2018年03月
諺文(おんもん:女子供専用の愚文字)を唾棄してノーベル賞を夢想する朝鮮人
恨日侮日政策の一環として漢字を唾棄して、もうかれこれ50年も経とうかという朝鮮だが、ここにきてまたぞろ、日本式に戻ろうではないか、という議論がおきているらしい。
これまで散々世界一の文字だ、と自慢していた発音記号・諺文(おんもん)ではあったが、実はその名の通り、まさに、「女子供専用の愚文字」でしかなかった、ことにやっと気づいたらしいのだ。
「このまま、日本語より千倍理解力が遅れる諺文に拘っていると朝鮮半島には永遠にノーベル賞はやってこないぞ、改革だ、急ぐニダ!」、
と今さらに日本憎しで舵を切った天下の愚策ハングル国語政策に気付いて、例によって喧々ガクガクの空論を闘わしているという。
嘗てあまりにも文盲が多い朝鮮の窮状を見かねて、識字率を上げるために福沢諭吉等が考案した「漢字ハングル混じり文」、に戻すべきだというのだ。
文法すらほぼ日本語と同じで、しかも概念語の8割が漢字、或いは和製漢字で構成されている朝鮮語であることからすれば、これほどの妙案はなかった筈にも拘わらず、朝鮮人は戦後いち早く日本の匂いを完全に消去せずにはおかなかったのである。
が、ここに来てどうやら、背に腹は代えられないらしいのだ。
思うに、
「恨日侮日」こそ朝鮮人のアイデンティティーそのものであることからすれば、「朝鮮語の日本語化」が国内の「ゴテゴテの恨日侮日派」連中にそう簡単に受け容れ入れられるはずもないのであるが、
畢竟、日本人の漢字ひらがなカタカナの使い方のすごさに今頃気が付いたらしく、日頃より、「日本人は猿まねの天才である」、とか貶して日本人を散々馬鹿にしてきた朝鮮人らしくもない。
この際は、李朝500年の紊乱政治で糞だらけ泥だらけになった朝鮮人を救い出し、温かい風呂に入れてゴシゴシとすっかりその垢を洗い流し、剰え、ピカピカのべべを着せて貰い、僅か35年間で別人の近代国家に仕立てて貰ったお礼でも一言伝えた上で、キッチリ日本に謝罪して賠償してでも許しを乞う方が得策、と朝鮮人自身が判断するかどうかは別にして、
有り体に言って、
ここは是非とも先祖返り等せず、このまま「世界一優秀な文字」を使い続けるが宜しかろう。
幾ら朝鮮人と雖も、漢字を使い始めたら少しは知能指数が上がりそうなので、このまま愚民文字を使い続けて貰った方が、人類の幸福と世界平和の為にも何かと都合が良い、というのも又一方真実である。
とまで言うと、臍曲がりの朝鮮人のこと故、「ウリ達は日本が嫌がることを支那ければならない ニダ!」とかなんと咆哮して、本当にトチ狂って、漢字復活に走るやもしれぬ。
朝鮮人は誠に厄介なシロモノではある。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 への寄稿より 寄稿人 李炳銑釜山大学名誉教授
>われわれは、読書を通じて直接経験することができなかった知識や技術を得ることができるほか、想像力を培って文化を創造する。
これは、積極的に本を読まなければならない理由だ。しかし、どうせ読書に没頭するなら、より深く理解することができる方法を積極的に活用する必要性がある。その方法の一つが「ハングルと漢字の混用」だ。
ある者は、漢字が外国の文字だと排斥する。われわれの先祖が2000年以上にわたって使用してきた文字を「外国の文字」だと言って一蹴するには、これまで蓄積されてきた知識と意味の量からするとあまりにももったいない。
読書国家として知られる日本は、小学校の時から漢字を教える。日本人が漢字を活用するのは「お前の刀も私のさやに収まれば私の刀だ」という実用主義的な考え方が根底にある。
ハングルだけで書かれた書物は読むのが容易だが、意味を把握するのには漢字混用の書物よりも非効率的な側面がある。ハングルだけで表記した場合、直ちにその意味が分からないケースが多い。
製字で見るとハングルは科学的に非常に優秀だが、表音文字である漢字よりは伝達速度が遅れる。表意文字である漢字は見た瞬間にその意味が分かるが、ハングルは音を表記した文字であるためその音を読んでこれが聴覚映像を刺激。概念(意味)と結合して意味を喚起する。
ハングルだけで書かれた文章よりも、1行ごとに漢字が数文字ずつ交じっているハングルと漢字の混用文の方が速く読めるし、リラックスできる。
文章中に出てくる漢字の意味を理解してこれを読むことで、文章の理解にも役立つ。また、漢字で表記されたものは1単語、1文節が一目で入って来るが、ハングルで表記されたものは1文字、1文字を全て同じ速度で読まなければならない。
文語は80%以上が漢字語で、学術用語はそのほとんどが観念語と抽象語で構成されており、ハングルで表記すると読んでもその意味がよく分からない。
ハングルだけで表記された学術書は、どうしても可読性に欠ける。日本人は漢字1文字を識別するのにかかる時間は1000分の1秒以下だという。日本人は小説も漢字を交ぜて書く。2、3日もあれば300ページの本を全て読むのは茶飯事だという。
一目で意味を理解して本を読んでいくには、漢字の有用性を無視することができない。
韓国人も読書の能率を高めるために、学校漢字教育から強化して、漢字とハングルで書かれた混用文を自由自在に読むことができる力を育まなければならない。これは国家競争力を高める道でもある。
MLB大谷初打席初球を右前打
3/30
今シーズンからMLBエンゼルスに入団して2刀流を目指す大谷翔平が、MLB開幕戦の対アスレティックス戦で8番DHで先発出場。
大谷の初打席は1-0でリードした2回、1死1塁で追加点のチャンスで廻ってきた。7分程度の入りしかないアウェーのスタンドからはブーイングも出たようであるが、大谷は果敢に初球を狙い撃ち、見事ライト前にMLB初ヒットを記録した。
しかし、その後は冴えもなく、結局5打数1安打、試合もエンゼルスが5-6で初戦を落とした。
しかし、それにしても思う。
二刀流という従来の野球常識を覆す異次元のスキルを持って、英語も全くしゃべれない一人の若者が地球の裏側から、しかも、「マイナーリーグのファーム」からどこでどう狂ったか、本場アメリカに出稼ぎに来たのである。
通常ならば、「何をこましゃくれたことを抜かす小僧か」、という反発も出てこようというもの、
しかし、今のところそういう雰囲気はない。
もし、これを日本において考えるならその違いははっきりする。
怪しげな二刀流を操る一人の若者がNPBより遙かに格下のKBLから日本球界に出稼ぎに来たとしよう。果たして、日本の野球ファンはこの朝鮮人を大谷同様ウェルカムするだろうかと考えたとき、アメリカ社会、いや、MLB の複雑さが改めて浮かびあがってくる。
確かに、
既にしてMLBとはドミニカ、プエルトリコ、ベネズエラ、キューバ等の外国人無くしては成り立たない程の「多国籍企業」となって久しい、ということもあるだろう。従ってMLBのファン自体も日本とはひと味違った層を成しているこことも事実だが、このあたり「単民族国家ニッポン」とはかなり色合いが違う。
今シーズンからMLBエンゼルスに入団して2刀流を目指す大谷翔平が、MLB開幕戦の対アスレティックス戦で8番DHで先発出場。
大谷の初打席は1-0でリードした2回、1死1塁で追加点のチャンスで廻ってきた。7分程度の入りしかないアウェーのスタンドからはブーイングも出たようであるが、大谷は果敢に初球を狙い撃ち、見事ライト前にMLB初ヒットを記録した。
しかし、その後は冴えもなく、結局5打数1安打、試合もエンゼルスが5-6で初戦を落とした。
しかし、それにしても思う。
二刀流という従来の野球常識を覆す異次元のスキルを持って、英語も全くしゃべれない一人の若者が地球の裏側から、しかも、「マイナーリーグのファーム」からどこでどう狂ったか、本場アメリカに出稼ぎに来たのである。
通常ならば、「何をこましゃくれたことを抜かす小僧か」、という反発も出てこようというもの、
しかし、今のところそういう雰囲気はない。
もし、これを日本において考えるならその違いははっきりする。
怪しげな二刀流を操る一人の若者がNPBより遙かに格下のKBLから日本球界に出稼ぎに来たとしよう。果たして、日本の野球ファンはこの朝鮮人を大谷同様ウェルカムするだろうかと考えたとき、アメリカ社会、いや、MLB の複雑さが改めて浮かびあがってくる。
確かに、
既にしてMLBとはドミニカ、プエルトリコ、ベネズエラ、キューバ等の外国人無くしては成り立たない程の「多国籍企業」となって久しい、ということもあるだろう。従ってMLBのファン自体も日本とはひと味違った層を成しているこことも事実だが、このあたり「単民族国家ニッポン」とはかなり色合いが違う。
大谷開幕第4戦に先発デビュー
>エンゼルスとマイナー契約の大谷翔平投手(23)がメジャー昇格し、開幕4戦目の4月1日(日本時間2日)のアスレチックス戦に先発登板することが決まった。
「こっちのボールは滑りやすい粗雑な皮革を使ってるようで、馴れるまでもう一寸時間が掛かるかも知れないですね」
と本音をぶちかまして置くが良い。
となると、
格下とみている日本人から痛いところを突かれて、
MLBも多少は「粗悪品ボール」を改善する気が起きるだろうに。
漢字文盲の朝鮮人が「穏州視聴合紀」斉藤豊仙著(1667年)を読むと
竹島問題を論ずるとき必ず出てくるのが「穏州視聴合紀」斉藤豊仙著(1667年)である。
日本側は、「竹島は日本領である」事の証拠に挙げているが、しかし、朝鮮側は真逆の読みをして、17世紀末当持、日本では竹島は朝鮮領だと認識していた証拠である、というのである。
この文献にはこうある。
「戍亥間行二日一夜有松島 又一日程有竹島「俗言磯竹島多竹魚海鹿 按神書所謂五十猛歟」 此二島無人之地 見高麗如雲州望隠州 然則日本之乾地 以此州為限矣」
訳文
「隠岐より)北西へ二日行くと松島(現在の竹島)がある。又一日程で竹島(鬱陵島)がある「俗に磯竹と言って、竹・魚・アシカが多い。(アシカは)神書を案ずるにいわゆる五十猛だろうか。」この二島は無人の地で、高麗から見えるのは雲州から隠州を望むようなものだ。すなわち日本の北西の地はこの州(シマ)をもって限りとする」
この本が書かれた1667年当時は、正に米子の商人大谷家、村川家による毎年交互の「竹島渡海漁」の最盛期である。
従って、この本の著者も、隠岐国で聞き取り調査をして執筆したものであると容易に推察できる。
この記述を正確に読めば、この当時竹島(鬱陵島は当時竹島と呼ばれていた)までを日本領であるとの認識があるからこそ、毎年竹島渡海が行われていたのである。もし竹島が外国領であるという認識なら、竹島渡海はあり得なかったのは自明の理である。
更に又、
何よりその後に起きる「元禄の竹島一件」、
(1693年、例年通り鬱陵島に出かけてみると、多くの朝鮮人の「こそ泥」がいたので、その「証拠物件」として安龍福、朴於屯ら2名の朝鮮人を連れ帰ったことが嚆矢となった。日本側はこの当時鬱陵島が日本領であると認識していたからこそ、この朝鮮人を「こそ泥」と見たのである。
以後、日朝間で鬱陵島の領有権を争って大論争をした結果、結局は鬱陵島を朝鮮領と認めた。
徳川幕府はこの時大谷・村川家に渡海免許を返上させ、以後竹島渡海を禁止している。
但し、90Km東南沖に在る竹島については、双方とも何ら触れていない。
朝鮮側は、当時竹島の存在に気づいてもいないにも拘わらず、「触れていなくても属島であるので当然竹島も含んでいる」、と”窮鼠猫を噛む”的な破れかぶれの主張をしている)
もなかった筈である。
この古文書「穏州視聴合紀」から、「竹島は朝鮮領で在るべきだ」、と妄想するのは漢字が読めない朝鮮人だけである。