2010年6月15日 (火)

悪魔の予言者 副島隆彦

人にとって希望は大切なモノだ。つらく苦しく難しい人生に、一筋の光を与えてくれるのが希望だ。希望があるからこそ、人は絶望しないで生きていける事が出来る。

愚かな人類はパンドラの箱を開け、数多くの災厄が世に出てきた。人類は不幸な人生を背負う運命となった。それでも人類が絶望しないで生きていける事が出来るのは、希望があるからだ。

そんな人類にとって儚く大切な希望を打ち砕くのが、悪魔の予言者・副島隆彦である。

悪魔の予言者・副島隆彦は嫌な人間である。嫌な人間どころではない。悪魔だ。副島隆彦は悪魔そのものだ。

希望で彩られた人生をせせら笑うかのように現実を突きつけ、つらく苦しく難しい人生へと誘う。

人は見たくないのだ!つらく苦しく難しい人生など誰も見たくないのだ!

それでも希望にすがりつく人間たちを、悪魔の予言者・副島隆彦は甘い香りがする言葉で人を惹きつける。「これが真実だ。これこそが真実だ」と。

人は認めたくないのだ!つらく苦しく難しい人生が真実だとは認めたくないのだ!

希望こそが人類にとっての真実なのだ!だからこれ以上、我々の希望を壊さないでくれ!

悪魔の予言者・副島隆彦は笑いながら言う。「その希望は本当に真実なのかね?もしかしてゼウスがパンドラの箱に入れたのは偽りの希望ではないのかね?希望という名前に騙されているだけではないのかね?」と。

人が見たくもない本当の真実を突きつけてくる。本当に嫌な人間だ。嫌な人間どころではない。悪魔だ。副島隆彦は悪魔そのものだ。

だが、偽りの希望を失い絶望の淵にいるにもかかわらず、なぜか一筋の光が見える。

ああ、そうか。絶望の淵に立って初めて、真実の希望は見えるのか。つらく苦しく難しい人生だが、真実の希望だけは絶望の淵にあるのか。

副島隆彦は嫌な人間だ。嫌な人間どころではない。悪魔だ。副島隆彦は悪魔そのものだ。だが彼は予言者でもある。真実の希望を灯す悪魔の予言者なのだ。

2010年6月12日 (土)

小沢氏の優れた政治能力が民主党内で権力争いが起きた原因の一つだと思う

極めて不愉快な権力争いが民主党で起きた。小沢派VS反小沢派の争いである。

民主党はいつか権力争いが起こるだろうとは考えていたが、政権を取ってたかが1年以内で党内に権力争いが起きた。いくらなんでも早すぎではないか?しかも参院選前なのにもかかわらず。

というわけで今回の記事は、民主党内における早すぎる権力争いが起きた原因を分析する。

まず、どのような共同体であれ、内部分裂する時は、大きく2つの原因がある。

一つは外部の敵失である。共同体の外に強力な敵がいれば内部は結束する。しかし共同体の外に敵がいなくなれば、人間は愚かな生き物だから安心して内部で敵を作り地位と権力を争いあう。地位と権力をめぐって対立するのが愚かな人間の業と性だ。

つまり強力な野党の不在が今回の内部分裂の原因の一つだと私は考える。

敵失という観点から今回の内部分裂、権力争い、反小沢派のクーデターで理解したことがある。自民党は死んだのだ。小沢によって殺された。さすが小沢だ。もちろん揚げ足取りしかできない官僚まかせだった自民党自体の政治能力の低さもある。

しかし小沢は2大政党制を夢見た政治家でもある。信念と政策を持った政治家たちによる、強力な与党と強力な野党による激しい議論ができる2大政党制を夢見た政治家である。

しかしながら、現実に政権交代によって日本にできた体制は、官僚を使いこなせない未熟な与党と、矛盾を突いて政治生命を絶つ程のエグイ議論ができない未熟な野党の多党政党制だった。

長年与党を務めた自民党が野党に転じた時、小沢派や民主党よりのネットの論調は、勝った勝ったと浮かれていた。そして野党・自民党の揚げ足取りしかできない論調に対して、卑劣で愚かで、しかもブーメランの自爆炸裂としか認識していなかった。

失われた20年を自覚している人間にとって、自民党は嫌悪すべきと反射的なアレルギーを持っていたと思う。また、卑劣で愚かでブーメランの自爆しかしない自民党を心底馬鹿にしていたと思う。しかしその態度自体が間違いであったと、私は深く反省している。

健全で強力な与党を目指すならば、健全で強力な野党が必要だったのだ。それが小沢が夢見た2大政党制ではなかったのか?野党を愚かだと心底馬鹿にし、健全で強力な野党を育てることをしなかった有権者に、小沢派と名乗る資格があるのだろうか?

強力な野党を失った民主党が安心して内部分裂するのは自然の流れだと思う。そして小沢がなぜ「時間があれば保守政党も作り上げたかった」というようなことを言ったのか、もう一度深く考えるべきだと思う。

小沢は1~9(過程)までを言わず、10(結論)しか言わない人間だと言う。10(結論)である2大政党制を小沢は国民に提示した。10(結論)を実現するための1~9(過程)までは国民自身が考え実行しなければならない。

次に、共同体が内部分裂する時の大きな原因のもう一つを分析する。

敵失以外で共同体が内部分裂する時は、外部からの分断工作である。ネットの論調を見ると、アメリカの扇動による反小沢派のクーデターという見方が大勢のようだ。おそらくその通りなのだろう。私もそのように考える。

しかし、理解できないことが一つだけあった。なぜ政治家にとって大事な、とっても大事な参院選前なのにもかかわらず、反小沢派によるクーデターが起きたのかだろうか?反小沢派がクーデターを起こすタイミングは参院選前しかなかったのだろうか?参院選後の代表選の9月ではタイミングが悪かったのだろうか?

反小沢派が参院選前にクーデターを起こした理由は2つあると私は考える。

郵政法案や公務員制度改革法案などの国民にとって大切な法案を廃案にするために、参院選前にクーデターを起こしたことが一つ。これはネットの論調でも語られているし、実際に廃案になった。

反小沢派が参院選前にクーデターを起こしたもう一つの理由は、参院選そのものを反小沢派が支配することだ、そのように私は考える。

小沢派のネットの論調を見ると、参院選勝利後の9月の代表選に復讐を決め込んでいるようだが、反小沢派も9月の代表選が天王山だと当然分かっていることだろう。

それでは反小沢派の9月に向けての戦略は何であろうか?

簡単である。議会制民主政体(民主主義)にとって数が力であるなら、参院選までに小沢派の政治家を抱きこむことと、抱き込まれることを拒否した小沢派の政治家を参院選で落とすことだ。

だからこそ、参院選前に反小沢派はクーデターを起こしたのであろう。小沢派が多数当選した参院選後には論理的にクーデターすらできない。私はそのように考える。

参院選に勝つために売国奴のふりを管政権はしているという、敵を欺くには味方から論がありますが、自分自身が実は騙されてないかを注意深く考えてみなければならないと思います。

アメリカ帝国と売国派は我々よりも狡賢い。敵を決して馬鹿と考えてはならない。敵を馬鹿と考えた時から負けは始まるのですから。

小沢派にとって参院選は恐ろしい事態になると思います。覚悟して自分の一票を投じましょう。

2010年6月 3日 (木)

ユナイト ~支配者と戦うための思想~

ブログのタイトルであり、私の思想の中心が「ユナイト(unite)」です。

帝国や支配者は「分断して支配する」ことを得意とします。本来なら、敵であるはずの帝国や支配者に敵意を向けるのが民衆です。圧政を強いられ毎日苦しい生活をさせられていますから当然です。

しかし、帝国や支配者は「分断して支配する」という長年の知恵にのっとり、民衆を情報操作で分断し、帝国や支配者への敵意を仲間である民衆にそらし、民衆同士で互いに争わせ、それを上手に上から支配します。

民衆は帝国や支配者より知恵が足らないので、文明が誕生して以来ずっと分断され支配されてきました。

それでは、敵である帝国や支配者に立ち向かうためには、民衆はどうすればよいのでしょうか?

それが「ユナイト(unite)」という思想です。「ユナイト(unite)」とは、団結、連帯、同盟、結合、つまり手を結ぶということです。

敵である帝国や支配者が「分断して支配する」ことをしてくるのなら、その逆の「団結し抵抗する」しかないのです。

民衆は帝国や支配者より知恵が足りません。だからずっと長年支配されてきました。だけどそろそろ簡単に支配されることをやめませんか?

それぞれ色々な立場があるかもしれません。だけど支配されている者という大きな立場で立てば、みな同じ仲間です。仲間を信じて、互いの手を取り合って、団結し、連帯し、同盟し、「ユナイト」することが、苦しい生活から逃れられる初めの一歩となるでしょう。

今現在、民主党の鳩山首相と小沢幹事長が辞任しました。そして帝国や支配者は情報工作しています。ネットの中でも情報が混乱し、混乱した情報を元に民衆は分断されています。

しかし敵は誰であり、味方は誰か、それを見失ってはならないと思います。

私は鳩山氏も小沢氏も民衆の味方だと考えています。彼らが推薦する人物を庶民の味方と判断します。

もう帝国や支配者に分断され支配されることをやめませんか?仲間同士争って、仲間を裏切るのはやめませんか?インターネットで優れた情報を瞬時に共有し、同じ仲間である民衆と手を取り合って団結し抵抗しませんか?

多くの庶民に「ユナイト(unite)」という思想が理解されることを望みます。

2010年6月 2日 (水)

田中真紀子に期待

田中真紀子が代表戦に出馬するか分からないが、もし出馬するなら全面的に応援する。

自主独立派の柱の1人である田中眞紀子は、日本独立を目指した英雄・田中角栄の子孫だ。

田中眞紀子も日本の闇を全て知っている。アメリカの手の内も知っている。鳩山が民主党内にいる官僚派・売国派の政治家を炙り出した。その功績の上で田中眞紀子に鳩山の「弔い合戦」に出て欲しい。

今こそ自主独立派の英雄・田中角栄をアメリカ帝国に殺された怨念を彼女と共に晴らそうではないか。

鳩山首相辞任 ~許されざる者たちへ~

鳩山と小沢を尊敬する。心の底から尊敬する。権力欲に溺れなかった鳩山と小沢を心の底から尊敬する。

鳩山と小沢が偉大なのは、属国路線で駐留基地問題を決めると国民の反発をうけ辞任するしかない、と日本の政治に釘をさしたことだ。

これで次からの日本の首相は属国路線で駐留基地問題で政策を決めることができない。

日本の敵は、暴君アメリカ帝国であり、外圧派・売国派の政治家・官僚・マスメディア・言論人・学者・工作員だ。

国を商品として売って利益を出す合理主義の自己保身を重視する愚か者たちだ。外国の利益を優先するかわりに金と地位を手に入れる愚か者たちだ。

自主独立派の柱の1人・鳩山は暴君と愚か者たちに殺された。国民を愛する者たちは暴君と裏切り者たちを許してはならない。

権力は腐敗する

私は鳩山は辞任するべきだと思う。時期は小沢が決めるだろうが、鳩山は辞任するべきだ。

理由は簡単だ。鳩山は大多数の国民の信を失った。この事実から、鳩山は辞任するべきだと考える。

それでもなお、鳩山が国民の信を取り戻すがために首相の椅子にこだわるのなら、それは私的な感情であり、それは権力欲でしかないと思う。

私はアメリカ帝国の圧力に負けたとはいえ、鳩山は普天間問題で頑張ったと考える。国民の心に自主独立の火をつけた、その功績は子孫に語るべきものだと思う。

それでも、大多数の国民の信を失った人間が国のトップに君臨することは、日本の政治文化の発達に良くないと考える。

もし鳩山が首相の座に君臨し続けるのなら、どのような思惑か誰にも分からないが、政治学の基本中の基本「権力は腐敗する」に従い、私は鳩山を権力欲に溺れた自主独立派の裏切り者だと認定するだろう。

待てるのは参院選後の数ヶ月までだ。

イエス・キモスト ~キモスト教の聖地へ巡礼~

ニコニコ動画のお気に入り♪

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1104006

笑ったら入信ですよ(^^)

民主主義と資本主義の矛盾 ~現代資本主義の限界~   またもやノーベル賞もらったぁぁぁぁ

まず、初めに、民主主義なんてコトバは、もう使うな。諸外国に恥ずかしいだろ。主義は英語でイズムだ。民主主義を英語でデモクラシーと訳すが、イズムがないだろ?それを何で民主「主義」と訳してんだ。英語学者は馬鹿か。

一応デモクラッティズムという英語があるが、凄い分厚い辞書でないと出てこない単語だ。しかもデモクラシーの本家イギリス人からクレイジーと言われたのがデモクラッティズムだ。

だから民主主義なんて馬鹿な単語はもう使うな。日本の学者全員が英語ができず、政治も分からず、制度と主義の違いも分からず、まともに考えることができないと思われるだけだろ?

デモクラシーの訳は民主政体だ。民主政治体制だ。これからは民主政体(民主主義)みたいに書いて、みんなでコトバを直していこうぜ。あと、タイトルには民主主義と書いたが、民主政体だと分からないと思ってとりあえず書いた。

話が長引いた。本題「民主政体と資本主義の矛盾」を書きます。

まず近代の定義から始める。近代とは憲法により保障された生命・身体・財産権を機軸に、政治体制としての民主政体と、経済体制としての資本主義経済体制のことである。また民主政体と資本主義経済体制は同じ性質であり、政治側から見た体制が民主政体であり、経済側から見た体制が資本主義経済体制である。

次に民主政体の定義を始める。まず民主政体の対立語は神主政体(神権政治・テオクラシー)である。神主政体とは神が民衆(共同体)の主権者(代表)を決める、という考え・制度である。

王権神授説がその代表であり、天からの命と考える中国の易姓革命も神主政体であり、天照大神の子孫という理由から天皇の権威があるのも神主政体である。民衆(共同体)の主権者(代表)を選ぶ権利(選挙権)は神が持つという考え・制度である。

それと対立するのが民主政体である。つまり神が民衆(共同体)の主権者(代表)を決めるのではなく、人間が民衆(共同体)の主権者(代表)を決める、という考えである。民衆(共同体)の主権者(代表)を選ぶ権利(選挙権)は人間が持つという考え、制度である。

民主政体とは、共同体の代表は共同体に属する人間に選ぶ権利があり、かつ選ぶ制度である。

次に資本主義経済体制の定義を始める。資本主義経済体制とは資本金を集め企業という共同体を作り、資本金を出した人間が企業という共同体の代表者を選ぶ制度である。もしくは企業の所有権を株式に変換することによって、株を持つ人間が企業という共同体の代表者を選ぶ制度である。

以上のように、民主政体も資本主義経済体制も共に、共同体の代表者を選ぶのは、共同体に属する人間が選ぶ制度なのである。

しかしながら、タイトル通り民主政体と資本主義経済体制は同じ考えなのにもかかわらず、矛盾するのである。その矛盾こそが、現代社会の大きな社会問題である「貧困と格差」を解決できずにいる原因なのである。

「貧困と格差」とは言い換えれば「資本の寡占・独占」である。なぜ現代の資本主義経済体制は「資本の寡占・独占」を進めるのだろうか?その原因は?

今現在、世界では「貧困と格差」の問題解決として、政治の力を借りて解決しようとしている。簡潔に書けば「税金」よる「所得再配分」である。しかしはっきり書くが、政治の力だけでは無駄である。「資本の寡占・独占」の勢いを止めることはできても、「資本の寡占・独占」への方向性までは止めることはできない。原因を除外していないのだから。

それでは資本主義経済体制が「資本の寡占・独占」へと進む原因を考察する。

まず同じ考え・制度である民主政体の歴史を見る。民主政体の根幹をなす「選挙権」は元々は一部の人間たちだけの権利であった。多額の税金を納めることができる市民(小金持ち・シチズン)より上の人間たちだけの権利であった。

それがなぜ特権であった「選挙権」が庶民(貧乏人)にまで持てるようになったのだろうか?その原因と理由は?

歴史を勉強した皆様でしたらご存知でしょうが、選挙権が共同体の一部分の特権階級が持つことによって、共同体の一部分でしかない特権階級のための共同体でしかなかったからだ。共同体の構成員である民衆(貧乏人)がゴミのように扱われたからだ。共同体の代表者が選挙権を持つ一部分の特権階級にしか、目を向けなかったからだ。

代表者を責めるのはナンセンスだ。代表者が特権階級しか目を向けないのは当たり前だから。選ぶのは選挙権を持つ特権階級なんだから。責めるのは選挙権を寡占・独占していた特権階級どもだ。

そして庶民(貧乏人)がゴミのように扱われたことが、共同体の多数の部分である民衆(貧乏人)に火をつけ怒り狂った。文字通り血を流すほどの不屈の政治闘争により、民衆(貧乏人)が共同体の代表を選ぶことができる選挙権を手にいれたのだ。それにより、共同体の一部分でしかない特権階級のための共同体が、共同体に属する全員のためのみんなの共同体へと変化していった。

もうお分かりだろう。私が考える資本主義経済体制が「資本の寡占・独占」へと進む原因とは、資本家・株主が企業という共同体の代表者を選ぶ権利を独占・寡占しているからだ。民主政体は代表者を選ぶ権利が共同体の構成員に共有される方向へ向かったのに対して、資本主義経済体制は代表者を選ぶ権利が共同体の一部に寡占・独占される方向へむかっている。そのことを持って「民主政体と資本主義の矛盾」と書いた。

企業という共同体の大多数の構成員である従業員をゴミのようにしか扱わず、共同体が汗水働いて生み出した利益を共同体の大多数の構成員である従業員に渡さず、共同体の一部分でしかない特権階級たちが利益を吸い上げる。企業という共同体の代表者を選ぶ権利を独占・寡占していることこそが、「資本の寡占・独占」の原因であり「貧困と格差」の原因である。

同胞たる労働者たちよ、立ち上がれ。企業という共同体の代表者を選ぶ権利を民主政体と同じように我々も手に入れようではないか。我々労働者もまた、企業という共同体の一員だ。なぜ、共同体の一部分でしかない特権階級のための共同体に甘んじるのだ。ゴミのように扱われる同胞たる労働者のためにも、そして社会を揺るがす「貧困と格差」を解決するためにも、企業という共同体の代表者を選ぶ権利を手にいれようではないか。

新しい共同体主体の資本主義経済体制に向けて、特権を手放さない株主主体の資本主義経済体制を打ち破ろうではないか。それこそが、民主政体が辿った歴史の流れであり、資本主義経済体制が辿る歴史の流れでもある。

立ち上がれ、同胞たる労働者たちよ。

2010年6月 1日 (火)

経済学の終焉

早晩、日本の主流な経済学は終焉するだろう。なぜなら、現実を見ずにモデル(理論)を立てているからである。モデルは命題を元に組み立てる。だからモデルを殺すには命題を否定すればよい。

今から2つの文で、日本の主流な経済学を殺す。

今の日本の主流な経済学のモデルは全て近代(国家・社会・人)を前提にしている。しかし日本は前近代(国家・社会・人)である。前近代(国家・社会・人)に近代(国家・社会・人)を前提にしている経済学を当てはめて成功する命題を示せ。

今の日本の主流な経済学のモデルは、政治を無視している。現実として副島モデルである帝国-属国の政治・経済関係がある中で、帝国-属国理論を基礎としない今の日本の主流な経済学のモデルは、あまりにも非現実的なモデルである。また帝国-属国間のいびつな経済関係に対処できる処方箋を示せ。

この2つの命題殺しの文に対して、日本の全ての主流な経済学者は反論せよ。

日本政治を考察する

日本は前近代社会である。よくて近代化社会である。近代化社会と近代社会は似て非なる社会である。このことを前提として、日本の政治を考察する。

日本の政治は、「党(クラブ・パーティ)」という近代政治理念がない。近代社会における「党」とは、あるコトバに共感を持った人々があつまる集団である。

しかしながら、前近代社会の日本の「党」は、見かけだけ近代社会を真似ての「党=あるコトバに共感を持った人々があつまる集団」であり、実際の本質は派閥の連合(同盟)組織でしかない。長年、一党独裁だった自民党がまさしく派閥の連合組織である。

みんなの党や社民党や共産党などの少数政党は、近代社会における「党=あるコトバに共感を持った人々があつまる集団」のように見える。しかしながら、やはり本質は派閥の連合組織の一員でしかない。

政治的見識のある国民の間で密かに語られている真実のコトバがある。「別働隊」というコトバである。この大メディアでは語られない「公然の秘密」である別働隊こそが、みんなの党や社民党や共産党などの少数政党が派閥の連合組織の隠された一員でしかないことを物語っている。

日本の政治と社会を考える時は、何よりもまず「党」主体で考えるのではなく、「派閥」主体で考えなくてはならない。そうしなければ、日本の政治と社会の真実が理解できないからである。

それでは次に、派閥の種類を考察する。派閥は大きく3つに分けることができる。

1つは、政党派の派閥である。政党派の派閥は庶民目線の選挙重視である。ドブ板選挙と呼ばれるように、庶民一人一人の生活や環境を重視する、庶民派の政治家を抱える派閥である。

もう1つは、官僚派の派閥である。官僚派の派閥はインナーサークルの既得権益重視である。法律を駆使して庶民から税金を取り、仲間内だけの利益を重視する、増税派の政治家を抱える派閥である。

最後の1つは、外圧派の派閥である。外圧派の派閥は国を商品として売って利益を出す合理主義の自己保身重視である。外国の利益を優先するかわりに金と地位を手に入れる、売国派の政治家を抱える派閥である。

民主党や自民党のような大きな党では、これら3派閥を抱える連合組織である。それぞれの考えや利益の対立や差異により、民主党や自民党などへ分散し連合しているだけである。しかし、やはり本質は党主体ではなく、派閥主体である。

日本の政治の対立は、この3つの派閥の争いである。時には手を組み、時には裏切る、闇の世界である。

普天間問題では、官僚派と外圧派の派閥が手を組み、政党派の派閥は敗戦した。政党派が次の戦いで、どのようにして官僚派と外圧派の派閥を裏切らせ、どちらと手を組むのか見ものである。

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