前回の更新からまる4週間が経った。2月は28日しかないのに対して3月は31日まであるが、今年は最後の2日が土日なので週末より前に更新するとしたら今日更新するしかない。前回に続いてまたしても「追い込まれ更新」となった。あともう1回4月に更新したら無期限でお休みし、いつか最後の1回の更新をしようと思っている。ブログの更新を停止するのが少し遅すぎたかもしれない。
この1か月間、日本の政治は奇妙な「凪」の状態にあったが、日本経済はどうやら後退期に入ったようだとする観測が強まってきた。つまり土台が崩れ始めている。ところが安倍政権も与党も、そして批判勢力であるべき野党も劣化が激しく、「批判する言説が絶え果てた崩壊の時代」の崩壊はもうどうしようもない段階にさしかかってきた。
もうあと数日したら「新元号」とやらが発表され、またしてもマスメディアが音頭をとって無意味な騒ぎが繰り広げられる。政権批判側も新元号に安倍晋三の名前にちなんだ「安」の文字が入るかどうか、などというどうでも良いことを焦点にしてしまうどうしようもなさで、そんなものはどっちになったって安倍政権は損はしない。「安」の字が入ったら、時代を表す年数表記である元号に自らの名前を入れるほど安倍の独裁が強まった象徴になるし、入れなければ入れないで、「安」の字が入るのではないかという観測があったのにそれをゴリ押ししなかった「安倍さん」は意外とまともだ、などというトチ狂ったことを言い出す人間が現れかねない。政権批判側が元号そのもの(というより天皇制)への批判を避けている限り安倍政権は「安」泰だ。
数日前には秋篠宮家の佳子氏が、婚約解消のプレッシャーを強く受けている姉の眞子氏側に立つコメントを発して、「裏切られた」右翼たちの猛反発を買っている。しかしこれは批判する方がおかしいし、ひいては日本国憲法第24条が適用されない皇族という立場がいかに当人たちを苦しめるものであるかを示している。つまり、眞子氏や佳子氏ら「皇族」もまた、天皇制の被害者だといえる。それならなすべきことは天皇制を批判し、天皇制の廃止を目指すしかないと考える。
現天皇にしても秋篠宮にしても、天皇制を守りたいと思っているからこそ、年数の換算がやりやすい30年(現在は「平成31年」だが、5月からは「なんとか元年」になるので、十の位を足し引きするだけで換算できてしまう)で退位したり、大嘗祭を簡素化しようとしたりなどと考える。しかし彼らの考えの根本は天皇制の継続だから、眞子氏の婚約に対してはネガティブな態度をとり続けている。秋篠宮は露骨にそうだし、天皇も皇太子と秋篠宮とでは「秋篠宮寄り」のようにしか見えない。マスメディアは露骨に眞子氏の婚約者やその母親を罵り続けている。一番の被害者は眞子氏であり、佳子氏はその妹として当然の同情を寄せるが、それに対してこれまで特に佳子氏を異様なほど持ち上げてきた右翼たちから攻撃を受ける。眞子氏や佳子氏にとって日本の右翼ほど腹立たしい人たちはいないのではないか。
さらに改元後は現天皇・皇后や秋篠宮らと比較して「宮中祭祀に熱心でない」とされる皇太子夫妻が天皇と皇后になる。4年前の2015年3月、大著『皇后考』を上梓した原武史は奥泉光との出版記念対談で下記のように発言した。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/42567?page=4
先日、11日間かけて『皇后考』を読み終えたが(解説文を合わせて650頁を超える大著だ)、この本の主題は実質的に大正天皇の妃だった貞明皇后に焦点を当てた論考であって、昭和天皇妃の香淳皇后や現美智子皇后への言及は至って少ない。原武史描くところの貞明皇后は、筧克彦に影響された神がかり的というか国家主義的・極右的な信念と並外れた知力と体力を持った「異形の皇后」であり、原の仮説によれば昭和天皇も実母である貞明皇后に頭が上がらず、「勝ちいくさの継続」にこだわる貞明皇后に忖度して終戦の決定が遅れてしまったのではないかとのことだ。その貞明皇后が心酔した筧克彦は戦前の東京帝大教授で、講義を始める前に「いやさか!」と叫び、抗議の終わりには「いやさか、いやさか、いいやあさあかああ」と大声で長々と歌うように三唱したと、立花隆がこれも大著である『天皇と東大』(文春文庫版(2013)第3巻104-105頁。同じ箇所に、筧克彦が貞明皇后に対して8日間かけて行った連続講義の内容を、岩波書店が豪華本として出版したことが記されている。岩波もこんなことをやっていた)に書いていた。その筧が唱えたのが「神ながら(惟神)の道」(かんながらのみち、または、かむながらのみち)であり、狂信的な国家神道の思想だ。それを貞明皇后は信奉した。
とんでもない話だが、それくらいの狂信に支えられた精神力がなければ皇后は務まらなかったのかもしれない。原によると、貞明皇后はもともと天皇家を近代化するために「一夫一婦制」に相応しい体力を持った女性を迎えるという(容姿重視を排した)観点で選抜されたが(そのくだりを読んで、第1次安倍内閣時代の2007年に一時話題となった柳澤伯夫の「産む機械」という言葉を思い出した)、天皇家に入った頃は周囲からの冷たい目に苦しめられたという。その貞明皇后自身も昭和天皇と香淳皇后の結婚に反対し、香淳皇后もまた現天皇と美智子妃の結婚に反対した。現皇太子夫妻は結婚に反対は受けなかったが、男児を産めなかった現皇太子妃の雅子氏は、若い頃に逆風を受けなかった分だけよけいに苦しんだのかもしれない。雅子氏には貞明皇后以来3代の皇后のような図太さは持ち合わせがないのではないか。だから原武史に「とても心もとない」と露骨に言われる。言わずもがなだが、それが悪いという意味ではもちろんない。
一方、天皇制の最大の支持者である右翼たちにとっては生身の皇族たちの苦しみなどどうでも良く、彼らの言う「日本の伝統」であるところの宮中祭祀の重視を当然のごとく要求する。近年、皇太子夫妻より秋篠宮家一家の方が右翼たちの間に人気があったのは、秋篠宮一家の方が皇太子夫妻よりも期待に応える資質を持っているのではないかと彼らが勝手に想像したためだ。秋篠宮には確かにそういうところがあるが、眞子氏と佳子氏は右翼たちの期待を裏切った。
彼らの批判の矢は、今後は眞子・佳子姉妹に加えて次期皇后・雅子氏に向けられることになろう。次の元号の時代には、否応なく天皇制を問う議論が活発になるのではないか。現在、「リベラルな天皇・皇后両陛下」とやらに心酔している「リベラル・左派」たちは、あっという間に時代に取り残されることになるかもしれない。
この1か月間、日本の政治は奇妙な「凪」の状態にあったが、日本経済はどうやら後退期に入ったようだとする観測が強まってきた。つまり土台が崩れ始めている。ところが安倍政権も与党も、そして批判勢力であるべき野党も劣化が激しく、「批判する言説が絶え果てた崩壊の時代」の崩壊はもうどうしようもない段階にさしかかってきた。
もうあと数日したら「新元号」とやらが発表され、またしてもマスメディアが音頭をとって無意味な騒ぎが繰り広げられる。政権批判側も新元号に安倍晋三の名前にちなんだ「安」の文字が入るかどうか、などというどうでも良いことを焦点にしてしまうどうしようもなさで、そんなものはどっちになったって安倍政権は損はしない。「安」の字が入ったら、時代を表す年数表記である元号に自らの名前を入れるほど安倍の独裁が強まった象徴になるし、入れなければ入れないで、「安」の字が入るのではないかという観測があったのにそれをゴリ押ししなかった「安倍さん」は意外とまともだ、などというトチ狂ったことを言い出す人間が現れかねない。政権批判側が元号そのもの(というより天皇制)への批判を避けている限り安倍政権は「安」泰だ。
数日前には秋篠宮家の佳子氏が、婚約解消のプレッシャーを強く受けている姉の眞子氏側に立つコメントを発して、「裏切られた」右翼たちの猛反発を買っている。しかしこれは批判する方がおかしいし、ひいては日本国憲法第24条が適用されない皇族という立場がいかに当人たちを苦しめるものであるかを示している。つまり、眞子氏や佳子氏ら「皇族」もまた、天皇制の被害者だといえる。それならなすべきことは天皇制を批判し、天皇制の廃止を目指すしかないと考える。
現天皇にしても秋篠宮にしても、天皇制を守りたいと思っているからこそ、年数の換算がやりやすい30年(現在は「平成31年」だが、5月からは「なんとか元年」になるので、十の位を足し引きするだけで換算できてしまう)で退位したり、大嘗祭を簡素化しようとしたりなどと考える。しかし彼らの考えの根本は天皇制の継続だから、眞子氏の婚約に対してはネガティブな態度をとり続けている。秋篠宮は露骨にそうだし、天皇も皇太子と秋篠宮とでは「秋篠宮寄り」のようにしか見えない。マスメディアは露骨に眞子氏の婚約者やその母親を罵り続けている。一番の被害者は眞子氏であり、佳子氏はその妹として当然の同情を寄せるが、それに対してこれまで特に佳子氏を異様なほど持ち上げてきた右翼たちから攻撃を受ける。眞子氏や佳子氏にとって日本の右翼ほど腹立たしい人たちはいないのではないか。
さらに改元後は現天皇・皇后や秋篠宮らと比較して「宮中祭祀に熱心でない」とされる皇太子夫妻が天皇と皇后になる。4年前の2015年3月、大著『皇后考』を上梓した原武史は奥泉光との出版記念対談で下記のように発言した。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/42567?page=4
奥泉: 宮中祭祀というのは、現在も変わらず続けられているんですか?
原: ええ。しかも明治・大正・昭和・平成と四代を比べると、現天皇・皇后ほど熱心な人はいません。二人とももう80歳を超えています。宮中祭祀というのは肉体的にもハードなので、もうやめてもおかしくない。でも、いまの天皇・皇后は自分たちが祈らないと、という気持ちがすごく強いように思います。
奥泉: 最近、大災害が起こるたびに、二人が祈る姿をよく目にします。皇后は一歩引いて天皇の後をついていく印象ですが、本当は彼女の宗教的な個性が大きな意味を持っているのかもしれませんね。
原: そういう意味では、祈りと行幸啓を二本柱にした皇室の存在感は、昭和のとき以上に増している感じがします。『皇后考』の最後に「現皇后こそは最高のカリスマ的権威をもった〈政治家〉である」と書きましたが、しかし同時に、それでは次代はどうなるのかと考えると、とても心もとない。その帰結は近い将来にわかるでしょう。
先日、11日間かけて『皇后考』を読み終えたが(解説文を合わせて650頁を超える大著だ)、この本の主題は実質的に大正天皇の妃だった貞明皇后に焦点を当てた論考であって、昭和天皇妃の香淳皇后や現美智子皇后への言及は至って少ない。原武史描くところの貞明皇后は、筧克彦に影響された神がかり的というか国家主義的・極右的な信念と並外れた知力と体力を持った「異形の皇后」であり、原の仮説によれば昭和天皇も実母である貞明皇后に頭が上がらず、「勝ちいくさの継続」にこだわる貞明皇后に忖度して終戦の決定が遅れてしまったのではないかとのことだ。その貞明皇后が心酔した筧克彦は戦前の東京帝大教授で、講義を始める前に「いやさか!」と叫び、抗議の終わりには「いやさか、いやさか、いいやあさあかああ」と大声で長々と歌うように三唱したと、立花隆がこれも大著である『天皇と東大』(文春文庫版(2013)第3巻104-105頁。同じ箇所に、筧克彦が貞明皇后に対して8日間かけて行った連続講義の内容を、岩波書店が豪華本として出版したことが記されている。岩波もこんなことをやっていた)に書いていた。その筧が唱えたのが「神ながら(惟神)の道」(かんながらのみち、または、かむながらのみち)であり、狂信的な国家神道の思想だ。それを貞明皇后は信奉した。
とんでもない話だが、それくらいの狂信に支えられた精神力がなければ皇后は務まらなかったのかもしれない。原によると、貞明皇后はもともと天皇家を近代化するために「一夫一婦制」に相応しい体力を持った女性を迎えるという(容姿重視を排した)観点で選抜されたが(そのくだりを読んで、第1次安倍内閣時代の2007年に一時話題となった柳澤伯夫の「産む機械」という言葉を思い出した)、天皇家に入った頃は周囲からの冷たい目に苦しめられたという。その貞明皇后自身も昭和天皇と香淳皇后の結婚に反対し、香淳皇后もまた現天皇と美智子妃の結婚に反対した。現皇太子夫妻は結婚に反対は受けなかったが、男児を産めなかった現皇太子妃の雅子氏は、若い頃に逆風を受けなかった分だけよけいに苦しんだのかもしれない。雅子氏には貞明皇后以来3代の皇后のような図太さは持ち合わせがないのではないか。だから原武史に「とても心もとない」と露骨に言われる。言わずもがなだが、それが悪いという意味ではもちろんない。
一方、天皇制の最大の支持者である右翼たちにとっては生身の皇族たちの苦しみなどどうでも良く、彼らの言う「日本の伝統」であるところの宮中祭祀の重視を当然のごとく要求する。近年、皇太子夫妻より秋篠宮家一家の方が右翼たちの間に人気があったのは、秋篠宮一家の方が皇太子夫妻よりも期待に応える資質を持っているのではないかと彼らが勝手に想像したためだ。秋篠宮には確かにそういうところがあるが、眞子氏と佳子氏は右翼たちの期待を裏切った。
彼らの批判の矢は、今後は眞子・佳子姉妹に加えて次期皇后・雅子氏に向けられることになろう。次の元号の時代には、否応なく天皇制を問う議論が活発になるのではないか。現在、「リベラルな天皇・皇后両陛下」とやらに心酔している「リベラル・左派」たちは、あっという間に時代に取り残されることになるかもしれない。
このコメントは管理者の承認待ちです
2019.04.04 12:33 | # [ 編集 ]
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