ぼ‐さつ【×菩×薩】
菩薩
菩薩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:47 UTC 版)
菩薩(ぼさつ)とは、成仏を求め(如来になろうとして)修行を積む人の意味である。 一般的な姿は上半身に条帛(じょうはく)を纏って、下半身に裳を着け、天衣(てんね)を両肩から垂れ下げている。髻を結い上げて宝冠を頂き、また瓔珞(ようらく)、耳璫(じとう)、腕釧(わんせん)、臂釧(ひせん)、足釧(そくせん)などの装飾品をしている。地蔵菩薩だけは頭を丸めて宝冠もつけず、僧の姿で表される。 如来のような印は結ばず、それぞれ持物(じもつ・じぶつ)を持っている。弥勒菩薩を除き、多くが立像として表される。 観音菩薩 観音菩薩は、宝冠に化仏(けぶつ)を付けているのが特徴である。手に水瓶(すいびょう)又は蓮華を持っていることが多い。 そのうち、通常の一面二臂(「臂」(ひ)は手の意)の観音像を聖観音という。 これに対し、密教の影響の下に作られたのが、多面多臂の(顔や手の数が多い)変化観音である。十一面観音は、頭上に東西南北を向いた10の面を有し、本面と合わせて11面となる。全ての方角を見て、あらゆる人を救済してくれることを意味する。千手観音は、千本の手を有し、それぞれの手に1眼があり、千の手と千の眼で人々を救済してくれることを意味する。像としては、四十二手で千手を表すことが多く、それぞれの手に持物を有する。十一面を有することが多い。馬頭観音は、忿怒の表情をし、頭頂に馬の頭を有する。不空羂索観音は、手に羂索(けんじゃく、人の悩みをとらえて救済するための縄)を持ち、三眼である(額に、縦に第3の目を持つ)。如意輪観音は、「如意宝珠」と「法輪」を持つ。左脚を折り曲げ、右脚を片膝にして両足裏を付けた輪王座という独特の座り方をしており、右肘をついて頬に手を当てている。六臂のものが多い。准胝観音は、インドで仏母とされていたものが密教と共に日本に来て観音となったものであり、三目十八臂のものが多い。 聖観音と以上の6体の変化観音を併せて七観音という。 地蔵菩薩 地蔵菩薩は、釈迦如来が入滅した後の六道世界において、弥勒菩薩が如来となって現れるまでの間、全ての世界に現れて人々を救う菩薩である。 普賢菩薩 普賢菩薩は、文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍となるが、独尊でも信仰される。仏の行を象徴する菩薩である。法華経を信じる者のところには6つの牙を持つ白象に乗った普賢菩薩が現れると信じられており、法華経が女性も往生できることを明言していることから、平安時代、貴族の女性の間で信仰を集めた。 独尊の場合は、白象の上に乗っていることが多い。 文殊菩薩 文殊菩薩は、釈迦の賢弟であり、実在の人物であるとされる。普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍となるが、独尊でも信仰される。仏の智恵を象徴し、学業祈願の信仰を受けた。 青い獅子の上に乗っていることが多く、右手に経巻(きょうかん)、左手に剣を持っていることが多い。 弥勒菩薩 弥勒菩薩は、既に修行を終えたものの、現在は兜率天にとどまっており、釈迦の入滅から56億7千万年後の未来に如来(弥勒如来)となって現れ、全ての人々を救済するとされている。 広隆寺の弥勒菩薩像のような弥勒菩薩半跏思惟像は、飛鳥時代・奈良時代に多く作られた(広隆寺の像は渡来仏説と日本国内製作説がある)。ただし半跏思惟像が弥勒菩薩とは限らない。平安時代になると、塔が弥勒菩薩の象徴とされるようになり、結跏趺坐し、定印を結ぶ手に小塔を置くなどの像が作られた。
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菩薩
「菩薩」の例文・使い方・用例・文例
- 彼の言葉を借りて言えば, 彼女は観音菩薩だ.
- 女というものはうわべは菩薩でも心は鬼だ
- 外面菩薩の如し内心夜叉の如し
- 外面菩薩の如く内心夜叉の如し
- ゴータマの死の5000年後に仏陀として現れるといわれている菩薩
- 男性の菩薩
- 女性の菩薩
- 仏や菩薩が手の指をいろいろに組み合わせた形
- 仏や菩薩の頭上からさしている光
- 仏や菩薩のさとりがあまねく通じ達していること
- 仏菩薩が衆生を救うためにいろいろに姿を変えて出現すること
- 仏菩薩がいろいろ姿を変え出現し衆生に利益を与えること
- 菩薩成仏の儀式として頭に水を注ぐこと
- 観世音菩薩に備わる衆生を救済する力
- 仏や菩薩
- 大慈悲の菩薩である聖観音
- 観世音菩薩という仏像
菩薩と同じ種類の言葉
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