2018年06月

朝鮮人が竹島を「ウリナラ領土」だと妄言を吐き出したのは実は戦後のことである。
それまでは朝鮮人は鬱陵島から90km東南沖にあるこの無人島のことは全く意識の端にもなかった。

今でこそ朝鮮人が「独島ヒーロー」にまつりあげている安龍福とは、実は戦前迄は朝鮮人の認識では、鬱陵島を日本から「還完」させたとする「鬱陵島ヒーロー」であった。竹島(独島)とは何の繋がりもない。
1926年の独立新聞にはそれを指し示す証拠が載っているのがこれである。

1920.03.18. 独立新聞 俄領實記(六) 「鬱島? 奪還?? 安龍福」

1922.08.01. 独立新聞 獨立? 同胞? 一體負責(一怒) 「七日痛哭?? 楚國? 回??? 安龍福? 一個通譯?? 倭國? 赴?? 鬱?島? 還完??? 個人??? 能爲??? 安定? 客地?? 夢囈? ??? 自盡??? ??? ?月? ?? 遷延? ?? 各其 固有? 義務? ?行????」

上記の翻訳
1922.8.1 独立新聞
獨立は同胞の一体負責

   我が満天下の韓国同胞よ、試みに問う。独立を喪失したのは誰であり、回復するのは誰であるか。喪失も各人の負責であり回復も各人の負責であるならば、堂 々たる我が任務を尽くすことが・・・・・・・(中略)・・・・・申包胥は秦廷に七日痛哭して楚國を回?し、安龍福は一個通譯として倭國へ赴き鬱?島を還完 したごとく、個人において爲す能うならば、安定した客地において夢のみ抱き自ら盡くそうとせず、?月を再び遷延することなく各其固有の義務を?行しようで はないか。

これを補強する資料は枚挙にいとまがない。
例えば、「大韓地誌」 玄采著1899年 
「大韓地誌」の画像検索結果 「大韓地誌」の画像検索結果

「大韓地誌」は朝鮮では地理の教科書にも使用されていた地理書でもある。この中で玄采は朝鮮の東限は経度まで入れて鬱陵島までと明確に記しているのである。
その後、
この本で地理を学んだ朝鮮随一の歴史家崔南善は戦後直ぐの1946年「朝鮮常識問答」を出版している。

「朝鮮常識問答」の画像検索結果 「朝鮮常識問答」の画像検索結果 「崔南善」の画像検索結果

崔南善はこの中で、経度(若干数字的には異なってはいるが)まで明確に記して朝鮮の東限を鬱陵島までとしている。つまり、嘗て自分が教わった地理的知識をそのまま踏襲しているのである。
斯くてこの時点まで朝鮮人は誰一人して竹島(独島)をウリナラ領土とは認識していなかった、ことが良く分かるのである。

ところが、
この崔南善、驚くべきことにこの数年後、自らの説とは真逆の説を粛宗実録という古文書のなから都合の良いところだけを抜き出しそれを歪曲捏造し、時の独裁者李承晩に「独島はウリナラ領土である」と所謂「独島ファンタジー」を吹き込んだのである。
朝鮮人が「独島ファンタジー」を唱えだしたのは、実は崔南善が震源地であった。
このあたりの真相は戦後日韓国交正常化交渉の際に南鮮側の第五次首席代表を務めた兪鎮午氏が、後年雑誌「思想界」(1966年2.3月号)に寄せた「韓日会談が開かれるまで」という一文で、この間の事情を明らかにしている。

崔南善とは一体どういう人物か?

実は、崔南善は1919年当時の3.1独立運動時の主要メンバーの一人でもある。何を隠そう「独立宣言文」は彼の起草になる。つまり、独立運動の主要メンバーでも当時より「独島は朝鮮のものだ」と主張する者は皆無だったのである。
このことからも「独島ファンタジー」とは、実は底の浅い朝鮮人の「お伽噺」でしかないことがよく分かる。

これだけでも驚愕する話だが、実は朝鮮人は更にその上をいく。
この「独島」を我が領土に仕立てあげた最大の貢献者は間違いなくこの崔南善である筈だが、何と李光洙と共に朝鮮に於ける近代文学の開拓者である崔南善はその後、親日派・国賊に認定され、現在の朝鮮では一切名前は出て来ず抹殺されたままであるという。
その理由とするところは、何でも若い頃に早稲田に留学し、後年満州国の建国大学で教鞭を執っていた「親日派」であり、許すべからざる「国賊」だというのである。そんな程度の理由で国賊認定していたなら、併合時代の知識階級は全て国賊だろうに、とまれ、朝鮮人の話は何から何まで日本人の理解を超える。

朝鮮人の屋台骨「独島ファンタジー」とは、実は国賊が歪曲したものであったのだ。

シナ人が、世界で最も素晴らしい国歌だ、と自慢しているシナ国歌を念のためググってみた。

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中華人民共和国国歌
「義勇軍進行曲」

起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ!
我らが血と肉で築こう新たな長城を!
中華民族に最大の危機せまる、
一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。
起て!起て!起て!
我々すべてが心を一つにして、
敵の砲火をついて進め!
敵の砲火をついて進め!
進め!進め!進め!


「シナ国歌」は、基は抗日プロパガンダ映画の主題歌だという。
何のことはない。
自ら恥も外聞もなく、今尚根っからの反日国家である事を白状しているのである。
この歌を彼らは、世界で最も素晴らしい国歌である、と雄に誇っているのだから、難儀なことである。

有り体に言って、
シナは、彼らとは僅か26分の1ほどの図体しかない隣の島国に、今尚恐れ戦いているのであるが、
いうなれば、核を持った象が、未だに素手の秋田犬に絶えずブルブル怯えているのと一般である。
これほど滑稽なことがそうそうあるとも思われない。

イギリスの奴隷になることはしょうがなかった、だがしかし、
日本の奴隷には成りたくない。
ならば、
砲火の中へ飛び込め!
と永遠に恨日を貫くのである。

何というガサツで、品のない歌詞か。

そこへいくと隣国日本の国歌は、
コンパクトで優雅で品格があって、しかもそのスケールの大きさは半端ない。

一部には「君」とは天皇を指すから、主権在民の日本国憲法に馴染まない、との的外れの批判をする向きがあるようだが、基となった古今和歌集を辿れば、それが誤った解釈である事はすぐ解る。
「君」とは尊敬する人、最も大切な人、即ち「日本国民」なのである。
「君が代」の真の意味を知れば、なおこの国歌の素晴らしさがなお一層滲み出てくるのである。



日本国国歌 「君が代」

君が代は
千代に八千代に細石の
巖となりて
苔のむすまで



※参考 南朝鮮国歌
東海が乾き果て、白頭山が磨り減る時まで
神のお護りくださる我が国、万歳    以下省略

朝鮮人は向きになって否定しているようだが、彼の国旗「太極旗」が「日の丸」の焼き直しであるのと同じように、「愛国歌」も「君が代」に巻き戻しの発想で出来上がっていることがよく分る。
少なくともシナ国歌とは全く発想が異なっている。



※シナ国歌
田漢 (田汉、Tián Hàn) 作詞聶耳 (聂耳、Niè Ěr) 作曲。元々は、1935年に作られた抗日プロパガンダ映画風雲児女中国語版英語版』の主題歌であった[1]日中戦争中、各地の文工団などで代表的な抗日歌曲として広く歌われ、民衆の間に浸透していった。1949年9月中国人民政治協商会議で、正式な国歌が制定されるまでの暫定的な国歌として決定されたが、別の正式な国歌は結局制定されなかった。

文化大革命中は、作詞者の田漢が批判・迫害されたこともあって歌詞は歌われなくなり、曲の演奏も少なくなった。これに代わり、毛沢東を讃える歌『東方紅』が事実上の国歌として扱われた。

文革終結直後の1978年3月に、第五期全国人民代表大会第一回会議で歌詞が変更されたうえ、正式な国歌とされた。この時に改められた歌詞は「集団作詞」による、毛沢東や中国共産党を讃える内容を含んだ政治色の強い内容であった。1978年当時は毛沢東を信奉する勢力がいまだ多かったこと、1979年に行われた田漢の名誉回復の前だったことが歌詞改訂の理由とされている。文革処理がほぼ終わった、1982年12月の第五期全国人民代表大会第五回会議で、田漢の作詞による元の歌詞に戻され、「義勇軍進行曲」の副題も復活した。

2004年の第十期全国人民代表大会第二次会議に中華人民共和国憲法が改正され、国歌は「義勇軍進行曲」であることが明記された。2017年6月22日に、愛国教育の一環として「国歌法」の草案が、全国人民代表大会常務委員会第二十八回会議に上程され、8月28日の修正案審議を経て、9月1日の第十二期全国人大常委会第二十九回会議で「中華人民共和国国歌法」を採択し、2017年10月1日から施行した[2]

これは『義勇軍進行曲の替え歌』が色々な場所で唄われており[3]香港では国歌斉唱の際に若者が「だ」と言ったり、春歌替え歌を歌ったりしているため[2]、法律で規定することにより、小中学校で国歌やその精神について教育すると伴に、商業広告や個人葬式での使用・唱和禁止、公共の場におけるバックグラウンドミュージックの禁止、悪意ある替え歌に対して、15日以内の拘留処分などを定めた[2][4]

香港では「一国二制度」による高度な自治が認められているため、この法律が香港で適用されないものの、国歌『義勇軍進行曲』を尊重する様に圧力が掛けられている[2]

中華人民共和国の対外向け放送である中国国際放送(北京放送)は、以前は「東方紅」のインターバル・シグナルを使用していたが、現在は「義勇軍進行曲」が使用されている。

2018年5月9日 - 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が7日から2日間の日程で中国を訪れ、習近平国家主席と大連市で会談した。
金正恩が専用機を使って移動している姿を西側に公開したのは初めてのことである。
北朝鮮がその際につかった報道写真が是れである。
実は、よく見ると専用機に表示してある国章が見事にぼかされている。何故北朝鮮はこのような手の込んだ工作をするのか?
北朝鮮がこのような隠蔽工作をするにはそれなりの理由がある。

「金正恩大連に飛...」の画像検索結果


別の写真、シナ側の報道写真をググっていくと、そのカラクリ意図が鮮明に浮かび上がる。

「金正恩大連に飛...」の画像検索結果 「北朝鮮の国章水...」の画像検索結果

そう、実は北朝鮮の国章は日本が造った水豊ダム・発電所なのである。
国章にデザインされるものとは、何処の国であれ彼らが最も誇りとするものをいれるのであるが、驚くべきことに北朝鮮は国章に朝鮮人が最も忌み嫌う、不倶戴天の敵日本が造ったものをいれているのである。
国内向けには我らが造った世界に冠たる施設として自慢したいのだろうが、このプロパガンダは余りにも惨めで貧相でしかない。金正恩としてはせめてこの専用機に付いた国章は剥がしたかったのだろうが、余程時間がなかったのだろう。押っ取り刀で乗り込んだは日本のメディアに見られて大恥をかいて了った。
しかし、この「恥辱の国章」を噛み砕いた報道をした日本のメディアは一社もなかった。


既にして、
日朝国交回復の暁には北朝鮮との請求権問題に関係して、アバウト1兆円もの莫大な掴み金が喧伝されているようだが、
ならば、日本が当時7年の歳月と5億円(1944年完成総工費5億円。この金額は同時代に構想されていた「東京・下関間新幹線」に匹敵する)の巨費を投じて造ったこの巨大インフラ代金の請求書は一体何処へ行ったのか? と問いたい。

>南朝鮮、W杯2大会連続勝利なしの危機。
首の皮一枚つながるも次節は本気のドイツ【ロシアW杯】

「韓国W杯2連敗」の画像検索結果 「韓国W杯2連敗」の画像検索結果


ウリたちは「自前の歴史」で反日を弄りすぎたかも。
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慰安婦像を世界中に建て捲り、
竹島を強奪し、仏像を万引きし、
神社仏閣を破壊し捲くり、
親日派の娘たる女大統領をローソク責めにする「侮日恨日ゲーム」なら、何処にも絶対に負けない自信があったろうに、、、

されば、
「独島ポスター」を掲げフィールドを猿真似で走り廻ることも出来なくなった模様で、今や朝鮮半島は南北須くアイゴー&アイゴー&アイゴーの大合唱お通夜状態だとか。
 

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「君が代」の「君」とは何か?

 百人一首には、
君がため 春の野に出でて 若菜摘む
            我が衣手に 雪は降りつつ              光孝天皇

とある。
天皇が、「君」の為に若菜を摘む、と詠んだということからして、「君」とは天皇のことを指すものではないことは明らか。
そうかといえば亦、源氏物語には葵の君とか、藤壺の君とか、「君」が矢鱈出てくる。つまり「君」とは美しい女性の尊称でもあったようだ。
もし「君」が天皇のことを指すというなら、源氏物語に出てくる女性は皆天皇ということになる。

更には亦、
君の「キミ」とは、イザナキ(男)、イザナミ(女)と、男女を総称することから、
この「君が代」、「キ」の出ぱった部分と、「ミ」の足らざる部分をまぐわって、それでもって子孫を増やすよう、との思いで江戸の昔から結婚式における「賀歌」として、即ち「祝い歌」としても盛んに歌われていた歴史もあるという。

以上のことからしても、
「君が代」が天皇を称える歌であるとは、戦後この方日本帝国主義史観、自虐史観に染められたまんまの天皇制否定派が創り出した「ウソップ物語」である事がよく分かる。
「君が代」とは、もとはと言えば、庶民の間で歌われた「賀歌」だったのだ。
何だよ、そうかい。

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