毛越寺とは? わかりやすく解説

もうえつ‐じ〔モウヱツ‐〕【毛越寺】

読み方:もうえつじ

もうつうじ(毛越寺)


もうつう‐じ【毛越寺】

読み方:もうつうじ

岩手県西磐井(にしいわい)郡平泉町にある天台宗別格本山山号は、医王山嘉祥3年850円仁創建伝える。長治2年(1105)藤原清衡・基衡が再興したが、数度火災にあい、現在の本坊明治32年(1899)に再建されたもの。大泉池は平安時代庭園遺構平成23年2011)「平泉仏国土浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群−」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。もうつじもうえつじ。→平泉

毛越寺の画像
庭園のようす

もうつ‐じ【毛越寺】

読み方:もうつじ

もうつうじ(毛越寺)


もうつじ 【毛越寺】

モウツウジ・モウオツジとも。岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺。医王山金剛王院。八五〇(嘉祥三)年円仁開基伝え中堂嘉祥寺といった。毛越寺は一山総称兵火かかったのを藤原清衡・基衡らが再興以後焼失復興とを重ね今は遺址のみ。園地平安期浄土式庭園遺跡として有名。田楽延年などの古舞楽を伝える。

毛越寺

読み方:モウツウジ(moutsuuji)

宗派 天台宗

所在 岩手県西磐井郡平泉町

本尊 薬師如来阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

毛越寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/10 23:06 UTC 版)

毛越寺

浄土庭園
所在地 岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58
位置 北緯38度59分14秒 東経141度6分27秒 / 北緯38.98722度 東経141.10750度 / 38.98722; 141.10750 (毛越寺本堂)座標: 北緯38度59分14秒 東経141度6分27秒 / 北緯38.98722度 東経141.10750度 / 38.98722; 141.10750 (毛越寺本堂)
山号 医王山(いおうざん)
宗旨 天台宗
寺格 別格本山
本尊 薬師如来
創建年 (伝)嘉祥3年(850年
開基 (伝)円仁(慈覚大師)
札所等 奥州三十三観音霊場 番外札所
四寺廻廊札所
文化財 特別史跡
特別名勝
公式サイト 天台宗 別格本山 毛越寺
法人番号 8400505000257
毛越寺
毛越寺 (岩手県)
毛越寺
毛越寺 (日本)
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毛越寺(もうつうじ)は、岩手県西磐井郡平泉町(創建時は陸奥国磐井郡平泉)に所在する、天台宗の寺院。現在の本尊[* 1]薬師如来立像(平安時代後期の作。脇侍は日光菩薩月光菩薩)。建築は平安様式。

境内は「毛越寺境内 附 鎮守社跡」(もうつうじけいだい つけたり ちんじゅしゃあと)として国の特別史跡[1]、庭園は「毛越寺庭園」(もうつうじていえん)として特別名勝に指定されている[2]2011年平成23年)6月26日、「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された[3]

平泉中尊寺、松島瑞巌寺、山形立石寺と共に「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している。

歴史

寺伝によれば嘉祥3年(850年)、中尊寺と同年に円仁が創建。その後、大火で焼失して荒廃したが、奥州藤原氏第2代基衡夫妻、および、子の第3代秀衡が壮大な伽藍を再興した。中世の歴史書『吾妻鏡』によれば、「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」があり、円隆寺と号せられる金堂・講堂・常行堂・二階惣門・鐘楼・経蔵があり、嘉祥寺その他の堂宇もあって、当時は中尊寺をしのぐ規模だったという。金堂の円隆寺は、金銀、紫檀をちりばめ、その荘厳は『吾妻鏡』に「吾朝無双」と評された。

奥州藤原氏の滅亡後も鎌倉幕府に保護されたが、嘉禄2年(1226年)に火災に遭い、更に戦国時代天正元年(1573年)には兵火に遭って衰微し、長年の間土壇と礎石を残すだけとなっていた。江戸時代仙台藩領内となり、寛永13年(1636年)の伊達政宗の死去に際して、当時の本尊の釈迦三尊が、政宗の霊廟「瑞鳳殿」に隣接して彼の菩提寺として創建された瑞鳳寺に遷された。寛文年間(1661年1672年) には、本寺とその周辺は水田化された。しかし、伊達氏により経済的援助や保護が行われた。

明治32年(1899年)、新しい本堂や庫裏を南大門の外側に建て、1921年大正10年)には伊達一関藩一関城大手門を移し、山門とした。1922年(大正11年)10月12日史跡に指定された。

毛越寺境内遺跡は、1954年昭和29年)より5か年にわたって全面的に発掘調査がなされ、その規模や構造などの全容がほぼ解明されている。その調査結果は、『吾妻鏡』などの文献資料ともよく合致する。それによれば、遺跡は現在の毛越寺の境内にあり、旧来の姿をとどめており、土塁南大門跡苑池・金堂跡その他の堂跡の保存状態はきわめて良好である。とくに金堂跡は桁行7間、梁間6間に復原される礎石がほぼ完全に遺存しており、土壇の四周には基壇地覆石がめぐらされ、雨落溝の構造ものこっている。左右には翼廊跡があり、前方に折れてその両端にそれぞれ楼の跡も残っている。その他の堂宇の礎石もよく残り、その浄土庭園は、平安時代末期の遺構として寺のシンボルとなっており、苑池も橋脚をのこして中島・庭石については旧態をよく示し、平安時代伽藍形式を示すものとして学術上の価値が高い。こんにち伽藍復原図として知られる図像は、1954年(昭和29年)以来の発掘調査によって検出された考古資料をもとに描かれたものである。

1989年平成元年)に平安様式に則って本堂が再建され、現在に至っている。

2001年(平成13年)に世界遺産登録の前提となる暫定リストに「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」の一部として記載された。2005年(平成17年)7月には史跡の追加指定がなされた。2008年(平成20年)の第32回世界遺産委員会の審議では、登録延期が決定した。文化庁および岩手県は「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の一部としてユネスコへ再度申請し、2011年(平成23年)5月に国際記念物遺跡会議が世界遺産への登録を勧告し、同年6月25日に世界遺産に登録された。

文化財

特別史跡

  • 毛越寺境内(附 鎮守社跡)

以下の区域が特別史跡の飛地区域として指定されている[4]

  • 護摩堂跡
  • 文殊堂跡
  • 吉祥堂跡
  • 北野天神社
  • 日吉白山社(現 白山妙理堂)
  • 花館廃寺
  • 王子社跡
  • 八坂神社
  • 観自在王院跡

特別名勝

  • 毛越寺庭園

重要無形民俗文化財(国指定)

拝観

  • 拝観できる時間
    • 4月5日〜11月4日 8:30〜17:00
    • 11月5日〜4月4日 8:30〜16:30
  • 拝観料:700円

交通

宿院(廃止)

これまで毛越寺には宿坊ユースホステル兼業)が併設されていたが、老朽化が著しいとの事情により2007年(平成19年)11月20日をもって営業を終了した。

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 源義経が拝んでいたであろう当時の本尊は嘉禄2年(1226年鎌倉時代中期)に焼失した。しかしその後、義経が生きていた時代に造られたという薬師如来像を譲り受け、以来、本尊として今に到る。

出典

  1. ^ 毛越寺境内 附 鎮守社跡1922年〈大正11年〉10月12日指定、1952年〈昭和27年〉11月22日特別史跡、史跡)、国指定文化財等データベース文化庁) 2014年7月11日閲覧。2005年(平成17年)7月14日、追加指定および名称変更。
  2. ^ 毛越寺庭園1957年〈昭和32年〉11月12日指定、1959年〈昭和34年〉5月23日特別史跡、史跡)、国指定文化財等データベース文化庁) 2014年7月11日閲覧。
  3. ^ Barbados enters World Heritage List with Bridgetown and its Garrison; Hiraizumi(Japan) and Germany's Beech Forests also inscribed” (英語). UNESCO News Archive. ユネスコ (2011年6月25日). 2011年6月26日閲覧。
  4. ^ 『図説日本の史跡 5 古代2』、同朋舎出版、1991、pp.28 - 29
  5. ^ 毛越寺の延年1977年〈昭和52年〉5月17日指定、重要無形民俗文化財)、国指定文化財等データベース文化庁) 2014年7月11日閲覧。
  6. ^ 毛越寺の延年1970年〈昭和45年〉6月8日指定、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)、国指定文化財等データベース文化庁) 2014年7月11日閲覧。
  7. ^ a b 町内交通機関のご案内(平泉観光協会)

関連項目

外部リンク


毛越寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:09 UTC 版)

平泉」の記事における「毛越寺」の解説

詳細は「毛越寺」を参照 毛越寺(もうつうじ)は平泉町寺院である。1226年火災多く伽藍失われ1573年に完全に焼失した。そのため、当時本堂残っていないが、浄土式庭園特別名勝に、境内特別史跡指定されている。特別史跡特別名勝二重指定は、国内には8例しかない。世界遺産登録IDは 1277rev-002 (Môtsû-ji) である。 開山円仁伝えられるが、再興したのは藤原基衡で、当時としては最大級規模を誇る寺院であった『吾妻鏡』の「寺塔已下注文によれば中尊寺が「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇」に対し、毛越寺は「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」とされていた。 現在残る浄土式庭園平安時代様式そのまま残すもので、特に遣水遺構平安時代様式伝え唯一のものであり、その規模の大きさとともに特筆されている。 常行堂じょうぎょうどう)は当時のものではなく1732年再建され宝形造堂宇だが、そこで毎年1月20日行われる延年の舞」(えんねんのまい)は重要無形民俗文化財となっている。世界遺産推薦当たっても、当時浄土思想伝え無形文化財としての価値触れられていた。

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「毛越寺」を含む「平泉」の記事については、「平泉」の概要を参照ください。

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