旧空港
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1966年(昭和41年)7月21日 紋別空港開港。管理は紋別市。 8月11日 横浜訓盲学院、旭川空港と丘珠空港への不定期路線と遊覧飛行開設。旭川空港線は同年限りで廃止。 9月30日 対空通信業務開始。 11月1日 紋別NDB (MV)運用開始。 1972年(昭和47年) 5月30日 横浜航空が事故により運航停止。発着便がない状態となる。 1973年(昭和48年) 8月1日 北海道の管理に変更。 1974年(昭和49年)10月15日 日本近距離航空により丘珠空港線再開。 1990年(平成2年)8月1日 エアーニッポン (ANK)、千歳空港線開設。 1993年(平成5年)12月8日 紋別NDB (MV)廃止。 1998年(平成10年)5月1日 ANK、新千歳空港線休止。 1999年(平成11年)11月11日 すべての業務を新紋別空港へ移管、廃止。ANK、丘珠空港線休止。 2001年(平成13年)7月14日 空港移転を知らなかった個人所有機が旧空港に着陸する重大インシデントが発生。
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旧空港
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1935年(昭和10年)3月23日 - 中央気象台が、1931年に野付牛へ移転した旧女満別地方競馬場跡地に気象観測用の飛行場として設置 (500 m×幅50 m)、10式艦上偵察機を用い流氷観測を実施。 1936年(昭和11年)6月 - 6月19日の皆既日食観測基地として使用すべく滑走路延長 (650 m)。 老朽化に伴い観測機の使用禁止命令、その後鈴木与平が3式戦闘機を改造の上中央気象台に寄付し1944年まで流氷観測を継続。 1942年(昭和17年) - 海軍航空隊が「美幌第二飛行基地」として整備開始。 1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦の終戦に伴い連合国軍により爆破され使用不能となる。また旧海軍庁舎は中学校として再利用。 1952年(昭和27年)11月 - アメリカ軍が修理の上、不時着場として接収。 1956年(昭和31年)4月 - アメリカ軍から一部返還される。 6月2日 - 北日本航空、丘珠空港線不定期運航開始。 1957年(昭和32年)7月 - 北日本航空、丘珠空港 - 西春別飛行場 線を女満別空港経由で運航開始。 1958年(昭和33年)7月 - 米軍からすべて返還され、女満別町 が管理。 12月 - 第三種空港として供用開始。 1959年(昭和34年)9月 - 北日本航空、西春別飛行場発着を中標津空港発着に変更。 1961年(昭和36年)4月 - 管理を北海道へ移管。 1963年(昭和38年)4月 - 第三種空港として供用開始 (1,200 m)。 1964年(昭和39年)4月 - 北日本航空、合併により日本国内航空となる。 1965年(昭和40年)6月 - 日本国内航空、丘珠空港線定期運航開始。丘珠空港 - 女満別空港 - 中標津空港線廃止。 1970年(昭和45年) - 日本国内航空、東京国際空港線を丘珠空港経由で運航開始。 1971年(昭和46年)5月 - 日本国内航空、合併により東亜国内航空となる。 1974年(昭和49年)12月 - 東亜国内航空、丘珠空港発着全路線を千歳空港発着に変更。 1977年(昭和52年)8月 - 東亜国内航空のYS-11型機が胴体着陸。 1980年(昭和55年)5月 - 東亜国内航空、東京国際空港線直行便運航開始。YS-11型機が飛ぶ超長距離路線として知られる。 1985年4月20日 - 新空港開港に伴い閉鎖。
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旧空港
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1960年(昭和35年)9月12日 - 空港整備施行の承認に伴い工事開始 1961年(昭和36年)10月1日 - 秋田市新屋町字割山(北緯39度41分58秒 東経140度3分56秒 / 北緯39.69944度 東経140.06556度 / 39.69944; 140.06556 ((旧)秋田空港))にD級第三種空港として開港。現在の国道7号・秋田南バイパスと県道65号寺内新屋雄和線が交差する南浜交差点付近にあった(勝平参照)。1,200m×30m(17/35)滑走路供用開始 1969年(昭和44年)3月 - 滑走路延長・拡幅工事完了。1,500m×45m(17/35)滑走路供用開始 2013年(平成25年)11月26日 - 軽飛行機がエンジントラブルのため滑走路跡地に緊急着陸、詳細は後述
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旧空港
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1944年(昭和19年) 1月 - 陸軍が木田郡林村大字下林で軍用飛行場建設に着手。その後完工を待たずに戦闘隊などが使用した。 9月 - 明野教導飛行師団高松分校が設置され、乙種搭乗員やビルマ人留学生の訓練が行われた。 1945年 5月 - 教導飛行師団の訓練生は転隊するが、教官級の搭乗員は残留し五式戦闘機でロッテ戦法の訓練を行う。また同月には百式司令部偵察機を装備する陸軍飛行第28戦隊が派遣され、明野戦闘機隊と共に土佐沖の索敵の任に当たる。 7月 - 4日の高松空襲は陸軍の戦力温存方針のため、戦闘機隊による迎撃は行われなかった。31日、四式戦闘機を装備する第100飛行団隷下の第101戦隊が移転するも、同隊は沖縄戦で消耗しており、戦力補充は翌8月12日まで掛かった。 8月 - 敗戦により占領軍が接収。 1952年 - サンフランシスコ講和条約発効に伴い返還される。 1955年5月 - 空港指定を受けないまま民間航空便が就航。極東航空(現 全日本空輸)による伊丹線1往復。 1956年 4月 - 空港整備法による第二種空港に指定。 9月30日 - 林村が高松市へ編入されたことに伴い、所在地が高松市林町となる。 1958年6月 - 飛行場を事実上縮小し、滑走路長1,200mで供用を開始。地元では「林の飛行場」という通称が閉港まで使われていた。 1979年 - 新空港建設候補地を香南台地と決定。 1983年 - 空港整備法による第三種空港に指定変更。
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旧空港
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1934年(昭和9年)9月9月 - 日本海軍の飛行場として建設 1963年 - 滑走路を整備。滑走路長は1,323mとされた 1970年 - 民間(南西航空)の定期航空路線が開設(那覇線)、YS-11が就航する 1973年2月 - 前年の沖縄県本土復帰による設置許可(第三種空港)。しかし、滑走路長の定義を航空法に照らすと800mしかないことが判明(従来は米国法に準拠していた)。このため、当時就航していたYS-11は発着できなくなる
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旧空港
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1937年 - 旧日本陸軍緑ヶ丘飛行場として開港する。 1956年 - 陸上自衛隊が利用する。 1962年8月8日 - 帯広空港の設置が許可される。 1964年12月1日 - 第3種F級空港として民間にも供用を開始し、帯広市南町南七線番外地にて帯広空港として開港する。日本国内航空が札幌線、釧路線を開設する。 1965年5月29日 帯広空港にて 日本国内航空機胴体着陸事故 1965年7月 - 日本国内航空が八戸経由東京線を開設する。 1966年5月 - 日本国内航空が東京線直行便を開設する。 1971年5月 - 航空大学校帯広分校開校。 1972年12月10日 - 滑走路を 1,500 m×45 m に延長し、第3種D級空港に昇格。 1981年2月28日 - 帯広空港の供用を廃止する。 3月1日 - 帯広空港の跡地施設を十勝飛行場に改称する。帯広測候所帯広空港出張所(現 新千歳航空測候所帯広空港出張所)および航空大学校帯広分校も、あわせて新空港へ移転した。
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旧空港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:20 UTC 版)
1962年(昭和37年) : 設置許可。 1964年(昭和39年)8月:完成。 11月5日 : 施設の供用を開始する(滑走路:1,200m×30m)。YS-11用エプロン2バースが設置される。 1965年(昭和40年)6月1日 : 初の定期便として、日本国内航空(現・日本航空)の東京(羽田)線が就航。開設時の機材はYS-11。 1967年(昭和42年) : 改修工事計画を開始、滑走路1,500mへの延伸やエプロン拡張・夜間照明設置を計画した。 1971年(昭和46年) : 滑走路を1,350mに延伸する。 1972年(昭和47年) : 滑走路を45mに拡幅する。 1973年(昭和48年) : 滑走路を1,400mに延伸する。 1974年(昭和49年) : 空港ターミナルビルを増築する。 1978年(昭和53年) : 空港ターミナルビルを増築する。 1981年(昭和56年) : 通年運航を開始。 1987年(昭和62年) : 新空港への移転に伴い廃止する。
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