「ローマ人の物語」を10倍楽しく読む方法:カエサルはこの順に読むべし
塩野七生「ローマ人の物語」は自信をもってオススメできるんだけど、いかんせん緩急というか浮き沈みが激しい。
書き手がノっている巻は措クニアタワズという言葉がピッタリするぐらい本を閉じさせてくれない。そうでないところは飛ばしてしまっても一向に問題ない。重要なポイント―― ローマ人の気質というか本質にかかわるエピソードは繰り返し書いてくれているので、読み落としの心配はいらない。
それでは、このblogの読者さまに美味しいトコ取りをしていただくため、カエサル編の読み順をご紹介。西洋史の全ての時代からトラックバックを打ち込まれている巨人、ユリウス・カエサルを『楽しく』読む順番といってもいい。
塩野七生 著
ローマ人の物語 8巻 ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)
ローマ人の物語 9巻 ユリウス・カエサル ルビコン以前(中)
ローマ人の物語10巻 ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)
ローマ人の物語11巻 ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)
ユリウス・カエサル著
ガリア戦記
内乱記
結論:上記を、次の順番で読むと相乗効果を楽しめる。後を引くので、夜更かしにご注意、徹夜コースかも。
9巻→10巻→ガリア戦記→11巻→内乱記
■ 「ガリア戦記」まで
まず塩野本。8巻はカエサルの生い立ち~出世する前までの話なので、スッ飛ばしてOK。読みどころは著者からカエサルへの恋慕の情なので、つき合う気がないなら9巻から始めて良し。事実関係を知りたいならば、Wikipediaのガイウス・ユリウス・カエサル[参照]にある「生い立ち~政治キャリアのスタート」を読めば良いかと。
次にカエサル本。「ガリア戦記」も「内乱記」も名著との誉れ高く、名著にありがちな小難しさ&物量は無いため、これまた自信をもってオススメできる。あの小林秀雄をして「もう一切を忘れ、一気呵成に読み了へた。それほど面白かった」と唸らしめるほど面白いと言えば伝わるだろうか。ただし、「ガリア戦記」「内乱記」とも簡潔かつ明瞭、極限まで装飾を殺ぎ落とした100%筋肉質の文章なので、とっつきにくいかもしれない。
さらに、「カエサル」という一人称で全てを見通しているため、戦略・外交・諜報活動の因果関係が見えにくい。当時の勢力図や政敵との関係、文化的背景といったバックグラウンドを知っていれば、そのスゴさが分かる。外交戦であれ、戦場であれ、カエサルが打った神のような一手に背筋が凍る思いをするためには、その背景を知る必要が出てくる。
そこで塩野本の登場、9、10巻はガリア戦記を中心に、政治的・文化的な背景を補完している。当時のガリア~ローマを俯瞰するかのように書いてくれている。「物語」の名にふさわしい、いわば神の目で追いかけてくれる。そのため、「○○であることは知るよしもなかった」とか「もし△△ならば、死なずにすんだだろう」といったものすごく思わせぶりな書き方をしてくれちゃっている(読ませ上手だねッ)。
すると、「ガリア戦記」が是が非でも読みたくなる。「おいおい塩野さん、あンたが自由に評するのは勝手だが、カエサル本人は何て言ってんだ?」という疑問がおさえきれなくなってくる。
はちきれるほどの読欲を「ガリア戦記」は受け止めてくれる。塩野氏がやったように、裏読みもしたくなる。元老院への報告書の体裁を取った戦記モノを超えて、カエサル本人のためのプロパガンダとして読めてくる(で、ファンになるにちがいない)。
■ 「内乱記」まで
ルビコン前が「ガリア戦記」なら、ルビコン後が「内乱記」だろう。「ガリア戦記」はその名の通り、ガリア遠征でのカエサルの戦いの記録であり、「内乱記」もこれまた名前どおり、カエサル vs ポンペイウスの死闘を描いた内戦の記録となる。
どちらも簡潔明瞭な文体ながら、「ガリア戦記」と「内乱記」は、書き手の気持ちが違う。ローマの外側へ拡張する意志と、内側を改革しようとする意志の違いになるのか。この「ガリア戦記」と「内乱記」を書いた意志(というか、動機)は、塩野氏が11巻でこう言い切っている。
これも、本当かァ? とつぶやきながら「内乱記」を読みたくなってくる。カエサルは捕えた敵将を殺すことなく解放し、その敵将がリベンジしにくるといった、諸葛孔明と孟獲みたいなことがあったらしい。7度逃がしたかは別として、敵味方が入り乱れているので、いきなり「内乱記」を読むとわけわからなくなる。11巻で予習しておこう。
なぜカエサルは「内乱記」を書く気になったのか。11巻で塩野氏が読み解いているが、「内乱記」そのものを読みながら再考すると面白い。
なぜ「内乱記」を書いたのか? "あの"カエサルが後世の判定に委ねるといったしおらしいことを考えるはずがない。「ガリア戦記」ですら同時代を意識して書いている。つまり、元老院の許可なくガリアで戦争を始めたことの弁明や、執政官に立候補するためのプロパガンダの意図が透けて見える。いわんや「内乱記」をや。
だから、この疑問は、次に置き換えると明白になるかもしれない──「なぜカエサルはルビコン川を渡って、祖国に弓を引いたのか」。市民同士が戦いあうのを避けたいと願い、あらゆる手段で平和交渉に努め、妥協と譲歩を重ねたにもかかわらず、自分の業績を無に帰しめるばかりか、名誉を陥れようとする「政敵」がいる。奴らのおかげで、盟友ポンペイウスまで敵対するようになってしまい、この内乱が勃発したのだ。だから、その責任は奴らにある、とローマ世界に訴えたいがため、ペンを取ったに違いない ――
世界史は必修でなかったわたしが、こんな風に考えるきっかけをつくったのは、もちろん「ローマ人の物語」のおかげ。歴史家が唱える史実に囚われず、もっと自由に読んでもいい、とする塩野氏に感謝。
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コメント
「塩野さんの本だけ」では分かりづらいほど、ガリア戦記は深い。それを塩野さんは説明をすれば、100年後も塩野さんは残る本をつくったと思う、今は、出版社の営業の頑張り(ま、江利益を享受したので、その仕事でしょうけど)だと思う。
投稿: taro | 2016.08.17 20:56
>>taro さん
はい、私自身『ガリア戦記』を読もうと思ったかなりの部分は、『ローマ人の物語』のおかげなので、塩野さんにはどれだけ感謝してもし足りないくらいだと思います。
投稿: Dain | 2016.08.18 21:59