2017年08月

「北朝鮮ミサイル」の画像検索結果


日本人が歪めて、朝鮮人が図に乗ってきたのが「歴史認識問題」である。 



朝鮮人がミサイルの先に装着しているのは、「歴史カード」、ほぼこれに尽きる。
何をさておいても朝鮮人の頭の中には「恨日侮日主義」、これ以外無い。

例えば、
全斗煥(ぜんとかん)大統領は、日韓併合は朝鮮人自身にも責任がある、とはっきり言い残している。

彼は1981年8月15日就任後初の光復節記念式典の演説で、こう言っている。

「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」と主張している。これは当時日本でも大きく報道されている。

実は、何よりその前の大統領朴正熙もこれと全く同じ事を公言しているのである。
「あのとき、われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。
もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。
もしロシアを選んでいたら、ロシア帝国はその後直ぐに倒れたのだから、今頃は朝鮮は半島全体が北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったのだ。 だから私はセコンド・ベストとして評価している」
朝鮮人はこの朴正熙の発言を完全に無視するしかない。 

ところが、

日本ではその5年後の1986年、「藤尾文部大臣更迭事件」が起きているのである。

中曽根内閣の文部大臣であった藤尾正行氏が月刊誌の対談で、「日韓併合は両国合意の上でなされたもので、韓国側にも其の責任がある」と発言したことで、彼は即座に更迭された、という事件である。
驚くべき事に、
5年前の朝鮮側の最高責任者が言ってることと、寸分違わぬ日本の文部大臣の発言は、一刀両断に断罪されたのである。
火をつけ、これを異常な迄に延焼させたのは、なんと日本の反日メディアであった。
斯くの如く、「恨日カード」常に日本で醸造されているのである。


当時は村山談話(1995年)は勿論まだなく、今ほど支那や朝鮮がうるさく口を出すこともなかった時代である。
自民党は単独過半数を有し、他方で冷戦が続いており、日米関係もほぼ無風、むしろ中曽根首相は日米緊密化の先頭に立ってもいた。そのような自民党内閣からしてこの歴史認識であった。


このあたりから朝鮮人の歴史認識が更に先鋭的になったのである。

中曽根内閣以後、この国はまともな歴史的検証をするでもなく、唯、贖罪意識だけが強くなっていったのである。
それから十年後、遂に「村山談話」という「鵺」の如き妖怪の登場となるのであった。

そして、その妖怪に今尚取り憑かれたまである。


南北朝鮮の恐喝騒ぎはこれからも延々止むことはなかろう。
ならば、我々日本人もいよいよ覚悟を決めなくてはならない。
朝鮮人に対して、
無条件降伏するか?、それとも核武装宣言するか?

 


「金正恩おもしろ...」の画像検索結果


8月29日早朝5時58分、また北朝鮮が日本を狙ってミサイルを発射してきた。
日本上空を通過して、襟裳岬東方1180km海上に3つに分裂して落下したという。

今時一体何処の国が世界最貧国北朝鮮を侵略するというのか。
有り体に言って、まるで2~3歳児の喚きのようだ。何処でやめようかと考え乍ら喚いているように見える。誰かが止めてくれるまで渾身の力を込めて喚いている。兎に角終わりどころを探りながら喚き続けるのである。

そんな金正恩(きんせいおん)の目的は何かというと、日本からの恐喝であることがよく分かったのではないか。
彼の核の目標は同胞南朝鮮でもなければ、超大国アメリカでもない。「国の交戦権はこれを認めない」とした「羊の憲法」を保持している無防備にして、世界最大の債権国日本である。

「恨日侮日」に染め上がった朝鮮人の歴史認識から出てくる答えは「日本恐喝」しかない。
南朝鮮は52年前に国家予算の2.5年分のはした金で許したが,俺たちはその程度では済まさないぞ、我々が狙っているのは「日本を属国にする」ことである、とあくまで金正恩の狙いは中途半端のものではない。

実際、
核のボタンを持った金をあやし続ける事が出来るのは、圧倒的核保有する国、シナ、ロシア、アメリカだけである。
残念乍ら日本はものの数に入っていない。
このまま行くと、日本は無条件降伏するしかないのは明白である。

そんな馬鹿なことがあるかと正論を吐いても、核の前には一切為す術はない。
可能性があるとしたら、日本が敢然と核保有を宣言したとき、その時だけであろう。
インドとパキスタンが散々小競り合いを永年やっていたが、ある時を境にピタリと止めた。
何故か?

それは双方が核を保有したからである。つまり核が戦争を未然に防いだのである。
通常戦力ではどんなに劣っても、一発の核の威力で完全に形勢は逆転する。それは史上核保有国同士が戦争を始めたことはない事実でも明らかである。
日本人がここで生き残る道は、
「核保有こそ戦争の最大の抑止力である」、そのことに覚醒する、最早これ以外ない。

一刻の猶予も無い。
朝鮮人に無条件降伏するか、或いは突如として剽悍さを取り戻して核保有宣言するか、どちらかを選ばなくてはならない。

んだそうである。

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ところで、、、
実は、朝鮮は植民地ではなく「併合」だった。
にも拘わらず朝鮮人は、日本は世界史上他に類例を見ない残虐な植民地支配をした、謝罪しろ、賠償しろ、といまだに咆哮し続ける。
恰も、
「恨日侮日」を叫び続けなくては、民族としての矜恃を失ってしまうかのごとき振る舞いである。
朝鮮人の基本的な対日観とは、


「野蛮国日本に文化を伝えたのは我々である」
弟たる倭奴日本が、兄たる朝鮮人に対してその恩義を忘れて、なんと植民地支配したのである。
これは犬畜生にも劣る蛮行である。「小中華」の王を任ずる我々としては決して認められないことである。そこで、我々朝鮮人は決然として立ち上がり、日本と永く苦しい「60年独立戦争」を闘い完全勝利したのである。
しかし、日本はこれまで我々戦勝国朝鮮に対して、一度として心から謝罪もしなければ,露ほどの賠償もしていない。
このようなことは儒教的精神からしても決して許されないことである。
斯くなる上は、日本に反省を求めるためにも、あらゆる攻撃を仕掛けて日本を再教育すべきである。いやしなくてはならないのだ。少なくとも我々朝鮮人にはその資格と権利があるのだ。


これが紛れもなく、李承晩、金日成以後、一人の例外もなく反日政策、恨日侮日教育を徹底してきた朝鮮人指導者のコモンセンスである。
これ以外は「チンイルパ」「国賊」でしか無い。

これに対して、
毎度のことながら心優しい日本人は、ろくに調べもしないで、万度謝罪し、賠償に応じ続けてきた。
そして今尚、この国のリーダー達は、朝鮮人の恐喝話に右往左往するばかりである。

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朝鮮人の理不尽な恨日侮日意識は、ここに来て火勢を増すばかりだ。それは教育もさることながら、そこかしこに設けられた「反日スポット」という酷い“種火”によって、かの国の人々が、嘘に立脚した憎悪の炎を絶やさないからである。

 日本が統治時代に行ったという“非道”が、今なおそれほど憎いなら、「人のふり見てわがふり直」したほうが、国際的にもよほど尊敬されるのに、朝鮮人の方には、そんなことはまるで意中にないらしい。

さる朝鮮人ライターは、「とりわけ、60代以上の世代は、台風が日本に向かうと聞けば “日本人は全員死ねばいい” と言うし、東日本大震災で発生した巨大津波に対しても、“植民地時代の天罰”なんて平気で言っていましたからね」 と呆れ顔だが、口にするだけならまだしも、それを公共建築によって“造形”してしまうとは、もはや我らの想像を絶している。


最近完成したソウル市の新市庁舎、通称「ツナミ」のことである。全面ガラス張りで、波の曲線美を強調したその巨大建築は、「見るからに東日本大震災の大津波そのままの形で、不謹慎極まりない」 と、国際部の記者も憤りを隠さない。

 「1926年の日帝統治時代に建てられた旧市庁舎は、老朽化に加え、上空から撮影した際に、ある問題が指摘されていました。建物の配置が“心”という文字を描いていて、それを見たソウル市民は“日本政府が朝鮮半島を侵略したとき、風水の力で朝鮮民族の心を支配しようと気を通した証拠だ”と訴え、取り壊しの機運が高まりましてね」 風水にからんだ話には後にも触れる。

いずれにせよ、言いがかりに過ぎないが、「結局、旧市庁舎の正面だけを残し、後ろに旧庁舎を今にも飲み込もうとする津波をモチーフに、新庁舎が建てられたのです」(同) 311の悪夢が生々しい東北の方々がこれを見たら、どう思うか。“非道”としか呼びようがあるまい。

「今、一番熱い反日スポットといえば、日本大使館前です。2年前に無許可で設置された慰安婦の銅像がその象徴で、毎週水曜日にデモが行われています」 と言うのは、『
悪韓論』(新潮新書)の著者でジャーナリストの室谷克実氏。

韓国に詳しい大学教授が、話を引き継ぐ。「あの慰安婦像が置かれたのは衝撃でしたね。大きな通りのそばにあり、いやでも目につく。その後ろの壁も如何ともしがたく、“独島の次は対馬だ”なんて書かれたポスターがこれ見よがしに貼られている。しかも、周囲には常時、警官が立っていますが、彼らの任務は慰安婦像を守ることと、反日的なポスターが剥がされないように見守ること。しかし、私たちが“竹島は日本のもの”というポスターを貼ろうものなら捕まるわけですから、まことにいびつな話なのです」

 慰安婦がらみでは、さらに新しいスポットもある。「昨年5月、ソウルの弘益大学近くのハイファッションな街に、戦争と女性の人権博物館ができた。私はまだ行っていませんが、慰安券や慰安所への出入り証、コンドームなどが展示されているほか、慰安部屋が再現され、日本大使館前にあるのと同じ少女像が飾られているとか。設立に際しては韓国政府が3500万円を寄付したほか、日本の人権団体なども5500万円を寄付していますね」 そう語るのは、元全国紙のソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏である。

慰安婦にちなんだスポットを、もうひとつ紹介するとしよう。ソウルから30キロほど南東の広州市郊外にあるナヌムの家で、最近訪れた人に尋ねると、
2階建ての生活館が2棟、3階建ての教育館と歴史館があって、まず歴史館に入ると、数人の元慰安婦が共同で暮らしていることなどの説明を受けました。その後、ひとりのハルモニ(おばあさん)が出てきて、日本軍によって強制的に連れ去られ、慰安所に入れられたこと、慰安所では1日に何人もの相手をさせられたこと、それが非常に苦痛だったことなどを語り、もらい泣きする人もいました」 ただし、ここを訪れる人の3分の1程度は、日本人だというから驚きである。


韓国の反日スポットといえば、ひと昔前まで、1919年の三・一独立運動発祥の地、ソウル市内のパゴダ公園だったというが、「今はそれほど人が集まる場所ではなくなっている」 そう語る先の前川氏が、
「最大の反日スポット」 と断じ、前出の韓国人ライターが、「韓国の幼稚園児や小学生は、ほとんどが遠足で訪れると思います」 と語るのは、やはりソウル市内にある西大門刑務所歴史館、そしてソウルから電車で1時間ほどの、天安市の独立記念館である。

まず、刑務所を改装して1998年に開館した前者は、「蝋人形による“日本人憲兵に爪を剥がされる老女”や“独立運動をする韓国人を拷問する日本人”といった展示は、その生々しさに大人でも目を背けたくなりますし、子供は泣いてしまうことも多い。目隠しをされて日本人に撃ち殺される韓国人の写真なんかも展示されています」(同) とのこと。2010年の改修で描写が若干マイルドになったものの、内容の信憑性に疑いの目を向けるのは、先の前川氏で、「年配の韓国人は、“あの拷問は日本軍のやり方ではないな”と言っていました。爪の間に何かを入れて剥がしたり、ムチで叩いたりしたのは李朝時代だそうです。しかし、祖先が拷問されているところを見て、この国の子供たちに何のプラスになるのでしょうか」
 外国人参政権に反対する会の元東京代表の村田春樹氏も、続けて言う。「拷問結果を待つ日本兵の蝋人形がタバコを吸っていますが、戦時中そんなことは許されなかったし、囚人がラジオ体操をしている写真の横に、間もなく処刑されたと書いてある。体をほぐさせてから処刑するだろうか。また、拷問を受け餓死させられたという説明の横に、ハンストを行ったとある。だったら食事を拒否したのではないか、と突っ込みどころ満載です」
んな嘘八百が子供たちに刷り込まれるのだ。

一方、87年に開館した独立記念館は、村田氏が、
82年、日本の文部省の教科書検定が韓国で問題とされたのを機に、寄付を集めて建てられた反日の記念館で、400平方メートルとかなり広い敷地に7つの展示場があって、総督府時代、創氏改名、従軍慰安婦、強制連行、臨時政府樹立などの順に展示されています」 と説明し、続ける。
「入り口前の広場には、近くにあった総督府の尖塔が埋め込まれていて、度肝を抜かれました。日本の象徴を破壊して地面に埋め込んだ、という意味なのでしょう。日本人が拷問している蝋人形や、銃を向けている写真のほか、太極旗をつけた軍服姿の男が日本人を撃ちまくるジオラマもあって、そうして独立を勝ち取ったというのでしょうが、そんな史実はない。彼らの夢なのだろう、と思いました」
 入場は無料。人を叩く音や呻き声も流れ、それを小学生の集団が、顔をしかめて聞いているのである。

「韓国では歴史的建造物の多くが朝鮮戦争で失われたため、観光スポットがあまりない。だから、修学旅行や社会科見学では、反日スポットを見るしかありません。でも反日教育もできるので、学校としては一石二鳥なのです」(前川氏) 朝鮮王朝の王宮で復元が進んでいる景福宮も、反日スポットだそうで、前出の国際部記者によれば、「朝鮮王朝最後の王妃、閔妃の暗殺の様子が描かれたパネルや、閔妃のレリーフが建立されています。と言うのも、閔妃は1895年に日本軍を含む革命軍によって宮内で暗殺されたのですが、韓国は日本政府が暗殺したと主張。そうした虚偽の訴えに基づいた記念碑になっているのです」ソウル市内の地下鉄駅の構内にも、新たなスポットができている。韓国に詳しいライターが言うには、「2010年、市庁駅など数駅に、ショーケースに入った竹島の精巧なミニチュア模型が置かれ、港に接岸する船や島にある施設まで再現されています。もちろん“独島は韓国のもの”と、ハングルばかりか英語、日本語でも書かれています」
 日本人には理解できない抗弁によって、反日スポットとして浮上した場所もある。先の室谷氏が言う。
「韓国の国宝第1号であるソウルの南大門で、08年の放火で楼閣はほぼ焼け落ち、5年がかりの修復作業の末、今年5月に完工式が行われました。しかし、すぐに彩色が剥がれ、材木や瓦にヒビが入ったため、安い資材を使うなどの手抜き疑惑が浮上し、朴槿恵大統領は辺英燮文化財庁長官を更迭しました。その辺氏の訴えは“日本製の接着剤や塗料を使ったから”。結果、南大門も新たな反日の象徴になりそうなのです」
 要は、日本人を責める材料になりさえすれば、なんでもいいのである。
 先に市庁舎のところで風水に触れたが、いかにも風水を重んじる韓国らしい反日スポットを紹介するのは、先の国際部記者である。「今年9月、朝鮮日報に驚くような寄稿がありました。又石大学の教授が“(南西部全羅南道の)実相寺は日本に流れる地の気を遮断するために建てられた”“日本列島を連想させる紋様がある寺の鐘を一突きすると、富士山を一発殴ることになる”“風水で日本を制圧できる”と主張し、寺を訪ねて日本に影響を及ぼすことを奨励したのです」 辺鄙な場所にある寺の訪問者は増えたという。

 寺をもうひとつ。韓国に現存する唯一の日本式寺院といわれる東国寺で、宗教ジャーナリストの小川寛大氏が言う。「日韓併合後の1913年、曹洞宗が建立した寺で、戦後は荒れていましたが、政府や群山市の公費によって整備され、きれいに保存されています。要は、韓国政府が日帝統治時代の負の遺産として、日本の過去の侵略をアピールすべく、公金を投入して保存することになった。周辺には“現存する唯一の日本式寺院”という看板なども立っていますが、親日的な表現ではなく“日本がしたことを忘れるな”という攻撃的なメッセージなのです」

 そこもかしこも反日スポットの韓国だが、「私に言わせれば、韓国全土が反日スポットです」
 と言い切るのは、前出の大学教授である。
「韓国では自国の歴史に関わることはすべてが反日になります。南西部の木浦の博物館など、中国共産党による虐殺の写真を日本軍の蛮行だとして紹介している。学校の教科書も反日を促していて、その意味では学校も反日スポットです」 

 





朝鮮は植民地ではなく「併合」だった。
にも拘わらず朝鮮人は、日本は世界史上他に類例を見ない残虐な植民地支配をした、謝罪しろ、賠償しろ、といまだに咆哮し続ける。
恰も、
「恨日侮日」を叫び続けなくては、民族としての矜恃を失ってしまうかのごとき振る舞いである。
朝鮮人の基本的な対日観とは、朝鮮は日本との「60年独立戦争」に完全勝利した戦勝国である。という認識である。
紛れもなく、これが李承晩以後、一人の例外もなく反日政策、恨日侮日教育を徹底してきた朝鮮人指導者のコモンセンスである。これ以外は「チンイルパ」「国賊」でしか無い。

これに対して、
毎度のことながら心優しい日本人は、ろくに調べもしないで、万度謝罪し、賠償に応じ続けてきた。
そして今尚、この国のリーダー達は、朝鮮人の恐喝話に右往左往するばかりである。

抑も、
植民地が独立する際、宗主国が賠償し謝罪した例があるのか?。 
ところが、これが幾ら探してもそんな
宗主国など実はどこにも存在しないのだ。

武力でもって次から次へと植民地を開拓することは当時の法律では完全に合法で、何ら恥じることでもなかった時代である。「賠償」とか「謝罪」とかが存在する筈もない。其れが国際的な常識であった。

例えば、
インド、シナがイギリスに、 ベトナム、アルジェリアがフランスに、インドネシアがオランダに、アフリカ新興国諸国がそれぞれ宗主国に、賠償と謝罪を求めたのか、どこをどう探してもそんな事例は存在しないのだ。

寧ろ逆に、宗主国の方が独立国にから賠償金を取っている例なら枚挙にいとまが無い。
例えば、オランダはインドネシアに60億ドルにも及ぶ、運河建設代金,油田開発代金、ゴム園開発費用等々を請求しているのだ。

凄まじいのはハイチだ。
カリブ海に浮かぶハイチは、1804年、10年にも及ぶ独立戦争に勝利して独立を果たしたが、この永い苦しい独立戦争に勝利していながら、何と9000万フラン(当時のフランスの1年の国家予算にほぼ匹敵)もの巨額な賠償金を払っているのである。
しかもこの金は、何とフランス銀行からの借入金で払ったというのだから、フランスにとっては当に濡れ手に粟、空いた口が締まらなかったろう。

ハイチといえば大体四国ぐらいの面積ぐらいしかないが、其れが、
当時アメリカに売却したルイジアナ(現在のルイジアナ州だけではなく、場所的には米国の中西部ほぼ全域に匹敵する)とほぼ同額であったというから、全く驚きである。
何故、カリブ海に浮かぶ小島と、北米大陸の「プレーリー」と呼ばれる広大な土地が同じ金額なのか?
白人国家が有色人種を扱うそのやり口とはこんなもんであった。

最近になってハイチ出身の世界的な歌手が、フランス政府に対してこの余りにも不条理な金を返却するよう求めたが、フランス政府は一切頬被りしたままである。

ハイチはこの巨額な賠償金を律儀にも約100年もかけて完済している。その結果国家財政は完全に破綻してしまったのである。
そのお陰で、いまでもハイチは世界最貧国から抜け出せないというから、植民地ではなく併合に過ぎなかった朝鮮に未だにネチネチとおかわりを要求されて、それに唯々諾々と従っている日本人の一人としては、このあたり頭が再度クラクラする話ではある。

この史実を持ち出し、朝鮮人に対して、正論を述べた者が歴代自民党政府の中に一人でも居た、とは寡聞にして知らない。





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