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きまぐれな日々

月末恒例のアクセス解析の記事を掲載する。

1月度の当ブログへのアクセス数は、12月度とほとんど変わらない数字だった。FC2のアクセス解析ツールによる解析結果は、トータルアクセス数が40,035件(前月比0.6%減)、重複をカウントしないユニークアクセス数では26,485件(前月比1.0%増)となっている。ユニークアクセス数が微増なのにトータルアクセス数が微減というのは、訪問客の構成比に、リピーターの占める割合が増えたということを意味すると、私は解釈している。従来は、訪問者の定着率向上が当ブログの課題と思っていたが、今後は新規読者を掘り起こす努力も必要かと考えている。

12月と1月は、年末年始の休暇をはさんでいるため、たいていのブログではアクセス数が普段の月より少なめだと思うが、当ブログも例外ではなく、過去最多だった昨年11月と比較すると、かなり少ない数字にとどまった。特に、年末年始の休暇で減ったアクセス数は、なかなか戻らなかった今月は、前月比でかなり少ない数字にとどまりそうだった。しかし、下旬にアパの耐震偽装事件で一気にアクセス数を挽回し、最終的には先月とほぼ同数に漕ぎ着けたものだ。

今回は、検索エンジン経由のアクセス数が、不思議な推移をたどっているので、これを紹介したい。

過去半年間の、当ブログへのYahoo!検索経由のアクセス数とGoogle検索経由のアクセス数は、下記のような変遷をたどっている。

2006年8月: Yahoo! 1135件, Google 1064件
2006年9月: Yahoo! 3911件, Google 1357件
2006年10月: Yahoo! 2402件, Google 1305件
2006年11月: Yahoo! 4898件, Google 2028件
2006年12月: Yahoo! 3456件, Google 2707件
2007年1月: Yahoo! 2149件, Google 4077件

このデータを見てひと目で分かるのは、Yahoo!検索経由の件数が乱高下するのに対し、Google検索経由の件数は増加の傾向をたどっていることだ。昨年11月と今月を比較すると、Yahoo!検索経由のアクセス数が半分以下になっているのに対し、Google検索経由のアクセス数は、逆に倍以上に増えている。これはいったいどういうことなのだろうか?

両検索エンジンには、ともに検閲の噂があるので、ここで断定的なことを述べるのは差し控えたい。ただ、当ブログがサーチワード「安倍晋三」では検索されなくなったことだけは指摘しておく。この「安倍晋三」単独を用いた当ブログへの来訪件数は、昨年11月度の276件から、12月度には80件、1月度はわずか8件と激減している。もっとも、これも検閲のせいというより、ひところと比較して当ブログでタイトルに「安倍晋三」が含まれる記事を減らした影響だろう。それに何より、このサーチワードでは、マスコミをはじめとして強力なライバルが多すぎて、「安倍晋三」単独のサーチワードでブログを訪問してもらうのは至難の業だと思う。

一つだけ痛快なのは、1月20日のエントリ 『首相補佐官は元テレビレポーター』 を公開したあと、サーチワード「山谷えり子 ウィークエンダー」で検索される記事の数が増えたことだ。記事にも書いたように、1月20日、この検索語でGoogle検索をかけた時に引っかかる記事はわずか19件に過ぎなかった。それまでに、山谷が「ウィークエンダー」のレポーターを務めていたことを指摘した記事は結構あったにもかかわらず、それらは検索されなかったのである。しかし、今この検索語でGoogle検索をかけると、769件の記事が引っかかる。1月31日午後9時現在、筆頭で引っかかるのは、「kojitakenの日記」の記事 『「山谷えり子 ウィークエンダー」の検索ヒット数が増えた(笑)』 だから、自己増殖みたいなものかもしれないが(笑)。

なお私は、何も山谷が「ウィークエンダー」のレポーターをやっていたことがあるから笑いものにしているのではない。職業に貴賤などない。山谷が、過去の経歴を隠そう隠そうとしているから、それを暴き立てているだけの話である。なんたって、教育再生担当の首相補佐官である。そんな重要人物に様々な角度から光を当て、多くの国民にその人物像を知ってもらうためのヒントを提示したいと思っている(笑)。

最後はいささか枝葉末節の話になってしまったが、当ブログは来月以降も「AbEnd」に向かって奮闘するつもりである。安倍内閣は防戦一方の現状だが、思い返すと昨年の2月には偽メール事件で情勢が一変したこともあった。決してここで気を緩めてはならないと思う。


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朝日新聞のサイト、"asahi.com"に、「タガ緩む安倍政権 不規則発言乱発、波乱含み国会幕開け」という見出しの記事が出ている。
例によって新聞社のサイトの記事はすぐリンクが切れるので、「kojitakenの日記」に記事をコピペしておいた

柳沢厚労相の女性差別発言にも驚いたが、もっと驚いたのが安倍晋三首相の対応の甘さだ。女性閣僚からさえ異論、反論が相次ぐ柳沢の発言は、普通なら当然即刻大臣罷免が相当だろう。だが、安倍は全然そんな素振りも見せないのである。

安倍は、コイズミの影響を受けて、「敵」を作ってそれを集中的に攻撃することで人気を浮揚させてきた政治家だ。安倍の主要な標的になったのは、北朝鮮、朝日新聞、それにフェミニズムやジェンダーの平等論などだ。

特に、ジェンダーの平等論に対する攻撃は、「バックラッシュ」という言葉で表現されるのだが、安倍や山谷えり子(元「ウィークエンダー」レポーター)はその代表格である。

その安倍内閣の支持率が、これまでの世論調査では男性よりも女性の方がかなり高かったことには、私は不思議でならなかったのだが、今回の柳沢発言と、それに対する安倍の対応の甘さは、これまでオバサン人気でなんとか持ってきた安倍内閣にとって致命傷になる可能性がある。

もし、人気取りに関しては抜群の嗅覚を持つコイズミだったら、こういう発言があったらすぐに大臣を辞任させていただろう。しかし、優柔不断な安倍は、その機を逃した。私は、安倍政権は参院選を待たずに倒れる可能性が強まったと考えている。

ここらへんが、安倍晋三という男の甘さというか人の良さというか、ボンボンの凡々たるゆえんなのだと思う。安倍というのは、実は心優しい男なのだろう。

しかし、その優しさが身内にしか向けられないことが問題なのだ。安倍は、政権内部で問題発言をした人物であっても、まずは庇おうとするのだが、その気配りは決して国民に向けられることはない。それどころか、これほど国民に対して苛酷な政権は、直前の小泉政権を除いて、過去にはなかったのではないか(小泉政権は、もちろん安倍政権と同じくらい国民に対して苛酷な政権だった)。

それは、単に安倍晋三という男が馬鹿であるからに過ぎないと私は思うのだが、国の最高権力者である総理大臣が、安倍のように想像力の欠けた馬鹿であることは、それだけで十分すぎるほど犯罪的なことだと思う。

「ホワイトカラー・エグゼンプション」が「少子化対策」につながると言った安倍は、たぶん誰かに吹き込まれて、心からそう信じていたのだと思う。しかし、現に企業の経営者に苦しめられている従業員にしてみたら、「ボンボンが何を言うか」と、苦々しく思うだけだ。

前にも指摘したように、「美しい国へ」という恥書、いや著書で、安倍はお国のために死んでいった特攻隊の兵士たちを絶賛しているそうだ。兵士たちがどんな気持ちで死んでいったかを想像する気持ちは、むろん安倍にはない。「美しい国へ」を読む右寄りの読者(特に「ネットウヨ」世代の20代?30代の若者たち)が、そんな文章を支持してくれるとばかり思い込んでいる。安倍晋三とはそういう男なのだ。

おそらく、名家にさえ生まれなければ、平凡な人生を歩んだ男、あるいは、平凡な人生を歩めるほどの能力もなくて、社会から落ちこぼれていった男かもしれないと思う。そんな男が総理大臣になったことは、ある意味同情に値するのかもしれない。

しかし、そんな無能さが国民をとことん苦しめている現実から目をそらすわけにはいかない。人の命さえ何とも思わない人物は、首相をやってはいけない。特攻隊を美化するこの人物の非公式後援会、「安晋会」に絡んで変死する人が多く出ることに、むろん安倍晋三は直接かかわってはいないだろう。

しかし、変死者の続出は、「安倍晋三」という人間の「業」なのだ。そう私は思う。

安倍には、即刻総理大臣を辞任してもらいたいと思う。これ以上、国を混乱させ、国益を損ねてはいけない。


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一昨日の記事でもちょっと触れたが、私は、ここ30年間にずいぶん進んだ日本社会の右傾化に、渡邉恒雄ことナベツネの果たした役割が大きかったと思っている。

ナベツネは、1979年に読売新聞の論説委員長に就任するや、読売新聞の論調を大きく右に傾けた。彼はまず、裁判所の違憲立法審査権を否定し、統治行為論を認める方向に社論を転換した。それまでの読売の社論は、違憲立法審査権を重視する、朝日などに近いものだったが、急激に舵を右に切ったのである。この時ナベツネは、従来の社論に基づく左派的な社説を書こうとした論説委員を左遷したといわれている。

ナベツネは、反戦・平和を主張し、弱者の立場に立つ紙面作りをしていた読売新聞大阪本社の社会部、通称「黒田軍団」を壊滅させた。現在テレビなどで活躍している大谷昭宏氏は、黒田軍団のエース記者だった。

以前にも書いたことがあるが、かつての大阪読売の紙面は、東京本社発行の紙面とは全然違う個性的なものだった。朝日や毎日が東京と大阪で似たような紙面であるのと、鋭い対象をなしていた。しかし、今の大阪読売は、東京版と何ら変わらない味気ない紙面になっている。これは、ナベツネのしわざだった。

読売新聞は、1984年元旦の社説で、右派路線を声高らかに宣言し、その10年後の1994年11月3日には、「改憲試案」を公表した。改憲を是とする意見が国民の間に浸透したことに対する読売新聞の寄与、ナベツネの寄与は、極めて大きい。

そんなナベツネが、私は昔から大嫌いだった。私はかつては熱心なプロ野球ファンだったが、とにかく巨人が大嫌いで、巨人が勝つたびに怒り狂っていたものだ(笑)。巨人が嫌いだからナベツネが嫌いになったのか、ナベツネが嫌いだから巨人が嫌いになったのかはよくわからないが、かつて私は掲示板で巨人ファンと大喧嘩することもしばしばで、よく「こんな馬鹿は逝ってよし」などと書かれて憎まれたものだ。

しかし、その反面、ナベツネというのは実に魅力ある男だ。私は、しばしばナベツネを批判するために彼の書いた本を買って読む。敵の主張を知った上でそれを批判したい。ナベツネというのは、そういう気を起こさせる男である。

対照的なのが安倍晋三の書いた「美しい国へ」であって、私はこれを本屋でパラパラとめくってみて、こんな本は批判の対象としても読むに値しないと判断した。

また、石原慎太郎もナベツネよりはるかに安倍晋三に近い。私は、石原の小説など最初から読む気にもならないばかりか、かつて読んだ2冊の石原の評伝である、佐野眞一「てっぺん野郎」(講談社、2003年)斎藤貴男「空虚な小皇帝」(岩波書店、2003年)を読んで、石原というのはひでぇ野郎だな、と思ったのだが、今これらの本の内容を思い出そうとしても、ろくすっぽ覚えていない。派手なパフォーマンスとは裏腹に、石原というのはびっくりするくらい印象の薄い、というかあとに何も残らない男なのだ。だからこそ斎藤貴男が「空虚な」と評したのかもしれない。

ナベツネはそうではない。全身全霊で批判したい気持ちになるのである。ある意味、「筋の通った敵」といえるかもしれない。「筋の通らない味方は、筋の通った敵よりずっとたちが悪い」と言ったのは、確か右派の論客である谷沢永一だ。私はこの言葉に深く共感するものである。

そのナベツネの著書に、「ポピュリズム批判」(博文館新社、1999年)という本がある。この本については、昨年7月19日の記事『ナベツネと靖国と安倍晋三と(その2)』で紹介したことがあるが、ほぼ全編がナベツネのクセの強い右派的な主張で埋め尽くされている中、新自由主義と靖国神社についてだけは、ナベツネは強烈な批判を行っている。

私の主張とも一致するその部分については、以前書いたので改めて書くことはしない。今回書きたいのは、ナベツネがタイトルに用いている「ポピュリズム批判」についてである。

ナベツネは、この本の中で、政権批判側の言論を、ポピュリズム(大衆迎合主義)であると厳しく批判している。

ナベツネは、自分の主張に反対する者には、あたり構わず「ポピュリスト」とのレッテルを貼る傾向があり、私はこれに対して強く反発していた。しかし、当時の野党や反政権ジャーナリズムにポピュリズムがなかったかというと、そうはいえないだろう。

だが、この本が出版された2年後、情勢は一変した。

小泉純一郎が政権を握り、そのパフォーマンスが大衆の心をつかんだのだ。大相撲で怪我を押して出場して優勝を遂げた横綱貴乃花に支配を手渡す時、「痛みに耐えて、よく頑張った! 感動した!」とコイズミが叫んだ時、大衆の陶酔は絶頂に達したが、まさにその瞬間、私はコイズミのパフォーマンスの嘘くささを直感し、反コイズミを強く意識したのだった。小泉内閣の登場によって、従来はどちらかというと反政権側の属性であった「ポピュリズム」は、権力者が大衆の懐柔に用いる手段となったのだった。

しかし、こんなことを感じた私のようなへそ曲がりはあくまで例外で、国民の多数はコイズミのパフォーマンスに酔い、高支持率を与え、しまいには郵政総選挙での圧勝まで与えてしまった。コイズミというポピュリストに全権を委ねてしまったのだ。

特に05年の総選挙における「刺客」の効果は絶大だった。選挙を残酷な見世物にし、大衆に血の味を覚えさせた。
権力者は、政治を単純化し、細部を切り落とし、見かけ上「分かりやすい」ものにしてしまった。テレビは、政治ショーが視聴者にとってとても面白く、興味を惹くものであることを知って、ますます政治をショー化していった。
それでも大衆の要求はとどまるところを知らず、もっと刺激が強く、もっとわかりやすいものを求めるようになっている。

安倍晋三は、コイズミほどポピュリストの才能はない。われわれ「AbEnd」を標榜するブロガーも、いずれはコイズミ流のポピュリズムに再び対峙しなければならないのではないかと、私は予想している。

だが、当ブログで繰り返し私が主張するように、世界は本来複雑なものなのだ。

1月9日のエントリで書いたのと同様のことを、もう一度繰り返したい。
ポピュリズムは単純化のプロセスだ。それは、差異を切り捨てようとすることだ。人の心は弱いので、強くて大きなものに自己を同一化させたいという強い欲求が働く。ポピュリズムは、そこにつけこんでくる。だが、異質なものの混合物に対して、一元的な理解をしていてはいけないのである。わからなければわからないで良い。人間一人一人は個性を持っており、みんな違っているからこそ良いのだ。みんなが一緒の方がずっと怖い。排除してしまったら終わりで、そこで思考は止まる。それは、全体主義への道にほかならない。

当ブログは、ここに「反ポピュリズム宣言」をしたいと思う。


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30年前の今日、といっても一日が終わろうとしている時間帯に書いているのだが、1月27日は、ロッキード事件に関与したとして受託収賄罪で起訴された田中角栄元首相の初公判が行われた日だった。当時、新聞に『田中、「よっしゃ」と応諾』という大見出しが踊ったのをよく覚えている。当時は、容疑者や刑事被告人は呼び捨てで報道されていた。

その前年の1976年に発覚したロッキード事件は、正解を大きく揺るがした。前首相の逮捕という大ニュースは特に衝撃的だったが、ポルノ男優・前野光保による児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件や、鬼頭史郎判事補による謀略電話事件など、当時の人気テレビ番組「ウィークエンダー」を騒がせた奇怪な事件がいくつも起きた。今にして思うと、政治の劇場化は、このロッキード事件あたりがはしりかもしれない。

1976年末の衆議院議員の任期満了にともなう総選挙で、自民党は安定多数を大きく割り込み、単純過半数を辛うじてクリアする敗北を喫し、かねてから「三木下ろし」と呼ばれた自民党内からの政権排斥運動に抗しきれなくなった三木首相は辞任し、福田赳夫政権がスタートした。

この福田氏は、昨年安倍晋三と総裁戦を戦うかと見られながら降りてしまった福田康夫氏のお父さんにあたるが、岸信介の流れを汲むタカ派の政治家であった。福田政権時代に有事立法が検討され、元号法制化への道筋が敷かれるなど、右寄りの政策がとられた。1978年の終戦記念日に福田氏は靖国神社を「内閣総理大臣」と記帳しながら「私的参拝」をするという詭弁も用いた。福田氏の指示ではなかったようだが、靖国神社にA級戦犯が合祀されたのも、福田政権下の1978年である(のち、大平政権に代わったあとの1979年4月に朝日新聞の報道によって明らかになった)。これも、福田政権の右寄り政策があったから、松平宮司が合祀に踏み切ったと解釈できるのではないかと私は考えている。

福田赳夫氏は、実は岸信介以来の岸派からの総理大臣だった。岸信介のあと首相になった池田勇人、佐藤栄作、田中角栄はいずれも吉田茂の流れを汲む政治家で(佐藤は岸の弟でありながら岸派ではなかった)、三木武夫内閣に至っては自民党の政治家とは思えない左派政権だった。田中角栄逮捕は、首相が三木だったから実現したのかもしれない。

ともあれ、福田は久々に現れた右派の総理大臣だったので、一気に右傾化政策を推進したのだが、その福田政権にとって最大の難関になったのが、1977年の参院選だった。

その3年前、1974年の参院選で自民党は敗れており、77年の参院選には、与野党逆転がかかっていた。当時は、ロッキード事件に由来する政治不信が国民の間に広がっていて、自民党から新自由クラブが分かれ、社会党から社会市民連合が分かれた。社会市民連合は、1977年3月に江田三郎が立ち上げたものだが、参院選を目前に控えた5月に江田は急死し、息子の江田五月があとを継いだのだった。菅直人は、参院選に社会市民連合から立候補して落選している。つまり、社市連は現在の民主党・菅グループのルーツなのである。

個人的な感想だが、この頃の社会党左派・社会主義協会の硬直性は実にひどくて、指導者の向坂逸郎に至っては、ソ連や東欧諸国を全然批判できないばかりか、将来的には憲法を改定して軍備を持ち、ワルシャワ条約機構に加入するとまで主張していた。要は左からの「改憲勢力」だったのだ。また、マルクスやレーニンの無謬性も主張していた。共産党よりもっと左の極左としかいいようがないが、こういう勢力が社会党を事実上牛耳っていたのである。私は、「憤死」としかいいようのない江田三郎氏の死に深く同情したものだ。その時の印象があるものだから、民主党は必ずしも支持しないけれど、いまだに菅直人や江田五月のシンパではある。

その当時、私のスタンスなんかは左翼から見たら「保守反動勢力」以外のなにものでもなかっただろう。当時はまだ選挙権もなかったが、一応反自民ではあったので、もちろん右翼でもなく、「中道」といえたと思う。しかし、その後の30年間で、世の中が大きく右傾し、私は相対的に「左」に位置することを余儀なくされるようになった。

ずいぶん脱線したが、30年前の参院選前には、自民党も社会党も分裂したばかりか、「革新自由連合」(左派の文化人やタレントが中心の政党)が旗揚げしたり、「中ピ連」が「女性党」を結成したり、あげくの果てには鬼頭前判事補まで謎の立候補をするなど、参議院選挙は大いに盛り上がった。

しかし、既成野党や乱立した新党は、いずれも支持をまとめることができず、結局自民党が過半数を確保し、与野党逆転はならなかったのである。

それまで、自民党の議席は増えたり減ったりを繰り返しながら、平均的に見れば徐々に退潮傾向にあったのだが、この選挙を境に流れが変わった。日本の社会は右傾化を始めたのである。

福田政権自体は、78年の総裁選で福田赳夫が大平正芳に思いがけない敗北を喫したことで終わり、以後岸?福田派の流れから総理大臣が誕生するのには、2000年の森喜朗まで待たなければならなかった。日本の右傾化が急激には進まなかったのは、この派閥が政権を握らなかったおかげではあるのだが、それでも、中曽根康弘が政権を長く握った時代もあるし、中曽根の親友である読売新聞の渡邉恒雄が読売の紙面を大きく右傾させたこともあって、日本社会の右傾化はじわじわと進んでいった。

それが、2000年以降の森、コイズミ、安倍と三代続く売国派閥出身の政権に、やりたい放題やられる原因になってしまった。

いまや憲法を改定するための法律である国民投票法案まで成立してしまいそうな情勢だが、敵はここまでくるのに30年の月日をかけて用意周到に進めてきたのである。それが、敵にとって大事な血筋を持つ、「岸信介の孫」安倍晋三によって、一気に進められようとしている。これは、敵の悲願をかけた闘いなのである。

こちらにとって幸運なのは、安倍晋三が岸信介とは似ても似つかない無能な政治家であることだ。そこを巧みに突いて、なんとか敵の目的の達成を妨げることはできるのではないかと考える。

但し、向こうには30年の蓄積があることを忘れてはならないと思う。国民の多くは、日本の軍国主義化など求めてはいないと思うが、だからといって改憲に賛成か反対かといわれると、戦争を好まなくても改憲を容認する人たちは大勢いるのである。安倍が対北朝鮮の強硬派姿勢を演出したがるのも、北朝鮮の脅威を強調することで、改憲を容認する世論を作りたいからであることは明らかだ。実際には、裏で北朝鮮と結びついているといわれている統一協会に祝電を送るような政治家だから、北朝鮮利権だって握っているだろうと想像されるのだが。

今年の参議院選挙にも与野党逆転がかかっているし、国民の政治不信が広がっているのも30年前と同じだ。但し、国民の意識は30年前とは比べものにならないくらい、政治思想的には「右」に偏っている。

だからこそ、差し迫った参院選に野党が勝つためには、改憲より生活問題、格差是正なのである。護憲か改憲かの論争なんて、まず選挙で自民党を叩きのめしてから改めて議論すれば良いことだ。

かつて、岸信介は国家をコントロールするためには政治思想よりも経済だ、と考えて、あえてエリートがあまり選ばない農商務省に入省した。岸には先見の明があった。

かつての巨大な敵に学びたいものだと思う。

今年の参院選では、30年ぶりに流れを変えたいものだ。


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昨日のアパ耐震偽装「発覚」以来、当ブログへのアクセス数が急増している。普段1日1000件を少し超えるくらいのアクセス数なのだが、昨日は今年に入って最多の1912件に達し、今日は2か月ぶりに2000件を超えた。当ブログは、スパイラルドラゴンさんのブログ「らくちんランプ」のように、命懸けで耐震偽装問題を追及してきたブログではないが、この件を風化させてはならないとつねづね思っていたから、昨日のエントリで示したように、ブログ開設早々の記事で都市再生機構のマンションの耐震偽装問題を取り上げたのを皮切りに、およそ1か月に1件の割合で、耐震偽装問題に関する記事を取り上げてきた。今回アクセスが急増したのは、たまたま偽装発覚3日前の1月22日にこの問題を取り上げていたせいかもしれない。

たまたま普段よりアクセスの多い状態なので、ここで、「AbEnd」キャンペーンを改めて宣伝しておこうと思う。

「AbEnd」キャンペーンは、昨年6月18日にブログ「カナダde日本語」の管理人・美爾依さんの提唱で、『安倍を「the End!」させよう』という合言葉のもとに始まった。"AbEnd"とはコンピュータ(メインフレーム)用語で、「異常終了」を意味する。つまり、「アブノーマルな安倍晋三を強制終了させよう」という意味が込められている(笑)。このキャンペーンの命名者は、不肖kojitakenである。関連記事を下記に示す。

『カナダde日本語』?「AbEndを自分のブログに表示する方法」
(2006年6月19日)

AbEnd(「安倍ND」という別名もある)は、当初は安倍晋三を自民党総裁選に当選させまいとする運動だったが、腰抜け揃いの自民党議員たちは、安倍を独走で当選させてしまった。そこで、今度は安倍政権を終わりにするための運動に切り替わった。

キャンペーンの参加方法は、「トラックバック・ピープル(略称TBP)」のテーマ「安倍晋三」に記事をトラックバックするだけだ。このテーマ自体は安倍晋三の批判を目的とするものではなく、安倍容認派や支持派にも幅広く門戸が開かれているが、キャンペーン参加者はここに安倍晋三批判の記事をトラックバックすることによって、反安倍の機運を盛り上げていこう、という運動方法だ。トラックバック先のURLを下記に示す。

http://member.blogpeople.net/tback/06610

ところで、「安倍晋三TBP」へのトラックバック件数が、今日めでたく5000件に達した。4000件に達した日(昨年12月24日)のエントリで、1000件ごとに到達した日付を示したが、今回もこれを示しておこう。

2006年6月18日:「安倍晋三?トラックバック・ピープル」開設
2006年9月12日:1000件(開設日から86日)
2006年10月27日:2000件(1000件到達から45日)
2006年11月27日:3000件(2000件到達から31日)
2006年12月24日:4000件(3000件到達から27日)
2007年1月26日:5000件 (4000件到達から33日)

4000件から5000件到達には33日かかり、テーマ開設以来初めてペースが落ちたが、これはいうまでもなく年末年始休暇の時期をはさんでいたためだ。当ブログへのアクセス数も、12月23日から1月8日までの17日間は、普段と比べてかなり少なかった。これを考慮すれば、AbEndは今なお順調に成長中といえると思う。

今の急激な安倍内閣の支持率低下に、どのくらいAbEndが寄与しているかは、依然としてよくわからないが、少しでも読者の心に響く記事を書くことによって、今の政権の理不尽さを訴え、日本を良い国にするためにキャンペーンを継続していきたいと思う。

当ブログでは、「言論の自由」「反戦・平和」「新自由主義反対」を主張の3本の柱に据え、そのいずれをもおろそかにせず、かつそのいずれに対しても脅威となっている安倍政権を打倒するためのヒントにつながる記事を書いていきたいと考えている。

幸いなことに、安倍内閣は早くも存亡の危機といわれるようになったが、もちろん安倍内閣さえ倒せば問題がすべて片付くなどということはあり得ないので、今後は「ポスト安倍」も視野に入れた記事を書く必要があると思う。当ブログでは、安倍のあとにコイズミが復帰することをもっとも警戒しており、最近は、コイズミと竹中平蔵が中心になって進めた「国民皆殺し政策」ともいえる新自由主義政策の批判に力を入れている。

なお、ブログの開設は実は簡単だし、トラックバックも簡単にできる。つまり、まだブログを開設されていない読者の方も、簡単に「AbEndブロガー」になれるということだ。私自身、ブログは昨年の4月16日に開設したという後発ブロガーで、まだキャリアは1年にも満たないのに、あつかましく「AbEndの名付け親」などといって大きな顔をしている。

ブログをまだ開設されていない皆様には、是非開設をおすすめする次第だ。ブログの優劣と先発・後発は全然関係がない。勇気を出して開設してみませんか。


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今日(1月25日)、アパグループの耐震偽装がついにマスコミで報道された。以下、毎日新聞の記事「耐震偽造:京都の2ホテルで発覚 市が使用禁止勧告」から引用する。

耐震偽造:京都の2ホテルで発覚 市が使用禁止勧告

 京都市は25日、京都市下京区にある「アパヴィラホテル京都駅前」(10階建て、139室)と「アパホテル京都駅堀川通」(地上11階地下1階、515室)の二つのホテルで耐震強度の偽装が発覚した、と発表した。市は同日、建築主の「アパマンション」(本社・東京都)に対し、ホテルの使用を禁止し、速やかに改修工事を行うよう求める是正勧告書を通知した。使用禁止の勧告は極めてまれという。

 市などによると、両ホテルは「田村水落設計」(本社・富山市)が設計を担当。建築確認申請書の構造図と意匠図に不整合があるほか、同書と工事施工にかかる構造関係図書に相違があり、耐震強度が最も弱いところで基準値の71?79%しかなかった。

 田村水落設計は毎日新聞の取材に「京都市の計算が間違っており、こちらの強度計算したものは正しいと思っている」と話している。

 ホテルを運営する「アパグループ」(本社・東京都)の平野吉洋・総務部長は「連絡があるまで偽装は知らなかった。現在、新規の予約はお断りしている」と話している。

毎日新聞 2007年1月25日 11時56分 (最終更新時間 1月25日 15時07分)


この事件に関しては、今日は何も言うまい。その代わり、当ブログで過去に耐震偽装事件について取り上げた記事を挙げておく。


『都市再生機構は姉歯以上のデタラメ』 (2006年4月22日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-3.html

『都市再生機構のマンションはやはり「姉歯」よりひどかった』 (2006年6月2日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-43.html

『メディアはやはりアベのものなのか?』 (2006年10月19日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-157.html

『週刊ポストが取り上げていた「アパ壷三」の疑惑』 (2006年10月24日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-160.html

『ついに朝日新聞がアパ物件について報じたぞ!』 (2006年11月2日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-166.html

『下関の闇はどこまで深いのか?ヒューザーと原弘産と「安晋会」と』 (2006年12月14日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-199.html

『藤田東吾さんが語るマスメディアの無恥』 (2006年12月22日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-207.html

『阪神・淡路大震災を「耐震偽装隠し」に利用したこともある自民党政権』 (2007年1月22日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-232.html


この件がついにマスコミ報道されることとなったのは、まことに感慨深い。今後、追及が進むことを願うばかりである。


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このところ、「ポスト安倍」が言われるようになり、国民の間に根強いコイズミ再登場待望論があることを感じるにつれ、コイズミ時代及びその直前の数年間のことを思い返すことが多くなった。

今、門倉貴史著「ワーキング・プア」(宝島新書、2006年)を読んでいるところだが、「コイズミカイカク」がこの本に書かれているような「ワーキング・プア」の大量生産につながる政策だったことは、もはや明らかだろう。

しかし、新自由主義に基づく経済政策は、何もコイズミが始めたものではない。昨日のエントリで、小渕恵三がアメリカの言いなりのネオリベ路線へと大きく舵を切ったと書いたが、もちろんネオリベへの傾斜は古くは中曽根康弘にさかのぼることができる。

それなのに、なぜ私が小渕恵三を持ち出したかというと、それは、前記の門倉著「ワーキング・プア」の第2章、69ページに、40代・50代の中高年自殺者数のグラフが掲載されており、そのグラフは、1998年の自殺者が前年までと比較して不連続に急増しており、以後ずっとそのレベルをキープしているからだ。

これは、1998年に日本政府の経済政策が急激に変化して、それまでの社民主義的な政策を捨てて、ネオリベ的政策に転換したせいではないか、そう考えているうちに、ずっと以前に読んだ栗本慎一郎著「自民党の研究」(光文社、1999年)を思い出したというワケだ。

政権を動かしたネオリベのイデオローグというと、誰しも竹中平蔵をイメージすると思うが、この竹中が小渕首相(当時)の諮問会議である「経済戦略会議」のメンバーになったのは、1998年のことだった。そしてこの98年を境に、日本は中高年自殺大国になったのだ。これは決して偶然ではない。

「グローバル・スタンダード」なる言葉(実は和製英語)がもてはやされ、「市場の声に耳を傾けよ」という物言いが好まれるようになり、日本の主要な企業に次々と「成果主義」が導入されて、職場の雰囲気が急にぎすぎすしてきたのはこの頃だ。この頃には、もとは「再構築」という意味の英語だった "restructuring"が、「人員整理・首切り」を意味する「リストラ」という和製英語となって定着し、企業では見せしめ的な社員イジメが大流行した。為替レートが大きく円安に触れた頃、メディアはこぞって外貨預金を宣伝し、多くの国民がそれに手を出したが、一転して急激な円高になったこともあった。1999年から2000年にかけては、「インターネット・バブル」が発生し、日経平均株価は2万円を超えた。"IT" (アイティー、information technologyの略)を「イット」と呼んだ馬鹿首相(森喜朗)がいて失笑を買ったのもこの頃だ。「光通信」などといういかさまベンチャー企業がもてはやされた。IT技術は景気循環の波を克服し、「ニューエコノミー」を作り上げた、などという妄論も、真剣に「日本経済新聞」などで論じられた。インターネットでの株取引が流行するようになって、一般投資家もずいぶん参入した。

しかし、2000年春にあっけなくITバブルは弾けた。この年、読売ジャイアンツが王ホークスを破って日本一になったが、「巨人が勝つと景気が良くなる」という、読売新聞が宣伝していた妄論が嘘っぱちであったことが、下落の止まらない株価によって証明された。この頃に始まった株価の低下に「コイズミカイカク」が拍車をかけたことは記憶に新しいところだ。

私は、この頃に「資本の論理」の暴走がいかに人間を痛めつけるものであるか、その実例をたっぷり見てきたので、当時から新自由主義には大反対であった。1999年には、早くも前記の栗本慎一郎著「自民党の研究」をはじめとして、新自由主義に経書を鳴らす本が出版され始めていた。「グローバル・スタンダード」が和製英語であることも暴露された。2000年早春には、森永卓郎が名著「リストラと能力主義」(講談社現代新書)を世に問い、成果主義の理不尽を世に知らしめた。

ネオリベの経済理論が誤りであることなど、コイズミが登場する以前から、心ある人には明らかなことだったのだ。

だが、コイズミは幻想を振りまき、国民の目をくらませてしまった。一部の大企業における「成果主義」導入の失敗例や、99年から00年にかけてのITバブルやその崩壊を通じて、新自由主義の問題点に気づいていたに違いないマスコミは、なぜか沈黙し、それどころかコイズミに翼賛した。あげくの果てに、2005年の「郵政総選挙」によって、ネオリベ独裁体制を招いてしまった。それに、さらに国家主義のネオコン政策を加えようとしているのが安倍晋三内閣である。私はそう分析している。

だから、安倍政権を批判する場合、その国家主義的・極右的な政治思想を批判するだけでは片手落ちなのだ。必ず、政治思想上の極右性を批判すると同時に、ネオリベ的経済政策をも批判しなければならない。むしろ今現在国民にとって差し迫った脅威は、後者のほうなのだから。

これは、このところ、当ブログで特に訴えたいと思っていることである。誤解しないでいただきたいが、私は護憲派だ。しかし、今は「改憲」を争点にしようとする安倍晋三の狙いには乗らず、新自由主義の不条理を第一に厳しく追及すべき時だ、そう考えるしだいである。


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朝日新聞の世論調査でついに安倍政権の支持率が39%を記録し、主要マスコミの調査としては初めて40%を割り込んだ。
安倍内閣の今後を占う指標として、支持率40%が一つの目安とされていたから、この数字は安倍晋三にとっては痛手だろう。そろそろ、自民党内からも「安倍下ろし」の動きが出ることにも期待したい(笑)。

各週刊誌も、活発な安倍批判記事を載せるようになった。
どういうわけか、このところ「週刊現代」がやや精彩を欠くのだが、「週刊ポスト」「週刊朝日」「サンデー毎日」といったあたりが、毎号のように安倍批判記事を載せている。

簡単に紹介すると、「週刊朝日」の2007年1月19日号には、『囁かれ出したポスト安倍 その顔ぶれ』というタイトルの記事が掲載されており、鳥越俊太郎、森永卓郎、橘木俊詔、和田秀樹、やくみつるの五氏が、安倍政権の採点、辞める時期、ポスト安倍には誰が良いか、政治家に限らず日本を良くする首相は誰かという質問に答えている。さすがに、最後の問いに「きっこさん」と答えた人はいないけど(笑)。

ちなみに、鳥越さんは「40点、参院選敗北で退陣」、森永さんは「0点、5年くらい続く(!)」、橘木さんは「評価不能、参院選敗北で退陣」、和田さんは「55点、参院選または衆院選で退陣」、やくさんは「5点、参院選までに退陣」と予想している。
森永さんは、「0点」の安倍内閣が5年も続く、と予想しているのだが、そんなことになったら日本は滅びてしまうではないか。もっと言論人として自覚を持ってほしいと思う今日この頃である(笑)。←ジョークなので突っ込まないでくださいね

同じ「週刊朝日」の2007年1月26日号と、「サンデー毎日」の同1月28日号は、安倍政権がやろうとして引っ込めた「ホワイトカラー・エグゼンプション」を厳しく批判する記事を載せている。また、「週刊ポスト」の同2月2日号は、「安晋会」の不透明な金集めを追及し、謎の新興宗教に行き着いたという記事を載せている。

この「週刊ポスト」の記事は、その見出しを見て、また「慧光(えこう)塾」のことかと思ったらそうではなく、下関にある「関一心寺」という新興宗教だった。統一協会や慧光塾だけではなく、また聞いたこともない新興宗教と結びついているとは、安倍晋三の人脈は一体全体どうなっているのだろうかと、呆れるほかはない。

これらの記事は、もし機会があったら改めて取り上げることにして、今回は集中砲火を浴びている安倍が、もしめでたく「AbEnd」になったとしても、その後にコイズミなんかに復活されたらたまったものではないから、安倍とコイズミを同時に批判する記事を書こうと思う。

当ブログでは、昨年11月16日に『安倍晋三につながる極右人脈』という記事で、コイズミを支持していたのが主に経済右派であるのに対し、安倍晋三は主に政治思想上の右派であると指摘した。これは、当ブログの中でも比較的評判をとった記事である。

この時は「経済右派」「政治思想上の右派」という言葉で表記したが、普通に用いられる言葉でいうと、コイズミ支持者は「ネオリベ」(新自由主義者)、アベシンゾーの支持者は「ネオコン」(新保守主義者)と言い換えられると思う。

簡単にいうと、ネオリベは、資本の増殖それ自体を目的とする「市場原理主義」の経済思想であって、経済学者・ハイエクの理論に立脚している。一方、ネオコンは国家主義的・軍国主義的な政治思想である。両者には強い親和性があり、歴史的には1979年の英サッチャー政権、80年の米レーガン政権が両方の性質を併せ持っていた。日本では、中曽根康弘がこれを目指していたと思われるが、ある時期から中曽根は柔軟な政策をとるようになったので、日本は極端なネオリベ・ネオコン政権になることはなかった。

以前のエントリで、小泉政権が日本で初の本格的新自由主義政権だと書いたが、実はそれ以前の1998年に、小渕政権が、大きく新自由主義寄りに政策を転換し始めた(但し、「本格的」というには至らない)と私は思っている。

これは何も私が自力で気づいたことではなく、1999年に栗本慎一郎が「自民党の研究」(光文社)という本の「終章」で指摘したことである。この「終章」には、「自民党が沈み、日本は焦土と化す」という不気味なタイトルがつけられている。栗本は、それまで社会主義的経済政策をとってきた自民党政権が、グローバル・スタンダードの方向へと転換したと指摘し、次のように書いている。

 自分自身の基盤があまりにも脆弱だと考えた小渕は、余命のいくばくたるかを考えざるを得ない竹下登の許可も得て、初めからアメリカの諸要望に白旗を掲げたのである。これは、自民党としても戦後保守政治としても、きわめて大きな転換なのだ。特筆すべき大きな転換だ。
 もしもこのことを自民党が全身で認めるような方向に進むなら、それは悪魔に身を売ったことになると考える自民党政治家は、少なからずいる。だからこれは、自民党において、近日中に大きな問題となっていくことだろう。

(栗本慎一郎著 『自民党の研究』=光文社、1999年=より)

不幸なことに、この栗本の予言は当たってしまった。栗本がこれを書いた1999年には、まだ小渕恵三政権下で、竹下登も生きており、まさか小泉純一郎が総理大臣になろうなどとは誰も予想しなかっただろう。自民党をアメリカに魂を売ったネオリベ独裁政党に変えてしまったのは、コイズミだった。前述のエントリで紹介した佐藤優の文章にあるように、コイズミは首相就任直後にはネオコンとネオリベの両面を持っていたのだが、次第にネオコンには関心を失ってネオリベ政策一辺倒に傾いた。もちろん、実際にはコイズミは何も考えておらず、おそるべきネオリベ政策を立案していた売国奴は竹中平蔵だったのだが。

一方、安倍晋三はネオリベとは必ずしもいえず、ネオコンへの傾斜が強い。この記事の最初の方で紹介した「週刊朝日」1月19日号の記事で、橘木俊詔氏は安倍晋三をこう評している。

本来なら政権は最初の3カ月が勝負のはずだが、どういう社会なり経済なりを念頭に置いているのか、いまもってよくわからないことにやや不安を感じる。経済にあまり関心がないのでは、と予想される。

(「週刊朝日」 2007年1月19日号『早くも囁かれ出したポスト安倍の顔ぶれ』より)

そう、安倍は経済政策になど全く興味がないのである。

世論やマスコミの集中砲火を浴びた「ホワイトカラー・エグゼンプション」は、典型的な新自由主義的経済政策である。これは、本来経営層などごく少数の人たちだけに適用されるべき「成果主義」を、権限などろくすっぽ持っていない層の従業員にまで押しつけようという稀代の悪法なのだが、安倍にそんなことを解する知能などあるはずもなく、「少子化対策になる」などというボンボンの無知丸出しの発言をして、世間の嘲笑の的になったのだ。

ほんとうは安倍は、岸信介について彼がイメージしているであろう国家主義や軍国主義について興味があるに過ぎないのだ。ネオリベの経済政策になど全然興味がないから、「沖縄タイムス」の記事が紹介しているように、安倍は『日本経団連など経済三団体の新年祝賀会で「景気回復が家計にも広がる経済にしていきたいのでご協力いただきたい」と述べ、企業経営者らに賃上げを促した』のである。

これ自体は、まことに結構な発言である。これは、旧保守の発想だ。しかし、この安倍発言に対して、経済三団体の反応は冷淡そのものだったという。当たり前だろう。ネオリベは、利益を家計に還元などしないのである。安倍は、自らが協力してきた「コイズミカイカク」の正体を全く理解していなかったらしい。呆れた話である。ましてや、コイズミが「ぶっ壊す」と叫んでいた対象が、安倍の祖父・岸信介が築き上げた戦時統制経済体制(いわゆる「1940年体制」)であるなどとは、安倍は全く認識していないだろう。

だから、その酷薄な経済政策は必ずしも安倍の本心から出たものではないと私は思う。「ホワイトカラー・エグゼンプション」に代表される「国民皆殺し政策」の責めを負うべきは、安倍よりむしコイズミなのである。

私は、軍国主義的・極右的な政策については安倍晋三、新自由主義的な国民イジメの経済政策についてはコイズミを批判の中心に据えるという形で、以前のエントリのタイトルにしたように、『安倍晋三もコイズミもともに否定しよう』をモットーにして、政権批判の言論を展開していきたいと考えている。


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1年ほど前のことになるが、2006年1月17日は、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に関して、最高裁が弁護側の上告を棄却し、宮崎勤被告の死刑が確定した日であった。そして、この日はいうまでもなく阪神・淡路大震災から11年にあたる日だった。

政府・与党は耐震偽装事件に関係したヒューザーの小嶋社長の証人喚問をこの日に設定した。民主党をはじめとする野党は、この日への設定に反対したが、与党側が押し切った。

これは、当然ながら証人喚問の報道を相対的に小さくするための、ミエミエの姑息なやり方だったので、当時私は怒り狂っていた。しかし話はそれにとどまらず、民主党の鳩山委員長は、「なぜ17日に設定されたのか。17日までには何が起こるかわからない。偽装事件が吹っ飛ぶようなことが起こらないとも限らない」と予告した。そして、それはライブドアの強制捜査という形で現実になった。

下記に、このことを記録した宮城大学教授・久恒啓一さんのブログのURLを示しておく。

『宮城大学教授 久恒啓一のブログ日誌 「今日も生涯の一日なり」』
2006年1月19日付記事
(下記URLをクリックするとリンク先に飛びます)
http://plaza.rakuten.co.jp/hisatune/diary/200601190000/

果たして、小嶋社長(愛称・オジャマモン)の証人喚問で、安倍晋三の秘密後援会「安晋会」の存在が民主党の馬淵澄夫議員によって暴かれ、オジャマモンが「安晋会」の会員であることが明らかになったが、報道はライブドア強制捜査一色だった。
この強制捜査の裏に、耐震偽装問題隠しの意図があったのではないかと疑ったのは、私だけではないだろう。

ほどなく、ライブドア事件に絡んでも安倍晋三の名前がささやかれるようになり(「ストレイ・ドッグ」など)、しかもこの事件に関係して沖縄で謎の死を遂げたエイチ・エス証券の野口英昭さんがやはり「安晋会」の理事だったことが「週刊ポスト」2006年2月10日号によって暴かれたのだが、このことは耐震偽装問題が矮小化されたようとしたこととは別の問題だ。

なお、昨年後半に話題になったアパグループが耐震偽装問題に絡んでいた疑惑も、上記「ストレイ・ドッグ」で示唆されていたものだった。

とにかく、昨年のこの時期は、権力側の思惑によって、阪神大震災に思いを致すことが妨害され、私は大いに腹を立てたものであった。

それから1年が経過し、1月22日の「きっこの日記」が、1月17日に行われた自民党大会で、党首の安倍晋三をはじめとして誰も阪神大震災について触れなかったことを厳しく批判しているが、去年は触れなかったどころか震災を耐震偽装問題隠しに利用しようとしたやつらだから、私など、もし彼らのうち誰かが震災のことに言及しただけでも驚いたことだろう。

しかし、そんな安倍内閣の支持率低下に歯止めがかかる気配は全くなく、宮崎県知事選では自公の推薦を受けた候補は、そのまんま東の半分にも満たない得票で惨敗した。この選挙結果は、国民がようやく「コイズミマジック」の迷妄から脱し、自民党政治の正体に気づく一方、民主・社民・共産など野党に対しても厳しい目を向けていることを示しているものといえるだろう。

もちろん、野党と比較しても、自公に対してより厳しい審判が下されたことは見逃してはならない。民主党の中には、コイズミ?竹中の新自由主義路線を、自民党以上に過激に信奉する前原一派という獅子身中の虫がいるが、こいつらにこれ以上引っかき回されるようでは民主党の未来はないだろう。

かつて、自民党といえば懐が深く、いろんな意見を持った人たちがいるという長所があった。私は、過去一度も自民党に投票したことがない人間だが、過去に彼らがそういう強みを持っていたことは認めざるを得ない。

しかし、今ではそうではない。たまにテレビに出て、今の自民党内の空気について「いやー、物言えば唇寒しですよ」などと言っている議員もいるが、そういう人たちだって、公然と執行部批判はできずにいる。あの「郵政選挙」以来、自民党はネオコン独裁政党に堕落してしまったのだ。

独裁政権は、一度崩れ始めると脆いものだ。安倍が、突然「共謀罪」の成立を指示したのも、政権批判の言論が押さえきれなくなりつつあると見て、強権的に押さえ込みにかかろうとしているのだと思う。こんなものは、決して許してはならない。

安倍を倒さなければ、こっちがやられる。そういう危機感を持って、今後も安倍政権を厳しく批判し続けたいと思う。


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今日は日曜日だから、ふだん考えているところを書き連ねる記事にしようと思ったが、意外にスムーズに出てこなかった。

そこへ、「安倍晋三TBP」にTBされた「広島瀬戸内新聞ブログ版」の記事「こんな座標分析をつくってみました」が目に飛び込んできた。

このブログの記事には、最近とても教えられるところが多い。そこで、この記事をヒントに思うところを書いていきたい。

短い記事なので、全文を引用する。

横軸に階級格差の大小。縦軸に執行部独裁⇔合意形成重視を取りました。

執行部独裁&格差大=ネオコン
執行部独裁&格差小=スターリン主義
合意形成重視&格差大=リベラリズム
合意形成重視&格差小=社民主義

意外と旧来自民と言うのは合意形成重視で、階級格差も小さい。だから社民主義といえる。
小泉さんは、実は正反対の政治なのです。竹中さんも実は「文化大革命」とご自身のHPで書かれているから当然前衛党的体質がある。

そして、スターリン主義をやっていると、結局「えらい人」が特権化し、執行部独裁&格差大になってしまう。だからスターリンも毛沢東も結果としてネオコンと同じようになってしまったのです。

安倍さんは、ネオコンと社民主義の間で実は呻吟していて、訳が分からなくなり、求心力が低下しているのです。

庶民が昔、自民党を支持していたのは実は、格差が小さく、合意重視の政治を意外と自民党がやっていたから。ただ、女性や若者の声がオミットされてしまった面があった。

そこにネオコン(ネオリベ・バックラッシュ)が目をつけて、執行部独裁をやりつつ、きれいごとを叫んで、圧勝した。最初は新進党、民主党右派だったが、今は、自民党がお株を奪ってそこに居座っているのです。

「広島瀬戸内新聞ブログ版」?「こんな座標分析を作ってみました」より

「広島瀬戸内新聞ブログ版」の記事には、横軸を階級格差の大小、縦軸に執行部独裁か合意形成重視かの度合いをとってグラフ化し、ネオコン、リベラリズム、社民主義、スターリン主義および小泉前首相、竹中平蔵、高市早苗、小沢一郎、旧来自民、岡田民主党、国民新党、毛沢東、スターリンをプロットしている。このグラフまで転載してしまうと、読者がリンク先をたどってくれなくなると思うので、グラフは弊ブログには転載しない。是非リンク先をたどってグラフをご覧いただきたいと思う。

このグラフでは第1象限(階級格差大、執行部独裁)をネオコン、第2象限(階級格差小、執行部独裁)をスターリン主義、第2象限(階級格差小、合意形成重視)を社民主義、第4象限(階級格差大、合意形成重視)をリベラリズムとしている。そして、いうまでもなくコイズミはネオコン、竹中平蔵や高市早苗はコイズミ以上に過激なネオコン、スターリンや毛沢東は階級格差小を理想としていたが、彼らの作った実際の社会は決して格差は小さくなかったので実質的にはネオコンに近いとしている。

一方、旧来の自民党やその精神を引き継いでいる現在の国民新党は、実はネオコンよりは社民主義に近く、小沢一郎はかつてはネオコンに位置づけられたが、現在は社民主義寄りのスタンスに移っているとしている。

私にはとてもよく納得できる分析だ。もちろん、現実を分析するのに2次元分析では不十分で、外交・国防政策を考慮に入れた3次元分析や、さらに多次元の分析が必要なのだろうとは思う。だが、今年行われる選挙における論点を考える場合、このグラフによる分析は頭に入れておいた方が良いと思う。

安倍自民党にとっては、こういう分析は都合が悪いから、改憲か護憲かを軸にした1次元分析に話を持っていきたいのだろう。何度も書くが、そんな彼らの思惑に乗っては絶対にダメだ。

現在、民主党、社民党、国民新党の三者が互いに接近を図っている理由も、このグラフを見れば納得できると思う。彼らの政策には親和性があり、この接近は決して野合ではない。野合というのなら、自民党と公明党の方がよほど野合だろう。もっとも、もともとは第2象限にあったはずが、毛沢東やスターリン同様の心理規制から第1象限に移ってきたであろう池田大作が実質的に支配している公明党と、すっかり「共産党化」(立花隆さんらによる分析)してネオコン政党に成り下がった自民党の相性は、現在では抜群なのだろうとも思うが(笑)。

私がこの分析を修正するとするなら、縦軸を「全体主義」⇔「個の重視」でプロットしたいというところだろうか。
このところよく考えるのだが、独裁志向とポピュリズムは、実はともに全体主義といえるのではないかと思う。独裁志向が全体主義を言い換えられるのは当然だろうが、以前のエントリでも書いたように、ひたすら「分かりやすさ」を追求する「ワンフレーズ・ポリティクス」も、全体主義そのものではないかと思うのだ。

弊ブログの読者にお願いしたいのだが、決して「分かりやすさ」を求めないでほしい。「分かりやすさ」は、差異の切り捨て、異質なものの排除につながるからである。それは、全体主義への道だ。そして、ものごとをよく考えてほしい。「分かりやすさ」を求める読者は、弊ブログを訪問しないでほしいとさえ思う。

自分の頭でとことん考えること。それが、現在の閉塞状況を打破するただ一つの道だと思う今日この頃である。


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安倍晋三が「教育改革」を政策の「目玉」にしようとしていることはよく知られている。

これは、ひとことで言うと、復古的な国家主義イデオロギーに染め上げられた人間を作り上げるために教育を改変しようとする政策であって、日本最大のネオコン団体「日本会議」が中心となって立案しようとしているものだ。

だが、国家主義的な政治思想を重視したい、安倍晋三に近い人たちの行き方は、それよりも新自由主義的な経済政策を重視したいと思っているコイズミに近い人たちにあまり快く思われておらず、教育再生会議の議論は、必ずしも安倍やその取り巻きが狙うようにはスムーズに行っていないようだ。
このことについては、昨年12月16日付エントリ『毎日新聞の報道?改正教育基本法は「改憲へのステップ」』でも指摘した。

ところで、安倍内閣の教育再生担当の首相補佐官・山谷えり子は、「ウィークエンダー」という、素晴らしく教育的な番組のレポーターを務めていたことがある。かつては、「Wikipedia」で「山谷えり子」を調べると、下記のような記述があった(当ブログ 2006年12月2日付記事『天皇をも恐れない? 安倍晋三の取り巻きたち』より)。

都立駒場高校?聖心女子大学文学部心理学科を卒業、出版社に入社、のち渡米。帰国後は日本テレビ「テレビ3面記事 ウィークエンダー」のレポーター、 1985年3月サンケイリビング新聞の編集長(奥様編集長)、政府広報番組のキャスターなどを経験する。

山谷に関するWikipediaは、昨年12月に調べた時と比較すると、ずいぶん書き換わっているのが面白い。当時の「テレビ3面記事 ウィークエンダー」は、現在では「テレビ番組」に置き換えられているし、山谷が、米田建三という、昭和天皇を「臆病者」と罵倒した男を「よねけん兄さん」と慕っていて、今年の参院選で応援することを表明したという記述もあったのだが、これもきれいさっぱり消え去っている。だから、昨年12月2日の記事のリンク先からはもはやたどれない。転記しておいたのは正解だった(笑)。何より、Google検索で「山谷えり子 ウィークエンダー」で検索しても、わずか19件しか引っかからないのである(そのうちの1件は当ブログである)。

なお、当ブログは昨年12月25日、参議院法制局からアクセスを受けた。当時の「kojitakenの日記」に記録している通りである。
「kojitakenの日記」にも書いたが、当ブログは、記事の内容には十分な自信を持っていることはいうまでもない。

話をクルリンパと戻すと(笑)、担当の首相補佐官がいったい何をやっているのか意味不明な「教育再生会議」に大した成果があげられるはずもなく、「日本会議」がもくろんだ国家主義イデオロギーに凝り固まった国家の下僕を作るための方針を作るまでにも至らず、再生会議の第1次報告案は、新聞の社説で半ば馬鹿にされている。

私は朝日と毎日の社説にしか目を通していないが、いつものように生ぬるい朝日新聞の社説(2007年1月20日付)には、「報告案は期待はずれだ」というタイトルがついている。問題点が議論になるレベルにも達していないのだろう。安倍やその取り巻きは、昔イギリスでサッチャーが行った教育「カイカク」(イギリスでは失敗だったとされている)の真似をしたカイカクの具体案を盛り込みたいのではないかと憶測するのだが、どうやらそこまで行っていないようだ。

朝日よりはだいぶ骨のある毎日新聞の社説(2007年1月20日付)は、より皮肉たっぷりの表現を用いているが、やはり批判の対象さえ現れてこないので呆れているような記事だった。要するに、報告案は、あまりにショボ過ぎて批判の対象にもならないということなのだろう。

しょせん、ボンボン総理と「ウィークエンダー」のレポーターあがりの補佐官のコンビでは、この程度が関の山だろうと思う今日この頃だ(笑)。


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1月18日付の朝日新聞「ニッポン人・脈・記」は、大変印象深い記事だった。

第三社会面に連載されているこのコラムは、このところ「震度7からの伝言」と題して、阪神大震災をめぐる話題を扱っている。
1月18日付の第9回では、震災時に神戸大学の教授を務められていた室崎益輝さん(むろさき・よしてる=現消防庁消防研究センター所長)を取り上げている。室崎さんについてネット検索をかけたら、2001年11月17日付の神戸新聞記事が見つかったので、ここに紹介する。

『震災を語る 室崎益輝さん 「使命」』(「神戸新聞」 2001年11月17日付より)

この神戸新聞の記事に書かれているように、室崎さんは神戸の防災計画を、震度5の地震を想定して書いた。しかし、実際には有史以来神戸が経験したことがないような烈震が神戸を襲った。

実は私は、子供時代を阪神間で過ごした。だから知っているのだが、確かに誰もが「ここには大地震は来ない」、そう思っていた。地震といえば関東や東海地方の話という感覚だった。小学生の時に習った郷土史では、災害というと水害の話だった。震災の被害がもっとも激しかった地域には、住吉川や芦屋川という「天井川」があり、しばしばこれがあふれて大きな水害をもたらした。従って、阪神間の古い住宅は、水害への備えが重視されていたそうだが、これは地震に対してはかえって弱い構造になっていたのではないかと思う。

朝日新聞の記事によると、六甲山の断層が動いたら震度7の地震が起きることは専門家にはわかっており、激しい議論になったものの、有史以来そういう地震が起きた記録はなかったことから、神戸市の防災計画は震度5強を想定して作られたという。

室崎さんは、その責任を深く反省し、神戸大で市民参加の公開ゼミを始め、若い研究者たちに「震度5の悔悟」を伝えているそうだ。記事は、1923年の関東大震災の際、被災地をくまなく歩いて調査した寺田寅彦を敬愛する室崎さんが行った、阪神大震災の被災地の調査を紹介している。

そんな室崎さんがもう一つ学生たちと取り組んだのが、震災の遺族からの「聞き語り調査」だった。
きっかけになったのは、震災の翌年の1996年1月にノンフィクション作家・柳田邦男さんから聞いたビートたけしの言葉だったそうだ。

たけしはこう語った。『震災を「5千人が死んだ一つの事件」と考えるのは死者を冒涜してはいないか。1人が死んだ事件が5千件あり、5千通りの死があるはずだ』と。

「ひとり一人の死を見つめるべきではないか」と思った室崎さんは、それぞれの死の背景を調べるべく、遺族からの「聞き語り調査」を行ったのだそうだ。

室崎さんを動かしたビートたけしの言葉は、実に印象的だ。そして、想像力を働かせよと促すたけしの言葉は、何も対象を震災に限ったものではない。私自身、ブログに寄せられる読者の方々の親御さんやお祖父様、お祖母様の戦争体験に関するコメントを読みながら、そうしたひとり一人の戦争体験について思いをいたすことの大事さを痛感している。
今、勇ましいかけ声で国家主義的な政策を進めようとしている政権中枢の人たちには、そこに思いを致す想像力が欠如しているのではないかと思う。

政治思想に関係する政策の話だけではない。コイズミ以来の「カイカク」路線、新自由主義政策が生んだ「格差社会」の犠牲になって、過労死や自殺に追い込まれた人たちについても、同じことがいえる。「資本の論理」の暴走については、私自身身をもってその恐ろしさを思い知った体験があるので、よけいにそう思う。これに対しても、現在の政権中枢の人たちには想像力が欠如しているというしかない。

私は安倍晋三が大嫌いだが、彼は決して根っからの悪人ではないと思う(コイズミは根っからの悪人だと思っているw)。だが、彼にはあまりにも想像力が欠けている。どうみても総理大臣の器ではない。

やはり安倍晋三にはお引き取り願うしかない、改めてそう思う今日この頃である。


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「年末年始に読んだ本」のシリーズは、今回が最終回。結局、1月17日までかかってしまった。12年前の今日、阪神大震災が起きた。忘れてはならない日だ。亡くなられた方のご冥福をお祈りし、今も苦しまれている被災者の方に心からお見舞い申し上げるとともに、天災が起きた時に人災で被害を拡大させないための予防が必要だと思う。そのためにも、耐震偽装問題は、絶対にゆるがせにはできない。3日前にも書いたが、今日は、ヒューザー小嶋進社長の証人喚問からまる1年が経過した日、つまり、民主党の馬淵澄夫議員が「安晋会」の存在を暴いてからまる1年が経過した日でもある。

さて、「安晋会」といえば、安倍晋三の非公式後援会である。宮崎学&近代の深層研究会編『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』(同時代社、2006年)は、最後の第8章「虎を画いてならずんば - 安倍晋三は何を継ぐのか」で、安倍晋三を、その母方の祖父・岸信介に絡めて論じている。

この章は、まるまる引き写してブログに掲載したいほど面白いが、そうもいかないので、概略をかいつまんで紹介する。

まず、安倍晋三の略歴だが、1954年9月21日、安倍晋太郎、洋子の次男として生まれた。現在52歳。
小学校から大学まで成蹊学園で過ごした。安倍晋三本人によると、祖父の岸信介が成蹊への入学を推奨したとのことだ。高校時代の安倍の同級生は、存在感の薄いことで逆に安倍を記憶しているという。
そういえば、栗本慎一郎さんはコイズミのことを「影の薄い男」と評していた。漫画のお好きな方なら、浦沢直樹の『20世紀少年』に出てくる、カルト宗教の指導者にして独裁政治家・「ともだち」を連想されるかもしれない。

安倍は大学卒業後、南カリフォルニア大学に遊学するなどブラブラしたあと、神戸製鋼所に入社したが、ニューヨーク支社勤務のあと、帰国して加古川工場に転勤した時は、精神的にきつかったらしい。宮崎さんによると、安倍は労働のきつさに耐えられず、数ヶ月間「静養」のため現場から消えたこともあったという。周囲には「蒸発」に見えたとのことだ。当時の同僚で、安倍が政治家になるなどと想像した人は、誰もいなかったことだろう。

よく知られているように、衆議院議員の平沢勝栄は、東大生時代安倍晋三の家庭教師をしていた。その平沢の思い出を、宮崎さんの本から引用、紹介する。朝日新聞記事からの孫引きである。

「安倍氏を自分が通う東大の駒場祭に連れて行ったときのことだ。騒然としたキャンパス内には、当時の佐藤栄作内閣を批判する立て看板があふれ、学生たちは『反佐藤』を叫んでいた。安倍氏は成蹊学園とは対極のような駒場の雰囲気に驚き、『どうして反佐藤なの?』と何度も尋ねてきた」
(「朝日新聞」 2006年8月25日付紙面より)

いかにもボンボンの安倍らしいエピソードだ。しかしその安倍は、父・安倍晋太郎の死去のあと、後継者として政界にデビューすると、北朝鮮の拉致被害者問題に取り組み、対北朝鮮強硬派として名をあげていく。

安倍が世間を驚かせたのは、小泉内閣の官房副長官を務めていた頃の2002年5月13日に、早稲田大学で行った講演会での発言である。これは、「サンデー毎日」の2002年6月2日号で、「政界激震 安倍晋三官房副長官が語ったものすごい中身 - 核兵器の使用は違憲ではない」というタイトルの記事でスクープされ、世に知られるところとなった。当ブログでもこの件については何度も取り上げているが、宮崎さんの本から改めて引用する。

 特集記事は、安倍がこの年の5月、早稲田大学で行った講演内容を報道したものである。そこで安倍は「ものすごい」ことを語っていた。田原総一朗が「有事法制ができても北朝鮮のミサイル基地は攻撃できないでしょう? 先制攻撃だから」というのに対して、こう答えた。
 「いやいや、違うんです。先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃を完全に否定はしていないのですけれども、要するに『攻撃に着手したのは攻撃』とみなすんです。……この基地をたたくことはできるんです」
 つづけてこんなことも言っている。
 「大陸間弾道弾、戦略ミサイルで都市を狙うというのはダメですよ。(しかし)日本に撃ってくるミサイルを撃つということは、これはできます。その時に、例えばこれは非核三原則があるからやりませんけれども、戦術核を使うということは昭和35年の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がなされています」
 要するにここで安倍晋三は、ミサイル燃料注入段階で攻撃しても専守防衛であり、攻撃は兵士が行くと派兵になるが、ミサイルを撃ち込むのは問題ない、日本はそのためにICBMを持てるし、憲法上問題はない、小型核兵器なら核保有はもちろん核使用も憲法上認められている、とぶち上げたのだった。「ICBMは攻撃兵器だから持てない」という政府見解にも反する意見だった。

(宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』=同時代社、2006年=より)

この講演会で、安倍は岸が「戦術核の使用は違憲ではない」と答弁したと言っているが、月刊「現代」2006年9月号で、作家の吉田司さんが指摘しているようにこれは誤りで、岸は「戦術核の保有は違憲ではない」と答弁したのであって、使用まで違憲ではないとは言っていない。なお、吉田司さんの記事については、当ブログの昨年8月4日付エントリ「DNA政治主義者・安倍晋三の怪しい知性」で紹介したことがある(吉田さんの記事は、宮崎さんの本でも参考文献として挙げられている)。

この件に限らず、安倍が掲げているタカ派政策の数々は、ここで列挙するまでもあるまい。

宮崎さんは、何がそこまで安倍晋三を駆り立てるのかを分析し、実は安倍には自信がない、「闘う」ポーズは自信のなさの現れだ(よく、弱い犬ほどよく吼えるというな、と私などは思ってしまう)、彼には長い間の鬱憤があるという。

まず、東大卒ばかりがずらりと揃っている名家にあって、成蹊大学卒であることのコンプレックス(宮崎さんはここまではっきりとは書いていないが、言いたいのは明らかにそういうことだ)。宮崎さんは下記のように書いている。

 おそらくは安倍晋三は尊敬する岸信介が「当たり前」と思ったようにはいかなかった。安倍家にとっても同様だっただろう(安倍晋三の父・安倍晋太郎は東大卒である)。「目立たない若者」であった安倍にとって、そのこと自体が人生の蹉跌だったのではないか、そう推測されるのだ。
(前掲書より)

もう一つの鬱憤として、祖父の岸信介が世間から厳しい批判を浴びていたことからくる被害者意識を挙げている。

安倍の政治手法については、宮崎さんは下記のように指摘している。

 彼(安倍晋三)は〈敵〉を求めている。「闘い」の相手を求めている。安倍晋三にとってのキーワードは自分への「批判」「攻撃」である。自分を被害者に仕立て上げ、その上で〈加害者〉に反撃を加える。「批判を恐れずに行動する」、安倍が本書(注:「美しい国へ」)の中で何度も繰り返しているこのフレーズはそのような構造を持っている。
(前掲書より)

これは、いうまでもなく「コイズミ劇場」と同じ手法である。コイズミは、この手法で政権の支持率を浮揚させた。もちろん、宮崎さんも同様の指摘をしたあと、こう書いている。

 こうしていくつもの小劇場を積み重ねていってどうにもならない流れをつくればいい。そのころには、辺見庸もいうように「劇を喜ばない者たちにはシニシズムが蔓延」していることだろう。
 だが、こうした劇場型政治の蔓延は、他方において政治家たちをもしばるのだ。劇場政治の面白さを知りこれに慣れた民衆は、もっと「分かりやすい」、もっと「魂を揺さぶる」、もっと「刺激的な」劇場を要求するようになる。メディアは劇場の興行がうま味のある商売だと知った。興行を打ってくれ、ネタを教えてくれと声を上げる。持ちつ持たれつの関係。これは政治家もまた劇場から逃れられないことを意味するのだ。観客が芝居をつくる。それは政治家たちがサポーターの熱狂を無視できなくなるということでもある。「アンコール!」の声に満面の笑みで再登場する役者たちのように。
(前掲書より)

私は、安倍は現実に総理大臣になってみて初めてコイズミの劇場型政治の限界を悟ったのだろうと推測している。安倍はたぶん、コイズミのような良心のかけらもない非人間とは違って、もともとは常識も持っていた人間なのだろうと思う。だから、コイズミのような劇場を演出できない。これが、安倍内閣の支持率が低下している一因だろうと思う。

宮崎さんは、安倍を凡庸な人間であるとして、その凡庸さが時代に合っているのかもしれないと書いている。そして、その反面の、凡庸であるがゆえの危うさを指摘している。彼には決定的に想像力が欠如しているのだという。

宮崎さんが挙げた例は、安倍が好んでいるというテレビドラマ「大草原の小さな家」だ。安倍は、このドラマに描かれた家族の助け合いの姿が大好きなのだという。それに対し宮崎さんは、白人の「開拓」によって生きるべき大地を奪われていった先住民族の悲哀や怒りを安倍は理解することができなかった、それを安倍に理解せよと望むのはどだい無理かもしれないが、と書いている。

最近では、「ホワイトカラー・エグゼンプション」(WCE)をめぐる安倍のノーテンキな発言が、安倍の想像力欠如を示す絶好の例だといえるだろう。世論の反発によって、さしもの安倍政権も、WCEの法制化を取り下げざるを得なくなった。安倍政権の大きな失点の一つといえるだろう。

安倍は、「美しい国へ」の中で、お国のために死んでいった特攻隊員を絶賛しているが、彼らの心情に思いを致す想像力も当然安倍にはない。
ネトウヨたちも、本気で戦死したいとは思っていないだろうから、お国のために死んでいった戦士たちを称揚し、戦争を美化する安倍の「美しい国へ」を読んでも、陶酔なんかしないんじゃなかろうか。私はそう想像する。

岸信介は、信念を持って国民を戦争に導いた、「A級戦犯」として断罪されるにふさわしい政治家だった。一方、安倍晋三は、名家にさえ生まれなければ、ごく平凡な男だ。

章をしめくくる宮崎さんの文章は、特に印象的だ。以下に引用する。

 中国の古典、十八史略の東漢光武帝の項に、
 「虎を画(えが)いて成らずんば、反(かえ)って狗(いぬ)に類するなり」
 という言葉がある。
 虎の画を描いてうまくいかないと、まるで狗の画みたいになってしまうことがある。そうなってしまったら物笑いの種になるだけだ。
 俺は虎だぞといきがっても、実質がともなわないと、まるで狗みたいになってしまうだけだ。そうなったら、物笑いの種になるだけではない。もっと恐ろしいことになる。
 その資質のない者が英雄豪傑気質を気取ると大変なことになる -- そういって、馬援が兄の子を戒めた言葉である。
 安倍晋三総理、みずからを虎に描くのはおやめになったらどうか。
 あなたのお祖父さんは、たしかに虎だった。後藤田さん(注:故後藤田正晴氏)がいっていたように、かなり恐ろしい虎だった。でも、あなたは虎ではない。虎にはなれない。虎になる必要もない。それなのに、ブレーンたちがあなたの耳に吹き込むささやきにしたがって、自らを虎に描いたなら、どうなるか、あなたは狗になってしまうのだ。
 そうして、自分が虎だと思い込んでいる狗が、まわりに住んでいる動物たちに吼えかかっているうちに、本当の虎が出てきたらどうするのだろうか。そのときは、われわれが自分の命をかけて、その虎と闘わなければならないのだ。
 それは、みずからが一匹の虎であったあなたのお祖父さんが、われわれの父母、祖父母に強いたことであった。それによって何百万人がいのちを失い、何千万人がくらしを失ったことか。一度目は悲劇として、二度目は喜劇としてなのか。われらの祖父母は悲劇のうちに死に、われらは喜劇のうちに死ぬのか。
 安倍さん、あなたは、それを継ぐのか。

(宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』=同時代社、2006年=より)

安倍晋三に読ませてやりたい文章だ。
2007.01.17 07:40 | 読んだ本 | トラックバック(-) | コメント(2) | このエントリーを含むはてなブックマーク
昨日のエントリに引き続いて、宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』(同時代社、2006年)を紹介する。

この本は、最初の部分はかなり読みにくいが、あとの方ほど面白い。昨日紹介した、A級戦犯容疑者だった岸が、起訴を免れ、アメリカの後押しを得て不死鳥のように甦り、ついに総理大臣に上り詰めた経緯は、8章からなるこの本の第5章に書かれている。

今回は、第6章以降に書かれている内容を紹介する。

岸の政治プログラムの目標は、「自主憲法」「自主防衛」「アジアへの経済進出」であった。安倍晋三がシャカリキになって改憲を目指しているのは、母方の「祖父」の果たせなかった夢を実現しようとしているからだ、とはよく指摘されることである。

日米安保条約の改定は、自主防衛を目指すためのステップだった。宮崎さんは、岸は最終的には核武装まで視野に入れていたという。2002年に安倍晋三が早稲田大学で「戦術核の保有や使用も違憲ではない」と発言して「サンデー毎日」にスッパ抜かれたことがあるが、これも安倍が岸の思想を継承しているからだろう。

だが、岸信介は、日米安保の改定を強行した直後の1960年6月23日に退陣に追い込まれた。皮肉にもそれを招いたのは、岸の「ご主人さま」アメリカだったと宮崎さんは指摘している。

1960年2月頃、新聞や野党からは「岸は安保条約改定について、衆議院を解散して国民に信を問え」という声が上がっていた。しかし、この頃にはまだ安保反対の世論は盛り上がっておらず、もしこの時点で議会を解散していたら、自民党は勝利し、安保条約はスムーズに改定されただろうと言われているそうだ。

しかし、アメリカの政治日程の都合により、岸は解散できなかった。なんと、議会の解散さえアメリカの許可を得なければできない、岸内閣とはそんな政権だったのだ。

日米安保条約の改定を、警官隊を導入して強行採決をした1960年5月19日を境に、安保反対の世論は大いに盛り上がった。6月15日には、東大生だった樺美智子さんが事実上警官隊に殺される事件が起き、世論はさらに沸騰した。岸は、自衛隊まで出動させてデモを抑え込もうとしたが、赤城宗徳防衛庁長官は、岸の要請をはねつけた。最後は、柏村信雄警察庁長官が、岸に政治姿勢を改めるよう迫り、岸は柏村を罷免しようとしたが、それに対して各地の警察幹部が反発、長官罷免なら自分たちが一斉辞任すると抗議した。こうして、自衛隊からも警察からも見放された岸は、退陣に追い込まれたのだ。岸を辞任に追いつめたのは、最終的には味方の造反であったが、彼らをそうさせたのは、いうまでもなく民衆の力である。

宮崎さんによると、岸は大衆を愛せなかった政治家だという。岸にとって、大衆とはみずからの国家構想に翼賛させる「数」に過ぎなかった。確かに岸は最低賃金法や国民年金法を制定したが、それは安倍晋三が言うような「貧しい人々を助けようと」したものではなく、大衆を懐柔するための「演技」に過ぎなかったと、宮崎さんは喝破している。

だから、岸にはそもそも戦争責任を感じる感性がない。岸信介論を著した、評論家の村上兵衛は、アウシュヴィッツを訪ねたアイゼンハワーの表情から、戦争に対する悲しみと怒りを強く感じていることを読み取り、そういう『真摯さ』を一切持たない岸に思いを致したという。だが、そんな独裁志向の男だった岸を倒したのは、「大衆の力」だったのだ。本来、大衆には政権を倒すパワーがある。日本国憲法は国民主権を定めている。日本を統治するのはわれわれになったのだ。

宮崎さんは下記のように指摘している。

 しかし、いつのまにか、われわれは、この「民主の力」の遺産の上に眠るものになっていったのではないか。民主主義が自己統治だということが忘れられようとしている。そして、それにともなって、われわれはなめられはじめたのだ。
 特にこの五年、われわれは「小泉劇場」なるものに誘い入れられ、パフォーマンス劇の演技を見て喜ぶ観客にされてきた。そういうふうにして、「演技される数」に甘んじているうちに、次なる劇場の座付き脚本家が書いたシナリオが岸復権なのだ。

(宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』=同時代社、2006年=より)

さて、安倍晋三に論を移す前に、岸信介の「金権政治家」としての側面にも触れておかなければならない。

安倍晋三は、恥書ならぬ著書の「美しい国へ」において、金権政治の創始者が田中角栄であるかのように書いているが、これは真っ赤なウソで、岸信介こそ金権政治の本家本元である。
岸が満州を離れるときに語ったという「政治資金の濾過」論をここで紹介する。

「政治資金は濾過器を通ったものでなければならない。つまりきれいな金ということだ。濾過をよくしてあれば、問題が起こっても、それは濾過のところでとまって政治家その人には及ばぬのだ。そのようなことを心がけておかねばならん」
(前掲書より)

要は、岸は汚れ役は周囲の人間にやらせて、いざとなったらトカゲの尻尾切りをするぞ、と公言したわけだ。

田中角栄は、ロッキード事件に関係して、総理大臣辞任の2年後、受託収賄容疑で逮捕されたが、宮崎さんはこう指摘する。

 それ(岸信介の政治資金調達法)と田中角栄的な「現金取引」とどっちが「構造的」だろうか。岸のほうが構造的である。岸のような黙っていてもカネが集まってくる真正権力者と違う成り上がりの田中角栄は、受託収賄のようなヤクザな手法を使うしかなかったのだ。
(前掲書より)


それでも、岸は、首相時代「歴代総理のうち、岸首相ほど"金の出所"に疑惑を持たれている人は少ない」(「週刊新潮」1959年3月30日号)と書かれた男である。宮崎さんは、岸が絡んでいるとささやかれた疑惑を列挙している。

1958年(昭和33年)
 千葉銀行事件
 グラマン・ロッキード事件
1959年(昭和34年)
 インドネシア賠償疑惑
 熱海別荘疑惑
1961年(昭和36年)
 武州鉄道疑惑
1966年(昭和41年)
 バノコン疑惑
(前掲書より)


これらは、いずれも岸が直接絡んだと噂された疑惑であって、間接的な関与が噂された件を含むと、数え切れないほどの疑惑がささやかれたが、いうまでもなく岸は一度も逮捕されたことはない。

さらに、岸はアンダーグラウンドの世界ともつながりがあった。だが、それらにいずれも岸の戦犯仲間である児玉誉士夫や笹川良一を介在させ、岸には累が及ばないようにしていた。

宮崎さんの本から、岸とアングラ勢力のかかわりについて書かれた部分を以下に紹介する。

デイビッド・E・カプランとアレック・デュプロは『ヤクザ ニッポン的地下犯罪帝国と右翼』で、「岸は、戦前の右翼とヤクザの同盟のそうそうたる一群全員が中央舞台へ復帰するのに力を貸し、何とか彼らの復帰をやりとげてしまった」と書いている。そして、それを受け継いだのが、「岸と児玉の支持を受けて自民党副総裁の座を占めた」大野伴睦だった、という。
(中略)
 岸が退陣した時、この大野伴睦に後継総裁を約束したと念書を渡していたことが問題になった。この念書は、1959年(昭和34年)1月、岸が自民党総裁選で再選を勝ち取るために書いたものだが、このとき仲介者として児玉誉士夫が同席していた。そして、岸はそれを反故にしたのだ。後継総裁には池田勇人が選ばれた。
 池田総裁の就任パーティで岸は荒牧退助という男に太股を刺された。この荒牧は、児玉誉士夫系の右翼団体・大化会に所属していた右翼だった。大野とも面識があり、世話になったこともあった。海原清兵衛という大野系自民党院外団体の顔役で働いていた。この事件は、大野の報復という見方が強いが、むしろ大野の無念さを汲みながら、裏社会のドン児玉が仲介して成立した念書を無視したことに対する裏社会からの警告だったと見た方が良いのではないか。
 もちろん、岸は、このあと大野にではなく、裏社会に対して、しかるべき手を打ったにちがいない。右翼、ヤクザが岸に手を出すことは二度となかった。
(前掲書より)


安倍晋三にも暴力団にかかわる噂は多いが、暴力団によって、地元事務所に火炎瓶を投げ込まれてしまう安倍は、「脇が甘い」というべきなのかもしれない。

その安倍晋三を、母方の祖父・岸信介と絡めて論じた部分は、宮崎さんの本では最後の第8章に置かれている。今回は、またしてもそこまで書き切れなかった。そこで、このシリーズの連載をさらに1回追加して、次回のエントリでそれを紹介することにしたい。

(続きはこちらへ)
2007.01.16 12:20 | 読んだ本 | トラックバック(-) | コメント(2) | このエントリーを含むはてなブックマーク
今回と次回で、「年末年始に読んだ本」シリーズの最後に取り上げる本として、宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』(同時代社、2006年)を紹介する。

安倍晋三首相が「岸信介の孫」であることを売りものにしていることはよく知られている。しかし、私などは岸信介というと「A級戦犯」「日米安保条約を改定したあと、内閣を倒された男」「数々の疑獄事件で名前が取り沙汰されながら、一度も捕まらなかった男」といった、ネガティブなイメージしか持っていなかった。

だから、「岸信介の孫」を売りものにする男が総理大臣になったこと自体に、強烈な違和感を持っている。安倍晋三には、「安倍寛の孫」「安倍晋太郎の息子」という意識は希薄で、彼が「祖父」と言う時、大政翼賛会から推薦を受けずに選挙に当選した反骨の政治家である父方の祖父・安倍寛を指すことは決してなく、東条英機内閣の閣僚だった母方の祖父・岸信介「だけ」を指すのである。

だが、岸信介内閣の成立は1957年、岸が打倒されたのは1960年6月23日のことだ。その時私はまだ生まれてもいない。だから、当然リアルタイムで60年安保のニュースを追いかけていたはずもなく、一度岸信介について書かれた本を読みたいと思っていたところだった。
「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」は、そんな私のニーズにぴったりの一冊だった。

著者の宮崎学さんは、グリコ・森永事件の被疑者「キツネ目の男」ではないかとして重要参考人に目されていたことでよく知られている。詳しくは、前記リンク先のWikipediaの記述を参照していただきたいが、波瀾万丈の人生を送ってきた人である。
前々回および前回のエントリで紹介した『ナショナリズムの迷宮』の著者である佐藤優さんや魚住昭さんと親交があり、この3人で講演会を開催したこともある。
なお、一部には宮崎さんが「公安の協力者」ではないかと疑問を持つ向きもあるようだが、その真偽については私には判断できない。

『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』は、正統的なアプローチで岸信介を研究した書だ。正統的、というのは、さまざまな立場から書かれた文献に当たり、評価すべきところは評価した上で岸信介を批判していることを指している。

岸信介は、よく知られているように抜群に頭の良い男であると同時に、若い頃から権力欲が人並み外れて強く、しかもそれを隠そうともしなかった。

岸は、北一輝の影響を受けながら、自らの思想を形成していったという。それを、宮崎さんは「昭和ファッショの思想」と呼んでいる。これは、ひとことで言うと国家が個人を超越して主体となり、個人は国家という有機体の器官としてはじめて存在意義を得るという考え方である。

さらに岸は、大川周明の影響を受けて「大アジア主義」の思想も身につけた。これは、戦時中には「大東亜共栄圏」の思想として日本の侵略戦争を正当化し、戦後は日本の東南アジアへの経済侵略を正当化した。
田中角栄は、首相当時の1974年、東南アジアを歴訪した時、激しい反日デモに見舞われたが、それは岸の政策の尻ぬぐいであったと宮崎さんは指摘している。

岸は、1920年に東京帝大を主席の成績で卒業したあと、農商務省に入省した。エリートは普通内務官僚を目指すのに、あえて農商務省を選んだのが岸の非凡なところであった。岸は、国家の経営にとってもっとも大事なのは、政治制度ではなく経済制度であることを見抜いていたのである。

その岸の能力が遺憾なく発揮されたのは、満州国の経営であった。岸は、満州で統制経済機構を完成させ、それによって資本主義的経済機構を修正しようとしたのである。さらに岸は帰国後、本国にもこのやり方を適用した。野口悠紀夫・東大教授が指摘した「1940年体制」は、岸が中心になって作ったものなのである(コイズミが「ぶっ壊す」と叫んでいた対象は、岸の作り上げた経済体制であり、安倍晋三はその「カイカク」を引き継ぐと言っているのだ)。

当然ながら、その間岸はずいぶん怪しげなこともやっている。宮崎さんの本には、岸が満州で麻薬(アヘン)の密売にもかかわっていたのはないかという疑惑も書かれている。但し、岸は一生の間に数え切れないほどの疑惑に絡んで名前を取り沙汰されながら、一度も逮捕されることはなかった。巧妙な「濾過装置」を作り上げていたのである。

さて、岸の戦争責任の問題に移る。
よく知られているように、岸は対米開戦を決定した東条内閣の商工大臣だった。もちろん、積極的な対米開戦賛成派であった。この点、対米開戦に反対し、グルー米国大使に国家機密を漏らしてまでも戦争を防ごうとした吉田茂とは対照的である。
よく、岸信介の孫である安倍晋三のことを「保守本流」だと思っている人がいるが、いうまでもなくこれは誤りで、保守本流とは吉田茂の流れを指すのである。

岸は、のち1944年に東条英機と対立して、東条内閣を総辞職に追い込むが、それによって岸の戦争犯罪が帳消しになるはずもないのは当然のことである。それどころか、岸というのは戦後になっても戦争責任を全く反省せず、間違った戦争だったとさえ思っていなかったのだ。岸は堂々とそれを広言しているし、その例は、「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」に出典を明示して紹介されている。

では、このように明白な戦犯である岸は、なぜA級戦犯として起訴されなかったのだろうか。明らかに岸より罪の軽い広田弘毅まで絞首刑になっているのだから、岸が絞首刑になっていても全く不思議はなかったはずだ。

これについて、岸自身は、開戦を決定した「共同謀議」の証拠になる大本営政府連絡会議に出席していなかったからだと説明している。しかし、宮崎さんは、岸が無罪になるようにあらかじめ戦犯の枠が設定されており、連絡会議の出席の有無はあとづけの説明だろうと推測している。

朝日新聞元編集局長の富森叡児氏は、司法取引説を唱えているという。「司法取引」とは、本人が犯罪を犯していても、捜査に協力したら罪を軽くするという制度のことだ。これをひらたくいうと、「岸は戦犯仲間をアメリカに売った」ということになるが、もちろん宮崎さんの本では、そこまで露骨な表現はされていない。

なお、同じく東京裁判で不起訴になった細菌戦の石井四郎「731部隊」で生体実験を行ったとされている)や、アヘン工作の里見甫についても、司法取引の噂が取り沙汰されているとのことだ。里見は、岸信介の満州時代について書かれた本には必ず名前が出てくる人物だそうで、前述の、岸がアヘン密売に関与していたという疑惑にも、この里見が絡んでいる。というより、里見を盾にして岸が疑惑を逃れたと解釈するのが自然だろう。里見については、佐野眞一が『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社、2005年)という本を出版しており、佐野の最高傑作という人もいるようだから、一度読んでみたいと思う。

脱線が長くなってしまった。話を元に戻す。岸が起訴されなかったのは、アメリカ側にも事情があった。

3日前のエントリ「安倍晋三内閣を分析すると」でも紹介したが、戦後日本の保守政党には、吉田茂と鳩山一郎の流れがあって、吉田は、経済政策を最重要視し、「現行憲法維持・軽武装」で「親米」(というより安保ただ乗り)であった。一方、鳩山は吉田の対米依存に反対して自主外交を唱える一方、憲法改定を主張していた。鳩山は日ソおよび日中の国交回復を模索し、首相在任時の1956年には日ソ国交回復を果たした。

しかし、アメリカにとってはそのどちらも気に入らなかったのである。アメリカは日本を軍事面での同盟国にしたかったので、憲法九条を盾にとって軍備増強に応じない吉田は気に入らなかったし、共産主義国との関係強化を図る鳩山も気に入らなかった。ところが、岸は憲法改定・軍備増強を唱える一方で、岸が反共思想を持っていたせいもあって外交面ではアメリカべったりであった。アメリカにとって、岸以上に都合の良いパートナーは存在しなかったのである。実際、近年アメリカで公開された情報により、CIAが幹事長時代の岸に資金を提供するなど、岸政権成立に大いに協力したことが明らかにされている。アメリカは岸に協力し、岸はアメリカに応えたのである。

宮崎さんは、岸信介が売国政治家だったからそういうことをやったのではなく、岸には岸なりの信念があってやったことだと書いている。岸には、軍事で失敗した「大アジア主義」を経済でやろうという野心があり、そのためにアメリカを利用しようとしたのだという。
だが、その意図はともかくとして、結局岸及び岸の流れを汲む派閥は、一貫して日本をアメリカに売るような真似ばかりしてきたことを指摘しておかなければならないだろう。近年で最悪の例は、いうまでもなく小泉純一郎であった。

さて、今回も長くなってしまったので、岸信介と安倍晋三との絡みについての宮崎さんの記述については、次回の記事で紹介することにしたい。

(続きはこちらへ)
2007.01.15 11:33 | 読んだ本 | トラックバック(-) | コメント(4) | このエントリーを含むはてなブックマーク
もうすぐライブドアの強制捜査から丸1年になる。あれは昨年の1月16日のことだった。なぜ、耐震偽装問題に絡んだヒューザー・小嶋進社長の証人喚問の前日にライブドアの強制捜査なんかがあるのか、あの当時強い疑問を抱いたものだ。

小嶋社長の証人喚問で、民主党の馬淵澄夫議員が、小嶋氏が「安晋会」の会員であり、マンション住民への説明会で、安倍晋三の後ろ盾があるようなことをしゃべっていたことを暴露した。しかし、そのニュースはライブドアの強制捜査の陰に隠れてしまったのである。

ところが、事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、馬淵議員が「安晋会」の存在を暴いた翌日の1月18日、ライブドア事件に絡んでエイチ・エス証券の野口英昭さんが謎の「自殺」を遂げた。野口さんの命日ももう間もなくだ。私は1月19日の早朝に、読売新聞の速報でこのニュースを知った瞬間に、「これは自殺じゃない」と即座に確信し、掲示板で騒ぎまくったのだが、同日にこの件をある有名ブログが取り上げたことによって、ブログ界でもこの話題は沸騰したものだ(私は当時ブログを未開設だったので、これには加われなかった)。

驚くべきことに、野口さんは「安晋会」の理事だった。これは、「週刊ポスト」のスクープだ。その数日前から、耐震偽装事件とライブドア事件の両方に絡んで安倍晋三の名前がささやかれているという情報は得ていた。しかし、「自殺」した野口さんまでもが「安晋会」の理事だったという情報には、背筋が凍る思いだった。いったい、「安晋会」にはどこまで深い闇があるというのだろうか。

これで安倍晋三の政治生命は終わるかもしれない。そういう予想もあった。しかし、安倍は生き延びた。6月上旬、安倍が統一協会系の大会に祝電を送っていたことが判明し、その頃にはブログを開設していた私も騒ぎに参加したのだが、安倍はこれも乗り切った。

ついに総理大臣になり、安倍晋三は得意絶頂だったはずだが、そこから安倍は高転びに転びつつある。それが現状だと思う。

さて、前置きが長くなってしまった。

昨日のエントリに引き続き、佐藤優・魚住昭著 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』(朝日新聞社、2006年)を紹介したい。

この本でも、ライブドアの強制捜査のことが取り上げられている(第9章)。この強制捜査劇を、ホリエモンが体現している新自由主義と国家の対決と見る佐藤さんの見方は、ごく一般的なものだろう。新自由主義とは究極の資本の論理だから、天皇制もどうでも良いし(事実、堀江貴文は天皇制を否定し、大統領制を唱えていた)、国家も邪魔なだけ、これに対して国家の論理は自己保存であって、そのイデオロギーは「新保守主義」である、これが新自由主義と激しくぶつかったのが、ライブドアの強制捜査であり、ホリエモンの逮捕だったと佐藤優は解釈しているが、これは、当時この事件を非常な関心を持って見守っていた私の感覚とよく合致するものだ。

以下、佐藤優のたとえ話を引用する。

ホリエモン事件は、国家と貨幣の間の激しい戦いだと私は見ています。いわば、怪獣大戦争ですよ。たとえば、ゴジラ対ヘドラ。ゴジラは水爆実験によって生み出されましたね。ヘドラは公害が生み出しました。どちらも人間が生み出したものであるにもかかわらず、人間のコントロールが利かない化け物という点では、国家と貨幣に似ていませんか。このまま、新自由主義=貨幣が強くなり過ぎると、おまんまの食い上げになると心配した国家が、貨幣に噛みついたと。東京タワーを引き抜いたり、転んでビルや住宅を押しつぶしたり、みんなひどい目にあっている。こんなイメージですね。

(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=第9章より)

さて、この本の中でもっとも印象に残ったのは、蓑田胸喜(みのだ・むねき, 1894〜1946)という思想家の話題だ。

この蓑田胸喜という人物は、Wikipediaにも載っておらず、Googleで検索しても576件しか引っかからない、今となっては忘れられた思想家で、私自身も「ナショナリズムという迷宮」を読んで、初めて知った(佐藤優がGoogle検索をした時には459件しかヒットしなかったらしい)。

佐藤優によると、蓑田は国家主義思想家で、リベラルな学者を次々と糾弾し、アカデミズムの世界から追放したり、事実上、ものが言えないような状況に追い込むことに成功したばかりか、右翼や国家主義者まで攻撃した人とのことだ。

蓑田の思想に関する佐藤優と魚住昭の対話を以下に引用する。

佐藤 彼の思想の基本的な構えは、日本人には単一の歴史しかない。全体が部分に優先し、歴史は個人に優先するというものです。さらにそうした全体や歴史は天皇によって体現されていると。そのことは『明治天皇御集』の和歌の解釈で、"客観的"に確定できるというものです。この考えを受け入れない人間は国賊なんです。ですから、日本人でありながら仏教徒であったり、クリスチャンであったり、ましてやマルクス主義者などということは、あってはならないことなんです。
魚住 整合性のない思想のように思えますが、本当に当時の知識人を屈服させることができたんですか。
佐藤 いまお話ししたように、蓑田の内面では、社会の枠組みや制度、歴史といった論理的な事柄と、和歌という心情的、情緒的な事柄が何の矛盾もなく往来しています。蓑田は、論理の問題と心情の問題という、本来、分けて考えるべき問題をいっしょにこね回すことができる天才だったんです。そうして生み出された言説は、当時の日本人が抱いていたいらだちや集合的無意識を見事に掬うことができたんです。そんな天才的なアジテーション能力が彼の強みであり武器でした。01年の自民党総裁選で小泉さんが勝ったのは田中眞紀子さんによるところが大きいですよね。彼女の応援演説を思い出してください。聴衆は爆笑、拍手喝采でした。蓑田については、外国語や和歌に通暁した田中眞紀子さんが、戦前の10年間、論壇を席捲(せっけん)した。こんなふうにイメージしたらいいと思います。

(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=第14章より)


なんと、蓑田胸喜というのは、論理の問題と心情の問題をごっちゃにして言論封殺のアジテーションを行っていた男であるようだ。

蓑田はこの論法で、美濃部達吉の「天皇機関説」を激しく攻撃し、論争を巻き起こした。「ナショナリズムという迷宮」の中に、立花隆著『天皇と東大』(文藝春秋、2005年)の記述が引用されているが、これがとても興味深いので、孫引きになるが紹介したい。

天皇機関説論争は、国会でも取り上げられたのだが、国会で天皇機関説を批判した議員は、美濃部達吉の天皇機関説の論文を読まずに批判していたのだった。

当時有名だったジャーナリスト・徳富蘇峰も、天皇機関説の論争に参加したのだが、彼もまた美濃部の著作を読んでいない、と自ら明らかにした上で天皇機関説を批判していた。

立花隆は、以下のように書いている。

 何も読んでいないが、批判だけはするというのだ。これでも蘇峰か、と唖然とするほど堂々たる開き直りぶりである。
 それで何をいうのかと思ったら、要するに、「天皇機関説などという、其の言葉」がいけないというのだ。その言葉が何を意味するのかわからないが、とにかくその言葉がいけないというのだ。「機関」が何を意味するかわからなかったら、天皇機関説の真意がわかるはずもなく、批判などできるわけがない。しかし蘇峰はそれでも構わず論理ゼロの感情だけの議論を続けていく。実は、天皇機関説論争の相当部分が、これと同じレベルの議論なのである。(立花隆 『天皇と東大』 下巻135頁)

 議会のやりとりを見ても、首相、大臣などが、天皇機関説に対する見解を問われると、みな反対だといい、日本の国体をどう思うかと問えば、みな尊厳そのものとか、万国無比といったありふれたきまり文句をならべ、あげくにみんなが国体明徴を叫んで終わりという空虚な芝居が繰り返し演じられた。(前掲書、172頁)

 一つの国が滅びの道を突っ走りはじめるときというのは、恐らくこうなのだ。とめどなく空虚な空さわぎがつづき、社会が一大転換期にさしかかっているというのに、ほとんどの人が時代がどのように展開しつつあるのか見ようとしない。たとえようもなくひどい知力の衰弱が社会をおおっているため、ほとんどの人が、ちょっと考えればすぐにわかりそうなはずのものがわからず、ちょっと目をこらせばみえるはずのものが見えない(こう書きながら、今日ただいまの日本が、もう一度そういう滅びの道のとば口に立っているのかもしれないと思っている)。(前掲書、173頁)

(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』(朝日新聞社、2006年)206-207頁)

魚住昭も佐藤優も、この立花隆の見解に同意しているが、私も同感だ。これを読みながら私の脳裏から離れなかったのが、安倍晋三が好むフレーズである「美しい国」だった。

ほかならぬ立花隆が、「メディア ソシオ-ポリティクス」第93回「未熟な安倍内閣が許した危険な官僚暴走の時代」で、下記のように書いている。

センチメンタリズムが国を危うくする

実はそんなこと以上に、私がかねがね安倍首相の政治家としての資質で疑問に思っているのは、彼が好んで自分が目指す国の方向性を示すコンセプトとして使いつづけている「美しい国」なるスローガンである。情緒過多のコンセプトを政治目標として掲げるのは、誤りである。

だいたい政治をセンチメンタリズムで語る人間は、危ないと私は思っている。

政治で何より大切なのは、レアリズムである。政治家が政治目標を語るとき、あくまでも「これ」をする、「あれ」をすると、いつもはっきりした意味内容をもって語るべきである。同じ意味を聞いても、人によってその意味内容のとらえ方がちがう曖昧で情緒的な言葉をもって政治目標を語るべきではない。

人間Aにとって「美しい」ものは、人間Bにとっては、「醜い」ものかもしれない。政治は人間Aに対しても、人間Bに対しても平等に行われなければならないのだから、その目標はあくまでも明確に具体性をもって語ることができる内容をともなって語られなければならない。

歴史的にいっても、政治にロマンティシズムを導入した人間にろくな政治家がいない。一人よがりのイデオロギーに酔って、国全体を危うくした政治家たちは、みんなロマンティストだった。

政治をセンチメンタリズムで語りがちの安倍首相は、すでにイデオロギー過多の危ない世界に入りつつあると思う。

「メディア ソシオ-ポリティクス」第93回「未熟な安倍内閣が許した危険な官僚暴走の時代」より)

安倍晋三自身が意識していたかどうかはわからないが、「美しい国・日本」というキャッチフレーズには、日本人を思考停止させようという狙いがあったと思う。しかし、日本国民にとって幸いなことに、安倍自身が失政を重ねたことによって、このフレーズはすっかり色あせてきている。

「ナショナリズムの迷宮」には、この他にも、キリスト教・イスラム教論や、丸山眞男批判などなど、興味深い考察が満載されていて、読み応えたっぷりの本である。
しばらく中断していた「年末年始に読んだ本」のシリーズを再開する。

今回は、佐藤優・魚住昭著『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』(朝日新聞社、2006年)を紹介する。

この本こそ、正真正銘、私が年末年始に読んでいた本である。大みそかの夜、17章からなるこの本の16章まで読み終えたところで、新年を迎えた。午前0時となって新年を迎えたあと、最後の17章を読もうとしたら、猛烈な眠気に襲われて居眠りしてしまった。年越しそばを食べて満腹になると同時に、年末の疲れが吹き出したのである。
数時間後に目を覚まし、残りの数十ページを読み終えて、今年最初に読んだ本となった。

この本は、佐藤優と魚住昭の対談形式になっており、主に魚住が聞き手で、佐藤の縦横無尽の思想論を聞き出すという構成になっている。

魚住昭については、弊ブログでも何度も取り上げているが、私は現在もっとも信頼できるジャーナリストだと思っている。

一方、佐藤優は、起訴休職中の外務事務官で、鈴木宗男ともども、2002年に小泉純一郎の罠にかけられて、背任容疑、偽計業務妨害容疑で逮捕され、512日間にわたって独房生活を過ごした。「ラスプーチン」というのは、いうまでもなく帝政ロシア末期に政治を好き放題に動かしたと言われている怪僧であり、ムネオスキャンダルを書き立てた週刊誌によって、佐藤優のあだなとなった。

のち、佐藤は自らに対する捜査を「国策捜査」であるとして告発し、『国家の罠』(毎日新聞社、2005年)を出版し、第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞した大ベストセラーになった。この本は、魚住昭が絶賛していたこともあって、私も昨年買って読んだ。ブログを開設する直前の頃の読書だったので、感想文はブログには残していないが、たいへん刺激に満ちた本だった。

2人のスタンスは、実は対照的で、魚住昭は「リベラル」に分類され、私と立ち位置が近い。私は魚住の文章を読む時、いつも強い共感を覚える。魚住昭本人は「右でも左でもない」と自称しているが、世の中が急激に右傾化してしまった現在では、相対的に魚住さんはかなり「左」側に属するといわなければならないだろう。一方、佐藤優は明白な保守の論客で、昔なら「右翼」として攻撃の対象になったかもしれない。そんな2人が対談した。

魚住昭は、佐藤優について以下のように述べている。

 一言でいえば、佐藤さんはロジック(論理)の人だった。レトリック(修辞)を使う人なら掃いて捨てるほどいる。だが、佐藤さんのようにロジカルに物を考え、ロジカルに世界を分析できる人にお目にかかったことはなかった。
 佐藤さんとの出会いで、私はロジックのとてつもない力を知った。ある個人や集団や国家の一見訳の分からない行動も、その内在論理を見つけ出せば案外簡単に理解できるし、未来の行動もある程度予測できることを教えられた。当時の首相(注:小泉純一郎)の「人生いろいろ」だとか「自衛隊の行くところが非戦闘地域だ」とかいった支離滅裂な発言を聞いて余計にそう思ったのかもしれないが、今ほどロジックの力が必要な時代はないと思うようになった。

(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=「あとがき」より)

魚住昭は1951年生まれ、一橋大学卒業後共同通信に入社し、1996年にフリーになった。一方、佐藤優は1960年生まれで、同志社大学で神学を学んだ後、同大学院に進学して、神学の研究を深めたのち、外務省に入省した。面白いことに、この本は魚住昭が9歳年下の佐藤優に思想や哲学について教えられ、それに対して魚住昭が質問をする形で進んでいく。佐藤優の博識ぶりにも舌を巻くが、一流のジャーナリストとして評価されながらも、向上心を保ち続け、一回り下の世代の佐藤優から知識を吸収しようとする魚住昭の謙虚にして真摯な姿勢にも感心する。

全共闘世代より少しだけ下に当たる魚住昭は、ある時、佐藤優に次のように尋ねる。

「私の中にはとても浅薄だけど、拭いがたい疑念があります。それはいくら思想、思想と言っても、戦前の左翼のように苛烈な弾圧にあえばすぐ転向しちゃうのじゃないかということです。特に私のように臆病な人間がいくら思想をうんぬんしたところで仕方がないんじゃないかと」
(中略)
私の問いに佐藤さんはこう答えた。
「魚住さんがおっしゃる『思想』というのは、正確には『対抗思想』なんですよ」
「どういうこと?」と、私は聞き返した。
「いま、コーヒーを飲んでますよね。いくらでしたか? 200円払いましたよね。この、コイン2枚でコーヒーが買えることに疑念を持たないことが『思想』なんです。そんなもの思想だなんて考えてもいない。当たり前だと思っていることこそ『思想』で、ふだん私たちが思想、思想と口にしているのは『対抗思想』です。護憲思想にしても反戦運動にしても、それらは全部『対抗思想』なんです」
 この言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。それまで私は思想というのは特別なもので、粒々辛苦の末に獲得すべきものと考えていた。そうではなく、当たり前すぎて目に見えないものこそが思想なのだ。私たちを突き動かす、空気のような思想の正体を解き明かさなければならない。そうすることによって初めて「鵺(ぬえ)」の正体も突き止めることができるのだ。そう思い至ったとき、佐藤さんとの対話の道筋も見えたような気がした。

(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=「あとがき」より)

ここで魚住昭が「鵺」と言っているのは、辺見庸がよく書く「今の日本は鵺のような全体主義に覆われている」というときの「鵺」のことである。
私もこのフレーズを2001年に魚住昭の「特捜検察の闇」(文藝春秋、2001年)で読んで以来、ずっと気になるキーワードになっている。

この本には、印象に残る指摘が、それこそ紹介しきれないほど載っている。いくつか取り上げてみよう。

本の第5章で、このところ当ブログでも取り上げている2005年の郵政総選挙に話が及ぶ。佐藤優は、この選挙によって、日本がファシズム前夜の状態になったと考えている。
佐藤優は、この選挙の特徴として、ひとつは「自分の首を絞めるような候補者や党に、首を絞められるであろう当の本人が投票してしまった」こと、ふたつめが「新自由主義」の純化だ、としている。

いうまでもなく、新自由主義は社会的弱者に極めて苛烈な経済政策だ。それを、前のエントリで指摘したようなネトウヨを代表とする社会的弱者が熱狂的に支持したのである。

佐藤優は、マルクスが著した『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』に基づいて、社会的弱者たちの投票行動を分析している。以下佐藤さんの発言を引用する。

『ブリュメール十八日』でマルクスはこう指摘しています。要約すると、ナポレオンはかつて自分たち農民に利益をもたらしてくれた。そこにルイ・ボナパルトというナポレオンの甥と称する男が現れた。彼も叔父と同じように、再び自分たち農民に何か"おいしいもの"をもたらしてくれるのではないかという「伝説」が生まれた。その結果、選挙でルイ・ボナパルトに投票し、権力を与えてしまったと。今回の選挙におけるニートやフリーターの投票行動にも、それと同じような回路が働いたのではないでしょうか。「改革を止めるな」というシングルメッセージを発し続けた小泉首相に何かを見てしまったんでしょうね。

(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=第5章より)

選挙に勝ったルイ・ボナパルトは、帝政を復活させ、その結果、選挙で彼に投票した分割地農民たちは、手ひどい迫害に遭うことになったのである。

佐藤優は、新自由主義についても論じている。すでに、前述の『国家の罠』で、佐藤優は小泉政権の登場によって、日本政府の経済政策が、それまでのケインズ型の公平配分路線からハイエク型の傾斜配分型路線(言い換えれば格差拡大路線)に転換した、鈴木宗男や佐藤優自身の「国策捜査」による逮捕および起訴は、時代の転換点のけじめをつける意味合いがあったと指摘している。『ナショナリズムという迷宮』でも、新自由主義は、国民をごく少数の勝ち組と大多数の負け組に分け、その格差を、従来の自由主義の比ではないくらいのすさまじいスピードで拡大していくものだとしている。そして、佐藤さんによると、小泉純一郎は総理大臣就任時には「新保守主義」と「新自由主義」の両面を持っていたが、次第に前者を切り捨てて「新自由主義」に純化していったと指摘している。新保守主義とは、私の理解ではナショナリスティックな政治思想のことで、小泉はこちらには興味がなく、新自由主義的経済政策に熱心であったのに対し、安倍晋三には逆の傾向があるとは、これまで当ブログで何度か指摘してきたことだ。

だが佐藤優は、小泉がファシストになるのに欠けているものがひとつあるという。それは「やさしさ」だそうだ。ファシズムは、心地よく「優しい」言葉で人々を束ねていくのだという。

これを読んで、私は安倍晋三の「柔和」と評されることもある表情や、「再チャレンジ政策」「美しい国」などの文言、それに安倍が首相に就任した当時のソフト戦略を連想した。

しかし、幸いなことに安倍のイメージ戦略は不首尾に終わり、支持率は下がり続けている。

長くなったが、この本からはもう少し紹介したいことがあるので、明日のエントリで続編を公開することにしたい。
メロディさんのブログ「あんち・アンチエイジング・メロディ」に紹介されているように、私は最近いろんな方のブログにお邪魔しては、コメントを残すことが多い。半ばキーボードを打つ指が勝手に動く状態で、内心の衝動に突き動かされての文章なので、一部の方には不快感を与える表現も含まれているかとは思うが、批判の意図はあっても、誹謗中傷の意図は全くない。政権の圧政に反対する仲間だと思えばこそ、遠慮のない批判をしているという面もあるので、どうかご容赦願いたいと思う。

今回は、安倍内閣についての私なりの現状分析を行いたい。

安倍内閣は、いうまでもなく昔でいう岸派?福田派の流れを汲む内閣である。この派閥は、1978年に福田赳夫が自民党総裁選で大平正芳に敗れて以来、22年間政権から遠ざかっていた。これは、日本の政治にとって非常に好ましいことだったと私は考えているが(笑)、不幸なことに2000年に森喜朗が首相になり、21世紀最初の2001年には、小泉純一郎という史上最低の総理大臣が就任し、日本をメチャクチャにしてしまった。そして、それにトドメを刺そうとしているのがアベシンゾーだ、なんていうときっこさんみたいな物言いになってしまうが、実際その通りだと思う。

ここで、岸信介とはどういう人物であったかを簡単に述べておく。

戦後の保守政治家の大物というと、吉田茂と鳩山一郎が挙げられる。吉田茂は、「親米・軽軍備」の立場で、日本国憲法を改正する必要はない代わり、軍事力はアメリカに依存しようという立場だ。いわゆる「保守本流」は、この吉田の流れを汲んでいる。一方、鳩山一郎は、「自主外交・憲法改正」の立場で、アメリカ一辺倒の外交を改め、ソ連や中国と国交を結ぼうとした(実際、鳩山内閣時代の1956年に日ソの国交が回復した)。その代わり、憲法九条を改め、自前の軍隊を持とうという立場だ。

日本の「ご主人様」アメリカは、実はどちらの立場も好まなかった。アメリカは、日本に軍事力を持ってもらって、軍事的な同盟国にしたい一方で、アメリカにとって敵方の陣営に属するソ連や中国などの共産主義国と日本がつき合うのは好まなかった。

そこに、A級戦犯容疑で逮捕されながらなぜか起訴されなかった岸が忽然と現れたのである。岸は、外交政策では親米で、憲法九条改正指向という、アメリカにとって吉田と鳩山の都合の良いところをかけ合わせたような、理想的なパートナー(というよりイヌ)だった。アメリカは、岸を総理大臣にするための工作をずいぶん行ったそうだ。このあたりは、今、宮崎学さんが岸信介について書いた本の論評をまとめようとしているところで、上記の記述も、実はかなりの部分が宮崎さんの本の受け売りなのだが、本のレビューについては、近日中にブログに公開したいと思う。

上記のような成り立ちだから、岸派、福田派は自民党の中でも「タカ派」であり、何かというと軍事力を強化し、外交政策ではアメリカの言いなりになる傾向が強かった。しかし、戦後日本の歴史においては、実はこの派閥が政権を握っていた時代は短かかった。岸信介も福田赳夫も任期は短く、最後は不本意な形で政権を手放している。なお、岸の弟・佐藤栄作は岸派ではなく吉田派に属していた(そのくせ、政権を自派閥の田中角栄にではなく岸派の福田赳夫に譲ろうとしたあたりは、岸の弟らしいといえるかもしれない)。

基本的には、吉田茂の流れが戦後の保守政治を支配してきた。もっとも正統的な吉田の流れを汲むのが、池田勇人、大平正芳、宮沢喜一らを輩出した「宏池会」であり、自民党内でもハト派に属する。加藤紘一もこの流れに属する。これに対し、やや傍流で右とも融和的なのが田中派で、これが派閥を乗っ取った竹下登の経世会につながり、長く実権を握った。いずれにしても彼らは基本的に経済政策を重視する派閥であって、結果的に戦後日本を繁栄に導いたのは彼らであったと評価すべきだと思う。

彼ら、特に宏池会の経済政策は、ケインズ主義的であるとよく指摘される。これに対し、70年代末からハイエクに代表される新自由主義経済理論を信奉する英サッチャー、米レーガン政権が現れた。日本では、1982年から87年まで政権を担った中曽根康弘が彼らに対応するが、中曽根は岸の流れではなく鳩山一郎の流れを汲む政治家だ。中曽根はタカ派で、レーガンとの間で「ロン・ヤス」と呼び合う親密な関係を築く一方、1985年に靖国神社に参拝して中国・韓国に批判を浴びるなどした。また、中曽根は統一協会と露骨に結びついており、なんと、桜田淳子や山崎浩子が参加したことで話題となった、1992年の合同結婚式に「元総理」の肩書き付きで祝辞を送ったという、安倍晋三の先駆けみたいなこともやったことがある(笑)。

こんなトンデモ総理だった中曽根だが、それでも靖国参拝が批判を浴びると、以後参拝を取りやめるなど、したたかなバランス感覚も見せた。このあたりが売国派閥の岸?福田の系列と違う中曽根らしさだろう。そういえば、この男は「風見鶏」という異名をとっていた。そして、「三角大福中」と、添え物のように言われていながら(そもそもそれ以前は「三角大福」と言われており、中曽根は無視されていた)、結果的に三角大福の誰よりも長く政権を担ったのである。その経済政策は、民活路線などで新自由主義への傾きを見せたものの、今にして思えばレーガンやサッチャーのような徹底したものではなかったのではなかろうか。

日本の政治が本当に「売国」へと舵を切ったのは、2000年の森内閣以降だろう。それでも、経済政策にあまり関心のなかった森は、旧保守の経済政策を継承していた。日本で初の本格的な新自由主義政権、それが小泉純一郎内閣だった。コイズミが政権を握っていた5年間で、いかに日本がメチャクチャな国になってしまったかは、多くの人が実感していることだろう。

実は、早い時期に新自由主義を信奉していた人ほど、のちに新自由主義批判側に回る傾向がある。日本では小沢一郎がその例にあたる。新自由主義は、社会の格差を広げ、国を荒廃させてしまう悪魔の経済政策なのだ。英米の新自由主義経済政策の弊害が表面化し始めていた2001年に、コイズミなんかが政権を握ったのは、日本国民にとって実に不幸なことだった。

ひとたび社会が新自由主義に侵されてしまうと、資本の論理が暴走を始める。1月9日のエントリに寄せていただいた三輪耀山さんのコメントがいみじくも指摘するように、社会が「資本家独裁」へと向かっていくのである。日本でこれを招いたのはコイズミであり、実質的には竹中平蔵である。私は、後年の歴史書は、彼らを東条英機に匹敵する「戦犯」として裁くことになるだろうと予想している。しかし、そんなコイズミを、日本人の多くは愚かにも熱狂的に支持したのである。

私は、安倍晋三が政権を取ったら、こういったコイズミの売国的新自由主義経済政策に、国家主義的政治思想を加えた史上最低の政権になるであろうと予想し、安倍内閣成立を阻止するための「カナダde日本語」の呼びかけに、真っ先に応じた

残念ながら安倍内閣は成立してしまったものの、政権発足後3か月で安倍内閣の支持率は急落し、週刊誌では早くも「ポスト安倍」が取り沙汰されるようになった(笑)。この原因を分析してみたい。

マスコミは、「郵政造反組」の復党問題が支持率を下げたなどと馬鹿なことを言っているが、与党の内輪もめが国民の関心事であるはずがない。私は、安倍政権の経済政策が露骨に国民イジメ、私に言わせれば「国民皆殺し政策」になっていることが、支持率急落の最大の原因だと考えている。

安倍は、国家主義的な極右思想には興味があるようだが、経済政策にはほとんど関心がなさそうだ。でも、コイズミ時代からの慣性で、どんどん国民イジメの政策が導入されていく。安倍内閣は、右派の政治思想にしか興味を持たない人が多いから、財界の言いなりに次々とめちゃくちゃな政策が導入される。昨今話題になっている「ホワイトカラー・エグゼンプション」など、その最たるものだ。それに対し、ボンボンの安倍は、国民感情から乖離したノーテンキな発言をする。国民の心がさらに離れる。

こういった具合に、安倍内閣の支持率は落ちていったのだと思う。

要因はもう一つある。コイズミの場合、都合が悪くなると、党内の「抵抗勢力」や、中国・韓国を仮想敵に仕立てて支持率を浮揚させるという卑怯な手を使った。実はコイズミには政治思想など何一つないにもかかわらず、である。
しかし、コイズミよりは常識のありそうな安倍は、せっかく極右思想を持っていながら(笑)、意外と現実指向で中国や韓国との関係改善を図るなど、ネットウヨの期待を裏切る行動を取った。
よく指摘されることだが、ネットウヨには社会弱者が圧倒的に多く、彼らは自分たちをもっとも苦しめるコイズミの政策を支持するように仕向けられてきた。だが、安倍はコイズミほど露骨な人気取りができない。実はコイズミよりはるかに極右的なのに、中国・韓国を挑発するようなパフォーマンスは、コイズミほどには見せない。しかも、気づいてみたら新自由主義的な経済施策のせいで、生活はますます苦しくなってくる。こんなことでは安倍政権を支持する気になどならない。

だいたい上記のようなメカニズムで、特に若年層で安倍内閣は大幅に支持率を落としたのだと思う。あとは、もういくつかスキャンダルが大きくなったら、安倍は本当に持たないかも知れない。

そうなったら、「AbEnd」が現実のものとなり、万々歳といきたいところなのだが、万一コイズミなんかが復帰したら、喜びは一瞬にして吹っ飛んでしまうだろう。

昨日のエントリで、栗本慎一郎さんがコイズミ復帰の可能性を指摘し、「そのときこそ日本が本当に沈没することになるだろう」との不気味な予言をしていることを紹介したが、万一コイズミが復帰したら本当にそうなると私も思う。

今、日本の国民は安倍内閣によって、「言論の自由への脅威」「戦争の脅威」「国民皆殺しにつながる経済政策の脅威」の三つの脅威にさらされている、とは私が繰り返して主張していることだが、私はその中でも三番目に挙げた「国民皆殺し経済政策の脅威」が、国民生活にとってもっとも切実な脅威であると思う。

また、戦争の脅威にどう対応するかという問題では、野党の足並みは必ずしも揃わないが、民主党が「ホワイトカラー・エグゼンプション」への反対をはっきり表明していることが示すように、安倍政権の経済政策への反対については、野党の足並みは比較的揃いやすいはずだ。そして、見逃してはならないのは、この経済政策の問題については、森・コイズミ・安倍らの一派によって圧殺されているとはいえ、保守勢力の中にも新自由主義に反対する良心的な人たちが結構大勢いるであろうことだ。非人間的な新自由主義を打ち破るためには、彼らとの連携を模索する必要がある。声を大にしてそう主張したい今日この頃なのである。


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一昨日のエントリで、コイズミの郵政総選挙の時の悪夢のような思い出を書いたが、このエントリに多数のコメントをいただいた。
また、昨日はブログの更新をお休みしたのだが、累計アクセス数が90万件を超えた「カナダde日本語」から紹介いただいたおかげで、ブログを更新した一昨日よりも200件以上もアクセスが増えた。

コメントくださった皆さま及び弊ブログを紹介してくださった美爾依さんには厚くお礼を申し上げる。

今回は、そのコメントの中からいくつか紹介しつつ進めたい。

まず、当ブログではおなじみの奈央さんのコメントから。

私たちが小泉マジックにはまったのは、ナチスドイツのヒトラーにはまったドイツ国民と同じ共通したものがあったからではないでしょうか?
人は単純明快を好み、また優越感をくすぐられるような心地よい言葉や考えに目を奪われると、苦言がある多様的な考えは軽視されるか無視されることになります。
そしてその心地よいひとつの考え方に執着するようになります。
それしか考えなくなるといえばよいでしょうか?
多様性がなくなるということは、知らないうちに自然におこります。
そして、ものごとを様々な角度で見られなくなります。
そしてひとつのことにとらわれ窮屈になります。
日本はそんな国に今なろうとしています。
心地よい言葉ほど害意がある、警戒をと思います。
これが、私がゴー宣や小泉政権から得た教訓です。
本当に心地よい言葉を彼らは使いましたから。
気をつけたいと思います。
(奈央さんのコメント)

いつも感心するのだが、奈央さんのコメントは問題の本質をよく突いている。
私がこのコメントを読んで思い出したのは、投票日当日、2005年9月11日付の朝日新聞の社説だ。
「朝日新聞は死んだ」と思わせたこの社説については、昨年7月12日付のエントリでも紹介したが、朝日新聞は「小泉首相はこれまで見たこともない型の指導者だ。……単純だが響きのいいフレーズの繰り返しは、音楽のように、聴く人の気分を高揚させる」と、コイズミを称揚した。
前のエントリで書いた事情によって、私は二日酔いの朦朧とした頭でこれを読んだ。コイズミに対する皮肉としか私には読めなかったのだが、しかし朝日の社説からは、自民党なんかに投票しないで野党に投票しろというメッセージも読み取れなかった。ということは、字面通りコイズミを称揚した社説ということになるのだろう。朝日新聞に限らず、コイズミの「心地よいメッセージ」に潜む危険性に警鐘を鳴らしたマスメディアは皆無だった。

続いて、花美月さんのコメントから。

ニュースで見たのですが、京都のある田舎にある高専の郵便局のATMが取り壊されました。学生たちはただ、呆然とそれを見ていました。
交通の便もない学校の寮に住む彼らは、今後、遠くの郵便局まで、歩いてお金をおろしに行かなければならなくなりました。雪が降ったときは大変です。こんなことは序章でしょう・・・

小泉さんの性格のように非道で冷たい政治になってしまいましたね。

もう少し多くの人が、もしこんなことが起こりえるかもしれないという想像力があったなら、ここまで自民に票を与えなくてもすんだのに。
(花美月さんのコメントより)

さらに、ひとみさんのコメントより。ひとみさんからは2通のコメントをいただいたが、こちらで編集させていただいた。

郵政民営化では、怖い思いをしました。あの選挙の時、駅前で、一人でプラカードを持って立っていたのですが(小泉さんと反対の立場で)、突然、高校生が数人で私を取り囲んだのです。そして、口々に「郵政民営化」を叫ぶのです。普段は、しらーっとしている高校生が、です。その時、マスコミの怖さのようなものを感じ、一人ひとり、知らせていくしかないな、と痛切に感じました。
駅前、本当は、たくさんで立ちたかったのですが、集合時間に誰も来なかった、というだけです。一人で立つ、というのは、怖い、というより、たくさんの方が目立ちますからね。
でも、なかなか一緒に立ってくれる人を増やしきらないんです。でも、何とかしなければ、という思いだけはあるんです。
アメリカがイラクに攻撃を仕掛ける前か直後か忘れましたが、米国のすることが許せなくて毎朝駅前に立ったんです。何十日立ったでしょうかねー。あるとき、「一人で立ってどうするね。自己満足やろも」と言われて、立つのを止めたのです。
仲間を拡げきらない無力さを感じ、それでも拡げなければ、という思いは、最近の情勢をみると、痛切に感じます。
(ひとみさんのコメントより)

ひとみさんが書かれている高校生の行動は、集団心理によるものだろう。一人一人では弱い者たちが、アジテーターに煽動されて集団になることによって、あたかも自我が強化されたような錯覚に陥って、少数者を攻撃する。ヒトラーやコイズミのような独裁者に陶酔することの怖さがここにある。

数々のコメントをいただいて、あらためて「コイズミとは何か」と考えごとをしていたところ、たまたま栗本慎一郎さんが書いた「純個人的小泉純一郎論」(イプシロン出版企画、2006年)という本を見つけた。これは、慶応大学でコイズミの同級生だった栗本さんが書いた本で、ナント、企画・構成が宮崎学さんである。なぜ「ナント」かというと、「年末年始に読んだ本」のシリーズで、宮崎さんが書いたある本を取り上げようと思っており、それをもうすぐ読み終えるところだったからだ。

それはともかく、これはなかなか面白い本である。「コイズミカイカク」を「中間層を崩壊させて、一部富裕層にその富を集めさせて、日本経済を分断して表面の好調を演出する」に過ぎないと喝破したのを皮切りに、コイズミの頭の中は空っぽ、「ワンフレーズ・ポリティクス」は、意識してやっているというより、長い言葉をしゃべれないだけ、靖国には本来何も関心がなく、ウケを狙って参拝していただけ、コイズミが姉・信子と近親相姦しているという噂を立てている自民党の政治家がいる、コイズミはあまりにもバカだから「国際資金資本」にいいように操られている、などと書きたい放題だ。

次期政権(注:この本が書かれたのは昨年の自民党総裁選の直前)は短命に終わるだろう、福田はそれを見越して降りたのだ、次期政権のあとはコイズミが復帰する可能性がある、福田康夫と加藤紘一の動向が注目される、小沢一郎がそれに絡む可能性がある、などとしている。

栗本はこう予言している。

彼は、再登板に向けて妄想を膨らませているはずだ。もし、退陣後に小泉政権が再び復活するような事態になるとしたら、そのときこそ日本が本当に沈没することになるだろう。格差はもっと拡大させられ、負け組の死体はすべて勝ち組が生きのびるいかだの部材として利用されるのだ。それが小泉支持者の将来の姿である。
(栗本慎一郎 『純個人的小泉純一郎論』=イプシロン出版企画、2006年=より)

栗本さんのこの本には、陰謀論による推論も多く、どこまで信用できるか不明なところもあるが、コイズミが市場原理主義を日本に徹底させた最大の戦犯であり、こと経済政策に関しては、安倍晋三はコイズミを継承しているに過ぎないことは私も指摘しておきたい。もちろん、安倍を「the End!」にしなければならないのは当然だが、そのあとにコイズミなんかを復活させては絶対にならないのである。

最後に、非常に印象的な「復活!三輪のレッドアラート!」の管理人・三輪耀山さんのコメントを紹介して、記事を締めくくらせていただく。

そう、政治は所詮暴力であり、民主主義とは暴力に抗う事に唯一無二の真髄があるのだと、そう私も信じてます。

民の手にある政治は暴力を民に振るわない。
そう願う事、そうさせる事に我々の存在意義がある。

私は常からそう思っていますよ。

迂遠であろうと王道を行く為に、私は無条件の平和友好も、無条件の憎悪と闘争も全て否定する。
とりわけ、屈従は論外だと思っておりますよ。

まあ、結局私もプロレタリアート独裁に反対しているだけで、そんな国が隣にあり、日本を常に狙っている事に憂慮しているだけで、結局中道なのだなと・・・。
思う事しばしですね。

今の日本は資本家独裁に向かいつつある。
それは阻止しなければ。
それは選民、賎民の民主主義であり、小さく儚い民を虐げて、金持ちの民が主としてのさばろうとする、独裁主義なのだとね。

結局、人が戦う為の武器とは、汚されない心なのだなと。
最近とみに私は思います。
(三輪耀山さんのコメント)


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一昨日のエントリで取り上げた、森達也さんと森巣博さんの対談本『ご臨終メディア?質問しないマスコミと一人で考えない日本人』(集英社新書、2005年)の中で、もっとも印象に残った。森巣博さんの言葉を以下に再掲する。

 曖昧なものは曖昧なまま、その答えを自分で考え出そうとしない。曖昧なものに、無理してわかったフリをする必要はない。曖昧なものとして、そのまま放っておいていいんです。簡単な解答を与えてはいけない。
 そもそも世界とは、異質なものが混じり合って成立している。それゆえ世界は優しいし豊かなのですね。それに対して一元的な理解をしてはいけない。異質なものは、わからなければわからないでいい。
 だけど、それを怖がるな。
 みんなが一緒の世界のほうが、ずっと怖いのです。異質なものを混ぜて一緒にやる。これが本来の意味での多元主義の立場です。異物はわからないからといって、排除してしまったら終わり。そこで思考は止まります。わからないものはわからないまま、置いておいて、一緒に考えればいい。

(森達也・森巣博 『ご臨終メディア?質問しないマスコミと一人で考えない日本人』=集英社新書、2005年=より)

私は、以前からずっとコイズミの「ワンフレーズ・ポリティクス」とそれを支持する人たち、それを後押しするマスコミにずっと違和感を持っていたのだが、その理由を森巣さんは実に的確に説明してくれている。

つまりそれは、単純化によって、差異が切り捨てられることへの抵抗感だったのだ。異質なものの混合物に対して、「一元的な理解をしていてはいけない。わからなければわからないでいい」という森巣さんの言葉に、わが意を得たり、の思いだった。みんなが一緒の方がずっと怖い。然り。排除してしまったら終わり、そこで思考は止まる、然り。

あの選挙で「郵政民営化是か非か」という、コイズミによる争点のシングル・イシュー化に日本国民はまんまとはまった。選挙の前日、私にはとんでもない思い出がある。当時私は、疲労の蓄積がピークに達していたが、その日は飲み会だった。私は、翌日の総選挙に不吉な予感を抱きながら、痛飲していた。話が選挙のことに及んだ時、大学でその方面を教えている私より若い先生までもが「郵政民営化は絶対必要ですからねえ」と口にした時、私は絶望感に襲われた。

結局その日は泥酔してしまい、路上で数時間寝てしまった。帰宅した時には、空はもうずいぶん明るくなっていた。

翌日、二日酔いのだるい体調のまま投票所に行ったが、私の票は死に票となった。開票速報は、もう見る気もしなかった...

それ以来、ワンフレーズ・ポリティクスを私は一段と嫌うようになった。下手な単純化や「わかりやすさ」を一段と嫌うようになった。異質なものが混じり合って多様であるからこそ世界は優しいし美しい。森巣さんは実に良いことを言うではないか。

昔、よく「左右両翼の独裁に反対する」という言い方をした。「右」はナチスや大日本帝国のファシズム、「左」はプロレタリア独裁の共産主義がイメージされていた。

だが、いま私は思う。その時言っていた「右」も「左」も同じ独裁志向ではないか。今ではこう言うべきだろう。「独裁にもポピュリズムにも反対する」と。独裁が異端を排除する全体主義であることは言うに及ばないが、ポピュリズムによる問題の単純化、わかりやすさへの志向もまた、異質なものを切り捨てる全体主義の一種であると私は思う。

わかりやすく説明してくれ、などと求めてはいけない。それは、自分の頭で考えることを放棄する、怠惰で卑怯な態度だ。全体主義は、そこにつけ込んでくる。


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この間の、「ホワイトカラー・エグゼンプション」に関する安倍晋三の発言には、心底驚いた。
新聞記事はすぐたどれなくなるので、「kojitakenの日記」に安倍の発言を報じる朝日新聞記事をコピペしておいた(下記URL参照)。

「kojitakenの日記」?「あきれたボンボン首相のトンデモ発言」
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20070106/1168111055

安倍の頭が悪いとは前々から思っていたことだが、ここまでひどいとは思わなかった。この発言で、安倍はまた支持を失ったことだろう。

この「ホワイトカラー・エグゼンプション」は、実は既に実質的に大企業で導入されており、従業員の働かせ放題による賃金切り下げにつながっている。今回、それを政府公認で正式な政策とし、法案化を目指そうというのだから、働く人の多くが反対している。当然のことだ。人々は、安倍の現状認識の浅はかさに驚き、『世間知らずのボンボンだから、誰に吹き込まれたのか知らないが、本気で「時短につながり、少子化対策になる」などということを信じているんだろう』と呆れたわけだ。私は、この発言に安倍の悪意は感じなかったが、安倍の信じられないほどの愚かさを感じた。そして、一刻も早くこんな男を総理大臣の座から引きずり下ろさなければならないと、改めて痛感した。

現実には、「ホワイトカラー・エグゼンプション」は、「時短」どころか「時長」につながってしまう。この制度は、いうまでもなく「成果主義」とセットになっている。企業活動にも、投資と同じようなポート・フォリオがあるから、ルーチン的に仕事をしていれば給料がもらえる部署と、リスクを負って新しい分野に挑戦する部署がある。それを一律に「成果主義」で縛ってしまうと、後者の部門では、成果を出すまでは仕事を止められないので、無制限の労働時間延長になる、あるいは、最初からリスクの高い挑戦はしなくなるなどの弊害を招き、結局従業員は不幸になり、企業の活力も低下することが多いのである。そんなことは、90年代後半に「新自由主義」の第一の波が日本を洗った時、多くの企業がトライして失敗したことだと私は認識しているのだが、経営者というのは欲深いものだから、またぞろ懲りずにこんな馬鹿なことを言い出すのだと思う。

この「ホワイトカラー・エグゼンプション」の推進は、実はアメリカの意向を受けてのものだという指摘がある。ネット検索をかけたら、下記URLの記事が引っかかったので、紹介しておく。

「Dogma_and_prejudice」?「ホワイトカラー・エグゼンプションもアメリカの意向」
http://blog.goo.ne.jp/sinji_ss/e/eadf999cbbc7b2306f275352a8d85bdd

かつて、「アメリカの言うことを疑うのは失礼に当たる」と発言した安倍のことだから、アメリカさまのご意向であれば、どんなにひどい「国民皆殺し政策」でも導入してしまおうとするのは、容易に推測できる。

本当に、国民の方を向かずアメリカの方を向いている内閣、これは前のコイズミ政権もそうだったのだが、こんなものをなぜ国民の4割もの人たちが支持しているのだろうか。私には到底信じられない。

その思いは、「左派」や「リベラル」に分類される私のような立場の人間だけではなく、「保守」の中の良心的な人たちにも共通すると思う。

その言説は、たとえば、下記のブログに見ることができる。

「復活!三輪のレッドアラート!」?「ホワイトカラー・エグゼンプション」
http://klingon.blog87.fc2.com/blog-entry-5.html

私自身の経験に照らしても思うのだが、安倍政権が国民に与える脅威として、大きく三つがあると思う。
第一が、言論封殺を好む安倍の体質からくる、「言論の自由」への脅威。
第二が、安倍の国家主義的な政策への指向からくる、戦争の脅威。
そして第三が、アメリカのいいなりの新自由主義的政策からくる、国民生活への脅威。

1月4日のエントリでも書いたように、私のブログでは、これらついて、「言論の自由」「反戦平和」「新自由主義反対」を三本の柱にしているつもりだ。

だが、そうは言いながら、この三点は互いに関係を持って結びついている。たとえば、本島等・元長崎市長を取り上げたエントリ「本島等さんの勇気」は、「言論の自由」を訴えたものだが、この記事に対するコメントから、反戦・平和を訴える、弊ブログの一連のコメント特集へとつながっていった。こういった方向性は、今後も追求していきたい。

ただ、記事が「反戦平和・護憲」の観念論の方に向かってしまうと、「現にある北朝鮮の脅威をどうするんだ」という反論が必ずくる。もちろん、これについて議論するのも必要なことだが、論点がこの方向に向かうのは、実は安倍の思うつぼだ。

というのは、昨日(1月7日)、テレビの政治番組のいくつかを見て思ったのだが、中川幹事長の発言を聞いていると、この方向に参院選の論点を絞りたい意向が、きわめて強く感じられたのだ。

これは邪推かもしれないが、また政権の都合の良い時期に北朝鮮から何か飛んできたり、「拉致」事件に関して「劇的な進展」がある、などの秘策が用意されているのではないかと、思わず勘ぐってしまった。

それに、あまりこちらにばかり論点が絞られると、現に国民にとって最大の脅威になっている、コイズミ政権以来の新自由主義の弊害が論点からそらされてしまう恐れがあると思う。ちょうど、一昨年の総選挙における「郵政民営化法案」のシングル・イシュー化でコイズミ自民党が圧勝したように。

そこで、弊ブログでは、実は私の不得意分野なのだが、今後コイズミから続いている政権の新自由主義的な経済政策への批判を強めていきたい、つまり、「三本の柱」の三本目を重視する姿勢へと、少し力点を移動させたいと思っている。

そうすると、保守の中の反政権派の人たちとの連携の道も模索できるのではないかと思う今日この頃なのである(笑)。


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今回は、2005年に集英社新書から刊行された森達也と森巣博の対談本「ご臨終メディア」を紹介する。一昨年の、あの悪夢のような「9・11」の総選挙の直前に編集された本で、「質問しないマスコミと一人で考えない日本人」というサブタイトルがつけられている。

森達也氏は1956年生まれのドキュメンタリー作家で、98年、オウム真理教を描いた映画『A』を公開。続編『A2』とともに高い評価を受けた。
森巣博氏は1948年生まれ。オーストラリア在住で、「作家兼国際的博奕打ち」(「サイゾー」2006年10月号別冊による)とのことだ。

二人は、現在のマスコミの機能不全について語り合った。
以下に、この本で興味深いと思われる指摘を紹介していく。

■ずれていく右翼左翼の座標軸

 日本を離れて長い森巣さんが、たまに日本に帰ってくると、かつて「まん中」に位置していた人が、「朝日新聞」の記事で左翼に位置付けられているという。森巣さんが挙げていた例が坂本義和(東京大学名誉教授、国際政治学)だった。かつての右は今のまん中に位置づけられ、かつては相手にされていなかった、神道学の高森明勅(「つくる会」副会長)が右として朝日の紙面に登場しているとの指摘だった。
 森巣さんによると、神道学なるものは、「神がかりのもので、右とか左の範疇に入るものではない」とのこと。痛快な指摘だ。

■大手メディア関係者の給料が高すぎる

 大手メディアの志が低いのは、社員の給料が高すぎるから。これは誰しもが思っていることだろう。森巣さんは、テレビ局の給料を今の10分の1、朝日・読売・日経を6分の1、比較的給与の安い毎日・産経は4分の1に下げよと主張している(笑)。

■「視聴率がとれないから」有事法制をニュースで取り上げなかった日本テレビ

 「有事法制」が騒がれていた頃、日本テレビがこの件をニュースで取り上げなかったことがあった。森さんが日本テレビ報道局の記者にその理由を聞いたら、ナント「数字(視聴率)が来ないから」という答えだったそうだ。

■NHKの番組改変問題(NHKが安倍と中川の圧力に屈したとされる件)

 毎度オナジミのNHK番組改変問題は、この本でも取り上げられている。
 番組が無惨に改変されたことに対して「戦争と女性への暴力」日本ネットワークから訴えられたNHKは、責任を末端の制作会社に押しつけて逃げた。その結果、制作会社が法廷で裁かれた。安倍晋三や中川昭一がNHKに圧力をかけたことを暴いた朝日新聞は、(魚住昭氏に真相を暴かれたのちも)録音テープの存在を認めようとせず、安倍らの軍門に下った。
 なお、森喜朗が首相当時、「神の国」発言をして問題になった時に、森に釈明のやり方を指南したNHK記者はその後順調に出世しているそうだ。

■なぜ石原慎太郎を「極右」と呼ばないのか?

 日本の大手メディアは、フランスのルペンやオーストリアのハイダーらを取り上げる時、必ず「極右」という形容をするのに、「中国人犯罪者民族的DNA論」なる、ルペンやハイダーでもしないようなトンデモ発言をする、紛れもない極右政治家である石原慎太郎を、決して「極右」と呼ばない。これはなぜなのか。
 なお、森巣さんによると、石原邸では「祭日」(右翼用語)に「日の丸」を掲揚していないそうだ(笑)。

 森さんが数年前、右翼の大物と飲んだ時、彼は決して今の日本のこの世相を大歓迎しているわけじゃないと言っていたそうだ。たとえば、「新しい歴史教科書をつくる会」に対して、「あれは民族主義じゃなくて全体主義だ」と言っていた。森さん曰く、『全体主義とは、構造的には無自覚な萎縮の集積です。だから、メディアや世相の右傾化という側面よりも、個が全体に溶け込んで帰属意識や排他性が強くなっていることのほうがよっぽど恐ろしい。(中略)彼(石原)を極右だとメディアが断言しない理由は、自分たちが右翼的体質に感染しているからではなく、むしろこの無自覚な萎縮や保身が継続的に集積している状況の表れなんじゃないかな』とのことだ。実に的を射た発言だと思う。

■サダムがやると拷問、アメリカ軍がやると虐待

 捕虜への取扱いも、同じことをやっても、メディアはサダム・フセインがやると「拷問」(torture)、アメリカ軍がやると「虐待」(ill-treatment)と表現する。アメリカのマスコミも当初そうだったが、誤りに気づいて表記を変えた。しかし、日本のマスコミはこの二重基準を変えなかった。

■コイズミを問い詰められない記者たち

 香田証生さんがバクダッドで武装勢力に拘束されたとの一報が入ったとき、コイズミが初期の段階で、自衛隊の撤退はしないと明言し、香田さんは処刑された。記者の一人は、コイズミに対して「最初に自衛隊撤退はないと言ってしまったために、香田さんの処刑が早まったのではないかという声があります」と言った(森さん曰く、「将棋に喩えれば王手飛車取り」)。それに対し、コイズミは「それでは皆さん、想像してください。もしあのとき、撤退だという言葉を口にしたり、仄めかしたりしたら、どうなっていたかを」。森さん曰く、「王手なのに飛車が逃げたような」突っ込みどころ満載のコイズミの答えだったのに、コイズミを取り囲んだ記者は誰一人コイズミの問いに答えない。コイズミの言葉のあとに一瞬の間を置いてから、記者たちの頷きの吐息が聞こえてきて、そこで映像は終わった。

■「自己責任」について聞かれて答えられない産経新聞の幹部記者

 森巣さんの発言。
 『SBS(オーストラリアの少数者のための公営放送局)で、日本人の三人が、イラクで人質にとられたときの自己責任論についての番組が放送されました。「産経新聞」の編集委員か論説委員が出てきて、インタビューされたんです。SBS側のインタビュアーが問い詰める、どうしてこれが自己責任になるのだと。あなたの考える自己責任とはいったいどんなものなのかと質問される。何てその編集委員か論説委員は答えたと思いますか。ノーコメントって言いやがんの(笑)。これが、ジャーナリストの端くれなんですかね(笑)』
 産経新聞なんてこんなもんだろう(笑)。

■「わかりやすさ」の落とし穴

 以下引用する。

 メディアにおいては、善意とわかりやすさは、とても相性が良いんです。事件が起きると、すぐに結論を出してわかりやすく提示する。よく吟味もしないうちに、解説を施して、決めつける。曖昧な部分を提示しても受け取る側は納得しない。数字も落ちる。だからわかりやすさが、メディアにおいては至上の価値になる。でもこの営みを、利潤最優先の帰結とは認めたくない。だから自分を正当化するんです。使命感と言い換えてもよい。こうして事象や現象をわかりやすく簡略化する悪循環の構造に飲み込まれてしまう。
(中略)
森巣 曖昧なものは曖昧なまま、その答えを自分で考え出そうとしない。曖昧なものに、無理してわかったフリをする必要はない。曖昧なものとして、そのまま放っておいていいんです。簡単な解答を与えてはいけない。
 そもそも世界とは、異質なものが混じり合って成立している。森さん流に言うのなら、それゆえ世界は優しいし豊かなのですね。それに対して一元的な理解をしてはいけない。異質なものは、わからなければわからないでいい。
 だけど、それを怖がるな。
 みんなが一緒の世界のほうが、ずっと怖いのです。異質なものを混ぜて一緒にやる。これが本来の意味での多元主義の立場です。異物はわからないからといって、排除してしまったら終わり。そこで思考は止まります。わからないものはわからないまま、置いておいて、一緒に考えればいい。
(中略)
 ペルーの日本大使公邸を占拠したゲリラたちは、みんな死ぬ気で行動していた。命を懸け、身を挺しても訴えたい、表現したいことがあった。その主張を、テレビを見ている人間が洗脳されるかもしれないからといって、報道しないというのは、何事かと思う。テロリズムが犯罪なら、そのメディアの姿勢も明らかに犯罪行為です。
 本当ですね。
森巣 そんな主張が通るのは、世界中で独裁国家と日本のメディアだけでしょう。北朝鮮や中国には言論の自由がない。報道が規制されているって、よく日本の右派の人たちは主張するのですが、日本では統制する必要がなくなっているだけじゃなかろうか? 安倍晋三なんて三代にわたって日本を喰い物にしてきた奴の言う通りにしている。実践して初めて言論の自由は守られるのです。

 この本の中で、もっとも印象に残る箇所だった。

■希望が絶望に変わるのは諦めた時

 森巣さんは、よく「あいつはオーストラリアという安全な場所に身を置いているから、あんなことが言えるんだ」という批判を受けるという。でも、森巣さんは、この批判はどこかおかしい。日本が「危険な場所」だと認めていることだ。ならばなぜ避難しないのか、と言う。
 森さんが、「オーストラリアには簡単に移住できない」と言うと、森巣さんは「だったら今いる場所を安全にすればいい」と応じる。最後に、巻末に置かれた森巣さんの言葉を紹介する。
 『もし日本が「危険な場所」であるなら、なぜそれを変えようとしないか。変革なんていうとバカにされるニヒリズムの共同体に、どっぷりと身を浸しながら、奈落に落ちるのを待っていても仕方ないのじゃなかろうか。
 長い博奕体験から、私には言えることが一つある。それは、希望が絶望に変わるのは諦めたときなんです。諦めちゃいけない。絶望に陥ってはいけないのです。やれるところから、変えていきましょう。その意味で、日本のマスメディアには、重大な義務と責任があることを、しっかり認識してほしいと思います』

 読みやすい新書本だが、なかなか示唆に富むメディア論が展開されている好著だと思う。


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「年末年始に読んだ本」の感想文シリーズを連載すると宣言した舌の根も乾かないうちにイイワケするのもなんだが、感想文を毎日公開するのは結構大変なので、感想文と感想文の間に読んだ本に関連するエッセイをはさむことにした。今回はその第一回。タイトルの「インテルメッツォ」はイタリア語で「間奏曲」を意味する。

昨日のエントリで取り上げた加藤紘一は、昨年コイズミの靖国参拝を批判して実家がテロに遭って以来、いやそれ以前から靖国神社へのA級戦犯合祀に反対する論客として、当ブログでしばしば取り上げてきた人物である。
テロの遠因になったといわれている「文藝春秋」2006年8月号の上坂冬子との対談についても、昨年7月18日のエントリ「手ごたえあり!」で軽く取り上げたあと、同8月8日のエントリ「国民が戦争を知っていた頃」でも、この対談における加藤の発言を紹介した。

その時にも書いたことだが、加藤紘一は、決して清廉潔白な人物ではない。事務所代表の脱税事件で自民党離党に追い込まれたこともあるし、この時に責任を秘書に押しつける加藤の態度に失望した人も多いだろう。この他にも、かんばしくない噂がいろいろ聞かれる人物である。しかし、その主張には傾聴すべき点が多い。政治思想的にハト派であるだけでなく、経済思想的にもコイズミやアベシンゾーが推進する新自由主義とは一線を画した立場に立つ。

安倍にストップをかけるにあたって、野党共闘ももちろん大事だろうが、こういう自民党内にあって平和主義や格差拡大反対の立場に立つ加藤のような政治家との連携を模索する必要もあろうかと思う。民主党内に多くいる「松下政経塾」出身のタカ派議員たちなんかより、加藤紘一の方がどんなに信頼できることか。

私がもっとも信頼するジャーナリストである魚住昭さんは、加藤紘一に代表される「ダーティーなハト派」を高く評価する人の一人だ。
以前のエントリでも取り上げた、「サイゾー」2005年11月号での岡留安則さんとの対談で、魚住さんが「ダーティーなハト派」擁護論を展開しているので、ここに紹介する。

岡留 ただ、やっぱり、僕は民主的な市民政治の最終的な行きどころは、"クリーンなハト"じゃないと困るという立場なんです。もちろん、今の"クリーンなタカ"(kojitaken注:コイズミやアベシンゾーらを指す)が跋扈する事態のままでは困るし、確かに、田中角栄にしても鈴木宗男にしても、彼らの良い面はあまり語られてこなかったと思います。でも、それは、目に見える箱物をいっぱいつくっていたから、語るまでもなかったとも言えるし、市民政治論としては語りにくいことも確かですね。
魚住 いや、でもね、"クリーンなハト"って、なんの実効性もないと思うんですよ。というのも、取材の過程でいろんな本を読んで気づいたのですが、護憲勢力というと、杜民や共産といったイメージがあるけれど、実際に憲法9条を守ってきたのは、実は、自民党の中の"汚れたハトたち"なんですよ。さまざまな政治局面で、「この一線を超えてはいかん」とブレーキをかけてきたのは、"汚れたハト"と宏池会なんです。金権政治家と言われた、金丸(信)さんや竹下(登)さんもそうですが、地元と密着したところから成り上がってきた辺境の政治家たちが、相当な護憲勢力になっていた。ちなみに、海外では、富裕階級のエリートたちが国を統治するのが普通ですが、日本の場合、辺境から出てきた、どちらかと言えばエスタブリッシュメントではない政治家が中央の政治家を押さえて、支配してきているんですよね。だから、よく「日本は、経済は一流、政治は二流」と言われてきましたが、僕は、一流とまでは旨えなくても、一・五流くらいだとは言えるじゃないかと思うんです。
岡留 うーん、褒めすぎ(笑)。
魚住 褒めすぎかな(笑)。でも、そもそも政治って、利害の分配でしょう? と同時に、権力の行使なんですよ。とすると、汚れないわけがない。それは必然だし、本質的に汚れるわけですよね。だから、その汚れたものに対して、クリーンさを過剰に求めるメディアの在り方って、僕はやっぱり間違いだったなあ、と思うんです。それは岡留さんも、僕もそうです。それによって、日本の政治のバランスを崩してしまい、今や、"クリーンなタカ"が幅を利かせてしまっている。

(「サイゾー」 2005年11月号掲載 岡留安則 vs 魚住昭 『"クリーンなタカ派" 安倍晋三をめぐる「NHK番組改編事件」の闇』より)

忌憚なくいわせてもらうと、コイズミや安倍晋三らを「クリーンなタカ」などと評すること自体褒めすぎであって、暴力団との癒着の噂が耐えないコイズミや安倍など「ダーティーなタカ」(安倍に至っては「真っ黒な極右」)だと私は思うが、魚住さんの指摘は傾聴に値する。田中角栄や鈴木宗男に代表される「金権政治家」に対する従来の評価は「過小評価」だったと私も思う。旧田中派よりさらに穏健な思想を持つ宏池会は、さらに評価されるべきだろう。私が香川県に住んでいるから言うわけではないが、故大平正芳氏には、戦後の自民党政治家の最良の部分を見ることができると思う(大平氏は、香川県三豊郡和田村=現在の観音寺市=出身)。
そして、政治家になる時、自ら選んで大平氏の門を叩き、大平氏が首相に就任した1978年から、大平氏が現役首相のまま世を去った1980年まで官房副長官を務めたのが加藤紘一なのである。

加藤には、今後の政局でキーマンとなる働きを期待したいものだ。


PS
社民党や共産党の支持者は、魚住さんの指摘に反発されることと思うが、私の感覚は魚住さんに近く、社民党や共産党は自分たちの小さな枠組にこだわり過ぎていて、実際には護憲に対して大した貢献をしていないのではないかと思う。
さらに強く言いたいのは、右へ左へとふらふらと振れる民主党に対してであって、民主党の政治家の多くは、波に流されやすく自分の信念のない人たちではないかという、強い疑いを持っている。曲がりなりにも護憲の信念を持っている社民党や共産党の政治家に対してより、さらに強い疑念を民主党の政治家たちに対して感じる。


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今回からしばらくは、「年末年始に読んだ本」のシリーズを連載したい。

普段、ほぼ毎日ブログを書いていると、ネタをネット検索で調達して適当な記事を書くという誘惑にかられやすい。しかし、ネットに流れる情報を追いかけて記事にまとめるだけでは、往々にしてブログの記事が薄っぺらなものになりがちである。それを避けるためにも、ブログに書きたいことに関係する本を多く読まなければならないと常々思っている。

しかし、いかんせん自由に使える時間には限りがあり、ブログの記事を書くのは結構大変なので、本が読めずにたまっていきがちだ。

年末年始のようなまとまった休みは、読めずにたまった本を一気に読むチャンスだ。特に今年は、安倍晋三を退陣に追い込めるかどうかの大切な年なので、安倍批判のために参考になる本を、気合いを入れて何冊か読んでみた。それを紹介していきたいと思う。

まずは、加藤紘一著『テロルの真犯人』(講談社、2006年)を紹介したい。昨年8月、小泉純一郎の靖国神社参拝を批判していた加藤氏の山形にある実家が、右翼によって放火されるというテロ事件が起きたが、マスコミの反応は鈍く、小泉純一郎首相(当時)や安倍晋三官房長官(同)も事件後しばらくコメントを出さなかった。これは、この国のマスコミも、コイズミやアベシンゾーら最高権力者も、日本における「言論の自由」を守るつもりなどないことを示している。

当ブログが時事問題を扱う時のテーマは3つあって、「言論の自由」「反戦平和」「新自由主義反対」である。安倍晋三は、この3つのテーマ全てにおいて、私と真っ向から対立する敵なので、私は「AbEnd」を掲げて、今年も彼を批判していき、安倍政権の打倒に多少なりとも力になりたいと思う。

安倍政権打倒を掲げる私のブログで、まさか今年最初にとりあげるのが、自民党の政治家の著書になろうとは、過去一度も自民党に投票したことのない私自身が意外なのだが、それだけ加藤が「言論の自由」のシンボルになっていることが理由の一つ。だがそれよりも、加藤の著書『テロルの真犯人』の内容が大変充実していたことが、ここに取り上げようと思った最大の理由だ。

正直言って、自民党の政治家の著書というと、あの恥ずかしい安倍晋三の『美しい国へ』の悪印象があまりに強かったので(笑)、加藤の本も、まさか安倍ほどひどくはないだろうけど、たいして期待はできまいと思って読み始めた。実際、彼自身が受けたテロについて語った最初の部分は、淡々とした書きっぷりで、ま、こんなところかな、などと思っていた。だが、読み進むにつれどんどん引き込まれていった。

加藤紘一が、戦後間もない頃、やはり政治家だった父・精三氏の家に集まった、復員した兵士たちから聞いた戦争体験の話を書いた第三章『戦争の記憶』、外務省に入省して、中国を研究しようと中国課に進んだ加藤の中国論を述べた第四章『私の中国体験』、それに卓抜な東京裁判論・靖国神社論である第六章『「時代の空気」』は特に読み応えがあった。時に自民党政治家であるがゆえの限界を感じる部分ももちろんあるが、加藤紘一の政治家としての器は、安倍晋三などとは比べものにならないことは十分感じられる本だと思う(安倍晋三なんかと比較されたら加藤に怒られるかもしれないが)。

第三章『戦争の記憶』から、いくつか抜粋、引用してみる。

 慰安婦を買ったときの話も聞かされた。慰安所で順番を待っているときの、
「おい、早くしろよ」
「もうちょっと待て」
 といった会話や、
「相手はたいていが朝鮮人だから、言葉は通じないし味気ないもんだった」
 といったことなどを、そばに小学生の私がいるのも構わず、皆、ごく平然と話していた。
 そうした話を聞いていたからこそ、後に「従軍慰安婦などいなかった」と主張する保守陣営の人に対し、堂々と反論することができた。
(加藤紘一 『テロルの真犯人』 70?71ページ)

* * * * *

 どこまでが本当の話かわからないが、
「捕虜をつかまえると、右足と左足を別の二頭の馬に縛りつけて、その二頭を互いに逆方向に向けて放す。するとバーッと血しぶきを上げて、体が真っ二つに裂けるんだ」
 そんなとうてい信じがたい残酷な話もよく聞かされた。
(前掲書 72ページ)

* * * * *

 父(注:故加藤精三代議士)が、一度だけ私に、戦地に行っていたときの話をしてくれたことがある。それは私が大人になってからのことだが、
「人間は、自分の意に添わないことでもやらなければならないときがある。召集されて内モンゴルで中隊長になり、俺も一度だけ戦闘に出て行ったことがある。やはりそういうときは俺だって恐い。でも中隊長なんだから、まず自分が突っ込んでいかなきゃならないという気持ちだった。いずれにしても、戦争は恐いし、やってはいけないことなんだ」
(前掲書 75ページ)

* * * * *

戦争体験を躊躇なく話せる人はまだいい。なかには戦地で犯した殺人や虐待などの罪に生涯苦しみつづける人もいる。(中略)私の後援会の幹部を三十数年務めてくれた幼なじみがいうには、
「うちの親父は四〇?五〇代のころ、夜中になると決まって荒れるんだよ。何かにうなさたように、突然『ウアァー』と叫び出し、家の中にあるものを手当たり次第ぶっ壊すんだ」
 そしてその父親がしらふになると、
「憲兵としてやらざるを得ずにやったことだけど、一日に三人を殺すのは、それはもう大変なことなんだ」
 と話すこともあったという。
(前掲書 77ページ)

外務省入省時に「中国共産党をライフワークにしよう」と考えていた加藤の中国論が書かれている第四章は興味深い。加藤は、香港総領事館で勤務していた二年間の仕事を通じて、社会主義理論の限界を感じるようになる。加藤は、『いま、「左翼」は社会主義思想の総括を求められている。この総括を曖昧なままに逃げてしまっては右翼の攻撃に耐えられないだろう。日本社会、少なくとも政治の場を論争社会にするために、「戦争」総括と「社会主義」総括のふたつが不可欠なのだ』(『テロルの真犯人』 120ページ)と指摘する。

加藤は、「いずれ中国と台湾は一緒になる」というのを持論にしている。以下、加藤の予言を『テロルの真犯人』から引用する。

 中国もいまは共産主義の下に一つの国になっているけれど、十三億の人口を一つの指導原理、一つの政党でコントロールできる時代はもうじき終わる、一人あたりのGNPが五千ドルを超えるような段階になると、豊かさと増大した情報量で中国人も自己主張が強くなり、自由を求めて最終的には社会主義を離脱するであろう。
 そうなると、一つひとつの省が独立自治政府的な自由度を与えられないと、国としてまとまらないのではないか。そのときは台湾も香港もそのなかの一つになり、United Provinces of Greater Chinaという形になるのではないか。
(加藤紘一 『テロルの真犯人』 128ページ)

加藤はこれを、2001年に台湾元総統の李登輝氏と会った時に話したのだそうだが、李登輝氏はこれに同意した上で、「ただね加藤さん、あなたの推測の間違いを一つ指摘しよう。あなたは五千ドルを超えたらといったね。それは違う、三千ドルだ」と言ったという。
中国の一人あたりのGNPは、今1700ドルくらいとのことだ。

さて、『テロルの真犯人』の中で、もっとも読み応えがあるのは、加藤が東京裁判及び靖国神社を論じた第六章『「時代の空気」』である。

加藤は小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」批判から論を起こすが、いきなり「ゴー宣」の東京裁判論に、「日本会議」からの影響を指摘する。「日本会議」というのは、日本最大規模の保守主義・民族主義系の政治・言論団体のことで、ひらたくいえば事実上安倍内閣のイデオロギーを決定している右翼団体だ。

従来マスコミは「日本会議」についてほとんど報じなかったが、「改正教育基本法」が成立した翌日の「毎日新聞」が一面の記事で報じたことは、当時のエントリ『毎日新聞の報道?改正教育基本法は「改憲へのステップ」』で紹介した。

加藤は、日本会議の「ゴー宣」への影響を指摘したあと、たたみかけるように、小林ら右翼諸氏が「日本は東京裁判を受け入れていない」と主張しているネタ元を暴いている。以下に引用する。

 小林氏は、日本国は東京裁判の判決を受け入れたのであって、裁判そのものを、受け入れたわけではないという。だからA級戦犯を恩赦することは、連合国に諮る必要はなく、日本が単独で決めることができる、というのである。
 この論理は、日本会議の主張とまったく同じである。そして、安倍首相の著書『美しい国へ』にも、まるで同じ記述がある。じつは日本会議、小林氏、櫻井よしこ氏、そして安倍首相が東京裁判やA級戦犯合祀問題について論じる際、最大の論拠にしているものに、植草学園短期大学元学長の佐藤和夫氏(法学博士)による「日本は東京裁判史観により拘束されない??サンフランシスコ平和条約の正しい解釈」という論文がある。これは1987年、同氏の著書『憲法九条・侵略戦争・東京裁判』改訂版(原書房)への発表が初出で、最近改訂版が出された『世界がさばく東京裁判』(佐藤和夫監修、明成社)にも掲載されている。
(加藤紘一 『テロルの真犯人』 170ページ)

加藤は、こうして小林・櫻井・安倍らの主張のネタ元が佐藤の論文であることを明らかにした上で、佐藤に批判を加えていく。これにはうならされた。ようするに加藤は、安倍のイデオローグ(櫻井よしこもその一人)もろとも、安倍の主張を批判しているのだ。

加藤はさらに靖国神社に論を進める。そして、靖国神社には「官軍」の戦死者は祀るが、「賊軍」の戦死者は祀らない点で、伝統的な神道の思想とは異なることを指摘している。加藤の郷里・山形県鶴岡市は、かつては庄内藩に属し、幕府側について戊辰戦争を戦った「賊軍」なのである。加藤の「反靖国」の思想は、存外こんなところからきているのかもしれない。

加藤はもちろん靖国神社が「慰霊」施設ではなく「顕彰」施設であることもきっちりおさえている。ここらへんは、読んでいて高橋哲哉著「靖国問題」(ちくま新書、2005年)を思い出したくらいだ。自民党の政治家でここまできっちり靖国を批判できる人も少ないだろう。

加藤は「遊就館」を訪れ、ノートに書かれた若者の感想文が「正しい歴史観を欠いている」と批判する一方、ある五十代女性の感想を高く評価していた。以下引用する。

「戦争をせざるを得なかったという言い訳は、どんなに立派な言葉で飾られても間違いである」(50代・女性)
 私もこの意見に賛成したい。その通りであろう、と思う。
(加藤紘一 『テロルの真犯人』 215ページ)

加藤は、巻末に置かれた短い第七章『さまざまなナショナリズム』で、コイズミの用いた「闘うナショナリズム」を利用した政治手法(仮想敵を作り上げて支持率を浮揚させる方法。国内では「抵抗勢力」、国外では「中・韓」が仮想敵にあたる)を極めて厳しく批判している。

加藤は、戦後あまりに人間関係から自由になりすぎた日本人の多くが、なにか帰属するもの、頼るべき価値観を求めている、と日本社会の現状を分析し、『それをナショナリズムで牽引してしまうと、かつての日本が辿ったのと同じように、一気に坂道を転がっていきかねない非常に危険な状態になってしまうのである』(『テロルの真犯人』227ページ)と指摘している。
さて、本のタイトル「テロルの真犯人」とは誰か。その種明かしは、ここではしないでおこう。


PS
私は『テロルの真犯人』を元旦に読んだのだが、翌1月2日の「きっこの日記」に書かれたナショナリズム論が、加藤のそれと相通じるところがあったのが非常に面白かった。


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  2007年元旦

 「きまぐれな日々」管理人 kojitaken