見守り―― カタルシスを待つ我を忘れるほど、移入できる。わたしの場合、徹夜で読んだ上にたっぷり泣いたので、目が真っ赤になったナリ。
【第92位】謎ときカラマーゾフの兄弟(江川卓 新潮選書 1991)
【第93位】謎とき罪と罰(江川卓 新潮選書 1986)
【第94位】謎とき白痴(江川卓 新潮選書 1994)
「読んでから死ね」という元本は既読―― だが、しょせんわたしの「読み」なので、読み落としやバックグラウンド知識不足による理解モレは、間違いなくある。そいつを補い、再読の楽しみの材料となってくれるはず。所詮は小説、好きに読めばいい、と昔のわたしはうそぶいていたけど、優れた読み手(というか訳者自身)が明かす舞台裏はあまりにも魅力的。元本はどれも長編なので読み通したあとのご褒美なのかも。
Yes! 2007年はドストエフスキーの年、けって~い!(cv:夢原恵美)
本を読む上での気づきというか、基本動作が得られる一冊。読むTipsももちろんあるが、わたしが常々抱いていた、次の疑問について、明快に答えている。これは、「本ばかり読んでるとバカになる」の原則2「読んだら表現する」のベースとなっている。
問い:「本を読んで理解するということは、どういうことか?」言い換えると「本を読んで理解『した』ということは、どういうことか」
読んだら、書く。読む場合は、理解するという立場だが、読んだ本を紹介する場合は、他人に理解させるという立場にいる。誰かが作った道を見失うまい、という努力ではなく、自分で道を作り、他人にこの道を歩かせる努力だ。その表現の努力を通じて、初めて本当に理解することができる。文中の借り物のロジックではなく、自分のコトバで伝えようとすることで、心の底へ下りた理解が生まれる
【第98位】幼年期の終り(アーサー・チャールズ・クラーク 早川書房 1979)
3回びっくりして、1回泣いたSF、レビューは[ここ]。SFというツールを使って、人類のありようを極限の視点で物語化している。し・か・し、円盤や異星人を使って面白くするためのSFではなく、それらは思考実験のための舞台のような気がしてくる。「人類がいまだ"幼年期"だとするならば、その終わり方はどうなるのか?、そしてそれはなぜか?」という問いに答えるための道具。
―― とカタく悩まなくとも、優れたミステリとしてとても面白いことを強調しておく。
二十世紀後半、地球大国間の愚劣きわまる宇宙開発競争のさなか、突如として未知の大宇宙船団が地球に降下してきた。彼らは他の太陽系からきた超人で、地球人とは比較にならぬほどの高度の知能と能力を備えた全能者であった。彼らは地球を全面的に管理し、ここに理想社会が出現した。しかしこの全能者の真意は……? SF史上不朽の名作
さて、この紹介から、大傑作と称されるため、どんなストーリーが考えられるだろうか? 未読の方はしあわせ者だ。どうか予想してみてほしい。嬉しいことに、あなたの想像の引力を振り切ってくれる。そして、初版の出た40年前から今にいたっても「大傑作」と言わしめる着地点まで連れて行ってくれるから。
このblogのこんな長文の、こんな末尾まで読んでいるアナタなら、きっと既読でしょうな。そして彼女の力強さに打たれたでしょうな。わたしも「自分の感受性くらい」のラストで頬をはたかれた経験がある。折にふれて幾度も読み返してみたいが、高価だしデカいしなぁ―― そんなアナタに朗報!2007年4月から文庫版がでてますぜダンナ!(お嬢ちゃん!)
さぁ、これでいつでも、好きなときに頬をはたいてもらえますぜ。
■もっと読みたいアナタに
100冊の紹介はこれでオシマイ。この100冊を抽出する元ネタは、以下のcsvをどうぞ。ご自身の読書ライフに利用されたし。
「booklist-tokyo-u-2007.csv」をダウンロード
このエントリのレビューだけじゃ足りない、という方には、「東大教師が新入生にすすめる本」(文藝春秋編 2004)をオススメ。1994~2003年までの1500冊分の紹介がされている。「本の本」として片っ端から読むよりも、「世の中にこんな本があるんだ」といったカタログ的に眺めるのが賢いやり方だと思うぞ。んで、本当にその本が(自分にとって)必要なときには、向こうの名前が目に飛び込んでくるから…書店で、図書館で、ネットで。
人生は有限なので、読みたい本と読むべき本の棚卸しは必要。でないと、「そのときの気の向くまま」に流されて、結局読みたい本が読めてないままになる。「あとで読む」と決めた本は、結局読まないことが多い。わたし自身、昨年のリストを見直しながら、「去年の決意はあまり実行されてないなぁ」とタメ息をついている。それでも、定期的に読みたい(読むべき)リストを作る機会にめぐまれたので、ありがたい。blogサマサマやね。
それにしても、こんなスゴい本を紹介される東大の新入生、うらやましいぞ。そういや、昨年の100冊リストを「とてつもないボスキャラクラスの書物たち」と称した方がいらしたが、ちッちッちッ、それは違うよ。ボスキャラクラスの書物は、「教養のためのブックガイド」に並んでいる。このリストで紹介した本も、ちらほら入ってはいるが、「ボスキャラ」は本書にある。おそらく、これが東大のレベルなんだろうな。わたしにはレビューすらできない巨神兵ばかり。いわゆる「巨人の肩に乗る」ための書物群。
「もっと!」望む方は、どうぞ。

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コメント
「ああ、読んでない、読みたい本がこんなにあるしあわせ。」というセリフにぐっときました。
投稿: ほんのしおり | 2007.04.16 01:09
こんにちは。
記事を読むたび、こちらのブログには刺激されます^^
今回の2007年版のリストを拝見して、自分が読んでいない本の多さに落ち込む一方で、燃えてくるものもありました。早速プリントアウトして、今後の参考にしようと思います。
高橋和巳が二作もランクインしているのには驚きです。
一方で、やっぱり『カラマーゾフ』は強いですね。来月は古典新訳文庫から『地下室の手記』も出るそうで、六月あたりにはドストエフスキーのちょっとした流れが来るかもしれませんね。
話は変わりますが、Dainさんは本を探すときにAmazonのリストマニアをご覧になることはありますか?
「本ではなく人を探す」という方法とリンクする部分があると思います。わたしは、未知の分野の本を検索するとき表示されるリストマニアから派生していくことがよくあります。Amazonのレビューは玉石混合ですが、素晴らしい方もたくさんいらっしゃるので非常に参考になります。
「そんなの常識以前のハナシだろ」というのでしたら、「失礼しました」と頭を下げておきます。
先日、本屋さんでDainさんのレビューが載っている帯の『カラマーゾフ』を見つけました^^ 個人的には新訳より、思い入れのある新潮文庫版が好きなのです。
投稿: epi | 2007.04.16 19:38
はじめまして
先日から『カラマーゾフの兄弟』を読んでいます。亀山郁夫訳が評判なので、光文社の古典新訳文庫です。
まだ始まったばかりですが、今後の展開に期待しています。
投稿: チャーリー432 | 2007.04.16 21:10
初めて書き込みします。
カラマーゾフはギャグ小説じゃないのですか・・しかも東大教授がお勧めする一位だなんて。読む人によって変わるんですね。
投稿: noen | 2007.04.17 13:36
>> ほんのしおり さん
そうなんです、読んでも読んでも、まだ読んでない本に「気づかされる」しあわせ──しあわせなのかどうか、わからなくなりつつありますが…
>> epi さん
リストマニアですか… はい、よくチェックしていますが、皆様、「妥当な」選書が多いですね。最初の数冊を見ると、ラインナップはだいたい想像がつきます。ただし、H マンガ系のは大いに参考にしています。これこそ趣味が重要なので。
>> チャーリー432 さん
ええ、ぜひ期待してください。そして怖くて逃げ出さないように…
>> noen さん
>カラマーゾフはギャグ小説じゃないのですか・・
>しかも東大教授がお勧めする一位だなんて
>読む人によって変わるんですね
は い 、 わ た し も 全 く そ の と お り だ と 思 い ま す
投稿: Dain | 2007.04.17 23:32
東大教師が新入生にすすめる100冊
【第1位】カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー 光文社古典新訳文庫 2006)「カラマーゾフ」強し!こいつを超えるスゴ本はないのかも
:::::::::::::::
わたしが小説を読む理由は、そこに欲望が書いてあるから。欲望は様々な形を取る。権力欲、支配欲、愛欲、性欲、意欲、我欲、禁欲、強欲、財欲、色欲、食欲、邪欲、情欲、大欲、知識欲、貪欲、肉欲… 「カラ兄」には、ありとあらゆる「欲望」が書いてある。
【第48位】アイデアのつくり方(ジェームズ・ウェッブ・ヤング TBSブリタニカ 1988)
投稿: azaaq | 2007.04.19 15:25
はじめまして。
今実はカラ兄を読んでいるところなのですが、
新潮文庫です。新訳に変えようか・・・(笑)
未読の本が多いことに驚き、喜びます。
GEBに懐かしい!と叫び、
丸山真男は大学のときの政治学の教科書だったことを
思い出しました。
なんとかブロガーの仁義に反しない形でこの記事にリンクを貼って記事を書きたいのですが、なかなか難しいです(苦笑)
投稿: ふる | 2007.04.23 22:20
>> ふる さん
ええと、読者の年代にもよりますが、新潮文庫の「濃い密度」ものもアリかと。文体からして多声性を実現しているのが、原卓也訳だと思います(句読点なしでよくしゃべるしゃべる)。
いっぽう、亀山郁夫訳は「ひらがな」を多用しているため、とっつきやすいですが、「軽さ」は否めません(「大審問官」の重々しい文体とのコントラストは面白いかも)
投稿: Dain | 2007.04.23 22:48
江川達也の「東京大学物語」で、
東大生というのは受験テクニックのみに秀でた馬鹿だという認識が広まったと思うが、
このリストで東大にもまともな人材がいるのだなと見直しました。
SF小説が入っていたのは意外でした。
「バベル17」の面白さが理解出来るとは、さすが東大ですな。
科学解説書では、「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」が入って欲しかったな。
投稿: goldius | 2007.07.20 09:07
はじめまして。goldiusさんのページから飛んできました。
すごい!100冊にしぼってランキングしてくださるなんて、感激。
そして私、1位の「カラ兄」未読です。食わず嫌いだったのかな。。
ラスボス、新訳で倒してみせます!やった〜!
投稿: まめっち | 2007.07.21 16:01
>> goldius さん
東大生もいろいろですが、東大で教えている人は、いいホンを読んでいらっしゃるなぁ、と思います。「東大教師が新入生にすすめる本」(文藝春秋編 2004)のレビューを見ると、実感できるかも。
>> まめっち さん
はい、ぜひ新訳でラスボスを倒してくださいませ。読みやすくなってはいますが、ものスゴい小説であることは太鼓判を押します。覚悟してどうぞ。
投稿: Dain | 2007.07.21 23:05
はじめまして。
亀山氏の新訳『カラマーゾフの兄弟』についてですが、「ドストエーフスキイの会」のHPでおびただしい誤訳を指摘され、週刊新潮(08/5/22号)の記事にもなっています。
HPの検証サイトを閲覧すると、事実は歴然。誤訳・不適切訳が第1巻だけで100箇所以上あり、全巻では数百箇所に上る模様。そのほとんどは先行訳で正しく訳されているものばかりで、ロシア語の初学者でも赤面するような誤訳も多い。脱落もあります。
出版前に、先人の訳のみならず原文とのチェックをも怠っていることは明白で、その杜撰さにびっくりしました。それをしていれば防げた誤りが余りに多いのです。
もう一つの問題は、新訳では文脈が読み取りにくいことです。確かに、ストーリーを追って読み飛ばすことは可能。これは従来の訳ではなかったことです。けれども、作品の論理を追う者にとっては、何を言っているのか意味不明の箇所があちこちにある。(例えば、第1巻p.159~160のイワンの議論。)同じ箇所を検証サイトで並置された先行訳で見ると実に明快です。つまり、訳者自身が原典の文脈をよく読み取っていないということです。それに加えて、訳者の過信によるのか、読者を誤読させる恣意的誤訳すら散見する。
一方、週刊新潮で誤訳について質された訳者は、指摘された第1巻で40箇所余りをこっそり訂正していながら、「ケアレスミスが10ヵ所程度。他は解釈の違い」と言い逃れをしています。
これだけ読まれた(売った)新訳です。これほどの指摘を受けたら、青くなって、原文に立ち戻って全巻を徹底的にチェックし直し、できるだけ早く改訳版を出すのが、訳者や出版社の良心というものではないでしょうか。ところが、残念なことに、両者は事実の隠蔽へと動き、残りの膨大な誤訳は放置したまま増刷。『赤と黒』誤訳事件と軌を一にした対応です。
以上の件について、新訳『カラマーゾフの兄弟』を強力にプッシュされたDainさんは、今どう考えておられるのか、お尋ねしたい気持ちが募り、失礼ながら長文の書き込みをさせていただきました。
ドストエフスキーの面白さを伝道した新訳の功績は大であると考えます。しかし、事実は事実として知られ(知らせ)なくてはなりません。それによって、新訳が全面改訳され、真に推奨に値する訳書となることを望みます。
投稿: 風太郎 | 2008.07.04 12:29
>> 風太郎さん
きめ細やかなご指摘ありがとうございます。
いろいろ書いてありますが、主張は以下の2点ですね。
1. 誤訳・不適切訳について
2. 新訳は文脈が読み取りにくい(読者を誤読させる)
1. について
問題ないと考えます、
翻訳モノは多かれ少なかれ、誤訳がありますので。
誤訳「数」が気になるのであれば、
比較対象として旧版の誤訳もカウントすると、
とても興味深い結果が得られるかと。
2. について
問題ないと考えてます、
リーダビリティの向上があったからこそのご指摘だから。
岩波、新潮と読みましたが、
「意味不明」なところは沢山ありましたぞ。
しかし、立ち戻って調べ、噛み砕くより、
一気に最後まで読む方を優先しました。
なぜなら、夢中だったから。
「誤訳や意味不明」にとらわれて、
その小説を楽しめない(楽しまない)のは、
もったいないと思います。
風太郎さんも肯定されるでしょうが、「意味明瞭・読みやすさ」は、
光文社 > 新潮 > 岩波
の順でしょう。
「いまの言葉でカラ兄が読める」メリットの方が、大きいのです。
また、意味明瞭だからこそ、不明箇所が目立っているのでは?
と思ったり。
それから、
誤訳を指摘された翻訳者や出版社について、
「言い逃れ」とか「事実の隠蔽」とありますが、
これについては良くわかりません。
違う立場の人の行動をそう「解釈」しているからなぁ…
ぐらいしかコメントできませんスミマセン。
あ、
たくさん売れたことだし、改訳・改訂版をバンバン出して、
適切訳でさらに読みやすい本を出そうね、というご意見であれば、全面的に賛成ですぞ。
投稿: Dain | 2008.07.05 09:20
>>Dainさん
お返事、ありがとうございます。
>たくさん売れたことだし、改訳・改訂版をバンバン出して、
適切訳でさらに読みやすい本を出そうね、というご意見であれば、全面的に賛成ですぞ。
まさに、そういうことです。
ところが、現実はそうは動いていないので、危惧しているわけです。
とは言え、そもそも初めから、訳者や編集者が事前にきちんとチェックし修正してから出版していれば、問題なかったわけで、この点には今もって不満があります。
以下、個別の異論です。
1. 誤訳・不適切訳について
>翻訳モノは多かれ少なかれ、誤訳がありますので。
確かにその通りです。しかし、だからといって、全ての翻訳が免責されるわけではありません。
要は、程度問題。Dainさんは、検証サイトをご覧になりましたか。この点、お尋ねしたいところです。(ロシア語ができなくても十分理解できます。)
本来なら、新訳は後発の利を生かせるのだから、誤訳も減っているはずだと期待されます。ところが、今回のケースは全く逆で、先行訳で正しく訳されているところが数多く誤訳になっています。誤訳の数は先行訳の比ではありません。つまり、新訳は、誤訳の質・量が看過できないレベルに達しているということです。これは、やはり、「問題あり」なのではないでしょうか。
繰り返しますが、出版前にこれを修正してほしかった。原文・先行訳と照合してさえいれば出来たのに…。
2. 新訳は文脈が読み取りにくい(読者を誤読させる)
>風太郎さんも肯定されるでしょうが、「意味明瞭・読みやすさ」は、
光文社 > 新潮 > 岩波
の順でしょう。
いいえ、私にとっては、
新潮 > 岩波 > 光文社
の順でした。これは何も先行訳に愛着があって言うのではありません。複数の訳本がある場合、基本的に私は新しい訳を選んでいます。今回も、「読みやすい」というので楽しみに読み始めたところ、逆に(文脈が)読みにくくて、困惑し疑問をもった次第です。他のブログを覗いてみるに、同じ感想を述べている人もいます。個人差ですね。
ただし、これは少数派であって、大多数の読者が「読みやすい」と感じたことは事実ですし、また、読みやすさを目指して様々の工夫を凝らされた訳者の労も多とします。その労力をもう少し翻訳の基礎に向けていてくれたら、というのが私のぼやきです。
とは言え、過去は、ぼやいてもどうにもなりません。要は、これからです。ドストエフスキー好きの一人としては、様々な長所があるにしても大量の誤訳を含んだ新訳が、このまま増刷され続けるのは忍びない気分です。とどのつまり、
これだけ売れたんだから早く改訳しようね。
ってことですね。どうぞ、この声が高まりますように。
投稿: 風太郎 | 2008.07.05 11:42
>> 風太郎さん
ごめんなさい、検証サイトを見ていませんでした。
以下のサイトであっていますか?
亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』を検証する
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dos117.htm
あっているのであれば、これを読んだ上での、わたしの考えを書きます。
ご指摘されているNNさんは、かなり鋭い読みができる方のようですね。
緻密に・厳密に読むことを自分にも他人にも強要する方のように見受けられます。
たしかに、新訳での誤訳を確認しました。男と女を取り違えたり(新訳31p)、修飾対象を誤ったり(新訳p45)、だれから見ても(おそらく亀山氏自身も頷く)誤訳は、ありますね。
ただ、疑問に思うのは、そういった明らかな誤訳以外の、「ニュアンスが違う」(新訳177p)、「座りが悪い」(新訳87p)、「不自然」(新訳341p)といった、「読みかた」の違いによる「誤訳の断定」の方にこそ、恣意性を感じます。
他の訳と比べ、「たいした違いじゃないやん」と思う箇所もたくさんあります。わたし自身、そうした綿密な読みをしていないからなのですが、言葉尻をとらえ、執拗に言い立てる書き手の心のほうが心配になってきます。
以上が、検証サイトを読んだわたしの感想です。
以下は、
1. 誤訳・不適切訳について
2. 新訳は文脈が読み取りにくい
について、風太郎さんの意見へのわたしの考えを書きます。
まず、1. について、風太郎さんはこう述べました。
> 先行訳で正しく訳されているところが数多く誤訳になっています
> 誤訳の数は先行訳の比ではありません
「先行訳で正しく訳されているところが、新訳では誤訳」だからといって、
誤訳の数が先行訳が少ないことにはなりません。
1.についてわたしが述べたかったのは、「新訳は誤訳が多い」ことを示すためには、旧訳の誤訳数もカウントした上で、比較しなきゃ、ということです。旧訳が完璧に近いという前提であれば、風太郎さんの考えに同意できるのですが…
さらに、「誤訳」と断定している主張に、「ニュアンスが違う」、「座りが悪い」、「不自然」といった、「読みかた」の違いが根拠となっているものがあります。旧訳と比べて読むと、「誤訳」と決め付けるには強引だなーと思う指摘は、吟味した上で再カウントしたいですね。
次に、2. について、風太郎さんはこう述べました。
> いいえ、私にとっては、
> 新潮 > 岩波 > 光文社
> の順でした。
すごい、新潮は分かりますが、あの岩波が新訳より上とは!
(ちょっと疑いのまなざし)
「意味明瞭・読みやすさ」は、どうやら個人差のようですね。
おそらく、この問題を追及したら、「原文をあたれ」になるのかも…
いずれにせよ、
2. 新訳は文脈が読み取りにくい
は、個人差・好みの問題のようですね。
投稿: Dain | 2008.07.05 16:50
>>Dainさん
すみません。「ドストエーフスキイの会」で検索するとHPから入っていけるので、迂闊にも検証サイトそのものを挙げるのを忘れていました。
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost125.htm
ここに、「一読者による点検」というもうひとつの検証コンテンツ他が載っています。(いま見たら、相互リンクが貼られているようですが…。)もし、お時間があれば、これも含めた感想をお聞かせいただければ幸いです。その上での議論ということになろうかと思います。
とりあえず、
2. 新訳は文脈が読み取りにくい
について。
新潮 > 岩波 > 光文社
としたのは、あくまで私にとっての、文脈の読みやすさの順です。
字面からいうと、岩波は私にとっても一番読みにくいです。(乞う、改版!)
投稿: 風太郎 | 2008.07.06 13:40
>> 風太郎さん
てっきり「原文と比較した検証」だと一人合点して涙目になってます。
わたしが読んだのは、以下の検証サイトです。
これは、原文と新訳を比較して検証したものです。
亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』を検証する――(A)
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dos117.htm
しかし、上記ではなく、以下の検証サイトが、風太郎さんの
指摘の根拠となっていたのですね。
一読者による新訳『カラマーゾフの兄弟』の点検――(B)
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost125.htm
(B)は、ロシア語は解さない一読者が、旧訳と新訳を比較したもののようですね。
で、(B)は全読しませんでした(ごめんなさい)。
(B)の「点検の前書き」まで読みましたが、これは旧訳との「間違い探し」をしたものだと判断しました。間違い探しをするならば違っているのは自然で、旧訳を「正」として攻撃するであれば、好きなだけ切り刻めるので。むしろ、原文から検証した(A)の方が有用性が高いと思います。
もちろんわたしの判断そのものが誤っている可能性は大なのですが、それを検証するために(B)を全読するのは時間がもったいないと考えました。
おそらく、(B)のいくつかは正当な指摘で、いくつかは「読みの個人差」による言いがかりだろうと思います。ただ、こうした指摘を丹念に拾って改版時に生かせるといいなー、と願っています。
出典に自信がないのですが、確か「文学全集を立ちあげる」で、過去の翻訳モノがいかに誤訳・誤読だらけであったかについてあげつらわれています。「外国語」は研究者のものであり、翻訳を読む人も限られていた時代です。誤訳・誤読の数はもっとあったでしょうが、今ほど目立たなかっただけかと推察します(発表の場も限られてますし)。
投稿: Dain | 2008.07.08 01:36
>>Dainさん
誤解を招かないために、まず確認して置きます。
(B)は、一読者が新訳で疑問をもった(そして先行訳と照合した)箇所を、ロシア語の専門家が原文に当たって検証したものであり、訳書だけを比較したものではありません。
それから、今回の件に関しての私の意見は、(A)と(B)の両方を読んだ上でのことであり、(B)のみに依っているのでもありません。
次に、(B)に関してのDainさんのコメントについて。
読んだのは(B)の「前書き」までであって、「点検」本体また「後書き」等は読んでおられないとのことですので、このコメントの部分はあくまで憶測ということになりますね。それは、ご自身が、「わたしの判断そのものが間違っている可能性は大」、また、「おそらく~だろうと思います」という公正な表現で潔く認めておられるとおりです。
これについて私としては、「その推測は間違っていると考えます」としか言いようがありません。((B)について私はDainさんと同じ公正さを感じました。)
つまり、議論はまたしてもペンディングですね。
と言って、これは、(B)の全体を読むように強要するものではありません。関心のある私は興味を持って読みました。けれども、誰もが同じような関心をもつわけではありません。むしろ、貴重な時間を割いてここまで付き合ってくださったことに対して、恐縮しつつ、感激しています。
またいつか、その気がおきて、「点検」本体を拾い読みなどされた時にでも(例えば、新訳p92、129、161の指摘など)、これもその気がおきれば、コメントくださいな。
最後にもう一言付言して、整理させてください。
今回の検証は、(A)も(B)も、ともに新訳第1巻を対象としており、検証サイトの別項目「亀山訳「検証」、「点検」その後」によると、合わせて115箇所の誤訳・不適切訳を指摘しています。(私はその多くを妥当なものと判断しています。)そして訳者は、そのうちの45箇所を、一月末以降の増刷第20刷・第22刷で訂正。ただし、未訂正のものもまだ多く残されています。(例えば、Dainさんも誤訳と認定したp31の箇所も。)
ちなみに、NN氏によれば、先行の原訳・江川訳は、誤訳なしとはいかないが、全体としては良訳。これに対して新訳は、巻を追って誤訳が増えているとのこと。(「点検」後書きによる。)
ともかく、新訳については、第1巻で少なくとも45箇所の誤訳・不適切訳を訳者が事実上認めているわけです。これだけの訂正であれば、改訂第1版と銘打つか、あるいは正誤表を出すなりして、読者にその事実を知らせるべきではないでしょうか。これらは、出版前に原文・先行訳と突き合わせておれば避け得たものがほとんどなので、また、第19刷までのものを買った読者は多いので、出版社には余計にその責任があるように思われます。
それに、他人の指摘でこれだけの訂正が発生したのだから、そもそも訳者・出版社は、自ら訳文全体を原文ともう一度照合して徹底的にチェックすべきではないでしょうか。これは、検証されていない第2巻以降については、なおのことです。
新訳は、これだけ売れただけに、読者への影響範囲も大きく、また、文庫として長く読まれる以上、その必要も他にましてまた大きいと考えます。
というわけで、
改訂版ないし改訳版を早く出してね!
これが私の結論、また、望みです。
繰り返しになりますが、ここまでお付き合いくださって、本当にありがとうございました。謝々!
投稿: 風太郎 | 2008.07.08 13:45
>> 風太郎さん
丁寧に説明いただいて、ありがとうございます。
とても分かりやすいです。
議論に感情が混ざると果てしなく滑っていきます。
なので、感情の混ざった議論は避けるよう心がけているのですが、
風太郎さんとのやりとりには心配不要ですね。
きちんと議論できる方だなー、と思っています。
コメントの往復よりも、直接お話したほうが実りあるかもしれません。
結論は同じですがwww→「改訂版ないし改訳版を早く出してね!」
そして、確認について。
> (B)は、一読者が新訳で疑問をもった(そして先行訳と照合した)箇所を、
> ロシア語の専門家が原文に当たって検証したものであり、訳書だけを
> 比較したものではありません。
> それから、今回の件に関しての私の意見は、(A)と(B)の両方を
> 読んだ上でのことであり、(B)のみに依っているのでもありません。
了解です。わたしの書き方だと新旧訳の「間違い探し」に終始しているように受け取られる可能性がありますからね。また、風太郎さんが(A)(B)の両方を読んだ上での意見であることも了解です。
最初にわたしが(A)だけで一人合点してしまったのも、問題ありだと思います。風太郎さんと議論するなら、(A)(B)両方を読んでからでしょう。
次の確認について。
> これについて私としては、「その推測は間違っていると考えます」としか
> 言いようがありません。
> つまり、議論はまたしてもペンディングですね。
了解です、というか投了です。おなかいっぱいです。(B)のひとつひとつについて、自分で考えるよりも、その執拗な姿勢に「引いて」いるのが正直なところです。非常にマジメな方なのでしょうが、ちょっと苦しくなるような真面目さを感じます。
先行の原訳・江川訳も最初から決定稿なワケはなく、改訂・改版を繰り返しながら、時間をかけて今の版になっています。「先行訳があるのだから、同等かそれ以上のものを」という気持ちは分かりますが、もう少し長い目で見てあげたら、というのがわたしの結論です(大幅に直しておきながら「改訂」といわないのはまずいかと思いますが…)。
投稿: Dain | 2008.07.08 23:33