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「シナは差別語だから使わないようにしましょう。中国と言って差し上げましょう」

「シナは日本人が創った差別語であるから使うな、中国と言え!」ほど奇妙な話も珍しい。

実は、
「中国」とはいうなれば、「旦那様」、「親分」という意であり、論理的にも完全破綻している、数ある「支那人ファンタジー」の一つに過ぎません。

 

「支那表記」の歴史を紐解いてみると、
日清戦争で日本に完膚なきまでに敗れた「清国」が、辛亥革命(1911)によって倒され「中華民国」が誕生したのが1912年、これ以後日本は、この眠れる獅子を「清国」から国際的呼称でもあり、且股伝統的呼称の「支那」(シナ)に代えたという経緯があります。

当初この「シナ」は彼の国でも普通に使用されていたようで、初代中華民国総統孫文も、時の総理大臣大隈重信に対して宛てた手紙の中で、何度も「支那」を使っていることが確認されています。
これからしても、「支那は日本人が創った差別語である」、という支那人側の大嘘が如実に暴露されています。

その後支那側は、「日本も自分たちと同じ表記”中国”を使用せよ!」と求めてきますが、日本側は断固これを拒否していました。
何故か?
それは、「中華民国」の「中華」とは「中華思想」そのもの、これがどれほど他民族を蔑視する思想であるか充分知っていたからです。

当時の戦勝国は日本でした。永年支那属国に浸りきった朝鮮人ならいざ知らず、日本がシナ人の主唱する「華夷思想」に嵌まる謂われはこれぽっちもなかったのです。これが敗戦国と戦勝国の決定的違いでもあります。

実は、
その後1930年になって日本は支那政府の強い要請、今後「支那」の文字が入った外交文書は受け取りを拒否する、という異例な通告があったこともあり、そこまでシナ人が嫌がっているなら、と心優しい日本側が譲歩して以後、日本も外交文書には「支那」をやめて、「中国」を使うようになった、という経緯があるにはあります。

がしかし、
その後「満州国」のとの兼ね合いも有り、この方針はいつの間に骨抜きとなり、充分徹底しなかったようです。

これが戦前までの経緯です。しかし、
戦後になって敗戦国と戦勝国が入れ替わりました。
蒋介石(実は、日本軍との戦争では連敗に次ぐ連敗で逃げ廻ってばかりいた)はいち早く戦勝国の横暴さでもって、「今後は一切シナを使うな、中国と言え!」と、1000年も昔から既に「中国」が存在する日本に対して言葉狩りを挑んできたのです。

当時の外務省総務局長岡崎勝男(後に外相までなった)が、中国の出身ならば頑として抵抗したでしょうが、残念ながら岡崎勝男という御仁は神奈川県の出身でした。

一部には、嘗て日本は「暴支膺懲」と差別的表現を掲げ戦争をしていた、だから差別語である、という「こじつけ論」を咆哮するムキ(赤旗、朝日等の反日勢力)が存在するようですが、
しからば、「鬼畜米英」の「米」、「英」も全く同様の論理で差別語そのものですが、こちらには完全スルーしたままです。

有り体に言って、
中華人民共和国を「中国」(central country)と言わされているのは日本、朝鮮、ベトナムぐらいのものです。
それ以外の世界では全て秦に由来する総称「シナ」であり、決して
central country」ではない。

更には、須く世界中 皆「シナ」と呼称し、尚且つ「東シナ海」、 「インドシナ」が存在し、最近では彼らが誇る巨大ポータルサイトは「sina@com」で大盛業中でもあります。つまり、彼の国でさえ「シナ」が差別語だと思っている支那人は一人もいないのです。

 

にも拘わらず、
日本人の言う「シナ」は差別語に聞こえるからいやだ中国と言え、というシナ人が一人でもいる限り、シナという言葉は使うべきではない、という意見が幅をきかしているのです。ならば同じ理屈で、

「中国」は差別語に聞こえるからいやだ、という日本人が一人でもいる限り「中国」は使うべきではない、という意見も差別なく取り上げられるべきではないでしょうか。

よくよく吟味してみると、
「支那」には差別的な意味など全く含まれていない。いや寧ろ古代インドの「スーナ・シーナ」の「文物豊かな国」の意、からきているということからすれば、「シナ」とは本来尊称でさえあります。
しかも、それに「支那」という漢字を当て嵌めたのもシナ人自身であり、決して日本が創った差別語ではない。

一方「中国」とは、

「中華思想」に由来し、その思想は、自らは世界の真ん中に位置し、周囲は皆凡そ人間とは言えない下等動物で、「北狄南蛮東夷西戎」、犬畜生、獣、虫けら同然である。我々が文明の光を与えてやっているのだ、だから朝貢すべきである、と公然と他民族を蔑視し差別するものでしかない。
ということは、

永年シナ属国に慣れ切り自らを「小中華」と誇る朝鮮人ならいざ知らず、過去一度も「中華思想」に堕とし込められた経験を持たない日本人なら決して使うべきではない呼称です。

抑も、こういう由来の意味を知っていながら敢えて呼ぶ「中国」とは、「旦那様」、或いは「親分」と同義でさえある。相手を旦那様、親分と呼ぶのは呼ぶ方は召使であり、子分、家来であることに他ならないのです。

彼の国からは、辛亥革命後誕生した中華民国の頃より、「シナを使うな、中国と言え!」、と要求するは、
実は、日清戦争のリベンジを心の何処かに秘めたシナ人が、日本の千年も昔からある「中国」を一切無視した横暴なる日本語の言葉狩りであり、全くあべこべの論理であり、日本では決して許されない言葉である、ということがよく分かる。
これが、日本と支那が逆の立場だったらどうでしょうか。
反日マスコミ勢力共々異口同音に「侵略戦争の名残を今に残す日本」として延々口汚く罵っている筈です。


以上逐一縷々説明しましたが、それでも未だ主張しますか?
シナは差別語だ、中国と言え! と。



以下稿ヤフー拒否

「シナは日本人が創った差別語であるから使うな、中国と言え!」ほど奇妙な話も珍しい。

「支那表記」の歴史を紐解いてみると、
日清戦争で日本に敗れた「清国」が、辛亥革命によって倒され「中華民国」が誕生したのが1912年。これ以後日本は、「清国」から国際的呼称でもあり、且股伝統的呼称の「支那」(シナ)に代えたという経緯があります。

その後、「日本も自分たちと同じ表記”中国”を使用せよ!」と求めてきますが、日本側は断固これを拒否していました。
何故か?
それは、「中華民国」の「中華」とは「中華思想」そのもの、これがどれほど他民族を蔑視する思想であるか充分知っていたからです。

当時の戦勝国は日本でした。永年支那属国に浸りきった朝鮮人ならいざ知らず、日本がシナ人の主唱する「華夷思想」に嵌まる謂われはこれぽっちもなかったのです。