日本人が歪めて、朝鮮人が図に乗ってきたのが「歴史認識問題」である。
朝鮮人がミサイルの先に装着しているのは、「歴史カード」、ほぼこれに尽きる。
何をさておいても朝鮮人の頭の中には「恨日侮日主義」、これ以外無い。
例えば、
全斗煥(ぜんとかん)大統領は、日韓併合は朝鮮人自身にも責任がある、とはっきり言い残している。
彼は1981年8月15日就任後初の光復節記念式典の演説で、こう言っている。
「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」と主張している。これは当時日本でも大きく報道されている。
実は、何よりその前の大統領朴正熙もこれと全く同じ事を公言しているのである。
「あのとき、われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。
もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。
もしロシアを選んでいたら、ロシア帝国はその後直ぐに倒れたのだから、今頃は朝鮮は半島全体が北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったのだ。 だから私はセコンド・ベストとして評価している」
朝鮮人はこの朴正熙の発言を完全に無視するしかない。
ところが、
日本ではその5年後の1986年、「藤尾文部大臣更迭事件」が起きているのである。
中曽根内閣の文部大臣であった藤尾正行氏が月刊誌の対談で、「日韓併合は両国合意の上でなされたもので、韓国側にも其の責任がある」と発言したことで、彼は即座に更迭された、という事件である。
驚くべき事に、
5年前の朝鮮側の最高責任者が言ってることと、寸分違わぬ日本の文部大臣の発言は、一刀両断に断罪されたのである。
火をつけ、これを異常な迄に延焼させたのは、なんと日本の反日メディアであった。
斯くの如く、「恨日カード」常に日本で醸造されているのである。
当時は村山談話(1995年)は勿論まだなく、今ほど支那や朝鮮がうるさく口を出すこともなかった時代である。
自民党は単独過半数を有し、他方で冷戦が続いており、日米関係もほぼ無風、むしろ中曽根首相は日米緊密化の先頭に立ってもいた。そのような自民党内閣からしてこの歴史認識であった。
このあたりから朝鮮人の歴史認識が更に先鋭的になったのである。
中曽根内閣以後、この国はまともな歴史的検証をするでもなく、唯、贖罪意識だけが強くなっていったのである。
それから十年後、遂に「村山談話」という「鵺」の如き妖怪の登場となるのであった。
そして、その妖怪に今尚取り憑かれたまである。
南北朝鮮の恐喝騒ぎはこれからも延々止むことはなかろう。
ならば、我々日本人もいよいよ覚悟を決めなくてはならない。
朝鮮人に対して、
無条件降伏するか?、それとも核武装宣言するか?