コミュニケーションと言葉の壁
「目上の人には敬語を使う」「社会人になったらきっちりした敬語を使う」などとよく言われますが、この「敬語」というのが結構クセモノで、コミュニケーションの成否(親しくなれるか・なれないか)にかなり関わってくるものなのではないか…?という気が、個人的にはしています。
つまりは、人づき合いにおいて「敬語をただ正しく使える」だけが正解とは限らない、ということです。
きっちりした「正し過ぎる敬語」は時と場合・相手によっては「冷たい印象」を与えてしまったり、距離を生じさせてしまうこともあると思うのです。
日本語は複雑で、同じものを指す言葉でも、「ブーブー」「車」「自動車」など複数の種類があり、どの言葉を使うかにより印象が全く違ってきます。
そして個人的経験から言うなら、人間という生き物は基本的に、自分の普段使い慣れた言葉と「同じカテゴリー」の言葉を話す相手に親しみを覚えるような気がするのです。
つまりは「文法的にはちょっと間違ったゆるい敬語」や「くだけた言葉遣い」が当たり前のグループ内で一人だけ「きっちりした敬語」「真面目な言葉遣い」をしていると、かえって浮いてしまったり、距離をとられたりすることがある、ということです。
たとえば、そういう「きっちりした」言葉遣いの方が本人にとって慣れ親しんだもので、使いやすいものであったとしても、相手にとってそれが「慣れ親しんだものでない」場合には、悲しいことに「お前って、なんか堅苦しい」と評されてしまったりするわけです。
特にまだ人間的に成熟していない子どもの間だと、そういう「ちょっとした違和感」に敏感に反応されて「何かアイツ、気に入らない」ということにもつながりかねないので、言語面でも「周囲に溶け込む」というのは非常に重要なテクニックになってくると思います。
実際自分も「失礼でない程度に親しみやすく、冷たく思われない程度に丁寧な言葉遣い」を模索するのに苦労しましたし、今もなお、苦労している真っ最中です。
(個人的には、単に言葉遣いで「ちょうどよい」レベルを目指すだけでなく、丁寧な言葉は使いつつもその内容や言葉の組み合わせセンスでユーモアを出して「こいつ、ただのマジメじゃないな」と相手に思わせるのも有効かと思います。)
そしてこれは例えば会社や部活の先輩・後輩など「立場的に上下はあるけれどそれなりに親しい間柄」だけではなく、初対面の「お客様」相手でも起こり得る問題なのです。
例えばクレーム対応で、どんなに丁寧な言葉遣いと敬語で一生懸命対応しても、それがかえって礼儀正し過ぎて「マニュアル通りの対応をされているだけ」「事務的」と受け取られてしまうことがあります。
相手と場合によっては、相手にとって「親しみやすい」言葉遣いや声のトーンで、まるで親しい相手に相づちを打つように同調を示し「あなたの話をちゃんと聞いていますよ」「人間的な対応をしていますよ」と態度で示すことで怒りを和らげられることもあるのです。
(あくまでも「相手」と「場合」によりますが。相手によっては「馴れ馴れしい」と思われて火に油を注ぎかねない対応でもあるので、見極めが重要ではあります。)
もちろん、全ての時と場合において、ただ相手に言葉遣いを合わせれば良いということではありません(たとえ相手がどんなにフランクでも、きっちり敬語を使わなければいけない場面や立場など、あると思いますし。)が、覚えておくとちょっと便利ではあると思います。
(ただし言葉遣いは「伝染る」ので、ずっと使い続けていると元に戻らなくなって困ることもあります。)
まぁ理想を言えば、相手がどんな言葉を使っていようと、それによって「自分とは何か違う」と拒絶反応を示すのではなく、当たり前に受け入れ合える社会になれば大分生きるのがラクになる気はするのですが…。
それと念のため言っておきますが、もちろんこれは「正しい敬語を覚えるのは良くない」という話ではありません。
きちんとした敬語を覚えておけばいざと言う時役立ちますし、「何で新人なのにそんな当たり前のように敬語を使いこなせるの!?」と新人(マナー)研修の担当さんに驚かれるなど、周囲に一目置かれてお得(?)なことが結構あったりすると思います。
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(更新頻度は相変わらずのスローペース・マイペースですが。)