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きまぐれな日々

先週のエントリで触れたアルジェリア人質事件は、当初安否不明と報じられた邦人10人が全員遺体で見つかる痛ましい結果となった。

テロ行為はもちろん断じて許されるものではないが、2003年のイラク戦争で日本がアメリカを支持したことと、今回の事件で日本人が犯人グループのターゲットにされたこととの関係を指摘しないわけにはいかないだろう。しかし、安倍政権はそんなことはおくびにも出さず、逆に自衛隊の海外派遣を推進する口実にしようとしている。ブログ『Afternoon Cafe』の著者、秋原葉月さんに言わせれば、「ショックドクトリンの乱発」だそうだ。確かに、「安全保障版『ショック・ドクトリン』」といえるだろうなと私も思った。

ここで「安全保障版」という但し書きをつけたのは、いうまでもなく「ショック・ドクトリン」という言葉が、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが著した、ミルトン・フリードマンの経済政策を厳しく批判した本のタイトルに由来するものだからだ。この本の邦訳が出版されたのは2011年だが、原著が出版されたのは2007年9月であって、ちょうど安倍晋三が第1次内閣を投げ出して辞任した頃だった。

フリードマンの経済理論は70年代以後大流行したが、フリードマンを開祖とするシカゴ学派は、1973年9月11日のクーデターで政権を握ったチリのピノチェト政権下で、文字通り「ショック・ドクトリン」に基づく大実験をやってのけたのだった。

フリードマンの影響は、日本でも小泉内閣に入閣した竹中平蔵はもちろん、竹中を批判していた植草一秀(植草は、好きな経済学者としてケインズとフリードマンを挙げている)、さらには漫画『もし小泉進次郎がフリードマンの「資本主義と自由」を読んだら』の原作を書いたノビー(池田信夫)から、ベーシック・インカムとフラットタックス(定率課税)を組み合わせて「再分配」だとうそぶく橋下徹(フリードマンの場合はBIではなく、負の所得税をフラットタックスと組み合わせているが)に至るまで広範にわたっている。

なんでも、私が聞きかじったところだと、再分配は経済学の研究対象に含まれるかどうかさえ議論があるとの話である。当ブログのコメント欄でも「橋下徹はベーシック・インカムを主張してるぞ、『経済左派』じゃないか」と書いてきた人もいたが、BIで金を配る代わりに行政サービスを「バサーット切る」橋下の政策が再分配などであろうはずはない。日本では「小泉構造改革」が一世を風靡して以来、再分配を重視する主張は全く人気がない。

前世紀末の橋本龍太郎政権が新自由主義改革路線をとっていた1998年に突如3万人台に跳ね上がった年間自殺者数は、昨年、15年ぶりに3万人台を割ったが、それまでずっと高止まりしてきた。中曽根康弘が種を蒔き、橋本龍太郎と小泉純一郎がアクセルを踏み、安倍晋三も第1次内閣でそれに追随した新自由主義政策が格差と貧困の原因だった。

ただ、安倍晋三は第1次内閣時代から「本音は『反小泉』だろう」と指摘されていた(2006年末の朝日新聞・星浩の指摘)。第1次内閣時代から安倍は経済成長志向が強く、2007年には「3%成長」を公約していたが、実現できなかった。もっとも2007年の後半は福田康夫が総理大臣だった。

屈辱の辞任から「再チャレンジ」を果たした安倍晋三は、現在「アベノミクス」と名付けられた経済政策がもてはやされている。これは、金融緩和とインフレターゲットがキモであって、何度も書いているようにそれ自体は私も否定はしない。しかし、適切な再分配抜きでは効果は上がらないだろうと思っている。

ただ、自民党が民主党と比べてしたたかだなと思うのは、野党時代には反対していた所得税の累進制強化と相続税の増税といった「金持ち増税」の政策を打ち出したことだ。これらは、もともと菅政権や野田政権が打ち出していた方針だったが、自民党が「頑張った人が報われない税制だ」とか何とか理由をつけて反対したために、決められなかったものだ。さらには、先々週のエントリで触れた証券優遇税制も今年末で打ち切る方針だという。但し、その代わりに累積の投資額が最大年500万円までの小口投資の配当・譲渡益を非課税とする方針だ。

後者は、実は何も自民党の方針というわけではなく、金融庁の2013年度税制改正要望案として昨年8月末に報じられたものだ。現在しばしば指摘され、問題になっているのは、日本の所得税制が超高所得者に有利な逆進課税になっていることだが、所得1億円超の超富裕層の年間投資額は500万円をはるかに上回るであろうから、件の逆進課税に関しては若干の改善が見られるかもしれない。もっとも税率20%ではまだまだ逆進性は残ると思うが。

もちろん上記の諸施策は、2014年と15年に予定されている2段階の消費税増税に対する、「逆進性による貧乏人いじめ」批判をかわすものだろうが、それでもやらないよりはやったほうが良いだろう。そもそも、日本の財政における最大の問題は、税収が少な過ぎることだからだ。民主党は、前首相の野田佳彦をはじめ、かつて同党に在籍した小沢一郎や河村たかしなど、「民のかまど」のたとえ話が大好きな人たちばかりだった。このことが、自民党の反対を説得して所得税や相続税の増税を決められなかった一因だったのではないか。

もちろん、「政権交代」が行われた2009年は、リーマンショック直後の不況期だったため、「次の総選挙まで消費税率は上げない」とした当時の民主党マニフェストにも理がないわけではなかった。しかし、「次の総選挙」はもう済んだわけだから、消費税を含む税制をどう改革するかはどの政党にとっても避けて通れない課題のはずだ。これを、ティーパーティー張りに「税金は罰金だ。少なければ少ないほど良い」などと言うのは、あまりに無責任な態度だろう。

その意味でいえば、将来の税制をどうするのかというビジョンを一切示さず、「消費税増税は撤廃」としか言わない小沢一郎代表の「生活の党」は「不人気なポピュリズム政党」としか言いようがなく、早晩消えゆく運命の政党だ。共産党や社民党は富裕層増税を主張しているし、自公政権でさえ申し訳程度かもしれないけれども富裕層増税の動きを見せている。神野直彦氏あたりは、今回の増税は減税を伴わない増税という点では評価できるが、分離課税だらけの所得税制を見直して課税ベースを拡大し、所得税の税収を増やすべきだと言っている。

本来、分離課税見直しや証券優遇税制の打ち切りなどを行ったあとで消費税を増税すべきだったと私は思うが、しかしながらいずれは消費税の増税も必ず必要であると考えていることは、前々回に書いた通りだ。

今回は、これに関して読んだばかりの井手英策著『日本財政 転換の指針』(岩波新書, 2013年)に、興味深い考え方が載っていたので、これを紹介したい。

著者の井手氏は東大経済学部で博士課程を修了後、東北学院大、横浜国大を経て、現在慶応大経済学部准教授。神野直彦氏や金子勝氏の指導を受けた人とのこと。神野氏や金子氏は、消費税増税を否定していない。井手氏も同様である。

井手氏は、日本の財政赤字の原因は税収の減少であることは明らかなのに、まるで犯人捜しをするかのように支出の「ムダの削減」が追及され、その結果再分配に使われるはずだった政府支出が削減されたと指摘している。以下引用する。

(前略)社会不信や受益感の乏しさを背景に、支出やムダの削減が人びとに共通する理解となった。だが、それは自らの受益に対しても制約が加わってくる。そうなればいっそうの他者への不寛容を生み出しかねない。まさに負の連鎖である。

 こうして、人びとの利益を満たすために知恵を出し合う政治ではなく、誰がムダ遣いをするかを監視し、告発する政治を、私たちは当たり前と考えるようになった。この分断を志向する民主主義は、不信社会化という社会の危機と分かちがたく結ばれており、それらが財政危機の原因となった。このような政治を一刻も早く脱却しなければ、財政危機はますます深化する。

(井手英策『日本財政 転換の指針』(岩波新書, 2013年)20頁)


このように説き起こす井手氏だが、氏の理念の核心を表す言葉が「ユニバーサリズム」だ。

井手氏は、所得の少ない人や生存が困難な人びとを発見し、そこにしぼって救済を行おうとする原理を「ターゲッティズム」(選別主義)、所得の多寡、性別、年齢とはかかわりなく人間に共通するニーズを引き取って満たす「ユニバーサリズム」(普遍主義)とそれぞれ定義する。たとえば生活保護はターゲッティズム、初等教育の無償提供はユニバーサリズムの典型例である。あるいは課税においては所得税の累進制がターゲッティズム、消費税がユニバーサリズムに相当する。

井手氏の論によると、ターゲッティズムには(たとえば生活保護の対象であるなどといった)「恥ずべき暴露」が伴う。尊厳を重視する財政においては、ターゲッティズムの領域を狭め、人間の必要に関わる領域をユニバーサリズムで満たしていくべきだとする。私たちは正義を二つの基準で判断しており、一つは「何をどの程度得ることができたか」ということだが、いま一つは「社会や政府からどのようにあつかわれたか」ということだという。

課税でいえば、前者は累進課税、後者は定率課税に相当するが、課税が定率であっても給付が一人あたり同額であれば再分配になる(これは、前々回のエントリで私も書いたように、人頭税の逆の話だから当然である)。

井手氏の師である神野直彦氏の「再分配のパラドックス」を想起させる論であるし、所得税の累進度合いが緩く、消費税への依存度の高い北欧を範にとれば上記のような主張になるのかもしれない。

もちろん、井手氏は「税収は主に消費税に頼れ」と言っているわけではない。アメリカとスウェーデンという、福祉国家の軸をとれば両極ともいえる2つの国が財政再建した際、ともに富裕層への増税を行って成功した事例を述べたり、今般の「税と社会保障の一体改革」に関しても、下記のような記述がある。

 社会保障・税一体改革を経て、二〇一二年八月、消費税の一〇%への引き上げを行う法案が国会を通過した。受益と負担のバランスを重視する本書の見かたからすれば、税と社会保障を一体的に議論する方向性は評価できるし、一九八一年の法人税増税以来の基幹税の純増税を実現したのも、意義のあることである。

 しかし、大きな問題も残した。それは消費税のみに議論が集中し、税制改革案が偏ったものとなってしまった点である。

 当初の民主党案では、所得税の最高税率の引き上げ、相続税の課税強化、資本所得課税の軽減廃止が議論され、これとの関係で消費税の増税も位置づけられていた。つまり、逆進性の強い消費税に対して、富裕層への課税を強化することで、そのバランスが図られようとしていたのである。

 これは日本では珍しいが、諸外国の経験に学べば、オーソドックスな増税のやり方だったと言えよう。しかしながら、民主・自民・公明の三党合意を経て、最終的に消費税の増税以外の項目は先送りされることになった。

(井手英策『日本財政 転換の指針』(岩波新書, 2013年)139頁)


ところが自民党は民主党政権時代には反対していた所得税その他の増税を、政権を奪回したらいきなりやることに決定してしまったのである。野党なら好き勝手言って、与党になると豹変する自民党がしたたかだと言うべきか、自民党の脅しに易々と屈してしまった野田政権がふがいなかったと言うべきか。おそらくその両方だろう。なお繰り返すが、私は消費税と所得税・相続税・資本所得化税の軽減廃止は、後者を先行させるべきだったと考えている。

最後に、今年の春闘についてだが、経団連や大企業は、安倍政権に協力するつもりなら、賃上げを奮発すべきだろう。普通は賃金は物価よりも遅れて上がるが、インフレターゲットによって仮に物価が上がっても、賃金が上がらなければ国民の生活は楽にならない。そもそも定期昇給を見送ったりすればインフレになるどころかデフレが強まってしまう。だから先駆けて賃金を上げておけと言いたいのである。物価が上がったのに給料が下がれば、暮らしの苦しくなった国民は安倍内閣の支持率を下げ、政府の税収も増えない。財界にとっても良いことなど全くないはずだ。

そのくらいのことも解さない財界であるのなら、「経営陣(財界)がアホやから仕事がでけへん」との誹りは免れまい。
先週は、日本の企業活動にかかわる大きなニュースが相次いだ。

まずボーイング787型機のトラブル。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK16008_W3A110C1000000/

全日空ボーイング787から煙 高松空港に緊急着陸
バッテリー不具合を表示

 高松市消防などによると、16日午前8時45分ごろ、山口宇部発羽田行き全日空ボーイング787の機内から煙が発生し、高松空港に緊急着陸した。全日空によると、乗客、乗員計137人は全員無事という。操縦室の計器がバッテリーの不具合を示し、パイロットが異臭を感じたという。

 香川県警によると、高松空港は午前8時58分から空港を閉鎖した。〔共同〕

日本経済新聞 2013/1/16 9:35 (2013/1/16 10:03更新)


記事にもあるように、この日の朝の不時着で、高松空港は一時閉鎖される事態になり、多くの利用客に影響を与えた。

トラブルの原因はバッテリーではないかと言われている。航空機用のバッテリーは電池本体と制御システムの両面から安全性を確保することが強く要求されることはいうまでもないが、電気自動車用などで開発が進んでいる日本の技術の得意分野であり、ボーイング787型機に搭載されているのも日本のジーエス・ユアサ製のバッテリーである。今回のトラブルでは、そのバッテリーの過充電などが疑われているようだ。
http://www.47news.jp/CN/201301/CN2013011901001565.html

バッテリー過充電の見方強まる B787、日米の航空当局

 バッテリーの出火や発煙トラブルが相次ぐ新鋭中型機ボーイング787。高松空港に緊急着陸した全日空機は、操縦席付近床下のメーンバッテリーへの過充電で飛行中に煙が発生したとの見方が19日までの日米航空当局の調査で強まった。

 ラフード米運輸長官は18日(現地時間)「安全を千パーセント確認するまで飛行させることはない」と述べ、徹底的な安全対策が取られるまで787の運航を認めない方針を強調した。

 原因究明を急ぐ日本の運輸安全委員会は、1週間でバッテリーが解析できる第三者機関がないか模索。電子系統の制御システムや配線より優先的に調べ、糸口を探る構えだ。

2013/01/19 18:14 【共同通信】


ボーイング社は最初「787型機は安全だ」などと強弁していたようだが、さすがにそのような論外な態度はすぐに改めた。同型機はいずれもバッテリーに起因するとみられるトラブルが多発している。バッテリーの種類は数年前にノートパソコンや携帯電話機の発火事故が問題となったリチウムイオン電池だ。今回のトラブルが発煙事故による高松空港への不時着で済んだのは不幸中の幸いだと私は思っている。万一発火事故にまで至っていたならとんでもない大事故になった恐れがあると思われるからだ。

ただ、この分野であれば、この事故で日本の技術が信用を失って、韓国なり中国なりのバッテリーに置き換えられる心配はしなくても良いのではないかと個人的には考えている。それくらいのアドバンテージを日本の技術はまだ保っているはずだ。今回のトラブルに関しては、一刻も早い原因究明と安全性の確保を願うばかりである。

安倍政権も、重厚長大産業や、ローテクの塊である原発にいつまでも恋々としていないで、たとえば北欧諸国がやっているように、採算の合わなくなった企業には市場から退出願って、失業した労働者を成長分野に振り向けるべく手厚い就労支援をするといった政策を考えた方が良い。北欧諸国はそういう政策をとって近年めざましい経済成長を遂げた。

大惨事に至ってしまったのは、アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きた人質事件である。この記事を書いている最中に、産経新聞のサイトが凄惨な記事を配信してきた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130120/crm13012023540011-n1.htm

「日本人9人を殺害」 日揮現地スタッフが証言

 アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で日本人らがイスラム過激派武装勢力に拘束された事件で、「リアド」と名乗る日揮の現地職員らは20日、フランス通信(AFP)に日本人9人が殺害されたとされる状況を詳しく証言した。菅義偉官房長官は21日未明の記者会見で、「情報があるのは承知しているが、確認していない」と述べた。

 証言によると、犯行グループは16日午前5時半ごろ、天然ガス関連施設からイナメナス空港に向かうバスを襲撃したさい、逃げようとした3人を殺害した。後に銃撃を受けた3人の遺体がバス近くで発見されたという。

 さらに居住区に向かった犯行グループは、別の人質を連れて日本人職員の部屋に行き、北米なまりの英語で「ドアを開けろ」と叫んで発砲。その場で日本人2人が死亡した。居住区内ではその後、別の日本人4人の遺体が見つかったという。AFPはブラヒムと名乗る別のアルジェリア人も「日本人9人が殺害された」と証言したと伝えた。

 一方、英紙テレグラフ(電子版)は19日夜、生存者の証言として、犯行グループが施設襲撃時に英国人技術者に銃を突きつけ、「米国人を捜しているから君らは殺さない」と英語で言わせ、隠れていた同僚らをおびき出した後、この技術者を射殺したと伝えた。

 欧米メディアは19日の制圧作戦の状況も断片的に伝え始めている。

 「19日朝、テロリストは人質7人とともに逃亡する望みを失い、人質の処刑を開始。『ニンジャ』として知られるアルジェリア軍特殊部隊は突入を余儀なくされた」

 テレグラフ紙はアルジェリア情報筋に近い地元紙を引用し、強行突入に至った理由を伝えた。犯行グループは米国で収監中のイスラム原理主義者ら2人との人質交換と、施設からの「安全な移動」を要求したが拒否された。18日夜には、施設への放火を試みた。

 犯行グループの生き残りは、居住区から3、4キロ離れたガス生産施設区域の「機械室」に籠城。戦車や装甲車が包囲し、上空では旧ソ連製の攻撃ヘリコプターが動向を監視した。同紙は17日の制圧作戦から48時間が過ぎ、特殊部隊が「忍耐を失った」可能性も示唆した。

 アルジェリア情報筋は、人質7人は部隊突入の前後に「報復のため処刑された」と強調。施設周辺には地雷などの爆発物が仕掛けられていたほか、犯行グループは集団自決の準備もしており、一部は部隊突入時に自爆して施設を破壊しようとしたという。部隊が15人の焼死体を発見したとの情報もある。中東の衛星テレビ局アルジャジーラは、制圧後に60ミリ迫撃砲2門、携行式ロケット砲(RPG)2丁など多数の武器弾薬が押収されたと伝えた。(田中靖人)

(MSN産経ニュース 2013.1.20 00:44)


この事件で腹立たしいのは、安倍政権の初動の遅れである。本来なら事件が起きてすぐ安倍晋三は外遊を中断して帰国すべきだったが、そのまま外遊を続け、事態が深刻化してから帰国した。この不作為が犠牲を大きくした可能性が大きい。

安倍は、東日本大震災に伴う東電原発事故の際の菅政権の対応を批判し、最近も菅直人の訴追を匂わせる発言をしていたが、真に訴追されるべきは今回の安倍自身の初動の遅れではないか。なぜ安倍はだらだらと外遊を続けたのか。危機管理ができないことに関しては、自民党は民主党と何も変わらないと見える。また、そんな安倍晋三の行動について、確か朝日新聞は「批判を浴びる可能性がある」とかなんとか書いてお茶を濁した程度であって、正面切った政府批判は全然していない。それでも「社会の木鐸」と言えるのか。

また、アルジェリアに派遣された外務政務官・城内実の動きも鈍い。城内は17日、アルジェリアのメデルシ外相と会談し、アルジェリア軍による武装勢力への攻撃中止を要請したそうだが、これを無視された。やはり産経の報道によると、城内は多くの邦人が殺されたと思われるあとになって、「軍の許可を得て(イナメナスの天然ガス関連)施設に入り、その後、邦人の安否確認のため病院を訪問する予定」との電話を官房長官の菅義偉にかけてきたらしいが、事件の対応に全く役に立たなかったのではないか。普段は勇ましい酷使様は、やはり肝心な局面では頼りにならないようだ。

そのくせ、こういう事件が起きると、「自衛隊の海外派遣をもっと自由にしろ」とか「日本版CIAを作れ」などという動きばかりが強まりそうな政権なのである。また、外野席でも外務省OBの孫崎享がテレビ出演して日本版CIA創設を焚きつけていたとのことだ。さすがは本家のアメリカCIAから大量の政治資金を受け取っていた岸信介を絶賛するだけのことはある。

とにかく、今回の官邸の対応は全くいただけなかった。やはり、安倍内閣に多くを期待する方が無理というものだろう。
昨年末の衆院選で大敗した「日本未来の党」は、まだ分裂劇の余燼がくすぶっていて、嘉田由紀子が大津で行われた新年会で何やら小沢一郎の悪口を言ったらしい。一方、「小沢信者」は私の見るところ二派に分かれていて、開票マシン「ムサシ」を用いた不正選挙にやられた、実は「未来の党」は勝っていた、という「勝ち組」と、敗北を認める「負け組」に分かれているが、後者にしても、敗因は嘉田由紀子を担いで小沢一郎を表に出さなかったからだ、つまり小沢を正面に押し出していれば勝っていたと主張しているに過ぎない。最初に書いた嘉田由紀子は、逆に敗因は小沢にあると主張しているわけで、三者三様であるが、私に言わせれば3つとも全くリアリティのない妄論であって、特に不正投票を声高に叫ぶ「勝ち組」小沢信者の醜悪さには目も当てられない。

「日本未来の党」には最初から勝機はなかった。嘉田由紀子はもちろん、小沢一郎も己が自惚れているほどの「指導力のあるリーダー」では全くなくなっている。私がそのことを最初に痛感したのは一昨年5月から6月にかけての「菅降ろし」の政局の時であって、あの時、小沢は強い指導力を持つリーダーが必要だと言っていたが、私は、東日本大震災の時に雲隠れした政治屋が、何をいつまでも『強力なリーダー』ぶってるんだよ、と鼻で笑ったものだ。今にして思えば、東北のリーダーとして存在感を発揮するべきまたとない機会だったはずの大震災の時に、地元であるはずの被災地を訪れるどころか雲隠れして「行方不明説」まで流された時、小沢一郎の命運は尽きたのだと思う。

東京新聞などは総選挙報道で日本未来の党を「リベラルのとりで」とまで称揚して風を煽ったが、同党への追い風には全くならなかった。その敗因を、同党の「脱原発」の本気度が疑われたと見る向きもあるが、私は同党、というより小沢一派の経済政策が信用されなかったことが最大の理由ではないかと考えている。

周知のように、小沢一郎は2006年に民主党代表に就任すると同時に、民主党の経済政策を転換して、社民主義的ともいえる諸施策を打ち出した。前任者の前原誠司が新自由主義的傾向の強い政治家だったためにその対比は際立ち、当時は私も民主党の政策転換を歓迎したものだった。

だが、民主党の政策には財源論に難があった。本来、当時の鳩山由紀夫首相と小沢一郎幹事長には、自らがマニフェストに掲げた政策を実行する責任があったはずだが、普天間基地移設問題でつまずいて早々に政権を投げ出し、それに続く菅直人・野田佳彦両首相の内閣を、「マニフェスト破り」だとして批判した。

しかし、本来政策を遂行する責任があったはずの鳩山・小沢が勝手に政権を投げ出しておきながら、党内野党と化して権力抗争に明け暮れるさまを見て、「何やってるんだこいつら」と思ったのは私だけではなく、多くの有権者も同じだっただろう。この場合、「何やってるんだこいつら」という対象には、民主党内反主流派の小鳩派だけではなく、主流派の人たちも含まれることはいうまでもない。

「ムダの削減」と「埋蔵金」だけで政府支出を賄えるという小沢らの主張には説得力がなかったし、それ以上に私が小沢一郎に対する不信感を決定的に強めたのは、これまでにも何度も書いたように、小沢が「減税日本」を率いる河村たかしと手を組んだことだ。

当面の消費税増税反対論については、不況時の増税は景気を冷やすことと、これまでに減税されまくった所得税を見直すことから始めるべきだという論拠があり、これには私も賛成だが、将来的な税制をどうするかというビジョンを小沢らはいっこうに示す気配がなかった。私は、分離課税だらけの税制の見直しや、もうずっと続いている証券優遇税制(税率10%)を廃止して、所得税の累進制を強くした上で、消費税も増税すべきだと考えている。税制を所得税中心にするのはアメリカなど「小さな政府」をとる国の行き方であって、累進課税には景気の自動安定化機能がある。だが、そのことと表裏の関係として、税収が景気に大きく左右される。そのため、ヨーロッパの国々では税収を消費税にも頼っているというのが私の理解だ。

日本の国民負担率が低いのは周知だが、消費税の税収全体に占める割合はヨーロッパと変わらない。そこで、所得税も消費税もともに税収を増やす必要があるが、昨今の日本で格差が拡大してしまったことや景気に与える影響を考慮して、まず所得税を上げ、消費税の増税はそのあとにすべきだというのが私の意見である。

小沢一郎は、以前には所得税を半分にして消費税率を大幅に引き上げよというのが持論だった。言ってみれば、国民負担率が低いまま、直間比率だけヨーロッパ並みにしようという政策で、事実日本の税制はその通りになった。財務官僚は、今では所得税減税をやり過ぎたと臍を噛んでいるらしいが、一度決まったことは惰性で続くのが政治だ。

ところが、新自由主義のお株を小泉純一郎に奪われると、小沢は小泉構造改革のアンチテーゼとして「国民の生活が第一」のスローガンとともに、一連の社民主義的政策を打ち出した。それには当然ながら財源が必要で、アメリカ並みの国民負担率でやっていける政策ではない。しかし、選挙に勝つために増税を打ち出すのは得策ではないと考えた小沢は、それには触れなかった。そして、案の定政権交代のあと財源捻出に苦しんだが、いち早く鳩山由紀夫が政権を投げ出したために、小沢は党内野党として菅や野田が「マニフェストを破っている」と言うだけの、無責任なクレーマーに終始した。さらに「減税日本」と野合したとあっては、財政政策に関しては全くの支離滅裂としかいいようがない政治勢力とみなすほかなかった。昨年末の総選挙で、こうした小沢一派の無責任な態度に対して有権者の厳しい審判が下ったと私は考えている。

こうして、「なんちゃって社民主義」が雲散霧消した結果、民自公合意を推し進めると、世界に類のない「主に消費税に頼る税制の国」を目指す勢力として自民党、公明党の与党両党と、野田政権下で自公と合意した責任のある民主党があり、それに対抗するのは、維新の会とみんなの党という新自由主義勢力という構図となり、ヨーロッパでは大きな勢力を占める社民主義的な政策を掲げる政党は左翼2政党だけになった。そして「社会民主党」を名乗る政党は衆院選では2議席しか獲得できなかったが、何も社民主義政策を掲げて敗れたわけではなく、党首は「まずムダを削減しますぅ」というのが口癖で、選挙では日本未来の党と「共闘」した。これが日本の政治の現状だ。

なお、政権に復帰した自民党が所得税の最高税率を40%から45%に引き上げる方針を決定したことをもって、「古寺さんの思い描くような政策を安倍政権がやろうとしている」というコメントをした方がおられたが、残念ながらその政策は野田政権がやろうとしていたのを、自民党の一部が「頑張った者が報われない政策だ」として反対してきたことに過ぎない。年間所得3千万円だか4千万円だかで線を引いて、それ以上の所得について税率を5%上げたくらいではたいした税収増にならないのは誰にでもわかる。

まず分離課税だらけの税制を抜本的に見直し、長年10%に減税されている証券優遇税制をもとの20%に戻して初めて、政権に復帰した自民党を評価できるというものだ。今回の決定は、消費税の逆進性批判をかわすためのエクスキューズに過ぎない。直間比率で「直」が下がりすぎて問題なのは、景気の自動安定化機能が損なわれるからであって、これを保ちつつ、税収のうち景気に左右されない安定的な部分も、もし社民主義的な政策をとるのであれば必要になる、だから将来的には直接税も間接税もともに増税する必要があるというのが私の意見だが、おそらく潜在的には結構多いに違いないこうした政策を掲げる政党は存在しない。

憲法や外交・安全保障にしたって、安倍晋三には全くもって困ったものだが、それでもまだ官僚のブレーキが利くだけマシで、これが橋下徹なんかに取って代わられたらそれこそ破滅へ一直線だ。だから安倍が政権運営に行き詰まって前回同様「政権投げ出し」を期待するしかないという情けない状態だ。参院選は1人区のほぼすべてを制するであろう自民党の圧勝で決まりであり、2人区ではこれまでの民主に維新が取って代わり、比例区と合わせて第2党に躍進する可能性が高い。民主党と、2人区の新潟選挙区で現状では党代表の落選が濃厚な生活の党は存亡の危機に立たされ、社民党の獲得議席はおそらく1議席で、政党として認められる衆参合わせて5議席のギリギリに追い込まれる。

そんなわけで、今年の政治に期待できるものは何一つない。
元旦付の新年のご挨拶を別にすれば本年最初の記事になるが、正直言って今年ほど冴えないというか展望の開けない年は記憶にない。マスメディアは民主党がめちゃくちゃにした政権運営を自民党が立て直すだの、「アベノミクス」がどうだのと言っているが、首相の安倍晋三にしても副首相・財務相の麻生太郎にしても一度失敗した人間であって、彼らに期待している国民ははっきり言ってそう多くはあるまい。

年末に全国紙が行った第2次安倍晋三政権の支持・不支持を問う世論調査の結果は、読売65%、日経62%、朝日59%、産経・FNN55%、毎日52%だった。読売や朝日の調査結果は前回(2006年)の第1次内閣の初回調査と比較して4,5ポイント減少しただけだが、毎日の調査結果は前回(67%)よりも15ポイントも下落している。これについて毎日は、同社の世論調査で内閣への支持・不支持を聞く場合、「支持する」「支持しない」に加えて「関心がない」という選択肢があり、今回はそれが21%と高かったためだと説明している。なるほど、これは説得力がある。安倍内閣の支持率は見かけ上高いけれども、その内実は「消極的な支持」が多く、「関心がない」という選択肢を提示されるとそれになびいてしまう人も少なくないというわけである。

だが、これは安倍晋三にとっては決して悪い材料ではない。言い換えれば、安倍政権を倒したいと考えている側にとっては決して好材料ではない。いうまでもなく、最初の期待値が低ければ、政権の業績が冴えなくとも失望もまた小さいからである。前回はマスコミが「ポスト小泉」の筆頭だった安倍晋三を持ち上げすぎたために期待がバブル的に膨らみ、安倍がその期待を裏切ったために支持率が暴落した。しかし、今回はその再現は望み薄である。

加えて、政権を失った民主党及び同党から分かれた生活の党のイメージが非常に悪い。昨年末の衆院選で、民主党は公示前の231議席から57議席に、生活の党の前身である日本未来の党は61議席から9議席へとそれぞれ議席を激減させた。議席の減少率は民主党が75%、日本未来の党は85%だった。他に社民党も5議席から2議席へと60%議席減の大敗を喫しており、この3党が衆院選負け組のワースト3だった。

もとは同じ党から分裂した民主党と日本未来の党は、政権運営そっちのけの権力抗争も有権者に嫌悪感を催させた。日本未来の党は、マニフェストの大義を裏切った菅政権や野田政権が悪く、理はこちらにあると訴えたが、有権者からすれば「あんたら、自分の責任を棚に上げて何を被害者づらしてるんだ」としか思えなかったのは当然だ。しかも日本未来の党は選挙に負けたあとも内紛を起こし、あとから入ってきた小沢一郎一派が党を乗っ取って存続政党となり、森裕子を代表にして、看板を「生活の党」へと掛け替えた。追い出された嘉田由紀子、飯田哲也、阿部知子は離党し、新たに政治団体「日本未来の党」を立ち上げたが、政党の要件を満たさず、政党交付金を受け取れなかった。

上記の方法は「分派」と呼ばれるが、この他に二つ以上の対等の政党に分かれる「分党」という方法がある。分党の場合、政党交付金はそれぞれの所属議員数に応じて比例配分されるが、分派の場合は離党議員に交付金は交付されない。日本未来の党の場合、分党になったところで、小沢一派の15人に対して嘉田一派は阿部知子1人だけなのだから、小沢一派側から見れば、相手を「分派」させるのではなく「分党」したとしても政党交付金の取り分に関しては違いはさほどなかったはずだ。

この件に関して、小沢一派は「選挙の大敗による3億円以上ともいわれる供託金没収分などの借金をまるまるこっちで引き受け、嘉田氏を身軽にしてやったのだ」などと恩着せがましく言っているが、政党交付金は8億6千万円といわれており、供託金没収分よりはるかに多いし、選挙費用全部を合算しても現「生活の党」は損などしてはいないのではないか。

いや、政党交付金の問題などどうでも良い。小沢一派は嘉田由紀子や阿部知子らの誇りを土足で踏みにじったといえる。それがことの本質ではないか。裏切り者は絶対に許さないのが「小沢流」であって、岩手1区や岩手3区で小沢を裏切って民主党に残った候補に「刺客」を送りつけたこともその一例だ。岩手1区や3区では元小沢一派だった民主党候補が勝ち、小沢が送った刺客は敗れた。とはいえ、黄川田徹や階猛には勝てなくとも、「軽くてパー」のつもりで担いだのに何やらギャーギャーわめき出した御輿を葬り去るくらいは、小沢にとっては手もないことだったに違いない。

しかし、選挙に負けた直後に起こした醜い内紛劇は、嘉田由紀子、飯田哲也、阿部知子らにも多大なダメージを与えたが、それ以上に小沢一郎のそれでなくてもダークなイメージを完全に真っ黒にした。小沢一郎は事実上政治生命を絶たれたと断言して良い。今後、小沢が政局の中心人物になることはもうない。

昨日(6日)配信された朝日新聞デジタルの記事に、「未来、反原発で連携呼びかけ 『オリーブの木』方式で」という見出しの短信があり、一瞬小沢一郎の発言かと錯覚したが、呼びかけたのは阿部知子だった。阿部は嘉田由紀子、飯田哲也との会談を国会内で行った後に記者会見し、未来と同じく「原発ゼロ」を掲げるみどりの風、みんなの党と国会運営や参院選などで連携していく考えを明らかにしたというのだが、連携の相手には当然ながら生活の党は入っていない(阿部と不仲とされる福島瑞穂が党首を務める社民党の名前も記事にはない)。

一方、小沢一郎は、読売の記事を参照すると、新年会で「野田前首相による『自爆テロ解散』で大変だったが、自民党が大勝したわけではない。橋下(日本維新の会代表代行)と渡辺(みんなの党代表)に『一緒にならないと惨敗だ』と言ったのに、組まなかったので惨敗した。このままでは終われない」と語ったとのことだ。「老醜」の一語に尽きる。

そもそも、みんなの党、ましてや日本維新の怪は衆院選に惨敗などしていない。みんなの党は議席を伸ばしたし、日本維新の怪は躍進した。負けたのは日本未来の党だけである。さしもの「小沢信者」たちも、その一部の人たちは、今回の衆院選の結果を受けて、なおも維新、みんな、生活の3党が組んでその中央に小沢がデンと座る図は想像できないと言っている。彼らは小沢に日本未来の党の惨敗や民主党の惨敗に責任を感じてほしいと言っている。そしていつまでも小沢に頼り切っている配下の者たちには早く独り立ちせよと言っている。もちろん、中には今回の日本未来の党の惨敗は「ムサシ」とかいうゴールドマン・サックス系列のメーカーが作った投票用紙読み取り機を操作した「不正選挙」によって仕組まれたものだとする「勝ち組」もいて、カルト化の度合いをさらに強めているが、そうではない「負け組」の小沢信者からは、教祖の責任を問う声がようやく上がり始めた。私に言わせれば遅きに失した上、選挙の敗因を嘉田由紀子らに押しつけるなどの誤りを犯しているけれども。

新春最初の記事から、小沢一郎批判ばかり書き連ねてしまったが、私はいわゆる「リベラル・左派」が小沢一郎支持へと大きく傾斜したことの弊害は極めて大きいと考えている。小沢は衆院選の前に、「脱原発・反増税・反TPP」の3点を訴えれば選挙で必ず勝てると豪語していたが、「脱原発」と「反TPP」はいいとしても「反増税」は問題含みである。

景気の悪い現在、消費税は増税すべきではないという主張自体には理がある。しかし、小沢は2010年から名古屋の地域政党「減税日本」を立ち上げた河村たかしを支援してきた。河村は所得税と住民税の大幅減税を持論としている。また、東日本大震災直前の一昨年2月に行われた岩手県の陸前高田市長選で、現職の戸羽太市長の対抗馬として、河村たかし張りの「減税」の訴えを目玉とする候補(菅原一敏)を推したものの、全国的にも珍しい自共共闘となった戸羽市長(自民党系)に敗れた。この時、黄川田徹の菅原一敏への応援が不熱心だとして小沢が黄川田を名指しで批判したことが、今回の総選挙を前にして黄川田が小沢から造反したきっかけになったのではないか。もちろん、黄川田徹が(そして戸羽太も)震災で妻らを失ったのに対し、小沢は震災そっちのけで「菅下ろし」をやっていたこともあるだろうけれど。

政局の話を措いても、小沢一郎に決定的に欠落しているのは「再分配」の思想である。小沢は持論の「減税」を推進していったとして、いったいどうやって格差を小さくし、貧困をなくすというのだろうか。税収なくして再分配などできっこないではないか。安倍晋三でさえ言わない極端なトリクルダウンというか、富が勝手に平準化するというオカルトのようなメカニズムを仮定せずして、小沢の思想を説明することはできない。そして、こんな人物に望みを託したのが「リベラル・左派」最大の誤りだった。直近にその罠にはまったのが嘉田由紀子、飯田哲也、それに阿部知子の3人だったというわけだ。

税金が高いのが問題なのではなく、再分配機能が低いことこそ問題なのだ。たとえば極端な話、税率がフラットであったとしても給付が貧富に関係なく等額であれば、人頭税と逆の理屈で等率課税であっても再分配機能はある。スウェーデンなどはこれに近く、所得税の累進性は緩やかで、消費税率も(軽減税率があるとはいえ)25%と高いけれども、社会保障や労働補償による再分配が手厚いために人々は高い税率に不満を持たない。

また、株式等の譲渡や配当による利益は、日本を含む他の多くの国と同様にスウェーデンも分離課税ではあるけれども税率は30%と高い(日本はもとは20%だが、もう長い間軽減税率の10%が続いている。今年末で打ち切られる予定だが、上げ潮派で鳴らす安倍晋三はさらに延長するのではないかと予想される)。小沢一郎が所得税や住民税を下げる代わりに証券優遇税制を廃止したり、もとの20%よりも高い30%の税率にすべきだと主張したという話は聞いたことがない。子ども手当や農業者戸別所得補償制度、それに朝鮮学校の件でミソをつけたけれども高校無償化などは民主党の評価すべき政策だったと思うが、財源を「ムダの削減」や「埋蔵金」で賄うという話は絵に描いた餅だった。それにもかかわらず、さらに過激な「減税」を志向する河村たかしを支援し、菅原一敏を担ぐなどするに及んで、私は小沢一郎という政治家を信用することが全くできなくなった。野党や、与党であっても非主流派であれば人気とりのためには何でもやるというあざとさしか、小沢という人間からは感じられない。

衆院選に大敗した民主党は、野田佳彦(「野ダメ」)が代表を辞任し、後継に一昨年の民主党代表選で小沢一郎に担がれた海江田万里が就任した。海江田は、代表就任早々、参院選におけるみんなの党や日本維新の怪との共闘を口にし、生活の党とも融和的らしいが、みんな、維新、生活は3党とも新自由主義的な政党であって、民主党ももともとそういう方向になびく傾向が強いから、これらの政党の「野党共闘」など全く期待できない。そもそも、改選議席の多い民主党は衆院選の結果が示すように現在では不人気だから、民主党が主導権をとっての野党共闘など不可能だし、維新の怪が主導権を握る形になれば、これは最悪のパターンだ。

そう考えると、今年の参院選で自民党が負ける展開はちょっと想像しにくい。私はもう、いかに安倍晋三に暴走させない、つまり原発再稼働やましてや新設、あるいは改憲にかまけたり歴史修正主義的な妄言を口走るなどの愚行に走らせないように国民がプレッシャーをかけていくしかない、つまり、非常に不本意ではあるけれども、かつて朝日新聞社が出していた月刊誌『論座』がタイトルに掲げた「安倍首相との"共生"」を当分の間強いられるのではないかと想像してげんなりしてしまうのである。
新年あけましておめでとうございます。

本年が皆さまにとって良き年になりますよう、心より祈念いたします。

たいへんな世の中になってしまいましたが、ここはもう腹をくくって世の現実から目をそらさずに、少しでも活路を見出そうともがきつつ生きていくしかないと思っております。当ブログは旧年に引き続き原則として週1回のペースで更新していきたいと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


  2013年元旦

  「きまぐれな日々」 管理人 古寺多見(kojitaken)