まず、初めに、民主主義なんてコトバは、もう使うな。諸外国に恥ずかしいだろ。主義は英語でイズムだ。民主主義を英語でデモクラシーと訳すが、イズムがないだろ?それを何で民主「主義」と訳してんだ。英語学者は馬鹿か。
一応デモクラッティズムという英語があるが、凄い分厚い辞書でないと出てこない単語だ。しかもデモクラシーの本家イギリス人からクレイジーと言われたのがデモクラッティズムだ。
だから民主主義なんて馬鹿な単語はもう使うな。日本の学者全員が英語ができず、政治も分からず、制度と主義の違いも分からず、まともに考えることができないと思われるだけだろ?
デモクラシーの訳は民主政体だ。民主政治体制だ。これからは民主政体(民主主義)みたいに書いて、みんなでコトバを直していこうぜ。あと、タイトルには民主主義と書いたが、民主政体だと分からないと思ってとりあえず書いた。
話が長引いた。本題「民主政体と資本主義の矛盾」を書きます。
まず近代の定義から始める。近代とは憲法により保障された生命・身体・財産権を機軸に、政治体制としての民主政体と、経済体制としての資本主義経済体制のことである。また民主政体と資本主義経済体制は同じ性質であり、政治側から見た体制が民主政体であり、経済側から見た体制が資本主義経済体制である。
次に民主政体の定義を始める。まず民主政体の対立語は神主政体(神権政治・テオクラシー)である。神主政体とは神が民衆(共同体)の主権者(代表)を決める、という考え・制度である。
王権神授説がその代表であり、天からの命と考える中国の易姓革命も神主政体であり、天照大神の子孫という理由から天皇の権威があるのも神主政体である。民衆(共同体)の主権者(代表)を選ぶ権利(選挙権)は神が持つという考え・制度である。
それと対立するのが民主政体である。つまり神が民衆(共同体)の主権者(代表)を決めるのではなく、人間が民衆(共同体)の主権者(代表)を決める、という考えである。民衆(共同体)の主権者(代表)を選ぶ権利(選挙権)は人間が持つという考え、制度である。
民主政体とは、共同体の代表は共同体に属する人間に選ぶ権利があり、かつ選ぶ制度である。
次に資本主義経済体制の定義を始める。資本主義経済体制とは資本金を集め企業という共同体を作り、資本金を出した人間が企業という共同体の代表者を選ぶ制度である。もしくは企業の所有権を株式に変換することによって、株を持つ人間が企業という共同体の代表者を選ぶ制度である。
以上のように、民主政体も資本主義経済体制も共に、共同体の代表者を選ぶのは、共同体に属する人間が選ぶ制度なのである。
しかしながら、タイトル通り民主政体と資本主義経済体制は同じ考えなのにもかかわらず、矛盾するのである。その矛盾こそが、現代社会の大きな社会問題である「貧困と格差」を解決できずにいる原因なのである。
「貧困と格差」とは言い換えれば「資本の寡占・独占」である。なぜ現代の資本主義経済体制は「資本の寡占・独占」を進めるのだろうか?その原因は?
今現在、世界では「貧困と格差」の問題解決として、政治の力を借りて解決しようとしている。簡潔に書けば「税金」よる「所得再配分」である。しかしはっきり書くが、政治の力だけでは無駄である。「資本の寡占・独占」の勢いを止めることはできても、「資本の寡占・独占」への方向性までは止めることはできない。原因を除外していないのだから。
それでは資本主義経済体制が「資本の寡占・独占」へと進む原因を考察する。
まず同じ考え・制度である民主政体の歴史を見る。民主政体の根幹をなす「選挙権」は元々は一部の人間たちだけの権利であった。多額の税金を納めることができる市民(小金持ち・シチズン)より上の人間たちだけの権利であった。
それがなぜ特権であった「選挙権」が庶民(貧乏人)にまで持てるようになったのだろうか?その原因と理由は?
歴史を勉強した皆様でしたらご存知でしょうが、選挙権が共同体の一部分の特権階級が持つことによって、共同体の一部分でしかない特権階級のための共同体でしかなかったからだ。共同体の構成員である民衆(貧乏人)がゴミのように扱われたからだ。共同体の代表者が選挙権を持つ一部分の特権階級にしか、目を向けなかったからだ。
代表者を責めるのはナンセンスだ。代表者が特権階級しか目を向けないのは当たり前だから。選ぶのは選挙権を持つ特権階級なんだから。責めるのは選挙権を寡占・独占していた特権階級どもだ。
そして庶民(貧乏人)がゴミのように扱われたことが、共同体の多数の部分である民衆(貧乏人)に火をつけ怒り狂った。文字通り血を流すほどの不屈の政治闘争により、民衆(貧乏人)が共同体の代表を選ぶことができる選挙権を手にいれたのだ。それにより、共同体の一部分でしかない特権階級のための共同体が、共同体に属する全員のためのみんなの共同体へと変化していった。
もうお分かりだろう。私が考える資本主義経済体制が「資本の寡占・独占」へと進む原因とは、資本家・株主が企業という共同体の代表者を選ぶ権利を独占・寡占しているからだ。民主政体は代表者を選ぶ権利が共同体の構成員に共有される方向へ向かったのに対して、資本主義経済体制は代表者を選ぶ権利が共同体の一部に寡占・独占される方向へむかっている。そのことを持って「民主政体と資本主義の矛盾」と書いた。
企業という共同体の大多数の構成員である従業員をゴミのようにしか扱わず、共同体が汗水働いて生み出した利益を共同体の大多数の構成員である従業員に渡さず、共同体の一部分でしかない特権階級たちが利益を吸い上げる。企業という共同体の代表者を選ぶ権利を独占・寡占していることこそが、「資本の寡占・独占」の原因であり「貧困と格差」の原因である。
同胞たる労働者たちよ、立ち上がれ。企業という共同体の代表者を選ぶ権利を民主政体と同じように我々も手に入れようではないか。我々労働者もまた、企業という共同体の一員だ。なぜ、共同体の一部分でしかない特権階級のための共同体に甘んじるのだ。ゴミのように扱われる同胞たる労働者のためにも、そして社会を揺るがす「貧困と格差」を解決するためにも、企業という共同体の代表者を選ぶ権利を手にいれようではないか。
新しい共同体主体の資本主義経済体制に向けて、特権を手放さない株主主体の資本主義経済体制を打ち破ろうではないか。それこそが、民主政体が辿った歴史の流れであり、資本主義経済体制が辿る歴史の流れでもある。
立ち上がれ、同胞たる労働者たちよ。
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