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家族だって、通じ合えるとは限らない。


よく「家族だから分かり合える」「言わなくても分かるよ、だって家族だもん」というセリフがありますが、実際問題、家族だって分かり合えないことはたくさんありますし、言葉に出さないと伝わらないこと――それどころか、言葉に出しても分かってもらえないことも、たくさんありますよね?

とは言え前述のセリフもきっと、世の中に数えきれないほど存在する家族を、タイプ別に何パターンか分けたうちの“ある1つの理想的な家族のパターン”を想定して書かれている、というだけなのでしょうが…。

自分は元々シビアな性質なので『家族だから』という理由だけで『分かり合える・通じ合える』と単純に信じることはできません。

それは勿論、一緒にいる時間が長い分、赤の他人よりは相互理解できる可能性が高いでしょうが、それだって24時間ずっと絶えずそばにいるわけではないのですから、家族でも知らないこと、家族でも分からないことはあって当然だと思うのです。
その、一緒にいられない一日のうちの何時間の間に、各人が、学校や職場やTVや本やインターネットなど、一人一人違う場所で一人一人違う影響を受けていくわけですから、同じ家族であっても頭の中身は(程度の差はあれ)“別物”に育っていくはずです。

それに、家族の言葉やアドバイスが常に“ちゃんと”受け止められるとは限りません。

たとえば思春期など、同世代の友人の方ばかり大事にして・友達づき合いの方が大切で、むしろ家族からの干渉を嫌がり、ちょっとした言葉でも受け入れられない多感な時期というのも(人にもよるでしょうが)あるはずでし、家族でさえ信じられず、むしろ見ず知らずのネットの言葉の方を信じてしまうという心理状態も存在するはずです。

結局のところ、家族間であっても結局は人と人とのコミュニケーションの問題であって、分かり合えるかどうかは当事者の気持ちや相性、あるいはコミュニケーション能力や努力次第ということに変わりはないのではないでしょうか。

たとえ一方が「理解して欲しい」と思って努力したとしても、あるいは「ここがイヤだから直して欲しい」と思って言動に表したとしても、相手に「理解しよう」という気持ち、「そう言うなら直そう」と思う気持ちが無ければ思うような結果は得られません。

それに、相手にそもそも「理解する能力」自体が無かったり、他人がイヤがっていても分からない・気にしない無神経な性格だったりした場合も同様です。

しかも場合によっては「自分の息子or娘だから」「弟or妹だから」という理由だけで相手を下に見たり、ナメてかかったり、そもそも相手にしなかったりということもあります。

あるいは「家族だから分かってもらえるだろう」「家族だから許してもらえるだろう」と、“家族であることに甘えて”ヒドイことを言ったりしたりということもあります…。

むしろ他人の方が、ある程度の緊張感を持って“気を遣う”から上手な関係性を築ける、ということだってあるのです。

(そして、また逆に「家族で互いの性格をよく知っている」→「これを言ったら相手がキレると分かっている」→「だから恐くて(気を遣って)言えない」というパターンもあったり…。)

もちろん世の中には、それこそ「家族だから何でも分かり合える」という理想的な家族関係を築けている家族もあるでしょう。

でもきっとそれは「家族だから」だけではなく、その上で「家族間のコミュニケーションが上手くいっている」だとか「家族同士の距離のとり方が上手い」といった別の要素が存在するはずです。

だから「家族だから何でも上手くいく」とでも言うような“家族幻想”とでも言うようなモノって、むしろ大切なモノを見落とさせて、家族の形を歪ませる“まやかし”なんじゃないかと思うことがあるのです。

…まぁ、その“まやかし”に一番ダマされていたのは、何を隠そう自分自身なんですけどね…。

自分も学生時代は愚直なまでに「家族なんだから、きっと分かってもらえてる!」と信じていました。

我が家は父も長男もカンシャク持ちと言うか、繊細過ぎると言うか、何かと難しい性格をしていたので、自分は自ら進んで緩衝材の役割と言うか“ピエロ役”を買って出て、“家族を笑わせるおばかさん”のように振る舞っていました。

何かとプライドが高く他人に劣等感を抱くといじける兄弟に配慮(?)して、決して家族の前で自らの成績を誇らず・自慢せず、むしろ自分のダメなところを晒して安心してもらうようなこともしていました。

まぁ、小ズルイ処世術と言ってしまえばそれまででもあるのですが。

でも、そんな風にピエロを演じて、自分のダメなところをアピールするようなことをして……それでも、そのことで相手からバカにしたようなことを言われるのは、思春期の人間として密かに傷ついていたりもしたのです。

けれど「自分がこうして“あえて”ダメな子を“演じて”いることは、きっと母には分かってもらえているはず!」「と言うか、他の家族にだって、本当に本気で救いようのないおばかさんだとは思われていないはず!」と何の根拠もなく信じていたのですが…

しかしながら、しばらく後、ふとした家族の言動から自分が本当に本気で「おばか」と思われていたことを知ってしまい、ショックを受けることになるのです。

…って言うか、本当に本気でおばかな人間が(一教科だけでの成績とは言え)偏差値80とか取れるはずないじゃないですか…。

兄弟はともかく、親たちは一応、学校や模試の成績を見てきたはずなのですが…正直、意味不明です。

百歩譲って、自分のちょっと“天然”なところが「おばか」っぽく見えていたのだとしても…、それは家族から本気でバカにされるような種類の「おばか」ではないと思うのです。

しかしながら、そのことで自分がいかに“家族という幻想”に囚われた甘ちゃんだったかを思い知りました。

(「家族でも100%は理解してはもらえない」というのは、いろいろあって保育園児の頃には既に理解していたのですが、それでもまだ「大事なことは理解してもらえるはず」という思い込みがあったようです。)

世の中にはたぶん、過去の自分と同じように家族幻想に縛られているせいで苦しんでいる人間が他にもいるんじゃないか、と思います。

あるいは家族幻想に囚われた他人から「家族なんだから分かってあげられるでしょ」「家族なんだから何とかできるでしょ」という無茶ブリをされて苦しんでいる人が…。

たとえ「家族を何とかしたい」と心から望んでいても、相手にその気がなかったり、本人に能力がなかったりで、できないことも多々あるはずなんですけどね…。

“家族”なんて、きっとそんなに万能なものではないはずです。

「家族だから」と言って「何でも可能にする・分かり合える」魔法が発動するわけでもありませんし、世の中どんなに努力してもどうにもできない「運命」のようなものがあるように、家族だってどうにもならないことが沢山あるはずです。

べつに「家族なら分かり合える」を否定するつもりはありませんが(←むしろ「そういうこともあるんだ」という希望にもなり得ると思うので。)それ“ばっかり”が世にはびこるとしたら、それは健全ではないなぁ、と思うのです。

(まぁ、むしろ最近は「家族でも他人」「個人主義」という考えが増えている気もするので、どっちが多数派・少数派なのかは自分には分かりませんが。あと、どっちの考えを支持するとかではなく「両方無いと不便だろう」と思っているのですが。)

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津籠睦月

Author:津籠睦月
ネコ・犬・小鳥などの小動物大好き人間。
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