IZはトトロ
となりのトトロを観たとき、劇中のシーンがどこまでがこの世でどこからがあの世なのか分からなくなった。もし子供のころに観ていたら、あの世は存在する!と確信していたと思う。
映画では大木の根のくぼみがそうだったが、僕もソファの下の反対側から光が差し込む薄明るいすき間や、山の中の防空壕跡の薄暗い穴が違う次元への入口になっているんじゃないかという気になっていた記憶がある。
となりのトトロには裏話の噂もある。ジブリは公式には否定しているが、いわくトトロは死後の世界の使者で、さつきとメイは実際には死んでいたという・・・
ハワイアン音楽を聴こうと思って調べたら、そんなトトロみないな人がいた。
97年、すでに38才で亡くなっていた。
下のyoutubeにハワイの伝統的な葬式の動画があった。遺骨を海にまくセレモニーで、みんなお祭りのように楽しそうに騒いでいる。
日本でも葬式ではビールでワイワイやるが、これはもっとストレートで素朴で、悲しいからこそそうなんだというのがよく伝わってくる。幌に「IZ lives」と書かれた船もあった。この人は、ハワイの人からいったいどれだけ慕われていたんだろう。
ハワイの人同士では、IZのことは生きている人の話題のように話されるらしい。
人の死は受け入れないといけないものではないのかもしれない。それが記憶にある間、存在しているものとして共有するほうが、もしかしてずっと人生は豊かなんじゃないだろうかと思った。思い出すたびに枕を濡らすのではなくて。
人の魂は、あったとしても実体を感じることはできない。まるでプログラムのコードのよう。普段はモニタに表示される文字を実体のあるもののように受け止め、そのプログラムの動作をあたり前のように追っかけているが、その文字の羅列自体は、実はなんの実体も持っていない。電気のオンオフが繰り返されているだけだ。
何々さんという名前がついたデータのかたまりみないなものをオブジェクトという。プログラムにはそのオブジェクトがたくさんあって、「何々さんこれをしてください」とか、「何々さんこれを覚えていますか?」とかいうやりとりをお互いにやりあって動いている。
そして、その何々さんが誰からも呼ばれなくなると、そのオブジェクトは連絡網から解放され、ようやく完全に消去される。プログラムはそうやって、ただ一行一行順番に実行されていた頃よりも、同じ一行でずっと豊かに動作できるようになった。
魂も本当は、プログラムのオブジェクトみたいに何らかの形で実在しているのかもしれない。
IZというオブジェクトは、今もハワイの人のみならず世界中の人々から呼ばれ続けている。
IZの遺骨を海にまくハワイの人たち、ワーワーいいながら水面をバシャバシャたたいているのをみていると、本当にこんな気がしてきてしまう。
IZオブジェクトは実際に存在して、それを感じて豊かに暮らしている世界があるように。
映画では大木の根のくぼみがそうだったが、僕もソファの下の反対側から光が差し込む薄明るいすき間や、山の中の防空壕跡の薄暗い穴が違う次元への入口になっているんじゃないかという気になっていた記憶がある。
となりのトトロには裏話の噂もある。ジブリは公式には否定しているが、いわくトトロは死後の世界の使者で、さつきとメイは実際には死んでいたという・・・
ハワイアン音楽を聴こうと思って調べたら、そんなトトロみないな人がいた。
97年、すでに38才で亡くなっていた。
下のyoutubeにハワイの伝統的な葬式の動画があった。遺骨を海にまくセレモニーで、みんなお祭りのように楽しそうに騒いでいる。
日本でも葬式ではビールでワイワイやるが、これはもっとストレートで素朴で、悲しいからこそそうなんだというのがよく伝わってくる。幌に「IZ lives」と書かれた船もあった。この人は、ハワイの人からいったいどれだけ慕われていたんだろう。
ハワイの人同士では、IZのことは生きている人の話題のように話されるらしい。
人の死は受け入れないといけないものではないのかもしれない。それが記憶にある間、存在しているものとして共有するほうが、もしかしてずっと人生は豊かなんじゃないだろうかと思った。思い出すたびに枕を濡らすのではなくて。
人の魂は、あったとしても実体を感じることはできない。まるでプログラムのコードのよう。普段はモニタに表示される文字を実体のあるもののように受け止め、そのプログラムの動作をあたり前のように追っかけているが、その文字の羅列自体は、実はなんの実体も持っていない。電気のオンオフが繰り返されているだけだ。
何々さんという名前がついたデータのかたまりみないなものをオブジェクトという。プログラムにはそのオブジェクトがたくさんあって、「何々さんこれをしてください」とか、「何々さんこれを覚えていますか?」とかいうやりとりをお互いにやりあって動いている。
そして、その何々さんが誰からも呼ばれなくなると、そのオブジェクトは連絡網から解放され、ようやく完全に消去される。プログラムはそうやって、ただ一行一行順番に実行されていた頃よりも、同じ一行でずっと豊かに動作できるようになった。
魂も本当は、プログラムのオブジェクトみたいに何らかの形で実在しているのかもしれない。
IZというオブジェクトは、今もハワイの人のみならず世界中の人々から呼ばれ続けている。
IZの遺骨を海にまくハワイの人たち、ワーワーいいながら水面をバシャバシャたたいているのをみていると、本当にこんな気がしてきてしまう。
IZオブジェクトは実際に存在して、それを感じて豊かに暮らしている世界があるように。