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きまぐれな日々

 先週の日曜日に風邪を引いたことを自覚した。発熱などや鼻づまりなど主な症状は治まったが、喉を痛めてしまった。それが昨夜の就寝中に悪化した。そんなわけで今朝は体調が悪い。体調が悪い時には絶望感の漂う記事が多くなっていけない。このところその手の記事が多いのは、半病人みたいな状態が続いているせいもある。これはよろしくない。そこで今回は、久しぶりに元「みんなの党」支持者(現在では足を洗われたようだ)の朱の盤さんからいただいたコメントを紹介する。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1383.html#comment18654

もし今の安倍政権に隙があるとすれば、国民の多くが
民主党政権における絶望から「他にまともな政党が無い」という消極的な支持で、安倍自民党を支持しているということ。
それを政府の《アンダーコントロール》しているマスコミとネット右翼が、いかにも世間が右傾化しているように情報を撒き散らしていますけれども、私の接するところの世間(飲み屋論議)では、さほど世間の右傾化を感じることはないですね
私の世間が狭い、ということはあるでしょうけど、辺野古基地問題にしても、
運動サイドからの今の沖縄辺野古周辺の抵抗運動を撮影した「圧殺の海」という映画が東中野ポレポレ映画館で異様な客足を見せ、ロングランを続けています

左翼視点からの楽観が多分に入っていますけれど、「自民党・安倍政権支持数の維持・増加」と「世間の右傾化」は、分けて考える必要がありましょう
後者のデマが世間を誘導する、しつつある危険は注視し、阻止していく必要はありますが、
後者のデマをまともに捉えて世間の右傾化を嘆けば、逆に世間の右傾化への諦観を広めかねないので、ウンっと丹田に力を込めて
「世間が右傾化?いや、俺の周りじゃ全然そんなことないがね?」と言っていく必要もある(場面がある)と思っています
それもまた一つの抵抗運動、「揺るがない」という情報戦です

問題は「消極的理由からの自民党・安倍政権支持数の維持・増加」、この隙をどう突けばいいのか、この一点。
まだ自民党に派閥があった頃ならば、自民党内の反安倍派への呼び掛け・支持などが有効だったのですが、現在の(小泉純一郎が派閥を壊した)自民党ではこの手が使えません
この点を年配の「消極的理由からの自民党支持者」がわかっていないのが、現在の不幸、政治と人民の疎外を生んでいます

結局は、国民一人一人がなるべく希望を失わずに個人にできる運動をしつつ信用のおける政治家(候補者)を掘り起こし、より支援し自分のやってもらいたい政治をする政治家に育てていく、という従来の政治への参画に回帰するのかな、と思っています
それを生活の中で行うパーセンテージをわずかでも上げる、その努力をする。
そのわずかな積み重ねを希望の根拠にし、楽観をある意味では自らにあえて強いる
そのためにも健康第一!
絶望・諦観こそ向こうさんが左翼に植え付け、広めたい最大のものですから、その運び役とならないように、なるべくする
私もまだ絶望していません。

2015.03.27 20:56 朱の盤


 確かに健康第一です。健康状態が良くない時に士気を下げるような記事はよろしくありませんし、今みたいにそんな記事しか書けない状態が続くと、ブログの運営そのものを見直さなければならないかと思っています。

 ただ、右傾化については、今の日本は間違いなく右傾化していると思います。それは、同じ問題について、私が政治に関心を持つようになった1970年代と現在で、どう議論されているかを比較して測っています。人間とは忘れやすい生き物なので、ついこの間までの常識が非常識に変わっても、それに気がつかなかったりします。

 右傾化の最大の要因は、人々の暮らしが良くならないか、さもなくば悪化していることに起因する閉塞感でしょう。そのために、たとえば民族主義に走る心理規制は、私にも理解できます。なぜなら私自身、「グローバルスタンダード」という言葉を批判する論法を覚えた90年代後半に、民族主義的な心情に傾いた時期があるからです。その時期は、このブログを始めた初期の頃まで続きました。ですから、ブログの最初の頃の記事は、今読み返すと読むに耐えないものが多いです。

 私の場合は反中反韓ではなく反米の心情を強めたのですが、当時言われた「マネー敗戦」という言葉に、「経済でアメリカに負けるようになったか」と思ったのが、反米の心情を強めた理由でした。ですから、その頃が私の生涯でもっとも右傾化していた時期だったと自己規定しています。ちなみにそれは、現在「小沢信者」として私が批判している人たちの心情とよく似たものではなかったかと思っています。つまり、「小沢信者」とはリベラルまたは左派が右傾化して生まれた人々なのではないかというのが私の仮説です。

 現在は、経済敗戦や生活苦に対する人々の鬱憤がアメリカではなく中国や韓国に向かい、それが戦前回帰を狙う極右政治家の安倍晋三政権の歴史修正主義と相俟って、危険極まりない状態に至っている状態だと捉えています。

 もちろんそれに対する抵抗を止めるつもりはありませんが、私自身についていてば、まず健康を取り戻すことが大きな課題になっています。
 自衛隊の活動範囲の拡大について、公明党が全く歯止めにならないことを露呈したり、三原順子が誰かの教唆があったか自発的かは知らないが「八紘一宇」をポジティブな言葉に転換させようと画策して、それに馬淵澄夫のような右翼的な野党政治家が相乗りしたりと、先週もまたろくでもないニュースばかりだった。

 最近は街のチェーン店の本屋ばかりか、三省堂や紀伊国屋といった大きな書店でも、排外的な右翼本が目立って陳列されていることが多く嫌になるのだが、経営統合された丸善とジュンク堂のグループは比較的その弊害が小さいようだ。しかしそれらの本屋でも売り上げを無視するわけにはいかないから、右翼本はそれなりに置いてある。

 そんな論外の右翼本はさることながら、「リベラル」層に取り入ったとみられる本にもろくなものがない。少し前には孫崎享の本が目立ったが、最近は、というよりそれ以前から、内田樹と佐藤優が、出している本の数も多く、「リベラル」への影響力も強いように思われる。

 彼らのうち、内田樹には「誰とでもつるむお手軽文化人」、佐藤優は「右から左までのさまざまなうんちくを繰り出して人々を煙に巻くトリックスター」だと私はみている。2人とも、日本の右傾化を止めるのに全く貢献していないとしか言いようがない。もっとも、内田樹は保守、佐藤優は自ら認める通りの民族主義者だから、そんな人たちに期待したり彼らの言説に感心したりする方が間違っていると私は思う。

 最近も、内田樹は右翼の鈴木邦男と対談本を出したかと思うと、「非主流派の左翼」と思われる白井聡とも対談本を出したりしている。鈴木邦男は同じ右翼の高木尋士との「対談『北一輝とは何者なのか』」で「八紘一宇」を無批判に受け入れているし、「リテラ」によると「内田樹と白井聡、気鋭の学者2人が安倍首相を『人格乖離』『インポ・マッチョ』と徹底批判」しているとのことだが、後者にしたところで「リベラル」にガス抜きさせるだけの駄本としか思えない。安倍晋三をこき下ろした本を読んでいっとき溜飲を下げたところで、人々が内田や白井が言うような「安倍晋三の正体」を知って内閣支持率が低下するようなことにはつながりようがないのである。仲間内のマスターベーション以外のなにものでもない。

 そもそも内田樹と白井聡の対談本の題名は『日本戦後史論』である。またぞろ孫崎享式の議論が展開されているのではないかと勝手に想像しているが、私は内田と白井の対談本も、内田と鈴木邦男の対談本も、ともに立ち読みもしていない。得意の「読まずに批判」をやらかしている(笑)。

 佐藤優もひどい。最近は公明党を持ち上げるのが趣味らしいが、公明党が安倍晋三の歯止めになど全くならないことは、先週の自衛隊の活動範囲拡大の議論でも改めて証明された。最近ひどいと思ったのは、『AERA』か何かに載っていたピケティとの対談で、そこでは佐藤の得意技の一つである、「宇野経済学」(宇野弘蔵流のマルクス経済学)的な立場からピケティに突っかかっていっていた。佐藤は、「チュチェ思想」信奉者としても知られる「宇野経済学」の老経済学者・鎌倉孝夫との共著も出しているが、かと思うと先般の「自称イスラム国」による日本人人質事件では安倍政権の対応を評価するなど、「言論サーカス」で読者を幻惑しながら、公明党擁護論といい、最終的には安倍晋三を助ける方向にしか人々を導かない「ハーメルンの笛吹き」のようにしか私には見えない。

 先週は「kojitakenの日記」で、「八紘一宇(田中智学)−北一輝−岸信介−安倍晋三」を肯定的な評価でつなげようという動きに対抗しようとあがいた。不人気なテーマと見えてアクセス数が激減した(笑)。しかし、「リベラル」であるらしい田中良紹が「北一輝は坂本龍馬を源とする自由民権運動の流れをくむ民主主義者である」などと書いて、それが「リベラル」から批判されない状況を打破しなければならないと私は考えている。

 北一輝の研究で有名な松本健一が書いた全5巻の『評伝 北一輝』を、第4巻の6割あたりくらいのところまで読んだ。北一輝は確かにその出発点においては「坂本龍馬を源とする自由民権運動の流れをくむ民主主義者であ」ったといえるが、中国の辛亥革命への関与を経て帰国して『日本改造法案大綱』を書いた以降の北一輝は、とてもではないけれども「民主主義者」といえるような人間ではない。テロを支援し、政党政治をぶち壊そうとした極右以外の何者でもなかった。

 『評伝 北一輝』の第4巻を読むと、北一輝は政友会の田中義一内閣打倒工作をしたかと思うと、民政党の浜口雄幸内閣打倒工作も行ったことが書いてある。後者は有名な「統帥権干犯」論である。「統帥権干犯」という言葉自体は北が編み出したものではなく、海軍軍令部長の加藤寛治の発案らしいが、その「統帥権干犯」を「魔語」として政党政治をぶち壊そうとした首謀者はまぎれもなく北一輝その人だった。

 その北の謀略に引っかかった愚かな政治家がいた。鳩山一郎である。鳩山が国会で「統帥権干犯」を持ち出して浜口内閣を攻撃したことはよく知られているが、松本健一はその鳩山を下記のようにこき下ろしている。

 鳩山の発言は、政党政治とその責任内閣制を否定し、そこから独立した聖域に軍部=統帥権を置こうとするもので、政党人としては慎まなければならないものであった。その論理は、政党政治を破壊したのが軍部ではなく、政党(人)そのものにあったことを物語っている。

(松本健一『評伝 北一輝 IV - 二・二六事件へ』(中公文庫,2014)207-208頁)


 戦前の政党政治をぶっ壊す自滅を演じたのが鳩山一郎なら、政権交代への人々の期待を裏切って戦後の政党政治をぶっ壊したのが鳩山由紀夫といえるかもしれない。「岸信介−安倍晋三」と「鳩山一郎−鳩山由紀夫」の世襲政治家は、4人が4人ともろくでもない人間ばかりである。ついでに書いておくと、鳩山由紀夫は先日クリミアを訪問した。誰がどこに行こうが勝手であって、鳩山由紀夫のクリミア行き自体を批判するつもりは私にはない。だが、一部の「リベラル」のように鳩山由紀夫を擁護するつもりには間違ってもならない。鳩山由紀夫のクリミア行きの動機には、安倍晋三と同じようなつまらない「祖父愛」しか感じられないからである。

 話を鳩山一郎と北一輝に戻すと、北に引っかかった鳩山一郎もバカだが、北一輝は「巨悪」としかいいようがない。『評伝 北一輝』を読んでいると、初期の北一輝と後期の北一輝は別人かと思えるほどだ。中国から帰国後極右化した北は、テロを肯定するばかりか賛美してテロを煽るかたわら、政財界人を恐喝して金をむしり取るとんでもない極悪人だった。『評伝 北一輝』の著者で、民主党の仙谷由人と親友であったことでも知られた松本健一が、そんな北一輝に入れ込む心理は私には理解できないが、北のシンパだった松本が描いても、後期の北一輝からはどす黒い凶悪な姿しか浮かび上がってこないのである。

 三原順子の「八紘一宇」の妄言を発した直後、さる「小沢信者」系リベラルの人間が、「八紘一宇」の造語者・田中智学の弟子筋にあたる北一輝を描いた手塚治虫の漫画『一輝まんだら』を一気読みした、などと嬉しそうにTwitterに書いていた。私は『一輝まんだら』を読んだことはないが、編集者にこの路線では売れないと判断されたために未完に終わった作品だということはネットで調べたことがあって知っている。ということは、初期の北一輝しか描かれていないと思われる。手塚治虫がどす黒い極右思想家となったあとの北一輝を描かなかったことは痛恨事と思えるのである。

 蛇足ながら書き添えておくと、北一輝の主要な著作として『国体論及び純正社会主義』、『支那革命外史』、『日本改造法案大綱』の3作が挙げられるが、「革新官僚」だった若き日の岸信介が心酔したのは『日本改造法案大綱』であって、北一輝が「どす黒い極右」としての本領を発揮した時代の著作であった。

 さらに蛇足の蛇足だが、『日本改造法案大綱』は小沢一郎の主著とされる本(実は官僚や竹中平蔵ら御用学者の作文だが)をのタイトルを連想させる。もちろん、小沢のブレーンの官僚だか竹中平蔵だかが北一輝と田中角栄を掛け合わせて書名をでっち上げたものであろう。
 3月13日付の時事通信配信の記事より(http://www.jiji.com/jc/zc?k=201503/2015031300648&g=pol)。

改憲、6割が「平和主義堅持を」=村山談話「踏襲」は34%-時事世論調査

 時事通信の3月の世論調査で、安倍晋三首相が意欲を示す憲法改正について聞いたところ、「平和主義や国民主権など現行憲法の柱は堅持した上で、必要な改正を行うべきだ」と回答した人が58.7%と最も多かった。改憲自体は否定しないが、国論が分かれる9条などの見直しには慎重論が強いことが反映された形だ。
 「憲法改正は行うべきでない」と答えた人は18.6%。「全面的に改め、新しい憲法とすべきだ」との回答は14.4%だった。
 自民党は来年夏の参院選後の段階的な改憲を目指し、優先事項の絞り込みを進めている。同党支持層でも、平和主義など現行憲法の柱を堅持するよう求めた回答が62.7%に上った。
 一方、首相が今年夏に発表する戦後70年談話について、「植民地支配と侵略」「おわび」など1995年の村山富市首相談話で明記された表現を「踏襲したほうがよい」と答えた人は34.2%で、「踏襲しないほうがよい」の26.5%よりも多かった。「談話そのものが不要」との回答も18.8%あった。
(時事通信 2015/03/13-15:39)


 安倍晋三と自民党の策略が残念ながら着々と功を奏しつつあるといったところ。

 改憲に関しては、既に2月22日に自民党党憲法改正推進本部事務局長にして安倍晋三の首相補佐官である礒崎陽輔が、国民を舐めきった発言をしている。
http://www.asahi.com/articles/ASH2P5JQ2H2PULFA002.html

自民、改憲へ「世論対策」本腰 国民投票に向け集会再開
石松恒 2015年2月22日00時13分

 自民党は21日、昨年末の衆院選で中断していた憲法改正に向けた「対話集会」を盛岡市で再開した。仮に、改憲の国会発議に必要な衆参両院の3分の2の賛成が得られても、国民投票で過半数を得るためのハードルはなお高いとみるからだ。安倍晋三首相や自民は「世論対策」に本腰を入れ始めた。

 党憲法改正推進本部事務局長の礒崎陽輔・首相補佐官はこの日の集会で、党員や支持者ら約200人を前に「来年中に1回目の国民投票まで持っていきたい。遅くとも再来年の春にはやりたい」と述べ、来夏の参院選後に改憲の国会発議を行い、国民投票に道筋をつけたいとの考えを示した。

 礒崎氏はさらに「憲法改正を国民に1回味わってもらう。『憲法改正はそんなに怖いものではない』となったら、2回目以降は難しいことを少しやっていこうと思う」と述べた。1回目は一部の野党も含めて合意が得やすい環境権や緊急事態条項などを対象とし、9条などの難題は2回目以降に提起する考えとみられる。
(朝日新聞デジタルより)


 この「『憲法改正』の試食」の発言は、何も礒崎陽輔が先月言い出した話ではなく、ずいぶん前から自民党の政治家たちが言っていることだ。この話はどうやら自民党の政治家の口癖になっているらしく、前記朝日の記事が出た直後にもこんな報道があった。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201502/2015022800038

憲法改正、9条は後回し=環境・緊急事態で実績狙う-自民

 安倍晋三首相が宿願とする憲法改正に向けた自民党の構想が固まってきた。まずは各党の賛同が見込まれる「環境権」創設などで実績を作った上で、9条をはじめ「本丸」と位置付ける条文を順次改正していく段取り。来年夏の参院選後に第1弾の国会発議を目指すが、野党の警戒感も強く、思惑通り進むかは不透明だ。

 自民党は26日、昨年末の衆院選後初めての憲法改正推進本部の会合を開いた。船田元・本部長は、今月上旬に首相と会い、最初の発議は2016年参院選後とする方針で一致したことを説明。「今国会から、いよいよ憲法改正の中身の議論を鋭意進めていく」と宣言した。

 船田氏は各党との協議で優先するテーマとして、環境権と、大規模災害などに備える緊急事態条項、財政規律に関する規定の三つを列挙。出席者からは「改憲を一度経験することで、国民に慣れてもらう必要がある」との意見が出た。

 また、船田氏は前文や9条、衆参両院でそれぞれ「3分の2以上の賛成」とされる発議要件を定めた96条などを第2弾以降に改正すべき重点項目に挙げ、「改憲勢力」の確保を前提に、一定期間内に実現を目指す方針も示した。

 自民党が最初の発議を次期参院選後とするのは、参院では同党の勢力が半数に満たず、公明党や、改憲で協力が期待できる維新の党などを加えても3分の2に届かないためだ。まずは参院選で安定的な改憲勢力を確保しようという思惑がある。

 自民党は当初、選挙権年齢の「18歳以上」への引き下げで連携した、共産、社民両党を除く各党と共通の改憲試案策定を目指し、3月にも協議をスタートさせたい考えだった。しかし、1月に就任した民主党の岡田克也代表は「首相と改憲を議論するのは非常に危ない」と協力に否定的。公明党の賛同も得られていない。このため、衆参両院の憲法審査会での議論を通じて世論の理解を得ていく「正攻法」への転換を余儀なくされた。
(時事通信 2015/02/28-05:22)


 こうした自民党の動きに対する各方面の反応をメモしておく。

 まず、「リベラル」諸氏の信頼篤いとみられる内田樹は、「日本はアジアの次の独裁国家になるのか?」(2015年2月25日)と危機感を煽るが、この論法では「最初は下手に出る」と公言している自民党の狙いに対抗するどころか、自民党を助ける恐れが大きい。しかも内田はそれにしても、

天皇とホワイトハウスしか自民党の「革命」を止める実効的な勢力が存在しないというような時代を生きているうちに迎えることになるとは思ってもみなかった。

などと抜かした。こんな輩を「リベラル」たちが信頼していること自体、改憲の脅威は増すばかりではないかと思う。なお、この内田樹に対する批判は、以前『kojitakenの日記』の下記URLの記事に書いたので、詳細はそちらを参照されたい。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150227/1424994886

 次に、「ピケティの『21世紀の資本』は『××ノミクス』に反しない」と、仏社会党支持のトマ・ピケティの言説が安倍政権批判に結びつくことを回避することに腐心した高橋洋一は、「財政規律条項」に反発するかと思いきや、その条項に対してさえ腰が引けている。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150228/dms1502281000002-n1.htm

憲法改正と財政規律条項、経済苦境時の緊縮は論外

2015.02.28
連載:「日本」の解き方

 自民党の船田元(はじめ)憲法改正推進本部長は、憲法改正について、「来年秋から再来年春の実現を目指す」としたうえで、最初に取り組む改正項目について、環境権と緊急事態条項のほか、財政規律条項の創設を挙げた。改正項目の選定について安倍晋三首相(自民党総裁)から『お前に任せる』と一任されたという。

 改正項目の選定は船田氏に任されたものの、これからボチボチと党内外で議論していくわけだ。手順として、今の通常国会の衆院憲法審査会で、第1章から第9章まで議論が始められ、国民の意見を募るため地方公聴会も何カ所かで行う予定である。そうした議論の中で、さまざまな論点が出されるはずなので、今の段階での船田氏の論点は特段の意味はない。

 早ければ来年秋、遅くても再来年の春には憲法改正の発議を行うことを目指しているが、それでも来年夏の参議院選挙の後である。憲法の話は、こうしたロードマップを頭に入れながら、聞かないと、全体の流れが見えにくくなる。

 その中で、船田氏が選んだ環境権、緊急事態条項と財政規律条項はいずれも議論しやすいものである。特に、与党の公明党にとって、これらの条項は公明党の主張にも合致しており、議論を拒むことはできない。

 憲法改正は9条問題になると、護憲勢力にとっては議論さえ拒むという雰囲気がある。そこで、環境権、そして国会や内閣等の統治機構関係で代表的な論点である緊急事態条項と財政規律条項を先行させることで、憲法を議論する場を設定することが重要になってくる。

 日本では、憲法改正のアレルギーがある。西修氏監修の『世界地図でわかる日本国憲法』などによれば、主要国の改正回数は米国18回、カナダ18回、ドイツ52回、ベルギー50回、アイルランド22回、イタリア17回、オーストラリア8回、スイス6回、フランス20回となっている。

 しかし、日本はまだ1回も憲法改正がなく、世界の憲法から見てきわめて異例だ。世界の多くの国の標準からみると、憲法9条以外の国会や内閣等の統治機構に関するところで改正を行えないというのでは、時代の動きについてゆけない。統治機構条項としては、緊急事態条項と財政規律条項のほかにも、1院制や道州制などの大きなタマもある。

 この中で財政規律条項についてみると、財政規律が不要とすると、政府のムダ遣いが許されてしまうので、あり得ない。というわけで、憲法に財政規律条項があるのは、何も問題ない。

 ただし、憲法はプログラム法(政策実現の手順や日程を定める法律)なので、憲法に財政規律条項ができたとしても、憲法ではない法律が必要で、具体的な規定はその法律に基づく。

 そこで財政規律を保つために、何をやるべきかという点が重要だ。政府のムダ撲滅は当然として、経済苦境時の緊縮財政は経済を傷めて元も子もないので、そこまで規定したらまずい。

 こうした議論は、憲法改正後に制定される実定法での話であるので、憲法改正とは切り離して議論すべきである。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)


 高橋洋一の「処世術」の要領が透けて見えるような、何とも嫌らしいコラムだ。

 最後に極右にして「国家社会主義者」の三橋貴明は、さすがに財政規律条項には強く反対しているが、それ以外では手のつけられない極右ぶりを全面展開している。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11997170973.html

 わたくしはもちろん、「憲法九条」の改憲については賛成です。第一項は修正、第二項はいっそ削除でいいのではないかと考えています。

 が、憲法96条の改憲については、つまりは「国会議員(衆参両院)過半数の賛意で改憲の手続き開始を可能とする」については、現時点では賛成できません。この点は、三輪氏とわたくしが同じ意見で、賛成する水島社長と激論が展開されたわけです。

 わたくしが憲法96条の改憲に反対する最大の理由は、今の日本では「新自由主義的」「構造改革的」「グローバリズム的」な形で憲法が変えられる可能性を否定できないためです。さかき漣:著「顔のない独裁者 」は、まさに新自由主義的な憲法改正が行われた日本が舞台になっていますが、「首相公選制」「参院廃止」「道州制」といった形で憲法が改正されてしまうと、日本国の「国の形」が大幅に変えられることになってしまいます。

 同じように「危険」なのが、ドイツ式に「財政均衡主義」を憲法で明示されてしまうケースです。憲法に財政均衡主義が謳われてしまうと、我が国はデフレ期に充分な財政出動が行えず(今もそうですが)、国民経済の安定的な成長は夢と消えます。

 結果、中国との国民経済の規模が開いていき、軍事支出で圧倒的な差を付けられた時点で、東アジアの軍事バランスは崩壊。我が国は冗談でも何でもなく「国家存亡の危機」を迎えることになりかねないのです。

「まさか、自民党とはいえ、そこまで愚かでは・・・」
 などと思わないで欲しいのです。

『憲法改正「遅くとも再来年春の実現へ全力」自民・船田氏 優先項目に環境権、緊急事態、財政規律
http://www.sankei.com/politics/news/150214/plt1502140017-n1.html
 自民党の船田元(はじめ)憲法改正推進本部長は14日、宇都宮市内で開かれた自身の会合であいさつし、憲法改正について「早ければ来年秋、遅くても再来年の春には実現すべく全力を尽くしていきたい」と述べた。また、最初に取り組む改正項目の候補に環境権、緊急事態条項、財政規律条項の創設を挙げ、改正項目の選定について安倍晋三首相(自民党総裁)から一任を受けたと紹介した。(後略)』


 環境権や緊急事態条項はともかく、「財政規律条項(=財政均衡主義)」を含む形で、自民党の憲法改正が推進されるとなると、わたくしは断固として反対することになるでしょう。

 無論、現時点では船田氏の「案」レベルです。環境権、緊急事態条項、財政規律条項の三つであれば、公明党も反対しにくく、憲法改正議論が進みやすいという「政治的な話」はあるのでしょう。いきなり、憲法九条を改正しようとした場合、ハードルが高いという話は分からないでもありません。

 とはいえ、デフレで長期金利が世界最低水準の日本において、しかも日本銀行が国債を買い取り、政府の負債が実質的に減り続けている我が国において、なぜ「財政規律」云々の話がされなければならないのでしょうか。意味が分かりません。

 無論、
「放漫財政でも構わない」
 と、極論を言いたいわけではありません。とはいえ、デフレ期の緊縮財政が問題を解決しないどころか、我が国のデフレを長期化させ、近い将来、「国家存亡の危機」を招くことになることは明らかなのです。

 日本国家を繁栄と共に永続させるためには、財政均衡主義とは真逆の思考で「経済成長」を追い求めなければなりません。日本経済が成長すれば、すなわちGDPが充分に伸びれば税収が増えるため、逆に財政は健全化することになります。

 同時に、我が国は防衛費を増額し、憲法九条を改正。東アジアの軍事バランスを維持するために、必要な法改正や支出をしていかなければならないのです。

 というわけで、憲法を改正するならば、まずは「九条」です。あるいは、法整備により、東アジアの「緊急事態」に備える制度を整える必要があります。しかも、早急に。

 同時に、防衛費を増やし、軍事力を高める努力を続けなければ、中国との軍事バランスが崩れ、やがては悲劇的な「戦争」に突入する可能性が厳然と存在するわけでございます。

 国際連合憲章51条には、次のように書かれています。
「第五十一条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。(後略)」

 無論、51条は軍事力行使後に安全保障理事会への報告を義務付けるなど、いくつかの制限があります。ともあれ、個別的自衛権は「国連憲章」で認められているのです。

 つまりは、憲法九条と国連憲章が「矛盾」しているわけで、この手の議論を丁寧にしていくことで、「憲法九条を改正する」という王道を進むのであれば、わたくしは憲法改正に賛成します。

 それに対し、
「まずは、改憲しやすい項目から」
 などと安易な(相対的に)道を走り、「財政規律条項」を導入するなど、日本国を衰退させる可能性がある「憲法改正」が行われるくらいならば、憲法改正に反対、という立場を取らざるを得ません。憲法を改正せず、「九条」の縛り緩めるための「解釈」や「閣議決定」「首相判断」で対中の安全保障を強化した方が、まだしもマシです。(あくまで「相対的に」マシという話です)

 憲法改正議論において、「財政規律条項」を取り上げること自体、反対致します。
(三橋貴明『新世界のビッグブラザーへ』 2015年3月4日付記事「憲法改正と財政均衡主義」より)

 三橋に対しては、財政規律条項がダメなことについては同意するし、理由はどうあれ三橋が自民党のふざけた「『憲法改正』試食」に反対してくれるなら結構な話だが、それ以外の点に関しては全く受け入れられない。

 以上、三者三様、いずれも「どうしようもない。賛成できない」というのが私の立場だが、あえて三者のうち最悪を選ぶとすれば高橋洋一だろう。内田樹と三橋貴明はそれぞれ「同程度にダメ」だが高橋洋一よりは救いがあるといったところ。
 前回の記事はバカ長い文章になってしまい、「労多くして功少ない」というか、自分でも失敗を認めざるを得ない記事だったが、今回はどうなることやら。

 現在、国会は政府・自民党から民主党・生活の党などの野党も巻き込んだ「政治と金」の問題で揺れているが、問題になっている政治家のうち、特別に悪質なのは下村博文であって、他は下村と比較すれば微罪だと思う。野党や政権への批判精神を多少なりとも残しているメディアには、下村を集中攻撃してもらいたいものだと思っているのだが、なかなかそうしてくれない。

 第2次安倍内閣末期の小渕優子の時も、同時期に小渕と比較すれば微罪としか思われない松島みどりと同時閣僚辞任になって、小渕の罪深さの印象が薄まったのが気に入らなかったが、それでも小渕は閣僚辞任にまでは追い込まれた。政治的スタンスから言えば、小渕よりも下村博文に対する方が、安倍晋三が守りたい度合いは強いに違いないとは思うが、下村を閣僚辞任に追い込めないようでは、国会の自浄作用は全く働いていないことになるのではないか。

 とはいえ、下村が辞任したところで安倍晋三の天下は終わらない。このまま安倍政権が夏まで続くと、安倍が「総理大臣談話」を発表する恐れが大きくなる。

 政治的立場の対立の話を棚上げして言えば、安倍政権、特に総理大臣である安倍晋三の「歴史修正主義」は日中や日韓もさることながら、何よりも日米関係を軋ませるリスクが大きい。一方、安倍政権が昨年政府解釈を変更させた集団的自衛権を中東で行使することについては、アメリカは大歓迎だ。

 安倍晋三というのは、孫崎享のトンデモ論法を援用すると、ある時には「対米従属派」であったり、別の時には「自主独立派」であったりする。先般の自称「イスラム国」(IS)の時に見せた、「テロリストには妥協しない」(湯川遥菜・後藤健二の両氏を見殺しにした)パフォーマンスでは「対米従属派」の顔を見せ、ケリー米国務長官を殴ったことがあるらしいイスラエル首相・ネタニヤフと仲良くしたり、靖国神社を参拝したり、新談話を発表して「村山談話」を否定する構えを見せたりする時には「自主独立派」の顔を見せるという具合だ。

 問題は、すっかり極右化した国内世論の均衡点と国際政治の均衡点のズレが大きくなっていると思われることだ。敗戦国・日本の「歴史修正主義」は国際社会に許されない。一方、極右化した日本の世論は、2007年には異物として排泄した安倍晋三という糞を、今では偶像として崇め奉るていたらくだ。安倍晋三が今夏に下手な「談話」など発表しようものなら、日本の未来に大きなリスクを背負うことになる。

 安倍晋三の「親米路線」で自衛隊を中東で戦争させ、日本人がテロリストの標的になるリスク、安倍晋三の「反米路線」で日中戦争を開戦するもアメリカの加勢を得られず大きな破滅に終わるリスク。現時点では前者の恐れの方が大きいと思うが、後者の懸念も無視できない。

 安倍政権の経済政策への懸念もある。安倍晋三はここに来て、稲田朋美に「痛みを伴う改革」をやらせようとしている。農協改革はその走りに過ぎない。安倍晋三の経済政策といえば、リフレと金融緩和しか議論にならない現状はおかしい。経済学者や経済評論家たちの怠慢である。今朝(3/9)の朝日新聞3面は、「こんなに違う自民党中枢の2人」として、稲田朋美と二階俊博を対比しているが、外交・安全保障で稲田はタカ派、財政では緊縮派、戦後70年談話では安倍晋三に任せるべきとする稲田は、ありとあらゆる面で私と政治姿勢が対極にある、「極右新自由主義者」である。安倍晋三もそうだが、いったい世の中に稲田朋美ほどおぞましい政治家が他にいるだろうかと唖然とする。

 昨年には、稲田朋美は第2次安倍内閣でなんの実績も挙げていないとして、閣僚左遷の話が出ていた。ところが、閣僚は外れたものの安倍は稲田を政調会長に抜擢した(昨年9月)。稲田はよほど安倍に気に入られていると見える。

 外交・安全保障でも内政でも、これほどマイナス要因ばかり抱えて見通しの暗い政治状況は、政治についてブログ記事を書く気力を萎えさせるくらいひどい。今回もつまらないぼやきだけの、全く冴えない記事になってしまった。
 以前にも書いたかもしれないが、「一月はいぬ(往ぬ/去ぬ、時が過ぎ去るの意)、二月は逃げる、三月は去る」という、主に西日本で使われる言い回しがある。阪神間に住んでいた小学校2年生の3学期に、四十代半ばの担任の教師に教えてもらった。小学校2年生というと、一年がうんざりするほど長かったと感じたものだが、そんな言葉を教わったせいか、3学期だけはやけにあっけなく過ぎ去ったような気分になったものだ。

 歳をとって、年々月日の過ぎるのが速く感じられるが、今年の1月と2月は、特にあっという間だった。ブログに関連する話題でいえば、年末にピケティ本を買って年明けを挟んで読み、年が明けたらパリでシャルリー・エブド襲撃事件があり、そのすぐあとに自称「イスラム国」(IS)による日本人人質事件が起きて凄惨な結末になった。その間ピケティが来日して経済メディアを中心に狂躁が繰り広げられ、国会が始まると農水相・西川公也が辞任し、今なお下村博文ら数人の閣僚に「政治と金」の問題が持ち上がっている。

 トマ・ピケティが来日した1月29日は、湯川遥菜氏殺害と後藤健二氏殺害の間に当たり、来日当日は大きく報じられなかったが、ピケティの離日後、改めて日本のメディア関係者との対談やピケティ本の評論がテレビや経済誌で大きく取り上げられた。安倍政権は、当初ピケティの経済論に冷淡な対応をとるかと見られたが、「ブームで人気の高いピケティの議論を否定的にコメントするのは得策でない」との政治判断が働いたらしく、「ピケティの主張と『アベノミクス』は矛盾しない、もしくは適合する」という宣伝を政府が行うようになった。

 なお、「アベノミクス」という言葉を普段私はブログの記事で用いないことにしているが、今回は例外的に用いる。

 それでなくても、リフレ派の経済学者は、昨年末来、「ピケティは安倍政権の金融政策を否定していない」と宣伝するのに躍起だった。特に彼らが論拠として用いたのは、昨年12月22日付の日本経済新聞に掲載されたピケティのインタビュー記事である(下記URL)。
 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDF19H05_Z11C14A2SHA000/

 以下、インフレに関する部分を引用する。

 ――日本の現状をどう見ますか。

 「財政面で歴史の教訓を言えば、1945年の仏独はGDP比200%の公的債務を抱えていたが、50年には大幅に減った。もちろん債務を返済したわけではなく、物価上昇が要因だ。安倍政権と日銀が物価上昇を起こそうという姿勢は正しい。物価上昇なしに公的債務を減らすのは難しい。2~4%程度の物価上昇を恐れるべきではない。4月の消費増税はいい決断とはいえず、景気後退につながった」


 何もピケティのような経済学者の言葉を借りなくても、「物価上昇なしに公的債務を減らすのは難しい」ことくらいは誰にでもわかる。デフレは金持ちには恩恵をもたらすが、借金を抱える側にとっては債務が重くのしかかるばかりだ。

 しかし、このピケティの発言の拡散に励んだのが、「再分配も重視するリフレ派経済学者」の飯田泰之だった。
 https://twitter.com/iida_yasuyuki/status/547285071669899265

飯田泰之
@iida_yasuyuki

ピケティ氏の日本の金融政策への言及.要拡散.「(主に財政を巡って)安倍政権と日銀が物価上昇を起こそうという姿勢は正しい。2~4%程度の物価上昇を恐れるべきではない。4月の消費増税はいい決断とはいえず、景気後退に」ピケティ氏インタビュー http://s.nikkei.com/1HkOGl0

22:58 - 2014年12月22日


 まあ気持ちはわからなくないし、ピケティが金融政策自体を否定するはずがないとも思う。しかし、どう控えめに言っても、ピケティが金融政策よりも再分配を「より重視する」学者であることは間違いない。例えば、日経BPから『トマ・ピケティの新・資本論』というタイトルの便乗本が出ていて、これは実は日経BPのサイトにある通り、ピケティが「数年にわたってリベラシオン紙に連載していた時評をまとめたもの」であって、主にフランスを中心としたヨーロッパ経済を論じたコラムを集めたものなのだが、この本の81頁に「ミルトン・フリードマンに捧ぐ」という文章が載っている。これは、フリードマンが死んだ直後の2006年11月20日付のコラムだが、ピケティはフリードマンについて、

共感できる人物だったとは言いがたい。信念の人にありがちなことだが、経済面での超自由主義思想(市場至上主義、国家不要論)は、ある意味で自由主義に反する政治思想(市場の敗者を罰する権威主義的な国家)に行き着いた。一九七〇年代にピノチェト政権を表敬訪問したことは、その表れと言えよう。
(『トマ・ピケティの新・資本論』(日経BP社,2015)81頁)

とこき下ろしながらも、フリードマンが1929年の大暴落に続く大恐慌の時代にFRBがとった過度の緊縮策が、単なる株式市場の大暴落を過去に例のない大恐慌にしてしまったと結論を出した分析(同82-83頁)を高く評価している。

 ピケティが特に評価するのは、フリードマンがアメリカの資本主義を一世紀にわたって遡って実証的に分析したことだ(同82頁)。ピケティ自身が『21世紀の資本』で用いたのと同じ方法論といえる。

 しかしピケティは、フリードマンを評価しながらも下記のように書いている。以下再び引用する。

 フリードマンが経済学の研究から導き出した政治的な結論は、やはりイデオロギーを免れていない。「よい中央銀行」があればよいと言うなら、「よい福祉国家」があってもよかったはずだし、おそらく後者のほうがよいのではないか。とは言え、フリードマンの重厚な研究が、二〇世紀で最も深刻な危機を巡る当時のコンセンサスに疑義を提出したことはまちがいないし、あのみごとな研究に裏づけられていたいたからこそ、彼のメッセージはあれほどの影響力を持ったのである。今日では、一九二九年の危機と金融政策の役割に関する議論は、ほとんど決着がついている。だからと言って、フリードマンの業績の重要性が薄れることはない。(前掲書84頁)


 どこをどう読んだって、ピケティが金融政策の効果を否定する論者とは言えないものの、それよりも「富の再分配」を重視する経済学者であることは明らかだろう。

 さらに、『トマ・ピケティの新・資本論』には、「日本――民間は金持ちで政府は借金まみれ」という、東日本大震災の直後の2011年4月5日付のコラムでは、下記のように書いている。以下三たび引用する。

 民間部門が金持ちで政府部門は借金まみれという不均衡は、東日本大震災の前から顕著だった。この不均衡を解消するには、民間部門(GDPに占める割合は三〇%程度)に重く課税する以外にない。論理的に考えれば今回の大震災は、一九九〇年から続いているこの現象を一段と加速させるはずだ。そして日本をヨーロッパに、つまりは債務危機に近づけることになるだろう(前掲書254頁)


 このピケティの提言が、いわゆる「アベノミクス」と適合的だと解釈できる人など、誰一人としていないのではないか。

 もちろんインフレが債務解消に有効であることはピケティも述べている(というより当たり前だ)。しかし、その処方がインフレターゲットであるとは限らない。日経のインタビューでは、「安倍政権と日銀が物価上昇を起こそうという姿勢は正しい」と言っているが、今年1月1日付の朝日新聞に掲載されたインタビュー(これは1月5日付の記事「平和・自由・平等の『揃い踏み』を追求すべし」でも取り上げた)では、ピケティはこう言っている。

 ――デフレに苦しむ日本はインフレを起こそうとしています。

 「グローバル経済の中でできるかどうか。円やユーロをどんどん刷って、不動産や株の値をつり上げてバブルをつくる。それはよい方向とは思えません。特定のグループを大もうけさせることにはなっても、それが必ずしもよいグループではないからです。インフレ率を上昇させる唯一のやり方は、給料とくに公務員の給料を5%上げることでしょう

(2015年1月1日付朝日新聞オピニオン面掲載 トマ・ピケティインタビュー「失われた平等を求めて」より)


 この答えには私も「その通り」と思うのだが、聞き手の朝日新聞論説主幹・大野博人は、「それは政策としては難しそうです」と反応している。ピケティは、金融緩和でバブルを発生させるのは「よい方向とは思えません。特定のグループを大もうけさせることにはなっても、それが必ずしもよいグループではないからです」と言い、金融緩和に代わる方法として公務員の賃上げを提案したのだ。さらにピケティはそれに続いて、

私は、もっとよい方法は日本でも欧州でも民間資産の累進課税だと思います。それは実際にはインフレと同じ効果を発揮しますが、いわばインフレの文明化された形なのです。負担をもっとうまく再分配できますから。

と語っている。これがピケティの本当の主張なのである。日経の記者から金融緩和によるインフレについて聞かれたらそれは否定しないが、インフレにするためには公務員の賃上げの方が効果的で、さらにもっと良いのが累進的な資産課税だというのである。

 さて、ここまで長々と書いてきたが、実は本論はここからである。だから、今回は前振りが異常に長い。だから全体も長い。私の無能ゆえに(毎度のように書くが、私は経済学の素養を全く欠くど素人である)馬鹿長い記事になってしまった。

 1月5日付記事で、

『21世紀の資本』の第16章「公的債務の問題」でピケティが最悪の解決法だと評しているのが緊縮財政である。

と書いた。私が書いた文章は信用できない、という向きには、ネット検索で「ピケティ『21世紀の資本』を読む」と題した連載記事を載せているブログ(『海神日和』=下記URL)に、該当箇所の要約が短く載っている。
 http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2015-01-07

 いうまでもなく、政府が支出をまかなう方法は、税金と負債です。現在、先進国は1945年以来経験したこともないような負債をかかえこんでいます。「金持ち世界は金持ちだが、でも金持ち世界の政府は貧乏」という奇妙なパラドックスが生じている、と著者はいいます。
 この公的債務を解決する方法は、資本税、インフレ、緊縮財政の3つしかありません。このなかでは緊縮財政が最悪の解決方法です。

(ブログ『海神日和』 2015年1月7日付記事「累進資産税の提案──ピケティ『21世紀の資本』を読む(9)」より)


 ところが、安倍政権が現在やろうとしているのは、ピケティが言うところの「最悪の解決方法」である緊縮財政なのである。下記日経記事(下記URL)は、ピケティが来日した当日にして、日本の報道が日本人人質事件に集中していた1月29日に載ったので、うかつにもこの週末まで知らなかった。
 http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS28H6A_Y5A120C1PP8000/

自民、財政再建へ新組織 政府会議の民間識者参加

 自民党は2月から歳出抑制の議論に着手する。稲田朋美政調会長をトップに特命委員会を設け、高齢化で膨らむ社会保障費などに切り込む。財政問題に詳しい土居丈朗慶大教授ら学識有識者を助言役に加える。機械的な歳出削減だけでは党内の反発も予想される。行政改革などの専門家も交え、規制緩和による経済成長を通じた税収増や公共サービスの効率化なども含めることをアピールしたい考えだ。

(2015/1/29 2:00 日本経済新聞 電子版)


 せっかくピケティ来日のタイミングで流れたニュースなのだから、新聞社の経済記者は、このニュースについてピケティに質問すれば良かったのにと思った。この政策の是非について聞かれたら、ピケティは肩をすくめて一刀両断に切り捨てたに違いない。

 この件を私は週末に発売された講談社の写真週刊誌『FRIDAY』(3月13日号)で知った。「安倍首相が稲田政調会長に託した財政再建素案『痛みに耐えよ』」という見出しがついている。載っている写真だけ見れば、稲田朋美と安倍晋三の宣伝記事にしか見えないが、腰が引けながらも安倍と稲田を揶揄する調子の文章が書かれている。『FRIDAY』の記事をまとめると下記のようになる。

 安倍晋三は1月下旬に「財政再建に関する特命委員会」を立ち上げ、稲田朋美を委員長に指名した。つまり、財政再建を稲田朋美に丸投げした。安倍のお気に入りながら経済には明るくない稲田は、4人の有識者を特命委員会の会議に招聘したが、稲田の「指導係」と黙されているのが慶応大経済学部教授の土居丈朗。稲田じきじきの依頼で土居が招聘された。今年初め、土居を中心として作成された〈社会保障改革しか道はない〉と題されたレポートが、「稲田委員会」の討議の叩き台になる。稲田は、このレポートを読み込み、「財政再建はこの道しかない」と認識している。

 中身は「大幅な歳出削減」。最初に標的にされるのは医療費(2.7兆円削減、ジェネリック医薬品利用促進でさらに0.5兆円削減)、次いで介護費(1.1兆円削減)。さらに年金受給者向けの優遇税制の圧縮(0.4兆円削減)。それでも数兆円不足するが、消費税率を12%に上げて賄う。国民に大きな痛みを強いる改革案だが、安倍はこの路線に賛成している。レポート発行元のNIRAの会長は、安倍の「後見人」と言われ、安倍の兄の岳父でもあるウシオ電機会長・牛尾治朗。

 稲田を「自民党のジャンヌ・ダルク」と高く評価する安倍は、財政再建改革案を無事にまとめれば、稲田を重役ポストに登用するという観測も。「身内」しか信用しない安倍に、国民に痛みを強いる重要な改革ができるか甚だ疑問。

(週刊『FRIDAY』 2015年3月13日号18-19頁 「安倍が稲田に託した財政再建素案の核は『痛みに耐えよ』」より要約。敬称略=週刊誌の記事には人名に役職名が付されていた)


 あまりに凶悪極まりない中身には唖然とするほかない。飯田泰之が「ピケティが安倍政権と日銀のインフレ政策を評価した」とされる日経記事をネットで拡散したり、高橋洋一が「ピケティ氏の理論を都合よく“編集”した言説にはご注意を」などと夕刊紙に書いたりして「アベノミクス」を宣伝している間に、こんな悪質な企みが進んでいたのだ。

 「再分配も重視するリフレ派」のはずなのに、いわゆる「アベノミクス」から再分配が欠落していることをどの程度批判しているのかはなはだ疑わしい飯田泰之もダメだが、夕刊フジの記事に「ピケティ氏はアベノミクスや金融政策に否定的だという印象を受ける」と書いた高橋洋一はさらに悪質だ。

 ここまでに書いたことから、金融政策はともかく、「アベノミクス」にはピケティは間違いなく大反対であると断言できる。ピケティが「アベノミクス」を評価する点があるとするなら、それはインフレ実現を指向した金融政策に限定されるだろう。

 そもそも、「アベノミクス」とは「安倍経済学」を意味する言葉のはずであって、当然そこには金融政策ばかりではなく、財政政策も含まれるはずだ。しかるに、安倍政権が進めようとしている財政政策は、ピケティが「最悪の解決方法」だと主張する緊縮財政政策なのである。こんなことをやっていたら、いくら金融緩和を続けても日本経済は上向くどころか、悪化する一方だろう。

 高橋洋一に対しては、「ピケティ氏の理論を都合よく“編集”した言説」をなすのは一体どっちなんだよ、と言いたいが、その高橋洋一に輪をかけて最低最悪な人間がいる。

 高橋洋一は、まだピケティがインフレ政策を肯定していること「だけ」を強調する程度だ。別件で、ピケティが資産(ピケティのいう「資本」)の話をしているのに、高橋洋一が書いたコラムで所得の話にすり替えているというご指摘を、渡辺輝人弁護士から『kojitakenの日記』のコメント欄にいただいているが、それよりもっとひどいピケティのねじ曲げをやった男がいる。それが、ほかならぬ稲田朋美の「財政再建に関する特命委員会」のブレーン・土居丈朗なのである。

 そのことは先週、『kojitakenの日記』の記事「ピケティをねじ曲げる土居丈朗、どうでも良い雑談をかます高橋洋一」に書いた。高橋洋一の記事を「どうでも良い雑談」と書いたの私の記事は、高橋がやらかした資産と所得のすり替えを見逃しているというのが、渡辺輝人弁護士のご指摘だと認識しているが、それでも土居丈朗によるピケティのねじ曲げは、高橋洋一よりももっとひどい。以下『kojitakenの日記』に書いた文章を引用する。

 昨日、職場に置いてあった日本経済新聞(確か日曜日の22日付)を見ていたら、緊縮財政派にして消費税増税派と思われる土居丈朗がコラムを書いていて、ピケティの『21世紀の資本』に言及していたが、その言及が実にひどかった。イギリスが今の日本と同じようにGDPの200%にあたる政府債務を抱えていたが、低成長下で緊縮財政をずっと続けて完済した話を肯定的に引用し、自説へとつなげていたのだが、実はピケティはこの例を否定的に取り上げていたのである。土居はそのことをコラムに一言も書いていなかった。実に不誠実極まる態度だと思った。なお、ピケティがイギリスの方法に批判的であるのは、下記「東洋経済オンライン」の記事でも確認できる。
 http://toyokeizai.net/articles/-/58906?page=2

■ イギリスと同じ轍を踏んではいけない

 ――反対に、すべきでないことは?

 ピケティ たとえば公的債務の危機は過去にもあった。イギリスは19世紀に、今の日本と同様、GDPの200%の水準になったことがある。19世紀のイギリスは、歳出削減によって予算を黒字化させて公的債務を減らすという、オーソドックスなやり方でこの危機を乗り越えた。

 だが問題は、非常に時間がかかったということだ。解決には1世紀を要した。その間、イギリスは毎年GDPの1~2%の黒字を蓄積していき、自国の金利生活者にカネを返し続けた。結果、イギリスは教育への投資を減らしてしまった。これは、今の日本や欧州が「同じ轍を踏まないように」と考えさせる重要な教訓だと思う。


 東洋経済オンラインではこれだけだが、ピケティは「イギリスが教育への投資を減らしてしまった」ことがイギリス経済に悪影響を与えたと批判していたはずだ。それを、ピケティとは立ち位置が全く異なると思われる土居丈朗が我田引水する。これだから日本の「経済学者」とやらは信用ならないのだ。

 その「最悪の経済学者」にして、小泉純一郎政権時代に日本社会の格差を拡大させた竹中平蔵と同じ慶応大経済学部教授の土居丈朗が、あの稲田朋美のブレーンとなって安倍政権の「財政再建政策」の方向性を決める。

 トマ・ピケティの思想とは正反対、「反ピケティ」の極致であるのはもちろん、これまでに見たこともない凶悪な経済政策としか言いようがない。

 経済学者たちよ、それでも「アベノミクス」を支持するのか。