書跡・典籍
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伊勢神道関連、文芸(伊勢物語、大和物語)、歴史(六国史版本)等。 斎宮御所の文化サロン的雰囲気を髣髴とさせるものとして、伊勢物語や源氏物語に関連する資料を豊富に所蔵している。 斎宮女御集(正般本)(室町時代写本)。 伊勢は国学に有縁の地であることから、賀茂真淵や契沖のような国学者の著作の版本もある。
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書跡・典籍
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「長崎県指定文化財一覧」の記事における「書跡・典籍」の解説
国指定の書籍は重文3点と旧重要美術品1点がある。「高麗版大般若経」は平成6年に493巻が盗難に遭い、うち3巻が翌年に韓国で発見されて国宝登録された。「朝鮮国告身」は対馬豪族の早田氏に宛てた高麗朝からの官職授与状。「珠冠のまぬある吉利支丹版長崎版慶長12年」はキリシタンの修行手引の印刷本である。旧重要美術品の「紙本墨書ボードウィン書状一通」はボードウィンが帰国の意志をシーボルトの門弟三瀬周三に伝える私信である。 名称位置指定日解説紺紙金字法華経八巻箱付 平戸市戸石川町 平戸市立図書館 1979年7月27日 平安末期~鎌倉初期に書かれたと推測される法華経巻子本8巻。金銀泥で表紙に唐草紋、見返しに説法図と経意絵が描かれ、本文も銀の罫線に金泥で書き込まれた装飾経。永禄10年(1567年)、松浦道可隆信・法印鎮信親子が佐々の正興寺に寄進した。 多久頭魂神社の大蔵経 対馬市厳原町豆酘 多久頭魂神社 1986年8月29日 高麗王23代高宗が戦禍で焼失した高麗大蔵経原版の復刻を発願し、1251年に出版された「高麗再雕大蔵経」の一部で、595巻が欠落している。対馬に伝来した時期は不明。誤彫の少ない精巧な凸版印刷本で、巻子本を袋綴の冊子本に改めている。2012年に韓国人窃盗団に盗まれた。 東泉寺の五部大乗経 対馬市豊玉町仁位 東泉寺 1988年9月30日 元朝で出版された凸版印刷の五部大乗経で、華厳経3巻ぶんが欠落した全208巻と断簡3点が伝わる。ただし、仏説像法決疑経1巻のみ国内の印刷本で補われている。対馬に伝来した時期は不明で、東泉寺に収まる前は観音寺にあったといわれる。 西福寺の元版大般若経 対馬市上対馬町西泊 西福寺 1986年8月29日 元朝期に河北省普寧寺で印刷出版された大般若波羅蜜多経。伝承によると、高麗の貴族が注文し、室町時代に宗氏の手に渡り、貞茂が応永28(1421年)~29年頃に西福寺に施入したという。平成18年(2006年)、盗難で170巻ぶんが失われた。 朝鮮国告身(小野家伝来) 対馬市厳原町今屋敷 対馬歴史民俗資料館 2007年3月2日 李氏朝鮮が倭寇対策に発行した官位授与状。慶長の役直前、万暦25年(1597年)対馬の信時老への果毅校尉・司直(正五品)と朝鮮通信使復活後、天啓3年(1623年)平信時への修義副尉・副司猛(従八品)の2通からなる。 西勝寺文書「きりしたんころび証文」 長崎市上町 個人蔵 1964年3月16日 長崎町人の九介夫婦がキリシタン棄教を宣誓した証文の草稿。西勝寺に提出されたものだが、日本誓詞に加えて南蛮誓詞があり、またデウス以下キリスト教の天使聖者へも棄教を宣誓している。奥書には棄教者沢野忠庵らの付記が残る。 崇福寺の聯額 長崎市鍛冶屋町 崇福寺 1960年7月13日 寛永6年(1629年)の開山から50年内に住職を務めた黄檗宗の高僧が書いた13面の聯額。四代住職隠元隆琦は山門「聖寿山」はじめ3点、五代住職即非は第一峰門「第一峰」・本堂「世尊」をはじめ7点、千呆は大雄宝殿「海西法窟」はじめ3点を遺している。 江迎本陣の螺鈿細工「枕水舎」 附 由来書一通 佐世保市江迎町長坂 2014年3月25日 平戸藩10代藩主・松浦熙の筆による螺鈿細工の扁額。熙は江迎本陣に御成座敷「枕水舎」を自ら監修し設置した。天保3年(1832年)、熙は扁額の作成を思い立ち、江戸勘亭流で自書した上、長崎の螺鈿職人に細工を依頼したと推定される。 壱岐国続風土記 平戸市鏡川町 松浦史料博物館 2006年3月3日 平戸藩主松浦誠信の委託により、天手長男神社宮司の吉野秀政が延享元年(1744年)に編纂した117冊の地理書。壱岐の神社仏閣・郷邑について述べ、史跡の寸法、土地の境界や広さ、古老の伝統など、江戸時代中期の壱岐を伝える重要な資料である。 甲子夜話(副本・写本) 平戸市鏡川町 松浦史料博物館 2005年3月25日 平戸藩主松浦清が執筆した随筆集「甲子夜話」278冊を元に、嘉永6年(1853年)に次代藩主松浦熙のもとで複製した本。正本が消息不明のため、研究の底本として重視される。江戸時代後期の多彩な話題や事件の伝聞を知る重要な原典である。
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書跡・典籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)
この頃制作された書道作品としては、『西本願寺本三十六人家集』(国宝)が知られる。天永3年(1112年)の制作と言われている。破り継ぎ、金銀の切箔・砂子、墨流しなどさまざまな料紙装飾を施した華麗な冊子に三十六歌仙の和歌を散らし書きにしたものである。約20種類の和様の筆跡が確認されており、12世紀前半の約半世紀は仮名のあらゆる美しさが追求された時期であるといわれる。 また前代に成立した作品を書写したものとしては、既述の『源氏物語絵巻』などの絵巻の詞書や、『平家納経』などの経典のほか、『古今和歌集』には元永本(国宝)があり、元永3年(1120年)の奥書を有し、完本である。『万葉集』には元暦校本(国宝)などがあり、元暦元年(1184年)に校合の奥書があるが、全巻は揃っていない。ともに平安時代末期の書写である。 なお、扇面古写経もまた異色の書跡資料といえるが、そこでは和様の使い手数名の筆跡が確認されている。
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