「中国」とはシナ人が日本に対して丈使う日本に対する差別語である。中国は千年も前から日本である。
と言うと、大概の人は驚くであろうが、これは歴史の事実に照らしても紛うこと無き真実である。
しかし、そういうお前さんこそ、「シナ」を使う差別主義者ではないか、とたちどころに根拠なき
カウンター攻撃を喰らいそうだが、多くの歴史的事実は、戦後この方WGIPに爛れた日本人の歴史観を嘲笑う。
「中国」という呼称が「シナ」の上に乗っかった、対日本人に対する差別語であることは、ほんの少しだけ史実を振り返るだけで直ぐ分かる。
評論家石平氏はこう言って憚らない。
”自分は日本に来てビックリしたんです罠、だって日本に「中国道」があったんですよ”
と先ず自らの無知ぶりを曝け出し乍らも、シナ人の常識をあからさまにこう「告白吐露」している。
”元々中国には伝統的に「中華思想」が根付いており、日本を下に見るんです罠。彼達にはこれが常識なんです。自分たちが世界の真ん中、廻りは皆人間とは言えない下等動物が住み付いているンです罠。
周囲は皆、東夷西戎北狄南蛮、はっきり言ってこれが彼達の世界観なんです罠、中華思想とはそういうものなんです。日本人とは下等動物に過ぎないんです。
その格下である日本人が我々を戦争で負かした、そして国土を奪った、更にその後も侵略した。これが彼達には許せないんです罠。イギリスに無茶苦茶侵略されても何とも思わないが、日本だけは許せないんです罠”
と「罠罠話法」で愛想良く中華論を振りかざしてらっしゃるから正に世話はない。
而してこれだけ理解して貰って次に進むと理解は格段に速い。
「シナ」は普遍的表現である。
有り体に言って、西洋世界ではシーナ、チーナ、シーヌ、ヒーヌ、チャイナとそれぞれに訛っているものの、皆「シナ」なのである。
その一方、日本に対してだけ「シナ」を使うな、「中国」と言え!と強制するなら、英国人にも「central country」と言え、と命令しなくはバランスを欠くが、彼らは、嘗てアヘン戦争という不条理な戦争を仕掛けられ、国土も人間も蹂躙され続けられ結果巨大なトラウマを植え付けられた「大英帝国」には 決してそんなことはよう言わない。
日本人に対してだけ言う。 アヘン戦争の恨みは全く感じないが、日清戦争の敗北は決して忘れないのである。
それにしても、
「東シナ海」、「インドシナ」には無反応なくせに、何故「シナ人」が嫌なのか、とシナ人に問うてみても、誰一人その理由を合理的に説明出来ない。
異様なことである。
今やナスダックに上場を果たした巨大ポータルサイトの名は「SINA」(新浪)である。
更亦に、シナ人の学者が書く英語の論文にも彼らは「sina 」を使用する。まさか日本人は読まないだろう、と思い込んでる訳でもあるまいが、シナ知識人の常識レベルさえこの程度にある。
「支那」、「シナ」とは、彼らが思い込む「日本人が創った差別語である」であるならこんな現象は絶対に惹起しないのである。
以上ざっと概観しても、彼らが「シナ」を不快に感じて居るというのは、実は真っ赤な大嘘であることがよく分かる。
では、何故こんな大嘘が幅を効かすようになったのか?
戦前彼の国でも歌謡曲「シナの夜」が大ヒットした事実がありながら、何故こうまでシナを差別語にすることに血道を上げるのか。その背景は、どうも戦勝国将軍蒋介石の命令だけではないようだ。
多くの場合、日本人を貶める「自虐史観」とは、実は日本人自身による作演出による場合がその根本を為す。勿論この問題もその例に漏れない。
中でも特筆すべきは「赤旗」である。
赤旗は嘗て以下のような自虐史観を展開して「シナ差別語論」を拡散し、背後から鉄砲を撃っていたのである。
”戦前の日本軍国主義は、「膺懲暴支」を掲げ侵略戦争に突き進みました。「膺懲暴支」とは、暴れる支那を懲らしめる、という差別的意を顕しており根深い差別感を煽っています。そういう背景を知りながら支那を使う一部の右翼には、侵略戦争を反省する気持ちが全くない歴史修正主義、反動主義者に他なりません”
驚くべき事に、共産党は「膺懲暴支」を持ち出して「支那」を差別的表現に仕立てたのである。
ならば訊きたい。
「膺懲暴支」が差別表現ならば、「鬼畜米英」はどうなのか? と。
共産党の御高説をもってすれば、「米」も「英」も同じ理屈で差別語に該当することは明らかである。ならば、
共産党には、「米」も「英」も差別語あるから使用禁止にすべきである、と一大キャンペーンを張らなければならない義務と責任があるが、共産党はいつからこの国民啓蒙運動を始める積もりか、この際しっかり確認をしておきたいものである。