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きまぐれな日々

当ブログは月曜日(24日)に更新するつもりだったが、文章を書いているうちに鬱々とした気分になって書き進められなくなった。それで、自民党総裁選の結果が出てから改めて書こうと思い直した。今回で9月の当ブログの更新は最後になるが、本当に悪いことばかりが重なった月だった。後世の人々が振り返って、2012年9月を日本の歴史が暗転した分岐点と位置づけるのではないかとさえ思える。

日中関係あるいは日韓関係の悪化に絡んで、アメリカの保守系新聞『ワシントン・ポスト』が「日本が右傾化している」と論評する記事を掲載した。まずはこれを報じる時事通信の記事を紹介する。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2012092200016

右傾化する日本=米紙

 【ワシントン時事】21日付の米有力紙ワシントン・ポストは1面で、沖縄県・尖閣諸島をめぐる中国との領有権争いなどで、日本が右傾化していると論評する記事を掲載した。
 記事は「日本は徐々にだが、右傾化への重要な変化の途上にある」と指摘。日本の武器輸出3原則緩和や集団的自衛権行使に向けた憲法改正の動きなどを詳細に伝えている。
 その一方で、こうした動きは、戦後、平和主義を掲げてきた日本がようやく、中道に路線を修正しつつあるにすぎないとの識者のコメントも紹介している。

(時事通信 2012/09/22-01:06)


この記事の原文を読むと、時事通信の記事に紹介されているような「右寄り」のコメントを差しはさみつつ、客観報道のスタイルをとっていて、保守系の新聞らしいなあとは思う(以前にもワシントン・ポストは同じスタイルで「ハシズム」を論評した記事を載せたことがあるが、この2つの記事は実はともに"Yuki Oda"という日本人(?)記者が書いている)。それでも、日本の右傾化が世界に知られるようになりつつあるとはいえるだろう。

安倍晋三の自民党総裁選当選は、その日本の右傾化を象徴する出来事だ。自民党は、先進国では他に類を見ないのではないかと思える「極右の大政党」になった。今でこそ野党だが、次の総選挙では第一党になることが有力視されている(つい先日までは次期総選挙での第一等が「確実視」されていたが、安倍晋三が総裁に復帰したことによって「有力視」に格下げされた)。

なぜ、5年前に経済問題そっちのけで「改憲」にばかりか負けたあげくに参院選で惨敗して総理大臣の座を追われたこの男が(安倍晋三自身は辞任の原因を自身の大腸炎に帰しているが、辞任の最大の原因は参院選で有権者から「ノー」を突きつけられたことだったことをわれわれは忘れてはならない)、分不相応な「再チャレンジ」を成功させたのだろうか。

表面に現れた最初の出来事は、安倍が「維新の会」入りを橋下徹に誘われたことだ。確か田原総一朗の分析だったと思うが、天下獲りを狙う橋下は、自民党を分裂させてその一方と組む腹づもりだったという。しかし、まだ自民党総裁復帰に色気のあった安倍は橋下の申し入れを断った。

この時、自民党を分裂させないために安倍晋三を自民党総裁に祭り上げるのではないかとの観測が一部でなされたが、私はそれを一笑に付していた。橋下の安倍へのプロポーズが報じられた8月中旬の時点で、自民党総裁選に波乱があるとは思えなかったからである。しかし、荒唐無稽と思われたその話が現実となってしまった。

墓穴を掘ったのは森喜朗や古賀誠といった自民党の長老と石原伸晃だった。石原は、谷垣禎一総裁を支えると公言していたが、森らが「谷垣降ろし」を始めると、それに呼応するかのように前言を翻し、総裁選出馬に意欲を見せるようになった。森と古賀に追い詰められた谷垣が総裁選出馬を断念し、石原が出馬表明すると、谷垣を支持する構えを見せていた麻生太郎と高村正彦が安倍支持に切り替えた。

この時点で私は、やばい、万一決選投票に安倍晋三が残ったら安倍が勝ってしまうではないかと気づき、『kojitakenの日記』に警告記事を書くようになったが、そうなってからも朝日新聞など大手マスコミは、産経新聞を唯一の例外として「石・石対決」などと書いていた。だが、私の悪い予感は当たり、安倍晋三が自民党総裁に返り咲いてしまった。

こうしてみると、橋下のアタックの失敗や石原伸晃・森喜朗・古賀誠の軽挙妄動、それに自民党内では思想的にもっとも距離があると思われた谷垣禎一からこともあろうに安倍晋三に乗り換えた麻生太郎と高村正彦の動きが重なって安倍晋三が「運良く」総裁に復帰できたように見える。

だが、それはあまりにも皮相的な見方だ。その背景には、これまでマスメディアがさんざん持ち上げ、大阪を中心とする人々の支持を受けた橋下徹の人気に象徴されるように、日本が大きく右傾化したことによって、極右政治家である安倍晋三にとって有利な空気が作られていったと解するほかない。安倍の自民党総裁選復帰を「運」で片付けてはならない。この結果は、自民党総裁選が終わった今になってみれば、必然だったとしか私には思えない。

この自民党総裁選の結果に橋下徹は大喜びだろう、と思っている人が多いようだが、あまりにも読みが浅いと思う。橋下の「維新の会」がここに来て大きく支持率を下げているようだが、それは自民党総裁選がマスメディア、特にテレビによって大きく取り上げられたからだ。そのことは、「維新の会」の支持率低下と同時に自民党の支持率が大幅に上昇したことからも明らかだ。

よく指摘されるのは、維新の会の「討論会」が盛り上がらなかったとか、民主党や自民党、みんなの党の議員を取り込んだとかいうことだが、私は橋下が安倍晋三にアタックした影響がもっとも大きかったと考えている。つまり、「既成政党批判」を装っていた橋下が(私は以前からそんなものは偽装だと考えていたが)、失敗した総理大臣、つまり「既成政党の政治家」の代表格である安倍晋三に声をかけたことで、「なんだ、既成政党批判なんて口だけじゃないか」と思われたことが大きかったというのが現段階で私が立てている仮説である。

自民党と民主党との比較についてもいえることだが、政策が同じであれば、特に地方の有権者は自民党を選ぶ。橋下が安倍晋三にアタックして失敗した時点で、自民党から維新の会に浮気していた有権者たちが自民党支持に回帰したのではないか。そう考えているのである。

ひとたびそういう印象を持たれたら、もう新興勢力には分がない。地方の隅々までを押さえている自民党の総裁になった安倍晋三の方が立場ははるかに強い。自民党を分裂させ損なった橋下は勢いを失った。維新の会による安倍晋三へのアタックが朝日新聞に報じられたのは8月15日だが、この日は「維新の会」にとっても「終戦記念日」になったのではないかとさえ私は思っている。

このところ、「一寸先は闇」という言葉をよく思い出すが、今回の政変はその最たるものであって、日本の将来にとってあれほどひどい脅威だと思われた橋下徹は、大阪はいざ知らず国政にとってはもはや最大の脅威ではなくなり、逆に自民党総裁選の公約で「村山談話」や「河野談話」の見直しを掲げた安倍晋三が、日本の将来にとって巨大な脅威になった。現段階では私はそう考えている。ここで留意すべきは、橋下は常にナンバーワンでなければ気のすまない男であって、安倍晋三の部下として働くつもりはおそらく橋下にはないであろうことだ(ただ、橋下は国会議員にはならないだろうから、国政政党の「日本維新の会」が安倍自民党と連立する可能性は低くない。それには警戒が必要だ)。

私自身はこれまで行ってきた橋下に対する批判を止めるつもりは全くないけれども、今後は最重点攻撃対象を橋下から安倍晋三及び自民党に移そうと考えている。安倍晋三と自民党は、以前一度「終わった」と思った安倍晋三と自民党が生き返ってきたように見えるが、以前には安倍晋三も自民党も倒し切れていなかったというのが事実だと思う。

だから、主要なマスメディアがこぞって橋下徹を応援するような「右からの風」を吹かせ、橋下は安倍晋三に党代表就任を要請することに失敗したことをきっかけに、思わぬ失速をしてくれるかに見えたまさにその時(まだまだ油断は禁物だし、橋下を叩き続けなければならないとは思うが)、思わぬ副産物として安倍晋三の自民党総裁復帰というとんでもない事態を招来したのだ。

現段階で、橋下と安倍晋三を比較した場合、橋下の方がより危険だという意見が圧倒的に多いだろうと思う。しかし、私は安倍晋三の方が橋下よりももっと危険だと考えている。それは、人気取りのために極右発言をする橋下と、確信せる極右である安倍晋三の違いにもよるけれど、それよりももっと決定的な要因がある。

それは、「維新の会」は風任せの政治勢力だから、風が止まった時が終わりの時だけれど、安倍晋三は自民党の総裁だからだ。たとえば私が全国のあちこちに行って、特に人情の厚さを感じた県を挙げると、鳥取県、愛媛県、高知県などだが、それらの県はいずれも自民党が非常に強いところだ。たとえばそれらの地域にお住まいの自民党支持者の人たちは、自民党が保守の国民政党であった時代からの変わらぬ支持者であり、青森県や北陸、中国、四国、九州には他にもそんな地域は多い。ところが、今の自民党はそんな彼らの感覚からはかけ離れた、突出した右翼イデオロギー政党と化してしまった。しかし、自民党の強い地盤である地域ではそれでも有権者の投票行動はそんなに変わらない。東京や大阪のように、風任せで有権者の投票行動がいかようにも変わる地域とは全く異なる。

そんな地方の票さえ失ってしまったのが、2007年参院選における安倍自民党だったが、その後の政権交代の失敗によって、2007年参院選や2009年衆院選のように民主党に票が集まることはもうないだろう。そして、小選挙区制があるがために、第3党以下が国会で多くの議席を獲得することはほぼ不可能だ。

こう考えると、次期総選挙ではやはり自民党、それも谷垣禎一の自民党ではなく安倍晋三の自民党が圧勝する可能性がもっとも高いと私は考えている。それは、地方に足がかりを持たない維新の会が、こけずに勢いを伸ばし続けた可能性よりもずっと高い。

そして、圧倒的な民意を得たとして、安倍内閣がたとえば村山談話や河野談話を破棄した時、あるいは集団的自衛権の政府解釈を見直させた時、日本はどうなるか。極めて暗い展望しか私には持ち得ない。

しかし、どんなに敗色濃厚の情勢であっても、6年前に立花隆が月刊『現代』の寄稿のタイトルに用いた「安倍晋三への宣戦布告」を、私も再度行うしかない。6年前に用いたキャンペーン名はもう使わないけれど、今度こそ安倍晋三の自民党を徹底的に叩きのめすしかない。野田民主党もろくでもない政党だし私は支持していないけれども、それでも安倍晋三を倒すしかない。
前回の記事を公開したその日(9月10日)、自民党総裁の谷垣禎一が総裁選出馬断念を明らかにした。森喜朗のみならず出身派閥のオーナー・古賀誠が谷垣を推さず、石原伸晃を推す意向を示したために「勝ち目なし」と見た谷垣が撤退を決めたのだった。

これで、石原伸晃が総裁選最有力とも見られたが、思わぬ落とし穴があった。石原伸晃は、「次期自民党総裁は俺」と思って浮かれたのか、テレビで軽率な発言を連発したのである。

中でも、石原の「失言3点セット」というべきは「ナマポ」、「尊厳死」それに「サティアン」だ。まずは9月11日に『報道ステーション』に出演した時の「ナマポ」発言。

「ナマポ」、古館さんもご存知だと思いますけど、「ゲットしちゃった」「簡単よ」「どこどこにいけば簡単にもらえるわよ」こういうものを是正することが私はできると思う。
(2012年9月11日放送 テレビ朝日『報道ステーション』にて)


また同じ番組で社会保障政策について聞かれている最中、石原はこんなことを言い出した。

一言だけ言わせていただくと、私はね、尊厳死協会に入ろうと思ってるんです。尊厳死協会に。やっぱりターミナルケア。これからどうするのか。日本だけです。わたし誤解招いたんです、この発言で。
(同前)


これが、「石原は『安楽死によって社会保障費を削減しろ』と言っているのではないか」と批判された。この場面は私も見ていたが、同じ印象を受けた。しかもこの発言をした時、石原は勝ち誇ったように語気を強めていたのである。

締めは「サティアン」発言である。こちらは13日午前のTBSの番組で飛び出した。朝日新聞記事から引用する。
http://www.asahi.com/politics/update/0913/TKY201209130223.html

「福島原発の第一サティアン」 石原幹事長が発言

 自民党の石原伸晃幹事長は13日午前のTBSテレビの番組で、東京電力福島第一原発事故の影響で放射性物質に汚染された土壌について「これ、何とかしてくれ(という声がある)。運ぶところは、福島原発の第一サティアンのところしかない」と述べた。

 「サティアン」は、オウム真理教が教団施設の呼称として使っていた。配慮を欠く発言として批判を招く可能性がある。

(朝日新聞デジタル 2012年9月13日13時13分)


石原は、「サティアン」発言について「言い間違いだ」と釈明したが、こんな「言い間違い」があるはずない。普段使っている言葉をテレビのインタビューでも使っただけだ。誰もがそう思っただろう。これで石原は一気に人心を失った。「口は災いの元」とはよく言ったものだ。

それでなくても、『報道ステーション』に出演した石原伸晃は、「石原慎太郎の倅」をウリにしていることがミエミエだった。私はこれを見ていて、2006年に「岸信介の孫」を自らウリにして総理・総裁になった安倍晋三を思い出してムカムカしたのだった。

ところがところが。石原伸晃を忌避する自民党の一部は、石原の代わりになんとその安倍晋三を担いだのである。麻生太郎と高村正彦の、やはり世襲政治家の2人だ。麻生と高村の2人は、谷垣禎一が立候補していれば谷垣を支持するつもりだったが、森喜朗や古賀誠が石原伸晃を推すと、安倍晋三支持へと転じた。

普通に考えれば、今回総裁選に立候補した5人の誰と比較しても、政治思想的には穏健な谷垣禎一から、5人の中でももっとも突出した極右である安倍への乗り換えであって、常識外れもいいところなのだが、自民党という政党には常識は通用しないらしい。

麻生などは、森や古賀らによる「谷垣降ろし」「石原伸晃擁立」に対して、

私は衆議院で負けた。安倍さんは参議院で負けた。しかし、谷垣は全選挙に勝った。どこに瑕疵があるのかという点を考えた時に、谷垣とどこが違うのかということを明確に言ってもらわないといかんでしょうね。
(RKB毎日放送のインタビューに答えて)

などと正論らしい言葉を吐いておきながら、その舌の根も乾かぬうちに、谷垣を褒めるために引き合いに出して貶めたはずの安倍晋三を担ぐのだから、開いた口がふさがらない。

この一連の動きは、谷垣禎一を総理・総裁にさせたくない森喜朗や古賀誠の妄動に端を発している。思い出されるのは2000年に当時総理大臣の小渕恵三(「小沢一郎が殺した」とも言われている)が倒れた時、加藤紘一だけは総理大臣にしたくなかった長老連中(その中にはのちに国民新党を結成し、最近党を追われた亀井静香も含まれる)が密談で森喜朗を総理大臣にしたことである。既にこの頃には自民党の「右バネ」は相当強まっていたというべきだろう。

谷垣禎一の代わりに石原伸晃を担いだ森喜朗は、安倍晋三をも封じ込めたかったはずだが、麻生太郎や高村正彦に裏切られた結果、下記読売新聞が報じるような情勢になってしまった。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120917-OYT1T00104.htm

石破・安倍・石原氏競る、決選投票へ…読売調査

 自民党総裁選(26日投開票)は、石破茂前政調会長(55)、安倍晋三元首相(57)、石原伸晃幹事長(55)の3氏が激しく競り合っていることが16日、読売新聞社の調査で明らかになった。

 全国の自民党員の投票傾向を電話調査したところ、4割弱が石破氏を支持し、安倍、石原両氏も2割の支持を得ている。国会議員の支持動向は、安倍氏と石原氏がトップ争いを演じている。予想される3氏の獲得票が拮抗していることから、1回目の投票で過半数を獲得する候補はなく、上位2人による決選投票に持ち込まれるのは確実な情勢だ。

 自民党員の投票傾向に関する電話調査は、14日から16日までの3日間、47都道府県すべてで実施し、自民党員と確認した1640人から回答を得た。

 総裁選で誰に投票するか聞いたところ、石破氏が37%でトップとなり、次いで安倍氏21%、石原氏20%、町村信孝元官房長官(67)6%、林芳正政調会長代理(51)2%の順だった。

 総裁選は、199の議員票と300の党員票の計499票で争われ、1回目の投票で過半数に達する候補がいなかった場合、199の議員票のみで上位2人による決選投票が行われる。

(2012年9月17日03時01分 読売新聞)


この記事を読んで、「嫌な予感が現実になった」と思い、気分が真っ暗になった。

というのは、この記事及び添付されたグラフを見る限り、どう見ても「安倍晋三が次期自民党総裁最有力」としか読めないからである。

読売新聞の記事は、石破、安倍、石原の順に名前が書かれている。つまり、地方票の比重の高い第1回の投票ではこの順番になる可能性が高い。ところが、記事によるとどの候補も第1回の議員票では過半数を獲得できず、決選投票になる。石破と安倍の決選投票になった場合、安倍が断然有利だ。こういう理屈である。石破陣営としては、第1回の投票で安倍晋三を3位に蹴落として、石原伸晃との決選投票に持ち込まない限り、総裁に選ばれる目はない。だから全力を挙げて安倍陣営の切り崩しにかからなければなるまい。安倍は決選投票に勝ち残りさえすれば総裁になれるが、残れるかどうかが鍵だ。石原は決選投票に残ろうが残るまいが勝ち目はない。つまり、自民党総裁選は事実上石破茂と安倍晋三の一騎打ちになったといえるのではないか。町村信孝と林芳正はもはや「泡沫候補」である。派閥のボスとして安倍を蹴落としにかかった町村も、同じ山口県出身の安倍の牙城に食い込みたかった林も、ともに森喜朗・古賀誠といった「無能な長老」の後ろ弾に撃たれた格好となった。彼らは森や古賀に対して恨み骨髄なのではないか。

それにしても、「右バネ」が働いた結果、5年前の参院選で「総理・総裁失格」の審判を下されたはずの安倍晋三が浮上するとは、自民党とは何と恐ろしい極右政党なのか。

しかも、自民党と同様に次期総選挙で大幅に議席を伸ばすと見られている「日本維新の会」も安倍晋三に負ける劣らずの極右や新自由主義者が集まったトンデモ政党である。自民党総裁選において、その「維新の会」との連携をもっとも強くアピールしているのは安倍晋三であり、逆に「維新」にもっとも否定的なのは町村信孝である。

よく「民自公3党合意」が「大政翼賛会」にたとえられるが、安倍自民党と橋下「維新の会」の連携の恐ろしさは「民自公」の比ではない。そう考えると、「大政翼賛会」批判はあまりに薄っぺらに過ぎたのではないか。

小沢一郎の「オリーブの木」構想には当初、社民党も「減税日本」も「維新の会」も入っていた。小沢はおのれの「剛腕」を過信していたようだ。小沢新党「国民の生活が第一」や社民党は最終的には「維新の会」に弾き出され、弱者連合と化して衆院選で惨敗すると思うが、こうして考えると結局「国民の生活が第一」も社民党も「安倍・橋下連合」の事実上の補完勢力にほかならないのではないか。特に集団的自衛権の政府解釈見直しを打ち出したり「河野談話」見直しを要求したり、経済政策でも「減税日本」と連携することに象徴されるように明らかな「小さな政府」路線である「右翼・新自由主義」政党の「国民の生活が第一」に社民党がすり寄る姿には呆れるばかりだ。こんなていたらくだからマスコミの世論調査で社民党は「政党支持率0.1%」というぶざまな数字を弾き出される。また、「国民の生活が第一」にしても、直近の朝日新聞調査では政党支持率は四捨五入して「0%」だった。

これが現実である。安倍自民党と橋下「維新の会」が二大勢力になるようでは、憲法改定はおろか、対中戦争開戦の可能性さえ大きくなってきたのではないか。事態は2006年の(第一次?)安倍晋三内閣発足前夜よりずっとずっと深刻である。私は、もはや日本の前途に何の希望も持つことができなくなっている。
ついに「その日」がきてしまった。橋下徹の「大阪維新の会」が国政に進出することを発表したのだ。「橋下新党」の名称は、「日本維新の会」になるらしい。

実は、昨年(2011年)2月、現在民主党代表選への出馬が取り沙汰されている原口一博が同名の政治集団を結成していた。昨年2月16日の毎日新聞記事(リンクは切れているが、『kojitakenの日記』に記録してある)は下記のように伝えている。

橋下・大阪府知事:河村・名古屋市長と会談 原口前総務相と連携へ

 大阪府の橋下徹知事は15日夜、大阪都・中京都両構想で連携する河村たかし名古屋市長と大阪市内のホテルで会談した。地域政党「大阪維新の会」(代表・橋下知事)が先月下旬、名古屋市長選で河村市長の応援に名古屋入りして以来の対面。2人は、民主党の原口一博前総務相が設立を打ち出した政治団体「日本維新の会」と連携する方向で一致した。

 2人は雑誌の企画で対談した。【佐藤慶】

2011年2月16日 毎日新聞


この時点では、橋下徹、河村たかし、原口一博の3人の立場は対等だったように見える。しかし、現在は河村たかしは橋下徹の「面接」を受ける立場にある。「公開討論会」という名の「橋下面接」は、あまたいるに違いない「日本維新の会に入りたくて入りたくてたまらない」人たちを橋下が「選別」するものであって、私は1991年に小沢一郎が宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博の自民党総裁候補3人を「面接」したことを思い出すが、橋下はそれをさらに醜くデフォルメした「討論会」を行っている。

「討論会」における河村たかしの発言、そして「橋下側」に立って河村をやり込めようとした東国原英夫の発言などを日経が伝えている。記事の論評は『kojitakenの日記』に書いたが、読んでいるだけで精神を病みそうになる。ことに不愉快だったのは、東国原が河村に「冷ややかに言い放った」という、「維新の会はこれでいくと言っている。同意できるかどうかだ」という言葉だ。さすがはビートたけしに「絶対服従」のたけし軍団の一員だっただけのことはあるなと、「長いものには巻かれろ」根性丸出しの東国原の卑屈さにははらわたが煮えくり返った。

言っておくが、「再分配を重視する」をモットーにしている私は、河村たかしの「減税」政策には全否定に近い評価を与えている。しかし、日経の記事にある「一律の減税に懐疑的」な「維新の会」が主張しているのは「フラットタックス」(定率課税)である。この維新の政策は、ベーシック・インカムの導入と組み合わされているが、これは負の所得税と低率課税を組み合わせたミルトン・フリードマンの政策に近い新自由主義政策であって、累進課税を「頑張った者が報われない」として否定する考え方だ。それに比較すれば河村の「一律の(定率の)減税」の方がまだましであって、維新の考える税制は実質的な「累進減税」である。課税は累進課税、定率課税、定額課税(人頭税)の順に再分配効果を持つが、減税はその逆で、定額減税がもっとも再分配に寄与し、定率減税、累進減税の順になる。フラットタックスを導入しようという「維新」の政策は、河村たかしの「減税」よりもさらにひどい「強者への逆再分配」政策であるといえる。

だがそんな維新の「トンデモ税制」をマスコミは批判しない。かつて麻生内閣が2009年に行った「定額給付金」をあれほど手ひどく批判したマスコミが、である。当ブログは反麻生政権の立場をとったが、同内閣の「定額給付金」は評価した。そして「定額給付金批判」を批判した森永卓郎の意見を評価する記事を2009年2月26日に公開している。やはり高給取りの多いマスコミは、「定額減税」よりも「フラットタックス」の方がお好みなんだな、と思わずにはいられない。

さて、河村たかしらも参加した「討論会」には、民主党3人、自民党1人、みんなの党3人の国会議員も参加した。以下毎日新聞記事を引用する。
http://mainichi.jp/select/news/20120910k0000m010043000c.html

維新の会:公開討論会に参加の7議員、「八策」に賛意表明

 大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)は9日、近く設立する国政政党「日本維新の会」への合流を目指す現職国会議員7人や現元首長6人と、政策面で意見を交換する「公開討論会」を開いた。橋下氏は終了後、7議員について「基本的な価値観は一致している。一つのグループとしてしっかりまとまれるのではないか」と述べ、新党の発足メンバーに迎える方針を決めた。

 7議員は、元官房副長官の松野頼久衆院議員(熊本1区)ら民主党の3人、自民党の松浪健太衆院議員(比例近畿)、小熊慎司参院議員(比例代表)らみんなの党の3人で、近く所属政党に離党届を提出する。

 討論について橋下氏は、個々の政策ではなく基本的な価値観を確認する場と位置づけた。維新幹部や堺屋太一元経済企画庁長官らブレーンが、参加者に見解をただす形で進行。教育や経済政策、道州制などをテーマに約5時間に及び、「(学校選択制について)方向は正しいと思っている」(松野氏)、「道州制で教育や農業が(良い方向に)変わる」(松浪氏)など、維新が党綱領と位置づけることにした「維新八策」に賛同する意見が相次いだ。

 一方、東国原英夫・前宮崎県知事▽中田宏・前横浜市長▽河村たかし・名古屋市長▽大村秀章・愛知県知事−−ら6人の現元首長からも、「維新の価値観に賛成」(東国原氏)といった意見が出た。ただ橋下氏は「(首長経験者の)考え方ははっきり聞けていない」と述べ、16日の次回討論会以降も出席を求めて価値観の一致度を見極める方針だ。

 会議の模様は報道陣に公開され、インターネットでも中継された。【平野光芳】

毎日新聞 2012年09月09日 23時33分(最終更新 09月10日 00時14分


鳩山由紀夫の側近といわれた松野頼久(故松野頼三の倅)、小沢Gに所属していた極右議員の石関貴史、自民党の同じく極右議員の松浪健太(松浪健四郎の甥)ら7国会議員は、橋下への恭順の意が認められ、無事維新入りを果たしたが、東国原や河村たかし・大村秀章、中田宏・山田宏、それに前山形県知事の斎藤弘の首長経験者6人は「一発合格」とはならず、「追試」を受けるらしい。これには、河村たかしに近いと言われており、自らも必死に橋下にすり寄っている「国民の生活が第一」代表の小沢一郎も気が気ではあるまい。

不快なニュースばかり続いたが、少しばかり溜飲を下げたニュースもあった。それは、民主党代表選と自民党総裁選に絡むもので、前者ではこの記事の最初の方で言及した原口一博が、民主党の非主流派議員が集まった「民主党復活会議」の支持を得られなかったこと。この会はTPP参加に反対しているが、原口が同じくTPP参加に反対していながら、TPP参加派の維新にすり寄っていることが問題視された。それでなくても野田佳彦(「野ダメ」)の再選が確実と見られている民主党代表選だが、原口の惨敗は確実な情勢だ。なお私は「3党合意」の責任者である野田佳彦が、遅くなり過ぎないうちに、自らの手で衆議院を解散すべきだと考えており、民主党代表選は野田再選止むなしと考えている。少なくとも「維新」にすり寄る原口など問題外だ。

もう一つは、自民党総裁選で安倍晋三の支持が伸び悩み、当初8日にも出馬を表明すると言われていた安倍が未だに出馬表明できずにいることだ。昨夜の報道では「11日にも表明する」とされており、ますます後倒しになっている。既に町村信孝は正式に出馬を表明しており、安倍の機先を制した形で、町村は安倍に出馬断念を勧告するなど余裕綽々だ。もちろん町村は自身が総裁になれるとは思っていないだろうけれども、安倍を叩きたいのだろう。その点では次の総選挙には出馬せず引退するらしい森喜朗も同様である。

そうこうしているうちに、5年前に安倍晋三が突如政権を投げ出した9月12日が迫ってきた。安倍は、自らの勉強会にも思ったほどの人数を集められず、参加者数を水増ししていたらしいが、そのことといい、なかなか出馬表明に踏み切れずにいる現在の姿といい、「ああ、やっぱり安倍晋三だな」と安堵させられる。

橋下とは正反対に、安倍晋三は弱っちい雑魚政治家に過ぎなかったといえそうだ。
小沢新党「国民の生活が第一」など中小野党が出した参院の問責決議案に自民党が乗って可決したことは、民主党の野田佳彦(「野ダメ」)首相に解散を先延ばしする口実を与えただけだった。自民党の総裁選の日程が決まると同時に、谷垣禎一総裁は「死に体」となった。

当ブログの「天敵」安倍晋三が出馬の意向を表明し、同じく出馬が報じられている石破茂が安倍晋三と連携を模索していると伝えられる中(これは多分実現するだろう)、谷垣禎一の出身派閥の長である古賀誠や森喜朗(シンキロー)ら長老連は、谷垣禎一を見限って石原伸晃に乗り換えようとしている。総裁選にはその他に安倍晋三の属する派閥の長である町村信孝が立候補に意欲を見せている。

騒がしさを増す自民党総裁選とは対照的に、それに先だって行われ、総理大臣に直結する与党・民主党の代表選には閑古鳥が鳴いている。旧小沢派の山田正彦やリベラルの会の平岡秀夫らが対抗馬の擁立を模索するも、さっぱり盛り上がらず難航している様子。そんなさなかに、あの「お調子者」にして「野ダメ」や前原誠司と同じ松下政経塾出身の原口一博が出馬に意欲を示したのには開いた口が塞がらなかった。今や「小沢信者」からも見捨てられた感のある原口を担ごうなどという酔狂な人間なんてどれくらいいるのだろうか。

2009年の自民党総裁選は同様に活気がなかった。この時には石破茂は当時所属していた額賀派の支持を得られず出馬を見送り、石原伸晃は谷垣禎一の応援に回り、安倍晋三は身代わりに西村康稔を立てた。政権復帰近しと見るや一斉に出てきそうな安倍・石破・石原らの欲の皮には心底むかつく。

その中でも最悪なのはいうまでもなく安倍晋三だが、普通なら5年前にぶざまな政権放棄をやらかした安倍なんかに「再チャレンジ」の可能性などあるはずはない。その不可能を可能にしたのは橋下徹率いる「大阪維新の会」である。事前に漏れて潰れた大阪の「家庭教育支援条例案」は、安倍晋三のブレーンにしてトンデモで悪名高い「親学」の提唱者・高橋史朗の案に基づくことが暴露されて話題になったのはついこの春のことだ。そして安倍内閣最大の悪行は2006年暮の教育基本法改定だった。

そのことから、橋下徹と安倍晋三のつながりは容易に推測されたが、マスコミ報道の表に出てきたのは、橋下が安倍に「橋下新党」入りを要請していたことを報じた8月15日の朝日新聞の報道だった。

そんな橋下を甘く見て、「維新」を吸収合併して「みんなの維新」にしようと提案し、橋下に一蹴されたあげく、所属する国会議員を引き抜かれまくって怒り狂う醜態を演じたのが渡辺喜美である。「みんなの党」の人気はとうにピークを過ぎて落ち目だという現実に渡辺は気づいていなかったのだろうか。

さらにみっともないのは小沢一郎である。今朝(9月3日)の朝日新聞にも、小沢が「国民の生活が第一」の候補を100人程度擁立し、大阪維新の会、減税日本、新党大地・真民主などと連携して民自公3党に対抗する考えを示したなどと報じられている。しかし現時点で既に自民党総裁選は「民自公3党路線」か「維新との連携重視」かが争点になろうとしており、前者を代表する谷垣禎一は出馬まで危ぶまれているのである。小沢一郎は「維新との連携重視」を訴える安倍晋三と組もうというのだろうか。

小沢新党「国民の生活が第一」の醜態はこれにとどまらない。参院で同党の外山斎は従軍慰安婦の問題に絡んで河野洋平元自民党総裁・衆議院議長の参考人招致を要求し、同党参院幹事長の森裕子(森ゆうこ)もこれに同調する考えを示した。

この外山の国会質問について、同党は党議拘束をかけていないから、あれは外山個人の発言であって党の見解ではないのではないかとして同党を庇おうとする意見も一部に見られるが、同党内から外山や森の発言を批判した例を私は寡聞にして知らない。何より、小沢一郎がトップに立つ集団においては「忖度」がその真髄であり、小沢大先生の意向に背いたと見るや、たちまち側近の山岡賢次らに「査問」されるのが同党の体質である。そして外山斎はともかく、森裕子が山岡賢次らに査問されようはずがない。そもそも、外山の質問が小沢一郎を含む「国民の生活が第一」執行部の承認を得ていないと考える方が不自然だ。

以上の事実により、小沢新党「国民の生活が第一」は、安倍晋三や橋下の「大阪維新の会」と同様、歴史修正主義を志向する右翼政党であると断定せざるを得ないのである。なるほど、それなら維新の会や安倍晋三との親和性も高いかもしれない。仮に維新・安倍連合だけでは過半数がとれない場合には、小沢一郎も橋下や安倍に頼られる局面がくるかもしれないが、その可能性は低く、逆に小沢一派が朽ち果てていく可能性が極めて高い。

これまで小沢一郎に依拠してきた「信者」たちもいい加減現実を直視し、教祖や教団を見捨てて自立への道を模索してはどうかと思う今日この頃である。