このブログの更新停止を決めたのが昨年秋で、URLにある"blog-entry-15**"の**が15になる1515番のエントリを最後の更新にしようと決めたのだった、以後、ほぼ毎月1度の更新をしてきたが、1512番の記事を公開するはずだった今月はここまで更新できずにきた。「はてなブログ」に移行したばかりの『kojitakenの日記』を毎日更新することに腐心していたためだ。しかし、2006年4月の開設以来、毎月少なとも1件の新しいエントリを公開してきたので、それだけは続けたいと思って2月最後の日にブログを更新することにした。今後の心づもりを書くと、来月と再来月にも1件ずつ新しいエントリを公開して1514番の記事に達したら、最後のエントリは5月とは決めず、区切りとなる出来事があった時に最後の更新をしようと思っている。
最近注目されたニュースは沖縄の辺野古沖埋め立ての是非を問う県民投票だった。これには保守系というか右翼系の首長がいる沖縄県内の5つの市(宮古島・宜野湾・沖縄・石垣・うるま各市)が当初参加しないと言っていたが、投票の選択を埋め立てに「賛成」「反対」の2択からほか「どちらでもない」を加える3択にしたことで全市町村の参加にこぎつけた。この2択を3択にしたことについては、「どちらでもない」を選ぶ人が出ることで「反対」の割合が減るリスクが大きいのではないかと当初懸念した。これについては世論調査や選挙の分析をネットで発信して定評のある三春充希(はる)氏の意見に共感した。はる氏は県民投票の実施にも3択にも反対だが、実施する以上は投票率を上げようと熱心に発信を続けられた。その姿勢には感服させられたが、玉城デニーには、おそらく3択でも「反対」が多数を占める確信があったのだろう。実際、勝ち目がないとみた自民党と公明党が危険を呼びかける作戦に出たため投票率は52.48%にとどまったが、投票総数605,385票、有効投票数601,888票に対して「反対」は434,273票で投票総数の7割を超えた。「賛成」は114,933票、多く出るのではないかと懸念された「どちらでもない」は52,682票、率にして9%にも満たない少数にとどまった。反対票は、昨年の沖縄県知事選における玉城デニー候補の得票数を上回り、圧倒的な民意が示された。
安倍晋三がこの県民投票の結果を無視して辺野古沖の埋め立てを続けると国会で明言したことは、この男の日頃からの言動から予想できない人は誰もいなかったと思うが、問題はマスメディアや「本土」の人間のあり方だ。
新聞・テレビなど大手マスメディアの安倍政権への「忖度」は相変わらずで、たとえばかつてはこの種の問題にはニュートラルな報道をしていた日経新聞なども露骨に安倍政権寄りの記事を書いていた。産経はいつものように安倍政権は埋め立てを続けよと絶叫していた。一方、朝日や毎日は埋め立てを止めよとする社説を出した。
問題は、安倍晋三がもっとも頼りとする読売だ。この日本一卑劣な新聞は、系列のプロ野球球団ともども私が忌み嫌って止まない「敵の本丸」なのだが、この新聞は住民投票を一面トップで報じず(一面中ほどで報じ、その扱いはなんと「経済新聞」を標榜する日経よりも小さく、社説でも県民投票を取り上げなかった。このやり方は狡猾そのものであって、下手に基地建設論を叫ぶ産経の経営が怪しくなって記者の採用もままならない窮状に陥っているのに対し、読売は部数を減らしているとはいえその王座に揺るぎはない。蛇足だが、プロ野球の読売軍(ジャイアンツ)も広島からFA宣言で移籍した丸らを獲得して、リーグ優勝を丸の移籍元の広島と争うと予想されている。
「本土」の人間も、いわゆる「リベラル・左派」を含めて、読売と同じような反応をする人間が目立った。「見て見ぬふりをする」というやつだ。右翼や政治に無関心なそうはともかく、「リベラル・左派」についていえば、「日本はアメリカの『属国』だから基地の建設を止められないのさ」とするニヒリスティックな態度が目立った。
だが、それは間違っている。一昨日(2/26)公開した『kojitakenの日記』の記事「ダルビッシュ有が『安倍信者』が発した人種差別ツイートに反論していた」の書き出しの部分に書いた内容を以下に再掲する。
(前略)あれは「日本はアメリカの『属国』だから辺野古基地建設を止められない」のではなく、私を含めた日本「本土」の人間に安倍晋三や自民党を止める意志を持たないから止まらないだけだ。安倍晋三や自民党の政治家は惰性力で動いているが、それを止められない「本土」の人間も惰性力に流されて堕落している。それを「強大なアメリカの意向だからどうにもならない」と言って自らを慰めるのは、アメリカを己のふがいなさの免罪符にして自らの堕落を直視することを避ける怯懦な姿勢でしかない。本当に辺野古にこだわっているのは米軍やトランプではなく、日本の保守政治家たちなのだ。あらゆる意味で「属国論」は間違っている。
この「属国論」はいわゆる「小沢信者」系の人々には特にそれを唱える人が多いが、何も彼らに限らず、「リベラル・左派」一般に広く浸透している。彼らの心の琴線に触れるのが、孫崎享の『戦後史の正体』、矢部宏治の『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』や『知ってはいけない』、白井聡の『永続敗戦論』や『国体論』などの、私に言わせれば百害あって一利なしの書物群だ。いったん「アメリカの強大さ」にとらわれてしまうと、ちょっとくらい反対したって何にもならないだろうとの諦めにつながってしまう。その「アメリカのやることは止められない」という諦めが、基地建設継続を事実上後押ししているのだ。これは、いわば自覚せざる「見て見ぬふり」であって、そんな態度では安倍晋三や読売やNHKの岩田明子ら、意図的に「見て見ぬふり」をする勢力の思う壺だ。
「リベラル・左派」の諦めが「崩壊の時代」にストップさせられない元凶の一つだ。そう声を大にして言いたい。
しかし今回は上記のいずれでもなく、サッチャー死亡のニュースが報じられる直前の4月8日に、朝日新聞など一部を除く多くの新聞に報じられた、1959年の「砂川事件」最高裁判決にアメリカが干渉した件を取り上げる。
私はこの件をサッチャー死亡の話題で持ち切りの9日に知ったが、それは朝日新聞が8日付の紙面で報じなかったからだ。あとで知ったことだが、東京新聞や毎日新聞では1面で報じられたらしい。読売も8日付で報じたが、1面ではなく目立たないスペースに載せた。しかしそれでも8日の紙面に載せただけマシで、朝日に載ったのは9日付朝刊の社会面だった。以下毎日新聞記事(下記URL)から引用する。
http://mainichi.jp/select/news/20130408k0000m040116000c.html
砂川事件:米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前
1957年夏、米軍の旧立川基地にデモ隊が侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決(59年3月)後、最高裁長官が上告審公判前に、駐日米首席公使に会い「判決はおそらく12月」などと公判日程や見通しを漏らしていたことが、米国立公文書館に保管された秘密文書で分かった。1審判決後、長官が駐日米大使と密会したことは判明しているが、基地存在の前提となる日米安全保障条約改定を前に、日本の司法が米側に図った具体的な便宜内容が明らかになったのは初めて。専門家は「憲法や裁判所法に違反する行為だ」と指摘している。【青島顕、足立旬子】
布川玲子・元山梨学院大教授(法哲学)がマッカーサー駐日大使から米国務長官に送られた秘密書簡を開示請求して入手した。
書簡は59年7月31日にレンハート駐日首席公使が起草。田中耕太郎長官に面会した際「田中は、砂川事件の最高裁判決はおそらく12月であろうと考えている、と語った」「彼(田中氏)は、9月初旬に始まる週から、週2回の開廷で、およそ3週間で終えると確信している」などと記している。
実際には、公判期日は8月3日に決まり、9月6、9、11、14、16、18日の6回を指定し、18日に結審。最高裁大法廷は同年12月16日に1審判決を破棄、差し戻した。
書簡はさらに、田中長官が「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話した、としている。60年の日米安保条約改定を控えた当時、米側は改定に反対する勢力の動向に神経をとがらせており、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいた。それだけに、田中長官が1審破棄までは明言しないものの「評議が全員一致を生み出すことを願っている」と述べたことは米側に朗報だったといえる。
布川氏は「裁判長が裁判の情報を利害関係のある外国政府に伝えており、評議の秘密を定めた裁判所法に違反する」とコメントしている。
また書簡では、砂川事件1審判決が日米安保条約改定手続きの遅れにつながっているとの見解を日本側が在日米大使館に伝えていたことも明らかになった。書簡は情報源について「(日本の)外務省と自民党」と記している。
【ことば】砂川事件
1957年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、検察側は高裁を飛ばして最高裁に上告(跳躍上告)。最高裁大法廷は同年12月に1審を破棄した。差し戻し審で7人の罰金刑が確定した。
毎日新聞 2013年04月08日 02時30分(最終更新 04月08日 08時51分)
記事は「1審判決後、長官が駐日米大使と密会したことは判明しているが」と書いているが、これが明らかになったのは2008年である。その時にも毎日新聞と東京新聞は1面で報じたが、朝日には(少なくとも毎日や東京と同じ日の紙面には)載らなかったらしい。当時の毎日新聞記事は既にリンク切れだが、毎日の記事を引用したブログ記事経由で引用する。
砂川裁判:米大使、最高裁長官と密談 1959年、1審「日米安保違憲」破棄判決前に
米軍立川基地(当時)の拡張に反対する住民らが基地内に侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決を破棄し、合憲判断を出した1959年の最高裁大法廷判決前に、当時の駐日米大使と最高裁長官が事件をめぐり密談していたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。当時は基地存在の根拠となる日米安保条約の改定を目前に控え、米側と司法当局との接触が初めて明らかになった。
◇米で公文書発見
国際問題研究者の新原昭治さん(76)が、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した。大使は、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のおいであるダグラス・マッカーサー2世。最高裁長官は、上告審担当裁判長の田中耕太郎氏だ。
文書は、59年4月24日に大使から国務長官にあてた電報。「内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った」と記載している。
電報は、米軍存在の根拠となる日米安保条約を違憲などとした59年3月30日の1審判決からほぼ1カ月後。跳躍上告による最高裁での審議の時期などについて、田中裁判長に非公式に問い合わせていたことが分かる内容。
これとは別に、判決翌日の3月31日に大使から国務長官にあてた電報では、大使が同日の閣議の1時間前に、藤山愛一郎外相を訪ね、日本政府に最高裁への跳躍上告を勧めたところ、外相が全面的に同意し、閣議での承認を勧めることを了解する趣旨の発言があったことを詳細に報告していた。
新原さんは「外国政府の公式代表者が、日本の司法のトップである、担当裁判長に接触したのは、内政干渉であり、三権分立を侵すものだ」と話している。【足立旬子】
◇批判されるべきだ--奥平康弘東大名誉教授(憲法学)の話
田中長官が裁判について詳しくしゃべることはなかったと思うが、利害関係が密接で、当事者に近い立場の米国大使に接触したことは内容が何であれ批判されるべきことだ。当時の日米の力関係を改めて感じる。
◇安保改定へ日米連携--我部(がべ)政明・琉球大教授(国際政治学)の話
安保条約改定の大枠は59年5月に固まっている。1審判決が出た3月は、日米交渉がヤマ場を迎えた時期だ。日米両政府が裁判の行方に敏感に反応し、連携して安保改定の障害を早めに処理しようとしていた様子がよく分かる。日本は、米国による内政干渉を利益と判断して積極的に受け入れていたことを文書は示している。
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■ことば
◇砂川事件
1957年7月8日、東京都砂川町(現・立川市)の米軍立川基地で、拡張に伴う測量に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は、安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、最高裁大法廷は同12月に1審を破棄、差し戻しを命じた。判決は、国家統治の基本にかかわる政治的な問題は司法判断の対象から外すべきだとした(統治行為論)。7人は罰金2000円の有罪が確定した。
◇跳躍上告
刑事訴訟法に基づき、地裁や家裁、簡裁の1審判決に対して、高裁への控訴を抜きに、最高裁に上告する手続き。1審で、憲法違反や地方自治体の条例・規則が法律に違反したと判断された場合に限る。
毎日新聞 2008年4月30日 東京朝刊
5年前も今回も足立旬子記者が取材している(今回は青島顕記者の名前もクレジットされている)。毎日の報道に関しては足立記者GJといえようか。一方、5年前も今回も「特落ち」したらしい朝日はふがいないの一語に尽きる。
砂川事件とその一審判決および最高裁判決は、「統治行為論」や「跳躍上告」などといった言葉と一緒に高校で習った。当時は統治行為論を否定するのは当たり前で、肯定するのはサンケイ新聞(当時の表記)くらいのものだったが、その後間もなくナベツネが読売新聞の論説委員長に就任すると(1979年)、読売も「統治行為論」を正当とする論調に転換し、ナベツネの意見に反対したそれまでの論説委員を片っ端から左遷した。ナベツネが理想とする「権力と一体となったジャーナリズム」の始まりである。
ところで、植草一秀もこの件を8日付ブログで取り上げている。遅れずに8日に取り上げているのはさすがだが、植草のブログ記事は下記のように書き出される。
『戦後史の正体』がまたひとつ明るみに引き出された。
元山梨学院大学教授の布川玲子氏が今年1月、米国立公文書館に開示請求し入手した文書が明らかにされた。
文書は1959年8月3日付で、当時の田中耕太郎最高裁長官とレンハート主席公使の会談の内容および米大使館の見解をマッカーサー駐日米大使が米国務長官あてに送った公電などである。(以下略)
(植草一秀の『知られざる真実』2013年4月8日付記事「最高裁トップが外国政府に判断仰ぐ『属国の作法』」より)
だが、ここで大きな疑問が湧く。果たして米政府に「判断を仰いだ」のは「最高裁トップ」だけだったのだろうか。
植草自身が明記している通り、文書は1959年8月3日付である。いうまでもなく、岸信介政権の時代だ。2008年4月30日付の『しんぶん赤旗』の記事(下記URL)には、当時の外相・藤山愛一郎や首相・岸信介の動きを記した公電の内容が紹介されている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-30/2008043004_01_0.html
■「部外秘」
1959年3月30日午前6時52分受信
夜間作業必要緊急電
伊達秋雄を主任裁判官とする東京地方裁判所法廷は本日、…「…米軍の駐留は……憲法に違反している」と宣言した。
(中略)
当地の夕刊各紙はこれを大きく取り上げており、当大使館はマスメディアからさまざまの性格の異なる報道に関した数多くの問い合わせを受けている。外務省当局者と協議の後、これら問い合わせには、「日本の法廷の判決や決定に関して当大使館がコメントするのはきわめて不適切であろう…」むね答えている。在日米軍司令部もマスメディアの問い合わせに同様の回答をしている。
(後略)
■「極秘」
1959年3月31日午前1時17分受信
至急電
今朝八時に藤山(外相)と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話し合った。私は、日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すことの重要性を強調した。私はこの判決が、藤山が重視している安保条約についての協議に複雑さを生みだすだけでなく、四月二十三日の東京、大阪、北海道その他でのきわめて重要な知事選挙を前にしたこの重大な時期に大衆の気持ちに混乱を引きおこしかねないとの見解を表明した。
(中略)
私は、もし自分の理解が正しいなら、日本政府が直接、最高裁に上告することが非常に重要だと個人的には感じている、…上告法廷への訴えは最高裁が最終判断を示すまで論議の時間を長引かせるだけだからであると述べた。これは、左翼勢力や中立主義者らを益するだけであろう。
藤山は全面的に同意すると述べた。…藤山は、今朝九時に開催される閣議でこの行為を承認するように勧めたいと語った。
■「部外秘」
1959年4月1日午前7時06分受信
至急電
日本における米軍の駐留は憲法違反と断定した東京地裁の伊達判決は、政府内部でもまったく予想されておらず、日本国内に当初どきっとさせるような衝撃をひろげた。
(中略)
岸(首相)は、政府として自衛隊、安保条約、行政協定、刑事特別法は憲法違反ではないことに確信を持って米国との安保条約改定交渉を続けると声明した。
■「秘」
1959年4月1日午前7時26分受信
至急電
藤山(外相)が本日、内密に会いたいと言ってきた。藤山は、日本政府が憲法解釈に完全な確信をもっていること、それはこれまでの数多くの判決によって支持されていること、また砂川事件が上訴されるさいも維持されるであろうことを、アメリカ政府に知ってもらいたいと述べた。法務省は目下、高裁を飛び越して最高裁に跳躍上告する方法と措置について検討中である。最高裁には三千件を超える係争中の案件がかかっているが、最高裁は本事件に優先権を与えるであろうことを政府は信じている。とはいえ、藤山が述べたところによると、現在の推測では、最高裁が優先的考慮を払ったとしても、最終判決をくだすまでにはまだ三カ月ないし四カ月を要するであろうという。
(中略)
一方、藤山は、もし日本における米軍の法的地位をめぐって、米国または日本のいずれかの側からの疑問により(日米安保)条約(改定)交渉が立ち往生させられているような印象がつくられたら、きわめてまずいと語った。
そこで藤山は、私が明日、藤山との条約交渉関連の会談を、事前に公表のうえ開催することを提案した。(後略)
(砂川事件・伊達判決に関する米政府の解禁文書(2008年解禁)〜『しんぶん赤旗』2008年4月30日付より)
岸は、一審判決(「伊達判決」)が出るや否や声明を発表し、藤山外相側から駐日米大使に会見を求めるなどしている。つまり、事実は植草がブログ記事のタイトルにしたような「最高裁トップが外国政府に判断仰ぐ『属国の作法』」にとどまらず、岸信介政権とアメリカがグルになって司法権の独立を侵し、最高裁長官・田中耕太郎も自ら進んで司法権の独立を放棄し、岸政権とアメリカに協力したということだ。つまり、「属国の作法」とやらを行った張本人は岸信介だったと考えなければならない。
植草は、ブログ記事の冒頭で孫崎享のトンデモ本『戦後史の正体』のアマゾンのサイトにリンクを張っているが、当記事ではリンクを削除して引用した。その代わり、当ブログの昨年10月9日付記事「安倍晋三『長期政権』の悪寒/左派内から崩れる『護憲論』」にリンクを張っておく(下記URL)。この記事で私は孫崎のトンデモ本『戦後史の正体』を批判した。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1272.html
上記リンク先の記事で批判したように、孫崎は日本国憲法を「押しつけ憲法」史観で軽く退け、岸信介を天まで届かんばかりに絶賛している。そして、岩上安身や植草一秀はこのトンデモ本を大々的に宣伝した。孫崎・岩上・植草らの意図がどこにあるのか私にはわからないが、結果として起きたのは、「小沢信者」と呼ばれる一部の左派(主に新左翼崩れ)の連中が一斉に改憲派に転向したことだ。安倍晋三にとってこれ以上ありがたい話はないだろう。
現在、マスコミの調査で生活の党の支持率は0.1〜0.3%程度のようだから、「小沢信者」の数などたかがしれているかもしれない。しかし、彼らの聖典になったように見受けられる『戦後史の正体』はベストセラーとなり、孫崎は岩波書店からも本を出すようになったし、何を勘違いしたのか自民党議員が国会の質疑で「孫崎享のような人間をテレビに出すとは何事か」と発言するなど、現在、孫崎はあたかもリベラル・左派の代表的論客であるかのように思われている。
しかし、それは誤りである。引用文が多くて長くなったこの記事で示したように、孫崎享・岩上安身・植草一秀といった人たちは、なぜか岸信介を持ち上げる。今回報じられた最高裁長官と駐日米大使の密談についても、植草は「最高裁トップが外国政府に判断仰ぐ『属国の作法』」とは書くものの岸信介政権の動きについては何も書かない。
孫崎・岩上・植草らこそ、「小沢信者」が好む表現を借用すると「工作員」(笑)ではないか。彼らはリベラル・左派に取り入ってこれを転向させ、安倍晋三・石原慎太郎・橋下徹らが目指す憲法改定に大きく寄与している。
だが、テレビ朝日では、全国ネットはされない『サンデースクランブル』の方がもっとひどいネオリベ・ネオコン番組であることを知った。調べてみると、この番組は、関西や中国・四国(広島、山口、愛媛を除く)や九州ではネットされていないし、中京地区でも昨年10月からネットされるようになったばかりらしい。全国隈なくは放送されないこの番組では、テリー伊藤や黒鉄ヒロシが電波芸者ぶりを剥き出しにしていて、醜さの限りを尽くしている。長野智子も、全国ネットの番組で見せるリベラルっぽい顔とは打って変わって、電波芸者たちを後押しする司会ぶりで、これには驚かされる。地方局でも、大阪・読売テレビが製作し、首都圏を除くほとんどの地域にネットされている、やしきたかじん司会の極右番組(橋下徹はここで人気者になった)があるが、どうしてネットされない地域がある番組に限って、新保守主義や新自由主義色の毒々しいまでに強烈な番組が製作され、電波に乗るのだろうか。昨日も、テリー伊藤が猛烈な剣幕で社民党の福島瑞穂党首に噛みついたのだが、福島氏は巧みに身をかわしていた。しかも、安全保障問題に関する代表的な右派論客の一人である森本敏が、米軍基地を沖縄に置く必要は必ずしもないなどと言ったものだから、テリー伊藤は振り上げた拳の下ろしどころがなくなる赤恥をかいていた。
鳩山由紀夫首相が、抑止力の重要性を学んだなどと発言したものだから、「抑止力」なるものの議論が沸き起こっている。海兵隊が沖縄にいなければならない理論を、右派の方々が熱心に構築されているようなのだが、それをその道の大家であるはずの森本敏があっけなく否定し去るのを見ると、それはやはり負担を沖縄に押しつけるための「沖縄差別」を正当化する詭弁に過ぎなかったことが白日の下にさらされた格好だ。
沖縄差別というと、ひどかったのは山岡賢次の発言であって、「普天間や政治とカネの話は直接国民の生活には影響しない。地方に行くと普天間は雲の上の話だ」と放言して、糸満市の伊敷郁子市議から猛烈な抗議を受けた場面がテレビに流れた。政権を右から批判する側だけではなく、小沢一郎の側近までもが平気で「沖縄差別」の発言をするのだから、この問題の根は深い。
保守政治家や右翼とつながりが深かった、歴史小説家の山岡荘八の婿養子である山岡賢次は、うさんくさい男だし人望もなくて、民主党が圧勝した昨年の総選挙を除くと、毎回自民党候補に負けて比例復活で議員の座を守ってきた二流の政治家だが、こんなのを側近に抱えている小沢一郎自身に対する疑念もぬぐえないのが正直なところだ。小沢一郎は、自らの不起訴が決まった直後に検察とのバトルの矛を収めた時もそうだったが、今回も肝心な場面で鳩山首相がサンドバッグのように叩かれている状況で沈黙を続けた。
小沢一郎の熱烈な支持者は、検察審査会の議決で、鳩山由紀夫が「不起訴相当」、小沢一郎が「起訴相当」とされたことについて、「鳩山が小沢を切り捨てようとしている」として、普天間基地問題についても、全責任を鳩山首相に押しつけて小沢一郎を免罪する構えを見せているが、それはいくらなんでもひいきの引き倒しだろう。彼らが言うように、「小沢さんでなきゃアメリカにものを言えない」のなら、なぜ今小沢一郎は沈黙を守るのか。
小沢一郎はやはり世襲政治家に過ぎず、たとえば石橋湛山のような政治家には遠く及ばないというのが私の見立てで、よく言われるように「壊し屋」としては抜群の才能を持つが、政権交代後には政権を内部崩壊させてしまったのが1993?94年の政局であり、それを16年後に繰り返しているように見える。同様に、いつも書くように、鳩山首相が内閣支持率を急落させた現状は、2002年に民主党の支持率を大きく落として代表辞任に追い込まれた過程を8年後に繰り返しているように見える。
これらからわかることは、結果がすべてである政治の世界においては、一度失敗した人間に「再チャレンジ」を許すとろくなことがないことだ。その伝でいうと、郵政総選挙や偽メール事件で失態を演じた岡田克也や前原誠司が鳩山首相の後継首相になってもろくなことはないし、それで再度の解散総選挙にでもなって自民党が政権に復帰し、安倍晋三や麻生太郎が総理大臣に返り咲くようなことがあろうものなら、目も当てられない「日本崩壊」を招くだろう。
有能とはとても思えない政権党の執行部や、安倍晋三をはじめとする自民党の世襲政治家の力の源泉になっているのが小選挙区制ではないかというのが私の意見で、70年代に、小選挙区制が実施されると自民党の議席数が激増することが支持されずに小選挙区制導入が見送られたことを知っていた私は、90年代の「政治改革」の議論を冷ややかに見ていたのだが、あの時には田原総一朗ら電波芸者が「改革派」を全力で応援し、無理が通れば道理が引っ込む結果を招いた。小選挙区制が導入されなければ、1996年の総選挙で自民党は下野していたはずだと言う人もいる。
総選挙の行われたイギリスで、第一党に返り咲いた保守党と、第二党の労働党が、いずれも選挙前に「政治と金」のスキャンダルを引き起こした影響で、第三党の自由民主党(同名の日本の右翼政党とは異なり、中道政党)が伸びると見られていたが、結局同党は前回総選挙よりわずかに得票率を伸ばしたものの、議席数を減らす結果となった。保守党との連立協議で自由民主党は選挙制度の見直しを要求したと伝えられる。
小選挙区制導入後の日本の衆議院選挙では、最初の3回は第一党の圧勝とはならなかったが、続く2回で第一党が地滑り的圧勝を演じた。しかし、その二度の選挙で当選した、なんとかチルドレンとやらの大半は、日本の政治にほとんど何の寄与もしていないように見える。
小選挙区制の弊害ばかりが目立つと私には思えるのだが、テレビでは朝日新聞の星浩が、民主党は政権についたら議員定数削減をやらないとご不満で、早くやれとせっついている。その影響があったのかどうか、民主党は参院選の間にフェストに参議院の議員定数40減を掲げるそうだが、今回は比例区かどうかは明言していない。しかしどうせ比例区に決まっていると私は思う。
なすべきことは、比例区の定数削減なんかじゃなくて、90年代?00年代に失敗を犯し、賞味期限の切れた政治家の影響力を排除するためにも、小選挙区を中心とした選挙制度を見直すことだと思うが、小選挙区制論者の小沢一郎が権力者として君臨している限りは、その見直しは行われない。
一部の世評に反して、アメリカに対しても言うべきことなど全然言えていないのが小沢一郎なのであるから、そろそろ小沢一郎の「神格化」など止めて、とらわれのない議論がなされるべき時が来ているのではないかと思う。
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ようやく開き直った鳩山首相は、辺野古現行案を、「海が埋め立てられることの自然への冒涜を感じた。現行案の受け入れはあってはならない」と強い調子で発言した。沖縄県民大会を意識しての発言ではあろうが、国外・県外移設を訴えて総選挙で勝ったのだから、就任早々今のような強気で臨むべきだった。
鳩山政権発足当初、最初から敵対的な態度を取った産経は別として、日経や読売、それに朝日までもが「君子豹変」を鳩山首相に勧めた。それは、主に消費税増税を4年間凍結するとした公約を見直せという文脈で発せられたが、沖縄の米軍基地移設の件でも、保守系マスコミは現行案での決着を強く求めた。
その名を言及される時、必ず「無能な」という形容付きで呼ばれる官房長官の平野博文は、まんまとマスコミやその裏にいる官僚の誘いに乗ってしまった。平野は、辺野古移転に反対した稲嶺進氏が当選した名護市長選のあと、「民意を斟酌する必要はない」と言い放ち、池田信夫(ノビー)はその尻馬に乗って世迷い言を書き散らした。
ところが、民主党政権に反対しているノビーに対し、民主党政権を熱狂的に支持している植草一秀は、ノビーを強く批判するどころか、政権発足当初には、県外移設を決める時間的余裕など内、辺野古への移設を早く決めてしまえと主張していた。その後立場を変え、最近では「海外移設しかない」と言い出すに至った。植草の言説の変遷は、『大脇道場』のエントリ「普天間基地問題 植草一秀の『知られざる変節』」が検証している。
植草のように、一昨年以来ネットで人気を高め、特に民主党の小沢一郎・鳩山由紀夫ら主流派を応援するブロガーに影響力の強い人間が、普天間基地問題には全くの鈍感だったことが、小沢・鳩山命のブロガーたちに悪影響を与えた。この件に関して、ネットにおける「左」側からの鳩山政権への批判は弱く、批判しているのは共産党支持系ブログか、そうではなくても小沢一郎や鳩山由紀夫と距離を置くブログばかりだった。保守系のマスコミは、最初から鳩山内閣の支持率を落とそうという意図があったのだから、彼らにつけ込ませないためにも、公約のスピーディーな実現を鳩山政権に求めるべきだったと思うのだが、「できたばかりの新政権を温かく見守ろう」という論調ばかりが目立った。その結果、鳩山内閣の支持率は急落した。マスコミや官僚を甘く見た鳩山政権の失敗だ。
テニアン島を含むの島々からなる北マリアナ連邦の上院議会が、国防総省と日本国政府に対して、米軍普天間飛行場の移設先の最適地として北マリアナを検討するよう求める誘致決議を全会一致で可決したが、このニュースは琉球新報では読めるが、全国紙では読めないしテレビも取り上げない。そんなマスコミの神経を逆なでする公約を掲げて選挙に勝ったのだから、鳩山首相は最初から強気に出るべきだった。人の好意をあてにしてしまうあたり、鳩山首相の育ちの良さが災いした。
当ブログではこれまで取り上げてこなかったが、ワシントン・ポスト紙が書いた鳩山首相批判記事を嬉しそうに取り上げて囃し立てるのが日本のマスコミだ。谷垣禎一も先日の党首討論でこれを利用したが、攻撃している谷垣の方が馬鹿に見えた。あの党首討論で谷垣のイメージが上がったという人など誰もいないのではないか。
谷垣以上に滑稽なのは、「改革クラブ」と組むしか活路がなかった舛添要一だが、改革クラブの模様替えに過ぎない党の名前を「ますぞえ新党」にしようとして公職選挙法違反を指摘されて撤回するなどの醜態をさらした今になっても、テレビ朝日で小宮悦子が「総理大臣にしたい人ナンバーワン」などと舛添を持ち上げ、舛添はいい気になって好き勝手なことをしゃべっていた。しかし、例によって中身は何もなく、マスコミが喜びそうな新自由主義的政策を安易に列挙するだけだった。その新自由主義的政策にしてからが、前回のエントリでも書いたように舛添の本心から出たものではなく、単にメディアに迎合しているだけだ。正直言って舛添が何をしゃべったか、具体的な内容を思い出せないほど薄っぺらな言葉の羅列だったのだが、『ニコブログ』が記録している(下記URL)ので、興味のおありの方は参照されたい。
http://nikonikositaine.blog49.fc2.com/blog-entry-1336.html
そういえば、普天間基地移設問題についての見解は、前記小宮悦子(司会者としてあまりに無能だよねえ、このおばさん)の番組でも舛添は聞かれなかったし、新党騒ぎに精を出している人たちにもあまりコメントを求められない。
たとえば、反米的主張で一部「左」側ネット市民の「理解」(笑)を得ていた平沼赳夫や城内実も、普天間についてはほとんど発言していないのではないか。いくつもに分かれた新党は、それぞれに政策を問われることもなく、そもそも新党を作ってほしいなどと思っている人なんてほとんどいないのに、マスコミと政治家の都合で空疎な新党騒ぎが繰り広げられる。この馬鹿げた泡沫新党群について書きたいことは何もなくなってきた。
普天間基地問題で揺れ、税制や道路問題でも迷走する鳩山政権だが、自民党や「みんなの党」を含む自民系新党群はそれ以下なのだからお話にならない。「不安定の中の安定」ともいうべきか、妙な膠着状態になりかかっているように思える。
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元農水省官僚で、諫早湾開門にも反対の候補となれば、これは魅力薄だ。しかも、選挙運動で「利益誘導」をしきりに匂わせていたという。これでは自民党候補と何も変わらず、この人と自公候補の事実上の一騎打ちだったら、それは自公候補が勝っても仕方がない。そう思った。
本エントリの記事を書くためにネットで調べてみたところ、民主党長崎県連は「開門調査」に反対しており、昨年夏の総選挙において長崎2区で初当選した福田衣里子議員も「即時開門」には反対の立場をとっていたことを知った。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/170
なんだ、自民党と民主党といったって、しょせんは利権の奪い合いをする二大政党であって、政治に関して現在報じられているさまざまな事象のうちには、利権の移転という観点から見た時に腑に落ちるものが多いなと思える。
たとえば、エネルギー政策における原発への傾斜がそうだ。環境大臣の小沢鋭仁は、就任当初から「地球温暖化対策」を口実にした原発推進論者であることを表明していたが、資源エネルギー庁は、原子力発電所の現在の新設計画(14基)がすべて実現しても、2030年以降の20年間にさらに20基の新設が必要という試算をがまとめた(毎日新聞記事=下記URL=による)。
http://mainichi.jp/select/science/news/20100306dde035040022000c.html
「これはひどい」としかいいようのない試算である。『広島瀬戸内新聞ニュース』は、さっそくこれを取り上げて批判している(下記URL)。
http://hiroseto.exblog.jp/12267047
はっきり申し上げて、まず「原発新増設ありき」の作文としか言いようがありません。
例えば、遠くの原発ではなく、地域の発電所から電気を供給するようになれば、送電のロスも削減できます。
地域の雇用も増えます。
「電気の地産地消」などということは、資源エネルギー庁のお役人は全く考えないのでしょうか?
こんなものを、政権のエネルギー政策としてそのまま実施してはいけないと思います。
官僚がこんな馬鹿げた試算を出すから、「地球温暖化陰謀論」なんかが大手を振ってまかり通るのである。温暖化対策の問題と原子力発電の是非を問う問題をリンクさせて論じなければならないと主張する識者も少なからずいるのだが、その声はいっこうに広まらない。環境・エネルギー問題は、当ブログでもたまに取り上げるが、それらのエントリはブログの中でも特にアクセス数の少ない不人気エントリになる。つまり読者の関心も低い。
しかし、鳩山民社国政権が本気で日本の政治・経済・社会を立て直すつもりがあるのであれば、こんな試算を政策に反映させてはならない。
まず第一に、いうまでもなく地震国日本でこれ以上原発を増設することの安全性の問題がある。第二に、原発は高コストのエネルギーだということで、それなのになぜ原発建設が推進されてきたかというと、それが自民党政権の定めた国策だったからだ。そこには、当然ながら政官業の癒着構造がある。具体的に書くと、「官」の中心は経済産業省であり、「業」は電力会社や大手電気会社である。それを、一方で事業仕分けなどをやっている政権が見直さないどころか、さらなる原発増設に踏み切ろうとするとはとんでもない話である。地域ごとの大きな電力会社が発電、送電、配電のすべての事業を独占している現在のシステムは、大昔から問題視されているにも関わらず、今まで手つかずだった。規制緩和、規制緩和と叫び続けた自民党政権は、なぜか電力の自由化には手をつけなかった。そして、今また官僚や電力会社は、民主党の政治家たちに対して、「お前らも利権にありつけよ、おいしいぞ」と誘いをかけている。
鳩山政権は、こんな馬鹿げた官僚どもの試算など退けて、民主党のマニフェストにも謳った自然エネルギー(再生可能エネルギー)の開発に注力すべきなのだ。地産地消の自然エネルギーの意義については、『広島瀬戸内新聞ニュース』が指摘する通りである。
普天間基地移設問題に絡んでも、利権の匂いがぷんぷん漂う。1月24日に投開票が行われた名護市長選で、辺野古への移設に反対した稲嶺進氏(民主、共産、社民、国民新、沖縄社会大衆、そうぞう推薦)が当選した時には、これで辺野古沖現行案は消えたと思われたが、選挙の直後から平野博文官房長官が「選挙結果を斟酌(しんしゃく)しなければならないという理由はない」などという不遜な言葉を吐いて雲行きが怪しくなり、先月には国民新党の下地幹雄が「辺野古陸上案」を突然持ち出すなど、予期に反して県内移設への圧力が一気に強まった。これに関しても、下地幹雄が官業側に利権をちらつかされて寝返ったことが容易に推測される。
先週末にブログ『世に倦む日日』が、「普天間移設は、亀井静香がキーパーソンであり、現在は亀井静香が県内移設を容認しているから平野博文を止められずにいるが、亀井静香を説得して県内移設反対に転換させれば県内移設は阻止できる」という趣旨の主張をしていた(同ブログは一定期間が経過すると記事は有料購読読者しか読めなくなるので、現在はリンク先から亀井静香に関する記述を参照することはできない)。
これを読んで、そういえば脱ダム問題でも亀井静香は劇的な方針転換をしたことが、天野礼子氏の著書『ダムと日本』(岩波新書、2001年)に書かれていたのを思い出した。
それで、天野さんはどうやって亀井静香を動かしたのだろうと思って同書をパラパラめくってみると、天野さんは従来の自然保護運動は公害時代からの「アカ攻撃」にやられてきたと考え、名環境庁(現環境省)長官といわれた故鯨岡兵輔氏(1915-2003)と故三木武夫元首相夫人の三木睦子氏に働きかけ、鯨岡氏を中心として自民党から共産党までの超党派で「長良川河口堰問題を語る議員の会」(田英夫=社民連=事務局長)を成立させ、建設省(現国土交通省)と相対していたことを確認した(前掲書88頁)。その活動に、建設大臣時代の亀井静香が目を止めたのだった(同138-139頁)。
つまり、天野さんは周到な活動をしていたわけだが、そこまでせずとも、2008年の「麻生邸リアリティーツアー不当逮捕」の際にも、フリーター労組側の意見を聞いた亀井静香が、これはやりすぎだ、と判断して、当時の警視総監に抗議した例がある事例を、やはり『広島瀬戸内新聞ニュース』が紹介している(下記URL)。
http://hiroseto.exblog.jp/12261890
そういう機動力のある動きができるのは、亀井静香というキャラクターによるところが大きく、天野さんの本を読み返していると、頼りにしていた村山富市元首相(社会党=現社民党)や故野坂浩賢元建設相(1924-2004)らには散々に裏切られたことや、同じ現国民新党の政治家でも、綿貫民輔国民新党前代表(昨年の総選挙で落選して政界引退)が国土庁(現国土交通省)長官時代に天野さんが働きかけた時は、長良川河口堰建設反対の意見に耳を傾けるような反応を示したのに、翌年河口堰の建設が始まったばかりか、綿貫氏自身が建設大臣に就任したという例もある(前掲書139頁)。そうした人たちと対比しながら、天野さんは亀井静香について、「こいつは(失礼)、男だ」と感じたと述べている(前掲書139頁)。
他の事例(亀井静香の死刑制度への反対論やJALキャビンアテンダントの待遇問題)を考え合わせても、普天間基地の県内移設に反対する人々は、単独で意見を発信するだけではなくて、力を合わせて亀井静香国民新党代表に働きかけるのが上策ではないかと思う。『なごなぐ雑記』の宮城康博さん、いかがでしょうか?
長崎県知事選と東京都の町田市長選で、民主党の推す候補者が負けたが、西松事件のあった昨年春にも千葉県知事選で森田健作が圧勝したり、秋田県知事選で自公が推す佐竹敬久氏が民主党の推す川口博氏を破って、すわ自民党復調かと騒がれたものだった。2003年以降、5度の国政選挙のうち、たった一度だけを除いて、自民党は国政選挙直前に勢いを失って議席を減らす結果が続いている。今年の参院選もそうなるだろう。だが、今回は与党・民主党も公約を実行できないことに対する批判を受ける立場になるから、3年前の参院選や昨年の衆院選のような民主党一人勝ちにはならないと思う。みんなの党が不気味に頭をもたげるかもしれない。
現在、国政の問題では、小沢一郎の「政治と金」の問題は別にして、以下の2点が焦点になっているように見える。1点は税制改革の問題で、消費税を論点にして民社国連立政権に早期の消費税増税を呑ませようとするマスコミに対し、政府、特に民主党左派と社民党がそれに有効な反撃ができない状態だったが、ようやく菅直人財務相が土曜日(20日)に行った東京・町田市長選の応援演説を、朝日新聞が「所得税累進制の強化「本格的に議論を」 菅財務相が意欲」という見出しで報じた(下記URL)。
http://www.asahi.com/politics/update/0220/TKY201002200270.html
その一方で、産経新聞は相変わらず馬鹿な記事を書いていて、それに引っかかった人たちも多数いたようだが、これらの件に関しては、昨日の『kojitakenの日記』のエントリ「菅直人財務相が『累進性再強化』を強調」(下記URL)に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100221/1266719440
この他、読者の皆さまにお読みいただきたいエントリを3件、やはり『kojitakenの日記』に、「『高額所得への課税や法人税課税を含む税制改革』に関するおすすめのエントリ」と題して紹介した(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100221/1266737277
とにかく、マスコミがあまりにもひどい恣意的な報道をするものだから、先週は当ブログを3回更新したほか、昨日は裏ブログでも力み返ってしまった。昨年夏までは平日は毎日更新していたとはいえ、今年は昨年ほどゆとりのない生活をしているので、それなりにこたえる。税制改革問題におけるでたらめなマスコミ報道は、小沢一郎の「政治と金」についての報道よりよっぽどひどいと思うのだが、そう思うのはどうやらごく一握りの人間に過ぎないらしい。
今日のメインは、もう1つの焦点である普天間基地移設問題だが、この問題についてもネットでの議論は活発とはいえない。先週突如浮上した「キャンプ・シュワブ陸上案」には頭痛がしたが、これに対するネット言論の反発の弱さは信じられないほどだ。たとえば、前のエントリで税制改革の議論に不熱心だと批判した植草一秀は、いまだに民主党のブレーンに登用されたいという見果てぬ夢を持っているのかどうか知らないが、普天間基地移設に対してもきわめて不熱心で、小沢一郎を攻撃するメディア談合組織がどうのこうのと、タイトルに機種依存文字を用いながらおバカな記事を書き続けている。おかげでいつも教祖さまの顔色を伺ってばかりいる信者たちもまともな記事を書けずにいる。
そんな中にあって気を吐いているのが、『日本がアブナイ!』である。普段は民主党政権に対して甘すぎるのではないかと思うこともしばしばあるこのブログだが、今回のキャンプシュワブ陸上案に関しては、マスコミ報道に基づいて民主党政府の動きを厳しく批判している。
「やっぱ政府主導で進んでいたCシュワブ陸上案+社民に連立離脱の圧力か?」(2月20日付)では、管理人は、
と書いて怒っているし(論拠は2月15日付の琉球新報)、「陸上案は、沖縄県民にも地元住民にも米国にもベターじゃない!」(2月21日付)では、さらに突っ込んだ政府批判をしている。長くなるが引用する。このような米国の強い姿勢(圧力)を受けてか、政府では、もう今月はじめには陸上案の検討を始めていたようなのである。(-"-)
しかも、それを、あえて国民新党の案として提案するように求めたという話まで出ていた。(ーー)
沖縄の県民にとって、沖縄県内に基地を移設する<県内に新しい基地を作る>ことは、どう見てもベターではない。
また、名護市民にとっても、キャンプ・シュワブの陸上案は、海上案に比べて、決してベターだとは言えないのだ。(ーー゛)
自民党政権下で合意された移設案は、さんごやジュゴンでも知られる辺野古の海を埋め立てるものだったので、多くの人たちは、反対運動を行なう時に、「辺野古の美しい海を守ろう」とアピールして来た。(・・)
そして、鳩山首相や小沢幹事長らも、「あの海を埋め立ててはいけない」と理解を示す言葉をクチにしていたので、地元住民も、尚更に民主党政権に期待していたところがあるのだけど・・・。
まさか鳩山首相や平野官房長官は、辺野古の海の埋め立てさえ回避できれば、それでいいのだと思っているのだろうか?
自分たちは、県外移設の公約は守れなかったけれど。懸命に努力して、何とかこの海の埋め立てだけはやめさせることができたと。
陸上案に替われば、同じCシュワブに基地が移設されても、海が守れるだけベターだと思え、有難いと思えとでも言いたいのだろうか?(`´)
* * * * *
実は陸上案は、地元住民にとっては、ベターどころかワース(worse=より悪い)だと考えられているのだ。(-"-)
そもそも地域に新しい基地ができる、米軍の兵士が増えて、演習や活動も増えるということ自体、もうその地域の住民にとっては負担増=ワースなのである。
しかも、今回の陸上案によって、基地内に長い滑走路を作ることになれば、山や野が切り崩す必要があり、環境面に問題が出る。
また、小さな滑走路を作るケースも含めて、陸上でヘリが発着したら、近隣の住宅の上を往来する機会が増えて、安全性や騒音の問題が生じるからだ。(**)
<結局、第2の普天間を作ることになるだけ。>
かつて自民党政権時代に、米国との交渉において、この陸上案も候補に上がっていたのだが。米国側も、上述のような理由や、滑走路が射撃の演習施設と近いなど不便な点があるために、反対の意向を示したとのこと。(・・)
それで、近隣住民の安全性や騒音のことを考えて、それらの問題を解決するベターな方法として、辺野古の海に滑走路を作る海上案が浮上することになったのだから。
また陸上案に戻したら、ワースになってしまうのだ。(ーー)
(『日本がアブナイ!』 2010年2月21日付エントリ「陸上案は、沖縄県民にも地元住民にも米国にもベターじゃない!」より)
ふだん勇ましく「悪徳ペンタゴン」と戦っているつもりのヒーロー、ヒロインたちにも、このくらい熱い記事を書いてもらいたいものだが、実際に上がってくるエントリは、型にはまった陳腐なアジテーションか、さもなくばつまらない、いや時には唾棄すべき陰謀論ばかりだ。どのブログも最初はそうではなかったのだが、似た者同士がつるんで徒党を組み、ムラ社会を形成したあげく、みな初心を失ってしまった。そんな中にあって、4年半ずっと変わらないスタンスで記事を発信し続ける『日本がアブナイ!』は貴重な存在だ。
この記事では、キャンプシュワブ陸上案が厳しく批判されているが、実際、沖縄の人たちの反発もさることながら、アメリカの反応がかんばしくなく、社民党も、阿部知子政審会長の不審な言動はあったものの、福島瑞穂党首が国民新党が唱えたこの案を厳しく批判して、この案が通る可能性は薄れた。
ブログ主のmewさんは、
と書いているが、実際、本土の人間にとって論じるのは難しいけれども、決して避けて通ってはならない問題だと思う。日米(軍事)同盟や日本の防衛政策、ひいては日本の「国のあり方」&平和主義にもつながる問題なので、沖縄や基地と関わりのない人も含めて、もっと国民全体に考えるべきなのではないかと思うし。
たまたま最上敏樹著『国境なき平和に』(みすず書房、2006年)を読んでいたら、沖縄サミットが行われた2000年7月に書かれた「沖縄リアリズムの切なさ」という文章に惹かれた。以下引用する。
サミットの空洞化は数年前から進行していたが、その空虚な会議を繰り返すだけなら、開催地が沖縄である必要は全くなかった。あったとすれば、なお残るアジアの冷戦をどう終えるか、それを討議することであったろう。沖縄が、日本で最も冷戦的状態に閉じ込められた地域だからである。
冷戦の終わりは、軍事的安全保障ばかりが万能ではないという認識だけでなく、自分の軍事的安全保障のために自分以外の誰かに犠牲を負わせるのはおかしい、という認識も生んだ。明らかに沖縄は、その潮流から異様に取り残されている。
であるなら、わざわざ沖縄に集まった首脳たちが討論すべきは、東アジアの情勢が本当に沖縄取り残しを必要としているのか、という点のはずだった。もっともそれは、当事者たる日本国及び米国政府(注:当時は日本が森喜朗首相、アメリカがビル・クリントン大統領の時代)にその気がなければ始まらない。見たところ、両国政府にその気はなかった。とすれば、沖縄で開催する必要はますますなかったことになる。
最近の米兵犯罪に対する大統領の謝罪はあったものの、沖縄の人たちの命や生活に関する、ほとんどの問題が残された。巨大な嘉手納基地もそのまま残り、普天間の問題もうやむやで残る。それ以上に、五年前に集団暴行を受けた小学生の心の傷も、これまで人々がこうむった不正義も、これから受けるかもしれない被害への不安も、そのまま残されるのだ。
こうして沖縄に問題が残り、沖縄について語るべきことが残る。しかしそれを、私たちヤマトンチュ(本土の人間)はどう語りうるのだろう。おそらく、まずは事態の不条理と、それに関するウチナンチュ(沖縄の人間)の選択の切なさを、徹底的に感じてみることなのではないか。
在日米軍基地の七五パーセントが集中し、それによる不安全に人々が日常的にさらされてもいることは、どう正当化しようとも不条理である。れっきとした主権国家の国民でありながら、自国政府に十分に保護されるどころか、しばしば見捨てられるに等しいことも多い。それも不条理と呼ぶほかないものだろう。
それを国家安全保障の見地からするとリアリズムだと肯定する人もいる。しかしそうだろうか。みずからの犠牲においてではなく、他人の犠牲において展開されるリアリズムなど、たんなるコロニアリズム(植民地主義)なのではないか。
(最上敏樹『国境なき平和に』(みすず書房) 136-137頁、初出は2000年7月の共同通信配信)
この文章が書かれてから10年になるが、ここで指摘されている問題点が何一つ変わっていないのは驚くべきことだ。冷戦構造において、「共産主義の脅威から国を守る」ことが存在理由の一つだった自民党は、1990年代前半の時点で既に歴史的役割を終えていたのだが、小泉純一郎というペテン師を担ぎ出すことによって延命に成功し、以後昨年ついに政権を明け渡すまで、延々と生き長らえた。これは、日本全体にとっても沖縄にとっても不幸なことだった。ようやく昨年政権交代が実現し、鳩山由紀夫首相は「無血革命」などと口にしたが、その言葉が実態からかけ離れていることを何より示すのが、普天間基地移設問題をめぐる鳩山内閣の迷走ぶりではないか。民主党の関係者や支持者の中には、「民主党は昨年の総選挙のマニフェストには普天間基地の県外・国外移設は謳っていない」と逃げを打つ者もいるが、一昨年に発表された「沖縄ビジョン2008」で、日米地位協定の改定や米軍普天間飛行場の県外、国外移設を目指す姿勢を打ち出した。当時の「琉球新報」(2008年7月15日付社説)は、
と書いている。官僚といえば、民主党の売り物は「脱官僚」だったはずだ。普天間基地の県内移設で決着させようとする民主党の面々は、結局小泉純一郎と同じで、官僚のうち叩き易い人たちだけを叩いて、税制や外交・安全保障政策など国政の基本的な部分では高級官僚の言いなりの人たちなのではないか。現状ではそう思われても仕方ないだろう。普天間基地移設問題の進め方いかんによって、民主党政権は鼎の軽重を問われる。だが、民主党の沖縄ビジョンに対し、政府内には「実際に政権を取ればその通りにはいかない」との冷ややかな見方もある。
既成の枠にとらわれた官僚の思考パターンからすれば「できるわけがない」という結論しか導き出せないのだろう。
たとえば小野善康著『景気と経済政策』(岩波新書、1998年)という本があり、ネット検索したらこちらに要旨が出ていた。小野氏は、不況期にこそ財政出動をせよ、不況期の財政赤字は余剰資源の有効活用ができるからかえって好ましい、不況期に必要なのは、政府が民間では吸収し得ない余剰労働力を積極的に使って、意味のある公共財を供給することである、国債発行は将来世代の負担になるというが、この議論自体にも多くの誤りがあり、特に不況期には負担にならないなどと主張している。
1998年当時からこのような主張があったのに、コイズミはその逆をやってしまい、日本をぶっ壊した。小野氏は、「官から民へ」という中曽根以来の新自由主義政権が使い続けたスローガンについても、「官から民へと騒げば、官は何もしないことになり、失業が放置されてかえって無駄が発生する」と批判している。
私には、中川秀直ら「上げ潮派」の、小さな政府と金融政策の組み合わせで、というか政府は財政出動などしなくても、適切な金融政策だけで景気を浮揚させるという主張(としか私には思えない)が、私の頭が悪いせいかもしれないが、どうしても理解できない。新自由主義者は、これは高度に洗練された理論であって、だからエスタブリッシュメントはみな支持しているのだと言うのだが、私には富裕層をさらに富ませるための詐術としか思えない。
(『きまぐれな日々』 2008年10月3日付エントリ「ようやく「脱コイズミカイカク」を打ち出した毎日新聞の社説」より)
その後、世界同時不況に対応するために、どこの国の政府でも財政政策と金融政策を組み合わせて対処したので、現在では当時「上げ潮派」のように、「小さな政府と金融政策の組み合わせで、政府は財政出動などしなくても、適切な金融政策だけで景気を浮揚させる」ことができると主張する人はほとんどいなくなった。
それは当然だし、良いことだと思うのだが、前記『エコノミストを格付けする』が指摘するには、小野氏は『景気と経済政策』の中で、「不況期には人々は将来不安を抱えて消費意欲が萎え、貯蓄意欲が高いため、消費性向は小さい」、したがって、「消費増の部分が小さくなって、当初の公共投資を超える波及効果の部分は、ほとんどなくなる」、つまり、「不況期は乗数効果がもっとも効かない時期であり、このときには乗数はほとんど1である」と主張しているとのことだ(東谷暁『エコノミストを格付けする』(文春新書、2009年)150頁)。ところがそれにもかかわらず、小野氏が「不況期にこそ財政出動せよ」と主張する理由は、同氏が公共投資はもっとも無駄である失業を最小限にするためのものだと考えているからだ。つまり、不況の時には政府支出が必要だが、景気回復の手段として劇的に効くものではないと小野氏は考えている。
もし、この小野氏の主張が正しければ、リーマン・ショックの震源地だったアメリカには、莫大な政府支出が必要であり、それにもかかわらず劇的な景気回復につながるものではないともいえる。つまり、アメリカ政府にとって「無駄を削る」ことは切実な問題だろうと推測される。
果てさて、そんな時期にアメリカが極東の軍事基地をどれだけ必要としているだろうか。昨今のアメリカ経済を思えば、極東の軍備にかける金があるなら、その分を国内経済の建て直しに回したいと考えるのが普通だろう。私にはこのことが常に頭にあるから、右派メディアの産経・読売・日経だけではなく朝日や毎日までもが日々叫んでいる、アメリカが普天間基地の辺野古への移設を早く決めろと日本政府に圧力をかけているという話が信じられないのである。マスメディアや自民党は、アメリカに振られたくなくて、アメリカの気を引こうと必死だが、アメリカはそれどころじゃないというのが本音ではあるまいか。だって、公共投資の「乗数がほとんど1」なのだったら、アメリカ政府は経済を好転させるために莫大な政府支出が必要であって、極東なんかから手を引きたいと考えているのではないかというのが自然な推理だ。つまり、極東の米軍は言ってみればアメリカが「事業仕分け」の対象にしたくてたまらないのではないか。オバマ政権にとっては「国内経済が第一」なのである。そして、保守メディアや自民党は自意識過剰で自己中心的であり、彼らは何かというと「日米同盟」(1980年以前には保守政治家でさえこんな言葉は使わなかった)を口にするけれど、彼らこそ日本の(政官業癒着構造関係者の)都合ばかり考えていて、アメリカの都合さえ考えていない。辺野古に固執するのも利権がらみだろう。つまり彼らは、政権交代前の政官癒着構造にこだわっているのだ。おそらく、マスコミ人はそんなことは百も承知の上で自民党を応援している。もちろん沖縄の人たちのことなど彼らの眼中にはない。
私は、鳩山由紀夫首相はこの件に関してぶれまくっているとこれまで考えていた。しかし、日曜日(13日)の『サンデープロジェクト』で右派の渡辺周までもが社民党(阿部知子)や国民新党(亀井亜紀子)とがっちりスクラムを組んで自公の野党と応酬しているのを見ていると、辺野古移設を中止することで、政権の方針は固まっているように思える。容易に想像がつくのは、小沢一郎の意向が強く反映されていることだ。マスコミはよく、来年の参院選で民主党が単独過半数を確保したら、社民党を連立から切り離すと言っているが、それはマスコミの希望的観測に過ぎない。小沢一郎こそ社民党を必要としている。一つには、岡田克也を筆頭とする反小沢勢力との対抗上であり、今ひとつは、アメリカとの交渉に「社民党カード」を使うためだ。マスコミは、アメリカと一緒になって「日米同盟と社民とのどっちが大事なんだ」と金切り声を上げるが、私に言わせればこれ以上「売国」的な言論はない。彼らはいったいどこの国の人間なのかと思ってしまう。思い出すが良い。「55年体制」の頃、自民党政府はアメリカとの交渉で「社会党カード」を用いたものだ。もっとも、当時の自民党では吉田茂の流れをくむ保守本流が政策を決めており、売国的な岸信介の系列は「保守傍流」だった。その彼らが、今では「真正保守」(笑)を自称しており、保守本流の流れをくむはずの谷垣禎一も、彼ら「真正保守」たちに迎合しなければ自民党を運営できないようだ。
単刀直入に言って、私は普天間基地移設問題に関しては、小沢一郎?鳩山由紀夫のラインは結構買えると、最近認識を改めたのだが、他の問題に関しては、小沢一郎の専横ぶりにはいただけないことが多い。世間を騒がせた「天皇の政治利用」問題における小沢一郎の態度は、私にはかつて「皇室は最後の抵抗勢力だ」と言ったという小泉純一郎を思い出させるものだった。こと天皇制に関しては、小泉純一郎も小沢一郎も「真正保守」とは正反対に、全く皇室を重視していない。そして、この件で小沢一郎が突っ張ると、得をするのは安倍晋三、平沼赳夫、城内実、稲田朋美ら「真正保守」たちなのである。リベラル・左派はまずこれら復古的改憲(または自主憲法制定)論者たちを「お前が言うな」と批判して(だって、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」を憲法に復活させようとする彼らのもくろみこそ、究極の「天皇の政治利用」だろ?)、それから小沢一郎の強権的な姿勢に注文をつけるべきだと思うが、左翼が右翼と一緒になって小沢一郎叩きに熱中しているようではどうしようもない。
小沢一郎が突如として「子ども手当の所得制限」などを言い出したこともいただけない。この件に関する私の見解は、『kojitakenの日記』のエントリ「「子ども手当の所得制限」に反対を表明する」および前エントリへのコメント欄に書いた。結論から言うと、「子ども手当」の所得制限は実施すべきではない。財源を求めるなら、税制を抜本的に改革し、所得税の累進性を強めるべきだということだ。
なんだかんだ言って、ようやく民主党政府の政策をめぐって多様な意見が出るようになったと感じる年の瀬ではある。
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当時私は小学生で、日本中が「沖縄ブーム」に沸き立ったことを覚えている。沖縄が返還された72年5月15日に天然記念物に指定されたイリオモテヤマネコが特に印象深いが、「復帰により今後発行されなくなるから値上がりする」と本土の一部切手商業者が投機を煽ったあげく、返還翌年の73年に価格が暴落して社会問題になった沖縄切手騒動などもあった。
しかし、Wikipediaの下記記述にもあるように、返還当時の佐藤栄作内閣がアメリカに多大な配慮をしたため、その後の長年にわたる禍根を残した。
1969年(昭和44年)の日米首脳会談で、アメリカ大統領リチャード・ニクソンが安保延長と引き換えに沖縄返還を約束したが、屋良(朝苗知事=筆者注)や復帰賛成派の県民の期待とは裏腹に、米軍基地を維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の返還が決定し、1972年(昭和47年)5月15日に日本へ復帰した。佐藤はニクソンとの取り決めで、非核三原則の拡大解釈や核兵器持ち込みに関する秘密協定など、アメリカの利益を最大限尊重した。
また、日本政府は返還協定第7条にもとづき、特別支出金として総額3億2000万ドルをアメリカに支払った。特別支出金の内訳は、米軍政下で設置された琉球水道公社・琉球電力公社・琉球開発金融公社のほか、那覇空港施設・琉球政府庁舎、あるいは航空保安施設、航路標識などの民生用資産の引き継ぎの代金1億7500万ドルが含まれていた。県民の間からは、「これらの施設・資産は無償譲渡されるべきものであって、アメリカ政府に対価を支払うのはおかしい」といった批判が噴出したが、日本政府は取り決めに従いこの巨額の対価を支払った。このため、沖縄県民は「沖縄は日本政府によって金で買い取られた」という認識を強く持つようになったという意見もあるが、それが沖縄県民以外の日本国民の税金であることも注意しなければならない。
これらの過程は、ベトナム戦争に伴うアメリカの財政問題や貿易収支とも関係しており、アメリカ政府の支出削減のためのベトナム戦争終結(中華人民共和国との国交樹立と中華民国との国交断絶)、収入増のための沖縄返還(上述のバーター)、貿易収支改善のためのニクソン・ショックへと繋がる。しかし、二度のオイルショックで合衆国の財政が悪化すると、日本政府は思いやり予算の支出に迫られ、足元を見られ続けることになる。
(Wikipedia: 『沖縄返還』 より)
また、当時私の家で購読していた毎日新聞は、沖縄返還をめぐる日本政府とアメリカとの密約を暴いたが、スクープをした西山記者が国家公務員法違反の容疑で逮捕され(「西山事件」)、これに抗議して「知る権利」の大キャンペーンを張っていた。西山記者は裁判で有罪が確定したが、現在再審を請求中である(一審で棄却されたが、現在控訴中)。当ブログでも、3月29日付記事でこの件を取り上げた。
さて、沖縄返還から35年が経過したわけだが、長い月日が経って、中央のメディアはすっかり沖縄に関心を失ってしまった。
私がそれを痛感したのは、安倍政権発足を目前に控えた昨年の9月25日に、辺野古の米軍新基地建設の準備作業のひとつである文化財調査に対して、キャンプ・シュワブ前で阻止行動をしていた平良夏芽牧師が逮捕された記事をブログに書いたときだ(『安倍政権成立目前の日、辺野古で牧師さん逮捕!』=2006年9月25日付記事)。
これは、読者からの情報に基づき、ネット検索で裏を取りながら公開した記事だが、私は初め朝日新聞、毎日新聞、共同通信などのサイトに当たったが、全然情報が得られず、はたと気づいて沖縄のメディアのサイトにアクセスして、ようやく事件の情報を得たのだった(詳細は、『沖縄の逮捕劇を報じない中央のマスメディア』=当ブログ2006年9月27日付記事=を参照)。
その後、この逮捕劇が権力に狙い撃ちされたものであることが、ほかならぬ米軍の準機関紙 "Stars and Stripes" によって明らかにされた(『やはり平良牧師は「狙い撃ち」されていた』=当ブログ2006年9月30日付記事=を参照)。
5月12日の「きっこの日記」で紹介されている、「辺野古 HENOKO 2007」 にも、この時不当逮捕された平良牧師のメッセージが収録されている。
「カナダde日本語」 でも指摘されているように、平良牧師の言葉は、穏やかで淡々としたものだが、その言葉はとても訴えかける力が強い。
私は、特に下記の2箇所に強い感銘を受けた。
まずは、学ぶだけでは平和はやってこないという訴え。以下、動画の字幕からの引用。
今でも多くの平和学習団が辺野古を訪れますし、沖縄を訪れます。平和のために、さまざまなことを学ぶということはすごく大事なことですけれども、平和は、学ぶだけではやってきません。しかし、学ぶということを目的にしてしまった人達が、辺野古で学び、「いい学びをした」と言って、満足して帰っていってしまう。このことに対して、辺野古の年寄り達も、私達も、非常に複雑な思いで多くの人達を出迎え、また見送ってきました。
(「辺野古 HENOKO 2007」 収録の平良夏芽牧師のメッセージより)
そして何よりも、非暴力抵抗運動の訴え。
私達は、基地建設を止める、その決意で様々な行動をしましたけれども、その根底に大きな約束がありました。それは、完全非暴力でこのことをやり遂げるという約束です。私達は平和を作るという、大きな素晴らしい理念を持っていますが、この目的のために、暴力をふるってしまって、そしてそれを認めてしまったら、私達は軍隊と同じになってしまう。平和を作る者達は、どんな理由があっても暴力を使ってはならない、暴力で自分達の目的を達成してはならない。そのことを誓い合って、言葉も、態度も。物理的な暴力も使わないで、この基地建設を止めるというふうに決意して、戦ってきました。
(中略)
しかし、向こうはプロですから、ものすごい勢いで襲いかかって来ました。何人もの仲間達が傷つきましたし、病院に運ばれていきました。気を失って、血を流して倒れていった仲間達もいました。でも、そんな時も、私達はお互いに声をかけ合って、「今一番闘わなくてはならないのは相手ではなく自分の心の中の暴力性なのだ」と、「怒りなのだ」ということを確認しました。病院に運ばれた仲間が、無事だったと言う連絡を受けたら、彼を殴った人のところに行って、「あなたのことを憎んでいない。あなたのことを敵だと思っていない。あなたにも家族がいて、仕事をしなくてはならない事情を私達は理解している。明日もまた、ここで会うことになると思いますけれども、お互い気をつけましょうね」というふうに声をかけました。私達の阻止行動の中で、一番勇気が試されたのは、船の前に飛び込む瞬間でもなく、殴られる瞬間でもなく、殴った相手に声をかけに行く瞬間でした。でも、辺野古の仲間達は、このことをやり通すことができました。暴力に対して暴力でやり返すのではなくて、本当に紳士的な態度で、向き合い続ける。そのことによって相手がこちらを殴れなくなってくる。そういう関係を作っていくという戦いをし続けて、基地建設をまず止めて、その第一案、海上の辺野古沖に基地を作るという案は、白紙撤回にまで追い込むことができました。
(「辺野古 HENOKO 2007」 収録の平良夏芽牧師のメッセージより)
これは、敬虔なクリスチャンによる、非常に感動的な言葉だ。
宗教は、時に原理主義を生み出し、悲惨な戦争を招くこともあるが、平良牧師のように平和への大きな力を生み出し得るものだと痛感したしだいだ。
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それに対する各紙の社説は、次のようになっている。
「歴史観をなぜ語らない 安倍演説」 (東京新聞)
「安倍首相演説 じわり脱小泉そろりと右へ」 (毎日新聞)
「所信表明 そろり安全運転ですか」 (朝日新聞)
「所信表明 買いたい国家再生の気概」 (産経新聞)
筆者がマシと思う順番に並べてある。なお、読売と日経は省略したが、朝日と産経の間にくる。
毎日と朝日は、ともに「そろり」という言葉を用いて、タカ派的正体を意識的に隠そうとしている安倍を揶揄しているが、そういう両紙の社説自体、安倍への批判を妙に遠慮した歯切れの悪いもので、「朝日と毎日 そろり安倍への揶揄ですか」と言いたくなるくらいだ。
安倍に歴史観をはっきり示せと求めた東京新聞が、もっともマシな社説だといえるだろうが、明快に安倍への強い支持を打ち出した産経新聞と比較する時、リベラル寄りとされる朝日・毎日・東京(中日)三紙の腰の引け方を、やはり批判しなければならないだろう。
さて、沖縄で逮捕された平良牧師が釈放されたという件については、ずいぶん出遅れてしまった。釈放からすでに3日が経過しており、下記URLの記事などで紹介されている。
「平良夏芽釈放」…とりあえず報告です(「dr.stoneflyの戯れ言」より)
「9・27緊急抗議集会」(「NO BASE 辺野古☆名古屋」より)
「平良牧師が釈放!」(「カナダde日本語」より)
下記URLの記事では、平良牧師のメッセージが紹介されている。
「沖縄の名護署に不当逮捕・釈放された平良牧師のメッセージ」(「権力とマイノリティ」より)
ところで、米軍の準機関紙 "Stars and Stripes"が、はっきりと今回の件が平良牧師を狙い撃ちした逮捕だったと報じているので、ここに紹介しておく。
"Base protester on hunger strike in Okinawa jail" ("Stars and Stripes" 2006年9月28日)
これは、9月28日付ではあるが、平良牧師の釈放直前に、沖縄県警名護署副署長の親川氏に取材して書かれた記事のようだ。
少し引用する。
Oyakawa said Taira was called over to the police officers, where he was taken into custody.
“We had decided to break up the protest first then separate Taira from the group and arrest him,” he said.
ここで親川氏は、「まず反対派をばらばらにして(break up)、平良氏をグループから引き離して逮捕すると決めていた」とはっきり語っている。
やはり、この逮捕劇は、権力側の示威行為だったと解するしかないだろう。
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私自身は月曜日からあまり暇がなかったので、この事件について十分フォローできていないが、読者からの知らせを受けてネットで調べてみたときの状況について書いてみたい。
まず、マスコミのサイトを当たってみた。調べたのは朝日新聞、毎日新聞、それに共同通信のサイトである。しかし、情報は得られなかった。そこで、「2ちゃんねる」の「ニュース速報+」板(笑)で調べてみたが、何もわからなかった。
そのあと、そうか沖縄の新聞を当たってみればよいじゃないか、と思い当たり、ようやく「琉球新報」で記事を見つけた次第である。そんなことは、最初から気づくべきだったのだが、すぐに気づかなかったのは、私自身がいかに中央のマスコミに毒されているかの証明だろう。
この一件で思い出したのが、今年2月15日の「きっこのブログ」の記事「沖縄はニポンの宝」だ。
この記事では、今年1月22日に起きた、米軍兵士による、基地移設反対派の日山実さんへの暴行事件が、沖縄の地元メディアでは報道されたのに、中央のメディアが無視したことが書かれている。
同様のことが、今回の事件についてもいえるのだと思う。
記事を出したあと調べてみたら、私が記事を出す前に平良さん逮捕の事件について書いたブログが、少なくとも2つはあった。その後については調べていないが、少なからぬサイトで取り上げられたことと思う。また、「沖縄タイムス」は、夕刊でこの事件を報じ、平良牧師の実名も掲載した。それで、「朝日新聞」もとりあげないわけにはいけないと思ったのか、午後8時を過ぎてから、ようやくasahi.comに記事を掲載した(前の記事を参照)。
しかし、翌日(26日朝)の朝日新聞には、事件の記事はどこにも出ていなかった。私の住む地域は、大阪本社発行の朝夕刊統合版地域だが、現地印刷をしているので、締め切りに間に合わなかったということはないはずだ。東京本社や大阪本社の最終版ではどうなっていたのか、興味があるので、ご存知の方は教えていただければ幸いである(asahi.comに載ったのが25日20時22分なので、25日の夕刊に載ったことはあり得ない)。