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葬式ご難時代

kage

2007/08/22 (Wed)

 葬儀は業者と導師の言いなりで苦慮するのは当然だが、親の葬儀すらできなくなる時代が見え隠れする今日此頃のようだ。理由の多くは経済的な事情による。まず、葬儀を司る導師のお布施が高騰したこと。そして便利との理由で葬儀屋にお任せすることが社会的な常識になっていることだ。
 老正の範疇でのことだが、知人が永年糖尿病で患ったあげくに死去した。病院から自宅に搬送安置し、坊さんの枕経をと待機しているところにやってきた坊さんの開口一番「伴僧はひとり85000円、おれは50万円な」こともあろうに枕経もあげないうちの発言である。葬儀屋は葬儀屋で葬儀の段取りから檀払いの話まで執拗に喪主となる未亡人に語りかけている。あえて言うが枕経を後回ししてである。商売熱心とはいえ場合を考慮する必要があるだろうと老生には人ごとながら耐えきれないものがあった。
結婚式と違って葬儀には準備する過程という間がない。したがって、互助精神によって近所の方々のお手伝いで無事済ましたのが葬儀である。と、聞いてきた。 ところが結婚式も派手になったが、葬儀もまたしめやかではあるが、業者の出現によって派手さが増してきたようだ。
弔問客の中には「忌中法要から壇払いまで呼ばれた」と言って故人との関係の密度を自慢気にする人たちも現れはじめている。忌中法要は別だとしても「檀払い」は葬儀中お手伝い頂いた近所(隣組)の人たちの労に感謝の意をこめて馳走する行事であろう。 「一般回葬」「忌中法要」「檀払い」の各行事に参加することが故人または喪主との付き合いの密度であると考えること自体が滑稽だと老生は思っている。
余計なことだったが、すでに送付済の100余名にも及ぶ檀払い予定者を削減するのに一役買ったが、結果は老生の処置は最悪の憎まれ役となった。しかし残された未亡人家族に膨大な経済的負担をかけないことと、檀払い本来の形を達成できたことで喪主および家族親族縁者が費用の面で胸を撫で下ろすことになった。
 また、故人の意志によって「密葬」を執り行ったことがあった。菊花の献花と多少の会食で済ませる予定だったが、老生は献花する場を考え「月光の曲」を流し雰囲気を整えることに腐心して弔問客の賛辞をえた。
 現在、知人家族から葬儀の相談を得ている。主な相談は「お布施」と葬儀屋の選択とである。
末期だとはいえ生存中に葬儀のことを考えるよりは手厚い看護をと葬儀屋は当たり前のように言うが、喪主および家族にとって葬儀一切にようする経済負担を知っておく必要があるのだろう。
 派手な葬儀を希望する家族には老生の助言は不要であろう。が、言えることは米沢市内の葬儀を司る導師のお布施などの費用には理不尽なものを感じているのは老生だけであろうか。
南陽市のある場所では檀家がお布施を定めているのだと聞く。段式はあるにしても一般的には導師のお布施は5万円が相場だという。適確なお布施であろうと思った。50万円が相場だとする米沢市内のお布施であれば早晩、葬儀自体が負担となって新たな形の葬儀形式が生まれてくるのではあるまいか。
かくゆう老生は導師の関わりを断った「密葬」を考えている。ひっそりと母から受けた生である。
だれにも迷惑を掛けない終焉をと願っている次第だ。

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kage


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