「独立新聞安龍福」の画像検索結果 「独立新聞安龍福」の画像検索結果 「独立新聞安龍福」の画像検索結果

「于山島の嘘」の画像検索結果 「于山島の嘘」の画像検索結果 「于山島の嘘」の画像検索結果「于山島の嘘」の画像検索結果 「于山島の嘘」の画像検索結果 「ラスク書簡」の画像検索結果「ラスク書簡」の画像検索結果


>韓国政界、日本の独島領有権主張教科書を非難…「撤回を」

3/27(水) 11:41配信

中央日報日本語版

韓国与野党が声を一つにして日本の独島(トクト、日本名・竹島)領有権主張が強化された小学校教科書検定の承認を非難した。




朝鮮人よ、
旭日旗、徴用工裁判判決、火気管制レーダー照射、天皇侮辱発言等々延々と、もうこれ以上フザケルのは止しなさい。

よくよく考えても見なさい。
お前さん方が雄にも優にも誇る「半万年の歴史」の中で、日本に併合されて、「空前絶後の安寧の時間を過ごした時期」は僅か35年間に過ぎなかった。
一方、
お前さん方の西側の民族「シナ」は、有史以来一貫して朝鮮半島を奴隷国にした儘だった。残念ながら、何処をどう捉えてもこれが歴史の事実である。

はっきり言って、
「朝鮮民族のホコリ」なるものがどの程度のものか知らないが、「有史以来連綿と続いた屈辱」に完全スルーして置きながら、僅か「有りもしない35年間の屈辱」を過大視し、萬度び卓袱台返しして、ガキ同様の咆哮を繰り返し、唯々ひたすらオカワリを強請る、もうそんな恥ずかしい行為はやめなさい。

今回亦、朝鮮民族の屋台骨たる「独島ファンタジー」を持ち出して「恨日侮日」を焚きつけようとの魂胆らしいが、既に2重にも3重にも論破された「大嘘ドクシマ」でさえその任には相応しくなかろう。

抑も、
朝鮮総督府時代、あれほど独立運動に身を焦がしていた独立運動家の中で、「独島はウリナラ領土」を叫ぶ者が一人でも居たのか?

誰もいなかった。これが真実である。

日本のグリップが強い時代と雖も、嘸かし地下活動で蠢いた独立派の連中は、何より先ず「日帝による朝鮮半島最初の犠牲地」を大合唱していたに違いない、と思いきや、何とこれがさにあらず、
「ドクシマ問題」を言挙げする闘士は、
「一人も居なかった!」のである。

但し、安龍福は登場していた。
では、安龍福はどういう立ち位置で登場していたのか?
驚くなかれ、安龍福は鬱陵島を日本から取り返した英雄と捉えられていたのだ。
当時独立運動家達は、「一介の通訳として蛮勇を振るって一人で倭国に赴き立ち向い、鬱陵島を還完した安龍福義士を見習え!」
と、独立派闘士の内だけでの「士気高揚」に利用していたこと、が明らかになっている。(「独立新聞」1925年5月1日)
実は安龍福は「ドクシマ」とは何の関係もなかったのである。

それがどうだ。今やこの「漂風の愚民」(当時の両班どもの評価)は、
「ワシは、独島を日本の将軍から奪還した。その証拠がこの書状ニダ!」と、
大ボラぼら吹いて威風堂々、「安龍福将軍」なる巨大な銅像となって蘇っているのである。
正に朝鮮人は希有なる歴史捏造の大天才ではないか。

全ては一事が萬事斯くの如し。
このように崔南善作の寓話「ドクシマエレジー」はすっかりその大嘘が暴露され、そして完全に錆び付き、最早どうにも使い物にならなくなっているのだ。

朝鮮人よ、
先ずこの「子供じみた大嘘つきDNA」を唾棄し、捻じ曲がった朝鮮人気質を修正しなさい。
残念ながら、今さらどうのこうのと喚いたところで、
「ドクシマファンタジー」は既に完全決着はついているのだから。




1922.08.01.
独立新聞 獨立? 同胞? 一體負責(一怒) 「七日痛哭하야 楚國 復하고 安龍福 一個通譯으로 倭國 하야 陵島를 還完한지라 個人으로도 能爲하거든 安定 客地에셔 夢囈 하다가 自盡하고자 하난고 月를 다시 遷延 말고 各其 固有 義務 卽行할지어다」
http://search.i815.or.kr/ImageViewer/ImageViewer.jsp?tid=ns&id=DR192208010402
1922.8.1 独立新聞
獨立は同胞の一体負責


日本語訳   

我が満天下の韓国同胞よ、試みに問う。独立を喪失したのは誰であり、回復するのは誰であるか。喪失も各人の負責であり回復も各人の負責であるならば、堂 々たる我が任務を尽くすことが・・・・・・・(中略)・・・・・申包胥は秦廷に七日痛哭して楚國を回し、安龍福は一個通譯として倭國へ赴き鬱島を還完 したごとく、個人において爲す能うならば、安定した客地において夢のみ抱き自ら盡くそうとせず、月を再び遷延することなく各其固有の義務を卽行しようで はないか。
翻訳:茶阿弥氏