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「六番目の小夜子」デ萌エロ。ソシテ恐怖セヨ

「マリみて」「プリキュア」など、最近嗜好が百合じみてきている。これはいかんと「六番目の小夜子」を読んでさらに萌えてしまう。

(*゚∀゚)=3 ムッハー

いえ、これは学園ミステリーなんですけどー

  二番目のサヨコは学園祭の連中が考えたらしい
  三番目のサヨコは新しい脚本を書いた
  四番目のサヨコはえらく気の強い女で「サヨコ」を拒絶したらしい
  五番目のサヨコは何もしなかった

そして、今年は六番目となった。

* * * * * * * *

中学、高校に通っていた"あのころ"の気持ち。記憶や思い出ではなく、そのときの自分の胸を満たしていた想い、感覚を思い起こさせる。もどかしさと焦燥感に追い立てられつつも、いったい何に向かって追い立てられているのかが分からない。授業の時間はゆっくりと進むくせに、おしゃべりしているとあっという間に時は流れさる。

夏はうんざりするほど暑く、重たげに、ゆるやかに過ぎていった。
後期の講習が始まり、四人は毎日のようにお茶を飲んではとりとめもなく話をした。本当に他愛のない話だった。子どもの頃の思い出、学年の噂話、よく見たテレビ番組。それがなぜこんなにも楽しいのかよく分からなかったが、それでも全然飽きなかった。四人はせきたてられるようにしゃべりまくり、つまらない冗談でも大笑いした。ちょっとでも話がとぎれるのを恐れているかのように、まるでこの夏に話をしておかなければ一生会うことができないかのように。

やがては失われる青春の輝きを封じ込め、「恐怖」という暗幕で覆ってみた小説、といったら誉めすぎだな。良くかけていると思うYO、特に学園祭で公開された「六番目の小夜子」は怖かったYO。

恐怖の演出はS.キングの影響を受けているようだが、いかんせん筆力が足りないためパクリ以上になっていない。プロットは途中で息切れし、ラストは拍子抜けする出来。中学生が読書感想文書くのにちょうどよい加減。百物語やトイレの花子さんの味付けも程よくて臭みがないといえる。

しかーし!

沙世子と雅子の百合的描写はカツモクして読メ!
いえ、「マリみて」みたく直截ではないんだけれど、以下が絶品!


(受験間近の放課後の教室。編物しながら勉強する二人)



 雅子は沙世子の方に顔を向けた。沙世子は机の上でお祈りをするように組んだ指の上にあごを乗せ、穏やかな表情で前を見ている。窓からさし込む冬のまっすぐな光が、その沙世子のほおの産毛や、髪の毛の輪郭を輝かせている。

 このひとは本当にきれいだ。これからもっときれいになるだろうけれど、今は今で最高にきれいだ。このきれいなひとをあたしなんかが独占してるなんて、なんだかバチが当たりそう。



* * * * *



 ヘンかしら、あたしだって女の子なのに。でも、女の子でなくちゃ、沙世子みたいに本当に完璧な女の子がいるってことの、ほんとうのすごさって分からないと思うな。男の子なんか、ただ女っっていうことだけでいいんだもの。その女の子自身がどういう存在かなんて彼らには意味のないことなのよね。

同性を女としてみる雅子。作者恩田陸のホンネが透けて見えて面白いナリ。

読みながら、「風の又三郎」だの「太郎物語」や「リバーズ・エッジ」の断片を思い出す。はたまた語感から「五番目のサリー」を思い出すところがオッサンくさいですな>ワシ ま、恐怖の味付けをした青春小説というところで。

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そうそう、同名のドラマあり。鈴木杏や栗山千明で萌え度倍増かも。

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