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次回アップ予定:Scene-564 古利根川の纏め (2020/04/22)
[Vol-11] 今回は万願寺橋から継続遡上して、和戸橋側道橋、和戸橋、葛西橋までの紹介で、『ぶらっと遡上探索』古利根川編の最終回です。では、万願寺橋から北400m程に在る、曹洞宗寺院の全長寺に行きます。境内の由来案内によると、1616年(元和2)此の地域を支配した幸手城主、一色宮内大輔直朝の意を受けて、弟の善十郎直春が一色氏累系の菩提を弔う為に建立、開山は幸手の宝持寺5世の義山宗忠と伝えられています。山号:高埜山、本尊:聖観世音菩薩像、所在:北葛飾郡杉戸町下高野443。「日光街道すぎと七福神巡り」の布袋尊、新板東三十三所の17番札所です。
全長寺の北西隣に天満宮が在ります。創建は不詳、祭神:菅原道真、所在:北葛飾郡杉戸町大字下高野417。境内に聳える槇は樹高:22m、幹回り:4m、樹齢約600年と云われ、杉戸町の天然記念物に指定されています。
天満宮から北西150mに真言宗豊山派寺院の永福寺が在ります。創建は不詳、かつては阿弥陀寺と称し、中興開山は第49世の覚宥。第51世の日尊が父因幡前司藤原長福の罪業の消滅を願って施餓鬼を営み、龍燈山長福密寺と改め、其の後、五代将軍綱吉の頃に永福寺に改称したと云われています。
山号:龍燈山、本尊:阿弥陀如来像、所在:北葛飾郡杉戸町下高野396。埼玉新四国八十八ケ所霊場の74番札所、「日光街道すぎと七福神巡り」の寿老人、関東三大施餓鬼寺の一つです。
永福寺の裏参道から古利根川沿いに出ると、右岸側から流入する河川が見えます。万願寺橋の上流560m程に流入し、加須市の新川用水の備前堀古笊田落と備前堀大英寺落の合流点を起点とする、排水河川の備前堀川(流路延長11.4km)です。中州に停まっている川鵜、頭が白いですね、此れは婚姻色だそうです、因みに胸が白い川鵜は幼鳥になります。小枝に「鷹になれなかった雀」が居ました、嘴がカギの様に曲がっている百舌鳥です。
備前堀川合流地点から400m程遡上すると、『#35和戸橋側道橋』です。左岸の北葛飾郡杉戸町下高野と右岸の南埼玉郡宮代町和戸3丁目とを結ぶ、人道専用橋です。和戸橋側道橋の右岸側に連続して架かるのが和戸小橋側道橋で、橋下に排水河川の備前前堀川(流路延長約4.9km)が流れています。
名称:和戸橋側道橋
構造種別:3径間鈑桁
河口からの距離:25km
橋の長さ:約54m
有効幅員:約1.5m
完成:不明
和戸橋側道橋の上流隣に架かるのが『#36和戸橋』で、此方は埼玉県道65号線(さいたま幸手線、日光御成街道)が通ります。左岸脇に在る1934年(S9)建立の大落古利根川治水碑によれば、改修延長は約27kmとあるので、現在の古利根川の全体が改修された模様です。
名称:和戸橋
構造種別:3径間PC桁
河口からの距離:25km
橋の長さ:約58m
有効幅員:約12m
完成:不明
和戸橋から県道65号線を約1.3km、八幡神社交差点まで北上します。左手に下野の八幡神社鳥居が見えます。創建は不詳ながら、江戸期には下野村の鎮守の一つで、村民持ちと云われており古社です。1872年(M5)に村社列格。祭神:誉田別命、所在:北葛飾郡杉戸町下野。
八幡神社から北160mに天神社が在ります。創建は不詳、祭神:菅原道真、所在:北葛飾郡杉戸町下野910。
天神社から西へ300m程進むと、終着地点の橋となる葛西橋ですが、右岸側に流入する河川が2つ下流側に在りますので、先に紹介します。先ずは、葛西橋の下流420mで流入するのが中落堀川(流路延長約3km)です。灌漑用水の排水河川で、久喜駅の北北西数kmの場所から新川用水、稲荷台用水などを水源としています。Google Mapでは、備前堀川の記載になっていますが、間違いですよ。
葛西橋の下流180mで流入するのが、加須市下高柳の北青毛堀川と南青毛堀川の合流地点を水源とする、排水河川の青毛堀川(流路延長 11.2km)です。
最後に、古利根川に架かる最後の橋となる『#37葛西橋』です。橋下には葛西用水路が流れていますが、古利根川の起点は此の橋になっています。左岸の北葛飾郡杉戸町下高野と右岸の久喜市吉羽とを結び、一般道が通ります。右岸側下流の草むらに石柱が置かれています。「準用河川大落古利根川起点」と刻まれており、此処で遡上完了とします(パチパチパチ)。葛西橋の北西に在るバス停から帰る予定でしたが、本数が少なくて時間調整に失敗。南東約1.5kmに在る、東武線杉戸高野台駅から帰宅します。東武動物公園駅からの遡上歩数22200歩でした(完)。
名称:葛西橋
構造種別:1径間PC桁
河口からの距離:26.7km
橋の長さ:約10m
有効幅員:約9m
竣工:2002年(H14)
>>>後書き<<<
次回は古利根川の纏め(大落古利根川に架かる橋 37)になります。
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次回アップ予定:Scene-563 古利根川最終回『和戸橋側道橋~葛西橋』 (2020/04/18)
[Vol-10] 今回は古川橋から遡上して、河原橋、東武日光線古利根川橋梁、鎌倉橋、万願寺橋までの紹介です。南武線、武蔵野線経由で、東武線の東武動物公園駅で下車。東口から110m北上して古川橋からスタートします。
古川橋を左岸側に渡り、川沿いに400m程遡上すると右手に富士浅間神社が在ります。浅間信仰の神社ですね、創建は不詳です。松尾芭蕉も奥の細道の道中に通ったとされ、富士塚麓の丸石に「八九間(はっくけん)空で雨ふる柳哉(かな)」の句碑が刻まれています。枝振りの良い大柳の下では、空から雨が降るかのように雫が垂れている様を表現しているようです。祭神:木花之佐久夜毘売命(推定)、所在:北葛飾郡杉戸町杉戸4-10-23。
塚の両脇に厳島神社と金刀比羅宮が合祀されています。金刀比羅宮の狛犬は1882年(M15)の建立です。
富士浅間神社の裏手に天台宗寺院の用中寺が在ります。創建等は不詳です、所在:北葛飾郡杉戸町杉戸4-10-23。
川沿いに戻ると上流に『#31河原橋』が見えます。古利根川左岸の北葛飾郡杉戸町杉戸4丁目と右岸の南埼玉郡宮代町百間1丁目とを結び、一般道が通ります。かつて、河原の渡しが在った場所です。
名称:河原橋
構造種別:5径間RC桁
河口からの距離:22.1km
橋の長さ:約55m
有効幅員:約3m
竣工:1957年(S32)
河原橋から左岸沿いに290m進むと、右手に用水路で使われていた軸流ポンプが見えます。1988年(S63)まで此の付近の南側用水の引き込みに使用されていた縦軸ポンプで、遺構として残されています。南側用水路は、幸手市、北葛飾郡杉戸町を流れる農業用水路で、1660年(万治3)に利根川からの葛西用水路が作られた際の支流です。現在でも開削当時の面影を残す素掘りの区間が見られますが、杉戸町杉戸4丁目周辺は市街地となり、農業用水はパイプライン化され、南側用水路の一部が暗渠化され遊歩道になっています。近くに杉戸宿標が立っていますね、杉戸宿は日本橋から数えて千住・草加・越谷・粕壁に続く日光街道5番目の宿場でした。
此の先の東武線の左岸側からの画を撮ってから東350mに在る、真言宗智山派寺院の宝性院へ行きます。別名、杉戸不動尊と呼ばれています。創建は1562年(永禄3)、一色義直による開基と云われています。山号:杉戸山、寺号:不動寺、本尊:胎蔵界大日如来像、所在:北葛飾郡杉戸町杉戸1-5-6。埼玉新四国八十八ケ所霊場の77番札所、奥の細道関東三十三ケ所霊場の15番札所、「日光街道すぎと七福神巡り」の毘沙門天です。境内にピンク色の曼珠沙華に似た花が咲いていました。曼珠沙華は花と葉っぱが同時には見られないのに、此れは花と葉が同時ですね。帰宅してからググると、■ネリネ:ヒガンバナ科で南アフリカ原産、別名ダイヤモンドリリーと呼ばれ、曼珠沙華の開花から2箇月後に咲くそうです。
此処までは、東武動物公園の帰りに寄った内容です。では、東武動物公園駅から古川橋、河原橋を経由して『#32東武日光線古利根川橋梁』まで遡上します。左岸側の杉戸高野台駅と右岸側の東武東上線駅との間に位置しており、東武日光線が通ります。東武鉄道の豊富な車両、メトロやJRからの乗り入れ車両など、通過電車の様変わりが激しくて見ていて飽きませんね。
名称:東武日光線古利根川橋梁
構造種別:3径間鈑桁
河口からの距離:22.5km
橋の長さ:約66m
軌道:複線
完成:1928年(S3)
東武日光線古利根川橋梁は川沿いに潜れないので、河原橋まで戻って日光線1号踏切で800m程迂回します。
此処は南埼玉郡宮代町ですが、久喜地区消防組合のマンホール蓋が目に入りました。1997年(H9)に宮代町が隣町の久喜地区消防組合に加入しており、此の時に製作された様です。
東武日光線古利根川橋梁の右岸上流から西500m程に在る、身代(このしろ)神社に行きます。旧須賀村の鎮守で、鎌倉時代初期の1242年(仁治3)の勧請と伝えられています。1955年(S30)旧須賀村と旧百間村が合併して新町名を決めるに際して、百間村の鎮守の姫宮神社の「宮」と身代神社の「代」から宮代町と命名された由来を持つ神社です。神社西隣に在る池は、かつての利根川の流路とも云われ身代池と呼ばれています。祭神:武速素佐能男命、所在:南埼玉郡宮代町17。二之鳥居は1888年(M21)、狛犬は1940年(S15)の建立です。
身代神社から北西へ約1kmに在る、真言宗智山派寺院の真蔵院へ行きます。創建は不詳ながら、鎌倉時代末期の嘉暦年間(1326~1329年)の創建と伝えられています。仁王門には、江戸時代の作で、宮代町で唯一の仁王像が見られます。
山号:医王山、寺号:大福寺、本尊:不動明王、薬師如来、所在:南埼玉郡宮代町須賀1264。埼玉新四国八十八ケ所霊場の71番札所です。
真蔵院前から県道85号線を230m北上、伊勢崎線の踏切を渡ってからジグザグと500m程東へと進むと、『#33鎌倉橋』です。左岸の北葛飾郡杉戸町下高野と右岸の同じく北葛飾郡杉戸町下高野とを結ぶ、人道専用橋です。欄干がアーチ状の天井部材で繋がっていますが、ん~、何の目的なのか、翔んでいるね埼玉(笑)。
名称:鎌倉橋
構造種別:2径間鈑桁
河口からの距離:23.6km
橋の長さ:約60m
有効幅員:約2m
完成:1984年(S59)
鎌倉橋から350m程遡上すると万願寺橋ですが、東160mに下高野の熊野神社が在りますので、先に此方を紹介します。創建は不詳ながら、1690年(元禄3)に旧地名、下株の住民により社が再建されたとの記録があり、古社です。祭神:伊弉冉尊、速玉之男命、事解之男命、祭神:熊野権現、所在:北葛飾郡杉戸町下高野872。途中にグレーのロン毛ニャンコが居ました、かなり短足だね(笑)。
『#34万願寺橋』まで戻ります。今回終着地点の橋となる橋で、左岸の北葛飾郡杉戸町下高野と右岸の南埼玉郡宮代町須賀・和戸5丁目とを結び、一般道が通ります。
名称:万願寺橋
構造種別:3径間PC桁
河口からの距離:24km
橋の長さ:約60m
有効幅員:約11m
完成:1990年(H2)
>>>後書き<<<
次回は万願寺橋から継続遡上して、和戸橋側道橋、和戸橋、葛西橋までの紹介で、『ぶらっと遡上探索』古利根川編の最終回になります。
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次回アップ予定:Spot-94 南埼玉『東武動物公園』 (2020/04/10)
[Vol-09] 今回は宮東橋水管橋から継続遡上して、清地橋、古川橋までの紹介です。では、宮東橋の東詰めから北300m程に在る、真言宗智山派寺院の馬頭院へ行きます。創建は不詳ながら、境内には1270年(文永7)並びに1398年(応永5)の青石塔婆が在り、古刹です。山号:旦照山、寺号:観音寺、本尊:馬頭観世音菩薩像、所在:北葛飾郡杉戸町堤根4254。
「日光街道すぎと七福神巡り」の大黒天です。境内に新知学校跡の史跡案内が建っていました。1873年(M6)に堤根村と本郷村との連合で此処の馬頭院に仮校舎が設置され、後に尋常小学校となる1902年(M35)まで使用されていたそうです。
馬頭院から日光街道を北西に550m進みます。左手の小径に入ると清地八幡神社が在ります。創建は不詳、三本木の集落の人々によって創建された鎮守と云われています。祭神:譽田別命、所在:北葛飾郡杉戸町清地3-7-18。鳥居は1996年(H8)の建立です。12~1月は遡上休止期間で、2月に入ってからの久々の遡上でしたので、脚に来ましたよ。残り僅かですが、八幡神社前に四阿が在りましたので、暫し休憩します(笑)。
清地八幡神社から西にジグザグと650m進むと、『#29清地(せいじ)橋』です。左岸の北葛飾郡杉戸町清地2丁目と右岸の南埼玉郡宮代町百間4丁目・6丁目とを結び、埼玉県道154号蓮田杉戸線が通ります。
名称:清地橋
構造種別:3径間PC桁
河口からの距離:20.9km
橋の長さ:約60m
有効幅員:約15m
完成:1988年(S63)
清地橋北詰めから1つ目の清地2丁目交差点を左折、右手前方に関口酒造の看板が見えます。1822年(文政5)創業の豊島屋/関口式右衛門邸で、現在は屋号を関口酒造としています。
関口酒造の角を右折し80m左手に真言宗豊山派寺院の来迎院が在ります。境内の由来案内によると、本尊は運慶作と伝えられ、奥州藤原氏三代の守護仏として尊崇されていました。頼朝に滅ぼされた泰衡の弟の家臣、田村五郎秀時が主の遺命により不動明王を守り逃れ、後に柦願坊幻夢と称し、柦願寺を当地に建立したのが始まり。其の後、戦乱により焼失しましたが1392年(明徳3)日照により再興、1577年(天正5)宥休によって、花光山来迎院と改称されたと云われています。
山号:花光山、寺号:柦願寺、本尊:不動明王像、所在:北葛飾郡杉戸町清地1-6-16。「日光街道すぎと七福神巡り」の恵比寿です。
来迎院から旧日光街道に戻り右折170m先、右手に杉戸宿高札が在ります。杉戸町と町観光協会が、かつて杉戸宿に在った「高札場」を2016年(H28)に製作・復元したもので、高札場とは、幕府や領主が決めた法令や公定運賃などを木の板札に書き、高く掲げておく場所です。所在:杉戸町清地1-2-129脇。
高札所から40m程進むと、右手に鳥居が見えます。予定外の神社で、清地村鎮守の近津神社でした。創建は不詳、1684年(貞享1)に本社を建立、1858年(安政5)及び1929年(S4)に再建している古社です。1919年(T8)村社に列格。祭神:武甕槌命、経津主命、岐ノ命、所在:北葛飾郡杉戸町清地1-1-29。狛犬は1864年(元治1)の建立です。地元の石工、石塚元吉と倅の又吉により造られ、他に類を見ない姿で、見返り狛犬とも呼ばれています。
近津神社入口から西200m程に、真言宗智山派寺院の東福寺が在ります。創建は不詳、1461年(寛正2)と1554年(天文22)に焼失、1615年(元和1)に上杉戸から移設したと云われる古刹です。山号:香取山、所在:北葛飾郡杉戸町清地1-9-3。新四国八十八箇所霊場の七十九番札所です。東福寺から南に50m程廻ると、古利根川で冬桜が咲いていました(2月上旬の撮影)。
川沿いを西に400m程遡上すると、今回終着地点の橋となる『#30古川橋』です。左岸の北葛飾郡杉戸町杉戸3丁目と右岸の南埼玉郡宮代町百間2丁目とを結び、県道408号線(東武動物公園停車場線)が通ります。創架は1900年(M33)です。
名称:古川橋
構造種別:3径間PC桁
河口からの距離:21.7km
橋の長さ:約39m
有効幅員:約8m
完成:不明
>>>後書き<<<
古川橋が帰宅設定ポイントで右岸側に渡り、100m程南に在る、東武動物公園駅から帰宅します。北春日部駅からの遡上歩数26800歩でした。古利根川遡上探索は、残り1回で完走になりますが、東武動物公園を1日に含めると、かなりキツイ工程になります。と云う事で、東武動物公園は別枠として、次回Spot-94 南埼玉『東武動物公園』で紹介します。
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次回アップ予定:Scene-561 古利根川『清地橋~古川橋』 (2020/04/06)
[Vol-08] 今回は前回、最後に寄った山下稲荷から継続遡上して、宮東橋、宮東橋水管橋までの紹介です。では、山下稲荷から北西方向に約500m進み、曹洞宗寺院の浄春院から紹介します。常陸国行方郡上戸村長国寺の末寺で、創建は不詳。梅室門英により開山、一色宮内大輔公保による開基と云われています。山号:不二山、本尊:釈迦牟尼仏、所在:春日部市小渕2156。総門脇に石幢六角地蔵尊が在りますが、各面に地蔵尊が2体ずつ、柱上に地蔵菩薩が座られている珍しいタイプです。
浄春院の北隣に鷲神社が在りますが、ショートカット出来る道が無いので総門まで戻り左回りで迂回します。鳥居の扁額に、鷺神社と鷲神社が併記されています。拝殿は中央が板壁で仕切られ、左が春日部市小渕の鷺神社、右が杉戸町本郷の鷲神社になっている珍しい神社です。かつて、小渕と本郷が喧嘩して神社を二つに分けたと云われています。創建は不詳ながら、1853年(嘉永6)の記録には既に、一宮二社の形式をとっていた事が記されており古社です。祭神:国常立命(鷺神社)、天穂日命(鷲神社)、所在:春日部市小渕2150。鳥居は2001年(H13)、狛犬は1864年(元治1)の建立の流れ尾形狛犬です。賽銭箱は左側の鷺神社側ですね(笑)。
参道入口に戻り、北進、埼玉霊園の中を過ぎって350m先の古利根川沿いの左岸側遊歩道に出ます。右岸側から姫宮落川(流路延長10.7km)が流入しています。釣り人も居ますね、釣れてまっか?
岸辺に黒い鳥の集団、カラスかな?いいえ、オバハン、もといオオバンでした(笑)。ヒドリガモも集団ですね。鳥を撮りながら暫し休憩です。
古利根川沿いに遡上して、途中から日光街道を過ぎって北東約1.4km先に在る、浄土宗寺院の天然寺へ行きます。創建は不詳、本尊:阿弥陀如来像、所在:北葛飾郡杉戸町堤根3777。
小径を挟んで天然寺の東隣に稲荷神社が在りました。創建は不詳、祭神:稲荷神、所在:北葛飾郡杉戸町大字堤根3629。
堤根稲荷神社から北西400m程に在る、曹洞宗寺院の九品寺へ行きます。中川を遡上した時もそうでしたが、北葛飾郡に在る寺社には教育委員会の由緒案内の類が建っていませんね。なので、此処も創建等は不詳、本尊:釈迦如来像、所在:北葛飾郡杉戸町堤根3913。
九品寺から北東240m程に在る、堤根の諏訪神社へ行きます。此処も創建等は不詳、祭神:建御名方命、所在:葛飾郡杉戸町堤根2560。鳥居は2017年(H29)の建立です。
諏訪神社から北西360mに在る、堤根の香取神社へ行きます。おっ、珍しくも教育委員会の由緒案内が建っていましたよ(笑)。創建は不詳ながら、旧国道沿いに在った鳥居に1337年(延元2)と刻まれており、古社になります。祭神:経津主命、所在:北葛飾郡杉戸町堤根4069。
香取神社から日光街道を経由して西に約400m進むと、今回終着地点の橋となる『#27宮東橋』と水管橋です。古利根川左岸の北葛飾郡杉戸町堤根と右岸の南埼玉郡宮代町宮東とを結び、一般道が通ります。かつては、百間村(宮東)から堤根村(杉戸町)を結んだ、矢島の渡しが在った場所です。
名称:宮東橋
構造種別:2径間PC桁
河口からの距離:18.9km
橋の長さ:約60m
有効幅員:約11m
完成:1989年(H1)
宮東橋の上流隣に架かるのが『#28宮東橋水管橋』です。埼玉県企業局の管理で、行田浄水場から東部配水場経由で杉戸町などへ送水される上水管が亘っています。
名称:宮東橋水管橋
構造種別:2径間三弦トラス
河口からの距離:18.9km
橋の長さ:79m
水管径:φ700
完成:1981年(S56)
>>>後書き<<<
少しブログスペースが出ましたので、溜まっている稚拙料理の在庫処分です(笑)。
■アスパラ肉巻きフライ、■イクラ雑炊、■すきやき風炒め、■ズッキーニ炒め
■ステーキ、■ハムエッグこーん、■ビーフシチュー、■ピザトースト
■ポトフパスタ、■牛皿、■焼うどんバーグ、■焼きたらこパスタ
■天玉ウドン、■豚ピー目玉、■豚汁うどん、■豚生姜焼き
■豚白菜人参煮、■肉ピー炒飯、■帆立カツオ、■麻婆天カスうどん
次回は宮東橋水管橋から継続遡上して、清地橋、古川橋までの紹介になります。
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次回アップ予定:Spot-93 立川『農林総合研究センターの桜-2』 (2020/03/29)
[Vol-07] 今回は、前回最後に寄った東福寺から継続遡上して、新町橋、春日部大橋、小渕橋までの紹介です。では、東福寺から南西350m程に架かる『#24新町橋』へ行きます。古利根川左岸の春日部市八丁目と右岸の春日部市粕壁2丁目・3丁目とを結び、県道319号線(惣新田春日部線:旧日光街道)が通ります。かつて、江戸時代には大橋と呼ばれ、古利根川に架かる唯一の板橋でした。
名称:新町橋
構造種別:3径間鈑桁
河口からの距離:15km
橋の長さ:約71m
有効幅員:約15m
竣工:2005年(H17)
新町橋を右岸側に渡り、西100m程に在る真言宗智山派寺院の普門院へ行きます。1607年(慶長12)僧尊雅による創建と云われ、次に寄る最勝院の末寺です。山号:八幡山、本尊:阿弥陀如来像、所在:春日部市粕壁3-10-10。
普門院から県道85号線を挟んで、西隣に在るのが真言宗智山派寺院の最勝院です。慈恩寺の僧奝尊による創建、僧俊弘が中興、法流の祖俊慶により天台宗から真言宗へ改宗したと云われています。1648年(慶安1)に徳川幕府より15石の朱印状を拝領した御朱印寺です。山号:華林山、寺号:慈恩寺、本尊:千手観音像、所在:春日部市粕壁3-9-20。新西国三十三ケ所の33番札所です。
最勝院の南隣に真言宗智山派寺院の成就院が在ります。創建は不詳ながら、江戸時代から粕壁宿内の多くの檀家を抱えた古刹です。山号:愛宕山、寺号:大日寺、本尊:大日如来像、所在:春日部市粕壁3-9。山門は仁王像が警護する楼門です。道端のネコちゃん、ミックスの「なんちゃってラグドール」ですね。
成就院から県道85号線(春日部久喜線)に戻り、100m程進むと右岸側から古隅田川(流路延長4.8km)が流入しています。中世以前には利根川の本流でした。此の付近には旧古隅田川なども在り、河川名がややこしいです。古隅田川に架かる十文橋を渡り、次の橋へと向かいます。
十文橋から北へ550m程進むと、『#25春日部大橋』です。左岸の春日部市小渕と右岸の春日部市梅田1丁目・梅田本町1丁目とを結び、国道16号線が通ります。
名称:春日部大橋
構造種別:3径間連続鈑桁
河口からの距離:15.7km
橋の長さ:93.5m
有効幅員:約18m
竣工:1967年(S42)
春日部大橋が帰宅設定ポイントで、北西350m程に在る東武線の北春日部駅から帰宅します。藤塚橋からの遡上歩数、25500歩でした。構内に「SL大樹」のモニュメントが在りました、東武鉄道が2017年(H29)に半世紀ぶりに復活させたSL列車です。日光市の下今市駅から鬼怒川温泉駅までの12.4kmを走行していますよ。
日が替わりまして、春日部駅まで急行に乗り、各駅停車に乗り換えて北春日部駅で下車、リスタートします。
北春日部駅前から東300m程の古利根川沿いに出ます。川沿い近くに梅田地蔵尊が在りました。由来案内によると、此の石仏地蔵尊は江戸中期頃、付近で発生した大水害の際に流れ着いた、お地蔵さんと云われています。所在春日部市梅田本町1-5-7。
地蔵尊の裏手が古利根川で右岸沿いに230m遡上すると、『#26小渕橋』です。左岸の春日部市小渕と右岸の春日部市梅田本町1丁目とを結び、市道1-2号線が通ります。
名称:小渕橋
構造種別:3径間鈑桁
河口からの距離:16.2km
橋の長さ:94.5m
有効幅員:約10m
完成:1979年(S54)
小渕橋の上流右岸側から流入している河川は、農業排水路の隼人堀川(流路延長14.2km)です。此の付近には野鳥が沢山居ますね、魚が多いのかな?カイツブリが海老を捕まえましたね、此の後に振り回してハサミを外してから食べます。
小渕橋の左岸側から200m程下流方向に逆遡上すると、首都圏外郭放水路の第五立坑が見えて来ます。古利根川が増水した際に、越流堤から地下50mまで第五立坑に流れ落ちて、東方向の江戸川へ6.3km程を地下放水路で流れます。1993年(H5)着工、2006年(H18)から全区間が完成し全川への供用が開始されています。所在:春日部市小渕2057-6。
小渕橋が今回終着地点の橋でしたが、立坑から東400m程に春日部市内唯一の修験寺院の観音院が在りますので、此方を紹介してから終わりにします。途中に小渕村の庚申塔が在りました、1745年(延享2)村の利助が願主となり建立したものです。所在:春日部市小渕1644付近。観音院は鎌倉時代中頃の1258年(正嘉2)の建立と云われている古刹です。山号:小渕山、寺号:正賢寺、本尊:観音菩薩像、所在:春日部市小渕1634。仁王門は1689年(元禄2)の建立で、春日部市の文化財に指定されています。中に在る仁王像は、寄木造りですが接合部が老朽化しており股釘などで補修されていますが、眼や手首が無くなるなど痛々しい姿です。
次回は、此処から継続遡上して北西700m程に在る寺社へ行くのですが、140m程に山下稲荷が在りましたので、此方も紹介して終わります。創建は不詳、祭神:稲荷神、所在:春日部市小渕1184。鳥居は1991年(H3)の建立です。春日部市の消火栓マンホール蓋が目に入りました、デザインマンホールを紹介してから、最近やたらと地面が気になっています、序で良いので金目の物でも落ちてないかな(笑)。
>>>後書き<<<
次回はSpot探索で、農林総合研究センターに咲く桜のPart2で、ソメイヨシノの開花前後に咲いた桜を中心に紹介します。
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Author:mark60
関東地区の河川に架かる橋を
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