「フィクション」は「リアル」を超えられるのか?
世の中には、小説や映画(ドキュメンタリーやノンフィクションを除く、いわゆる「フィクション」)は「結局は作りモノ」としてあまり価値を見出さない人もいるのだそうです。
確かに「どう考えても思いっきりフィクション」なモノを書いている立場からしても、時々「どんなに劇的な物語を書いても、結局、現実には勝てないのかも知れない…」と思って凹むことは多々あります。
しかし「フィクション」=「創られたもの」とは言え、そこには何らかの形で確実に書き手の感情や想いが籠もったり、価値観や人生哲学などが反映されるものだと思うので、そこにはやはり、何らかの「価値」が宿ると、自分は信じたいですし、フィクションが「フィクションだから」という理由だけで、その価値を認められないという事態は避けたいのです。
そしてできることならば、もし「フィクションだから価値が無い」と思っている人が少しでも「フィクションでも、価値はあるんじゃないかな?」という方向へ(あくまでもムリヤリではなく、自発的に)行ってくれるなら、それがやがて小説などの読者人口増加にもつながり、ひいては読書離れを食い止めることにもつながるのではないか、などとも思うわけです。
なので、そんな風に価値観の転換をしてもらいたいがための「努力」の一環として「フィクションにだって価値はある!」ということを、この機会に全力でアピールしてみようと思います。
そもそも人はなぜフィクションを作るのか――それは「フィクションでしか表現できない」ことが世の中にはあるからだと思います。
まだ現実の世の中には存在しない概念や理想をフィクションに託して語る、あるいは「そのまま語っても多くの人には理解してもらえないような難しいこと」を分かりやすい「例え話」を「作って」暗に相手に訴えかける、という手段は歴史的に見ても古くから行われていることです。
(イソップ童話など子どもに教訓を「分かりやすく」教えるという場合にも使われる手法ですし。)
また「現実をそのまま写し取ったのでは角が立つ」ような社会・政治に対する風刺なども「フィクション」にデフォルメしてしまえば語れる、ということもあります。
(あからさまに「フィクション」な「ガリヴァー旅行記」だって、実際には社会風刺を含んだものだったりするわけですし。)
とは言え、その「フィクション」も玉石混交で質は様々ですから、低クオリティーのものを観たり読んだりしてしまった方には「やっぱりフィクションなんてこんなものさ」「所詮は現実を超えられるものではないさ」と思われてしまうかも知れないのですが…そこはアマチュアとは言え創り手の一人として、そう思われないような、逆に「この作品に出会えて良かった!」「人生変わった!」と思っていただけるようなものを目指して頑張っていきたいなぁと思っています。
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(更新頻度は相変わらずのスローペース・マイペースですが。)