書跡・典籍とは? わかりやすく解説

書跡・典籍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/05 15:52 UTC 版)

斎宮歴史博物館」の記事における「書跡・典籍」の解説

伊勢神道関連文芸伊勢物語大和物語)、歴史六国史版本)等。 斎宮御所文化サロン雰囲気髣髴とさせるものとして、伊勢物語源氏物語関連する資料豊富に所蔵している。 斎宮女御集(正般本)(室町時代写本)。 伊勢国学有縁の地であることから、賀茂真淵契沖のような国学者著作版本もある。

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書跡・典籍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)

長崎県指定文化財一覧」の記事における「書跡・典籍」の解説

指定書籍重文3点と旧重要美術品1点がある。「高麗版大般若経」は平成6年に493巻が盗難遭い、うち3巻翌年韓国発見され国宝登録された。「朝鮮国告身」は対馬豪族早田氏宛てた高麗朝からの官職授与状。「珠冠のまぬある吉利支丹版長崎版慶長12年」はキリシタン修行手引印刷本である。旧重要美術品の「紙本墨書ボードウィン書状一通」はボードウィン帰国意志シーボルト門弟三瀬周三伝え私信である。 名称位置指定日解紺紙金字法華経八巻箱付 平戸市戸石川町 平戸市図書館 1979年7月27日 平安末期鎌倉初期書かれたと推測される法華経巻子本8巻金銀泥で表紙唐草紋見返し説法図と経意絵が描かれ本文も銀の罫線金泥書き込まれ装飾経永禄10年1567年)、松浦道可隆信法印信親子が佐々正興寺寄進した。 多久頭魂神社大蔵経 対馬市厳原町豆酘 多久頭魂神社 1986年8月29日 高麗23高宗戦禍焼失した高麗大蔵経原版復刻発願し、1251年出版された「高麗再雕大蔵経」の一部で、595巻が欠落している。対馬伝来した時期不明。誤彫の少な精巧な凸版印刷本で、巻子本袋綴冊子本改めている。2012年韓国人窃盗団盗まれた。 東泉寺五部大乗経 対馬市豊玉町仁位 東泉寺 1988年9月30日 元朝出版され凸版印刷五部大乗経で、華厳経3巻ぶんが欠落した208巻と断簡3点が伝わる。ただし、仏説像法疑経1巻のみ国内印刷本補われている。対馬伝来した時期不明で、東泉寺に収まる前は観音寺にあったといわれる西福寺元版大般若経 対馬市上対馬町西泊 西福寺 1986年8月29日 元朝期に河北省普寧寺印刷出版され大般若波羅蜜多経伝承によると、高麗貴族注文し室町時代宗氏の手渡り、貞茂が応永281421年)~29年頃に西福寺施入したという。平成18年2006年)、盗難170巻ぶんが失われた朝鮮国告身小野家伝来対馬市厳原町今屋敷 対馬歴史民俗資料館 2007年3月2日 李氏朝鮮倭寇対策発行した官位授与状。慶長の役直前万暦25年1597年対馬信時老への果毅校尉司直(正五品)と朝鮮通信使復活後天啓3年1623年平信時への修義副尉・副司猛(従八品)の2通からなる西勝寺文書きりしたんころび証文長崎市上町 個人 1964年3月16日 長崎町人の九介夫婦キリシタン棄教宣誓した証文草稿西勝寺提出されたものだが、日本誓詞加えて南蛮誓詞があり、またデウス以下キリスト教天使聖者へも棄教宣誓している。奥書には棄教者沢野忠庵らの付記が残る。 崇福寺の聯額 長崎市鍛冶屋町 崇福寺 1960年7月13日 寛永6年1629年)の開山から50年内に住職務めた黄檗宗高僧書いた13面の聯額。四代住職隠元隆琦山門聖寿山」はじめ3点五代住職即非第一峰門「第一峰」・本堂世尊」をはじめ7点、千呆は大雄宝殿海西法窟」はじめ3点を遺している。 江迎本陣螺鈿細工舎」 附 由来書一通 佐世保市江迎町長坂 2014年3月25日 平戸藩10代藩主松浦熙の筆による螺鈿細工扁額。熙は江迎本陣御成座敷「舎」を自ら監修し設置した天保3年1832年)、熙は扁額作成思い立ち江戸勘亭流自書した上、長崎螺鈿職人細工依頼した推定される壱岐国風土記 平戸市鏡川町 松浦史料博物館 2006年3月3日 平戸藩松浦誠信委託により、天手長男神社宮司吉野秀政が延享元年1744年)に編纂した117冊の地理書壱岐神社仏閣郷邑について述べ史跡寸法土地境界広さ古老伝統など、江戸時代中期壱岐伝え重要な資料である。 甲子夜話副本写本平戸市鏡川町 松浦史料博物館 2005年3月25日 平戸藩松浦清執筆した随筆集甲子夜話278冊を元に嘉永6年1853年)に次代藩主松浦熙のもとで複製した本。正本消息不明のため、研究底本として重視される江戸時代後期多彩な話題事件伝聞を知る重要な原典である。

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書跡・典籍

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院政期文化」の記事における「書跡・典籍」の解説

この頃制作され書道作品としては、『西本願寺本三十六人家集』(国宝)が知られる天永3年1112年)の制作と言われている。破り継ぎ金銀の切箔・砂子、墨流しなどさまざまな料紙装飾施した華麗な冊子三十六歌仙和歌散らし書きしたものである。約20種類和様筆跡確認されており、12世紀前半の約半世紀仮名あらゆる美しさ追求され時期であるといわれる。 また前代成立した作品書写したものとしては、既述の『源氏物語絵巻』などの絵巻詞書や、『平家納経』などの経典のほか、『古今和歌集』には元永本(国宝)があり、元永3年1120年)の奥書有し完本である。『万葉集』には元暦校本国宝)などがあり、元暦元年1184年)に校合奥書があるが、全巻揃っていない。ともに平安時代末期書写である。 なお、扇面古写経もまた異色書跡資料といえるが、そこでは和様使い手数名筆跡確認されている。

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