おおすみ〔おほすみ〕
昭和45年(1970)2月に打ち上げられた日本初の人工衛星。東京大学宇宙航空研究所(後の宇宙科学研究所、現JAXA(ジャクサ))が開発。名称は鹿児島宇宙空間観測所の打ち上げ基地が大隅半島にあったことに由来する。4度の失敗を経て打ち上げに成功。日本は旧ソ連、米国、フランスに次いで4番目に人工衛星保有国になった。
おおすみ〔おほすみ〕【大隅】
艦艇(輸送艦「おおすみ」型)
【おおすみ】(おおすみ)
- LST-4001 Osumi(2代)
海上自衛隊初の大型輸送艦(ジェーン海軍年鑑では「ドック型揚陸艦」と記述されている)。
姉妹艦に「しもきた(LST-4002)」「くにさき(LST-4003)」がある。
それまで海自が保有していた「おおすみ(初代)」型・「あつみ」型・「みうら」型のように、直接海岸に乗り上げるタイプ(ビーチング式)の輸送艦と違い、船内に搭載したエアクッション型揚陸艇(LCAC)やヘリコプターを利用して人員・資材を陸揚げする艦として設計された。
そのため、航行速度を大幅に改善することができ、一方ではより多くの海岸部への資材・人員の揚陸が可能になり、運用の幅を大いに広げることができた。
(ビーチング式揚陸艦が接岸できる海岸は地球上の全海岸線の15%程度、と言われている)
基準排水量は8,900tであるが、これは先進諸国の持つ揚陸艦としては標準的なもので、ようやく実用に堪える揚陸艦を装備したといえる。
船内に作られた330名分の宿泊設備や医療設備は、災害派遣などにも非常に有用である。
一方で、ヘリコプターの発着が可能な全通甲板を持っている(このことで就役当時、メディアは「空母にも転用可能では?」と誤報していた)が、航空機の格納庫や整備機材を持っておらず、ヘリ運用能力はない。
揚陸作戦に必要な指揮管制や通信の能力、人員も貧弱で、何より肝心のLCACが敵前上陸を前提に作られていないため、ジェーン年鑑の記述どおり「ドック型揚陸艦」とみるのが適切であろう。
全通甲板は物資の搭載やヘリコプターの発着を容易にするが、船体の設計の自由を多少奪ってしまうため、先進諸国が保有する同規模の揚陸艦に比べた場合、搭載能力がやや小さくなってしまったが、同艦が画期的な艦であることに変わりはない。
現在は上記の同型艦3隻で第1輸送隊(護衛艦隊直轄)を編成している。
【スペックデータ】
排水量
(基準/満載)8,900t/14,000t 全長 178m 全幅 25.8m 深さ 17.0m 喫水 6.0m 機関 三井 16V42M-Aディーゼルエンジン(27,000hp)×2基2軸推進 最大速力 22kt 乗員 135名 兵装 高性能20mm機関砲(CIWS)×2基 レーダー OPS-14C 対空レーダー
OPS-28D 水上レーダー
OPS-20 航海レーダー電子戦・対抗手段 Mk 36 SRBOCチャフ発射装置×4基 輸送能力 1号型エアクッション艇×2隻
普通科3個中隊330人
90式戦車×10輌または74式戦車×12輌
【同型艦】艦番号 艦名 主造船所 起工 進水 就役 所属艦隊 母港 LST-4001 おおすみ 三井造船
玉野営業所1995.12.6 1996.11.18 1998.3.11 第1輸送隊
(護衛艦隊直轄)呉 LST-4002 しもきた 三井造船
玉野営業所1999.11.30 2000.11.29 2002.3.12 第1輸送隊
(護衛艦隊直轄)呉 LST-4003 くにさき 日立造船
舞鶴工場2000.9.7 2001.12.13 2003.2.26 第1輸送隊
(護衛艦隊直轄)呉 - LST-4001 Osumi(初代)
1960年代、アメリカ海軍から貸与されたLST(戦車揚陸艦)。
米軍時代の艦名は「ダゲット・カウンティ(LST-689)」。
同時期に貸与された「しもきた(初代・米軍旧名"ヒルズデール・カウンティ")」及び「しれとこ(米軍旧名"ナンスモンド・カウンティ")」と共に第1輸送隊を編成、1965年に起きた伊豆大島大火の救援活動や1972年の沖縄諸島返還に伴う日銀から沖縄への日本円現金輸送などの重要任務で活躍した。
1974年、国産輸送艦の「あつみ」型就役に伴って自衛艦籍を抹消、アメリカへ返還後、スクラップとして処分された。
- JCG Osumi(PLH-03)
海上保安庁・「つがる」型巡視船の2番船。1979年就役。
現在は第十管区鹿児島海上保安部に所属している。
【スペックデータ】
排水量
(総排水量/常備排水量)3,221t/4,037t 全長 105.4m 全幅 14.6m 深さ 8.0m 機関 ディーゼルエンジン(15,600hp)×2基・2軸推進 最大速力 23kt 乗員 71名 兵装 40mm機関砲×1基、20mm機関砲×1基 搭載機 ベル212×1機 - 試験用人工衛星「おおすみ」。
1970年2月、東京大学宇宙航空研究所が「L-4S」ロケット第5号機により打ち上げた日本初の人工衛星。
名前は、発射地のあった鹿児島県・大隅半島に由来している。
この成功により、日本はソ連(ロシア)・アメリカ・フランスに続く世界で4番目の人工衛星打ち上げ国となったが、これらの国が弾道ミサイル開発からのスピンオフとして人工衛星に発展したのに対し、日本は大学の研究機関の主導により、純然たる民生技術として開発に着手されたことに特徴がある。
打ち上げから14~15時間後、搭載された電池の消耗により電波発信が止まって運用終了。
その後、スペースデブリとして33年間衛星軌道上にあったが、JAXA統合前の2003年8月、北アフリカ上空(エジプト・リビアの国境付近)で大気圏に突入して消滅した。
【性能諸元】
【軌道要素】
関連:ペンシルロケット ミューロケット まいど1号
おおすみ
名称:おおすみ
小分類:技術開発・試験衛星
開発機関・会社:宇宙科学研究所(現 宇宙航空研究開発機構(JAXA))
運用機関・会社:宇宙科学研究所(現 宇宙航空研究開発機構(JAXA))
打ち上げ年月日:1970年2月11日
運用停止年月日:1970年2月12日
打ち上げ国名・機関:日本/宇宙科学研究所(現 宇宙航空研究開発機構(JAXA))
打ち上げロケット:L-4S
打ち上げ場所:鹿児島宇宙空間観測所(KSC)
国際表記番号:1970011A
おおすみは、人工衛星打ち上げ技術の習得と衛星についての工学的試験を目的として打ち上げられた日本初の人工衛星です。「おおすみ」の名前は打ち上げた鹿児島宇宙空間観測所のある大隅半島にちなんでつけられました。
このおおすみの打ち上げ成功で、日本はソ連、アメリカ、フランスに次いで独力で衛星を打ち上げた国になりました。
おおすみは重力ターン方式で打ち上げられました。重力ターン方式とは、打ち上げたロケットが最終段階で地球の重力で落ち始める直前、すなわち地球の表面との速度が0になります。このとき地表に向かって水平にロケットを点火すると、ロケットは地面と平行に飛行するようになります。これによって人工衛星を円軌道に乗せる方法です。
この方法をとった背景には誘導制御装置を装備したロケットのミサイル転用への不安が世論にあったためです。
1.どんな形をして、どんな性能を持っているの?
アイスクリームをさかさまにしたような形をしています。重量は24kgです。
2.どんな目的に使用されるの?
おおすみは、人工衛星打上げ技術の習得と衛星についての工学的試験を目的として打ち上げられました。
3.宇宙でどんなことをし、今はどうなっているの?
日本初の人工衛星として軌道に乗ったのち、種々のデータを送りました。化学電池のみのため数日の寿命と考えられていましたが、燃焼熱がたまり、予想以上に電池の温度が上昇したため、推定15時間ほどで寿命がつきました。
その後も「おおすみ」は地球を回り続けてきましたが、2003年8月2日、アフリカ上空で大気圏に突入し燃えつきました。
大
姓 | 読み方 |
---|---|
大 | おおすみ |
おおすみ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/25 17:51 UTC 版)
おおすみ | |
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銀色の円錐台部分が本体で、「黒い球体」と竜頭状の部分(ノズル)はロケットの最終段である。 | |
所属 | 日本 |
主製造業者 | 日本電気 |
国際標識番号 | 1970-011A |
カタログ番号 | 04330 |
状態 | 運用終了 |
目的 | 技術試験 |
打上げ場所 | 鹿児島宇宙空間観測所 |
打上げ機 | L-4Sロケット5号機 |
打上げ日時 | 1970年2月11日 13時25分(JST) |
通信途絶日 | 1970年2月12日 |
消滅日時 | 2003年8月2日 |
物理的特長 | |
最大寸法 | 長さ: 100cm 太さ: 48cm |
質量 | 23.8kg |
発生電力 | 10.3W |
軌道要素 | |
軌道 | 楕円軌道 |
近点高度 (hp) | 350km |
遠点高度 (ha) | 5140km |
軌道傾斜角 (i) | 31度 |
軌道周期 (P) | 145分 |
搭載機器 | |
加速度計 | 加速度を測定 |
温度計 | 温度を測定 |
おおすみは、1970年2月11日に東京大学宇宙航空研究所(後の宇宙科学研究所)が鹿児島宇宙空間観測所からL-4Sロケット5号機により打ち上げた日本最初の人工衛星である。名称は打ち上げ基地があった大隅半島に由来する。開発・製造は日本電気が担当した。
概要
1966年から観測用ロケットL-3H型に補助ブースターと姿勢制御装置、第4段球形ロケットを追加したL-4Sロケットで打ち上げ実験を開始し、1969年に打ち上げられたL-4T型(L-4Sとほぼ同型であるが、第4段の能力を減じているため、衛星打ち上げ手法の確認は出来ても、軌道投入能力はない)1機の打ち上げを含めた、計5回の試行錯誤の後での打ち上げ成功だった。
その結果、日本はソビエト連邦(当時)、アメリカ合衆国、フランスに次いで世界で4番目の人工衛星打上げ国となった[1][2]。参考までに、その2ヵ月後に中華人民共和国は東方紅1号の打ち上げに成功している。ただ、中国を含め、多くの国は弾道ミサイル開発の副産物として人工衛星打ち上げ技術を習得したのに対して[注 1]、日本は大学の付属研究所が純粋な民生技術として研究を行い、非軍事目的での人工衛星開発に成功し、なおかつ日本国内では直接的な軍事技術への転用も行われなかった[注 2]という点で、国際的に特異性を持っている。
L-4Sロケット
「おおすみ」はL-4Sロケットの最終段そのものであり、また衛星の目的も衛星打上げロケットの技術開発である。おおすみを語るうえでL-4Sロケットは文字通り切っても切り離せない関係にあるため、まずロケット側の背景から述べる。
L-4Sロケットは誘導制御装置が付いていない、世界初の無誘導衛星打ち上げロケットであった。これは決して開発能力が無かったわけではなく、誘導装置はミサイル開発に繋がる軍事技術への転用が可能であるという指摘が野党の日本社会党等から上がり、開発の着手時期が大幅に遅れたためである[5][6][7]。
もちろん、単に真っ直ぐロケットを打ち上げても地球周回軌道には乗らないため、何らかの方法で機体を制御し、地表に対して水平に向きを変えなくては、衛星を軌道に投入できない。この代替策として無誘導方式(重力ターン方式#無誘導重力ターン)で軌道に投げ込む方法を取ることとなった。これは以下のように手の込んだ打ち上げ方式である。
- 第1段と第2段は尾翼による空力的効果で、第2段と第3段はスピンモーターにより機体をスピンさせて安定を保つ。
- 第3段燃焼終了・分離後、第3段が第4段に衝突しないように、第3段はレトロモーターで飛翔経路を後落させる[注 3]。
- 第4段はデスピンモータでスピンを停止、姿勢制御装置で第4段を水平姿勢に制御する[注 4]。
- 水平姿勢に制御した後、リスピンモーターでスピンを再び掛けて、放物線の頂点で第4段の燃焼を開始する。
「無誘導重力ターン方式」での「手の込んだ」一例を上げると、デスピンモーターがある。一旦点火をすると燃焼を中断できない固体ロケットによって、ロケット本体のスピンを停めるため、デスピンモーターはスピン方向と反スピン方向の両方にノズルを持っている。デスピンモーターは、燃焼直後には反スピン方向のノズルのみに燃焼経路を開きスピン停止の為の噴射を行うが、スピン停止を検知するとスピン方向のノズルにも燃焼経路を開き、相対推力を零にする。この技術は、後の宇宙研衛星打ち上げロケットに採用されるロール制御モーター「SMRC」に結実する。
おおすみ
「おおすみ」は、L-4Sロケットの最上段(4段目)である直径48 cmの球形固体モーター(ロケットエンジン)に円錐台状の計器部を付けたもので、全長約1 m、質量は4段目(燃焼後質量)の14.9 kgと計器部8.9 kgを合わせた23.8 kgの小さな人工衛星である。計器部には軸方向の加速度計、温度計、テレメータ送信機(295.6 MHz)、ビーコン送信機(136 MHz帯)、パイロット信号送信機(296.7 MHz)などを搭載していた。電源は容量5 AHの酸化銀と亜鉛を電極とした一次電池で、設計寿命は電池容量から約30時間であった。
目標とされた軌道は、遠地点2900 km、近地点530 kmであった。しかし、第1段が風で流された事と第4段の推力が過剰であったため、実際に投入された軌道は、遠地点5151 km、近地点337 kmの楕円軌道であった。また、ロケットモーターとの断熱が不充分であり、機体が予想よりも高温となったために電池の消耗が激しく、約15時間ほどで電力供給が途絶えた。そのため、衛星からの電波の発信も終了した。おおすみの電波運用は打ち切られたが、その後も光学観測により存在が確認されていた。
打上げ後、約33年間地球周回軌道上にあったものの、地球の上層大気の抵抗での減速によって次第に高度が低下し、JAXA統合を10月に控えた2003年8月2日午前5時45分に、北緯30.3度、東経25.0度(エジプト・リビアの国境付近)上空にて大気圏に再突入によって燃え尽きた。
脚注
注釈
- ^ 日本のロケットも開発当初は朝鮮戦争の兵器用に作られた推進剤や、戦時中に開発されていたミサイル兵器「桜花」や「重噴進弾」の推進剤の圧伸機を転用しており、これらの推進剤の規格(サイズ)に合わせてペンシル、ベビー、カッパロケットが開発されたという経緯がある[3]。ただし推進剤もしくはその製造機材を流用したのみで、ロケット本体は新規に開発された技術である。
- ^ 後年になってインドも民生技術による人工衛星の打ち上げを達成しているが、こちらは後にミサイルへ転用されている[4]。ただし開発後の軍事転用の有無を問うのであれば、日本のロケット技術も日本国外では軍事転用されている。
- ^ この時、第3段と第4段は慣性飛行を行っているので、そのままだと第3段の残留推力で第3段が第4段に衝突する。
- ^ この時、ロケットは燃焼していないので「誘導」ではなく「姿勢制御」である。
出典
- ^ 国産衛星 反響さまざま「純国産がうれしい」「ただ国威発揚だけ」『朝日新聞』1970年(昭和45年)2月12日夕刊 3版 10面
- ^ 日の丸衛星“おおすみ”地球を回る 世界第四の人工衛星国に 6周まで確認 電波弱まり追跡中止『読売新聞』1970年(昭和45年)2月12日夕刊 1面
- ^ 野本陽代「日本のロケット」NHK BOOKS (1993)、p72
- ^ 坂本明「最強 世界のミサイル・ロケット兵器図鑑」(2015)、p188[1]
- ^ 1960年4月14日第34回参議院内閣委員会第19号 社会党の矢嶋三義がロケット研究の軍事転用の可能性について懸念を表明
- ^ 1961年4月18日第38回衆議院科学技術振興対策特別委員会第11号 糸川英夫がラムダへ誘導装置を搭載することを示唆
- ^ 1965年2月17日第48回衆議院科学技術振興対策特別委員会第5号 社会党の田中武夫からラムダのIRBM転用可能性について質問
参考文献
- 人工衛星「おおすみ」 JAXA - 宇宙科学研究本部
- NSSDC Master Catalog: Ohsumi NASA - NSSDC
関連項目
外部リンク
- 日本最初の人工衛星「おおすみ」の大気圏突入
- 国立科学博物館 屋外展示 (おおすみの打ち上げに(にも)使われたラムダ用ランチャが展示されている。横を通過するJR線の車内からも一瞬見える)
- 日本初の人工衛星「おおすみ」 - NHK放送史
おおすみ
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