それまでは朝鮮人は鬱陵島から90km東南沖にあるこの無人島のことは全く意識の端にもなかった。
今でこそ朝鮮人が「独島ヒーロー」にまつりあげている安龍福とは、実は戦前迄は朝鮮人の認識では、鬱陵島を日本から「還完」させたとする「鬱陵島ヒーロー」であった。竹島(独島)とは何の繋がりもない。
1926年の独立新聞にはそれを指し示す証拠が載っているのがこれである。
1920.03.18. 独立新聞 俄領實記(六) 「鬱島? 奪還?? 安龍福」
1922.8.1 独立新聞
これを補強する資料は枚挙にいとまがない。
例えば、「大韓地誌」 玄采著1899年
「大韓地誌」は朝鮮では地理の教科書にも使用されていた地理書でもある。この中で玄采は朝鮮の東限は経度まで入れて鬱陵島までと明確に記しているのである。
その後、
この本で地理を学んだ朝鮮随一の歴史家崔南善は戦後直ぐの1946年「朝鮮常識問答」を出版している。
崔南善はこの中で、経度(若干数字的には異なってはいるが)まで明確に記して朝鮮の東限を鬱陵島までとしている。つまり、嘗て自分が教わった地理的知識をそのまま踏襲しているのである。
斯くてこの時点まで朝鮮人は誰一人して竹島(独島)をウリナラ領土とは認識していなかった、ことが良く分かるのである。
ところが、
この崔南善、驚くべきことにこの数年後、自らの説とは真逆の説を粛宗実録という古文書のなから都合の良いところだけを抜き出しそれを歪曲捏造し、時の独裁者李承晩に「独島はウリナラ領土である」と所謂「独島ファンタジー」を吹き込んだのである。
朝鮮人が「独島ファンタジー」を唱えだしたのは、実は崔南善が震源地であった。
このあたりの真相は戦後日韓国交正常化交渉の際に南鮮側の第五次首席代表を務めた兪鎮午氏が、後年雑誌「思想界」(1966年2.3月号)に寄せた「韓日会談が開かれるまで」という一文で、この間の事情を明らかにしている。
崔南善とは一体どういう人物か?
実は、崔南善は1919年当時の3.1独立運動時の主要メンバーの一人でもある。何を隠そう「独立宣言文」は彼の起草になる。つまり、独立運動の主要メンバーでも当時より「独島は朝鮮のものだ」と主張する者は皆無だったのである。
このことからも「独島ファンタジー」とは、実は底の浅い朝鮮人の「お伽噺」でしかないことがよく分かる。
これだけでも驚愕する話だが、実は朝鮮人は更にその上をいく。
この「独島」を我が領土に仕立てあげた最大の貢献者は間違いなくこの崔南善である筈だが、何と李光洙と共に朝鮮に於ける近代文学の開拓者である崔南善はその後、親日派・国賊に認定され、現在の朝鮮では一切名前は出て来ず抹殺されたままであるという。
その理由とするところは、何でも若い頃に早稲田に留学し、後年満州国の建国大学で教鞭を執っていた「親日派」であり、許すべからざる「国賊」だというのである。そんな程度の理由で国賊認定していたなら、併合時代の知識階級は全て国賊だろうに、とまれ、朝鮮人の話は何から何まで日本人の理解を超える。
朝鮮人の屋台骨「独島ファンタジー」とは、実は国賊が歪曲したものであったのだ。