もう少しほかに出てくるかと思ったけど、意外と出てこなかった。
敷居の上に正座をさせるのもよくない。
お母さん、私を育てるの大変だったね。介護を一緒にやっている途中、「子育てもこれと同じくらい大変なんだ」と言ったね。
こんなになって、3歳児神話を信じていたお母さん。
家から逃げ出して、人生で一番自由な時間を過ごせている。新しい家族も見つけた。
だけど、親子関係は苦しいものだというイメージしかないから、子どもがほしいと思えない。今までの人生でそうした感情をほぼ持ったことがない。
子どもであることは苦しいことで、親であることも苦しいことだと。お互いに自由はないのだと。
時間が何年もあるわけではない。子どもをもつ決断ができないなら別れるしかないと思ってきたけど、どうしてもできなかった。
相手は、私が抑圧されて育ってきたことは知っているし、何かしら過去の問題を解決する必要があると感じているけれど、私が受けたきた体罰がここまでのものとは知らない。カウンセリングとかに行くべきなのかもしれない。
いやそれが疑問なのよ
「岡村氏が」→「女性への偏見的な意識を募らせた結果」について説教したわけで、「未婚」のはそれの裏付けじゃん(その意識のまま過ごしてきたせいで女性が寄り付かないこと)
戻しといたよ…ごめんね
どうして私が怒ってるかわかる?
自分の経験から何かを嫌いになる事ってあったりしない?俺はあるし、他の人にもあると思う。それは偏見だろ!と言われればその通りだけれど。個人の好感も反感も殆どはそういう偏見の塊が殆どだと思う。
自分が何となく嫌いな物を思い浮かべて、それを嫌いな理由を思い出してみると、殆ど偏見なんじゃないのかな?
「偏見がいけない」というのはドグマ化して浸透しているのかもだけれど。それ位の感覚というのは普通の人には往々にしてあるというくらいの緩いスタンスでいないと気が詰まると思う。
「私には偏見が無い」と言って、当たり障りのない事しか言わない相手だったら、それはそれで建前だけのうわべだけの人間だと思うだろうし。多少の気持ち悪さを感じるかも知れない。
どうだろう、俺はそこまで教育の効果を大きく見積もってはいない。
どんな教育を受けてようが、虐げられている人が利益を見せられたらやはり飛びつく人の方が多いだろう。っていうか、飛びついてきて現に男女同権がどこの国でも進みつつあるからね。我が国はマジの実例だし。
あと、特にこういうのは普通、世代が切り替わった時に変化がある。例えば今のイスラム国で女性が自ら進んで男尊女卑に甘んじてるように見えても、孫世代はわからんぞ。思想的ブレイクスルーの種は既に欧米に存在するので、その発想はなかった的な停滞はありえないしな。