敗戦
敗戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 02:07 UTC 版)
「ガイウス・テレンティウス・ウァロ」の記事における「敗戦」の解説
前216年の執政官時代、カンナエの戦いでの敗北の後、敗残兵をカヌシウム(現カノーザ・ディ・プーリア)へ集結させ、カンナエでの敗北で同僚のパウッルスが戦死し、自分はカヌシウムで1万の敗残兵を集めたがまとめきれていないこと、カルタゴと捕虜の身代金や戦利品の交渉を行っていたことをローマへ伝えた。この悲報にローマでは大騒ぎとなり、元老院は混乱を拡大しないため喪に服する期間を30日に制限した。オスティアで艦隊を指揮していたプラエトルのマルクス・クラウディウス・マルケッルスがカヌシウムへ派遣され、敗残兵を引き継ぐと同時にウァッロに可及的速やかにローマへ帰還するよう命令が下された。カンナエで捕虜になった者たちの身代金は支払われない事が決定され、多くの同盟国がローマに反旗を翻したが、ウァッロが帰国すると、人々は彼に大敗の責任があることを知ってはいたものの、多くの人々が集まる広場で「共和国に望みを失っていない」として感謝の意をもって迎えられたという。 これまでの敗戦で元老院の人員不足が顕著となったため、新たな議員の選出が必要とされた。様々な意見が出たが、本来元老院議員の名簿改訂はケンソルの役目なため、現存する中で最も早くケンソルに就任した経験のあるものを独裁官として選出し、その任に当てることが決定された。独裁官の選出は執政官の役割なため、アプリアにいたウァッロが呼び戻され、彼はマルクス・ファビウス・ブテオを選出した。ブテオによって名簿が改訂されると、ウァッロは翌年の選挙管理を嫌って任地へ戻った。 翌紀元前215年、ウァッロはプロコンスルとしてインペリウムが延長され、引き続きアプリアを守備した。その後、プラエトルであったマルクス・ウァレリウス・ラエウィヌスに軍を引き継ぎ、彼自身はアドリア海に面したピケヌムへと派遣され、紀元前213年までプロコンスルとしてその地を守備した。
※この「敗戦」の解説は、「ガイウス・テレンティウス・ウァロ」の解説の一部です。
「敗戦」を含む「ガイウス・テレンティウス・ウァロ」の記事については、「ガイウス・テレンティウス・ウァロ」の概要を参照ください。
敗戦
「敗戦」の例文・使い方・用例・文例
- 敗戦投手
- 彼は強烈な軍国主義者で日本の敗戦を信じなかった。
- 敗戦のうわさが広まった。
- 戦勝国は敗戦国に講和条件を指令した。
- それまで日本は敗戦というものを知らなかった.
- 敗戦後, 日本は廃墟の中から不死鳥のようによみがえった.
- 戦後、敗戦国は、再軍備は許されなかった
- 敗戦を認める
- 敗戦
- 戦争の後、敗戦国は勝者により再軍備されなかった
- (敗戦国などで)軍隊が作った政府の長
- 勝者によって敗戦国にきびしく要求される補償
- 戦勝国が敗戦国から取り立てる賠償
- (敗戦の兵が)散りぢりに逃げる
- (敗戦前)日本の支配下にあった地
- 野球で,敗戦に最も責任のあった投手
- 敗戦の恥辱
- 野球で,ある試合で,チームの敗戦に最も責任のあった投手
- 敗戦者の捕虜の命を助けること
- シャラポワ選手は「特につらい敗戦を何度かした後だけに,グランドスラムで勝てたこと,これまでに勝ったことのない大会で勝てたことに満足しています。」と後に語った。
品詞の分類
- >> 「敗戦」を含む用語の索引
- 敗戦のページへのリンク