柳美里の今日のできごと

福島県南相馬市小高区で、
「フルハウス」「Rain Theatre」を営む
小説家・柳美里の動揺する確信の日々

晩秋なのに、早春の陽気

2012年10月26日 12時06分22秒 | 日記
南相馬を訪れるたび、東北=厳寒、というのは先入観に過ぎなかったんだということを「体感」します。

南相馬は、温暖です。

ほら!見て!

タンポポ、れんげ……

モンシロチョウ、シジミチョウ……

鎌倉より暖かいなんて、嘘みたい……

春です、まるで春……

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逆単身赴任

2012年10月26日 08時51分27秒 | 日記
南相馬市立総合病院副医院長(脳外科)の及川友好(ともよし)さん(52)と、南相馬市役所・建築住宅課・仮設住宅係・藤木海(かい)さん(39)は、共に震災後、妻子のみを(及川さんは福島市に、藤木さんは東京に)避難させて、原町で独り暮らしをしている「逆単身赴任」――、家族に逢えるのは、月に1度ぐらいだそうです。

(福島県の浜通り、中通りには「逆単身赴任」の男性が大勢います)

おふたりには、及川さんの次男の学(がく)くんと、藤木さんの長女の明日香さんが、小学校の同級生(現在は中学1年生)だった、という縁があります。

(藤木さんの専門は考古学で、その調査と整備のために東京から南相馬に転勤、及川さんも福島市からの転勤――、「よそもの」という共通点もあります)

及川さんと藤木さんは、ボランティアで、仮設住宅の集会所を訪ね、健康管理のカウンセリングと指導を行う、という活動を行っています。

さらに、KDDIと連携して、各仮設住宅の集会所に設置されている血圧計と体重計のデータを病院で管理し、血圧上昇と体重増加が危険水域に達したひとには、病院での診察をすすめる、というシステムの整備をすすめています。

「医学は人生の幸福を考える学問。病に対するだけではなく、病にならないような予防を広めることが大切」
この及川さんの言葉に感銘を受けて、藤木さんは市役所の中で孤軍奮闘しています。

そんな及川さんですが、昨年末には(年末年始も病院に残り、仮設住宅を回っていた)極度の疲労による鬱状態に陥り、毎年400枚書いていた年賀状を1枚も書けず、全てが無意味に感じられて身動きできなくなったそうです。

及川友好さんの言葉です。
「福島には三つの被曝がある。外部被曝、内部被曝、心の被曝だ」

「将来どうするか真剣に考えれば考えるほど鬱になる状況に置かれている」

「心があるうちは、この地で、この仕事をつづける」

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産婦人科医の父の手で取り上げられた息子

2012年10月26日 08時02分02秒 | 日記
昨夜――、開業して34年になる原町中央産婦人科医院の高橋享平先生(73)と、次男の高橋荘平さん(36)のおふたりと、医院内でお話ししました。

高橋享平さんは、震災の2ヶ月後に末期癌だということが発覚、福島医大まで(奥様が運転する車で)片道2時間半かけて抗癌剤治療に通いながら、子を宿した女性を病院に迎え、赤ちゃんと母親の二つ身にして送り出す、という危険で尊い仕事を続けています。

(自らの手で取り上げた赤ちゃんは1万人以上。1日に10人、という日もあったそうです)

直腸から肝臓に転移した癌が野球ボール大に増悪し、肺にももやもやと転移している、ということで、昨夜から痛みがひどく、これは死ぬかもしれないなと思った、と左下腹部を押さえて苦笑された享平さんの顔が、癌で亡くなった伴侶・東由多加の顔に重なり、わたしは12年前の話をしました。

隣で父親の話を聴いていた「南相馬除染研究所」で働く高橋荘平さんの言葉が、12年前の自分の言葉と重なり、胸が詰まりました。

「父が末期癌だとは信じられない。生まれてくる赤ちゃんが待っているから、と1日1日延命して、気づいたら15年生きていた、ということになればいいな、と……」

2000年4月20日、息子が生後3ヶ月の時に東由多加は息を引き取りました。

息子は、来年1月17日で、13歳になります。

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