当ブログは先々週のエントリのタイトルを「『脱原発』を次期総選挙の争点に据えよ」とした。
当該エントリに、総選挙を原発問題のシングルイシューにしてはならないという趣旨のコメントもいただいたが、ピント外れもいいところである。たとえば昨年の民主党代表選においては、当然原発問題が争点「の一つ」になると思われたにもかかわらず、最有力候補の野田佳彦(「野ダメ」)も、小沢グループの支援を受けた海江田万里もともに「原発推進派」であったため、原発問題は「シングルイシュー」どころか、代表選の「争点の一つ」にさえならなかったのである。これに関しては、当時民主党内反主流派だった小沢一郎の責任がきわめて重い。小沢は、わざと原発問題を民主党代表選の争点から外すために海江田万里を担いだ、そう私は解釈している。
前首相の菅直人が「脱原発依存」を打ち出したのと同じ昨年7月13日に、「脱原発」を社論にすることを宣言した朝日新聞も、原発問題を総選挙の争点に設定したいのだろう。昨日(8月26日)の一面トップに、2030年の原発依存度に関して国会議員を対象に実施したアンケートの結果を報じている。選択肢は民主党政府が掲げたのと同じ、0%、15%、20〜25%の3つ。60%の議員が回答し、42%が「0%」を選んだ。与党・民主党の議員は40%が「0%」を選んだが、自民党議員で「0%」を選んだのはわずか4%。自公を除く小政党は大半が「0%」を選んだ。
異彩を放っているのが小沢新党「国民の生活が第一」である。同党は、回答した37人中34人が「0%」を選んだにもかかわらず、同時に行われた「核燃サイクル」に関する質問に対しては、なぜかおよそ3分の2に当たる25人が「なお検討が必要」と回答した。朝日新聞は、26日付3面掲載の記事で、「10年後をめどに原発全廃」を掲げた同党の「脱原発」の方針との矛盾を指摘し、「ほかの野党議員の多くが廃止を選んだのとは対照的で、党の脱原発方針との整合性が問われそうだ」と痛烈な皮肉を放った。「国民の生活が第一」は「似非『脱原発』政党」の馬脚を現したといえるだろう。
解散総選挙については、自民党議員は会期末の9月上旬の解散を、民主党の多くの議員は任期満了直前の、おそらく衆参同日選挙のタイミングの解散を希望しているらしい。自民党の場合はそのタイミングで解散があればほぼ間違いなく勝てるから理にかなっているが、大部分の民主党議員は頭が悪いとしか思えない。麻生政権時代の2008年にも当ブログで指摘したが、解散という「伝家の宝刀」の威力は、任期満了が近づくにつれて薄れていき、任期満了またはその直前に解散が行われた場合、与党は敗北を喫するのが普通だからだ。今でも民主党議員は逆風を感じていると思うが、その逆風は任期満了が近づくにつれますます強まる。
野田佳彦以下の執行部は、どうやら10月解散、11月投票を考えているようだが、そのタイミングが妥当だろう。いつ解散しても民主党は必ず負けると思うが、傷口を最小限に治めるためにはその選択肢しかない。
個人的にも、民主党代表選と自民党総裁選を行って日が経たないうちに解散総選挙を行ってもらいたい。どうせ徳でもない結果になるのは目に見えているが、この2つの政党の党首選でどういう主張を掲げる候補がどれくらい支持されるかで、両党の方向性が少しは明らかになると思うからだ。もっとも私自身は、この2つの政党や「国民の生活が第一」なんかには間違っても投票しないけれど。
民主党は、野田佳彦に不満を持つ議員は多けれど、対抗馬を立てられないという無様な状態らしい。推薦人の20人を集めるのにも窮するありさまだというのだ。一方の自民党で注目されるのは、というかこんな奴なんか注目したくもないのだが、安倍晋三である。
終戦の日の朝日新聞の報道を皮切りに、橋下徹の「大阪維新の会」が安倍晋三にアプローチしていることが報じられている。橋下やそのブレーンらが狙っているのは、自民党を党丸ごと「民自公」大連立に持って行かすのを阻止するために、同党を分裂させて安倍晋三一派を取り込むことだといわれている。
それに関して非常に不愉快だったのは、今朝の新聞に掲載されている『週刊ポスト』の広告である。東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋が安倍晋三にインタビューしており、見出しは「橋下さんとともに民自公談合連立を粉砕する」となっている。このところの東京新聞は、読売・産経・日経はもちろん、朝日や毎日と比較しても突出した「反権力」的な紙面を作っているが、それにもかかわらず私がこの新聞に疑念を感じるのは、論説副主幹がこんなネオコン・ネオリベ雑誌で極右政治家の安倍晋三にインタビューして、安倍と橋下をくっつける動きの手助けをしようとしているからだ。「民自公談合連立」を阻止したところで、それよりさらに悪いモンスター政権ができてしまってはどうしようもない。
橋下が安倍にアプローチをかけた報道以来、ネットでもいわゆる「小沢信者」がめっきり元気を失っているし、リアルの世論調査でも「国民の生活が第一」の支持率は1%前後に低迷している。小沢一郎はやはり戦略を誤った。というより、「自分の選挙が第一」である配下の国会議員たちに足を引っ張られた。昨年末に民主党を離党して「新党きづな」を結成した連中をはじめとして、小沢は議員の多くは人気のある橋下徹と組みたがった。そしてついに小沢は集団離党して「国民の生活が第一」を結成したが、多くの議員は新聞のアンケートに答えて、「2030年の原発依存度0%」と「核燃サイクル廃止には慎重」と同時に選び、新聞に「党の脱原発方針との整合性が問われそうだ」などと皮肉られる赤恥を晒している。これは同党の議員の質の低さを象徴しているといえるだろう。
小沢一郎は、本当は今年の民主党代表選で勝つという戦略を思い描いていたのではなかったかと私は想像する。昨年の時点で小沢はそれを目指すだろうと私は予想していたが、そうはならなかった。「小泉チルドレン」の末路を見て、「民主党にとどまっていたのでは同じ目に遭う」と恐れた配下の議員たちに足を引っ張られた形だ。
だが、彼らはとんだ思い違いをしていた。民主党がダメなら維新に行けばいいさ、というほど世の中は甘くなかったのである。この先、「国民の生活が第一」が橋下・安倍連合の軍門に下るのかどうか私は知らないが、そうなろうとなるまいと、彼らが日本の政治を良くする可能性は皆無であることだけは間違いない。
このような惨状を招いた大きな原因に、(小沢一郎がその成立のために「剛腕」をふるった)小選挙区制があることを改めて指摘したいと思う。小選挙区制を廃止し、比例代表制を中心とした選挙制度に改めない限り、日本の政治は良くならないだろう。だが、もはや漸進的に変えて良くしていく余裕はなくなりつつある。安倍晋三が自民党を割るかどうかはともかく、橋下と安倍がキーマンになる政治では、希望など持ちようがない。
私が不思議に思うのは、橋下の(人気取りのための)「脱原発」と、安倍晋三のこれまでの「原発推進」はどう整合させるのだろうかということだ。なぜかこの点に触れる論者はほとんどいない。『週刊現代』の広告には、「安倍昭恵『脱原発で夫を説得します』」などという見出しが出ているが、山口県にできるはずだった中国電力上関原発の建設が絶望視される現在、まさかの安倍晋三「脱原発」転向もあり得るのでは、という思いが脳裏をかすめる。
「脱原発」が総選挙の争点の一つになったところで、政治は何も変わらないのかもしれない。
当該エントリに、総選挙を原発問題のシングルイシューにしてはならないという趣旨のコメントもいただいたが、ピント外れもいいところである。たとえば昨年の民主党代表選においては、当然原発問題が争点「の一つ」になると思われたにもかかわらず、最有力候補の野田佳彦(「野ダメ」)も、小沢グループの支援を受けた海江田万里もともに「原発推進派」であったため、原発問題は「シングルイシュー」どころか、代表選の「争点の一つ」にさえならなかったのである。これに関しては、当時民主党内反主流派だった小沢一郎の責任がきわめて重い。小沢は、わざと原発問題を民主党代表選の争点から外すために海江田万里を担いだ、そう私は解釈している。
前首相の菅直人が「脱原発依存」を打ち出したのと同じ昨年7月13日に、「脱原発」を社論にすることを宣言した朝日新聞も、原発問題を総選挙の争点に設定したいのだろう。昨日(8月26日)の一面トップに、2030年の原発依存度に関して国会議員を対象に実施したアンケートの結果を報じている。選択肢は民主党政府が掲げたのと同じ、0%、15%、20〜25%の3つ。60%の議員が回答し、42%が「0%」を選んだ。与党・民主党の議員は40%が「0%」を選んだが、自民党議員で「0%」を選んだのはわずか4%。自公を除く小政党は大半が「0%」を選んだ。
異彩を放っているのが小沢新党「国民の生活が第一」である。同党は、回答した37人中34人が「0%」を選んだにもかかわらず、同時に行われた「核燃サイクル」に関する質問に対しては、なぜかおよそ3分の2に当たる25人が「なお検討が必要」と回答した。朝日新聞は、26日付3面掲載の記事で、「10年後をめどに原発全廃」を掲げた同党の「脱原発」の方針との矛盾を指摘し、「ほかの野党議員の多くが廃止を選んだのとは対照的で、党の脱原発方針との整合性が問われそうだ」と痛烈な皮肉を放った。「国民の生活が第一」は「似非『脱原発』政党」の馬脚を現したといえるだろう。
解散総選挙については、自民党議員は会期末の9月上旬の解散を、民主党の多くの議員は任期満了直前の、おそらく衆参同日選挙のタイミングの解散を希望しているらしい。自民党の場合はそのタイミングで解散があればほぼ間違いなく勝てるから理にかなっているが、大部分の民主党議員は頭が悪いとしか思えない。麻生政権時代の2008年にも当ブログで指摘したが、解散という「伝家の宝刀」の威力は、任期満了が近づくにつれて薄れていき、任期満了またはその直前に解散が行われた場合、与党は敗北を喫するのが普通だからだ。今でも民主党議員は逆風を感じていると思うが、その逆風は任期満了が近づくにつれますます強まる。
野田佳彦以下の執行部は、どうやら10月解散、11月投票を考えているようだが、そのタイミングが妥当だろう。いつ解散しても民主党は必ず負けると思うが、傷口を最小限に治めるためにはその選択肢しかない。
個人的にも、民主党代表選と自民党総裁選を行って日が経たないうちに解散総選挙を行ってもらいたい。どうせ徳でもない結果になるのは目に見えているが、この2つの政党の党首選でどういう主張を掲げる候補がどれくらい支持されるかで、両党の方向性が少しは明らかになると思うからだ。もっとも私自身は、この2つの政党や「国民の生活が第一」なんかには間違っても投票しないけれど。
民主党は、野田佳彦に不満を持つ議員は多けれど、対抗馬を立てられないという無様な状態らしい。推薦人の20人を集めるのにも窮するありさまだというのだ。一方の自民党で注目されるのは、というかこんな奴なんか注目したくもないのだが、安倍晋三である。
終戦の日の朝日新聞の報道を皮切りに、橋下徹の「大阪維新の会」が安倍晋三にアプローチしていることが報じられている。橋下やそのブレーンらが狙っているのは、自民党を党丸ごと「民自公」大連立に持って行かすのを阻止するために、同党を分裂させて安倍晋三一派を取り込むことだといわれている。
それに関して非常に不愉快だったのは、今朝の新聞に掲載されている『週刊ポスト』の広告である。東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋が安倍晋三にインタビューしており、見出しは「橋下さんとともに民自公談合連立を粉砕する」となっている。このところの東京新聞は、読売・産経・日経はもちろん、朝日や毎日と比較しても突出した「反権力」的な紙面を作っているが、それにもかかわらず私がこの新聞に疑念を感じるのは、論説副主幹がこんなネオコン・ネオリベ雑誌で極右政治家の安倍晋三にインタビューして、安倍と橋下をくっつける動きの手助けをしようとしているからだ。「民自公談合連立」を阻止したところで、それよりさらに悪いモンスター政権ができてしまってはどうしようもない。
橋下が安倍にアプローチをかけた報道以来、ネットでもいわゆる「小沢信者」がめっきり元気を失っているし、リアルの世論調査でも「国民の生活が第一」の支持率は1%前後に低迷している。小沢一郎はやはり戦略を誤った。というより、「自分の選挙が第一」である配下の国会議員たちに足を引っ張られた。昨年末に民主党を離党して「新党きづな」を結成した連中をはじめとして、小沢は議員の多くは人気のある橋下徹と組みたがった。そしてついに小沢は集団離党して「国民の生活が第一」を結成したが、多くの議員は新聞のアンケートに答えて、「2030年の原発依存度0%」と「核燃サイクル廃止には慎重」と同時に選び、新聞に「党の脱原発方針との整合性が問われそうだ」などと皮肉られる赤恥を晒している。これは同党の議員の質の低さを象徴しているといえるだろう。
小沢一郎は、本当は今年の民主党代表選で勝つという戦略を思い描いていたのではなかったかと私は想像する。昨年の時点で小沢はそれを目指すだろうと私は予想していたが、そうはならなかった。「小泉チルドレン」の末路を見て、「民主党にとどまっていたのでは同じ目に遭う」と恐れた配下の議員たちに足を引っ張られた形だ。
だが、彼らはとんだ思い違いをしていた。民主党がダメなら維新に行けばいいさ、というほど世の中は甘くなかったのである。この先、「国民の生活が第一」が橋下・安倍連合の軍門に下るのかどうか私は知らないが、そうなろうとなるまいと、彼らが日本の政治を良くする可能性は皆無であることだけは間違いない。
このような惨状を招いた大きな原因に、(小沢一郎がその成立のために「剛腕」をふるった)小選挙区制があることを改めて指摘したいと思う。小選挙区制を廃止し、比例代表制を中心とした選挙制度に改めない限り、日本の政治は良くならないだろう。だが、もはや漸進的に変えて良くしていく余裕はなくなりつつある。安倍晋三が自民党を割るかどうかはともかく、橋下と安倍がキーマンになる政治では、希望など持ちようがない。
私が不思議に思うのは、橋下の(人気取りのための)「脱原発」と、安倍晋三のこれまでの「原発推進」はどう整合させるのだろうかということだ。なぜかこの点に触れる論者はほとんどいない。『週刊現代』の広告には、「安倍昭恵『脱原発で夫を説得します』」などという見出しが出ているが、山口県にできるはずだった中国電力上関原発の建設が絶望視される現在、まさかの安倍晋三「脱原発」転向もあり得るのでは、という思いが脳裏をかすめる。
「脱原発」が総選挙の争点の一つになったところで、政治は何も変わらないのかもしれない。
現在テレビなどのマスメディアを賑わせている領土問題だが、私は共産党のような「愛国」的な立場には立たないので、お互いの見解が異なる領土問題は「棚上げ」で良いのではないかと思っている。ただ、いわゆる「北方領土」については、あの島々はもともとアイヌの人たちのものではないかと考えていて(それを言い出せば北海道も同じなのかもしれないが)、かつて日本の経済力が強くてソ連は崩壊寸前だった頃に、日本政府(海部俊樹首相・小沢一郎自民党幹事長時代)が北方領土をあたかも「買おう」としているような気配を見せた時には、「日本に返還されたってゴルフ場ができるだけじゃないかなあ」などと思っていた。しかしそれから20年あまりが経過して、今度はロシア政府が択捉島や国後島を開発しようとしている報道に接して、「あれじゃ昔の日本と同じか、それよりひどいじゃないか」と憤っている。つまり、中国や韓国に対しては関係を悪化させないことは必要だが、北方四島は日ロで共同管理し、互いに乱開発などに手を出さないようにすべきだと考えている(軍事施設建設は論外)。
領土問題がやかましくなると右翼が勢いづくのを苦々しく思うのもまた事実だ。なぜいろんな国との領土問題で相手国が強気に出てくるかというと、それは日本の経済力が落ちてきているから足元を見られているのである。それは、かつて日本が崩壊寸前のソ連の足元を見て、北方領土を「買う」と言わんばかりの動きを見せていたことを思い出しても明らかだ。
右翼的風潮に流されて軍備を増強するなどはもってのほかである。それでなくとも乏しい政府支出がそんなものに注ぎ込まれれば、それでなくとも再分配による格差縮小が「世界に冠たる」乏しい国である日本で、ますます再分配が行われなくなり、需要不足はさらに深刻化して経済がどん底に落ち、領土問題で今まで以上に周辺各国に足元を見られるという悪循環をたどる。領土問題を解決したければ、まず日本経済を立て直すことである。日本の経済が良くないのは需要不足が原因だから、これまで乏しかった再分配を強化する必要がある。だから軍備増強などに税金を注ぎ込む余裕などない、というのが私の意見である。
しかし、状況は私が期待するのと逆の方向に向かっているようだ。
8月15日付の朝日新聞が、「大阪維新の会」代表の橋下徹が、次期総選挙に向けて心頭を立ち上げる意思を固め、元首相・安倍晋三に中核議員としての参加を要請したと報じた。
橋下と安倍が接近していたことは、少し前から漏れ伝わってくる情報から感づいていたので、私はただちに『kojitakenの日記』で取り上げて大騒ぎしたが、なぜかネットではこの件に関する反応がいたって鈍い。『日本がアブナイ!』はこの件を取り上げて問題視する記事を書いたが、そのようなブログはむしろ少数派であって、多くの「政治ブログ」はこの件をスルーしている。
特に「小沢信者」のブログ群はこの件を取り上げたがらない。もちろん中には、小沢一郎の政治資金パーティーに参加するなどリアルでも活動している筋金入りの小沢支持ブログ『かっちの言い分』のように、
ところで、「小沢信者」の総本山ともいえる植草一秀は、間接的な表現ながら橋下とは距離を置くスタンスをとっているようだ。それには異論はなく、むしろ「小沢信者」の中ではマシな部類といえるのだが、その植草が「『対米隷属』派と『自主独立』派のせめぎ合い」と題したエントリで、孫崎享の著書『戦後史の正体』を好意的に取り上げていることに引っかかり、Amazonのカスタマーレビューをざっと眺めてみた。そして呆れた。
孫崎は、歴代内閣総理大臣を「対米従属派」と「自主派」に分類する。これだけでも植草一秀を筆頭とする「反米愛国」系の「小沢信者」が大喜びしそうな、その実態は陳腐きわまりない「善悪二元論」だが、目新しいのは岸信介と佐藤栄作を「自主派」に分類していることだ(70年代に日本政治の右傾化のきっかけを作った福田赳夫も「自主派」に分類している)。
孫崎によると、地位協定の改定を意図していた岸内閣を早期に退陣させる目的で、安保闘争の全学連にまでアメリカの資金が流れていたという。つまり、60年安保闘争も実はアメリカの陰謀だったという「9.11自作自演説」も真っ青な「陰謀論」を孫崎はかましている。そうして岸信介はアメリカによって権力から引きずり下ろされたというのだが、それならなぜ岸信介と佐藤栄作はCIAから資金援助を受けていたのかを孫崎が説明しているのかどうかは、読んでいないので知らない。私はカスタマーレビューだけでお腹いっぱいになってしまって、こんな駄本を読むつもりは全くないので、上記についてご存じの方がおられればコメント欄でお知らせいただけると幸いである。
蛇足ながら、岸信介が「安倍晋三の敬愛する祖父」である点も気になる。可能性としては低いけれども、もっとも極端なケースとして、安倍晋三・橋下徹・小沢一郎の三者の連携もあり得ると私は考えているからだ。不幸にしてこれが実現した場合、「自公民大連立政権」よりもずっと性質の悪いな政権が成立することになる。
孫崎の著書の話に戻ると、この本には既に48件のカスタマーレビューがついていて、うち35件が5つ星である一方、星1つが8件ある。しかし、後者の多くはネット右翼からの異論である。中には本文ではこき下ろしていながら5つ星をつけているレビューもあるが、概して高評価で、「目からうろこが落ちた」的な感想を述べている人も多い。一水会の機関紙、『日刊ゲンダイ』、『噂の真相』元編集長の岡留安則、『週刊金曜日』などでも好意的なレビューがなされていたとのことで、要するに「小沢信者」及びその周辺で大人気を博しているようである。
そして、これまで「護憲」のスタンスを取っていた「小沢左派」のうち、この本に感化されてか「改憲」、つまり「自主憲法の制定」を肯定する立場に転向した人間が少なからずいると聞いた。
リアルの政治において、安倍晋三・橋下徹・小沢一郎の三者連合ができる可能性は実のところきわめて低いと私は思っている。小沢一郎は「国民的不人気」だからである。世論調査で小沢新党「国民の生活が第一」の支持率が出始めているが、同党の支持率は概ね1%前後であり、社民党よりは高いが共産党より低い。小選挙区で勝ち抜ける候補は小沢一郎以外には思いつかないから、同党がどことも提携せずに衆議院選挙を戦った場合、同党の獲得議席は1桁に落ち込むだろうと私は予想している。
だが、それとは別に、「安倍・橋下・小沢」連立政権ができてもそれを支持する下地ができつつあることは、孫崎本が大人気を博していることからもうかがわれるのである。
いや、上記から「小沢」を抜いた「安倍・橋下」政権でも受け入れられるかもしれない。岸信介を「自主独立派」の政治家とみなして肯定するのであれば、「安倍・橋下」政権を否定する理由など何もなくなる。
現在、民自公の一部にある「大連立」志向はよく「大政翼賛会」になぞらえられる。その指摘自体は間違っていないと思うし、私も民自公大連立には反対だ。しかし、1940年の「大政翼賛会」は決して無批判に受け入れられたわけではない。当時も「右」からの強烈な批判があった。その急先鋒が平沼騏一郎だったから、時の近衛文麿首相は平沼を閣内に取り込んだ。それでも、「大政翼賛会は『赤』だ」という「右」からの批判は一定の支持を受けた。
岸信介を肯定的に評価して陰謀論をかます孫崎享に代表されるような「反米愛国」の人たちは、言ってみれば「大政翼賛会」を「右」から批判した勢力に対応するのではないか。彼らは、大政翼賛会ともども戦後否定されることになり、大政翼賛会でも右からの批判でもない「デモクラシー」が占領軍(アメリカ)によって導入された。
現在も似たような状況で、消費税増税を3党合意で導入した民自公「大政翼賛会」やそれに対する右からの批判勢力である「維新」(橋下)は、いつになるかわからない「戦」後、ともに否定されることになるだろう。
しかし、現状の延長戦を突き進むのであれば、残念ながら必ずや一度は破局的局面を経由せざるを得ないのではないだろうか。
領土問題がやかましくなると右翼が勢いづくのを苦々しく思うのもまた事実だ。なぜいろんな国との領土問題で相手国が強気に出てくるかというと、それは日本の経済力が落ちてきているから足元を見られているのである。それは、かつて日本が崩壊寸前のソ連の足元を見て、北方領土を「買う」と言わんばかりの動きを見せていたことを思い出しても明らかだ。
右翼的風潮に流されて軍備を増強するなどはもってのほかである。それでなくとも乏しい政府支出がそんなものに注ぎ込まれれば、それでなくとも再分配による格差縮小が「世界に冠たる」乏しい国である日本で、ますます再分配が行われなくなり、需要不足はさらに深刻化して経済がどん底に落ち、領土問題で今まで以上に周辺各国に足元を見られるという悪循環をたどる。領土問題を解決したければ、まず日本経済を立て直すことである。日本の経済が良くないのは需要不足が原因だから、これまで乏しかった再分配を強化する必要がある。だから軍備増強などに税金を注ぎ込む余裕などない、というのが私の意見である。
しかし、状況は私が期待するのと逆の方向に向かっているようだ。
8月15日付の朝日新聞が、「大阪維新の会」代表の橋下徹が、次期総選挙に向けて心頭を立ち上げる意思を固め、元首相・安倍晋三に中核議員としての参加を要請したと報じた。
橋下と安倍が接近していたことは、少し前から漏れ伝わってくる情報から感づいていたので、私はただちに『kojitakenの日記』で取り上げて大騒ぎしたが、なぜかネットではこの件に関する反応がいたって鈍い。『日本がアブナイ!』はこの件を取り上げて問題視する記事を書いたが、そのようなブログはむしろ少数派であって、多くの「政治ブログ」はこの件をスルーしている。
特に「小沢信者」のブログ群はこの件を取り上げたがらない。もちろん中には、小沢一郎の政治資金パーティーに参加するなどリアルでも活動している筋金入りの小沢支持ブログ『かっちの言い分』のように、
と率直に意見を述べているブログもあるが、これまた小沢支持派の中ではごく少数派である。「小沢信者」の大部分は、「橋下の悪口を言うな」という教組・小沢一郎の言いつけを守ってかどうか、この問題で沈黙を保つか、さもなくば「橋下市長が体制変革を目指すというなら安倍晋三とではなく小沢さんと組むべき」などと橋下に秋波を送る人間までいる。これ(注:上記リンク先の朝日新聞報道)を聞いた途端、(「維新」と)「生活」との連携は無いように思えた。
ところで、「小沢信者」の総本山ともいえる植草一秀は、間接的な表現ながら橋下とは距離を置くスタンスをとっているようだ。それには異論はなく、むしろ「小沢信者」の中ではマシな部類といえるのだが、その植草が「『対米隷属』派と『自主独立』派のせめぎ合い」と題したエントリで、孫崎享の著書『戦後史の正体』を好意的に取り上げていることに引っかかり、Amazonのカスタマーレビューをざっと眺めてみた。そして呆れた。
孫崎は、歴代内閣総理大臣を「対米従属派」と「自主派」に分類する。これだけでも植草一秀を筆頭とする「反米愛国」系の「小沢信者」が大喜びしそうな、その実態は陳腐きわまりない「善悪二元論」だが、目新しいのは岸信介と佐藤栄作を「自主派」に分類していることだ(70年代に日本政治の右傾化のきっかけを作った福田赳夫も「自主派」に分類している)。
孫崎によると、地位協定の改定を意図していた岸内閣を早期に退陣させる目的で、安保闘争の全学連にまでアメリカの資金が流れていたという。つまり、60年安保闘争も実はアメリカの陰謀だったという「9.11自作自演説」も真っ青な「陰謀論」を孫崎はかましている。そうして岸信介はアメリカによって権力から引きずり下ろされたというのだが、それならなぜ岸信介と佐藤栄作はCIAから資金援助を受けていたのかを孫崎が説明しているのかどうかは、読んでいないので知らない。私はカスタマーレビューだけでお腹いっぱいになってしまって、こんな駄本を読むつもりは全くないので、上記についてご存じの方がおられればコメント欄でお知らせいただけると幸いである。
蛇足ながら、岸信介が「安倍晋三の敬愛する祖父」である点も気になる。可能性としては低いけれども、もっとも極端なケースとして、安倍晋三・橋下徹・小沢一郎の三者の連携もあり得ると私は考えているからだ。不幸にしてこれが実現した場合、「自公民大連立政権」よりもずっと性質の悪いな政権が成立することになる。
孫崎の著書の話に戻ると、この本には既に48件のカスタマーレビューがついていて、うち35件が5つ星である一方、星1つが8件ある。しかし、後者の多くはネット右翼からの異論である。中には本文ではこき下ろしていながら5つ星をつけているレビューもあるが、概して高評価で、「目からうろこが落ちた」的な感想を述べている人も多い。一水会の機関紙、『日刊ゲンダイ』、『噂の真相』元編集長の岡留安則、『週刊金曜日』などでも好意的なレビューがなされていたとのことで、要するに「小沢信者」及びその周辺で大人気を博しているようである。
そして、これまで「護憲」のスタンスを取っていた「小沢左派」のうち、この本に感化されてか「改憲」、つまり「自主憲法の制定」を肯定する立場に転向した人間が少なからずいると聞いた。
リアルの政治において、安倍晋三・橋下徹・小沢一郎の三者連合ができる可能性は実のところきわめて低いと私は思っている。小沢一郎は「国民的不人気」だからである。世論調査で小沢新党「国民の生活が第一」の支持率が出始めているが、同党の支持率は概ね1%前後であり、社民党よりは高いが共産党より低い。小選挙区で勝ち抜ける候補は小沢一郎以外には思いつかないから、同党がどことも提携せずに衆議院選挙を戦った場合、同党の獲得議席は1桁に落ち込むだろうと私は予想している。
だが、それとは別に、「安倍・橋下・小沢」連立政権ができてもそれを支持する下地ができつつあることは、孫崎本が大人気を博していることからもうかがわれるのである。
いや、上記から「小沢」を抜いた「安倍・橋下」政権でも受け入れられるかもしれない。岸信介を「自主独立派」の政治家とみなして肯定するのであれば、「安倍・橋下」政権を否定する理由など何もなくなる。
現在、民自公の一部にある「大連立」志向はよく「大政翼賛会」になぞらえられる。その指摘自体は間違っていないと思うし、私も民自公大連立には反対だ。しかし、1940年の「大政翼賛会」は決して無批判に受け入れられたわけではない。当時も「右」からの強烈な批判があった。その急先鋒が平沼騏一郎だったから、時の近衛文麿首相は平沼を閣内に取り込んだ。それでも、「大政翼賛会は『赤』だ」という「右」からの批判は一定の支持を受けた。
岸信介を肯定的に評価して陰謀論をかます孫崎享に代表されるような「反米愛国」の人たちは、言ってみれば「大政翼賛会」を「右」から批判した勢力に対応するのではないか。彼らは、大政翼賛会ともども戦後否定されることになり、大政翼賛会でも右からの批判でもない「デモクラシー」が占領軍(アメリカ)によって導入された。
現在も似たような状況で、消費税増税を3党合意で導入した民自公「大政翼賛会」やそれに対する右からの批判勢力である「維新」(橋下)は、いつになるかわからない「戦」後、ともに否定されることになるだろう。
しかし、現状の延長戦を突き進むのであれば、残念ながら必ずや一度は破局的局面を経由せざるを得ないのではないだろうか。
ロンドン五輪も終わったが、五輪閉幕直前の10日、消費税増税法案が成立した。今後、政局は解散総選挙の時期をめぐって民主党と自民党が駆け引きを行うとともに、非民主・非自民の勢力の合従連衡が活発化するものと思われる。
最近よく思うのだが、選挙を行う前の現時点で既に、自民党が事実上の与党になっているかの感がある。現時点で衆議院の解散が行われて総選挙に突入すれば、自民党の圧勝は間違いない。
よく小沢一郎あたりが、「次の総選挙では民主党も自民党も過半数をとれない」というのだが、私が以前から言っているのは、小選挙区制で2大政党のどちらか(たいていの場合は与党)が極端な不人気になれば、もう片方の大政党(たいていは野党)の地滑り的圧勝になることだ。それを阻止するためには、2大政党に対抗できる規模と支持率を持つ第3勢力を作るしかなく、だからこそ小沢一郎は「オリーブの木」構想を提唱しているし、橋下徹の「大阪維新の会」に秋波を送っている。
橋下に秋波を送るのは「みんなの党」も同じだし、「国民の生活が第一」(略称は「生活」らしい)と「みん党」、それに民主党に残っている鳩山由紀夫らから秋波を送られている人気者の橋下は彼らを値踏みしている。
橋下の本音を推測すれば、小沢一郎に主導権を握られてはたまらないから、なるべく小沢の影響力をそいだ形で「生活」党を利用しつつ「第三極」を作りたいといったところだろう。愛知県知事の大村秀章が「盟友」のはずの名古屋市長・河村たかしを出し抜く形で「中京維新の会」を作るなどと言い出したのは、そんな橋下にすり寄る下心がミエミエで、愛知県民はなんでこんな程度の低い人間を知事に選んだのかと改めて歯噛みする思いだ。
くだらない大村秀章の妄動・妄言はともかく、次の総選挙では何が争点になるのだろうか。
消費税増税法案は間違いなく争点になるだろう。この点では、民主党と自民党はともに消費税増税法案を成立させたことが批判されることになるが、民主党と自民党に同じ咎がある場合、特に地方の有権者は長年の実績のある自民党を選ぶ。だから自民党が圧倒的に有利になる。
衆院選で自民党が過半数を制しても、参院では民主党が第一党で、自公は会わせても過半数にならないから「大連立」政権を作るというのが、おそらく野田佳彦(「野ダメ」)と谷垣禎一が考えていることだろうが、自民党と民主党が大連立を組んだ場合、上記の「民主党と自民党に同じ咎がある場合、特に地方の有権者は長年の実績のある自民党を選ぶ」法則に従えば、民主党は来年の参院選で、2007年に圧勝した議席の多くを失う。そうなると参院選後に自民党と民主党が大連立を組む必要はなくなるから、「大連立」は解消され、自公政権が復活するのではないか。その場合、確実に予想されるのは、それが本格的な「原発推進政権」になるだろうということだ。いや、来年の参院選を待たず、自民党首班の谷垣禎一が野ダメ民主党と大連立を組む政権になった時点で「原発推進」政権の性格を持つことは避けがたい。
これを阻止するためには、なんとしてでも「(脱)原発」を「消費税」と並ぶ総選挙の争点にしなければならない。たとえば昨年の民主党代表選では、同党の主流派と反主流派がともに原発推進派の政治家(野田佳彦と海江田万里)を担いだことによって「脱原発」が争点から外されたが、間違ってもそんなことにならないようにしなければならない。
昨年、海江田万里を担いで民主党代表選の争点から「原発」を外した張本人の「生活」代表・小沢一郎は、今になって「消費税と原発を争点にして選挙戦を戦えば必ず勝てる」と言っているらしい。また、最近、前首相・菅直人が官邸前デモの主催者たちを野田首相に会わせようと画策し、それが実現しそうな成り行きになっていることも、総選挙にらみで自民党との違いを打ち出すと共に、影が薄くなっていた菅自身の存在感をアピールしようとしている意図を感じる。ただ、官邸前デモは、主催者の一部の独善的体質が批判されたためか、6月29日をピークに参加者が激減しているという。私自身も6月29日の一度参加しただけだ。
私は、総理大臣を辞めた政治家は次の総選挙には立候補せず国会議員の座から退くべきであり、菅直人に限らず鳩山由紀夫・麻生太郎・安倍晋三らは全員引退すべきだと考えているが、その菅直人が顧問を務める民主党の「脱原発ロードマップを考える会」は6月25日に「2025年までに原発ゼロ」を打ち出したようだ。これは「生活」の「10年後に原発ゼロ」よりは3年遅いが、目標を打ち出したのは「生活」に先んじている(菅直人も東電原発事故以前には原発推進派だったが、小沢一郎も「生活」結党で初めて「脱原発」に転向したというべきだろう)。そして、現在政府のエネルギー・環境会議が提示した3つの選択肢のうち「2030年に原発ゼロ」を5年前倒し(「生活」の場合は8年前倒し)した形となっている。このように、民主党の一部や同党から分かれた「生活」は原発政策で自民党との差異を打ち出そうとしているかのように見える。
一方、電気事業連合会(電事連)は3つの選択肢のうち「2030年に原発依存度20〜25%」の案さえ「現実的でない」としている。もっともっと原発に依存しろと言っているわけだ。盗っ人猛々しいとはこのことだろう。
「野ダメ」政権はといえば、これは明らかに「2030年に15%」案に誘導しようとしている。これは当ブログの7月17日付記事「意見聴取会のやらせ、『原発15%目標』の嘘と橋下の野望」で指摘したように、「40年廃炉」の原則に例外を認めるか、さもなくば原発の新規建設を行わなければキープできない数字であって、「脱原発依存」を掲げる政権としてはふさわしくない目標だ。
しかし、自民党は最近、今後10年間を「原子力の未来を決める10年」として、「脱原発」の問題先送りに躍起になっている。そんな自民党にとっては「15%目標」でさえ認められず、もし同党が政権に復帰したら、「野ダメ」政権の比ではないくらい原発再稼働をゴリ押しするであろうことは火を見るよりも明らかだ。
「脱原発」を総選挙の争点にしない限り、必ずそういう事態になる。「脱原発」を争点にしたところで、「ハシズム」に回収されるだけになる可能性はかなり強く、現に一度は大飯原発再稼働を「容認」して「脱原発」と一線を画すようになったはずの橋下徹(「大阪維新の会」)は、最近、大飯原発2基の再稼働だけで夏を乗り切れそうになっている現状を見て、再び「脱原発」による人気浮揚を狙い始め、山口県知事選に立候補して山本繁太郎に完敗した飯田哲也に大阪府市の顧問に復帰するよう要請し、飯田氏も応じる意向を示しているという。ああ、また「脱原発に頑張る橋下市長を応援しよう」というスローガンが復活するのかとうんざりする。
しかしそれでも(「消費税」だけではなく)「脱原発」を総選挙の争点に据えなければならない。「ハシズム」には断固「ノー」だが、原発推進勢力の巻き返しを許してもならないのである。
最近よく思うのだが、選挙を行う前の現時点で既に、自民党が事実上の与党になっているかの感がある。現時点で衆議院の解散が行われて総選挙に突入すれば、自民党の圧勝は間違いない。
よく小沢一郎あたりが、「次の総選挙では民主党も自民党も過半数をとれない」というのだが、私が以前から言っているのは、小選挙区制で2大政党のどちらか(たいていの場合は与党)が極端な不人気になれば、もう片方の大政党(たいていは野党)の地滑り的圧勝になることだ。それを阻止するためには、2大政党に対抗できる規模と支持率を持つ第3勢力を作るしかなく、だからこそ小沢一郎は「オリーブの木」構想を提唱しているし、橋下徹の「大阪維新の会」に秋波を送っている。
橋下に秋波を送るのは「みんなの党」も同じだし、「国民の生活が第一」(略称は「生活」らしい)と「みん党」、それに民主党に残っている鳩山由紀夫らから秋波を送られている人気者の橋下は彼らを値踏みしている。
橋下の本音を推測すれば、小沢一郎に主導権を握られてはたまらないから、なるべく小沢の影響力をそいだ形で「生活」党を利用しつつ「第三極」を作りたいといったところだろう。愛知県知事の大村秀章が「盟友」のはずの名古屋市長・河村たかしを出し抜く形で「中京維新の会」を作るなどと言い出したのは、そんな橋下にすり寄る下心がミエミエで、愛知県民はなんでこんな程度の低い人間を知事に選んだのかと改めて歯噛みする思いだ。
くだらない大村秀章の妄動・妄言はともかく、次の総選挙では何が争点になるのだろうか。
消費税増税法案は間違いなく争点になるだろう。この点では、民主党と自民党はともに消費税増税法案を成立させたことが批判されることになるが、民主党と自民党に同じ咎がある場合、特に地方の有権者は長年の実績のある自民党を選ぶ。だから自民党が圧倒的に有利になる。
衆院選で自民党が過半数を制しても、参院では民主党が第一党で、自公は会わせても過半数にならないから「大連立」政権を作るというのが、おそらく野田佳彦(「野ダメ」)と谷垣禎一が考えていることだろうが、自民党と民主党が大連立を組んだ場合、上記の「民主党と自民党に同じ咎がある場合、特に地方の有権者は長年の実績のある自民党を選ぶ」法則に従えば、民主党は来年の参院選で、2007年に圧勝した議席の多くを失う。そうなると参院選後に自民党と民主党が大連立を組む必要はなくなるから、「大連立」は解消され、自公政権が復活するのではないか。その場合、確実に予想されるのは、それが本格的な「原発推進政権」になるだろうということだ。いや、来年の参院選を待たず、自民党首班の谷垣禎一が野ダメ民主党と大連立を組む政権になった時点で「原発推進」政権の性格を持つことは避けがたい。
これを阻止するためには、なんとしてでも「(脱)原発」を「消費税」と並ぶ総選挙の争点にしなければならない。たとえば昨年の民主党代表選では、同党の主流派と反主流派がともに原発推進派の政治家(野田佳彦と海江田万里)を担いだことによって「脱原発」が争点から外されたが、間違ってもそんなことにならないようにしなければならない。
昨年、海江田万里を担いで民主党代表選の争点から「原発」を外した張本人の「生活」代表・小沢一郎は、今になって「消費税と原発を争点にして選挙戦を戦えば必ず勝てる」と言っているらしい。また、最近、前首相・菅直人が官邸前デモの主催者たちを野田首相に会わせようと画策し、それが実現しそうな成り行きになっていることも、総選挙にらみで自民党との違いを打ち出すと共に、影が薄くなっていた菅自身の存在感をアピールしようとしている意図を感じる。ただ、官邸前デモは、主催者の一部の独善的体質が批判されたためか、6月29日をピークに参加者が激減しているという。私自身も6月29日の一度参加しただけだ。
私は、総理大臣を辞めた政治家は次の総選挙には立候補せず国会議員の座から退くべきであり、菅直人に限らず鳩山由紀夫・麻生太郎・安倍晋三らは全員引退すべきだと考えているが、その菅直人が顧問を務める民主党の「脱原発ロードマップを考える会」は6月25日に「2025年までに原発ゼロ」を打ち出したようだ。これは「生活」の「10年後に原発ゼロ」よりは3年遅いが、目標を打ち出したのは「生活」に先んじている(菅直人も東電原発事故以前には原発推進派だったが、小沢一郎も「生活」結党で初めて「脱原発」に転向したというべきだろう)。そして、現在政府のエネルギー・環境会議が提示した3つの選択肢のうち「2030年に原発ゼロ」を5年前倒し(「生活」の場合は8年前倒し)した形となっている。このように、民主党の一部や同党から分かれた「生活」は原発政策で自民党との差異を打ち出そうとしているかのように見える。
一方、電気事業連合会(電事連)は3つの選択肢のうち「2030年に原発依存度20〜25%」の案さえ「現実的でない」としている。もっともっと原発に依存しろと言っているわけだ。盗っ人猛々しいとはこのことだろう。
「野ダメ」政権はといえば、これは明らかに「2030年に15%」案に誘導しようとしている。これは当ブログの7月17日付記事「意見聴取会のやらせ、『原発15%目標』の嘘と橋下の野望」で指摘したように、「40年廃炉」の原則に例外を認めるか、さもなくば原発の新規建設を行わなければキープできない数字であって、「脱原発依存」を掲げる政権としてはふさわしくない目標だ。
しかし、自民党は最近、今後10年間を「原子力の未来を決める10年」として、「脱原発」の問題先送りに躍起になっている。そんな自民党にとっては「15%目標」でさえ認められず、もし同党が政権に復帰したら、「野ダメ」政権の比ではないくらい原発再稼働をゴリ押しするであろうことは火を見るよりも明らかだ。
「脱原発」を総選挙の争点にしない限り、必ずそういう事態になる。「脱原発」を争点にしたところで、「ハシズム」に回収されるだけになる可能性はかなり強く、現に一度は大飯原発再稼働を「容認」して「脱原発」と一線を画すようになったはずの橋下徹(「大阪維新の会」)は、最近、大飯原発2基の再稼働だけで夏を乗り切れそうになっている現状を見て、再び「脱原発」による人気浮揚を狙い始め、山口県知事選に立候補して山本繁太郎に完敗した飯田哲也に大阪府市の顧問に復帰するよう要請し、飯田氏も応じる意向を示しているという。ああ、また「脱原発に頑張る橋下市長を応援しよう」というスローガンが復活するのかとうんざりする。
しかしそれでも(「消費税」だけではなく)「脱原発」を総選挙の争点に据えなければならない。「ハシズム」には断固「ノー」だが、原発推進勢力の巻き返しを許してもならないのである。
今日8月6日は広島原爆忌。東電原発事故が起きてから2度目の広島の「原爆の日」である。
テレビは連日ロンドン五輪に明け暮れている。私もその道(競技)の第一人者たちが繰り広げる妙技が見られる五輪はよくテレビで見ては感心しているけれども、先週末のように五輪一色に塗りつぶされるとさすがにうんざりする。そして、この季節は日本人にとって戦争に思いを致す時なのにと思うのである。
さすがに今日(6日)にはNHKは広島平和記念式典のテレビ放送を行った。昨年、自民党の支持を受けて広島市長選で当選した松井一実は、平和宣言で2011年3月11日の東電福島原発事故に言及し、国にエネルギー政策の確立を求めたものの、「脱原発」には言及しなかった。それに先立ってNHKが制作した映像は、今も除染が行われずがれきが放置されたままの浪江町を映し出していた。
原子爆弾は英語で "atomic bomb"、核兵器は "nuclear weapon"、原子力は "nuclear energy"、原子力発電所は "nuclear power plant" である。脱原発のデモで見かけるプラカードにはよく "No Nukes" と掲げられている。
原子力発電(nuclear electricity generation)が導入された口実は、「原子力の平和利用」だった。"Atoms for peace" とは、1953年に当時の米大統領・アイゼンハワーが演説で用いた言葉だ。
何が言いたいかというと、前回のエントリでも少し触れた西尾幹二のことである。極右の西尾は「脱原発」論者だというが、強硬な核武装論者でもあるのだ。つまり西尾は "nuclear energy" の発電への利用(「平和利用」という言葉は私は用いない)には反対だが、"nuclear energy" の軍事利用には賛成だということだ。小林よしのりも同様だ。
西尾幹二がどういうロジックで上記のような主張をしているのか、私は知らない。しかし、そんな西尾を "No Nukes" を掲げる「脱原発」運動に誘った池田香代子は一体何を考えているのか。その誘いに乗る西尾も西尾だが、西尾が勝手に「原発にはNo、核武装にはYes」と主張して行動することに関しては、その「脱原発」の部分に関しては何も言わない。核武装には断固として反対するけれど。
しかし、「脱原発運動」に "Nukes, yes" の立場に立つ西尾幹二を「脱原発」運動の呼びかけ人に誘い、それを得々と公言する池田香代子には「倒錯」の2文字しか思い浮かばない。昨日も、「鈴木邦男ゼミ」の司会者が7月23日に発した下記Twitterを見つけてむかついていた。
https://twitter.com/masa_kazui/status/227349129154666496/photo/1
こんな人たちが「『右』も『左』もない」運動を推進しているのだが、最近耳にするのは、「反原連」の官邸前デモで「今日のデモは最悪です。警察は悪くありません。皆さん、マナーを守りましょう」と呼びかけたという少女アイドルの話であり、彼女は昨年12月に朝日新聞の高橋純子記者によって「『右』も『左』もない脱原発運動」の象徴として記事に取り上げられていた。アイドル自身のブログには新幹線で小沢一郎と偶然出会い、その後小沢から手紙をもらったと書かれていた。そんな偶然があってたまるかと私は思うが、案の定その後右翼による「脱原発」運動に思いっきり利用され、その延長線上に現在がある。
「『右』も『左』もない」というスローガンを発している人間の本音は「左派を排除する」ことである。私が問題視しているのはその点である。6月29日に私が官邸前デモに参加した時、すぐ横に日の丸がはためいていた。しかし、デモ主催者は「日の丸」は問題視しない。なぜだろうか。
7月16日に「さようなら原発10万人集会」に参加した時、大きな日の丸を振り回す右翼の単独者がいたが、その右翼を排除しようとした人間など誰もいなかった。「左翼主導」の集会やデモでは、「『右』も『左』もない」とは言わないけれども、好き勝手に日の丸を振り回す人間とは共闘はしないが排除もしない。しかし、官邸前デモの主催者の少なくとも一部の人たちはそうではない。彼らに限らず、「『右』も『左』もない」を声高に叫ぶ人間に限って、「左翼」を排除して集団を純化しようとする。私が問題視するのはその点だ。
「『右』も『左』もない」を掲げる人間が「共闘」しようとしているのは、「広島原爆の日」に誓われる「核兵器廃絶」などとんでもない、日本は核武装すべきだと論じる人間だ。「反原連」の主催者の一部には、大阪市長の橋下徹に親和性のある人たちもいるとの話も小耳に挟んだが、橋下もまたテレビタレント時代に「核武装論」を声高に叫んでいた人間だ。
そんな人間に自らすり寄る「左派」あるいは「リベラル」とされる人たちはいったい何を考えているのか。
テレビは連日ロンドン五輪に明け暮れている。私もその道(競技)の第一人者たちが繰り広げる妙技が見られる五輪はよくテレビで見ては感心しているけれども、先週末のように五輪一色に塗りつぶされるとさすがにうんざりする。そして、この季節は日本人にとって戦争に思いを致す時なのにと思うのである。
さすがに今日(6日)にはNHKは広島平和記念式典のテレビ放送を行った。昨年、自民党の支持を受けて広島市長選で当選した松井一実は、平和宣言で2011年3月11日の東電福島原発事故に言及し、国にエネルギー政策の確立を求めたものの、「脱原発」には言及しなかった。それに先立ってNHKが制作した映像は、今も除染が行われずがれきが放置されたままの浪江町を映し出していた。
原子爆弾は英語で "atomic bomb"、核兵器は "nuclear weapon"、原子力は "nuclear energy"、原子力発電所は "nuclear power plant" である。脱原発のデモで見かけるプラカードにはよく "No Nukes" と掲げられている。
原子力発電(nuclear electricity generation)が導入された口実は、「原子力の平和利用」だった。"Atoms for peace" とは、1953年に当時の米大統領・アイゼンハワーが演説で用いた言葉だ。
何が言いたいかというと、前回のエントリでも少し触れた西尾幹二のことである。極右の西尾は「脱原発」論者だというが、強硬な核武装論者でもあるのだ。つまり西尾は "nuclear energy" の発電への利用(「平和利用」という言葉は私は用いない)には反対だが、"nuclear energy" の軍事利用には賛成だということだ。小林よしのりも同様だ。
西尾幹二がどういうロジックで上記のような主張をしているのか、私は知らない。しかし、そんな西尾を "No Nukes" を掲げる「脱原発」運動に誘った池田香代子は一体何を考えているのか。その誘いに乗る西尾も西尾だが、西尾が勝手に「原発にはNo、核武装にはYes」と主張して行動することに関しては、その「脱原発」の部分に関しては何も言わない。核武装には断固として反対するけれど。
しかし、「脱原発運動」に "Nukes, yes" の立場に立つ西尾幹二を「脱原発」運動の呼びかけ人に誘い、それを得々と公言する池田香代子には「倒錯」の2文字しか思い浮かばない。昨日も、「鈴木邦男ゼミ」の司会者が7月23日に発した下記Twitterを見つけてむかついていた。
https://twitter.com/masa_kazui/status/227349129154666496/photo/1
こんな人たちが「『右』も『左』もない」運動を推進しているのだが、最近耳にするのは、「反原連」の官邸前デモで「今日のデモは最悪です。警察は悪くありません。皆さん、マナーを守りましょう」と呼びかけたという少女アイドルの話であり、彼女は昨年12月に朝日新聞の高橋純子記者によって「『右』も『左』もない脱原発運動」の象徴として記事に取り上げられていた。アイドル自身のブログには新幹線で小沢一郎と偶然出会い、その後小沢から手紙をもらったと書かれていた。そんな偶然があってたまるかと私は思うが、案の定その後右翼による「脱原発」運動に思いっきり利用され、その延長線上に現在がある。
「『右』も『左』もない」というスローガンを発している人間の本音は「左派を排除する」ことである。私が問題視しているのはその点である。6月29日に私が官邸前デモに参加した時、すぐ横に日の丸がはためいていた。しかし、デモ主催者は「日の丸」は問題視しない。なぜだろうか。
7月16日に「さようなら原発10万人集会」に参加した時、大きな日の丸を振り回す右翼の単独者がいたが、その右翼を排除しようとした人間など誰もいなかった。「左翼主導」の集会やデモでは、「『右』も『左』もない」とは言わないけれども、好き勝手に日の丸を振り回す人間とは共闘はしないが排除もしない。しかし、官邸前デモの主催者の少なくとも一部の人たちはそうではない。彼らに限らず、「『右』も『左』もない」を声高に叫ぶ人間に限って、「左翼」を排除して集団を純化しようとする。私が問題視するのはその点だ。
「『右』も『左』もない」を掲げる人間が「共闘」しようとしているのは、「広島原爆の日」に誓われる「核兵器廃絶」などとんでもない、日本は核武装すべきだと論じる人間だ。「反原連」の主催者の一部には、大阪市長の橋下徹に親和性のある人たちもいるとの話も小耳に挟んだが、橋下もまたテレビタレント時代に「核武装論」を声高に叫んでいた人間だ。
そんな人間に自らすり寄る「左派」あるいは「リベラル」とされる人たちはいったい何を考えているのか。