http://www.asaho.com/jpn/bkno/2015/0615.html
この6月第1週の動きは、安倍政権にとって予想せざる打撃となった。それまでの法案審議では、法案の個々の論点がバラバラに追及され、政府が荒っぽい答弁を行うということの繰り返しだった。しかし、「参考人全員が違憲」という事態によって、「潮目が変わった」とメディアが報じた(『東京』5日付など)。憲法研究者の声がここまで連日報道されることはかつてなかったことである。
6月第2週に入り、『産経』10日付がいう「自民が反転攻勢」が始まった。まずは安倍晋三首相その人である。先進七カ国(G7)首脳会議(サミット)が開かれていたドイツから、憲法研究者の「違憲」主張に反論したのである。会場のエルナウのホテルには泊まらずに、ミュンヘンの高級ホテルに入って対応していた。一人だけ勝手な動きをするゲストに、メルケル首相はさぞや不快な思いをしたに違いない。バイエルン警察は警備上かなりの苦労をしたようである。それもこれも、安保関連法案が「違憲」とされたからである。
ミュンヘンの安倍首相
8日午後、ミュンヘンでの記者会見では、憲法研究者の違憲主張への反論が、記者とのやりとりの大半を占めた。「憲法解釈の基本的論理はまったく変わっていない」「砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にする」として、「わが国の…存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは国家固有の権能の行使として当然」という判決の一節を引用しつつ、「憲法の基本的な論理は貫かれていると私は確信する」と述べた。せっかくのサミットなのに首脳会談もたいしてやらずに、安倍首相はもっぱら国内対応に追われた。9日には長文の政府見解を出して、憲法審査会での憲法研究者の主張に反論した。それにしても、この脈絡で砂川判決を使う神経と感覚が理解できない。
(『早稲田大学 水島朝穂のホームページ』 2015年6月15日の「直言」より)
この当時と比べると、今回の加計学園問題など安倍にとっては「蚊に刺されたほどの痛み」としか思っていないのではないか。世間は森友学園問題の二番煎じだとしか思っていない。産経など、ここぞとばかりに安倍を持ち上げまくっている。
何より安倍批判側の反応がお粗末に過ぎる。「首相のご意向」の文書を「本物」と断言した前川氏を聖人君子みたいに持ち上げて「安倍や菅とは大違い」と喚き立てるばかりでは、自分から敵の土俵に乗っているようなものだ。「そんな聖人君子が『出会い系バー』に通うのかという反撃を食い、敵の印象操作作戦に手を貸してしまう。そもそも、すぐに「味方」の「人格」を持ち上げる好む人間は、少し前まで小沢一郎を崇拝していた「小沢信者」が多いのではないか。
「出会い系バー」通いはいうまでもなく加計学園問題とは何の関係もないが、それを言う人間が一方で「前川氏の人格」を天まで届かんばかりに持ち上げるようでは説得力を著しく欠く。
例によって、加計学園問題がどのくらい内閣支持率を下げるかどうかが鍵だ、と言っている人たちもいるが、既に朝日新聞が平日の24,25日に調査した結果が26日付の紙面に出ていて、それによれば安倍内閣支持率は前回からわずか1ポイント下げただけの47%だった。今後出てくるであろう他のメディアでの調査でも似たような結果になるだろう。
今週お薦めできる記事は、前記水島朝穂氏が更新した「直言」(下記URL)。本日(5/29)付のコラムには、菅義偉の悪逆非道ぶり、統幕長の河野克俊が、安倍の改憲提案を「非常にありがたい」と述べた件、国連人権高等弁務官事務所「プライバシー権に関する特別報告者」ジョセフ・ケナタッチ氏(マルタ大学教授)が伝えた「共謀罪」法案に対する懸念に対して菅が逆上した件、それに森友・加計学園問題を網羅しており、これを読み終えて、こんな記事があるんだったら私が何も1週間の仕事を始める前に時間を割いて駄文を綴る必要なんか何もないじゃないか、と思った。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2017/0529.html
なお、安倍の改憲提案に対する水島教授の意見は、先週の「直言」に載っている(下記URL)。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2017/0522.html
先週、唯一憂さ晴らしになったのは、恥さらしのスキャンダル記事を書いた読売の記者が「泣いた」一件だった。泣いた読売記者に同情する他のリベラル人士たちとは私は大いに違い、正直言って「ざまあみろ、悔しかったら読売を辞めて社を告発しろ」としか思わなかった。岸井成格は45年前の米軍機密漏洩事件(通称「西山事件」)を思い出したと言っていたが(28日の『サンデーモーニング』)、45年前にスキャンダル記事を書いたのは『週刊新潮』だった。しかし今回は、45年前(当時の総理大臣は安倍晋三の大叔父の佐藤栄作だった)と同様に『週刊新潮』をもそそのかしたが、それよりも早く尖兵として動いたのが「泣いた読売記者」だったのだ。ちなみに45年前にはナベツネ(渡邉恒雄)は被告となった元毎日新聞記者・西山太吉の弁護側の証人として出廷した。そのナベツネが(間接的にとはいえ)部下に45年前の『週刊新潮』と同じことをやらせ、今回はいったん後追いしようとした『週刊新潮』の記者に読売を馬鹿にした記事を書いた。おそらく泣いた読売の記者は「不本意な記事を書かされた」ことよりも日頃見下しているに違いない『週刊新潮』の記者にまで馬鹿にされた屈辱に耐えかねて泣いたのではないか。そんなものは自業自得だとしか私には思えないのである。
プロ野球でも読売軍は本拠地・東京ドームでの広島戦に3連敗し、借金を抱えて交流戦に突入することになった。本拠地で広島に負けなしの6戦全敗とは、5位のヤクルト(神宮で広島に4勝2敗)や最下位の中日(ナゴヤドームで広島に3勝2敗1分け)よりも悪い、これまたとんだ恥さらしである。今年安倍政権を倒すのは至難の業だろうが、読売軍を最下位に突き落とすくらいなら十分可能ではないか、などと現実逃避に走りたくもなる今日この頃なのである。
まず、安倍晋三が憲法記念日にブチ上げた「自衛隊を9条に追記する」改憲構想について、各社の世論調査が行われたが、朝日を除いてすべて安倍の構想に賛成する意見が多数を占めた。朝日の調査でも賛否が拮抗し、それまでの「9条改憲に関しては反対論が圧倒的多数」という状態は、安倍が「鶴の一声」を発しただけで賛否が瞬時に逆転または拮抗する事態になってしまった。
ただ、他社より遅れて世論調査を実施した毎日新聞が昨日(21日)発表した世論調査では、朝日同様拮抗してはいるものの9条改憲反対が賛成を上回った。そればかりではなく、4月、つまり安倍が読売に改憲構想をブチ上げる前の調査と比較しても、9条改憲の賛否の比率はほとんど変わらないという結果が報じられた(下記URL)。
https://mainichi.jp/articles/20170522/k00/00m/010/090000c
この世論調査の記事を以下に引用する。
毎日新聞調査
20年改憲「急ぐ必要ない」59%
毎日新聞は20、21両日、全国世論調査を実施した。憲法9条の1項、2項をそのままにして、自衛隊の存在を明記するという安倍晋三首相の憲法改正案については、「反対」31%、「賛成」28%と回答が分かれた。「わからない」も32%あった。首相は改正憲法の2020年施行を目指す考えを表明したが、それに向けて改憲の議論を「急ぐ必要はない」は59%に上り、「急ぐべきだ」の26%を大きく上回った。内閣支持率は4月の前回調査から5ポイント減の46%、不支持率は5ポイント増の35%だった。支持率が5割を切ったのは昨年11月調査以来。
内閣支持率46%に下落
9条を改正すべきだと「思わない」は49%で、4月調査から3ポイント増えた。「思う」も3ポイント増で33%。5月3日の首相の改憲提案前後で大きな変化はない。
9条改正派には、戦力不保持を定めた2項を見直すべきだという主張もある。ただ、今回の調査では、改正すべきだと思う層の69%が自衛隊明記に賛成した。
首相は国会の憲法審査会に議論を委ねる姿勢を示してきたが、その途中で、自民党総裁として自ら具体案に言及した。こうした首相の議論の進め方が「問題だ」は48%で、「問題はない」の31%より多かった。内閣支持層は「問題はない」が51%、不支持層は「問題だ」が84%と対照的な結果になった。
新たな財源が必要な高等教育の無償化について、憲法を改正して義務づけることに「賛成」は50%、「反対」は35%。教育無償化は法律で対応可能という指摘があるが、改憲による「義務づけ」への期待は現時点では高い。
18年12月までに実施される次期衆院選で改憲を主な争点にするかどうかに関しては、「争点にする必要はない」が46%、「争点にすべきだ」は37%だった。【吉永康朗】
調査の方法
5月20、21日の2日間、コンピューターで無作為に数字を組み合わせて作った電話番号に、調査員が電話をかけるRDS法で調査した。東京電力福島第1原発事故で帰還困難区域などに指定されている市町村の電話番号は除いた。18歳以上のいる1634世帯から、1044人の回答を得た。回答率は64%。
毎日新聞 2017年5月21日 20時48分(最終更新 5月21日 20時48分)
これは、ちょっと不思議な世論調査結果だ。なぜかといえば、「自衛隊の存在を明記するという安倍晋三首相の憲法改正案については、『反対』31%」なのに、「9条を改正すべきだと『思わない』は49%」というのだから。これは、前者の質問に対して「『わからない』も32%あった」というところがポイントだ。
私は、「9条を改正すべきだと思わない」のだったら安倍晋三の改憲構想に「反対」でなければならない、なぜなら、「憲法9条に自衛隊を明記する」ことは「9条を改正する」ことにほかならないのだから、と思う。というかそういう論法でなければ筋が通らない。しかし、そのように考えない人も確かにいる。少し前に、「護憲の為にこそ、憲法改正が今必要なのではないか? 」と題したブログ記事を目にしたこともある(下記URL)。
http://abmt.blog.fc2.com/blog-entry-435.html
私は何も上記ブログ記事を頭ごなしに否定するつもりはない。上記ブログ記事が唱える下記引用文の意見には反対ではあるが。
(前略)解釈などで憲法9条の理念を超えて勝手にどんどん防衛省の権限や自衛隊の活動範囲を拡大されることが無いように、憲法9条の理念に沿った自衛隊の有り方を明確に記載した方が良いのではないだろうか。
専守防衛の為に自衛隊を持つことを許容しているリベラルが、本当の意味で憲法9条の精神を守りたいと考え護憲を主張するならば、解釈によって簡単に読み変えられてしまうような脆弱な構造である今の憲法9条のままでは、守りきれないであろうことを真剣に考える必要があると思う」という意見には。
(『51%の真実』 2017年5月15日付記事「護憲の為にこそ、憲法改正が今必要なのではないか? 」より)
本エントリで私が言いたいのは、上記ブログ記事に端的に見られるように、これまで、いわゆる「新9条」派(東京新聞の佐藤圭や想田和弘や矢部宏治や池澤夏樹や加藤典洋ら)の唱える「左折の改憲」、つまり自衛隊の呼称を「自衛軍」などに改めて明記する改憲案には賛成しないかもしれない人たちまで「改憲賛成」に靡かせる効果を、間違いなく「安倍改憲構想」は持っているということだ。本エントリではその理由を明記しないが(一言では書き切れないため)、私は自衛隊を9条に追記する形の「憲法改正」にも大反対だ。しかし、前回のエントリにいただいた下記のコメント(下記URL)に典型的に見られる通り、リベラル側にあっても私とは意見の異なる方が多い。せっかくの機会なので、以下にコメントを全文紹介する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1475.html#comment20449
こんにちは。度々投稿させてもらっています。
私は世に言う「護憲リベラル」でブログ主様と多くの点で意見が一致しますが、今回は非難されることを覚悟で発言します。というのは、私は「9条1項と2項はそのまま維持して、3項に自衛隊を明記する」いわゆる加憲論にはオープンで、むしろこのような案はリベラルの側から提示されるべきだと思っているからです。そして、改憲のみならず、高等教育無償化、消費税増税延期、長時間労働の是正、同一労働同一賃金、その他もろもろで、ことごとくリベラルは安倍晋三にお株を奪われていることに危機感を感じています。
安倍晋三の恐ろしいのは、権力を維持するためには、自分の主義主張を曲げてまで何でもやるというヌエのようなところです。一言で表現すると「狡猾」なんですが、加えてメディアコントロールも巧みとくれば、昭和にどっぷりとつかったままのリベラルを抑えるなど、赤子の手をひねるようなものでしょう。実際、安倍政権の支持率が高いのは不思議でも何でもありません。思想的には極右でも、政策的にはリベラルなものを随所に散りばめて、両方からの支持を取り付けているからです。
ただ、私はそれほど悲観的にはなっていません。もちろん、今が「崩壊の時代」であることに異論はないですが、日本人が以前に比べて(全てにおいてではないですが)リベラル化しているからです。こう言うと、昭和のリベラルの方々からは怪訝な顔をされそうですが、落ち着いて考えてみれば昔に比べ様々な面で社会がリベラルになっているのがわかります。事実、安倍晋三が自分の主義を曲げてまでリベラルに迎合しているのが何よりの証左ではないでしょうか。もちろん、冷戦中の昭和的なリベラルの価値観はどんどん衰退しているのは事実で、旧社会党や社民党の退潮がそれを如実に物語っています。このトレンドはこの先も続くでしょうし、それをもって「右傾化」というのであればそのとおりでしょう。
話を改憲に戻すと、自衛隊を明記といっても簡単にはいきませんよ。明記するにはまず「自衛隊とは何か」というところから始める必要があり、これは相当紛糾するでしょう。明記するとなれば制限されてしまうので、保守派の側も相当慎重になるでしょうし、たった数年で合意形成など不可能です。だから、ブレインストーミングよろしくどんどんいろんな意見を出して議論したほうが得策ではないでしょうか。まあ、変えるなら何でもいいとばかりにメディアを駆使して大衆を洗脳し、どさくさに紛れてわーっと一気にやってしまう可能性はゼロではないでしょうし、リベラルの方々はまさにそれを恐れているのでしょうが、それを恐れるあまり硬直化してしまっては、安倍晋三の思うつぼでしょう。
余談ですが、1980年代に自衛隊の違憲合法論というのが一時的に流行りましたが、これはまさに昭和リベラルの苦肉の策です。(自衛隊が合憲とか違憲とかいう言い方は厳密には正しくないのですが、ここではそれに深入りしません。)確かにここまで無理をしないと理論破綻してしまうのであれば、議論すること自体がリスクでしょう。現代のリベラルには同じ轍を踏まないように願わずにはいられません。
以上、乱文にて失礼致しました。
2017.05.10 10:54 D.J.
このコメントに対する私の意見も長々とは書かないが、「自衛隊を制限するつもりがタガを外してしまう」恐れが強い(タガを外そうとしている=実際、集団的自衛権に対する政府解釈の変更や安保法によって既にタガを外しまくっている=安倍晋三がこの改憲構想を言い出したのは、タガをさらに外そうとしているからに他ならない)と私は考えている。
また、安倍改憲構想に明確に反対する側からの「立憲主義を論拠にすれば安倍改憲構想に勝てる」という意見もしばしば目にするが、これは心許ない限りだと思う。これについて、昨日ネットで目にして暗澹たる気分になった、毎日新聞の天皇退位に関する記事とそれに対するネット民の反応を取り上げる。つまり、ここからが記事の後半だ。
下記記事は、当初毎日新聞の有料記事だったらしいが、「なんでこんな大事な記事を優良にするんだ」という読者の声が多数寄せられたらしく、毎日新聞社は下記記事の全文を無料公開した。この経緯があるので、ここでも全文引用する(下記URL)。
https://mainichi.jp/articles/20170521/k00/00m/010/097000c
陛下
退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」
時代によって変わってきた天皇と国民の距離
天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。
陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。
宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。
ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。
宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。
陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。【遠山和宏】
【ことば】退位の有識者会議
天皇陛下が昨年8月、退位の意向がにじむおことばを公表したのを踏まえ、政府が設置。10月から議論を始めた。学者ら6人で構成し、正式名称は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」。11月に16人の専門家から意見聴取し、今年1月の会合で陛下一代限りの特例法制定を事実上推す論点整理をまとめた。4月に最終報告を首相に提出した。
毎日新聞 2017年5月21日 06時30分(最終更新 5月21日 06時30分)
私はこの件で現天皇を応援する側の「リベラル」の論調に以前から危惧を抱いていた。
昨年夏に突如発表された天皇の退位の意向表明そのものは、恒例の生身の人間が発した意見として、違憲の疑いはあるもののこれ以外の方法はとりようがなかったとしか思えなかったので、私はこれを容認し、かつ今後は天皇の意思が反映されないようにするために、皇室典範を改正して天皇の「定年制」を明記すべきだと思った。以前に「75歳定年」と書いた記憶もあるが、70歳定年くらいが妥当だろうと今では考えている。なお将来的には天皇制は廃止すべきだというのが私の意見の前提にはある。
しかし、今回の毎日新聞記事からはっきり読み取れる通り、安倍政権や極右人士たちに反対する側(具体的には「リベラル」や宮内庁。あるいは現天皇自身も入れるべきかもしれない)まで、「陛下のお気持ち」とやらを盾にとって政権を批判することはきわめて危険だ。たまたま私は松本清張が60年代後半から70年代初頭にかけて『週刊文春』に連載した力作『戦後史発掘』の後半部分、新装版の文春文庫では第5〜9巻、単行本や旧版の文春文庫では第7〜13巻に収録された「2.26事件」を9割方読み終えた時点でこの報道に接したこともあって、「おいおい、アブナイぞその考え方は。まるで、2.26事件の青年将校たちみたいではないか」と思った。
しかし、世の「リベラル」の多くは私とは意見が異なるようだ。もちろん中には共感できる意見もある。私が上記毎日新聞記事についた「はてなブックマーク」のコメントの中で共感したのは、下記shigeto2006さんのコメントだった(私はこのコメントに「はてなスター」をつけた)。
http://b.hatena.ne.jp/shigeto2006/20170521#bookmark-338299510
陛下の気持ちはわかるが(私が天皇だとしても怒る)、このような話が宮内庁から漏れ出てくることには危うさを感じる。日本会議などの極右勢力は論外とはいえ、これが正しいかといえば…。
まあ私は「陛下」という表記は用いないが、それ以外は共感できるコメントだ。さらにいえば、宮内庁だけではなく毎日新聞や「陛下のお気持ち」とやらを論拠にして政権を批判する「リベラル」も十分「アブナイ」と思う。
意外にも私が共感したのは、日頃やや距離を感じることの多い菅野完のつぶやきだった。一連のつぶやきからいくつか取り上げる。
https://twitter.com/noiehoie/status/866070899258150912
危険だな。両方危険だ。極めて危ない。
https://twitter.com/noiehoie/status/866071967874535424
宮内庁はどうも「マスコミ遊び」に淫しているように見える。 「このタイミングで、こうしたコメントを流せば、政局に介入できる」という快楽に溺れているのではないか。
https://twitter.com/noiehoie/status/866072495966740480
僕らはいいよ。そういう業界なんだから。 僕らは、承詔必謹でいい。
だけどこれ、それこそ立憲主義として危ないよ。
https://twitter.com/noiehoie/status/866072807783809025
あほなリベラルが、「ほら、安倍政権や日本会議や保守系文化人は、陛下のご意向に背いている」とかいう、俗流マキャベリズムを発動するんだろうなと思うと、気が重い。
https://twitter.com/noiehoie/status/866085896327643136
乱暴にまとめればだが、宮内庁が今のタイミングで流した 「陛下のご意向」とは、畢竟、「自分の思うような法整備にならなかったのが悔しい」ということ。
大日本帝国憲法時代でもこんなことなかったよ。
https://twitter.com/noiehoie/status/866087026650566658
近い事例といえば。。。。
先帝が「田中総理の言ふことはちっとも判らぬ。」とおっしゃり、田中義一内閣総辞職に至った例の事件ぐらいかもな。
それぐらいの「おかしさ」
https://twitter.com/noiehoie/status/866088026430070784
ある種のサーキットブレーカーとしてお上が能動的に動かれるというのは、日本の近代である以上、そうした「装置」があるのは仕方ない(これが嫌なら革命しかないけどね)。
で、その装置の存在を是認した上でも、やはりおかしいし、サーキットブレーカーは非常時にだけ発動されるべきものだ
https://twitter.com/noiehoie/status/866089685596086273
「日本会議や安倍政権は、不忠である。 陛下のご意向を足蹴にする不敬の輩である」という糾弾は、右翼の内ゲバとして右翼業界に任せてもらえればいい。
しかし立憲主義として危ないのは、むしろ、宮内庁。とんでもない話やでこれ。
https://twitter.com/noiehoie/status/866090174236602369
官邸と宮内庁で俗語で言うところの 「玉の取り合い」になってるのなら、こんなもん、近代の否定ですらある。
危ないよ。危なすぎるよ。
私は正直言って、菅野氏が「あほなリベラル」と一緒になって宮内庁(や現天皇)の肩を持ち、安倍政権や極右人士たち(もちろん彼らに対しても「アホなリベラル」とは別個に厳しく批判しなければならないことは当然だ)を批判しているのではないかと予想して氏のつぶやきを見に行ったのだったが、全く逆だった。私は菅野氏に対する認識を改めるとともに、これは菅野氏が保守であるが故にできた発想なのであって、やはり「リベラル」はアブナイなあ(特にこのカタカナから連想されるさるお方など、宮内庁や現天皇の肩を持った政権や極右人士たちに対する批判に真っ先に飛びつきそうな気がする)と思った。立憲主義はやはり保守思想だ。
しかし、とどめをさすべきは、深夜に教えてもらった原武史氏のつぶやきかもしれない。原氏は日本政治思想史を専攻する政治学者で、近現代の天皇・皇室・神道の研究を専門としているとのこと。
https://twitter.com/haratetchan/status/866090593851645952
昭和の戦後の頃は、閣僚が内奏の際の天皇の発言をうっかり漏らしてしまえば、それだけで憲法と抵触し、辞職に追い込まれることもあった。現在は全国紙が天皇の発言を1面トップで堂々と掲載し、多分に誤解を招きかねない図までつくってその発言を「正当化」しても問題にならない時代になっている。
https://twitter.com/haratetchan/status/866103938189189120
私は平川祐弘氏や渡部昇一氏らとは根本的に意見を異にしますが、だからと言って彼らをあたかも「陛下のお気持ち」をないがしろにする君側の奸のごとく糾弾するかのような論調には、正直言ってかなりの違和感を覚えます。
https://twitter.com/haratetchan/status/866111409792274432
もしも共謀罪の成立を昭和初期の治安維持法の再来として糾弾している人が、「陛下のお気持ち」を絶対のものととらえ、平川氏や渡部氏を君側の奸であるかのごとく糾弾したとすれば、それは同じ時期の「超国家主義」と同じ思考に陥っているということに気付いていないと言わざるを得ない。
そうなのだ。天皇の「お気持ち」を論拠にして現政権を批判する今の「リベラル」のあり方は、2.26事件を引き起こした青年将校たちの思考と瓜二つとしかいいようがない。「超国家主義」で直ちに連想されるのは北一輝であり、北はパシリの西田税(みつぎ)ともども2.26事件で処刑された右翼思想家だ(但し。松本清張や近年の歴史家たちが指摘する通り、北や西田は2.26事件の首謀者だったとはいえない)。
ちなみに昭和天皇は2.26事件を引き起こした青年将校たちに対して激怒し、多大なる政治力を発揮して同事件を鎮圧させ、首謀者たちを死刑に追い込んだ。それを高く評価する歴史家たちもいるかもしれないし、菅野完は「ある種のサーキットブレーカーとしてお上が能動的に動かれ」た例として、あるいは2.26事件を念頭に置いているのかも知れない(だからこそ「近い事例」として2.26事件ではなく「先帝が『田中総理の言ふことはちっとも判らぬ。』とおっしゃり、田中義一内閣総辞職に至った例の事件」を挙げたのだろうと推測する)。実際、清張の本を読む限り、昭和天皇が大きな政治権力をふるわなかったならば、あるいは真崎甚三郎政権が出現し、真崎が「軍部ポピュリズム政治」とでもいうべきデタラメな政治を行ったかもしれないと思う。その場合はその場合で、日本が現にたどった歴史とは違う形で「崩壊の時代」の崩壊を終えていたに違いないと思う。
しかし、ここからが言いたいことだが、2.26事件で筋の通らない青年将校たちの叛乱をトップダウンで鎮圧させた昭和天皇は、青年将校たちが属した「皇道派」と対立していた「統制派」に属する東条英機を深く信頼し、その結果やはり日本は「崩壊の時代」を経験してしまったのだった。
天皇のキャラクターに頼る今の「リベラル」のあり方は、やはり危険極まりない。それこそ「権力を縛る」立憲主義を全く理解していないとしか言いようがないのではないか。早い話、右翼系の天皇が現れた時、今の「リベラル」のあり方ではこれに全く対抗できない。
立憲主義を全く理解していないのは、何も安倍晋三や自公政権に限らない。そう強く思う今日この頃なのである。
正直言って、ただでさえ気の重い連休明けの日に取り上げたくない件なのだが、取り上げないわけにはいかない。
今回読売新聞などで安倍晋三がブチ上げた改憲構想(以下「安倍改憲構想」と仮称する)の目玉は、なんといってもこれまでさんざん批判に晒されてきた2012年の自民党第2次改憲草案を棚上げして、改憲草案にあった「9条2項を変えて『国防軍』を書き込む」方針を一転させて「9条1項と2項はそのまま維持して、3項に自衛隊を明記する」という策に出てきたことだ。合わせて、教育無償化も憲法に書き入れるという。
正直言って、今回は手強いと思う。もちろん、憲法遵守義務のある内閣総理大臣の安倍晋三自ら改憲構想を言い出すことは憲法違反の疑いが強いとか(これは5/7のサンデーモーニングで岸井成格が言っていた)とか、よく言われる「立憲主義をないがしろにする安倍政権下での憲法改正には絶対反対」とか、石破茂が言ったらしい「これまでの自民党内の議論とは整合しない」という意見など、いろんな反対論はあるが、いずれも世論に訴えて「安倍改憲構想」反対を国民の多数意見を形成できるかといえば誠に心許ないというのが正直な感想だ。
憲法学者を見渡しても、たとえば一昨年の「安保法案反対」で共同戦線を張った改憲派の小林節と護憲派の樋口陽一が今回も共闘できるかといえば、どうだろうか。小林節は昨年だったか独自の改憲論を新書で発表していたように記憶するが、今回の安倍改憲構想について何を言っているか、軽くネット検索をかけたがわからなかった。水島朝穂が毎日新聞にコメントした内容は、有料記事(5ページ分は無料で読めるのでそれで読んだ)なので記事の引用はしないが、従来の自民党や安倍自身の主張と整合しないとか教育無償化は維新への配慮だろうとか安倍が言い出したのは森友学園事件から目をそらさせるためではないかなどなど、最後の森友学園云々以外はおっしゃる通りだと私も思うが、広く国民の理解が得られるかといえば誠に心許ない。また毎週更新している水島氏のサイトのコラム「直言」でも本日付の記事ではドイツの話が取り上げられていて、
とのことだ。日本国憲法施行70年や安倍政権の改憲動向については、来週以降の「直言」で書く予定である。
何より「やられた」と思うのは、「安倍改憲構想」の9条改憲の、2項はそのままにして3項を書き込むという案は、従来から小林節や矢部宏治や池澤夏樹や想田和弘や加藤典洋やその他多くの人たちが提案してきた「改憲案」よりマイルドだということだ。だから、憲法遵守義務だとか自民党の従来の改憲案と整合しないなどの論法が出てくるのだが、前者はともかく石破茂などが言っている「従来の自民党内でやってきた改憲の議論と整合しない」というのは、「右」からの「安倍改憲構想」への批判に過ぎない。リベラル・左派がこれに頼っているようでは勝機は全く見出せない。
「野党共闘」を叫ぶ護憲派の間では、民進党さえしっかりしてれば勝てるという意見もある。しかし、その民進党自体の存続が危ぶまれる事態になっている。
投票日まであと2か月を切った東京都議会選挙では、周知のように民進党の支持層の多くが「都民ファーストの会」に侵食されて民進党が歴史的大敗を喫する可能性が濃厚になっている。これは民進党の崩壊の引き金になる可能性が高い。民進党は既に大阪では国会(衆院選挙区では辻元清美のみ)はおろか府議会でも全88議席のうち1議席しかない政党になっている。東京でも同じような状態になれば、もともと「都市型政党」のはずだったことを考えると、党の大分裂というか雲散霧消が現実味を帯びてくる。
しかも、今後国政への進出が予想される「都民ファーストの会」代表の野田数が、大日本帝国憲法の復活を求める、安倍晋三どころではないとんでもない極右であることを考えれば、「民進党さえしっかりしていれば安倍の改憲を阻止できる」などというのは、全くあてにならない楽観論だとしか私には思えない。それでなくても、民進党の議員の多くは保守か右翼であって、今は岡田克也代表と枝野幸男幹事長の時代に敷かれた「立憲主義に反する安倍総理の下での壊憲には反対」という基本方針に従っているだけだから、彼らが「都民ファーストの会」の国政版政党に移った時には改憲賛成側に回ることは目に見えている。
この記事を書く直前に、東洋経済新報オンラインに泉宏氏という人(調べてみると元時事通信の政治部長らしい。当然保守系の人と思われる)が書いた「安倍改憲の本丸『9条改正』に待ち受ける関門」と題した記事を読んだ(下記URL)。
http://toyokeizai.net/articles/-/170745
上記リンク先の記事によると、
とのことだ。首相が着目したのは施行70年の節目となる憲法記念日だった。4月24日夜には、数年前に独自の改憲試案を紙上で発表した読売新聞の渡辺恒雄・グループ本社主筆と会食。同26日には同紙の単独インタビュー応じ、その内容が同紙の5月3日朝刊の一面トップに掲載された。
やっぱりナベツネの入れ知恵だったのか。道理で手強いはずだ。ナベツネはもうヨボヨボで、現場の記者たちが取り仕切るようになったと思い込んでいたが違ったようだ。
今回の「安倍改憲構想」は安倍のもともとのイデオロギーとは整合しないが、安倍や自民党が多くの「顔」を持っているとは、従来から坂野潤治が指摘していたことだ。
4年前の「96条改憲」の時と違って、今度は安倍晋三は本気だ。多くの人があらゆる知恵を振り絞って全身全霊で対抗言論を紡ぎ出して世の人々を説得できなければ勝てない(この記事で具体的なことを書けないのは私の無能による)。いくら世論調査で「9条維持」が多数派だとはいっても、「いや、2項はそのままにして3項に自衛隊を明記するだけだから」と言われれば9条改憲賛成に転向する人間が続出するのは目に見えている。なにしろ、NHKは岩田明子を頻繁に登場させて視聴者の洗脳に余念がないし、読売は完全に安倍自民党の機関紙と化している。
次の世論調査では、「安倍流の9条改憲」に賛成する人が一気に増えるのではないか。それはほぼ間違いないように私には思われる。
2月から3月にかけての森友学園事件追及の流れが一転し、米朝関係の緊張が政治の話題の中心になった。安倍政権は緊張を煽って「共謀罪」法案成立に勢いをつけようとしている。しかし、あまりにも杜撰な法案であるため、法相の金田勝年が国会でまともに答弁できない事態を招き、金田法相が野党やマスコミの集中砲火を浴びていることは周知の通りだ。
しかし、金田法相がまともに答弁できないのは、法相自身より法案に問題があるからであって、本当に批判されるべきは、「現代の治安維持法」としか言いようのない「共謀罪」法案を強引に成立させようとしている安倍晋三であることはいうまでもない。然るに、野党やマスコミは金田法相ばかり批判している。これを、「『安倍一強』の政権の緩み」だとする論調がマスコミの主流になっている。しかし、そのような一種の「連帯責任」を負わせるような論調は、巨悪である安倍晋三を助けるものでしかない。
私は、これは野党やマスコミの安倍晋三に対する「忖度」と位置づけられるべきだと考えている。
思えば、森友学園事件の追及に政党がびくともしなかったのは、追及する側の野党やマスコミに、安倍晋三やその妻の安倍昭恵に対する「忖度」があったからだった。
たとえば、民進党の福山哲郎が質問した時、安倍晋三が「妻を犯罪者扱いするのか」と切れた時、「そんなことは言ってません!」と福山が声を張り上げた場面があった。その場面を思い返すと、福山は「昭恵夫人は被害者だったんじゃないかと思います」と言いながら、「官僚の忖度はあったのかなかったのか」という論法で質問をしていたのだった。ところが財務官僚のせいにしようとしている福山の質問に対して安倍晋三が「妻を犯罪者扱いするのか」とブチ切れたことによって、安倍昭恵がそれまで想像されていたよりもずっと深く森友学園事件に関与していたことが明らかになった。要するに安倍晋三が自ら墓穴を掘ったわけだが、野党やマスコミ、それに世間一般の「リベラル」たちは、せっかく安倍晋三自身が掘ってくれた穴に安倍夫妻を埋めようとせず、安倍夫妻への「忖度」に終始して好機を逃してしまった。
この事件に関しては、菅野完が籠池泰典に食い込んだことによって、役人とのやり取りを録音していた籠池から提供された録音テープによって安倍昭恵の口利きがますます明らかになってきている。しかし、安倍昭恵の証人喚問を求める世論はいっこうに盛り上がらない。昭恵の証人喚問自体は、あの腰の引けた民進党代表・蓮舫でさえ要求しているのだが、ここ数年安倍昭恵の「家庭内野党」の虚像(それは明らかに安倍夫妻や政権のブレーンによる批判勢力に対する懐柔策だった)に騙されてきた政権批判勢力が、未だに昭恵へ未練が捨てがたいのか、攻撃の矛先を鈍らせていることを私はずっと批判している。
その最大の悪例は三宅洋平だろう。三宅は森友学園事件について貝になってしまった。また、昨年の参院選で三宅を応援し、投票したりした人間も、森友学園事件について口を開かない三宅を批判できない。もちろんこれも「忖度」の一例だが、三宅に対する忖度は間接的な安倍昭恵(や安倍晋三)に対する忖度にほかならない。
まとめると、「忖度」ではなく安倍夫妻による「口利き」が森友学園事件「財務省・安倍夫妻ルート」の核心だが、民進党はその核心である安倍晋三・昭恵夫妻への直接の追及を回避して、「財務官僚による安倍夫妻への忖度」の構図を描いての追及を試みたが、当然のごとく「忖度などなかった」という答弁にいとも簡単にはね返された。また、マスコミや世論も安倍夫妻の口利きをとがめることが全くできていない、というのが現時点の状況ではないか。
先月は、つい先日ついに大臣を更迭された今村雅弘の「失言」が話題になったが、野党やマスコミはこれを「政権の緩み」だとして批判した。これに対し、「緩みではなく本音」だとする指摘がされている。昨日(4/30)のTBSテレビ『サンデーモーニング』でも西崎文子が「緩みではなく本音では」と言っていた。ところが最後にコメントした岸井成格は「政権の驕り、緩みだ」というマスコミ人士の常套句を口にしたので失望させられた。
昨年春、安倍晋三の不興を買って『NEWS23』のアンカーを下ろされた(後任の元朝日新聞特別編集委員・星浩の腑抜けぶりは周知)と言われている岸井成格でさえこれだ。
「緩みではなく本音だ」と指摘した言説の中で、もっともよくまとまっていると思うのは、先週も紹介したブログ『読む国会』の記事(下記URL)だ。
http://www.yomu-kokkai.com/entry/shitsugen-yurumi
記事の中で、共謀罪法案の審議中に、東京18区選出の自民党衆院議員にして元武蔵野市長の土屋正忠が露呈した「本音」は、まさに心胆を寒からしめるものだ。以下引用する。
(前略)
「共謀罪」法案を審議した二十一日の衆院法務委員会で、法務省の林真琴刑事局長の席に詰め寄った民進党議員に、自民党の土屋正忠理事が「テロ行為だ」とヤジを飛ばしたとして、民進、共産両党が抗議した。
(東京新聞)
■ 共謀罪の根幹を揺るがす土屋発言
共謀罪(テロ等準備罪)における土屋正忠議員の発言である。共謀罪法案の根幹を揺るがす発言だ。
単なる冗談や軽口ではすまない。
この発言によって、土屋議員が、内心では「テロ等準備行為」という言葉そのものが、自分たちにとって都合の悪いことを潰す、言論に対する脅しとしての要素を持っている、と認識していることが明らかになったからだ。
これは曲解ではない。思っていなければこの種の軽口は出ないだろう。都合の悪いことを潰すために「テロ」という言葉を使っているのではないか?という疑念は、全く解消されていない。
(中略)
「東京より東北が震災にあったほうがまだ良かった」
「民進党がこそこそ打ち合わせをしているのはテロ等準備行為だ」
そのような姿勢・人品そのものが問題であり、議員としての資格を問われるものだ。
大臣に関しては、任命してしまった責任も免れ得ないだろう。
■ マスメディアは、即刻「ゆるみ」という言葉を使うのをやめるべき
「ゆるみ」という言葉を使ってしまうことによって、まるであたかも議員が執行部の言いつけを守れないことが問題であるかのような論調になり、もっとも重要な資質の問題や、首相の任命責任はどこかに行ってしまう。
国務大臣というのは、失言をしなければいいわけではない。人間的に的確であるかを常にチェックされ、監視されるべき立場にいる。失言そのものではなく、その裏にある人品をこそ問題にしなくてはいけない。
マスコミは、二階発言に恫喝されることなく、
なぜなるべきでない人間を復興大臣に任命してしまったのか?
本当にテロ等準備罪はテロを予防することを目的とされているのか?
このような論点を、きちんと主張し、発信していただきたい。
(『読む国会』 2017年4月28日付記事「政治家の失言は『政権のゆるみ』ではなく、『本音の吐露』だ」より)
論旨明快で間然するところのない記事だが、さらにつけ加えれば、最近しばしば指摘されている通り、現在の安倍政権は、どこまで「本音」が通用するのか試しているようなところがある。これを別の言葉で言い換えると「露悪」になろうか。たとえば森友学園事件で知らぬ存ぜぬ、書類は廃棄してしまったなどの強弁がどこまで通じるか、ミエミエの嘘をついて(=露悪的な態度をとって)試してみる。通用すれば、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」式のゴリ押しをやる。
上記のフレーズは1980年にビートたけしが言い出したものだ。この1980年という年は、選挙戦中に大平正芳首相(当時)が急死した衆参同日選挙で自民党が圧勝し、米大統領選でレーガンが圧勝するなど、右傾化や新自由主義化のエポックメイキングな年だった。1993〜94年(衆院選小選挙区制の成立)、1999年(小渕恵三と小沢一郎による「アブナイ」法案の数々の成立)、2001年(小泉純一郎政権成立)、2005年(郵政総選挙で自民党圧勝)、2012年(第2次安倍内閣成立)などと並ぶ、悪い思い出の多い年だったが、上記のフレーズを発して以来、私はずっとビートたけしという芸人を嫌い続けている。政治に関しても、いくらたけし本人が「9条護憲」を口にしても、たけしが司会を務めるテレビ朝日の『TVタックル』(都議選と同日に行われる兵庫県知事選への出馬を表明した勝谷誠彦が常連の出演者だった)が視聴者の右傾化に大いに資したことは見逃せない。
ビートたけしが「赤信号……」と言い出した1980年にはブラックジョークだったものを、今や日本国の総理大臣が率先してやるようになった。だから先日筒井康隆がTwitterで発した慰安婦に関する暴言もギャグにならず、産経「正論」系極右人士ら(その代表格が先日死んだ渡部昇一だった)の煽動に踊るネトウヨ、否、最近は一般人もそれに加わっている有象無象が発する暴言と何も変わるところがなかった。ギャグのつもりで老筒井が発したTwitterは何の異化作用も持たず、只野、もといただの老ネトウヨの暴言に堕してしまったのだ。筒井、老いたり。そう思った。
恐るべき忖度と露悪と崩壊の時代。最後に『広島瀬戸内新聞ニュース』の簡潔な記事(下記URL)を引用して本記事を締めくくる。
http://hiroseto.exblog.jp/25733394/
【安倍ジャパン】「忖度」ではなく「ご下命」、「緩み」ではなく「露悪」だ
「安倍ジャパン」(安倍晋三総理(皇帝)・昭恵(皇后)「両陛下」とそのお友達が、「法の支配」や「立憲主義」を無視した立法行為や行政行為を行い、国家を私物化している状態)を批判する側も、「初動」を誤った感はあります。
森友学園問題では「忖度、忖度」と言い過ぎた。
官僚は忖度で仕事をするものではない。
「ご下命」に近いものがあってはじめて仕事をするものです。
ここへ来て、まだ国有地の売却が決まる段階で、籠池のおっさんに詳細なマニュアルが財務省サイドから渡ったり、田村という財務省の担当室長が「特例です」と言った録音記録が暴露されたりしています。
安倍昭恵さんの関与は明らかです。
ハッキリ言ってしまうと、特に民進党の一部議員やマスコミこそ「安倍総理や安倍昭恵さんに対して忖度=追及の手を緩めてしまった」と言わざるを得ないと思います。
さらに、今村復興大臣の「東北で良かった」失言や、山本地方創生大臣の「学芸員一掃」発言。
これらを、安倍総理は「緩み」と表現し、それ(「緩み」という認識)をそのままマスコミも是としています。
冗談ではない。「緩み」なんかではないのです。
今村復興大臣(当時)の発言は緩みなんかではなく「安倍政権の閣僚としての平常運転=露悪」なのです。
安倍総理は、今年の3.11において、記者会見を打ち切りました。これが安倍総理の本音でしょう。その総理の本音を体現したのが「東北で良かった」という今村大臣の発言ではないのか?
山本大臣のそれも、結局は、文化というものを金銭的な価値でしか測れない、そうした安倍政権的なるものが露悪的に出てきただけです。
(『広島瀬戸内新聞ニュース』 2017年4月29日付記事より)