物語に隠された叡智を得るには
小説、映画、漫画、アニメなどで、記憶を失くすことをテーマにしたものが大変に多いことに気付きます。
これは、記憶というものに、人間の大きな秘密が隠されていることを、人は心の奥で知っており、そのことが、こういったお話を創らせ、また、それが人々に受け入れられる理由でもあります。
私の知る範囲では、記憶を失くすことの神秘を、最も鮮やかに、芸術的なまでに描いた小説は、L.ロン.ハバートの「フィアー(恐怖)」です。これは、暴力やお化けによるものとはレベルの全く違う本物のミステリーで、知的な人にとっては、本当の恐怖を感じるものだと思います。なぜ本当に恐いかと言いますと、読者は本能的なリアリティーを感じるからです。
筒井康隆さんの古い小説にこんなものがあります。中学2年生の少女が故郷の村に帰り、幼馴染の少女と再会します。嬉しいはずのことですが、幼馴染は硬い表情をしています。幼馴染にとっては、決して忘れられない恐ろしい出来事があったのですが、自分はその記憶を完全に失くしていたのでした。記憶を失くした方は、より大きな恐怖を感じていたからだと思います。
一流の小説家というものは、表面的な感覚や想像で作品を創っているのではなく、人間存在に関わる深い知恵を持っており、ある意味では科学者のようなところもあります。それでなくては、読者の心を動かせません。よほどの天才であれば、自分の心の作用だけで、そういった知恵を得ることも出来るのかもしれませんが、普通は、真理を含む情報を広く集め、心の中でそれらを融合・熟成させて独自の体系を作り上げ、それを思想的なコアとするものです。
だから、最高レベルの小説や詩には深い知恵があります。ただし、それらの作品にある知恵を得るには、読者の方にも知覚する能力が要求されます。知恵とは、隠されているものだからです。
旧約聖書や古事記の知恵は、広大でありますが、奥深くに隠されており、並の人間ではそれを感じることが難しくなっております。ジョセフ・マーフィーは、そういったものを読む時は、はるか昔、自分がそれを書いた時のことを考えなさいと言っています。
CLAMP(4人組の漫画家集団)の「ツバサ」(全28巻)という漫画(アニメでは「ツバサ・クロニクル」)で、サクラという少女(お姫様)の背中に光る羽が生じ、それが飛び散って消えると、サクラの記憶が無くなっていました。これは、記憶や自我の様子を象徴的に描いたものです。他の作品を見ても、 CLAMPの人達は、よほど勉強しているのだと思います。漫画やアニメを通して真理を表現しますので、子供達にもそれを感じることができます。この作品により、人間は肉体という1つの単純な存在ではなく、精妙な複合体であることを心の奥で理解するようになります。これを見ている子供に、大人は無思慮なことを言わないことが肝心で、実際は何も言わないのが良いでしょう。子供と一緒にアニメを見ていても、つまらないことを言ってしまう親は、子供にとって不幸である場合もあります。
【フィアー】 アシモフ、ブラッド・ベリ、キングなど、伝説の作家達も賞賛する天才作家ハバートが描く、本物の恐怖。ハバートの本業は、人間存在の本質を究明することで、教育家としても世界的に知られています。ただ、宗教家として批判があることも一応付け加えておきます。 | |
【時をかける少女】 40年以上経っても全く色褪せないロングセラーは、元は学習雑誌に連載された少年少女向けの作品でした。そして、本書に収録された「悪夢の真相」「果てしなき多元宇宙」も大変な傑作です。 | |
【古事記】 「モスラ」原作者による、「古事記」現代語訳の決定版とも言える名著です。物語に必要なリズムを大切にしており、楽しく読めることと思います。 | |
【劇場版 ツバサ・クロニクル鳥カゴの国の姫君】 CLAMP作品「ツバサ」のアニメである「ツバサ・クロニクル」の劇場公開作品。時間は短いのですが、あらゆる意味で非常に美しい作品です。 |
The comments to this entry are closed.
Comments