大般若経とは? わかりやすく解説

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だいはんにゃ‐きょう〔‐キヤウ〕【大般若経】

読み方:だいはんにゃきょう

大乗経典。600巻。唐の玄奘(げんじょう)訳。「仁王(にんのう)経」「般若心経以外の般若部諸経を集大成したもので、16からなる般若波羅蜜の義、諸法皆空の理を説いたもの。大般若波羅蜜多経


大般若経 (だいはんにゃきょう)

教典1つで、最高の真理般若はんにゃ])から見るとすべてのものは実体がない(空[くう])だという教え説いたものです。全部600あります

関連項目

大般若経


大般若経〈(薬師寺経)/〉

主名称: 大般若経〈(薬師寺経)/〉
指定番号 263
枝番 00
指定年月日 1967.06.15(昭和42.06.15)
国宝重文区分 国宝
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 387
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文:  巻首に「薬師寺」の朱円印二顆【にか】が捺され、「薬師寺経」として著名な奈良時代代表的写経である。藤田美術館には大般若経六百巻中の過半数蔵し大部分褐色表紙白蜜陀撥【しろみつだばち】軸の原装もしくはそれに近い姿を伝える点も貴重である。

大般若経


大般若経〈巻第二百五十/〉


大般若経〈巻第五百廿二/〉


大般若経〈巻第五百十四/〉


大般若経〈巻第二百卅二/〉


大般若経

主名称: 大般若経
指定番号 1137
枝番 00
指定年月日 1936.05.06(昭和11.05.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 577帖
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文: 奈良時代作品

大般若経〈巻五十六/〉


大般若経〈巻第一百七十六/〉


大般若経


大般若経〈巻第九十五/(池上内親王御願経)〉


大般若経〈巻第九十九/〉


大般若経


大般若経

主名称: 大般若経
指定番号 1522
枝番 00
指定年月日 1952.03.27(昭和27.03.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 (自弘安七年至同十年宋人謝復生一筆経)
員数 600
時代区分 鎌倉
年代 1284~1287
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

大般若経〈写経四百七十巻/版経百三十巻〉

主名称: 大般若経〈写経四百七十巻/版経百三十巻〉
指定番号 1876
枝番 00
指定年月日 1958.02.08(昭和33.02.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 600
時代区分 奈良南北朝
年代
検索年代
解説文: 奈良南北朝時代作品

大般若経〈巻第四百六十八/〉


大般若経〈(内、版本十巻)/〉

主名称: 大般若経〈(内、版本十巻)/〉
指定番号 2057
枝番 00
指定年月日 1961.06.30(昭和36.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 (自安元二年至治三年研意智一経)
員数 585
時代区分 平安
年代 1176~1179
検索年代
解説文: 平安時代作品

大般若経


大般若経


大般若経

主名称: 大般若経
指定番号 2092
枝番 00
指定年月日 1963.02.14(昭和38.02.14)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 (自建暦元年建保年足鶏足寺慶弁一経)
員数 456帖
時代区分 鎌倉
年代 1211~18
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

大般若経(自天永三年至永久四年書写)


大般若経

主名称: 大般若経
指定番号 247
枝番 00
指定年月日 1962.06.21(昭和37.06.21)
国宝重文区分 国宝
部門種別 書跡・典籍
ト書 和銅五年十一月十五日長屋王願経
員数 142
時代区分 奈良
年代 712
検索年代
解説文: 奈良時代作品

大般若経(神泉苑寄進経)

主名称: 大般若経(神泉苑寄進経)
指定番号 2102
枝番 00
指定年月日 1963.07.01(昭和38.07.01)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 587帖
時代区分 奈良室町
年代
検索年代
解説文: 奈良室町時代作品

大般若経


大般若経(内補写経四帖)

主名称: 大般若経(内補写経四帖)
指定番号 2424
枝番 00
指定年月日 1986.06.06(昭和61.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 正応元年至同五年宋人一筆
員数 599帖
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  宋人一筆書写した大般若経で補写経四帖をあわせ五百九十九帖を存している。
 体裁はもと巻子装のものを改装して折本装にしたもので、後補の丁子銀砂子表紙外題千字文函号を墨書し、料紙丁子染楮紙淡墨界を施して用いている。本文一紙二三行、一行一七字に速筆ではあるが丁寧な筆致書写しており、各巻末には「宋人書」等の奥書があり、巻第六百には左の奥書がある。「自正應元年〈巳/丑〉歳十二月四日始之、至于
 正應五年〈壬/辰〉歳十二月三日五箇年之間、
 一筆書寫 大般若經一部六百巻、
 奉安出雲國須佐
 東山 御宮十三大明神之聖前、安慰
 毎年轉讀廻向神力各身平安、永無
 災厄壽命延長萬事利益上下眷属、亦
 如意
 設經大施主御代官沙弥政願
 沙弥助阿
 執筆一乗宋人
 この奥書によれば本経代官沙弥政願、沙弥助阿を施主として、宋人正応元年一二八八十二月四日より同五年十二月三日に至る丸四年間をかけて、一巻およそ二日半の日数で一筆書写したもので、十三権現須佐神社)の宝前納め毎年転読廻向なされたのであることが判明する。巻第十六~三十第五十一六十三の二十八巻奥書に「大宋人安善執筆書」等とあり宋人安善書写であるが、巻第六十四前半部は安善後半部は浄合筆になるものであり、この安善書写は浄助筆したもの認められる
 浄安善および施主の政願、助阿については詳らかではないが、文永八年一二七一)十一月関東御教書千家文書によれば当時須佐郷は北条時宗所領であり、おそらく正応年間には北条貞時所領であった考えられ、「御代官沙弥政願」は得宗被官人で須佐郷の地頭代であった可能性が高い。当時出雲地方中国との交易が盛んであったことは後の尼子氏による日明貿易例によって推測されることで、出雲地方得宗領内で得宗被官人の保護をうけて宋人による写経作業が行われたことは、出雲地方中国との交流一端示して注目される
 なお、本経高野寺納められたのは江戸時代のことで、巻第六百の奥書についで別筆で「後伏見正応五年壬辰、到于寶暦十年庚辰四百六十九年」とあること等から、宝暦十年一七六〇)頃とみられる

大般若経

主名称: 大般若経
指定番号 248
枝番 00
指定年月日 1962.06.21(昭和37.06.21)
国宝重文区分 国宝
部門種別 書跡・典籍
ト書 和銅五年十一月十五日長屋王願経
員数 27
時代区分 奈良
年代 712
検索年代
解説文: 奈良時代作品

大般若経〈巻第二百五十七/(池上内親王御願経)〉


大般若経


大般若経〈巻第百十三残巻/(天暦七年七月十三日錦村主実貫願経)〉


大般若経〈内十五巻安永二年補写/〉

主名称: 大般若経〈内十五安永二年補写/〉
指定番号 440
枝番 00
指定年月日 1919.04.12(大正8.04.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 大治五年国司通国源盛賴等ノ奥書アリ
員数 539巻
時代区分 平安
年代 1130
検索年代
解説文: 平安時代作品

大般若経〈巻百九/〉

主名称: 大般若経〈巻百九/〉
指定番号 475
枝番 00
指定年月日 1912.02.08(明治45.02.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 天平十九年唐僧善意ノ跋アリ
員数 1帖
時代区分 奈良
年代 747
検索年代
解説文: 奈良時代作品
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大般若波羅蜜多経

(大般若経 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/02 06:38 UTC 版)

大般若波羅蜜多経』(だいはんにゃはらみったきょう)とは、代に玄奘大乗仏教の基礎的教義が書かれている長短様々な「般若経典」を集大成した経典。通称は『大般若経』(だいはんにゃきょう)で、『般若経』(はんにゃぎょう)と略称することもある。全16部(会)600巻に及ぶ膨大な経典群である。大正蔵220。

沿革

般若経典は150年頃に現在の形の原形が成立し、サンスクリット文字にて文書化され、以後長短様々な般若経典へと発展していったとされる。

645年[1]、玄奘が西域から帰国、太宗から持ち帰った経典群の翻訳の勅許を得、長安 弘福寺[2]に住し翻訳に取り掛かる。更に玄奘自ら翻訳の指揮を取り、『大般若波羅蜜多経』は660年正月に漢訳開始し、4年の歳月を掛けて663年10月に訳了した。 この漢訳は広く日本にも伝えられており、現在日本国内の各寺院に保存されている大般若経はこれである。ただし、この『大般若波羅蜜多経』のサンスクリット本は残存していない。

なお、この膨大な教典を300余文字に要約したものが『般若心経』であるという説[3]があるが、『大般若波羅蜜多経』には般若心経そのものは含まれておらず定説はない。ただし古来類似した部分があることは知られているが、この部分は鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』の該当部分の方が般若心経のテキストに近いので『般若心経』偽経説の根拠の1つとなっている[4]。 玄奘が『般若心経』を翻訳したのは 649年5月とされており[5]『大般若波羅蜜多経』の漢訳期間より二十数年も前である。

構成

全16部(会)275分600巻の構成は、以下の通り。

  • 初会 全79分 (1-400巻) - 『十万頌般若経』(サイズは近いが対応は明確でない)
  • 第二会 全85分 (401-478巻) - 『二万五千頌般若経』(鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経)に相当するも末尾常啼菩薩品以降略)
  • 第三会 全31分 (479-537巻) - 『一万八千頌般若経』
  • 第四会 全29分 (538-555巻) - 『八千頌般若経』(鳩摩羅什訳 小品摩訶般若波羅蜜経)
  • 第五会 全24分 (556-565巻) - 『八千頌般若経』(四分欠缺)
  • 第六会 全17分 (566-573巻) - 『勝天王般若経』(勝天王般若波羅蜜経)/『如来秘密経』
  • 第七会 「曼殊室利分」(574-575巻) - 『文殊般若経』(文殊師利所説(摩訶)般若波羅蜜経)
  • 第八会 「那伽室利分」(576巻) - 『濡首菩薩経』(濡首菩薩無上清浄分衛経)
  • 第九会 「能断金剛分」(577巻) - 『金剛般若経
  • 第十会 「般若理趣分」(578巻) - 『理趣経
  • 第十一会 「布施波羅蜜多分」(579-583巻)
  • 第十二会 「持戒波羅蜜多分」(584-588巻)
  • 第十三会 「忍辱波羅蜜多分」(589巻)
  • 第十四会 「精進波羅蜜多分」(590巻)
  • 第十五会 「静慮波羅蜜多分」(591-592巻)
  • 第十六会 「般若波羅蜜多分」(593-600巻) - 『善勇猛般若経』(二千五百頌般若経)として知られる[6]

日本での扱い

737年天平9年)に大安寺道慈律師が朝廷に対し、大般若経の転読を諸国の年中行事に加えることを願い出て許された。道慈の発願によって大般若経は日本全土に普及することになったが、その発端は大安寺増築の際に雷神が祀られていた木を切ったために落雷が頻発していたので、雷を鎮めるために大般若会を催したところ効果があった、という呪術的なものだった[7]。各地にもたらされた大般若経は神道祭祀民間信仰に組み込まれ、今日でも祭事の中にその名残を残す地域がある。平安時代以降には貴族の写経や転読が流行したが、その動機の多くは厄祓い願掛けのためであった[7]。このように、大般若経は土着の宗教観と結びつけて受容された例が非常に多い[7]

現在日本においては、この600余巻の教典を読経する大般若会が真言・天台等の密教系宗派や禅宗において盛んに行われている。但しこの膨大な教典を完全に読誦することは過去に数例の記録があるのみで、現在は転読と呼ばれる、教典をパラパラとめくっては、般若心経末尾の真言や『転読大般若経中唱文[8]』などを読誦して一巻を読誦したことにする儀典で行われることが多い。

日蓮宗浄土真宗等を除く、日本の大部分の宗派はこの経をその教義の基礎と位置づけ、依用しているが、当然ながら玄奘以前は旧訳の各種般若経が用いられていた。

日本語訳

注・出典

[脚注の使い方]
  1. ^ 以下年次は、駒澤大学 仏教学部仏教学科 教授 吉村誠『玄奘の年次問題について』駒澤大学佛教学部論集 46 183-205, 2015-10 pdf 【付録】玄奘三蔵略年譜 による。
  2. ^ 高宗の時、705年に興福寺と改めた。
  3. ^ 中村元紀野一義訳註『般若心経・金剛般若経』1960年岩波文庫 ISBN‎ 978-4003330319 、p.162 『般若心経』解題
  4. ^ 「何以故。舍利弗。色不異空空不異色。色即是空空即是色。受想行識亦如是。舍利弗。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨不増不減。是空法非過去非未來非現在。是故空中無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界乃至無意識界。亦無無明亦無無明盡。乃至亦無老死亦無老死盡。無苦集滅道。亦無智亦無得。――」(SAT版大正大蔵経テキスト T0223_.08.0223a13 - a20)
  5. ^ 開元釈教録 卷第八に「般若波羅蜜多心經一卷見内典録第二出與摩訶般若大明呪經等同本貞觀二十三年五月二十四日於終南山翠微宮譯沙門知仁筆受」とある。(T2154_.55.0555c03-04)
  6. ^ 戸崎宏正(1930-2022)によるサンスクリットからの現代語訳(1973年)がある。
  7. ^ a b c 五来重『庶民信仰と日本文化』 <五来重著作集>第9巻 法蔵館 2009年 ISBN 978-4-8318-3415-7 pp.407-411.
  8. ^ ウィキソースには、転読大般若経中唱文の原文があります。

関連項目


大般若経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:00 UTC 版)

観音寺 (河内長野市)」の記事における「大般若経」の解説

1386年から1401年にかけて写経された「大般若波羅蜜多経」。かつては六百巻あったが、散逸進み、現在は四百余り残存する施主には35人の名見られとりわけ室町幕府方の武将であった源朝臣錦部義利は24巻を施す。また筆者では当寺の僧・沙弥広覚が108巻を書き写している。1997年 (平成9年)3月26日、市から有形文化財指定された。 また、このうち1巻岩手県平泉町毛越寺所蔵され同県有形文化財指定されている。

※この「大般若経」の解説は、「観音寺 (河内長野市)」の解説の一部です。
「大般若経」を含む「観音寺 (河内長野市)」の記事については、「観音寺 (河内長野市)」の概要を参照ください。

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