国民の判断に重大な影響を与えるマスメディアの情報が、政治権力によってコントロールされることの危険を、私たちは十分に認識しなければならない。真理を追求する者にとって最後の拠りどころがネットでの情報発信であるが、インターネットの世界にも情報操作、言論弾圧の魔手が忍び寄ってきていることを私たちは認識しなければならない。
6月5日付記事「支援くださっているみなさま」に記述した「貞子ちゃんの連れ連れ日記」が、突然、見当違いの私に対する中傷記事を掲載したので、コメントを簡略に記述する。
ブログのプロフィール欄を読んで一瞬にして謎は解けた。プロフィールによると、ブログ執筆者は藤井まり子氏で、2008年5月から金融経済専門誌であるフィナンシャルジャパンの請負ライターになったとのことだ。藤井氏によると「フィナンシャルジャパンは日本一の経済金融専門誌です。この5月から、第一志望の金融誌で働けるようになって、まさに天にも昇る気分です!」なのだそうだ。
フィナンシャルジャパンは、私が拙著『知られざる真実-勾留地にて-』に詳しく記述している元日銀職員の木村剛氏が発行する雑誌である。フィナンシャルジャパンが日本一の経済金融専門誌であるとの声を私は寡聞にして聞いたことがない。フィナンシャルジャパンは、創刊号の表紙に木村氏と竹中平蔵氏、福井俊彦氏3名の写真が掲載されたことで、国会でも大きな問題として取り扱われた、いわくつきの雑誌である。
藤井氏はせっかく得た仕事を失わないように、急きょ私を攻撃する記事を掲載されたのか、元々、私をおびき寄せるために痴漢冤罪の記事を執筆されたのではないかと推察する。確かめようがないからそのことには深入りしない。
これだけ記述すれば、補足する必要はないが、木村剛氏をご存じない方が多いと思うので若干補足する。2003年のりそな銀行処理に際して、2003年5月14日まで、りそな銀行の破たん処理を強硬に主張していたのが木村剛氏である。ところが、5月17日のりそな処理には預金保険法102条第1項第1号措置が適用され、りそな銀行は税金により救済された。
第3号措置を強硬に主張していた木村氏は政府決定に対する最大の攻撃者にならなければおかしかった。しかし、木村氏は手の平を返し、政府決定を全面的に擁護した。私はテレビ番組で何度も木村氏と全面対決した。竹中金融相(当時)の裏側で活動していたのが木村氏だった。
詳細については、拙著『知られざる真実-勾留地にて-』第1章「偽装」第7節「摘発される人・されない人」、第8節「りそな銀実質国有化」(39-45ページ)、第15節「標的にされたりそな銀」、第16節「1・3・5の秘密」、第17節「小泉・竹中経済政策の破綻」、第18節「巨大国家犯罪疑惑」、第19節「「りそな銀」処理の闇」、第20節「求められる事実検証」(70-89ページ)に記述しているので、藤井氏の批判が妥当であるか否かをぜひ読者ご自身の目で確かめていただきたいと思う。藤井氏は拙著を多くの読者に読ませたくないと考えられたのだと思うが、このような記事を掲載していただいたお陰で、2003年のりそな銀行処理についての記述をより多くの方に読んでいただくことにつながれば幸いである。
ブログ世界も清濁併せ持つ世界であることを改めて痛感させられた。「貞子ちゃんの連れ連れ日記」は人気のあるブログかも知れないが、「素晴らしい」と表現した記述は撤回させていただく。このような方がアルファブロガーに名を連ねるのは、本当の優良ブロガーの方には迷惑なことだと思う。
藤井氏の書評に細かな反論はしないが、拙著の評価はそれぞれの読者がされるもので、私は評価の対象者でしかない。アマゾンには読者のレビューが多数掲載されているので、まだお読みいただいていない方には、そのレビューを参照いただきたい。アマゾン・レビューのなかにも、明確な悪意で書かれている書評も存在するので、藤井氏のような書評が発生しても、特定の目的があって書かれたのだと理解するから私が驚くことはない。
記事における私への中傷に細かく反論しないが、看過できない指摘が3点あるので、指摘が間違っていることを簡単に示しておく。
第1は「インフレターゲット理論を駆使できない」など、私のこれまでの著作に目を通すことさえしていない指摘についてである。
私は1986年以降、短期金融市場の金融調節についての論考を数多く提示してきている。1987年に「金融調節のメカニズム-科学的考察-」(植田和男東大教授との共同論文、『現代経済学研究』東京大学出版会所収)、1988年に「最近の金融政策-その影響と評価-」(植田和男氏との共同論文、『パースペクティブ日本経済』筑摩書房所収)を発表し、2001年9月に上梓した『現代日本経済政策論』(岩波書店、第23回石橋湛山賞受賞)にも第4章「金融政策の論点」(117-147ページ)にインフレターゲット理論を含めて詳述している。藤井氏がこれらの文献に当たることもなく、中傷記事を記述したことは明らかである。
第2は、金融問題処理に関する私の主張についての、藤井氏の記述が事実にまったく反していることだ。
藤井氏も認めているように、公的資金投入を含む不良債権問題の抜本処理の重要性を私は、日本で最も早い1900年代初頭から訴え続けてきた。そして、その主張はその後も完全に終始一貫している。
前掲の『現代日本経済政策論』では、第10章「金融問題への対応」(237-272ページ)に不良債権問題への対応策を詳述している。
詳細は原典にあたっていただきたいが、骨子として、経済の回復を誘導しつつ、責任の明確化と厳正な責任処理を前提とした不良債権の早期処理を主張している。
私が2001年から2003年にかけての小泉政権の問題解決手法に強く反対したのは、経済悪化を誘導する下での不良債権処理は不可能であるとの洞察に基づいていた。結局、この洞察は正しかったことが証明された。政府は自己責任原則を破棄する「りそな銀行救済」でしか、事態を打開できなかったのだ。
前掲拙著には、筆者が発表してきた著作のなかから40本以上の論文等を参考文献として巻末に掲示した。関心のある方は参考文献を参照いただきたい。藤井氏がこれらの文献にまったく目を通していないことは明らかである。
第3は、私が弱者保護を最近になって主張し始めたとの虚偽の情報が記述されているので、反論しておく。また、私は藤井氏が指摘するような市場メカニズム否定論者でもない。私は世界の大競争が激化する延長上に、所得格差が重大な問題になることを最も早くに指摘し、市場メカニズムの重要性を指摘しつつ「市場の失敗」の問題にも焦点を当ててきた。
1999年に上梓した『日本の総決算』(講談社)には、Ⅳ.勝者と敗者、第6節「リエンジニアリングの光と影」(168-175ページ)に先進国経済が労働費用の削減に進む結果、所得格差の急激な拡大という深刻な影を生み出すことを指摘している。
「弱者」については同書のⅥ平成ニューディール、第2章「没落からの再生」第4節「政治の地殻変動」(278-287ページ)にマーケットメカニズムの重要性を記述し、その末尾に弱者について記述した。以下引用する。
「われわれは弱者と敗者を分けなければならない。自由主義経済においては当然のことながら、勝者と敗者が生まれる。結果における不平等も生まれる。この結果における不平等をある程度容認することで経済の活力が生まれていく面もある。結果における著しい不平等は是正する必要があるが、ある程度の結果における不平等はそれを容認することが競争へのよいインセンティブとなることも忘れてならない。
これと明確に区別しなければならないのが弱者保護である。ハンディキャップを負っている人に社会はやさしくなければならない。社会の強さをはかる尺度のひとつは、真の意味で社会が弱者にいかにやさしいかに置かれる。
日本の社会経済システムは、真の弱者に必ずしもやさしい構造とはなっていない。真の弱者は例外なくマイノリティーである。政治的パワーも経済的パワーも備えていない。
政治家がこうした人々の味方になっても見返りは大きくない。そのために、政治家が弱者保護に無関心となり、社会全体として弱者に対する施策が不十分となるのなら。その社会はきわめて冷酷な社会と言わざるを得ない。
政治的パワーも経済的パワーもない弱い人々に社会全体がしっかり手を差し伸べる社会こそ強い社会である。誰もがいつ弱者に転じるか知れないことを忘れてならない。」(287ページ)
また、2003年6月に社会民主党党首の福島瑞穂議員が出版された『福島瑞穂のいま会いたい いま話をしたい』(明石書店)の対談17(215-226ページ)に私が登場している。このなかで福島氏は、私がなぜ「弱者」や「痛み」の問題を重視しているかについて質問された。そのなかで私は次のように答えている。
「世の中をよくするというのは、ある程度豊かな人がそれほど豊かでない人のことを考えて初めて調和が取れると思うんですね。と言うことは、ある程度豊かな人がむしろ自分の利益追求を少し抑えて全体に利益をまわすようにしないと、よくないかなという発想があるんですよね。
私は努力を否定するわけではないですが、確かに頑張った人が報われる社会というのも世の中の仕組みとして大事ですが、現実にはむしろ頑張った、頑張らないということよりも、生まれながらに神から与えられたというような、恵まれている、恵まれていないということの方が、格差は大きいんですよね。
頑張った、頑張らないもそれは重要だからモラルハザードは起こさないようにしなければいけないんですけど、恵まれている人が、恵まれていることを頑張ったに置きかえちゃうと非常に危険だと思うんですね。
たまたま自分はいろんな意味で運がよかったからいい思いをしてるのを、自分が頑張ったからだと勘違いすると、非常に冷たい社会になると思うんですよね。」(224ページ)
「神州の泉」主宰者の高橋博彦氏が最近発表された「『後期高齢者医療制度』に怒る」にも、高橋氏の私の思想、哲学に対する深い理解が示されている。同氏の主張には共鳴するところが多く、ぜひ多くの人に熟読していただきたく思う。
私の弱者重視の主張が最近始まったのでないことを、多くの識者は十分に知ってくれている。ブログの世界にもさまざまな弾圧勢力がいることを改めて認識したが、真実は最後には必ず勝利するものと私は信じる。今後も多くの心ある人々と力を合わせてゆきたいと思う。
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