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『CIA秘録』上 ティム・ワイナー

本書は全て公開文書と実名情報にもとづいているとまえがきにある。NYタイムズ記者である著者がいうに「真実のすべてではないが、真実以外のことが書かれていないことは断言できる」。

日本との関係で本書に出てくる日本人は、CIAを嫌うダグラス・マッカーサーとつながりのあった有末精三、児玉誉士夫、そして岸信介と佐藤栄作。
CIAの後ろ盾がどの程度の力を持っていたかは本書からは分からないが、岸はその後CIAと「二人三脚」で自民党を立ち上げ、財界からの援助により資本主義で経済成長を求めていくことと、共産主義からの極東の防波堤としてCIAからも資金援助を受けていたとある。それは佐藤栄作にも引き継がれ、自民党の一党支配を強化した。
その資金援助ルートがロッキード社だったというのも面白い。ロッキードといえば田中角栄だが、それについてここでは言及なし。
巻末の注釈に日本版編集部による追加があり、佐藤栄作が秘密献金を依頼したくだりがある。

自民党は日本の実業界、財界トップからなる非政府の秘密組織を結成したが、ソ連や中国共産党が日本の左翼勢力にかなりの資金援助を行っているので、日本政府にとって深刻な問題を引き起こせるだけの力がある…

実際に資金援助が行われたか否かはともかくとしても、記者クラブ情報を何十年読んでいてもわからない話ではある。
この章の最後がウケる。

日本人はCIAの支援で作られた政治システムを「構造汚職」と呼ぶようになった。CIAの買収工作は1970年代まで続いていた。日本の政界における腐敗の構造はその後も長く残った。
「われわれは占領中の日本を動かした。そして占領後も長く別のやり方で動かしてきた」。CIAの東京支局長を務めたホーレス・フェルドマンはそう述懐した。

自民党もこう言われちゃ世話がないか。

ケネディやサダム・フセインのところも楽しみだが、まだ読んでないので後でここに追記。


12/23追記:
ケネディ暗殺の章まで読んだ。
つくづく思ったのは、CIAは資本主義の拡大とCIA自身の失敗を隠してアメリカの評判を守ることならどんなことでもやっていたということだ。そりの合わない奴にちょっかいを出して相手のイライラを増大させては、おれは関係ないと嘘をついて回りを巻き込んだ喧嘩を起こすのは最低の奴。最低だがそいつを責めても未必の故意しか出てこない。喧嘩が起きて一番得をするのはまた別の人間だからだ。

多極化に向かいつつかる現在の世界で、唯一の超大国のホワイトハウスの中は戦後もずっと多極化していた、というのはCIAの人の言葉の使い方から感じた。オバマ政府の陣営をみてもそれは変わらず続いていくに違いない。未必の故意のちょっかい出し野郎役の担い手には、復活したCIAか、あるいは故意を全面に出す国際テロリストか、あるいは未必の故意の自覚すらない精神障害者か。オバマ時代はどんな適役敵役が登場してくるか?橋田壽賀子ドラマは1度だけ見たが、全員が「嘘付いてるかもしれない人」に見えてきて生理的に来るものがあった。CIAの新人教育資料にいいかもしれない。下巻はお金がもったいないので文庫版が出るまで買わない。



Googleにおける開発組織マネジメント

Googleにおける開発組織マネジメント(6) 情報共有の効果その3「情報共有が会社への熱い思いを生む」

しかし、あるエンジニアの言葉が、私の心には深く響いた。彼曰く、「これほどまでに情報が開示されているので、自分は会社から相当信用されているんだな、と強く実感します。これだけ信用されているのだから、自分も会社を信用できる。会社の成功のために何かしよう、という気になる。」

日本では個人情報保護法とそれへの企業の対応、また従業員による機密情報流出の話題で持ちきりだった。そこではいかにして社内で情報アクセスをコントロールし、「不必要な」情報に従業員をアクセスさせないか、という点が強調される。


無理が通れば道理が引っ込む、ということわざがある。
無理なことを声高に叫ぶ少数者の勢いに場が流れて行ってしまうことを指していうことわざだが、万人に一人の情報漏えい者のせいで万人の働く環境の道理が通らなくなる。ここでたとえる道理とは、仕事に対するモチベーションが会社への帰属意識につながり、結果として情報漏えいも防がれるという意味だ。
Googleのように名前に愛社精神がにじみ出ているような会社は別として、日本の一般企業の場合、1発で会社のイメージに致命的なダメージを与えてしまう情報漏えい行為に対して、社員に対する信用のデフレスパイラルに陥っているわけで、SOX法とはもはや「職場を心地悪くする法」の意味に近い。信用されてないと感じたら、その分しか仕事しねえと思うのが人情というもの。

量子暗号化が実用化すればもっと人間らしく仕事ができると期待するが、昔、tableをtrancateしてしっかりログも消して証拠隠滅してトンズラこいた人がいたが、UNIXであれWINDOWSであれ、トレーサビリティにも限界がある。root権とは別にログの管理が行える特権IDを整備して、情報漏えい者に対する罰則を強くして、情報管理の無駄な事務コストを下げたほうがなんぼかいいと思う。



「宮崎駿監督、映画哲学を語る」記事前編

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悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない――宮崎駿監督、映画哲学を語る(前編) (2/4)

この記事のQ&Aセッション、やりとりの順番構成がすばらしいが、本当にこの通りだったのだろうか。そうだとしたら、外国人記者達は日本人以上に監督の問題意識を共有しているのか?
いずれにしても、示唆に富む展開だ。



人は言葉を操る脳の部位があらかじめ準備されて生まれてくるらしいが、それは何々語にあわせてというわけではないように、子どもたちは元々ナショナリズムとも無縁である。
宮崎監督は世界中の子どもたちの心をわしづかみにするものだから、彼の言葉はナショナリズムにもまれる外国人記者たちにとっても、記者会見後にサインを求める殺到が物語るように、もはや聖人のそれのごとく響くようだ。

宮崎 「世界の問題は多民族にある」という考え方が根幹にあると思っています。ですから少なくとも自分たちは、悪人をやっつければ世界が平和になるという映画は作りません。

 「あらゆる問題は自分の内面や自分の属する社会や家族の中にもある」ということをいつも踏まえて映画を作らなければいけないと思っています。

 「自分の愛する街や愛する国が世界にとって良くないものになるという可能性をいつも持っているんだ」ということを、私たちはこの前の戦争の結果から学んだのですから、学んだことを忘れてはいけないと思っています。

911事件の後、God bless Americaと数百人で泣き叫んでいたのを見たときは、やっつけるべき敵を必要としている彼らに薄ら寒いものを感じたが、監督がナウシカ以来ずっと共通しているテーマを簡潔に説明していてるこの言葉を、彼らはどう受け止めるのだろうか。子どもたちの心がこんなにわしづかみにされる理由を、彼らはどう理解しているのだろうか?それぞれの国で若い人たちの心に届く記事にはなるのだろうか?

――日本の将来は悲観的ということですが、60年前の悲惨な状況から経済大国にまで成長したということを考えると、そんなに悲観的になる必要はないのではないでしょうか?

宮崎
 経済の恩恵を得た結果、その次のステップに「どういう風に進むか」ということだと私は思います。次のステップに進む時に、大変多くの知恵と自制心がいるのだと思います。

 生産者であることと消費者であることは同時でなくてはいけないのに、私たちの社会はほとんどが消費者だけで占められてしまった。生産者も消費者の気分でいるというのが大きな問題だと思います。

 それは自分たちの職場で感じます。人を楽しませるために自分たちの職業で精いっぱい力を尽くすのではなく、それもやるけれど、ほとんどの時間は他人が作ったものを消費することによって楽しもうと思って生きていますね。

 それは僕のような年寄りから見ると、非常に不遜なことであるという風に、真面目に作れという風に、力を込めて作れという風に(感じ)、「すべてのものをそこ(作品)に注ぎ込め」と怒り狂っているわけです。だから全体的なモチベーションの低下がこの社会を覆っているんだと思います。

監督自身が感じてしまうほどに、ジブリでもそうなのかと驚くが、「不遜」「怒り狂って」と強い言葉を使われているのがひっかかる。
若者のモチベーションは今も昔も変わらないと思う。ただ幼少期から「いいもの」に囲まれて欠乏体験がなく、自分にはこんな「いいもの」はつくれないからと、「いいもの」を探して楽しみたいという動機になってしまっているのではないだろうか。
欠乏をばねにそれまでの自分ではできないことをできるようにもがく苦しみについては、普段の会話の中でもそういう話は掘り下げないという空気になる。そういうテーマの一席を共有するには、経験のない者にとってはまず自己嫌悪や劣等感と向き合わなければならないからかもしれない。それはバカバカしいことだし、自分だって何かをなした人間でもなければそうだとも思ってないのに、まるでマナーかモラルかのように避けられるのは寂しい気持ちになる。
「これがこうしたらこうなんだ!」って、誰だって叫びたくなるし、聞いてもらいたくなる。子どもだって、大人からすればくだらないことを聞いて聞いての連続ではないか。それを否定された子どもがまともに育つとはとうてい思えないが、大人の世界では着ている服や立場や、その言葉に付随する意味のほうが重要なので、マナー違反なのである。




『死神の精度』 伊坂 幸太郎


ベッドの中で酔いも醒めてきて、いよいよ「最後かなーりいいお話なんで」を読み始めるが、いつのまにか落ちていた。
早朝に目が覚めてまた読み始めた。
二度寝ならぬ二度泣きになった。

「人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ」

この本に登場する死神のセリフだが、死神にそれを言ったのは古代ローマのセネカだと巻末の解説にある。
それに対する著者の考えが、最後の話の主人公の、大切な人に死なれまくってきた最後の暮らしぶりに表現されているのかもしれない。

人と同じ時間を過ごし、同じものを見て、同じ気持ちを抱いたりすること、そうした日々の思い出のかけがえのない積み重ねが途切れてしまうのは、生きていて一番悲しいことのひとつだ。
それは「人生」の断絶なのか、あるいは「ただの時間」の流れにすぎないのか。

「幸せかどうかなんて死ぬときにならないとわからない」もこの本に出てくる印象的なフレーズだ。
死ぬときに生きてきてよかったと思ってはじめて、その人は「幸せ」なのだとすれば、
大切な人に死なれまくってきた最後の話の主人公は「幸せ」なのかどうか、著者は精いっぱい書こうとしているのが行間から感じられてくる。日常を描くことによってそれを示そうとすることがまた涙を誘う。




非道器なShellExecute

//ssh.ShellExecute(".\\ap\\d2txt130r2\\xdoc2txt.exe"," -f "+pth,"","");
wsh.Run(".\\ap\\d2txt130r2\\xdoc2txt.exe -f \""+pth+"\"",0 ,true);
別環境で差分表示してみると、xdoc2txtがファイルを出す前にDFを起動してしまい、ことごとくそんなファイルありませんといわれてしまった。

画面のレスポンスといえばWindowsが蔓延ってしばらくまでは0.1秒の違いでさえストレスや快適さを感じて、動作の軽いソフトに対する原理主義的な称賛さえあったものだが、そのせいかGUIというのは外部の処理はとかく非同期なところがあって、スクリプトでGUIしようとすると風見鶏のようにくるくるとループして復帰を待つということになってしまう。XMLHTTPなんかはより下層で制御してくれるのでいいのだが、ファイルシステムとなると難儀だ。

とはいえ、Runメソッドは復帰待ちができて便利。最初からこっちを使っておくべきだった。NTの頃に大きいファイルを扱って苦労したことがあってあてにしてなかったが、今は安心して使えるようだ。


GOLDEN CAMEL

ゴールデンキャメル、子どものころに親と入った喫茶店で背伸びして飲んだコーヒーを思い出した。
鼻で間近に感じる匂いは大人の魅力にうっとりないい香りだったが、苦いのか酸っぱいのか複雑な味で、また飲みたいとは思わなかった。

高校生になって、6時間目の授業ををさぼって近くの喫茶店で飲んだコーヒーも思い出した。

いずれも昭和の頃の喫茶店だ。

大人になることをずっと追いかけていた頃を思い出すコーヒーの味。


今飲むと、舌に残らないなめらかな飲み口ながら、当時のままの深みのある味を感じる。

嗅覚というのは生物が原始のころから持っている感覚で、
五感のなかでも一番、本能や感情との結びつきが強いそうだ。

そういえば初めてセックスしたときも、2日間位は世界がそれまでとは丸ごと違って見えたのとともに、鼻からその匂いも取れなかった。

コーヒーの香りに癒されるのは、思い出がよみがえるからというのもあるかもしれない。




リムサイド磨き

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フロントハブをバラしたついでだ
リムサイドも磨いてしまえー

ブレーキに挟んでホイール回せばいい
数回転ですげー皮膜落ちる
おれ天才キター






2時間後、気力体力の限界
おれ単細胞キター


はかない望みをかけてパイプユニッシュケミカル攻撃

落ちるわけないと!
アルマイトじゃないと!




ギブ
磨き残しまくり
中途半端キター












Capreoフロントハブグリスアップ キズ発見

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購入後初バラし。
リアよりはグリスが残っていた。







黒いラインがベアリング球が当たっているところ。
球が小さいせいか何なのか、幅が広いような。







フロントは左右11個ずつ。
目がチカチカする。







ヅラ油を盛って球をズブズブと。








シャフトを確認するに、

傷が!






ルーペで見てみる。
うーん、
これはどうしたものか。
手で回したらリアハブのときよりもゴリゴリしていて、
Capreoもこんなものかと思っていたら。





これは何のお告げか。
ハブ何にしよう。あとオフセットリム欲しいし、リムサイドポリッシュして、ホイールも自分で組んでみたいし、タイヤはKOJAKで、ああ妄想がふくらむ。



作り手の身勝手さ

ファイル内文字列検索で入力ごとにライブフィルタができるといいな
→そうだxdoc2txt使おう
→ActiveX版があった
→コマンドライン経由で起動してファイルI/Oしなくていいなら
→できた!
と、自己満足の高みに達したが、

→ファイルに出せばそのままDFに渡して使える
→なんだこっちのほうがよっぽど使いそう
→自動でインストールするスクリプト作る
→mirrorManで操作されたらそれを促す
→できた!あれ?

だったらEXE版でいい。

でも作ったものを削除すのはためらわれる。
ソースとにらめっこしていると作り手の身勝手な良心が決心の邪魔をする。
自分が得られたものと、使う人が得られるものを混同してしまっている。

あれこれ考え、使用頻度に沿って整理した結果は、作った順序とは逆になった。
DFで差分表示 →EXEも使用
右クリックでテキスト出力 →EXEも使用
ファイル内の文字列検索でのフィルタ表示 →OCXをレジストリ登録した場合のみテキストボックス表示



mirrorman - 画面上でocx登録 のソース抜粋

前回のソース抜粋。

おきまり3点セット
wsh = new ActiveXObject("WScript.Shell");
ssh = new ActiveXObject("Shell.Application");
sfs = new ActiveXObject("Scripting.FileSystemObject");

ドロップされたかを拾います
arg = WScript.Arguments;

ドロップされていればレジストリ削除
if(arg.length)
WScript.Quit(
ssh.ShellExecute("regsvr32.exe"," /u xdoc2txt.ocx","","runas"));
 Vistaの場合、
 regsvr32.exeは管理者権限で実行されないと0x80040200というエラーになるので、
 ShellExecuteで "runas" を付けておくと実行時にユーザ確認が行われます。

問い合わせ。「はい」のボタン以外は終了します。
if(6 != wsh.popup(
"xdoc2txtをレジストリに登録しますか?\n\n"+
"(レジストリから削除したい場合、"+ WScript.ScriptFullName +
"にxdoc2txt.ocxをドラッグドロップしてください)",0,WScript.ScriptName,36))
WScript.Quit();

システムフォルダと各ファイルを取得します。
sy32 = ssh.NameSpace(37);
xdoc = ssh.NameSpace(
sfs.GetParentFolderName(
WScript.ScriptFullName)).ParseName("xdoc2txt.ocx");
zlib = ssh.NameSpace(
sfs.GetParentFolderName(
WScript.ScriptFullName)).ParseName("zlib.dll");
if(!zlib) WScript.Quit(WScript.Echo("zlib.dllファイルがありません"));

コピーして、regsvr32.exeを実行します。
sy32.CopyHere(xdoc);
sy32.CopyHere(zlib);
wsh.CurrentDirectory = ssh.NameSpace(37).Self.Path;
ssh.ShellExecute("regsvr32.exe","xdoc2txt.ocx","","runas");

mirroManの画面ではRunメソッドでxdoc2txt登録.jsの終了を待ち合わせ、
wsh.Run(".\\ap\\d2txt130r2\\OCX\\xdoc2txt登録.js",10,true);
return reloadItmLst(1);
 その後reloadItmLst()で
return location.reload(true);
 しています。


mirrorman - 画面上でocx登録

mirrorManの画面からxdoc2txt.ocxのレジストリ登録ができるようにしました。
右クリックメニューの「テキスト出力」かDFでバイナリファイル選択がされた時、
ポップアップを表示します。



「はい」を選択すると、xdoc2txt登録.jsを実行します。



Vistaでは管理者権限での実行確認ダイアログが出て、



mirrorManもリロードされます。




mirrorMan - XDOC2TXTとDFでバイナリファイルのテキスト差分表示 その2

前回のエントリ、右クリックで「テキスト出力」する操作がまんどかったので、
ボタンの押下回数で操作を分けりるれろ。

1回目の押下でのタイトルバー表示は、テキストファイルをクリックしてDFで表示。


2回目の押下でのタイトルバーでバイナリファイルをクリックしてDFで表示。
xdocdumpdelto.png

DFに出すと同時に次のポップアップ。
textdumpdelto.png

操作は3クリックだ。オス!


コート

081120-213415.jpg
寒い心はお金じゃ暖まらないけど

時速30kmの風はコートが防いでくれるかしら

Visaカードw











mirrorMan - XDOC2TXTとDFでバイナリファイルのテキスト差分表示

しまったこのExcelどっちがどうなってんだっけとか、
あの野郎どことどこを変更したんだ、余計なとこまで変えてないだろうかとか、
そんなとき、
ほぼ忘れてよしになっている記憶の引き出しから目で違いを探していくのは苦痛です。

nanasixls1.png

この二つのファイルの違いを探します。

xdoc2txtdf2.png

左右のファイルを右クリックメニューで「テキスト出力」を選択し、
拡張子が.txtになったテキストダンプファイルを出力させます。

xdoc2txtdf3.png

df.gif ボタンでDF起動モードにして、そのダンプテキストを選択すると下のように色分け表示。

nanasixls2.png
dflineview.png

オス!

※右クリックがまんどいので操作方法を追加しました。


『日本語が亡びるとき』水村美苗


 本書のキーワード、<叡智を求める人>は次のように定義されている。

<叡智を求める人>というのは、必ずしも精神的に優れた人たち、つまり、勇気があったり、公平であったり、心が優しかったりする人たちを指すものではない。ただ、さまざまな苦労をものともせず、自分が知っている以上のことを知りたいと思う人たち──のみならず、しばしば、まわりの人たちの迷惑をも顧みず、自分が知っている以上のことを知りたいと思う人たちである。自分が知っている以上のことだけでなく、人類が知っていることすべてを知りたいと思う人たちである。(p127)










その<叡智を求める人>たちが奮闘して外国語の書物を翻訳し、現在の日本語がある。
日本語は中国からは漢字、平安期に生まれたひらがな、漢文にレ点をつけるために生まれ、欧米外来語にあてるカタカナと、世界に類例をみないちゃんぽんっぷりである。

それが、インターネットの時代になると、<叡智を求める人>は日本語化をやめて、<普遍語>たる英語で書くようになるという。
その理由について述べているところでは、指をバキバキ鳴らしながらキーボードを叩いたのではないかというくらい、<叡智を求める人>という単語は253ページから254ページにかけて実に8回登場する。
すると、<叡智を求める人>は、自分が読んでほしい読者に読んでもらえないので、ますます<国語>で書こうとは思わなくなる。
個々の理由は、著者の血のしたたる文章をここに持ってくることはしない。
本書冒頭の引用が全てを説明している。
「然し是からは日本も段々発展するでせう」と弁護した。
すると、かの男は、すましたもので、
「亡びるね」といった。    (夏目漱石『三四郎』)




漱石は晩年、絶筆となった『明暗』の執筆は午前中で終え、午後は漢詩を作っていたそうだ。

明治以降の近代期、世界に冠たる高みに達した文学が誰にも読まれなくなってしまうことを著者は憂いている。その最も大きな理由はインターネットだという。

それはそうかもしれない。
しかしどんな文明もいつかは沈滞し、滅んできた。その最も大きな理由は周囲の自然を食いつぶした後のあらゆる質の低下であり、精神の質も例外ではない。生活の質が悪くなり、人々も愚かでバカになって滅んできた。現代もこのまま物質文明が飽和していくだけなら同じように滅ぶしかないだろう。
でも僕は、インターネットがもう一度人類を高みにもっていくかもしれないと思っている。<叡智を求める人>がただ英語の図書館に吸い込まれていくのではなくて、その大図書館はもっと別のものだ。言葉でプログラミングし、プログラムが言葉を操るようになると、ある自然言語とある自然言語との関係というのは、<叡智を求める人>にとっては副次的な問題になる。文化もまたそこから新しい形で生まれてくる。



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笹部 政宏
笹部 政宏
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