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きまぐれな日々

先週は都合により当ブログを更新しなかった。2週間ぶりの更新になる。

いよいよ来週月曜日で「2013年度」が終わり、「2014年度」が始まるが、新年度は今後の日本の進路を決める重要な1年になるだろう。

4月1日からの消費税引き上げに伴う日本経済の状況も気になるが、今回は原発問題を取り上げたい。

原子力規制委員会が、再稼働に向け審査中の10原発のうち、鹿児島県にある九州電力の川内原子力発電所の安全審査を優先的に進めることを決めたと報じられたのは3月13日だった。

これに対して、先週の日曜日(16日)に鹿児島市で脱原発を求める集会とデモが行われ、主催者発表で6千人が参加した。
http://www.asahi.com/articles/ASG3J5GJ9G3JTLTB00D.html

川内原発の「再稼働反対」で集会 鹿児島、6千人が参加

 原子力規制委員会の優先審査により、九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)が今夏にも再稼働する見通しになったことを受け、脱原発を訴える市民集会が16日、鹿児島市であった。「再稼働は絶対に許されない」「原発のない地球で暮らしたい」と声を上げながら、参加者は市中心部をデモ行進した。「反原発・かごしまネット」などでつくる実行委が呼びかけ、約6千人(主催者発表)が参加。県内での反原発集会としては過去最大規模となった。

 集会で壇上に立った福島の原発事故の被災者、木幡ますみさん(58)は「3年たったが福島の状況は変わっていない。再稼働させないで」と呼びかけた。(小池寛木)

(朝日新聞デジタル 2014年3月16日22時29分)


鹿児島県では、4月27日に衆院鹿児島2区の補選の投開票が行われる予定になっているが、これは川内原発再稼働が主な争点にはなりそうにない。というのは、民主党、日本維新の会、生活の党、社民党、結いの党の5党が推すとみられる打越明司氏は、元民主党衆院議員で補選に立候補するために民主党を離党したとのことだが、もともとは松下政経塾出身の自民党の鹿児島県議であり、2005年の郵政総選挙で自民党の公認が得られず敗退すると、2009年の政権交代選挙で民主党公認で出馬し、選挙区では徳田毅に敗れるも、比例で復活当選した人物だからである。

だから、この補選では、共産党が独自候補を立てるほか、山本太郎が候補者の公募を発表した。
http://www.asahi.com/articles/ASG3L6KMXG3LTLTB015.html

山本太郎議員が候補者公募 衆院鹿児島2区補選

 参院議員の山本太郎氏(無所属)が18日、鹿児島市内で記者会見し、衆院鹿児島2区補選(4月27日投開票)で候補者の公募を始めたことを明らかにした。九州電力の川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働に反対する県内在住か県出身者から募り、独自に擁立する考え。28日までに公募し、自ら面談したうえ4月1日に発表予定という。山本氏はまた、消費増税反対、環太平洋経済連携協定(TPP)不参加などへの賛同も候補者の条件に挙げた。

 今回の補選には、自民新顔の金子万寿夫氏(67)、共産新顔の三島照氏(72)、無所属前職の打越明司氏(55)らが立候補を表明している。

(朝日新聞デジタル 2014年3月18日22時25分)


鹿児島県は自民党が特に強い土地柄でもあり、選挙は自民党候補の圧勝が目に見えていると思うし、原発の立地は2区ではなく3区に当たるが、山本太郎が脱原発票の掘り起こしを図っていることは前向きに評価して良いだろう。

しかし、首都圏では今のところ川内原発の再稼働については関心が低いように思う。今後、一昨年の大飯原発再稼働反対のデモに大勢の人たちが参加したような熱気が再現できるかも心許ない。

それに加えて思うのは、一口に原発と言っても、運転開始後40年以上が経つのに未だに廃炉が決まるでもなく再稼働されるわけでもない原発が、福井県の関西電力の原発を筆頭に多数あり、その一方で現在建設中であったり、建設計画が持ち上がっている原発もある現状への理解が、なかなか人々の間に浸透しないことに苛立ちを覚える。

たとえば前者については、田原総一朗が『原子力戦争』を書いた1975年に、著者が燃料棒破損事故を暴露するとともに、なぜこんなトラブルだらけの原発が稼働され続けるのかと呆れた関電の美浜原発1号機は、1970年の運転開始だが、未だに廃炉になっていない。美浜原発1号機が今後再稼働する可能性など、万に一つもないにも関わらずである。

よく知られているように、関電に限らず原発を抱える電力海社は、原発を廃炉にする費用が積立不足なのである。今後遠くない将来に、電力会社は老朽原発の廃炉を次々と迫られることを考えると、(原発を持たない沖縄電力は別として)電力会社の経営は誰がどう考えても持続不可能である。それは何も重大事故を起こしてしまった東京電力に限らない。

また、中国電力は瀬戸内海に上関原発を建設する計画を持っており、これは東電原発事故を経ても放棄されていない。この上関原発を含む新規原発の建設を、決して許してはならない。新規原発が運転を開始すると、その先40年は原発の運転が続くと考えなければならないからである。

原発が "NIMBY"("Not In My Back Yard"=「自分の裏庭には来ないで」)と呼ばれる「迷惑施設」の代名詞であることが既に十分明らかになっていた90年代には、新規原発の建設を認める地域がほとんど現れなくなっており、電力会社は既設の原発のあるプラントに新たな原子炉を増設するしか手がなくなっていた。

民主党政権時代、私が激怒したことの一つが、青森県のJパワー(電源開発)大間原発の建設再開を容認したことである。民主党政権がこれを容認したのが野田政権末期の2012年9月であった。これは、菅政権時代に決定した「脱原発依存」の方向性に逆行するものであり、安倍晋三(自民党)へのこの上ない政権復帰前祝いのプレゼントになった。

早くもその1年前の2011年5月12日(東電原発事故のわずか2か月後)には、当時の民主党幹事長・岡田克也は記者会見で「福島原発の重大な事故を教訓とし、より安全性の高い原子力発電を実現していかなければいけない」と発言して、建設続行方針を表明していた。私は岡田克也を「原発推進派」としてブログで批判したが、とある「小沢一郎も前原誠司も支持する」立場に立つ「民主党信者」の人間から、「kojitakenは岡田克也までをも『原発推進派』と決めつけるのか」と怒りを買ったものだ。しかし、新規原発の建設が中期的な「脱原発」を妨げる最たるものである以上、その建設再開を容認する政治家は「原発推進派」としか呼びようがない。

また、上関原発についていえば、海水の流れが太平洋などの外海と比較して緩やかな瀬戸内海は、一度汚染されてしまうとそれを除去することは難しい。既に60年代に重化学工業のコンビナートなどが多く作られたことで瀬戸内海の汚染が深刻になり、後追いで「瀬戸内海環境保全特別措置法」が高度成長期最末期(田中角栄政権時代)の1973年秋に成立、施行されたが、法律が施行されたのは、まさに高度成長期の終わりを告げる「第1次石油危機」の真っただなかだった。要するに遅きに失したと言うほかないのだが、それでも何もやらないよりははるかにましだった。仮に瀬戸内海で原発事故が起きたなら、その原状回復は、東電の福島原発などの太平洋に面した原発以上に困難だろう。このことは、四国電力の伊方原発にも当てはまる。

しかも、この地域にはさる3月14日に震度5の地震が起き、2001年にも「芸予地震」があって、この時には石鎚山の登山道が一部通行止めになっているのを目の当たりにした経験がある。伊方原発や、上関原発の立地予定地は、瀬戸内海の中でも特に地震発生のリスクが大きな地域といえる。その意味からも、上関原発の建設は絶対に阻止しなければならない。

各電力会社が再稼働を目論むのは、比較的新しい原発ばかりであることに気づいておられる方も少なくないと思うが、その中には伊方原発3号機も含まれる。

この記事で私が言いたいのは、原発の再稼働が決まってから、後追いのように「再稼働反対デモ」を行って空しく終わるだけの繰り返しだけではなく、老朽原発の早期廃炉や、新規原発建設の絶対阻止など、もっと重点を絞った「脱原発」運動があってしかるべきではないかということだ。現在の「脱原発」運動には、そのあたりについてもう一工夫が求められるのでないかと思う今日この頃である。
ロンドン五輪も終わったが、五輪閉幕直前の10日、消費税増税法案が成立した。今後、政局は解散総選挙の時期をめぐって民主党と自民党が駆け引きを行うとともに、非民主・非自民の勢力の合従連衡が活発化するものと思われる。

最近よく思うのだが、選挙を行う前の現時点で既に、自民党が事実上の与党になっているかの感がある。現時点で衆議院の解散が行われて総選挙に突入すれば、自民党の圧勝は間違いない。

よく小沢一郎あたりが、「次の総選挙では民主党も自民党も過半数をとれない」というのだが、私が以前から言っているのは、小選挙区制で2大政党のどちらか(たいていの場合は与党)が極端な不人気になれば、もう片方の大政党(たいていは野党)の地滑り的圧勝になることだ。それを阻止するためには、2大政党に対抗できる規模と支持率を持つ第3勢力を作るしかなく、だからこそ小沢一郎は「オリーブの木」構想を提唱しているし、橋下徹の「大阪維新の会」に秋波を送っている。

橋下に秋波を送るのは「みんなの党」も同じだし、「国民の生活が第一」(略称は「生活」らしい)と「みん党」、それに民主党に残っている鳩山由紀夫らから秋波を送られている人気者の橋下は彼らを値踏みしている。

橋下の本音を推測すれば、小沢一郎に主導権を握られてはたまらないから、なるべく小沢の影響力をそいだ形で「生活」党を利用しつつ「第三極」を作りたいといったところだろう。愛知県知事の大村秀章が「盟友」のはずの名古屋市長・河村たかしを出し抜く形で「中京維新の会」を作るなどと言い出したのは、そんな橋下にすり寄る下心がミエミエで、愛知県民はなんでこんな程度の低い人間を知事に選んだのかと改めて歯噛みする思いだ。

くだらない大村秀章の妄動・妄言はともかく、次の総選挙では何が争点になるのだろうか。

消費税増税法案は間違いなく争点になるだろう。この点では、民主党と自民党はともに消費税増税法案を成立させたことが批判されることになるが、民主党と自民党に同じ咎がある場合、特に地方の有権者は長年の実績のある自民党を選ぶ。だから自民党が圧倒的に有利になる。

衆院選で自民党が過半数を制しても、参院では民主党が第一党で、自公は会わせても過半数にならないから「大連立」政権を作るというのが、おそらく野田佳彦(「野ダメ」)と谷垣禎一が考えていることだろうが、自民党と民主党が大連立を組んだ場合、上記の「民主党と自民党に同じ咎がある場合、特に地方の有権者は長年の実績のある自民党を選ぶ」法則に従えば、民主党は来年の参院選で、2007年に圧勝した議席の多くを失う。そうなると参院選後に自民党と民主党が大連立を組む必要はなくなるから、「大連立」は解消され、自公政権が復活するのではないか。その場合、確実に予想されるのは、それが本格的な「原発推進政権」になるだろうということだ。いや、来年の参院選を待たず、自民党首班の谷垣禎一が野ダメ民主党と大連立を組む政権になった時点で「原発推進」政権の性格を持つことは避けがたい。

これを阻止するためには、なんとしてでも「(脱)原発」を「消費税」と並ぶ総選挙の争点にしなければならない。たとえば昨年の民主党代表選では、同党の主流派と反主流派がともに原発推進派の政治家(野田佳彦と海江田万里)を担いだことによって「脱原発」が争点から外されたが、間違ってもそんなことにならないようにしなければならない。

昨年、海江田万里を担いで民主党代表選の争点から「原発」を外した張本人の「生活」代表・小沢一郎は、今になって「消費税と原発を争点にして選挙戦を戦えば必ず勝てる」と言っているらしい。また、最近、前首相・菅直人が官邸前デモの主催者たちを野田首相に会わせようと画策し、それが実現しそうな成り行きになっていることも、総選挙にらみで自民党との違いを打ち出すと共に、影が薄くなっていた菅自身の存在感をアピールしようとしている意図を感じる。ただ、官邸前デモは、主催者の一部の独善的体質が批判されたためか、6月29日をピークに参加者が激減しているという。私自身も6月29日の一度参加しただけだ。

私は、総理大臣を辞めた政治家は次の総選挙には立候補せず国会議員の座から退くべきであり、菅直人に限らず鳩山由紀夫・麻生太郎・安倍晋三らは全員引退すべきだと考えているが、その菅直人が顧問を務める民主党の「脱原発ロードマップを考える会」は6月25日に「2025年までに原発ゼロ」を打ち出したようだ。これは「生活」の「10年後に原発ゼロ」よりは3年遅いが、目標を打ち出したのは「生活」に先んじている(菅直人も東電原発事故以前には原発推進派だったが、小沢一郎も「生活」結党で初めて「脱原発」に転向したというべきだろう)。そして、現在政府のエネルギー・環境会議が提示した3つの選択肢のうち「2030年に原発ゼロ」を5年前倒し(「生活」の場合は8年前倒し)した形となっている。このように、民主党の一部や同党から分かれた「生活」は原発政策で自民党との差異を打ち出そうとしているかのように見える。

一方、電気事業連合会(電事連)は3つの選択肢のうち「2030年に原発依存度20〜25%」の案さえ「現実的でない」としている。もっともっと原発に依存しろと言っているわけだ。盗っ人猛々しいとはこのことだろう。

「野ダメ」政権はといえば、これは明らかに「2030年に15%」案に誘導しようとしている。これは当ブログの7月17日付記事「意見聴取会のやらせ、『原発15%目標』の嘘と橋下の野望」で指摘したように、「40年廃炉」の原則に例外を認めるか、さもなくば原発の新規建設を行わなければキープできない数字であって、「脱原発依存」を掲げる政権としてはふさわしくない目標だ。

しかし、自民党は最近、今後10年間を「原子力の未来を決める10年」として、「脱原発」の問題先送りに躍起になっている。そんな自民党にとっては「15%目標」でさえ認められず、もし同党が政権に復帰したら、「野ダメ」政権の比ではないくらい原発再稼働をゴリ押しするであろうことは火を見るよりも明らかだ。

「脱原発」を総選挙の争点にしない限り、必ずそういう事態になる。「脱原発」を争点にしたところで、「ハシズム」に回収されるだけになる可能性はかなり強く、現に一度は大飯原発再稼働を「容認」して「脱原発」と一線を画すようになったはずの橋下徹(「大阪維新の会」)は、最近、大飯原発2基の再稼働だけで夏を乗り切れそうになっている現状を見て、再び「脱原発」による人気浮揚を狙い始め、山口県知事選に立候補して山本繁太郎に完敗した飯田哲也に大阪府市の顧問に復帰するよう要請し、飯田氏も応じる意向を示しているという。ああ、また「脱原発に頑張る橋下市長を応援しよう」というスローガンが復活するのかとうんざりする。

しかしそれでも(「消費税」だけではなく)「脱原発」を総選挙の争点に据えなければならない。「ハシズム」には断固「ノー」だが、原発推進勢力の巻き返しを許してもならないのである。
今日8月6日は広島原爆忌。東電原発事故が起きてから2度目の広島の「原爆の日」である。

テレビは連日ロンドン五輪に明け暮れている。私もその道(競技)の第一人者たちが繰り広げる妙技が見られる五輪はよくテレビで見ては感心しているけれども、先週末のように五輪一色に塗りつぶされるとさすがにうんざりする。そして、この季節は日本人にとって戦争に思いを致す時なのにと思うのである。

さすがに今日(6日)にはNHKは広島平和記念式典のテレビ放送を行った。昨年、自民党の支持を受けて広島市長選で当選した松井一実は、平和宣言で2011年3月11日の東電福島原発事故に言及し、国にエネルギー政策の確立を求めたものの、「脱原発」には言及しなかった。それに先立ってNHKが制作した映像は、今も除染が行われずがれきが放置されたままの浪江町を映し出していた。

原子爆弾は英語で "atomic bomb"、核兵器は "nuclear weapon"、原子力は "nuclear energy"、原子力発電所は "nuclear power plant" である。脱原発のデモで見かけるプラカードにはよく "No Nukes" と掲げられている。

原子力発電(nuclear electricity generation)が導入された口実は、「原子力の平和利用」だった。"Atoms for peace" とは、1953年に当時の米大統領・アイゼンハワーが演説で用いた言葉だ。

何が言いたいかというと、前回のエントリでも少し触れた西尾幹二のことである。極右の西尾は「脱原発」論者だというが、強硬な核武装論者でもあるのだ。つまり西尾は "nuclear energy" の発電への利用(「平和利用」という言葉は私は用いない)には反対だが、"nuclear energy" の軍事利用には賛成だということだ。小林よしのりも同様だ。

西尾幹二がどういうロジックで上記のような主張をしているのか、私は知らない。しかし、そんな西尾を "No Nukes" を掲げる「脱原発」運動に誘った池田香代子は一体何を考えているのか。その誘いに乗る西尾も西尾だが、西尾が勝手に「原発にはNo、核武装にはYes」と主張して行動することに関しては、その「脱原発」の部分に関しては何も言わない。核武装には断固として反対するけれど。

しかし、「脱原発運動」に "Nukes, yes" の立場に立つ西尾幹二を「脱原発」運動の呼びかけ人に誘い、それを得々と公言する池田香代子には「倒錯」の2文字しか思い浮かばない。昨日も、「鈴木邦男ゼミ」の司会者が7月23日に発した下記Twitterを見つけてむかついていた。
https://twitter.com/masa_kazui/status/227349129154666496/photo/1

こんな人たちが「『右』も『左』もない」運動を推進しているのだが、最近耳にするのは、「反原連」の官邸前デモで「今日のデモは最悪です。警察は悪くありません。皆さん、マナーを守りましょう」と呼びかけたという少女アイドルの話であり、彼女は昨年12月に朝日新聞の高橋純子記者によって「『右』も『左』もない脱原発運動」の象徴として記事に取り上げられていた。アイドル自身のブログには新幹線で小沢一郎と偶然出会い、その後小沢から手紙をもらったと書かれていた。そんな偶然があってたまるかと私は思うが、案の定その後右翼による「脱原発」運動に思いっきり利用され、その延長線上に現在がある。

「『右』も『左』もない」というスローガンを発している人間の本音は「左派を排除する」ことである。私が問題視しているのはその点である。6月29日に私が官邸前デモに参加した時、すぐ横に日の丸がはためいていた。しかし、デモ主催者は「日の丸」は問題視しない。なぜだろうか。

7月16日に「さようなら原発10万人集会」に参加した時、大きな日の丸を振り回す右翼の単独者がいたが、その右翼を排除しようとした人間など誰もいなかった。「左翼主導」の集会やデモでは、「『右』も『左』もない」とは言わないけれども、好き勝手に日の丸を振り回す人間とは共闘はしないが排除もしない。しかし、官邸前デモの主催者の少なくとも一部の人たちはそうではない。彼らに限らず、「『右』も『左』もない」を声高に叫ぶ人間に限って、「左翼」を排除して集団を純化しようとする。私が問題視するのはその点だ。

「『右』も『左』もない」を掲げる人間が「共闘」しようとしているのは、「広島原爆の日」に誓われる「核兵器廃絶」などとんでもない、日本は核武装すべきだと論じる人間だ。「反原連」の主催者の一部には、大阪市長の橋下徹に親和性のある人たちもいるとの話も小耳に挟んだが、橋下もまたテレビタレント時代に「核武装論」を声高に叫んでいた人間だ。

そんな人間に自らすり寄る「左派」あるいは「リベラル」とされる人たちはいったい何を考えているのか。
先週はブログの記事を書き始めていたのだが、結局書き上げる気力が続かなくて更新を断念した。昨今の「脱原発」運動における気になる点を書こうと思ったのだが、29日には「国会大包囲」と銘打った「脱原発」の集会とデモ、それに「脱原発」を掲げた候補者が出馬した山口県知事選もあるから、その翌日にまとめて公開しようと思ったせいもある。もっとも、私自身は29日の集会には出席しなかった。早くも夏バテ気味で、炎天下の集会に出かける気にならなかったためだ。

山口県知事選の話からすると、事前に私が予想していた通り、「ノーパンしゃぶしゃぶ元官僚」として悪名高い山本繁太郎候補(自民・公明推薦)が、「橋下市長のブレーン」という枕詞で呼ばれた飯田哲也候補や民主党を離党して立候補した高邑勉候補らに大差をつけて当選した。

この選挙の告示前に「自民党筋」の情報として流布されたのが、「山本候補が飯田候補に10ポイント以上の差をつけてリードしている」というものだった。選挙戦の中盤に報道された情勢調査では、読売が「山本候補先行」、朝日が「山本候補やや先行」であり、前者は10ポイント以上の差、後者は6〜10ポイント差を指す「業界用語」とのことである。

開票結果は下記の通り。

山本繁太郎無新252,461
飯田 哲也無新185,654
高邑  勉無新55,418
三輪 茂行無新37,150
山本候補の得票率は47.6%、飯田候補の得票率は35.0%だった。

この結果をどう見るか。「無風が当たり前の保守王国を揺るがせた」という評価もあるが、風を起こしきれなかったといえるのではないか。

特に気になったのは、「大阪維新の会」の橋下徹大阪市長の応援はなかったとはいえ、飯田陣営が「維新のDNA」「山口八策」など、橋下を連想させずにはおかないキャッチフレーズを掲げたり、「減税日本」を率いる河村たかし名古屋市長が飯田候補の応援に駆けつけたことだ。

橋下徹や河村たかしといえば、「小泉純一郎よりどぎつい」と評される、強烈な新自由主義イデオロギーを振りかざす政治家である。橋下は「バサーッと切る」が口癖で、「文楽バッシング」「楽隊バッシング」などで大衆に媚び、大阪府知事就任早々、府立学校の派遣職員切りを断行したことからも明らかなように、「まず弱者から切っていく」獰猛かつ酷薄な政治家であることは言うまでもない。また河村は橋下の要請を受けて主張を改めたとはいえ、党名からもわかるように「減税」を振りかざす「小さな政府」志向の政治家だ。

今回、飯田候補の訴えはほぼ「反原発」だけに絞られているように見えた。仮に飯田候補が当選した場合、大阪市や名古屋市のような新自由主義的な県政を敷くのではないかとの懸念は拭えなかったし、それ以前に自ら「橋下市長のブレーン」をウリにしたり、河村たかしに応援されるような候補に白けたのは私だけではなかったのではないか。

それでも仮に私が山口県民だったとしたら、「他の候補よりはましだから」という消極的な理由で、消去法で飯田候補に投票しただろうとは思う。しかし、「飯田候補を応援しよう」と積極的に声を張り上げる気は起きなかった。あえて言えば、飯田哲也には「イデオロギー色」が強すぎた。

同様のことは、「脱原発運動」全般についても言える。私も出かけた7月16日の「さようなら原発10万人集会」で気になったのは、スピーチに、言う必要もないのに「私は右(で)も左(で)もない」だとか、はっきり言わずともそれを想起させるフレーズを加える講演者たちだった。たとえばデモ隊の出発し始めたあとに引き続き第2ステージで行われた湯川れい子氏や池田香代子氏などのスピーチがそうだった。

だが、この「右も左もない」というのは、その実強烈なイデオロギーなのである。

昨日(29日)の「国会大包囲」の集会とデモには行けなかったが、報じられるところによると参加者は7月16日の「さようなら脱原発10万人集会」の数分の1程度だったようだ。それだけではなく、毎週金曜日に行われている官邸前デモも、6月29日をピークにして参加者は減少傾向にある。

それは、デモの主催者の一部が団体旗の排除や「シングルイシュー」の強制などを行う一方、日の丸には何のクレームもつけないなど、自らのイデオロギーを参加者に押しつける態度を取り始めたことと軌を一にしている。ネットにアップされる動画を見ていると、勝谷誠彦が田中康夫とつるみ、阿部知子や福島瑞穂が勝谷に迎合している不愉快な動画などがあり、勝谷は「これから参加者はどんどん増える」などと言っていたが、極右の「電波芸者」であり、昨年3月の東電原発事故発生当初にはこんなこと(下記)を言っていた。

滅多にない地殻変動が起きたのである。原子力が悪いのではない。

左巻きや妄想的平和主義者は「だから原発はなくそう」と攻勢を強めてくるだろう。それとこれとは別である。


そんな勝谷が、今では「ドヤ顔」で「脱原発」を語る、否、騙る。そして、数年前から極右政治家と化している田中康夫とつるんで「右も左もない」と口にする。

数年前、ネットでも「『右』も『左』もない」というフレーズが流行ったことがあるが、その実態は、平沼赳夫、城内(きうち)実といった、当時「反米愛国」を唱えていると見られた極右政治家たちを小沢民主党とくっつけようという「草の根」の運動だった。「城内実さんは平和主義者、憲法9条を残すべきと発言した」とか、「共産党員すら認める、平沼赳夫という人物」などといった噴飯もののフレーズは今でも忘れられない。

要するに、「『右』も『左』もない」などと言って、その実運動を「右」に引き寄せようという妄動だったのだ。幸か不幸か、平沼赳夫は「たちあがれ日本」(俗称「立ち枯れ日本」)の代表となり、城内実は自民党に復党したことを申し添えておく。

現在の「脱原発」の一部に見られる動きも、これと同じではないかと私には思える。たとえば、池田香代子氏は今年初めに発足した「脱原発杉並」の呼びかけ人として、右翼で核武装論者の西尾幹二氏に声をかけたが、打診を受けた西尾氏が出した条件が、「超党派であること」だったという。それを受け入れてか、池田氏は「官邸前デモはイデオロギーフリーでなければならない」という意味の主張をしていると私は解しているが、池田氏の言っていること自体が「右翼とでも『共闘』しなければならない」という強烈なイデオロギーだろう。

そこに私は「大政翼賛会」の匂いをかぎ取る。小沢新党「国民の生活が第一」との共闘を公言する社民党からは、自ら進んで「大政翼賛会」に身を投じた先人たちの悪しき伝統が、同党にまだ残っていることを感じさせる。

「大政翼賛会」といえば、「民自公」3党の談合体制もまさにそうなのだが、民自公を第一極として、それに対抗して第二極としてまとまろうとする動きもほの見える政治勢力にもまた、同様の体質が感じられるのである。

大衆も捨てたものではないと私が思うのは、彼らが「『右』も『左』もない」的な主張を前面に押し出し始めると同時に、運動の勢いにかげりが見えるようになったことだ。

これは、「脱原発」を求める声自体が下火になったことを決して意味しない。「脱原発」の声自体が非常な高まりを見せているのは、7月16日の「さようなら原発10万人集会」が、主催者発表で17万人、警察の推計で7万5千人の参加者を集めたことからも明らかだ。

要するに、単に一部の人間の「『右』も『左』もない」という妄言が受け入れられていないだけの話である。山口県知事選で飯田哲也への支持がいまいち大きな勢いにつながらなかったことも、それと通底している。
昨日(16日)、東京・代々木公園で行われた「さようなら原発10万人集会」に参加した。朝日新聞(7/17)は1面でこそ報じていないが、社会面の左側にかなり大きな記事が掲載されている。参加者は主催者発表で17万人、警察は公式発表はしていないが、「警察関係者によると」約7万5千人だったという。一般の参加者も多く、「10万人集会」の看板に偽りなしであって、「脱原発」を求める声は世論に定着してきたと言える。

一方、このところニュースとなっているのは、政府が2030年の原発依存度目標を2か月で決定しようとしていることに絡んで行われている意見聴取会での「やらせ」問題だ。政府は、総発電量に占める原子力(核分裂エネルギー)発電の比率の数値目標として、0%、15%、20~25%の3つの選択肢を提示しているが、仙台や名古屋で行われた意見聴取会で、東北電力の執行役員や中部電力の現役社員が原発推進の立場から意見を述べ、「やらせ」との批判を受けている。小泉政権時代の「タウンミーティング」を思い出させる話だ。

「やらせ」以上に問題だと私が思っていることがある。昨夜の『報道ステーション』で朝日新聞編集委員の三浦俊章(この記者自身はコウモリのような男だ)が「3つ選択肢を挙げることは、真ん中の選択肢に持って行こうとする誘導だ」と指摘したこと、さらに同じ番組で、「2030年の原発依存度15%」は、原発の「40年廃炉」の原則を守り、かつ原発の稼働率が70%と仮定した場合、新たに原発を2基増設しなければならない数字であることが示された。現実には、2008年の原発の稼働率は60.0%、09年が65.7%、10年が67.3%であり、さらに今後既存の原発はどんどん老朽化(「原子力ムラ」用語では「高経年化」)していくから、原発を増設するか、原子炉の「40年超」の運転を認めるかのいずれかを前提とした数字、それが「15%」であるといえる。つまり、全然「脱原発」でないどころか、「原発推進」に近い「原発維持」の目標数値なのである。こんなのは当たり前のことであり、当ブログか『kojitakenの日記』かのどちらだったかは忘れたが、以前にも書いた。しかし、このことをマスメディアがはっきり報じたのを見たのは、昨日が初めてである。

『報ステ』には昨日の橋下徹の発言も映し出されていた。橋下は、「民主党は『15%』を目標に選挙を戦うつもりだろう。大阪市は『0%』を目標とした案を出す」と言っていた。大飯原発再稼働容認でいったんは「転向」したかに見えた橋下は、再び「脱原発」を争点に「維新の会」の候補者を大量に立てて総選挙を戦うつもりだと考えた方が良い。

一部には、先日橋下が野田佳彦首相(「野ダメ」)を持ち上げた発言をとらえて、「民主・自民・維新」の「大政翼賛会」結成の流れだ、とする論調があった。しかし私はこの説はとらない。他の一部に指摘されているように、橋下が小沢新党「国民の生活が第一」に「TPP賛成」を掲げろと迫るものだと解している(事実、「国民の生活が第一」は事前の予想に反して「TPP反対」の主張を鮮明にせず「慎重」にとどめている)。私が想定しているのは、「自民+民主」を軸とした「保守第一極」と、「維新+みんな+国民の生活が第一」を軸とした「保守第二極」の対決構図であり、現在の選挙制度が小選挙区制中心である以上、どうしても「二大勢力の対決」構図にならざるを得ないのだ。

そうはいっても、互い二大政党である自民党と民主党が、同じ選挙区に候補者を立てないわけにはいかない。一方、維新、みんな、国民の生活が第一は、小沢一郎の「オリーブの木」構想ではないが、棲み分けができる。東祥三と柿沢未途が競合する東京15区のような例もあるが、どちらかが隣の選挙区に移るなどする可能性がある。

こう書くと、「TPP推進のみんなの党と反対の国民の生活が第一が組むはずない」という、小沢一郎びいきの人たちからの反論がくるかもしれないが、小沢一郎自身が「政策は大道具、小道具」と言っていることを思い出すべきだろう。それに何よりの脅威は小沢一郎や渡辺喜美ではなく、橋下徹である。

自民党の中でも、安倍晋三などは谷垣禎一と合わないし、民主党がくっついてくるのはまっぴらごめんだから、橋下と組む可能性もあるし、橋下も自民党を二つの割るのが狙いだという話もある。安倍晋三が「脱原発」を掲げるとは信じられないけれども、現に山口県知事選では、あの「ノーパンしゃぶしゃぶ」元官僚の山本繁太郎が「脱原発依存」を掲げて飯田哲也を振り切ろうとしている。

政治の世界には「何でもあり」なのだろう。
今週の政局は、明日(26日)行われる消費税増税法案をめぐる駆け引きが話題の中心になると思うが、これに関してあれこれ書いたところで予想は当たらないだろうし、私自身は法案には反対だが、社共は別として民主党小沢派やみんなの党の反対論と民自公の対立構造は、言ってみれば数年前の自民党の「増税派」対「上げ潮派」の争いと同じで、新自由主義勢力の分派同士の争いにしか見えない。

私は消費税増税法案そのものには反対だから、その意味で小鳩派の動きを見ているが、だからといって彼らへのシンパシーは感じない。彼らの親分である小沢一郎は、「減税真理教」もとい「減税日本」の河村たかしを支援したり、日本でもっとも酷薄な新自由主義政治家・橋下徹にすり寄ったりする人間である。

私は血眼になって消費税増税法案の成立を焚き付けている朝日新聞の社説を評価しないが、その朝日の社説も小沢一郎批判の部分にだけはうなずけるものがある。6月23日付社説で離党届に署名した小沢派の議員の多くがそれを小沢氏に預けたことを、

 最後まで自分で判断し行動する姿勢を放棄し、「親分」に身の処し方を委ねるかのようだ。小沢氏に世話になっているのが事実でも、民主主義国の国会議員のふるまいとは思えない。

として批判しているが、これはその通りであって、河村たかしを支援したり橋下にすり寄ったりする政治屋に離党届を預けるような政治家など、到底信を置くに値しない。だから私は小鳩派には全くシンパシーを感じないのである。もちろん民主党主流派や自民・公明、あるいは法案に反対するみんなの党や国政進出をうかがう橋下「大阪維新の会」も支持しない。橋下に関しては最近の当ブログがメインのターゲットにしていることは読者の皆さまはよくご存じのことと思う。

消費税増税法案以外で最近気になるのは、原発をめぐる問題である。再稼働問題は、再稼働そのものよりも、今後のエネルギー政策を何一つはっきりさせないままに野田政権がなし崩しに再稼働を進めようとしていることが問題だ。

「脱原発」派にも、上杉隆、早川由紀夫、木下黄太、ブログ『院長の独り言』などのトンデモがはびこっているし、橋下徹のブレーンになったり、「脱原発に頑張る橋下市長を応援しよう」と言い出す人士が現れるなど、いろいろと問題はあるが、彼らを批判する勢い余って、とっくに破綻が明らかになって世界各国はみな手を引いている「核燃料サイクル」計画を温存しようと原子力委員会が秘密会議を重ねていたことを暴いた毎日新聞のスクープ(5月24日)までもがネットで「トンデモ」「誤報」扱いされた。江川紹子氏が結果的に(その意図はなかったと思うが)この誤解を拡散する手助けをした。このあたりから「脱原発」の勢いが一時的にそがれ、そのタイミングを見計らったかのように、5月31日に大阪市長・橋下徹がそれまでの「脱原発」のポーズから、「大飯原発再稼働容認」へと転じた。

政権は、これで突破口が開けたとばかり、四国電力の伊方原発、九州電力の玄海原発、北海道電力の泊原発などのなし崩し再稼働を進めようとしている。さらに看過できないのは、原子力基本法に「安全保障に資する」という文言を自民党の要求を受け入れて挿入したことだ。その間の審議はわずか4日。6月21日付の東京新聞が1面トップで大きく報じ、22日付朝日新聞、23日付毎日新聞がそれぞれ社説でとりあげて批判した。

この件で思い出したのは、昨年8月16日に自民党の石破茂がテレビ朝日の『報道ステーション』で発した妄言だ。『kojitakenの日記』でこれを取り上げて、「石破茂、「『脱原発』をしてはならない。核兵器を開発する能力を保つために原発は必要だ」と驚天動地の妄言を炸裂!」という長いタイトルのエントリにした。以下再録する。

いわゆる「リベラル」と称される人たちの中にも、石破茂とかいうキチガイを評価する向きがあるが、その石破が『報ステ』でトンデモ発言を炸裂させた。

石破は、「脱原発」に反対を表明。そして、その理由として、原発を持つことは一年以内に核兵器を開発できるということを意味し、これはすなわち抑止力である。中国・北朝鮮・ロシア・アメリカといった日本の周辺諸国がすべて核を持っている中で、日本が核を放棄していいのか。なんとそんな意味のことを言っていたのだ。

開いた口が塞がらないとはこのこと。石破なんかを評価してきた自称及び他称「リベラル」たちは、直ちに全員懺悔せよ。


これを書いた時には、右翼や保守派ばかりではなく、石破茂びいきの自称及び他称「リベラル」たちからも批判を受けたが、現実に石破のような主張が「原子力基本法」の改定に取り込まれたわけだ。

「核燃料サイクル」計画の延命や原子力(というより核分裂エネルギー利用)を「安全保障に資する」と位置づけることは、そもそも「脱原発」を大方針にするならあり得ない政策であり、その「トンデモ」の度合いは、上杉隆、早川由紀夫、木下黄太、「院長の独り言」などの比ではないほどひどい。しかし、小さな「トンデモ」を気にして批判するけれども巨大な「トンデモ」には気づきもしない(たとえば核燃サイクルの継続と原発再稼働を同列に並べてとらえてしまうような)自称「脱原発派」が少なくないことは憂慮すべきことだ。

さらに憂慮すべきは、このまま自民党が政権に復帰してしまうと、上記のような「3.11」を経ながらの核分裂エネルギー(いわゆる「原子力」)政策の「焼け太り」という事態が現実のものになりかねないことだ。私は、「野ダメ」(野田佳彦)というのは消費税増税法案の政局がこじれた場合、民主党の惨敗が必至の解散総選挙をやりかねない人間だとにらんでいる。というのは、いくらなんでも現職総理大臣である野田自身の落選は考えにくいし、少数政党に転落した民主党は、仮に自民党が過半数を制した場合(橋下「維新の会」が国政に進出しない限りそうなると思う)でも自民党と連立を組み(民主党は数十議席に転落するだろうから、もはや「大連立」とさえいえない)、次の次の選挙では民主党は自民党に吸収され、野田は自民党候補として立候補し、自民党の政治家として残りの政治家人生を歩むだろうからだ。

私は野田佳彦というのはそれくらいの「狂気」を秘めた人間だと思うし、小沢一郎は昨年の民主党代表選でそんな野田の正体に気づかず、野田を甘く見ていたとしか思えない。小沢一郎はおそらく9月の代表選で勝負をかけるつもりでいたのだろうけれど、野田がそれまでに解散総選挙を仕掛ける公算が強くなってきたので、分裂・新党結成への動きを余儀なくされているのではないかと私は見ている。つまり、かつての自民党分裂の時とは異なり、小沢一郎は政局の主導権を握れていない。だが、しょせん小沢は橋下徹に色目を使うような人間。現在の窮状は自業自得としか思えない。

そんなことより、民自公の暴走を何としてでも止めなければならない。たとえば、核分裂エネルギー政策関連では、大飯原発再稼働反対の官邸前デモの規模をさらに拡大して空前のものにして、野田政権に大きなプレッシャーをかけることなど。

これで自民党が政権復帰してしまうと、もう「革命」しか選択肢がなくなってしまうかもしれない。
「野ダメ」こと野田佳彦首相が8日、大飯原発再稼働の方針を表明した。昨日(10日)放送されたTBSテレビ『サンデーモーニング』では、野田首相が就任した時から規定の方針だったのではないかとか、再稼働を明言することがリーダーシップだと勘違いしているのではないかなど、司会者やコメンテーターたちからさんざんな非難を浴びていた(昨日は悪名高い原発推進派の寺島実郎は出演していなかった)。

しかし、金子勝氏のTwitterを見ると、『サンデーモーニング』のような番組はむしろ例外で、「大飯再稼動問題は国民的関心事なのに多くの番組も回避」しているのだそうだ。

再稼働そのものにもまして問題なのは、野田首相が「原発政策の道筋を示していない」ことだ。たとえば朝日新聞編集委員(元論説委員)の竹内敬二記者は、「すべての原発を動かさないのも、多くの原発をなし崩しで再稼働するのも現実的ではない」とする立場をとるが、「事故の検証と総括がないまま再稼働すれば、再び大事故が起きるのではないかとの不安が消えない」、「事故の分析をふまえた根本的な安全対策や基準はまだできていない」、「電力不足について、政府や電力会社は突き詰めた電力需給のデータを示していない」などとして拙速な再稼働に反対した。同記者は「このまま政府が再稼働を押し切れば、国民との信頼関係は再び崩れ、炉心溶融を起こした東電原発事故に続いて、失敗を繰り返すことになる」と警告した。この記事が朝日新聞に掲載されたのは4月14日である(同日付の『kojitakenの日記』で記事の要旨を紹介した)。

しかし、野田首相は竹内記者が「現実的ではない」と評した「多くの原発をなし崩しで再稼働する」という方針をずっと持っていて、タイミングをずっと測っていた。それ以外には解釈できない。

私がこの記事で特に訴えたい対象は、「そうはいっても原発を再稼働しなければ関西が電力不足になってしまうんじゃないか。再稼働は仕方ない判断だ」と思われている読者、その中でも特に「基本的には脱原発が望ましい」との考えを持っておられる読者の方々である。現状の延長線上には、「多くの原発のなし崩し再稼働」しかあり得ないことを知っていただきたいのである。漠然と、「そうはいっても民主党政権下では緩やかな『脱原発』が進むだろう」などと楽観視しているあなた。事態はあなたが期待しているようには決して推移しない。

このところの原発をめぐる議論は何から何までまやかしだらけだ。たとえば「2030年の原発依存度15%」がいかにも「脱原発依存」の中庸の解であるかのような誤った印象操作がなされているが、『kojitakenの日記』の昨日(10日)の記事「『野ダメ』と関電の黒い企みを許すな」で指摘したように、原発の「運転開始から40年で廃炉」の原則を破って「40年超」の運転を認めるか、原発を新規に建設するかのいずれかを行わない限り、「2030年の原発依存度」を15%に保つことなどできない。何もしなくても、老朽原発が年を追って増えるため、自動的に原発依存度がそれ以下に下がってしまうからだ。つまり、「2030年の原発依存度15%」とは紛れもない原発維持の政策なのである。

私が特に暗い気持ちになるのは、財界を牛耳っている経団連や労働界を牛耳っている連合にそれぞれ強い影響力を持つ「電事連」と「電力総連」のマインドと、多くのメーカーのマインドとの間に大きなギャップがあることを知っているからだ。日本には環境・エネルギー関係の優秀な技術があるが、電事連や電力総連の意を受けた政府の「なし崩し原発再稼働・原発維持ないし推進」の政策は日本の製造業が伸びる芽をあたら摘んでしまうものなのである。実質的に破綻している東京電力や、まともに推移すれば今後10年内に経営が立ちゆかなくなる関西電力を守ることは、日本の産業の可能性を閉ざしてしまうことを意味する。それを痛感するからいやでも気持ちが暗くなる。経団連は決して日本の産業会を正しく代表していないし、電力総連は決して日本の労働界を正しく代表していない。このことを口を酸っぱくして訴えたい。

しかし、守旧的な「野ダメ」こと野田佳彦首相に代表される保守政治家たちはみな無能だから、本来退出を迫られて然るべき「原子力ムラ」を温存しようと躍起になっている。「まず脱原発依存の大方針を明確にする」つもりなど全くない。その必然的帰結として大飯原発3,4号機の再稼働は間違いなくあらゆる原発のなし崩し的再稼働につながる。だから今回の野田首相の再稼働すべきとの意思表示には断じて賛成できないのである。何よりも私が憂えるのは、野田政権や経団連や電力総連や読売新聞や産経新聞が、日本の産業の未来を損ねようとしていることである。それこそ、前回のエントリのコメント欄で小沢一郎支持者(信者?)の風太さんに教えていただいた金子勝・神野直彦両氏の共著(私も早速買って読みました。風太さんどうもありがとう)のタイトルにあるような「失われた30年」を招きかねない。いや、野田政権のあとに現れるのが自民党の政権復帰にせよ橋下「維新の会」政権の誕生にせよ、野田政権よりさらにひどいものになる可能性がきわめて高い(特に後者は最悪だ)から、私はもうこの国の未来に匙を投げたくなり始めている。

そんな私が現在一番イライラしているのが、したり顔で「原発再稼働は仕方ない」と口にして自らを「現実主義者」だと思い込んでいる人たちである。私とて、前記朝日の竹内記者と同様、日本の産業に支障をきたすことを防ぐために、今後原発の再稼働が必要になる局面が生じる可能性もあり得ると考えているが、再稼働の大前提は、竹内記者が簡潔にまとめたように、政府が「脱原発(依存)」の大方針を明確に打ち出すことであり、東電原発事故の検証と総括をなすことであり、根本的な安全対策や基準を作ることであり、突き詰めた電力需給のデータを示すことであり、新しい規制機関を早く立ち上げることだ。だが、そもそも「脱原発」の立場に立たない野田政権はこれらを意図的に怠り、なんとしてでも一刻も早く原発再稼働の既成事実を作ることばかりを考えてきた。だからダメな野田。

国会事故調もひどいものだ。民間事故調とは対照的に、東電及び「原子力ムラ」を免責し、東電原発事故当時の菅直人政権の対応にのみ責任をかぶせようとしている。これまで原発推進政策をとってきた責任をとりたくない二大政党(民主・自民両党)の思惑が反映されている。

特に呆れるのが、大阪で橋下徹の「思想調査」の下手人を務めた野村収也という人物の暗躍である。東電が原発事故を起こした福島第一原発から「撤退」しようとした件については、朝日新聞は東電が全面撤退しようとしたと主張しているし、読売新聞はそれは誤解だと主張している。状況証拠は朝日の主張(及び民間事故調の結論)の方が正しいことを示しているが、野村修也の言動は東電・原子力ムラ・読売・産経・自民党側に立ったものだ。それは、『kojitakenの日記』にも引用した読売新聞記事に端的に示されている。

この件に関して、前記『kojitakenの日記』に寄せられたgreenstoneさんのコメントを紹介する。

greenstone 2012/06/10 18:18

久しぶりにコメントいたします。腹の立つことが多かったもので。
この野村というのは、いわゆる弁護士ではなく商法の研究者である。
なぜ商法の研究者が専門外の原発事故の問題に出てきたのか。
野村は長く政府機関で仕事をしてきたこと、そして企業法たる商法の専門であったことから、官僚利権、電力業界の利益を代弁してくれることが期待されたのでしょう。
私は、菅元首相の事故対応は本人が語るような最善のものからは程遠いと思います。
批判検討は十分になされるべきです。
しかし、あの事故で経産省東京電力が事故対応を主導していたらどうなっていたか。
最終的には米軍が主導し自衛隊が実行部隊として収束を図ることになったと思います。


橋下の下手人・野村修也とはそういう男らしい。道理で橋下があっさり原発再稼働を容認するわけだ。橋下は「停電リスクに怖気づいた」などと言っているが、事故の究明も総括もなく、安全基準もないまま、事故を起こしたものと同じカテゴリのプラントを稼働させるリスクについてはとんと念頭にないようだ。こんな人間を「脱原発に頑張っている」など評価してきた人たちは、まことにおめでたいとしか言いようがない。

「野ダメ」も橋下も、もう顔も見たくないが、当分の間はいやでも見せつけられるのだろう。いい加減うんざりする。
今週のニュースの焦点は関西電力の大飯原発3,4号機の再稼働の問題だろう。

野田佳彦(「野ダメ」)首相は何が何でも5月5日の北海道電力・泊原発3号機が定期検査のために停止するまでに大飯原発再稼働にこぎつけようと必死になっている。一昨日(7日)の毎日新聞は下記のように書いている。
http://mainichi.jp/opinion/news/20120407ddm003040034000c.html

クローズアップ2012:福井・大飯原発、来週にも要請 再稼働ありき、新基準

 野田佳彦首相と関係3閣僚は6日、初会合を3日に開いてから3度目の協議で「安全性に関する判断基準」を取りまとめた。判断基準からうかがえるのは関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を突破口に他の原発の運転再開につなげたい「再稼働ありき」の意図といえる。国内で唯一稼働している北海道電力泊原発20+件3号機(北海道泊村)が定期検査に入るのは来月5日。経済産業省は「それまでに大飯を再稼働できなければ原発がゼロになり、再稼働のハードルがさらに高くなる」(幹部)との危機感を強めている。

 ◇「実施済み」焼き直し

 「地元から求められたことへの一定の答えになっている」と枝野幸男経済産業相は語った。だが、安全かどうかを判断するために政府が導入した3本柱の基準は、東京電力福島第1原発事故直後に電力各社が講じた緊急安全対策と、安全評価(ストレステスト)1次評価の焼き直しに過ぎない。時間のかかる対策は、電力会社に実施計画を示すよう求めたが、その妥当性の判断指標は示されず、「努力目標」の域を出ない。

(毎日新聞 2012年04月07日 東京朝刊)


このような解説記事を載せる毎日のほか、朝日、中日(東京)などが「原発再稼働は時期尚早」との立場をとるが、読売、産経、日経などは早期の原発再稼働を求める立場である。消費税増税に関しては全国紙の論調はすべて一致してこれを求めているが、原発再稼働に関してはまっ二つに割れている。但し、朝日や毎日は「いかなる原発再稼働も認めない」という立場ではなく、本当に大飯原発の安全性が確保されているのか(同原発には免震事務棟もない)、あるいは夏場に本当に電力供給が不足するのか、それらが明らかにされないまま「原発再稼働ありき」で暴走する野田政権を批判するという立場に立っている。

とはいえ朝日・毎日でさえこの程度の主張はするのに、政府、経産省や読売・産経などの宣伝をころっと信用してしまって「夏場の電力不足は明らか」だとTwitterで発信したのが江川紹子である。
http://twitter.com/#!/amneris84/status/188091931375579137

原発の再稼働ができなければ関西での夏場の電力不足は明らかだし、周辺自治体などが容易に再稼働に賛同しないことは分かっていたと思うのだけど、政府はなぜ今になってあたふた(と見える)しているのだろう。もっと早く、需給の数字を元に、廃炉何基、再稼働は何基必要という目標を出せたのでは?


これに対して、大阪市特別顧問の飯田哲也が反論している。
http://twitter.com/#!/iidatetsunari/status/188443592417751040

江川さん「明らか」ではありません。大阪府市エネ戦略会議資料( http://goo.gl/kLgSR )をお読みください。需要側管理を柱とするピークマネジメントで対応できます RT @amneris84: 原発の再稼働ができなければ関西での夏場の電力不足は明らか


これらのTwitterを見て思い出すのは、江川紹子はつい最近上杉隆と袂を分かって「自由報道協会」を脱退したとはいえ、それまでは同協会の会員だった、いわゆる「小沢信者」であって、飯田哲也は「橋下徹に取り込まれた」脱原発派の代表的論者だという事実だ。昨年、「脱原発」を打ち出そうとした(結局「脱原発依存」に後退した)菅直人内閣への自公の不信任案提出を煽った小沢一郎が、原発再稼働に狂奔する野田佳彦に対してはそれをとがめ立てもしない一方、野田政権を激しく批判して「そんなに民主党政権が原発を再稼働したいのなら解散して国民に信を問え」と吼える橋下徹の対照が、そのまま両政治家に近い(と思われる)江川、飯田両氏のTwitterに反映されているように私には見えるのである。

「野ダメ」政権の姿勢で特に目につくのは、枝野幸男の腰の定まらない様子である。枝野はかつて、今夏は原発稼働なしで乗り切れるとの見通しを示しながら、その後野田首相の「原発再稼働」路線に同調し、かと思うと今月2日の国会では福島瑞穂社民党党首の質問に答えて「現時点では原発の再稼働に私も反対だ」とまで明確に言い切りながら、翌日には早くも前言を翻した。枝野のこれらの言動は、間違いなく国民の野田政権に対する心証を悪化させた。このまま「野ダメ」政権が大飯原発再稼働を強行した場合、ただでさえ低い内閣支持率はさらに下がり、消費税増税の件と「合わせて一本」で、9月の民主党代表選で野田佳彦は退陣に追い込まれるだろう。

「野ダメ」が解散を強行するのではないかとの観測もあるかもしれないが、週刊誌の最新号などで総選挙のシミュレーションの記事が出ていて、それによると「大阪維新の会」は大阪・京都などで爆発的なブームを巻き起こし、前原誠司や谷垣禎一も落選の危機にある、などと書かれている。こんな情勢では野田佳彦とて簡単には解散できないし、谷垣禎一もうかつに解散を求めづらいため(かといってこのままでは9月の自民党総裁選で「野ダメ」ともども引きずり降ろされてしまうのだが)、早期の解散総選挙は考えにくい。民主、自民とも「維新の会」に対しては、裏で賞味期限切れを期待しつつ表で橋下にすり寄るだろう。さらに石原慎太郎や小沢一郎も「橋下との連携」が「喉から手が出るほど欲しい」のが本音だろう。但し、小沢一郎をめぐる情勢は、4月26日に小沢の判決が出るまでは動かないものと思われる。

そんなこんなで、橋下はいまや日本の政界の最大のキーマンになってしまった。最近の私は、もっぱら「はてなダイアリー」の『kojitakenの日記』を中心に記事を書いているが、小沢一郎について書いた記事のアクセス数はきわめて少なく不人気を極める一方、橋下徹について書くとたちまちアクセス数が増えて、「橋下信者」からブーイングを浴びる状態が続いている。たとえば、橋下が大阪市音楽団を潰そうとしていることを批判した4月7日付記事「大阪市音楽団を廃止しようとする橋下徹を選んだのは大阪市民」などがその例だ。

ますます強まる「ハシズムの脅威」にため息しか出ない今日この頃である。
1970年代から80年代にかけて内橋克人が『夕刊フジ』に連載した『匠の時代』は当初サンケイ出版から出版され、のち講談社文庫に収められて、今年4~9月に岩波現代文庫から出ている。製造業の技術者たちが苦労して製品を開発した話が中心で、ひところNHKテレビで放送されて人気を博した『プロジェクトX』を先取りしたともいえる著作だ。

岩波現代文庫版では今年新たに書かれた「緒言」が付記されているが、全6巻の後半3巻に付記された「緒言その2」に、内橋克人は下記のように書いている。

「FEC自給圏」の形成に向けて

 日本と日本人はいま根源的な「成長概念の問い直し」を迫られている。

 たとえば「原発安全神話」のうえに築かれたエネルギー政策は行き詰まった。エネルギー多消費型産業と消費のあり方、それらを前提とした経済成長追求の慣性(イナーシャ)は断ち切られた。過去、原発への強引にして過剰なる依存政策推進、すなわち国策が、結果において「エネルギー選択」の幅も自由も狭めてしまった。その咎が厳しく自らのうえに跳ね返る。そのタガを取り外すときがきた。

 東北の復興では「FEC自給圏」の形成を目指すべきだ。Fは食料(フード・農)、Eは自然の再生可能エネルギー、Cはケアとコミュニティー再生。それらを地域内で自給していくシステムの構築である。もう長い時間、筆者がつづけてきた主張だ。

(内橋克人『匠の時代』第4~6巻(岩波現代文庫, 2011年)「緒言その2」より)


このように書く内橋克人が大のTPP反対論者であることはいうまでもない。たとえば、今年2月8日に『農業協同組合新聞 JAcom』のサイトに掲載された記事「異様な『TPP開国論』歴史の連続性を見抜け 内橋克人氏講演会」(下記URL)などを参照されたい。
http://www.jacom.or.jp/tokusyu/2011/tokusyu110208-12482.php

ところが、現在の野田政権(「野ダメ政権」)はTPPを推進しようとしている。TPP推進は昨年、菅前首相が大々的にぶち上げたものの、今年3月の東日本大震災以後は店晒しにしていた。菅直人のTPP推進は、「原発輸出」の制作とともに、仙谷由人、野田佳彦、前原誠司らの支持を受けて昨年6月に民主党代表選に当選した見返りとしての「妥協」の産物であったように思われる。菅は東電原発事故を奇貨として「脱原発」に転向するとともに、6月の不信任案否決の際に近い将来の退陣を約束させられたこともあって、TPPへの熱意を失ったように見える。

しかし、菅退陣を受けて成立した野田政権は、もともと原発再稼働、TPP推進、消費税増税、辺野古移転を「4つの柱」にしているかのような極悪政権だから、これら4つに狂ったように邁進している。

内橋克人は原発について「慣性(イナーシャ)は断ち切られた」と書いた。中長期的にはその通りだと思うが、現在の日本を支配している経団連にとっては「慣性が断ち切られ」ては困るのである。そして官僚は変化を嫌うし(彼らは自らの仕事を増やす厄介ごとが嫌いで楽をしたいだけである)、政治家は財界と官僚の意を受けて動く。つまり永田町と霞ヶ関の論理においてはまだ「慣性が断ち切られ」てはいないのであり、野田佳彦は典型的な「慣性に従って行動する」タイプの政治家だ。

私はある意味、この野田佳彦は日本でもっとも総理大臣にしてはならなかった人物であり、その悪質さにおいてここ数代の総理大臣で野田と比較できるのは安倍晋三だけだと考えている。そんな人物を代表にしてしまった民主党は、近い将来滅びるほかはないとも思っているが、その責任の多くは「トロイカ」に帰せられるものだろう。「原発輸出」と「TPP推進」の旗を振っていた菅直人の責任はいうまでもないが、小沢一郎もまた典型的な風見鶏であり、TPPの政局においても静観を決め込んでいる。「脱原発」にも踏み込まなかった小沢は、事実上「原発再稼働」と「TPP推進」を容認しているようなものだ。小沢もまた、「永田町と霞ヶ関の慣性」に従って動く「政治屋」に過ぎず、そんな小沢一郎にすがる「リベラル・左派」が少なくない現状は、日本にとって百害あって一利なしだと考えている。鳩山由紀夫が菅・小沢以下の論外であることはいうまでもない。

ついつい「トロイカ」の悪口に話がそれたが、野田政権の異名として「野ダメ政権」の他に「野惰性犬」というのも思いついた、というよりタイプしているうちにそういう誤変換が現れたものだが、野田政権とは「惰性で動く野犬ならぬ(財界やアメリカの)飼い犬」にほかならないと言いたくなる。ところが、毎回にように書くことだが、菅直人に対してはあれほど人格攻撃まで辞さなかったマスコミが野田佳彦にはいたって甘い。だから野田内閣の支持率は発足直後と比較して少し下がった程度であり、鳩山内閣や菅内閣とはずいぶん違う。

原発問題に関しては、東電原発事故が起きた福島では完全に「慣性(イナーシャ)は断ち切られた」といえるだろう。また、今朝(10月26日)の朝日新聞オピニオン欄に掲載されている自治体首長のインタビューを読むと、村上達也・茨城県東海村長は日本原子力発電東海第二原発の廃炉を求め、西原茂樹・静岡県牧之原市長は浜岡原発の永久停止を求めている。後者にはスズキが「原発を再稼働させたら工場を浜松近辺に移転するぞ」と圧力をかけている影響も大きい。スズキの影響は同社が支援する極右政治家・城内実にも及んでいて、城内は「脱原発」を主張している。このレイシスト政治家の唯一の取り柄といえるだろう。

朝日のインタビューで異彩を放っていたのは福井県敦賀市長・河瀬一治である。新聞に載っている顔写真を見ても、村上村長・西原市長の2人と河瀬では全く印象が異なり、早い話がヤクザのような容貌だ。見てくれが悪くとも中身が立派なら良いのだが、中身も最悪であり、ひたすら関西電力敦賀原発の増設を求めている。「特に市民に喜ばれているのは、電源三法のお金を使ったサービスです」と河瀬がほざいているのを見た時には、新聞を破りたくなった。本当に「電源三法交付金」が敦賀市を発展させたのか。検証が必要だろう。

敦賀市といえば、前市長・高木孝一が1983年に発した暴言があまりにも悪名高いが、その高木でさえ、1995年の市長選で河瀬に敗れた前年には、次のように発言している。

私どもは、ずっと何十年前から、いわゆる日本国の政府等が日本国家としてどうしてもこれをやっていかなければならないところの国策であるというふうに、原子力発電所の推進方についていろいろと言われまして、そのことに相呼応してやってきておるというのが最大の基本理念であります。(中略)こうしたことで最近特に地域社会から迷惑施設とまで言われておりますけれども、こうしたものも私の敦賀市にも4基ございます。日本では45基が稼働いたしておりますし、さらに7基が建設中でありますが、私どもの、福井県の嶺南地方と言っておりますけれども、いわゆる若狭地区であります。若狭地区には、あの狭い土地柄において15基の発電所が実はあるわけでございまして、これもなかなか本当に大変でございましたけれども、ただ今申し上げましたような理念に基づいてこれに協力してまいったものでございます。

ですから国策ということを最重点に置いてもらわなければならない。ところが、1つの例を挙げてみましても、やはり若狭には旧態依然たる国道27号線1本しかないわけであります。

(「長期計画改定に関するご意見を聞く会」会議録、1994年3月4日、5日=高木仁三郎『原子力神話からの解放 日本を滅ぼす九つの呪縛』(講談社+α文庫, 2011年=初出は光文社, 2000年) 184頁より孫引き)


つまり、高木孝一は国策に従って原発を誘致したけれども、道路さえ引かれていないと愚痴っていたのだ。さらに高木は、「私どもも決して、原子力発電所がいい、ほれ込んでやっているんじゃないんですよ」とまで発言していた。ところが現市長の河瀬の発言は、17年前の時計の針をさらにその11年前に戻している。

何より問題だと思うのは、河瀬にとって福島県の東電原発事故は「他人事」に過ぎないことだ。河瀬のような人間を市長に選んだ敦賀市民の責任も重い。同じことは、青森県・下北半島で原発を誘致している自治体にもいえる。東電原発事故の前なら、「国策の犠牲になった」という側面を考慮しなければならなかったが、東電原発事故後も政策を変えないということは、「人の痛みを感じようとしない」悪魔の所業というほかあるまい。

そして、経団連と官僚と保守政治家仲間の世界に働いているイナーシャに従って「安全運転」をしているつもりの野田佳彦も河瀬らと同じ非難を受けなければならないのは当然のことだ。野田の場合、前政権が腰が引けていたとはいえ「脱原発依存」を打ち出したのに、それさえ「なかったこと」にしてしまった悪逆非道ぶりであり、河瀬一治をはるかに凌ぐ「ヤクザ的政治家」だと断定せざるを得ない。

「野ダメ」が日本を滅ぼす、と言いたいところだが、何も野田佳彦一人でこんなことになっているわけではなく、日本の政治・経済がシステム的にダメになっているとしか思えないことに脱力感を覚える今日この頃だ。
一時ブログで絶大な人気を誇った池田信夫(通称ノビー)という男がいるが、最近は池田ブログにつく「はてなブックマーク」の数もめっきり減り、ノビーの人気が凋落して「池田信者」が激減していることがよくわかる。

そのノビーが2008年に有馬哲夫氏の『原発・正力・CIA』(新潮新書, 2008年)の書評を書いている。その一部を引用する。

本書では原発が中心になっているが、著者の前著『日本テレビとCIA』とあわせて読むと、冷戦の中でメディアとエネルギーを最大限に政治利用した正力松太郎という怪物が、現在の日本にも大きな影響を残していることがわかる(これは『電波利権』にも書いた)。正力は暗号名「ポダム」というCIAのエージェントで、米軍のマイクロ回線を全国に張りめぐらし、それを使って通信・放送を支配下に収めるという恐るべき構想を進めていた。

この「正力構想」はGHQに後押しされ、テレビの方式はアメリカと同じNTSCになったが、彼が通信まで支配することには電電公社が強く反対し、吉田茂がそれをバックアップしたため、正力構想は挫折した。しかし、そのなごりは「日本テレビ放送網」という社名に残っている。そしてGHQが去ってからも、正力はCIAの巨額の資金援助によって「反共の砦」として読売新聞=日本テレビを築いた。同じくCIAのエージェントだった岸信介とあわせて、自民党の長期政権はCIAの工作資金で支えられていたわけだ。

正力が原子力に力を入れたのは、アメリカの核の傘に入るとともに、憲法を改正して再軍備を進めるためで、最終的には核武装まで想定していたという。しかしアメリカは、旧敵国に核兵器をもたせる気はなく、正力はCIAと衝突してアメリカに捨てられた。しかし彼の路線は、現在の渡辺恒雄氏の改憲論まで受け継がれている。こうした巨大な政治力を使えば、電波利用料で1000倍の利益を上げるなんて訳もない。


文中の太字部分はノビーのブログによる。「暗号名『ポダム』というCIAのエージェント」だったという読売新聞社主・正力松太郎だが、正力はアメリカの言いなりだったわけではなく、amazonのサイトに掲載されている読者レビューに指摘されているように、正力松太郎とは「世界一の謀略機関と恐れられるCIAすら己の権力のために利用しようという常人離れした思考」の持ち主だった。だから、最終的に「CIAと衝突してアメリカに捨てられた」のである。

現在、極右の一部は小林よしのりに象徴される「反米右翼」となっているが、小林のスタンスは「反米・核武装」のための「脱原発」である。いくら「脱原発」では同じだと言ったって、こんなのと「共闘」できるはずがないのは当然だろう。

上記のノビーのレビューはまあ普通に読めるものだが、そのノビーが最近書いた「朝日新聞の『第二の敗戦」』というブログ記事は実にひどい代物だ。あまりにひどいので、『kojitakenの日記』に「「旧来右翼」に過ぎない正体を露呈したノビー(池田信夫)」と題した記事を書いた。しかし、何か書き足りないものがあるなあと思っていたら、Gl17さんのコメントが鋭く突いていたので、以下に引用する。

Gl17 2011/10/02 14:08

「可能か不可能かを考えず、理想を掲げて強硬な方針を唱える姿勢」

↑原発は安いんだ!とお題目を唱えて、安全が確保できるのか、廃棄物どうするのかetcといった問題を無視する池田氏みたいな人のことですね。

毎度毎度、旧軍や戦前批判にかこつけてサヨクをDisるのがノビーの定番になってますが、大概の場合はもうかなりムリヤリで、あまり論理的ではありません。
恐らく、ソレが自己へ向けられるべき批判論理であるのは彼自身が周知だからこその行動でしょう。
先回りして言ってしまえば、自分は言われる側でなくなると思ってるのだろうと。

右派が批判される理路を左派へ強引に当て嵌めるのは産経などもよくやってますね。
戦前の日本が自らその強硬方針で破滅に至ったのはもう否定しようがありません、それは右派の原罪的なトラウマです。
それを少しでも慰撫しようと、批判側の左派へ「言い返す」という情動に逆らえないんでしょうね。
そもそも戦前の翼賛報道を批判するなら、つまり右派的政権や保守派へ阿るなという話にしかならないハズなのに、その根幹はスルーしちまう辺り・・・。


要するにノビーはもう詭弁を弄するくらいしかないほど「手詰まり」だということなのだろう。

正力松太郎の社論を正力没後40年以上が経つ今なお墨守している読売新聞も、惰性で原発を守ることが自己目的化した記事を書いているに過ぎない。ところがその原発の正力松太郎にとっての位置づけといえば、「核武装を視野に入れる」という一応の大義名分はあるけれども、実際のところは「総理大臣を目指す大政治家にふさわしいスケールの大きな政策」といった程度のものだった。前記有馬哲夫氏にインタビューした「ビデオニュース・ドットコム」のサイトから引用する。

正力はほどなく一つの結論にたどりつく。それは、野望を実現するためには自らが最高権力者、すなわち日本の首相になるしかない、というものだった。そして、正力は同じく当時将来が嘱望されていた原子力発電は、そのための強力なカードになると考えた。しかし、正力の関心はあくまでマイクロ波通信網であり、原発そのものは正力にとってはどうでもいい存在だった。


正力にとってその程度に過ぎなかったものが、日本に多大な災厄をもたらした。それにもかかわらず未だに原発を擁護するノビーやナベツネを筆頭とする読売新聞記者どもが妄言を書き連ねて世に害毒を流している。

正力松太郎は「新聞の生命はグロチックとエロテスクとセセーションだ」という迷言を残した人物だ。国会の答弁で「核燃料」を「ガイ燃料」と発音していて社会党議員に訂正されたというエピソードも残している。大衆操縦の大家だったが、知性的な人物とはいえなかった。警視庁時代に起きた関東大震災では、朝鮮人暴動の流言を撒き散らして朝鮮人虐殺を引き起こしている。戦争に協力したとしてA級戦犯容疑で逮捕されたが、実際には戦時中の読売新聞は戦争を煽ったというより戦場の刺激的な写真を紙面に掲載するなどしてセンセーショナリズムによって売り上げを伸ばしていたのだった。本当に戦争を煽ったのは朝日や毎日のような、読売と比較すれば「硬派」の新聞だった。

雨宮処凛氏の近著『14歳からの原発問題』(川出書房新社, 2011年)で著書の雨宮氏が東京大学大学院生にして「『フクシマ』論 - 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社, 2011年)の大著のある開沼博氏に「ガイ燃料」と発音した正力について「バカなんですか?」と訊くくだりがあって吹き出してしまったが、繰り返すけれども原発とは正力にとってその程度のものに過ぎなかった。もちろん開沼氏もその意味の答えを雨宮氏に返している。

「その程度のもの」に現代日本に住むわれわれがいつまでも振り回されるなんて不条理は、もういい加減やめにしようではないか。