パンク・ロックといえばこのバンド、セックス・ピストルズ!邦題は「勝手にしやがれ」、77年発表です。ロックといえば間違いなく出てくるアルバムなので、仮に聴いた事はなくとも、このジャケットは見た事があるんじゃないかと。
中学生の時にはじめてこのアルバムを聴いた時の感想は、正直言って「単純すぎて退屈」というものでした。童謡とは言わないまでも唱歌やアニソンより単純、幼稚に聴こえたんです。しかも演奏は下手だし、音楽的には正直いってダメでした。そりゃ、プログレもジャズもクラシックも聴いていて、これを良いと思う方が不自然ですよね(^^;)。
でも詞の方は、すこし引っかかっていました。「拝啓、EMI 様」や「God Save the Queen」あたりは、タイトルからして意味深。まだ中学生だったので、訳詩を読んでもあまり実感をえられなくて、胸に響く所まではいかなかったんですが、それでも何かが胸に引っかかってる感じ。
そんな
実に安っぽいロックバンドだったはずのピストルズの詞や行為が、歳を重ねていろんな社会問題を目の当たりにすればするほど、徐々にリアルさを増し、重みを感じるようになりました。アメリカが中東で身勝手な戦争を吹っかけた時。日本の総理大臣がやりたい放題の掟破りをやったのに、責任すら取らずに逆切れして押し切った時。大企業が原発で大量の死者を出してもろくに責任も取ろうとしなかった時。そんな時、日本のメディアは市民の怒りのガス抜きする程度の報道しかせず、本当の意味での追求をせずに逃がしました。昔は安保闘争などで立ちあがった市民も、愚民政策が功を奏したのかすっかり白痴化、安保闘争以降で大きな声をあげるようになったのはようやく原発事故あたりからと感じましたが、それだって、「左翼」とか「右翼」とか、情報操作班にちょっと暴力的な言葉で押し込まれると、正しい事を言ってる方が逆に口をつぐんでしまう状況。権力者が自分のために国有地を億単位で値引きしようが、自分を応援してくれた団体を優遇して花見をしようが、おとがめなし。咎める以前に、何が起きているかすらろくに理解できない国民だらけの状況になっているようにすら見えてきました。
そんな時、ミュージシャンは?過激が売りのロックバンドですら、みんな口をつぐんでしまうか、そもそも分かっていない状況になっているのが日本という国のように映ってしまったのでした。こういう状況を見るたびに、自国政府、特権階級、資本主義の犬と化した大企業、こういうものを公然と批判したセックス・ピストルズの言葉や行動が、自分の中にジワジワと伝わってきたのです…遅いですよね(^^;)、本当はこれを若いうちに感じられれば、僕にとってのピストルズはまた違っていたかも。
セックス・ピストルズのメッセージや活動って、それ自体がプロレスだったという話も聞きます。まあ、そうなんでしょうね。それでも
実際にそれを口に出したのもまた事実、アンタッチャブルな部分に口を閉ざさず叫んだ所は見事じゃないでしょうか。大人になってみれば、この程度の言葉に踊らされるリスナーなんかになるなよという気持ちも一方でありますけど(^^;)、それが単なる「パンクス」やファッション、あるいは若者の単なるフラストレーションのはけ口なのか、それとも今も帝国主義の焼き直しを続ける愚かな人間社会への正当な糾弾だったのか、あるいはそれを売りにしたビジネス的な仕掛けだったのかは、それぞれの人が判断すればいいのではないかと。言葉にして叫んだのは事実、僕個人は勇気ある立派な行動だったと思っています…音楽はひどすぎますけどね(^^;)。
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